七色の探索者   作:チャーシューメン

9 / 10
 ただの魔理沙ちゃんカッコイイ小説です。
 マリアリは炎のさだめ。





「つまりは、だ。ここは千年前、聖徳王の存命中に建てられた城で、あの壁画は在りし日の豊郷耳神子って訳か?」

 アリスが手渡したサンドイッチを頬張りながら、魔理沙は言う。多人数でいるときはつとに豪快に振る舞うが、アリスや霊夢の前では歳相応の女の子らしく振る舞う魔理沙だ。下品に食べ散らかすようなこともせず、普通にもくもくと食べている。さすがに口元を隠すような雅な仕草はしないが。

 見上げると、豊聡耳神子の腹の立つドヤ顔が、アリス達を見下している。

 魔理沙はここが神霊廟であると認識していない。

 魔理沙は神霊廟であの天井画を見ていないのだろう。アリスとて、神霊廟の成り立ちを聖徳王から聞いていなかったら、そう考えていたかもしれない。実際、魔理沙の予想のほうが現実的であろう。

 しかし、アリスは確信していた。

 ここは、神霊廟だ。

 そう考えれば、紅魔館での風見幽香の言動も辻褄が合う。

 風見幽香は、地下遺跡の城壁から採取した土粒を、この世界の物質では無いと言った。実際、そこから幽香が咲かせた花は、見たこともない姿形をしていた。

 神霊廟は、幻想郷の隙間に神子が創りだした空間である。つまりそれは、神霊廟が幻想郷の存在するこの世界とは別の場所に造られた世界であるということを意味している。風見幽香が咲かせた、あの見たことも無い花は、神霊廟のある世界、時空で元々咲いていた花なのだろう。

 ――あるいは。

 あるいは……あの花は、これから咲くのかもしれない。

 アリスもサンドイッチに口をつけた。具はシンプルにベーコンとレタスにトマトだけだが、振った黒胡椒の効き具合といい、パンに塗ったバターの加減といい、美味い。自画自賛に足る出来だ。魔理沙が美味いと言わないのが納得行かない。

 この場所で昼食をとっているのは、ここが唯一、古代カビの嫌な臭いがしない場所だったからだ。天井画の神子の放つ鬱陶しい威厳がそうさせるだろうか。そう考えれば、あのドヤ顔もまあ許せるというものだ、ギリギリ。

 水筒のフタをカップ代わりにして、魔理沙に勧める。

「なんだよオイ、やけにサービス良いな、今日は」

 注がれた液体に口をつけた魔理沙は、次の瞬間、顔をしかめた。

「あっま! なんだこれ?」

「濃縮した桃のジュースよ」

「ぐええ、確かに美味いけど、胸焼けしそうだぜ……」

「たんと飲みなさい、精がつくから。さっきマスタースパーク使って、魔力使いきったんでしょう。糖分は重要よ」

「それはそうだけど……」

 嫌がる魔理沙に無理矢理飲ませて、ついでにサンドイッチをもう一つ、その小さな口に押し込む。探索に腹ごしらえは重要だ。特に、未だ捨食の魔法を覚えておらず、ただの人間である魔理沙には。

 昼食を終えて、アリスは再び装備の整備を始める。魔理沙はストレッチしながら、その様を横目で眺めていた。

「マメだなぁ、ホント」

「当たり前の事でしょう。あんたみたいにその身一つで、なんて度胸、私には無いわ」

「臆病モンだな」

「皮肉、分からない?」

 頭足類の体液が付着したブーツの白刃を磨き、ポシェットから出した予備のボウガンの矢を補充する。使いきった手榴弾の代わりに、信管と発煙筒を持っておくことにした。

 そうしていると、魔理沙が例の「マジックアブソーバー」の筒を差し出してきた。

「お前も、持っておけよ」

「いや」アリスは首を振った。「私はいらないわ」

「そうか」

 魔理沙は素直に魔法筒を懐にしまった。

「――聞かないのね。なんで私が魔法を使わないのか」

 アリスが虚空に向かって問うと、魔理沙は帽子のつばをくぃと下げた。

「いいや。聞くぜ」

 魔理沙は一呼吸置くと、問うた。

「辛いのか。魔法使いとして生きてゆくことは」

 ふっ、とアリスは笑みを漏らした。

 下らない質問である。しかし、人間らしい質問だ。アリスの姿に、魔理沙は未来の我が身を重ねているのだろう。

「私も貴女も、生きていることに変わりなんてないわ」

 生きてゆくことに高下は無い。そこには、人間と妖怪の垣根も無い。全て平等に過酷で、平等に幸福であるのだろう。その価値は彼岸の閻魔にすら決められるものではない。人生を測る絶対的な物差しなど、存在しないのだから。

「でも、自分の家に帰れないことは、辛いことじゃなくて?」

 そう言うと、魔理沙は肯定とも否定ともとれない複雑な表情を浮かべた。

 人里にある実家から家出して、魔理沙は魔法使いをやっている。遠くない未来、魔理沙も決着をつけに一度は戻らなければならないだろう。それは、一人前の大人になるためには必要なことだ。自分の在るべき場所を定める事は。

 そう考えると、魔理沙とアリスは似ているのだ。アリスもまだ子どもだった。自分の在るべき場所が分からないのだから。

 それを探す為に今、此処にいる。

「やっていることなんて、誰もみんな、変わらないものだわ」

 それは、魔理沙に言った言葉ではなかった。

 整備を終えると、アリス達は探索に戻った。霊堂に散乱する瓦礫をひっくり返して回り、何か手掛かりや先へ進む道が無いかどうか調べて行く。

 この神霊廟に何があるのか。それは分からない。

 しかし、古の探索者、水橋パルスィの言によれば、此処は最初に幻想郷に併合された地であると言う。ならば、在るはずなのだ。博麗に関する手掛かりが。

 各地の神社には、それぞれ様々にルーツがあるものだ。それは形を失くしても、口伝や人々の慣習の中に形を変えて残っていたりする。そこには信仰があり、信じる人々がいるからだ。人の口に戸は立てられぬ。忘れ去られた存在は数多くあれど、其処に人間が介在する限り、辿れない道は無いはずだ。増して、幻想郷には人間よりも長く生きる、妖怪という種族がいる。宇宙総ての知識が集まると司書が豪語する、ヴワル図書館がある。時代を超えて記述される稗田の幻想郷縁起や、上白沢慧音が編纂する歴史書もある。

 その全ての記録から抹消された、博麗神社のルーツ。歴史上のある時点から突然現れたそれ。その手掛かりがあるとすれば、同じく歴史から抹消され、忘れ去られた場所にあるはずだ。それを求めて、アリスは探索をして来た。

 定期的に起こる異変も。妖怪の山で見た真実も。パチュリー・ノーレッジの予想も。幻想郷に生きとし生けるもの全てが。その言葉を中心に回っている。

 博麗。

 幻想郷の本当の「賢者」は、何を求めてこのシステムを作り上げたのか。少しずつ、アリスには解りかけて来ている。

 そう。

 きっと同じなのだ。

 誰も、彼もが。

「おい」

 魔理沙の声が、脳内で駆け巡る推論を止める。夢から覚める思いで、蛍光に照らされる魔理沙の顔を見た。魔理沙の顔は、いつもと変わらず、何処と無く均整を欠いていた。魔理沙は、超人だ。何時如何なる時、どの瞬間を切り取っても、それは等しく均一な魔理沙なのである。少なくとも、アリスにとっては。

「なんかあるぜ」

 霊堂を抜け、本堂の中、かつては祭壇と思しき残骸がそこにあった。

「神式、か。この祭壇は」

 魔理沙は祭壇の残骸をバシバシ叩きながら言う。貴重な文化遺産になり得る物だと言うのに、魔理沙は頓着しない。魔法使いとしての常識を疑う。

 神子の神霊廟で見た本堂は、神式の造りではなかった。この矛盾。時代の流れを感じさせる。祭壇の装飾は経年劣化により崩れ、紋章は掠れ消えて判別が出来ない。

「お。階段だぜ」

 魔理沙が指し示す先、祭壇の残骸の陰に、さらなる闇へと伸びる、石造りの下り階段があった。

 無意識に、アリスと魔理沙は引き合った。寄り添いながら、階段を降りて行く。

 かつん。

 かつん。

 歩調を合わせて。

 かつん。

 かつん。

 呼吸を合わせて。

 かつん。

 かつん。

 ごとん。

 響く頼りない足音に、鈍く重い音が重なる。

 振り返って見上げた先は、闇。

 階段の入り口が、閉ざされた。

 ごくり。魔理沙のか細い喉が嚥下に蠢くを見た。魔理沙は懐へ手をやり、例の魔法筒を取り出す。アリスも取り出した折り畳み式ボウガンに矢を番えた。

 アリスは異常な気配を感じていた。魔理沙もだろう。先ほどの頭足類などとは比べ物にならない程の害意が、眼下の闇の先の先から放たれている。

「紫か」

 魔理沙はそう言うが、

「違うわ。これはあいつのやり方じゃあない」

 いつだったか、藤原妹紅が言った言葉が思い出される。あの時は理解出来なかったが、これはアリスにも分かる。逃げ道を塞ぐなど、八雲紫ではあり得ない。紫ならむしろアリス達が逃げ惑うのを愉しむだろう。このやり方は、八雲紫のルールではなかった。

「歓迎されてはいないらしいな、どうも」

「シーフを歓迎するファラオもいないでしょう」

「違いないぜ」

 魔理沙は笑みは向日葵に似ていた。

 再び、歩みを再開する。

 前触れなく、ランタンが砕け散った。

 闇のうろの中で、それは信じられないくらい大きな音を立てた。

 魔理沙もアリスも、動じる事は無い。低俗霊の良くやる手、子供騙しに過ぎないからだ。むしろ、拍子抜けしたほどである。これだけの害意を放つ存在が、こんな間抜けな事をやろうとは。ただ、魔理沙にもアリスにもその予兆を感じ取る事が出来なかった事は、正直言って脅威であった。

 ランタンは砕け散ったが、勿論対策は講じてある。

 砕けたランタンから飛び出したのは、緑の光を発する大きな蛍だ。地底の橋姫からの借り物。ランタンなど、最初から不要だったのだ。

 二対の蛍はアリス達の周りを衛星の様にくるくる回りながら、光を放った。

「ありがとよ、こんな綺麗なモン見せてくれて」

 虚空に向かう魔理沙の挑発に、アリスはクスクスと笑みをこぼした。

 相変わらずの、吹き付ける様な害意の烈風の中、アリス達は階段を下った。ゆっくり、ゆっくりと。長い長い、永遠にも思える様な時間を掛けて――実際は三刻も無いだろうが――底に着いた時には、魔理沙もアリスもうんざりしていた。色も何も無い闇の中を、ひたすら下って行くというのは、中々に神経に堪える。単調で面白く無いのだ。見た目に美しい橋姫の蛍に、どれだけ救われたことか。

 だから、それが目に入った時には、変わった景色を無邪気に喜び、笑った。

 地底湖だ。

 天井は異様に高く、今まで下って来た分よりも高い様にすら思える。ひょっとしたら、天井は無いのかもしれない、そう思える程に。蛍の光は例によって届かないが、肌に触れる湿り気を帯びた風が、明らかに今までと異質な場所である事を示す。この風は、何処から吹いているのか……。

 博麗の社のあった地底湖とは違い、光届かぬ場所にあるが故か、より厳かな雰囲気が漂う。水面は夜色に染まり、その中を窺い知ることは出来ない。ゆらめく風で水面には極小さく細波が立っている。

 中心には細長い八角形の建物が暗天を突き抜ける様に聳えており、見る者もいないだろうに、周囲に威圧を与えるように佇んでいた。

 生命の気配は全く無い。ここは死の世界だ。

 喜びも笑いも、束の間のものでしかなかった。

「大祀廟……なぜ、ここに……」

 魔理沙がポツリと呟いた。

 かつての聖徳王の墓、大祀廟に侵入したことのある魔理沙にとって、その景色は見覚えがあったらしい。

 中央、石造りの土台の上に建つ夢殿は木造ではなく、なめらかで錆の無い金属で建造されている。いや、それはもはや夢殿、聖徳王の供養塔では無いのかもしれない。別の、何か禍々しいものを封じるために設置された、呪い塔のようにも見える。表面には見たことも無い無数の術式が刻まれ、その傷跡から、止めどなくなんらかの液体が流れ出していた。さながら流れる血のように。

 湖面へ近づくと、表面に何かが浮かんでいるのが見えた。蓮の葉だ。薄桃色の蓮の花も咲いている。しかし、不思議なことに、この水芙蓉からは生きている気配を感じない。色艶は正に生の植物そのものなのに、生気を全く感じないのである。それに、こんな時期に、こんな闇の中で蓮の花が咲いているというのもおかしい。

「一体なんだ、これは……この蓮の花、時間が止まっているんじゃないのか」

 蓮の花は、輪廻転生の象徴である。その時間を止めるとは、つまり。

「これは……呪法だわ」

「やはりか」

「でもこんな大規模なもの……一体、何を目的に建てられたのかしら」

「さあな。鬼が出るか邪が出るか」

 水面に浮かぶ蓮の葉の道は、八角塔の下まで続いている。魔理沙は蓮の葉の上に無造作に体重を預けた。巨大な蓮の葉は、人一人の体重を受けても、ピクリとも動かない。アリスもその後に続いた。

 八角塔に近づくにつれ、害意の波動が二次関数的に強まる。

「魔力干渉が濃くなっているわね」

「試作のアブソーバーじゃ、十秒と持ちそうにないぜ」

「魔理沙!」

 アリスが鋭く叫んだのと、魔理沙が飛び退くのとは同時だった。

 前触れ無く振り下ろされた刃が、魔理沙のスカートの裾を僅かに切り裂く。

「あぶねえ! ……あっ」

 悲鳴が、驚愕へと変わる。

 緑銀色に揺らめく剣を振り下ろした者。その姿を見た瞬間、アリス達に衝撃が走った。

 紅白の衣を纏い、頭に大きな赤いリボン、長い黒髪をたなびかせた女の影。

「霊夢?」

 魔理沙が言い終わらぬ内に、それの姿は虚空に掻き消えていた。

「霊夢じゃないわ」

 その顔は、黒塗りされた落書きのように、不自然に歪んで判別がつかなかった。しかし、明らかに、顕界の存在ではない。害意そのものの様な存在。幽霊とも違う。亡霊とも違う。怨霊とも、もちろん神霊とも違かった。これまで相対した事が無い存在。

「純粋な魔力の塊……」

 そうとしか形容のしようがない。

「ならあれも、弾幕だってのか」

「弾幕……」

 なるほど、とアリスは思った。魔理沙らしい形容の仕方だが、正鵠を得ている。あれは一種の弾幕といえるだろう。例えば、アリスが人形達を弾幕に使う様に。魔力を込めた人の形、その依り代を取り除いたものが、あの存在であろう。

「なら、この先に、あの弾幕を放った存在がいるわね」

「宣言も無しにスペカを使うなんて、いい度胸だぜ。しかもあんな美しくもない弾幕を使うとは。決闘のイロハを叩き込んでやらなにゃ」

 魔理沙は箒を担ぎ直した。

「しかし、何故、霊夢と同じ巫女装束を着ていたんだ……」

 魔理沙は首をひねったが、アリスには得心が行っている。此処にあるのだ。幻想郷を形作る博麗というシステムのルーツ、その一端が。

 蓮の葉の道を暫く行くと、石造りの土台、その上に建つ八角塔の下に着いた。

 近くまで来ると、その異様さに改めて息を呑む。聳える八角塔は、真下から見上げてもその全高が分からない。塔の先が見えないのだ。塔から滲み出ている液体は紅、紛れもなく血液だった。そのため、石造りの土台は常に鮮血に濡れている。流れ出る血液は普通の血液ではなく、どろりと黒く濁り、すえたような臭いが鼻を突く。

「悪趣味な意匠だぜ。しかしこれは、なんの血だ? ……知りたくもないけどよ」

 アリスは気づいたが、口には出さなかった。この臭い。きっとこれは、人間の女の血、それも経血だろうと。何処から流れているのか、如何して流れているのか。想像して、肌理が粟立つのを感じた。口元に手をやったのは、こみ上げる吐き気に耐えるためだ。

「ま、お宝があればなんでもいいけどな」

 悍ましい鮮血の塔の扉へ、またもや無造作に突撃する魔理沙。きっとそういうサガなのだろう、物怖じや躊躇というものが無い。これだけ不気味でおどろおどろしく、当の魔理沙本人すらも顔面蒼白になっているというのに。この女は脊髄反射で行動しているのではなかろうか。

 魔理沙は八角塔の入り口の、ぬらりとした金属製の扉を押した。数秒後、それは体当たりに変わり、蹴りに変わり、頭突きに変わり、今度は引っ張ってみようとばかりに、意匠の隙間に爪を立ててガリガリ引っ掻いたりした。

 やがて振り返った魔理沙は、神妙な顔で言った。

「開かないぜ」

 アリスは声を上げて笑ってしまった。広大な空間を満たすが如く、アリスの笑い転げる声が響き渡る。そして、キョトンとする魔理沙の顔。嗚呼、なんて場違いな光景だろう。

「あんたはもう、本当に……凄いわね」

 ハンカチで涙を拭きながら言う。

 魔理沙と一緒で良かった。

 口には出さないが、はっきりと言葉で思った。

「そんな笑う所か? お前の笑いのツボ、おかしいぜ」

「はいはい」アリスは信管を取り出して、扉の番に埋め込んだ。「爆破するから、ちょっとどいてて」

 可燃性の糸を伝って走る小さな炎が、信管を起爆させ、極小規模の爆発が起こる。番が破壊され、金属の扉が傾いた。二人掛かりで扉を引っぺがすと、中の闇から、強い冷気が吹き出してきた。

 意を決し、中に入る。

 まず気付くのは、その凄まじい冷気。頓着の薄いアリスですら震えを覚えるほどだ。人間の魔理沙は、自分の肩を抱いてせめてもの暖を取っている。吐く息が白く輝いた。

 二対の地底の蛍は、温度変化を感じると、アリス達それぞれの肩に止まり、光の色を変えた。緑から赤へ、そしてほんのりと熱を発し始める。

「流石は橋姫ね」

「ありがてぇありがてぇ」

 鼻水を垂らしながら、魔理沙が蛍を拝んでいる。アリスは笑いを堪え切れず、くつくつと笑ってしまった。そんな場合ではないというのに。

 次に気付くのは、もちろん、その臭いだ。外の臭気を何倍も濃くしたような、生臭い臭い。ポシェットから取り出したハンカチを魔理沙にも渡し、それで口元を押さえた。

 見上げる。

 光は無い。

 天井も見えなかった。そのまま事象の地平にまで続いているのではないかと思われる程だ。

 幽かに見える八角塔の内壁には、くねくねとしたヒトガタの意匠が施されていた。無数に点在するそのヒトガタ達の双眸が、アリス達を見下しているかのように感じる。

 ふと、遠く、耳鳴りのように、赤ん坊の泣き声が聞こえたような気がした。

 魔理沙の方を見ると、魔理沙はアリスの顔を見てハテナマークを浮かべている。魔理沙には聞こえなかったらしい。あるいは、アリスの空耳なのかもしれない。

 もう一度ヒトガタを見上げると、今度はそれが裸婦像であると理解できた。かなり抽象化されているが、間違いない。そう思ってみると、酷く艶めかしいそのくねくねとしたポーズは、苦悶に悶える様であるように思えてくる。

「出産、か」

 同じく見上げた魔理沙が言う。なるほど、裸婦達の中には腹を抱えているものもいる。

「止まった輪廻転生、中心にある封じられた妊婦達。これは誕生を操作しようという術式のようだ」

「何の、誕生よ」

「博麗、だろう」

「霊夢が此処で生まれたとでも?」

「いや、この術式はもっと業が深い。これは……きっと、神を創ろうとしているんだ」

 動揺を隠そうとしているのか、魔理沙はしきりに右手で顔を撫でながら、言葉を続けた。

「いや、いや……違う。既に創ったんだ。これは残骸だ、神の。ここは墓だ。神を創るための、創った後の……」

 これだから、霧雨魔理沙は怖ろしい。魔理沙の空言に対し、アリスは否定する材料を持たなかった。

 神を創る。

 創られた神は、忘れ去られた神か。

「なんだ、あれは」

 真っ直ぐな魔理沙の視線を追うと、影の先に、丸く並べられた台座が見えた。紫布が拡げられた台座の一つ一つには、小さな丸い物体が安置されている。近づいて覗き込もうとしたとき、アリスの腕が強く引っ張られた。

「何よ……」

 発した言葉は、剣が空を斬る音で掻き消された。

 唐突に。

 まるで絵空事のように。

 巫女姿の弾幕、純粋なる魔力の塊、害意の嵐が姿を現す。

 魔理沙の反応は、素早かった。手にしたマジックアブソーバーの筒を投げつけながら、一歩下がって八卦炉を構えていた。ワンアクションでそれをやってのける魔理沙は、天性の戦闘センスがある。

 マジックアブソーバーの筒は、同時にアリスが放ったボウガンの矢と空中で激突し、巫女姿の前ではじけ飛ぶ。アブソーバーの黄色く光る粒子が、巫女姿を包み込んだが、その中でも巫女姿は悠々と剣を振りかぶった。

「なんだと!」

 魔力それ自体を無効化するはずのアブソーバーが、魔力それ自体の塊である筈の巫女姿に対して、まったく効果を為していない。

「魔理沙、こっちよ!」

 魔理沙の腕を引っ張り、アリスは闇を駆けた。明らかに旗色が悪い。

 扉へ向かって走ろうとするも、破壊したはずの扉は元に戻り、閉じられていた。無貌の巫女姿は、ここでアリス達を始末するつもりらしい。

「アリス、階段だ!」

 闇の中、魔理沙が見つけた階段を駆け下ってゆく。途中、振り返ったアリスは、後方へ発煙筒を投げつけ、気休めの煙幕を張った。

 階段を走り降りると、石壁に四方を囲まれた螺旋通路に出た。螺旋通路はぐるぐると回りながら徐々に深度を増しているようで、進めば進むほど空気が淀み、重くなった。アリスた達は戦闘態勢を崩すことなく、走った。

「新作が効かんとは」

 魔理沙が歯噛みする。

「あれは、夢想天生だわ」

 霊夢のラストワード、切り札。博麗の巫女の奥義の一つである。

「人が分かってて言わないようにしたことを」

「霊夢の夢想天生とは、完成度が桁違いだわ。幻視でも影も欠片も残滓すら見えないなんて」

「霊夢のは透けるだけだからな。弾もあたらんが」

「あれは消える度に、己の存在を完全にこの宇宙から消し去っている」

「自由に消えて自由に現れる、自動追尾弾幕かよ。チートにも程があるぜ」

「どうする、今の私達じゃ打つ手が無いわ」

「ハッ、決まってら」

 こんな状況でも、魔理沙は不敵に笑う。

「弾幕なら、避けりゃいいんだぜ。それが基本ってもんだ」

 魔理沙はいつでも変わらない。いつでも同じ魔理沙だ。アリスにとって、魔理沙は悪友であり、みっともない意地っ張りの小娘であり、ただの無策無謀な馬鹿であり、英雄だった。

 アリスが笑いかけたそのとき、視界の中で鈍い銀色が煌めいた。

 突如として現れる、紅白の巫女姿。握る刀剣の切っ先が、アリスへ一直線に殺到する。

 避けられない。

 アリスが目を見開いた時。アリスの体が、強い力で押し退けられた。

 魔理沙だ。

 魔理沙が、アリスを突き飛ばした。入れ代わりになった魔理沙の胴を、巫女姿の切っ先が捉えていた。

「魔理沙!」

 魔理沙がその場に崩れ落ちる。

 激情に狩られたアリスは、我を忘れ、顔無しの巫女姿に跳びかかった。無意識に、その体からは虹色の極光が迸っていた。

 巫女姿は落葉のようにゆらゆらとアリスを躱すと、ギラリと光る白刃を、体勢を崩し無防備なアリスの脇腹をめがけて突き出した。

 瞬間、まばゆい光が通路内を駆け巡る。

 顔を上げた魔理沙が、金色の粒子を撒き散らしながら、八卦炉を上方に向けてマスタースパークを放っていた。圧倒的な光量に押されて、石造りの通路がガラガラと音を立てて崩壊してゆく。魔理沙の姿が、光と瓦礫に飲まれていった。

 降り注ぐ瓦礫を前に、まるで生きた人間のように、無貌の巫女姿は狼狽した。

 アリスは、その隙を逃さなかった。

 手にした血塗れの短刀――博麗の儀礼刀――を巫女姿の心臓に正確に突き立てる。

 夢想天生によって逃れられたはずの巫女姿にしかし、吸い込まれるようにして儀礼刀は突き刺さった。何かの力に導かれるが如く。

 傷口から鮮血のように赤光が迸り、苦悶に呻く巫女の形をした弾幕は、そのまま瓦礫の豪雨に飲まれていった。

 アリスは、走っていた。

「魔理沙……」

 瓦礫の雨を逃れきった先。

 相応の空間を持った部屋に突き当たった。

 灯の消えた燭台に囲まれた大きな祭壇が、部屋の中央にぽつんと置かれている。その周りには、階上で見たものと同じ台座が並べられ、紫布の上には小さな丸い物体、紅白の陰陽玉が設置されている。陰陽玉の陰と陽の継ぎ目からは、塔表面のそれのように、血が滴り落ちていた。

 祭壇の上に、何かがある。

 人の形を、している。

 アリスは、ゆっくりと祭壇に近づき、巫女装束を着た人型の、その相貌を覗き込んだ。

 それを目撃したアリスは呼吸を失い、全身総毛立つのを感じた。

 見知った顔が、そこに在った。

「そうか……だから……」

 アリスが呟いたとき、「それ」が目を見開いた。

 底知れぬ狂気と、一つの存在だけでは抱えきれない程の憎悪に、淀み濁り穢れきった血瞳でアリスを睨む。時間を止められたかのように、アリスは動くとができなかった。その感覚は、畏怖にも似ていた。其処に在ったのは、ある種の神と呼称するに足りた。

 視界が炎のように揺らめいている。一斉に灯った燭台の火が、アリスと「それ」を照らしている。

 妄想か、現実か。今、判別する事は出来ない。白昼夢か、暗黒がもたらす幻想か、それとも「それ」こそが、アリスを迎えに来た白兎なのか。

 「それ」の影のような腕が伸び、アリスの顔へと迫った。

 狂気の触手が届くその寸前、バカリと目の前の空間が割れた。その隙間から、白い長手袋をした華奢な手が伸び、時の凍てついたアリスの手をとって、アリスは空間の割れ目へ引っ張りこまれた。

 覚めやらぬ夢を見ているような感覚で、アリスは見慣れたそいつの顔を見ていた。

「危なかったわね」

 八雲紫の涼し気なニヤけ面が、呆けたアリスの心に苛立ちを思い出させた。

 


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