七色の探索者   作:チャーシューメン

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 ただの神子ちゃんカワイイ小説です。
 しかし今回は霊夢ちゃんカワイイ小説でもあります。



美しきもの

 神霊廟への入り口は、博麗神社の敷地内にある。

「次から通行料取るから」

 今代の博麗の巫女、博麗霊夢は、いかにも面倒臭そうに境内を歩いて行った。アリスは黙って従う。ゴツゴツとした石畳は、それでも手入れはされているのだろうか、割りと小奇麗であった。暇を持て余した霊夢が、いつも隅々まで掃除しているのだろう。巫女というより、掃除婦のようである。

「諭吉だかんね、諭吉。五枚だから。まかんないわよ」

 相変わらずの業突く張りである。差し入れてやった紅茶葉の存在をすっかり忘れていると見える。それとも、緑茶派の霊夢には喜ばしくない贈り物だったのだろうか。こんなことなら、衣玖にくれてやればよかった。

「時々居るのよねぇ。あんたみたいに、神霊廟に行きたいって奴がさ」霊夢はポンと手を打つ。「あ。観光名所として売りだしてみるのもいいかもなぁ。仙人生活、一日体験ツアーとか。仙人饅頭とか、仙人煎餅とか、銘酒『仙人』とか、作れば売れるかしら。布都とか屠自古とかのアホ共は、見てるだけで面白いから、漫才でも演らせれば客入るかも。青蛾と芳佳には邪魔されない様に賄賂でも渡しておけば……」

 何を言っているのだ、この巫女は。

 馬鹿の話に付き合っているとこちらまで馬鹿になりそうなので、霊夢が空に向かって皮算用を語る間、アリスは黙然としていた。秋空の下、神社を囲う、赤く色付く木々が誠に美しい。ここは人寂れた神社だが、風景は誇るべきものがある。変わった巫女と四季の風景が、この神社の醍醐味である。

「しかし、あんたも物好きねぇ。あんな変人のところに行きたがるなんてさぁ」

 妄想を語り終えた後、霊夢は振り返って言った。

「仙術というものに興味があるのよ」

 嘘ではなかった。いやそれこそ、核心と言っても過言ではない。

 博麗大結界の隙間を縫って、神霊廟という異物を創りだした、豊聡耳神子の仙術。隙間妖怪の隙間を狙うなど、そこいらの有象無象には思いつきもしないだろう。この幻想郷で唯一それをやってのけた、豊聡耳神子……その人とその術とに、自身が求めるものの一端があるような気がして。

 アリスに必要なものは新しい『白兎』だ。そう因幡てゐは言った。

 アリスは、豊聡耳神子その人が、自分の新たなホワイト・ラビットではないかと考えたのだ。

「仙術て、不老不死の薬とか言って、水銀とか食むやつでしょ。あんな胡散臭いの信じてるの? ばっかみたい。あんたにしては低俗だわねぇ」

 生来整ったその刃のような面をゆるりと弛緩させ、あっけらかんと言う霊夢。考えるより先に口が動いたという感じだ。きっと悪意は微塵も無いのだろう。

 この霊夢……天衣無縫が服を着て歩いているようなものだ。カラッとした晴天の様な口調で語られると、胸の悪くなる様な悪言も、涼やかなる初夏の微風となる。同じく不思議な人間である霧雨魔理沙ともまた違った、爽やかな魅力を持った人間である。例えるなら、そう。空を渡るつばめの様に自由な女だ。

「何事も体験しなければ語れないわ。その貴賎も、その是非も」

 アリスは静かに言うが、赤いつばめはにべもなく。

「是も非も無いわよ。変なものは変じゃない」

 一刀両断。まるで自分が幻想郷の価値観の基準だとでも言わんばかりである。その傲慢も、最早心地良いとさえ言える。

「あたしも華仙の奴にやらされた事があるけど、もう懲り懲りだぁね」

「何よ、個人的な怨みを言ってるだけじゃない」

「怨み、結構じゃない」

 女は感情で動く生物だと言うが、この霊夢は、正しく女だった。

「ま、いいわ。ほら、ここよ」

 霊夢が指差した先を見ると、なるほど、石畳の一部に四角い亀裂が入り、青く変色している部分が在った。丁度、人一人が通れるくらいの大きさだ。身を屈め、亀裂に指を掛けて力を込めると、石畳の一部は蓋の様に開き、中から黄金色の光が溢れ出した。

 覗いてみると、下は別世界だった。

 眼下に広がる世界には、緑青々と萌え、胡蝶は舞い、野ネズミが駆ける草原が広がっていた。草原を横切るように小さな川がさらさらと流れ、素朴な木造の橋が架かっているのが見える。どこからか陽光が降り注いでいるのか、水は陽を反射してキラキラと輝いている。ふと、何かが横切った。鳥だ。目で追ってみると、見たこともない極彩色の鳥が優雅に飛び去って行く後ろ姿があった。その飛び去って行く先には小高い山があり、その向こうには青空まで見える。山紫水明、全てに色が濃い。

「これが神霊廟……?」

 想像していた無骨で殺風景な仙人の修験場とは違い、あまりにも長閑で美しい風景に、思わず疑問符をあげてしまう。しかし、この幻想郷に似合わぬ牧歌的な世界を創りだした神子の力、確かにそれを実感する事ができた。

 アリスは立ち上がり、霊夢を振り返った。

「行ってくるわ」

「お土産ヨロシク」

 霊夢は相変わらず締まりのない顔で、この上さらに物を強請った。アリスは苦言を呈する気力も無く、ただ溜息を吐いた。

「――仙人饅頭とかでいい?」

「金目の物をば」

「強盗に行くんじゃないんだから」

 苦笑しつつ。

 スカートを押さえ、穴の中へ飛び込む。

 何だか、懐かしい思いがする。あの時とは違い、白兎の背は見えない。あの時とは違い、アリスはもう子どもではない。あの時とは違い、今は空だって飛べるのだ。

 

 がらんとした霊堂の中、アリスは一脚の椅子を勧められた。辞する理由も無いので、素直に席に着く。

「しばし待たれよ。今、太子様を呼んで来るのでな」

 物部布都はそう言って部屋を出て行った。

 霊堂の中は薄暗い。ロウソクやランプの類は少なく、自然光を主な光源としているようだが、それにしては窓が小さいからだ。朱を基調とする見慣れない模様が描かれた壁は、この薄暗さの中では少し不気味だった。文化の違いなのかもしれない。

 目を巡らせると、珍しい調度品の数々が、部屋のあちらこちらに分けて展示してあるのが見える。幼児の頭ほどもある翡翠の原石、煌めく宝石で飾られた宝剣、神獣が彫られた銅鏡。いかにも古代の豪族の趣味と言った感じだ。その中で、「もののべふと作」と説明書きのある、犬やら猫やら分からない形をした不細工な粘土細工が、一際異彩を放っている。何だか微笑ましい。不気味な部屋の中にあっては清涼剤の如く、一気に親近感が湧いた。

 見上げると、天井画が描いてあった。後光を背負い、紫雲に乗り、ミミズクを頭に乗せた凛々しい女性。……いや、あれは髪か。つまり、豊郷耳神子、その人である。手に笏、腰に七星の剣を佩き、半眼を地上に向けている。その視線の先には、救いを求める民の無数の手が群れていた。アリスには、いささか悪趣味なように思えるが、宗教家にとっては普通なのだろうか。

 大きく開いた霊堂の入り口からは、神霊廟の境内が見える。

 廟内に着いてまず驚いたのは、その人の多さだった。老若男女問わず、無数の人々が境内に集まり、神子の姿を一目見ようと本堂にひしめいているのだ。修行装の人間もかなりの数がおり、境内の掃除や参拝者の誘導など、神霊廟内の雑事を処理しているようだ。時間帯による一時的なものなのだろうが、その賑わいは人間の里の目抜き通りに引けを取らない。

 神霊廟の造りは大陸文化の影響を強く受けており、神子が生きていた当時の風俗を想起させる。外周は城壁に囲まれ、さながら小さな城塞都市のようである。街路は碁盤の目状に規則正しく整備され、往来を牛車がゆったりと行き来していた。修験者や支持者の住処だろうか、街路に沿って沢山の住居も立ち並ぶ。神霊廟内部には、博麗神社から見えた小川が引き込まれているようで、川縁で釣りをする老人なども見られた。さらには城壁内に小さな山まであり、あの極彩色の鳥の住処となっているようだ。

 豊かな自然、外敵からの守護、そして神子という巨大な精神的支柱。ここは此処だけで完結している場所だ。人が生きて行くのに、他のものなど必要ない。幻想郷の中にあって、ここは独立国家の様相を呈していた。恐るべき、この完成度。一朝一夕で造りあげられるものでは決してない。何処からか持って来たものか、もしくは、神子がアリスの想像を超える化け物なのかのどちらかだろう。

 不意に、後ろから頭を抱き抱えられた。

「きゃっ!」

 反射的に悲鳴を上げてしまう。

 頭の後ろに、何か柔らかいものが二つ、押し付けられるのを感じた。

「待たせたね」

 女性の声だ。

 ということは。頭に押し付けられたものを想像して、アリスは身震いした。

 あわてて振り解き、無礼を働いた相手に対峙する。

 後光を背負っても、紫雲に乗ってもいないが、天井画の中から抜け出てきたような人物がそこにいた。

 翼を広げたミミズクのように優雅にふわりと広がる髪。切れ長の目に、白く透き通る肌をした美しい女性。ひと目で上等だと分かる衣をさり気なく着こなしている。腰帯には、高価だろうが主張しない玉を嵌め込み、その帯に差された名だたる七星剣が、燦然と輝いている。玉光が弾けるような笑顔を浮かべて、アリスを見つめているその目は、いたずらな猫のように、キラキラと輝いている。天井画と違うのは、妙なヘッドフォンを付けていることだ。

 想像していたような威圧感やオーラのようなものは感じず、むしろ神子の姿に自分が嫌悪感を催していることに、アリスは少し驚いていた。もちろん、先程の神子の所業の所為だ。

「君がアリス・マーガトロイドかい。ようこそ、神霊廟へ」

 その牡丹のような口を開いて、朗らかに神子は言った。

「何の真似かしら」

 乱れた髪を直しながら、アリスは敵意をもって神子を睨んだ。

 傍らの上海が、神子とアリスの間に陣取って仁王立ちする。主人を守ろうというのだろうか。いいぞ、上海、かっこいい。

「おや。私の歓迎はお気に召さなかったかな?」

「いい気分ではないわね」

「そうかね。喜んでくれると思ったんだけどな」

 神子はつまらなさそうに口を窄めた。本気で言っているのだとしたら、お目出度い奴だ。

「喜ぶわけないでしょう。デリカシーがなさすぎるんじゃなくて?」

「どうして? 君は私の寵姫になりに来たんだろう?」

「――寵姫?」

 一瞬、アリスはポカンとしてしまった。

 本当に何を言ってるんだ、こいつは。

「寵姫って。あんただって女じゃないのよ」

 アリスの問いに、神子はその薄い胸を張って答えた。

「大丈夫。私はどっちもイケる口だ!」

 うわっ……、と声を漏らして、アリスは一歩引いた。先ほどの威勢もどこへやら、上海も怯えて、アリスの胸元に帰ってきてしまった。

 昔の豪族は同性愛など日常茶飯事だと聞いたことはあったが……。他の国、他の時代の文化を云々する気はないが、正直、気持ち悪いと思うアリスだった。

「なぜ引くのかね」

「生憎、私は片方しかいけない口なんでね。それ以上近づかないでくださる?」

「なんだ、君は寵姫になりに来たのではないのか」

 神子は残念そうに首を振った。

「君のように美しい人なら大歓迎だったのになぁ。片時も離さず、朝から晩まで毎日愛してやったものを。残念だな」

「だから近づかないでってば」

 差し出された神子の手を払った。

 アリスの中で、聖人のイメージがガラガラと音を立てて崩れてゆく……。

「それじゃあ君は一体、何の用があって私に会いに来たんだ?」

 神子は不思議そうに聞いた。

 アリスは正直に言った。

「この神霊廟を作った仙術について、教えてもらおうと思って」

「――なるほどな」神子は椅子を引いて、無造作に座った。「まあ、掛け給え」

 手で席を示す。アリスも黙って神子の向かいの席についた。

「七色の魔法使い殿は、仙術に興味があると。魔法使いから仙人に転向する気かね?」

 机の上に両肘を突き、その手の上に自分の顎を乗せ、神子は馴れ馴れしくアリスに顔を近づける。吐き気を覚えたアリスは、椅子を引いて少し距離を置いた。

「そんなつもりは毛頭無いわ」

 お前のせいで仙人のイメージ最悪だしな、とは流石に言わなかった。

「そうだろう。何故なら、君は既に不老不死の魔法使いだからな。仙術の目指す最高を、君は既に手に入れている」コツコツ、とヘッドフォンを叩きながら、神子は言う。「私が分からないのはそれなんだ。古今東西、人々の求めるものと言ったら、それしか無いはずなのだよ。私の時代でもそうだった。西は羅馬から東は我が国、果ては大洋の向こうの大陸まで。それを求めない人間などいないはずなのだよ」

「死ぬのは、怖いですからね」

 神子は頷く。

「まさにそうだ。死ぬのは怖い。それは生物としての基本的な欲求だろう。だからこそ、人はそれを克服する力を求めるものなのだよ。しかし……」

 神子は瞑目した。その美しい面が能面が如く闇の中に浮かび、神子の体が抜け殻のように色を失くした。

「それを満たされた人間は、一体どうなるのだろうか」

 アリスの目の前で、それは突然に起こった。

 神子に光背が現れたのだ。

 抜け殻の後ろに現れた光背は、威圧とも慈愛とも違う、まさに威厳ともいうべき迫力を見るものに与えた。揺らめく光は、神子の感情を象徴するかのように、色を失くした神子の代わりに、荒々しく周囲へ迸る。一筋、伸びた光に巻き抱かれ、アリスの視界が輝きで満たされてゆく。

 アリスは、息を飲んだ。

「そのとき人は、幻想になるのだろうか。幻想になった人は、果たして人なのだろうか。人は幻想になったとしても、なお何かを願うものなのだろうか……」

 上海には見えていないのだろうか。目を見開いて身動きできないでいるアリスを、心配そうに見上げている。

 直感した。このままでは、神子に取り込まれると。神子の胸に抱かれたが最後、二度とそこから抜け出せなくなる。先刻から抱いていた嫌悪感の正体を、ようやくアリスは悟った。

 だから。渾身の力を振り絞って、言葉を紡いだ。

「――迂遠な方ね。お聞きになりたいことがあるのなら、そうなさればよろしいでしょう」

 かすれた声でそう言うと、神子は半眼を開いた。途端、光背は消え去り、アリスは肩で大きく息をした。

「いや、すまない。私の自問などはどうでもよいことだったな」

 何事もなかったかのように、神子は涼し気な顔をしている。

 アリスは取り繕うように溜め息を吐いたが、きっと顔は引きつっていたことだろう。

「――知よ」

 アリスが強がって言ったとき、神子はきょとんとしていた。

「人間が幻想になってなお欲するもの。それは知に他ならないわ」

「なるほど。だから君は、ここに来たということかい」

 はっはっは。神子は声を上げて笑った。

「永遠に生き続けてあらゆる知を貯めこみつづけるとは。君たち魔法使いは、もはや人間とは言えないな」

 その言葉にムッ、とするほどには、アリスの自我は回復していた。

「それなら私たちは、一体、何だと言うのかしら」

「そういうものを差す言葉を、君も私も彼も彼女も、いや生きとし生けるもの全てが知っているだろう」

 神子はアリスに指を突きつける。

「神だ」

 責めるように突き立てられた指先を見つめながら、アリスは震える声で応えた。

「――私は、それほど傲慢ではないわ」

 神子は笑って、突きつけた指をぐるりと巡らせ、霊堂の入り口の方へ向けた。

「外へ出よう」

 

 粗末な牛車に揺られながら、ゆっくりと神霊廟の大路を行く。

 道行く人々は地に平伏し、神子が乗った牛車に向かって手を合わせていた。

 神霊廟の中では、豊聡耳神子は正に神であった。

 その神はと言うと、隣で青ざめた顔をしている。

「どうしたのよ?」

「う、うむ……。実はこの牛車というもの、昔から苦手でね……。どうにも気分が悪くなってしまうんだよ」

 ……どうやら乗り物酔いをしたらしい。怖ろしいのか、それともただの変態の阿呆なのか、区別がつきにくい奴である。

「酔のツボでも押してみる? 手首の関節中央から、肘の方向に一寸あたりがそうらしいわよ」

「そんなことをせずとも、君が膝枕してくれれば、すぐにでも回復するんだが」

「それをしたら、今度は私が吐きそうになっちゃうから駄目よ」

 牛車は悠然と、美しく整備された質素な街路を行く。傅く人々の群れ。これは畏れの、信仰の道だ。もしお姫様にでもなったら、このような気分なのだろうか。しかしこれは、清々しいというよりは、どこか苦々しい。

「気になるのかい? どうやってこの神霊廟を作り上げたのか」

 青ざめた顔の神子が、息も絶え絶え聞く。

「それもあるわね」

 アリスの興味は、既に別に移っていた。

「仙人の技を教えることは出来ない。一朝一夕で学べるものではないからね。習得したければ、道教を信仰する他ないだろう」

「そう言うと思ったわ」

 ガタゴト、ガタゴト。牛車は走る。

 小高い山の脇を通りぬけ。

 簡素な橋を超え。

 やがて城壁へとやって来た。

「少し風に当たらせてもらいたい……」

 牛車を降りると、神子はフラフラしながら、階段の方へと向かって行った。

 石造りの階段を登る神子の背を追い、アリスも登った。

 城壁はどのくらいの高さがあるのだろうか。二十間ほどの高さがあるようにも思える。壮大な高さだ。一体、いかなる外敵を想定して造ったのだろうか。しかし確かに、神子の威容にこの外壁があれば、神霊廟を害そうなどと並の妖怪は考えないだろう。

 城壁の階段は真新しく、ここが造られて時間が建っていないことを示している。壁に目をやると、一定の間隔で縦横に筋が走り、固く締まった土砂が敷き詰められている。魔法の森の遺跡、あの古城でも見た、版築だ。

 神子は階段を登り終える頃には回復していたようで、アリスが上に着いたときは、元の涼しい顔をしていた。

「神霊廟を創った仙術が知りたいのだろう? 教えてあげよう」

 訝しんで、アリスは訊いた。

「でも、さっき、教えられないって……」

「ご覧」

 神子は指差す。

 導きに沿って、神霊廟内を見渡してみる。

 規則正しく整った美しい町並みが見て取れる。

「美しいと街だと思うかい?」

「そりゃあもう」

 しかし神子は言い放った。

「私は思わない」

「何故? こんなにも完璧に出来上がった街を、私は他に知らないわ」

 アリスは神子の美意識を疑ったが、神子は爽やかに笑って応えた。

「それ以上に美しいものを、私は知っているからさ」

 神子は笏を構え、祈るように目を閉じた。。

「ここを創るとき。幻想郷の隙間に居場所を造った私は、まず地に線を引いて、付き従う人々に示した。風水に従わなければ、地の神のご機嫌を損ねてしまうからね。郷に入りては郷に従えという。これはその土地に暮らす人、そして暮らしていた人々の心、歴史を尊重することを言うのだ。そして私は、風雨に強い家の建て方を、丈夫な橋の掛け方を、高い城壁の作り方を教えた。私がしたのは、それだけだ」

 神子は静かに、淡々と話した。

「馬鹿な」からわれていると思い、アリスは声を荒らげた。「ならばどうやって、この神霊廟を創った。わずかの間でこれだけの都市を築けるはずがない」

「だが、出来た。理解できないかね? それでも、出来たんだ。人間が、ここを創ったんだよ」

 アリスはもう一度、神霊廟を見渡した。城壁に手をやり、乗り出すようにして。

 あの霊堂も。

 人々の賑わう荘厳な本堂も。

 縦横に走る街路に、林立する家々も。

 あの小川に掛かる橋だって。

 あれもこれも全て、か弱き人間の手で造られたというのだろうか?

「見なさい」

 神子は笏で大路を行く小さな人影を差す。

「薪を背負う青年が見えるだろう。彼は与作と言う。老いた母や妻子を養い、よく働き、よく信仰する。立派な青年だ」神子はまた別のところを指差す。「次はあの老人を見給え。あの者の名は源次郎と言い、石工を務めている。既に一線を退いた身ながら、今でも城壁の修復工事に従事してくれている。彼の仕事ぶりは繊細で、恐ろしく早い。またあれを見給え。あの少女は名を壱といい、女性ながら勉学を志し、昼は人里の寺子屋に通い、夜は僅かな蝋燭の明かりで勉学に励んでいる。詩歌の才能があるのだが、本人は医師になると言って聞かない」

 神子は次々に人を指し、その名と人となりと美点を挙げていった。

 次を、また次を。

 大路をゆく人々全てを示さんばかりである。

 アリスは言葉を失っていた。

 一体、神子の小さな頭の中には、何人の人間の顔を名前が詰まっているのだろうか。

「この世で最強の力は、仙術だろうか。はたまた、貴女が嗜む魔術だろうか。それとも大山に住むという神の力か? もしくは名高い鬼の剛力? まさか、彼岸の裁判官達の権力か? あるいは月に住むという者達の科学力か? それともやはり、あの八雲紫の力なのだろうか」神子は首を振る。「私はそうは思わない。例えどんな力を持ってしても、人々のこの営みには勝てはしない。この美しさは不滅である。見給え。くわ持ち大地を耕す人々の勇姿を。例え、悠久の時の流れの果てにも。見給え。日々を懸命生きる人々のひたむきさを。例え、宇宙が滅びようとも。ここにそれが在った、その事実だけは決して変わらない。こんなにも美しい力が、人間にはあるのだ。和をもって尊しとなす。その時、人々の営みは、何者にも勝る美になるのだよ。人は……強い」

 三度、アリスは神霊廟を見渡した。

 今は、神霊廟の人々の顔までも見えるよう。みな生き生きとして、日々を暮らしている。

 そこに、途方も無い力を感じた。

 幾千、幾万もの人間の寄せる思い、願い、信仰……それは、たった一人の人間には重く、熱すぎる力だ。

「貴女は……」アリスは、畏れを抱いて神子を見た。「どうして、こんなにも大きな力を受けて、平気でいられるの……」

 神子は、笑った。

「幻想の住人にも望みはある。貴女が知を求めるように。私は、ただ人々の求める声に応えるばかりである。人間をやめて、幻想になっても。……いや。そのために私は、幻想に成ったのだ」

 青空の下。

 太陽の下。

 神子の背には、はっきりと後光が差していた。

 確かに、神子は聖人だった。人々の祈りを受けて、人を超えたのだ。

「まいったわね……。とても、敵わないわ」

 アリスは頭を垂れた。

「知を得た魔法使いは、やがて神になるのだろう。しかし私は、そうは願わない。君と私の違いは、そんなところにあるのだろう。もちろん私も、神の如き力は欲しいがね。それだけ人々の生活が豊かになるというものさ」

 人を導き、食わせ、生かす。神子の思想は、徹頭徹尾それしかない。神子は純粋に為政者だった。

「認めるわ。貴女はたしかに、聖人だわ」

 アリスは頭を垂れたまま、言った。

「では、寵姫になるかね?」

「――訂正する。貴女はたしかに聖人で、変態だわ」

 はっはっは、と偉そうに神子は笑った。

「そうか。私は君の白兎にはなれないか」

 驚いて神子を見ると、神子はヘッドフォンをコツコツと叩いていた。

 そういえば、豊聡耳神子は欲を見る能力を持っていたのだ。神子は最初から、アリスの目的を知っていた。最初から最後まで、からかわれていたのだ。

「嫌な奴」

 苦々しげにアリスは言う。

「そうでもない。私は親切だよ。特に寵姫にはね」

「あ、そっちは本気なの……?」

「もちろん。君のような美人はいつでも大歓迎だからね」

 やはりアリスは、一歩下がって。

「貴女は、私の白兎じゃなさそうね。貴女は大きすぎる。私一人じゃ、追いかけ切きれないわ。貴女はもっと多くの人の白兎だ」

「そうありたいと思っている」

 さらりと答える神子。

 涼しい顔が小憎らしい。

 手玉に取られたこともあり、なんだか頭に来たアリスは、神子に意地悪をしてやりたくなった。

「さすがは、外の世界でも有名人さんだわね」

「ほう、そうなのかい」神子はころころと笑った。「まあ、私も色々と伝説を残したつもりだからな。今でも信仰があるのはいいことだ」

 上機嫌の神子に、アリスは一枚の紙片を渡した。魔理沙の蒐集品から、弾幕勝負の掛け金として拝借したものだ。無縁塚で拾ってきたと言う。

「おや? ……誰だい、これは」

 紙片を覗きこんで、神子は首を捻った。

「その人、どう思う?」

 意地悪く、アリスは聞いた。

 神子は額に眉した。

「ううむ……こう言っては何だが、そこはかとなく不細工な男だなぁ」

「それ、あんたよ」

「へ?」

「外の世界での、あんたの肖像画」

 アリスが渡した旧一万円紙幣を、深刻な顔をして見つめていた神子は、突然、大声を上げた。

「誰だこれはっ! 私はこんなに不細工じゃない!」

 

「あら。お帰り」

 霊夢は相変わらず暇そうに、縁側で茶を啜っていた。めずらしく、その茶の色は紅樺色をしていた。

「紅茶、飲んでるのね」

「なんか、いつの間にか戸棚の中にあったからさぁ」

 今朝アリスが贈ったことを、既に忘れているらしい……。

「あ、おみやげ。おみやげは? ちゃんと金目のモン取ってきた?」

「無理に決まってるでしょ。仙人饅頭で我慢なさい」

「ちぇっ……。まあいいわ。腹が膨れるなら合格点ってことにしといてあげる」

 アリスが渡した『希望』と書かれた箱を、取っ散らかすようにして開ける。

 中には、神子の顔を模した饅頭が詰まっていた。しかも微妙に形が崩れて、おどろおどろしい顔になっている。

「うわ……」霊夢は明らかにイヤそうな顔をした。「何、これ……」

「神霊廟名物のミコマンだってさ」

「食欲失せるわ、こんなもん!」

「じゃ、渡したから。それ、処分しといてね」

「あ、ちょ、このやろ、自分もいらないからって!」

 喚く霊夢を後にして、アリスは博麗神社を後にした。

 ――神霊廟内部に、博麗の社は無かった。

「霊夢……上手くやったのね」

 あの畏れるべき豊聡耳神子を、犠牲なしで調伏してのけた博麗霊夢も、もはや人間とは言えないのかもしれない。

 


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