黒狼狐己録 -Life Harboring- 作:ふーか
先に告げておきます。見ない方が良いです。特に藍が好きな方は閲覧注意です。
少しのグロ描写注意。
「…色々と欲求不満でね?」
グッと顔を近付けるヤマメに、小さく後ずさる。私が逃げようとするのを見越してか、扉が蜘蛛の糸で覆われる。私…もう…耐えられないかも知れない。これ以上…こんなことされたら……
「嫌、嫌…だよ…なんで…なんで皆私なの…!?」
「…私には、狼戈が美味しそうで仕方がないんだよ」
そんなの…理由になってないよ…!!
ヤマメを押し退け、扉に手を掛ける。ヤマメの糸で覆われた扉はビクともせず、ドアノブすら回ってはくれない。呪術を使ってみても、糸が燃えることはなかった。
「ほら、おいで、狼戈」
「嫌…いやぁ…!!」
元々、紫と藍のことで衰弱していた精神は限界を越えている。精神崩壊とまではいかないが、そろそろおかしくなりそうで怖かった。何より…目の前の少女に、私は戦慄していた。
「ん…れる…」
室内に水の音が響く。くちゃくちゃと…嫌な音が。舌が絡み、唾液が混ざっていく。逃れようと突き飛ばそうとするが当たることはなく、頭上で両手首を押さえ付けられる。片手は私の手首を押さえ付け。もう片手は…
「いやっ…ぁ…んぅ…!」
くちゅくちゅと…また嫌な音が響いていく。糸と妖気で覆われたこの部屋に、助けが来る事はないだろう。このまま…食われてしまうのかな。
「…狼戈しか見えない。いますぐ、血肉を、骨を、命を……貪ってしまいたいんだ」
「ん…っ!!」
痛みと快楽が混ざる。目の光がないヤマメに、私は…私は……!!
「っ!!」
妖気を解放し、無理矢理突き飛ばす。蜘蛛の糸で覆われた扉を全力で破り、廊下を駆ける。
「…狼戈!? 何が…」
「い、いや…近寄らないで…!!」
廊下の先にいた燐から逃げるように隅を走り抜ける。館から逃げるように扉を開け放ち、地底を走り抜けた。見えない幻影から逃げる為に。
▼
「ハァ…んぐ…」
荒い息を戻していく。震えがずっと止まらない。結局…皆私の事を道具としか…餌にしか見ていないんだ。私なんて…ただの邪魔な存在。媚薬。私がいなければ…こんなことにはならなかった。誰が悪い? 私。でも、あれ? あはは、もう、訳がわからないや。
「狼戈」
「ッ!! 嫌だ、来ないで…近寄らないで…っ!!」
すぐ近くに現れた藍から逃げる。だが一瞬で追い付かれてしまい、逃げないようにか尾で全身を包んで来た。
「嫌だよぉ!! 離して…ッ!! 離して!!」
「落ち着け!! 何もしない!!!」
今の私にとって、下手な慰めや制止は逆効果でしかなかった。妖気を纏って無理矢理こじ開けようとするが、藍もそれに比例するように力を込めていく。頭が上手く回らない状態で私が勝てるはずもなく、完璧に身動きを封じられてしまった。指ひとつ動かせない状態になり、鈍い声を上げる。
「嫌…だよ…」
「落ち着いてくれ、狼戈。大丈夫だから」
私は…どうすればいい。何をすればいい。何が悪い。
もう、何もわからなかった。
▼
「今は…疲れて寝ていますが…」
「…どうにか出来ないの?」
「精神的なダメージが強すぎて…数ヵ月…いや、数年でどうにかなるレベルでは…」
狼戈の精神的な衰弱。その原因が、主に私にある事は否定出来ない。先程まで自分を傷付け、息を荒げていた狼戈は、今ではベッドの上ですっかりと眠ってしまっている。頬には一筋の光が見えた。
以前はどうにか出来たが、もう…私がどうにか出来るレベルではないかも知れない。今一番の問題は、彼女の矛先が彼女自身に向いている、ということ。あの強さでは…彼女が壊れ兼ねない。一刻も早く、傷だらけの彼女を安定させなければならない。
「…ぅぅ」
呻き声を上げる狼戈に、私は口を開くことすら出来なかった。
▼
狼戈を一時的に引き取り、早数十年。彼女が安定する兆しはなく、それどころか日に日に悪化していっている。常に私が寄り添ってはいるが、以前のこともある。そう簡単に治る訳がない。だが…見捨てる訳にはいかない。
食事を摂らない狼戈に妖気を流し込み、溜め息を吐く。目に光はないし、無表情から変わる気配がない。だが、尻尾を優しく巻き付けると、狼戈の表情が少し和らぐ気がした。
「狼戈…聞こえてるか…?」
私がそう声を掛けても、狼戈が動く気配はない。
「…お休み、狼戈」
私は空っぽの少女に一言呟くと、狼戈を抱き締めて目を瞑ったのだった。
▼
「…狼戈!?」
目を覚ませば、いつも通りの風景。だが、其処に狼戈の姿はなかった。戦慄しつつ、部屋を飛び出す。荒れた髪を解かす暇もなく、八雲の屋敷を駆ける。
「紫様ッ!! 狼戈を…狼戈を見ませんでしたか!?」
「いなくなった…!? っ…入って」
紫の前に隙間が開く。狼戈への隙間だろう。何の迷いも無く、隙間へ飛び込んだ。
「っ…狼戈…!!」
隙間を抜けると、其処は小さな洞窟…私と狼戈が、共に過ごした小さな洞穴だった。その奥に、一匹の少女が佇んでいる。どうやって八雲の結界から抜け出し、此処まで来たのかはわからないが、黒い尻尾、黒い耳、幼くも大人びた顔立ち、どう見ても狼戈だった。その手に握られた刀は…何を意味しているのか、理解したくなかった。
「狼戈…おいで、帰ろう?」
「…ねぇ、藍」
数十年ぶりに聞く、狼戈の肉声。その声は異常な迄に優しく、恐ろしい声だった。
「…なんだ?」
「藍にとって…私は何?」
その問いに、私は絶句する。答え方次第では…狼戈が危ない。だが、早く答えなければ…それもそれで危ないのだ。どうすれば…
「…私の家族であり、恩人であり、大切な人だ。邪魔なんかじゃない」
「…そう」
狼戈がとても小さく、薄く微笑んだ。肉声に続き、久々に見る笑顔に安堵する。
「…その刀を捨てて、此方へ来るんだ、狼戈。大丈夫だから」
「何が…大丈夫なの?」
「……え?」
微笑みながら呟く狼戈は、殺意を、優しさを、温もりを、冷たさを…全ての色を、その黒い尾に反響させていた。刀を私に突き付け、狼戈が笑った。
「…私の大切な人。私の家族。そんなの、いない。皆、いらない」
ただ唖然とする。彼女は自分を責めるあまり…他人を怖がるあまり…全てを封じ込んでしまっている。これを…これさえ乗り越えれば…きっと元に戻る。そう信じて、私はその刀の刃を掴んだ。
「何を…!?」
「狼戈、もうやめてくれ。本当はわかっているんだろう?」
私を睨む狼戈の瞳は、光を取り戻しつつあった。このまま…戻ってくれ、狼戈…!!
「お前は一人じゃない。いないなんて、いらないなんて、思ってない!!」
「…煩い。煩い煩い煩い…!!」
刃を握る手から、血が滴り落ちる。狼戈が力を込めることにより、指が落ちそうになる程に、深く、深く刃は沈んでいく。
「体質なんてどうでもいい…!! 皆お前という存在が好きなんだ…っ!!」
「黙れぇぇ!!」
狼戈が強く刀を引き、指が全て地面へ落ちる。激痛に表情が少し歪むが、そんなのどうでもいい。滴る血には見向きもせず、震える狼戈を抱き締める。
「…黙れる訳がない。お前は…私の全てだ」
「・・・・・・っ」
溢れる狼戈の涙は、彼女の優しさが表れていた。
▼
「落ち着いたか?」
「…うん、ありがとう」
外はすっかりと暗くなり、呪術の炎と月の光が暗闇の洞窟を照らしている。
「…良かった。本当に心配したんだぞ…?」
「・・・・・・」
「さあ、帰ろう。狼戈。皆心配してるから」
狼戈の手を引くが、それを狼戈が振り払った。どうしたのか、と狼戈を見ると、優しく、儚く微笑んでいる。その右手には…刀が強く、握られていた。
「…狼戈?」
「…ごめんね、藍。私は行けない」
一体…何を…
私がじっとその様子を見ていると、不意に狼戈が、鞘から刀身を引き抜いた。
「…っ。狼戈、まさか…!!」
私が駆け出しても、時既に遅い。妖気を纏った刀は、いとも容易く狼戈の胸を貫いた。
「なっ…!? おい、狼戈…!!」
倒れる狼戈を受け止め、傷口を見る。貫通しており、それは…心臓を貫いている。妖気をどうしようが、どう処置しようが、もう…手の施しようがなかった。
「私が…いなければ…」
「ッ!! 狼戈、喋るな…今すぐ治す!!」
無理だとわかっていても、頭が理解を拒む。死なせたくない…絶対に…
「皆、…幸せ…だったよね…」
「何言ってるんだ…!! 私はお前が居るから幸せなんだ!! なのに…なんで…ッ!!」
自然と涙が溢れる。嫌だ。狼戈を失うなんて…嫌だ……!!
「…ありが…と…藍。楽し…かったよ…さよ…なら……」
「…狼戈? 狼戈!? 嘘だ…そんな……なあ、起きろ…起きてくれ…!!」
悲痛な叫びは洞窟の中を木霊し、虚しく嘲笑う。
「狼戈ぁぁぁ!!!!」
九尾の涙は、月光を反射し、赤色に輝いていた。
▼
どれ程泣いただろう。どれ程時が過ぎただろう。どれ程後悔しただろう。
もう動かぬ、温もりを失った骸を前に、もう涙も渇れ果てている。
狼戈は…暖かくて、眩しくて、何処か儚げで…こんなに…冷たい訳がない…
脳がひたすら理解を拒む。目の前の少女は狼戈じゃない。でも、どう見ても狼戈で…でも狼戈じゃなくて…
「狼戈…」
ふと、狼戈の近くに落ちた刀が目に映る。狼戈の綺麗な血が付着し、光を跳ね返していた。それを手に取り、目を瞑る。狼戈がいなければ…私はいる意味なんてない。狼戈が生きていないのに、私が生きてどうするのだ。私がどうするか…そんなもの、もう、決まっている。
「…狼戈。今すぐ…迎えに行くから…」
狼戈の頭を撫で、微笑む。迎えに行こう。もしかしたら、何処に行けばいいのかわからなくて、迷ってるのかも知れない。私が…助けなければ。
(…すみません、紫様。私は…先に逝かせていただきます)
心の中で主に告げ、刀を…振りかざした。
「…狼戈。またすぐ…会えるから…」
壁を背に、幸せそうに、寄り添うように眠る二匹の妖獣。
冷たくなった己の式と、幼き妖獣を見て、独りの妖怪は何を思ったのか。
それは、頬を伝う涙を見れば、語る必要などなかった。
九尾と狼。相容れぬふたつの存在は、また会う事が出来たのだろうか。
それを知るのは…二匹の亡霊のみ。
今日も洞窟には、鞘のない刀と、二色の薔薇が飾られているーーー。
「狼戈…もうずっと、一緒だからな」
「…うん。大好きだよ、藍」