黒狼狐己録 -Life Harboring-   作:ふーか

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次回、日常短編を挟みます。


~束縛~ (下)

「…大丈夫ですか?」

「……っ」

 

 化け猫を抱き締め、震える狼。文字だけを見れば笑い話だが、その状況はとても愉快なものではなかった。目を瞑り、震えるその姿を心配そうに見る狐火鴉と藍、無表情で見つめる紫。強く抱き返す橙。考えずともフラッシュバックする言葉に表情…精神が疲労し、肉体にも異常をもたらしている。結果として息も荒く、思考が安定しない。食べ物も飲み物も受け付けぬ状態の私に、次第に藍達が焦り始める。

 

「…どうにかしないと。橙、狼戈を連れて来られるか?」

「…はい、大丈夫です」

 

 橙に手を引かれ、震える体に喝を入れて起き上がる。藍の自室に寝かされ、橙が隣に転がった。ベッドの隅に狐火鴉が座り、心配そうに此方を見ている。

 

「…私は何か作ってくる」

「…お願いします」

 

 藍に続いて紫も出ていってしまい、残される三匹。帰る場所がない私にとって、今安らげる場所はない。抱き締めた橙の温もりが、今の私にとっての安らぎだった。温もりが欲しい…本心からじゃない愛情なんて…偽りの温度なんて…いらないんだよ…っ!!

 

「…狼戈さん、手を握ってても…いいですか?」

「・・・・・・」

 

 口を開けない。上手く喋る事が出来ない。息が上手く出来ない。何も答えられない。

 

「大丈夫…私が守りますから……」

 

 伝う煌めく涙。二匹の温もりに包まれ、私は意識を放りだしたのだった。

 

 

 

 

「…藍。ひとつ…提案があるわ」

「…? はい、なんでしょうか?」

 

 厨房にて、せめて体に良いものをと野菜を刻む最中、紫が声を掛けてきた。狼戈を治す方法でも見付かったのか…興奮してそう問いたくなる心を押さえつけ、冷静に返す。だが、紫の口から発せられたのは、予想もしなかった悪魔の囁き…

 

「今なら…狼戈を私達のものに出来る。そう思わないかしら?」

「…え?」

 

 耳を疑う言葉に手を止める。今、紫はなんと…

 

「妖気も無く、精神も弱っている。今なら容易に、捕まえることが出来るでしょう?」

 

 即座に反論しようとするが、心の内にある欲が首をもたげる。狼戈に対する性欲、独占欲…今なら独占出来る。甘い言葉に釣られて、段々と思考が狂ってきた。包丁が自分の指を浅く切ったことも気付かず、紫を見据える。正直な私の気持ちは…

 

「…わかりました」

「…では、まず地霊殿に連れて行きましょうか」

「……?」

「面白いことに…なるわよ」

 

 紫がほくそ笑みを見せる中、私の頭は狼戈のことで埋め尽くされていくのだった。

 

 

 すやすやと眠る狼戈。取り敢えずは落ち着いてくれたが…治せるかは難しいだろう。燐達にも手伝って貰わなければいけない。仕事もある訳だし、此処に残して帰るのは嫌な予感がする。決して信用していないという訳ではないのだが…

 

「狐火鴉、狼戈を連れて此方に。地霊殿に来い、とのことだ」

「…はい」

 

 燐達だろうか。彼女等の性格上、何かあったのなら彼方から来ると思ったのだが…。少しの違和感と胸騒ぎに襲われつつも、眠る狼戈を抱き上げて連れていく。藍に案内されて隙間を通り抜けた先には、いつもどおりの地霊殿が広がっている…はず。そう、はずだったんだ。

 

「…お燐さん?」

「狐火鴉…狼戈を此方に」

 

 さとりの部屋に入ると、微笑を見せ、手招きする燐。その様子は何処かおかしい。目に光はないし、隣にいる空も視線を泳がせるばかり。違和感や胸騒ぎ…その正体は、意図も簡単に姿を現した。

 

「…あら、狐火鴉。此方に渡してくれる?」

「さとり様…何故、ですか?」

「決まってるでしょう。孤独にさせないように…一緒にいるだけよ」

 

 燐は…もうダメか。これは一時的な感情の暴走ではない…きっと、狼戈を渡さなければ治らない。だが…それでも。例え全てを敵に回したとしても…!!

 

「…お断りします。貴女はもう… さとり様じゃない。主の命令以外は受けない!!」

「…そう。悪い子はお仕置きが必要、なのかしら?」

 

 さとりの手から放たれた妖気の塊。狼戈を抱いていることもあり、突然ということもあり対応出来ない。咄嗟に狼戈に当たらぬようにと体を横に捻る。だが…体を襲うと思っていた痛みは無く、いつの間にか胸の中にあった温もりがなくなっていた。

 

「っ…狼戈!?」

「お燐。貴女も…」

「…あたいは…狼戈が欲しい。例え………亡骸でも」

 

 さとりの攻撃を掻き消し、燐を見据える狼戈の表情は何処か儚げで、とても悲しそうに見えた。先程まで腕の中で震えていたというのに、私を庇うなど…罪悪感と感謝を感じつつも、どうしたものかと思考を巡らせる。私はともかく、この場に狼戈がいることは非常にまずい。最悪、この状況では三対二になってしまう…己嵐は仕事を受けて地上に出てしまっているが、これは逆に好都合だな。あの子もかなり情緒が不安定だから、下手に刺激しない方がいいのだ。

 

「狼戈、行くよっ!!」

「…っ!!」

 

 少し考えた結果、すぐにでも逃げるべきだと判断。敬語も忘れて狼戈の手を掴み、さとり達から引き離す。狼戈の手は私より暖かく、少しだけ震えていた。

 

「此処は通さないよ。狐火鴉も…邪魔するなら容赦しな…」

「お燐。もうやめてよ…私は…っ…私は前のままがいいよ…!!」

 

 空の口から盛れた言葉の意味を、一瞬遅れて理解する。空は…正常だ。空の制止に、燐の耳がピクッと動く。

 

「…狐火鴉、行って」

「っ!? で、でも…!!」

「いいから。今守れるのは狐火鴉だけだよ」

 

 私の心は、空の覚悟を…確かに受け取った。

 

「…お燐。追い掛けるなら私を倒してからだよ。…絶対元に戻してあげるから」

 

 決意の色を浮かべる空に背を向け、さとりの部屋を出る。部屋の外で待機していた藍に連れられて隙間を通り、八雲の屋敷に逃げ込んだ。

 あれから数時間が経過したが、狼戈は床を見詰めるばかりで、表情も心拍数も、何も変化がない。人形のように光も熱もない瞳には、吸い込まれてしまいそうな深い闇が見えた。

 

「…ごめん、狐火鴉」

「え?」

 

 無表情から動かぬ狼戈の表情にどうにか出来ないかと焦りながらも、言葉を探す。

 

「…大丈夫です。私は…家族として当然のことをしただけですよ」

「…そっか。…ありがとう」

 

 嬉しいという感情に身を任せ、ぴったりと寄り添い、頬を擦り付ける。擽ったそうに微笑んだ狼戈の笑顔に、私は強く抱き付いたのだった。

 

「狼戈。ひとつ話がある」

「…どうしたの?」

 

 その前にと、藍が“少しだけでも”とお茶を差し出し、狼戈が口に含んだ。私も貰おうかと思ったが、ここで貰おうという訳にもいかず、我慢する。

 

「お前の妖気や能力が使えないのは…どうやら紫様が原因らしい」

 

 藍の口から出た、意外ながらも何処か予想していた言葉。心に関して、右に出る者はいないであろうさとりですら魅了されているというのに…元々狼戈を自分のものにしようとしていた(と軽く狼戈から聞いた)為、この状況下に置かれればそうなるだろう。いや、妖力や能力を使えなくなったのが事の発端…つまりは、だ。全ての元凶は紫、か。

 

「…そう。そんな気はしてた。早く治してよ」

「……そうはいかない」

 

 藍の言葉に思考が停止する。私が目を細めると、狼戈は意味を理解したらしく私の手を強く握った。

 

「…狐火鴉、逃げるよ」

「え?」

 

 私の返事も聞かず、狼戈が引っ張る。次の瞬間体を襲う重力と浮遊感。数秒遅れ、全てを理解する。今は…皆敵、ということか…

 

「…紫が私の力を無理矢理押さえ付けているというなら…私も無理矢理暴走させる」

「…?」

「夜は私の独壇場…全力で逃げ切るよ」

 

 ここで戦うという案を出さないのは、優しさ故か、私を案じてか…きっと、どちらもなのだろうな。

 無我夢中で走り続けた結果、いつの間にか妖怪の山にまで来ていたようだ。最も、走ったのは私ではないため、これが意図的なものなのかどうかは狼戈にしかわからない。

 

「…まきました?」

「…ううん。隙間妖怪なら何処にでも現れる」

 

 かなりの距離を走ったはずなのに息切れひとつ見せない狼戈に驚きつつも、どうしようかと思考を巡らせる。地霊殿は無理、八雲ももう助けて貰うことは出来ない敵。逃げ場所は…少ない。

 

「…勇儀さんに助けて貰うのは…」

「彼処は地底。最悪、燐達が彼処で暴れると彼女達が罰せられるから」

 

 ーー…今は…自分の心配をしてよ…っ!!

 

「…自分を優先したいのは山々。でも…私には無理だから」

「っ…無理でも、です。私は貴女が壊れるのを易々とは許せない。この命に代えても」

 

 絶対に守る…強く、強く抱き締め、月下、そう誓ったのだった。

 

 

 

 

「…逃がしてよかったのですか?」

「地霊殿での反応は予想外…でもね、こういう獲物はゆっくり仕留める方がいいのよ」

 

 扇子を口元に当て、微笑する紫。紫の能力ならば、逃げる狼戈を無理矢理捕まえることも出来ただろう。それをしなかったのは…心を痛めつけて、完璧に自分のものにするためだ。それに…今なら私におまけも着いてくる可能性がある。最も、そのおまけは歯向かう可能性の方が高いのだが。まあ、狼戈が従えば、自ずと着いて来るだろう。

 狼戈達が逃げていった方角を見据え、ほくそ笑む。自分のものにしたら、どうしようか。犯して、焦らして、遊んで、飼い慣らして…

 自分がおかしくなっていることにすら気付かず、欲に忠実に、ただ一人思考に浸る。

 それがどんな結末を生むのか…私には、知る由もなかった。

 

 

 

 

「…っ!?」

「きゃぅ…狼戈さん!?」

 

 何処か少しでも安らげる場所をとあちこち走り回っていると、唐突に地面に放り出された。何事かと狼戈を見れば、どうも緊急事態らしい。痙攣し、上手く息が出来ていない狼戈に戦慄し、即座に抱き抱える。

 

「がっ…はっ…ぁ…」

「狼戈…狼戈!」

 

 ふと思い当たるものがひとつ。藍から貰っていたお茶は…毒、か。致死性の毒でビクともしなかったと聞いたが…いったいどうしてこんなことに…!!

 慌てて荒くなった心拍数を無理矢理押さえつける。このままでは…いや、違う。藍達が考えること…きっと殺しはしない。恐らく神経毒…ならばまだどうにか出来るかも知れない。だが、どうすれば…

 

「お困りのようだな?」

「っ…藍さん…いや、藍か。何ですか、呼んでないです」

「そうかな…。お前に…狼戈を見殺しに出来るのか?」

「っ…全て…計算通りって訳か…っ!!」

 

 反論もしたいし、抵抗もしたい。狼戈の命を利用したことに、内心激怒する。だが、藍が言う言葉の意味は…放っておけば、狼戈が死ぬ、ということだ。渡したくはない…でも、死なせたくはない…。自分で治す術は無いし、もう頼れる者はいない。私が…もっと強ければ…どうにか出来たかも知れないのに…!!

 

「さぁ、どうする? 生かすも殺すもお前次第だ」

 

 私が見殺しに出来ないことくらい…知っているはずなのに…。わかってやってる癖に…!!

 

「……わかった」

「それでいいんだ。さぁ、此方に…狐火鴉」

「わかったよ…もういい。狼戈は渡さない。誰にも…渡さない…っ!!」

 

 狼戈を背に、全力で駆け出す。飛ぶのは遅くとも、狼戈直伝の脚力はあるはずだ。敵から逃げるように無我夢中で走り、気付けば滝の裏の小さな空間に辿り着いていた。妖怪の山から移動出来ていないが…時間稼ぎにはなるだろうか…いや、無駄だろうな。気休め程度にもなりはしない。

 

「っ…はぁ…ぐ…」

「息も心拍数も安定してきた…やっぱり、あれはハッタリだったのかな」

 

 狼戈を抱きながら、少しでもよくなるように、と背中を擦る。戻ったら、また一緒に…

 

「…一緒に…」

 

 ーーいったい、何処で、何を、どうやって?

 

 地底にはもう帰れない。八雲家は完全な敵。地上にいてもきっと襲われるし、助けを求めても、きっとその人はまた豹変する。狼戈の体質上、また何れ誰かが彼女を手にいれようとするだろう。この世界に…逃げ場はない。わかって逃げ続けるのか? どうすれば…

 

「ああ、そうか。簡単な事だ」

 

 ーー私が彼女を束縛すればいい。

 

 誰にも盗られない。私も一緒にいられる。これ以上幸せなことなど…。いや、狼戈を食べてしまうのもひとつの手だ。ひとつになって、愛で尽くして…。どうしようかな。迷っちゃうなぁ…。

 

「…こ…こあ…?」

「ん~? 何ですか? 狼戈さん? 大丈夫です、私が守りますから…」

 

 ーーなのに、なんでそんな、怯えた顔をするんですか?

 

 私を見て震える狼戈を見て、今すぐにでも犯して、しゃぶり尽くして、自分のものにしようという欲が渦巻き始める。でも、まずは…

 

「…邪魔者が入らないようにしないと」

 

 懐から白紙の札を二枚取り出す。ありったけの妖気を込めた、結界の札。とある仕事の際に作成し、狼戈に手伝って貰ったこともあり、漂う妖気は周囲を圧倒させる。例えどれだけの強者でも破れない…それほどの強さを持っているだろう。逆に言えば、結界を張ってしまえば、もう戻れない。だが、いまの私にとって、そんなことはどうでもよかった。興奮する気持ちを押さえて札を岩壁に貼り付ける。すると無色透明の壁が周囲を覆い、世界と世界を隔離した。これで…誰にも邪魔されない。

 

「…まずは治さないといけませんね」

 

 幻想郷と隔離されて能力が消されたのか、狼戈の妖気が戻り始めた。この調子でいけば恐らく…いや、きっと治るだろう。そうしたら……愛でて、しゃぶって、弄んで、調教して、虐めて、食べて、犯し尽くして、自分のものにするんだ…。そう、永遠に…

 

 

「ずっと一緒だよ、狼戈」

 

 

 

 

 どうしてこうなったんだろう。何時から、何処から狂い始めたのだろう。運命の歯車は、非情に回り続けている。私は…この世界にいらない存在。存在してはならない者。全てを狂わせた元凶。私がいなければ…こんなことにはならなかったんだ。転生なんて…断っておけばよかったんだ。

 

「ほぉら…泣かないでくださいよぉ…ふふ…」

 

 私を堕落させていく快楽。薄れていく意識。きっと…自分は自分じゃなくなる。全て忘れて、目の前の妖獣のことしか考えられないようになる。それが私の末路。私の物語の結末。世界の法則を乱す邪魔者に、ハッピーエンドなんて…ある訳がないのだから。

 

 自分が消える前に…少し…少しだけでいいから伝えたかった。私と関わった、大切な家族達に…巻き込んでしまった者達に…私を…少しでも愛してくれた者達に…。そして、私が狂わせた…皆に……

 

 ーーーごめんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狼戈が幻想郷から切り離されたことにより、自我を取り戻した妖怪達。

 だが、どれだけ探しても…黒い狼と炎の狐が見つかることはなかった。

 

 大事な家族を無くし、残った者さえ傷付けた主は、人知れず涙を流していた。

 自らの狂気と欲に溺れた九尾は、今も月の輝く夜になると、その名前を呟いている。

 

 全てを捨てて、大切なものを手に入れた狐は、果たして幸せだったのだろうか。

 互いに依存しあうその姿は、端から見ればとても幸せなものかも知れない…。

 

 優しすぎる人狼と、それを愛した狐の歯車は、永遠に回り続ける。そう、永遠に…。

 

 

 

 

「ずっと大好きだよ、狐火鴉」

「私もですよ…。さぁ、遊びましょうか…狼戈さん♪」




自分の全てを捨ててでも、手に入れたいものがあるのなら…
きっと、誰も止めはしない。それが…自分の、望むことならば。
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