黒狼狐己録 -Life Harboring- 作:ふーか
果たして、この異変の正体は何なのでしょうか……
「そんな状態で、死合なんて…」
「…こんな状態だから意味があるんだよ」
狼狽する椛を相手に、ただ強く言い放つ。元々会う約束をしていたが、それに私の都合を押し付けた。普段から振り回されているから、こういう時くらいは、ね。我が儘に付き合っておくれ。
「それとも、私なんて相手にならない?」
「いや、そういう訳じゃ…わかった、わかったよ。やればいいんでしょ?」
渋々と刀を鞘から引き抜く椛。紅葉の描かれた盾を片手に、尾を振りながら凛々しく構える。私は強く頷き、同じように小刀を両手に、逆手に構える。彼女との死合は二度目…しかし妖力を伴わないものは初めてだ。
「寸止めでいい?」
「いいや、ぶった切っていいよ」
「なっ…!?」
平然と言い放つ私に、椛が素で声をあげる。構えを解かぬ私にもう言葉は無駄だと理解したらしく、再度構えた。太陽の光が刀に鈍く反射する。黒の狼と白の狼の宴は、二匹が同時に駆け出して幕を開けたのだった。
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「逆独楽」
「ッ…!!」
小刀且つ妖力が無いとは思えぬ程に腕に響く斬撃。弾いた刀を持つ手が痺れる。何より恐ろしいのは、その衝撃が流れるように、四方八方から襲い来るということだ。それに加えて何の型にも縛られぬ、独特で自由な武器の扱い。以前から十三刀流をこなしたりと恐ろしい芸当を見せていたが。
狼戈を傷付けるのは…と狼狽えてはいたが、傷付けるどころか攻撃すら出来ない。一方的に攻撃を受けては避けるの繰り返しだ。
「ッ!!」
「あぐっ…!!」
反射的に、下駄の歯で強烈に吹き飛ばしてしまう。思いきり腹に入れてしまった…人間に比べ少し頑丈程度の、生身の彼女にとっては致命傷になりかねない。
「狼戈っ…」
駆け寄るより早く、狼戈の姿が見える。太陽を背に、一本の小刀を口にくわえる狼戈。顎から血が滴っているのは、きっと先程の蹴りで吐血したのだろう。止めさせようとするが、彼女の瞳に見えるのは完全な殺意。四肢を地面に付けて此方を睨むその姿は、獲物を狩る狼そのものだった。
「しゃあぁ!!」
「あぐっ…!?」
刹那、肩から鮮血が飛び散った。何が起きたのか…ずっと狼戈を見つめていたというのに、避けるどころか目視すら出来なかった。
「っ…ぐぅっ!?」
気付けば目の前にある狼戈の顔。口の小刀で切った為か赤に染まっており、瞳はまだ夜ではないのに深紅に染まっていた。両手首を押さえつけられ、狼戈が傷口に口を近付ける。
「狼戈、何を…」
次の瞬間、鈍い痛みが傷口を襲う。血をすすり舐める狼戈に、なんとか逃げようとするがまったく抵抗出来ない。小刀はもう鞘にしまっているため、切られることはないだろうが…狼戈が躊躇もなくこういうことをするのは、やはり違和感があった。
「狼戈、痛いよ…もうやめてよ…」
「ん、あ……ごめん。なんか、自制が効かなくって…」
ゆっくりと退く狼戈。視線を逸らす狼戈の瞳は、昼に見せる淡い緋色に戻っていた。深紅に輝くのは夜だけのはずだが…狼戈の体に、何が起こっているのだろうか。妖力は勿論、瞳もおかしい。それに、素の彼女にこれ程の力があったのか…疑問は考える程に増えていく。
「ん…なんだろう、変な…気分……」
「…大丈夫? さっきから様子がおかしいよ?」
最初から言動がおかしかったが、遂に動きまでおかしくなり始めた。ぺたんと座り込み、ふらふらと上半身が揺れている。顔も赤く、もう心配でしかない。
死合を望んだのは彼女だが、自ら頼むことなどあまりしないし…私に彼女の心を読む能力でもあれば、力になれるのに。
「…あぅ」
「ちょっと、狼戈。しっかりしてよ…… 熱っ…!?」
ぺたんの次はぱたんと倒れた狼戈。咄嗟に受け止めると、少し遅れて火傷する程の熱を感じる。額をまともに触れられない程に熱を帯びる狼戈の体。押し倒された時はもっと冷たかったというのに…。衣服の裾を小さく破り、近くの川で浸す。少しでも凌げれば…そう考えるが、狼戈に触れた瞬間にじゅぅと音をたてて熱くなった。私では…対処のしようがない。
「ねぇ、狼戈。狼戈…しっかりしてよ…」
「だい…じょうぶ…」
ふらりと起き上がる狼戈。改めて見ても傷はない、瞳も正常、顔が赤いのは置いておいて、妖力は…相変わらず無い。どうするか…
「…狼戈、地底ってどっちだっけ」
「あっち…だけど」
力なく指す狼戈。方角を理解した瞬間、狼戈の体を抱き上げる。焼けるような熱さに危うく落としそうになる…だが、以前狼戈は私を助けてくれた。恩を返さずどうする?
「もみ…じ…降ろして…」
狼戈の言葉を意に介さず、次の瞬間全力で加速する。狼戈には遠く及ばないが、私は地上の天狗だ。地面に足を着けての速さには自身がある。流石に飛ぶとなると遅くなるが。
ただひたすらに駆け抜けて、地底奥の館を目指す。森を抜け、ただひたすらに…
地底の穴に着く時には、狼戈の体温が下がった気がした。だが、余裕でまだ熱い。妖気を移動に全て回していた為、保護されていない腕は直に熱を受けて、軽く変色していた。痛い。
「…狼戈に白狼じゃないか。何故ここに?」
「萃香さん、いいところに…お願いです、助けてください…」
突然に現れた萃香。にやにやと笑っていたが、緊急事態だと察したのか、それとも狼戈から妖力を感じないことに気付いたのか、深刻そうな表情で傍らに来た。
「…何が起きたんだい」
「先日から狼戈の妖力が無くなってるらしくって、緊急の時の為に戦えるようにしたい…
そう言われて死合に付き合ってたんですけど…途中から様子がおかしくなって。
私じゃどうしようもないので、地霊殿に連れて行こうと…」
萃香は少し考え込んで頷くと、狼戈を抱き抱えた。萃香ですら軽く持ち上げられる大きさ(重さは関係ないだろうが、一応かなり軽い)。狼戈の小ささがよくわかる。
「狼戈をお願いします…」
「何を言っているんだい。お前さんも来るんだよ?」
「え? わ、私は…きゃぁ!?」
そう言うと、萃香は私の手を掴み、地底への穴を飛び降りた。重力に従った自然落下…重力と風を受けながら、狼戈の身を心配していると、萃香が口を開いた。
「色々な子に好かれて…狼戈も幸せ者だねぇ」
「…え?」
「此処まで他人を想い、他人に想われる存在は、そうはいないさ」
何処か懐かしそうに話す萃香。遥か昔に何があったのかは知らないが、きっと狼戈との間に、深い何かがあったのだろう。
「…さ、急ごうか。もたもたしてる暇はないね」
「…はい」
萃香の言葉に強く頷き、ただただ狼戈の無事を願うのだった。
▼
「精神的な疲労、と考えてもいいけど…恐らくその可能性は低い。
彼女は元々、全てが特異な体質。はっきり言って、どうにかするのは無理ね」
焦りと心配が混じった声で話す主。その声には普段の茶化すような冷たさはなく、ただ暖かみだけがあった。
今現在、先程聞いた話よりは落ち着いているものの、激しい体温の上下を繰り返し、本人はただ呻くばかり。目を醒ます気配は未だ感じない。このまま目覚めなかったら…そんな考えが頭をよぎり、ぶんと首を横に振った。
「狼戈…大丈夫か?」
「んぅぅ……ぅ」
やはり…目覚めてはくれない。手を握ると、恐ろしい程に熱かった。
ふと、隣で眠る狼の少女が視界に入る。椛…先程まで必死に狼戈の看病をしていたのだが、疲れて眠ってしまったようだ。腕の色が少し変わっているのは、きっと狼戈を抱いて来たからだろう。本当に感謝している…彼女が連れて来なかったらどうなっていたやら。…肩の傷は、後で聞くとしよう。
「…やはり様子を見るしか出来ないんですね」
「ええ、そうね…私の能力でも、何故か…対処が出来ないのよ」
強大な主ですら、手の施しようがない…それほどまでに、特異な体。能力、妖力、脚力、どれをとっても、確かに並どころの騒ぎではない。万物を操る能力…それに加え幾つかの能力。彼女程の優しさがなければ…もし悪党の手中にあったなら。それは恐ろしい程の凶器となるだろう。
今思えば…彼女は全てが特異だ。見ず知らずの私を助け、受け入れてくれた。何かを話せば即座に心配して協力し、自分のことなんて全て後回しにする存在。それは、地霊殿や地上の妖怪、人間問わず同じことだろう。良い意味で異端だ…これ程まで周りを想うのは。
「私は失礼するわね…対処法を探してみるわ。後は任せたわよ?」
「…はい」
ふわりと隙間に消えていく主。その背中を見送り、再び狼戈に目をやる。
「…私も失礼します。狼戈を…お願いします」
次いで、さとりも部屋から出ていった。主はともかく、流石に一日ずっと付きっきりでいる訳にもいかぬだろう。彼女もしっかり仕事があるのだ。それでも高い頻度で狼戈の元へ来るのは、やはり彼女がそれだけ愛されているからだろうな。
「藍様、狼戈様は…」
「…橙、起きたのか。まだ…魘されたままだ」
心配のし過ぎか、単に昼寝なのか、暫く眠っていた橙。起きるなり狼戈の隣にぽてんと座り、狼戈の顔を見つめている。ふと、狼戈の表情が少し和らいだ気がした。
「…早く起きてくれないと、私も心配で眠れないよ」
そのわりには、しっかりと寝ていたみたいだが。
その場一瞬だけ橙に狼戈を任せ、部屋を出る。そのまま館を出て、大きく息を吸った。地底故か、深呼吸すると何処か息苦しさを感じる気がする。気のせいだろうか。
…少し気分転換をすれば、何か良い案でも浮かぶかと思ったが、無駄足だったようだ。
狼戈が寝る部屋に戻ると、狼戈の尻尾を撫で続ける橙の姿が目に入る。その微笑ましい光景に微笑みつつも、ベッドの片隅に座った。
「…狼戈、お前は今、どんな夢を見てるんだ?」
魘されていた先程までと違い、少し幸せそうな表情をする狼戈。すると、橙が尻尾を抱いたまま呟いた。
「きっと幸せな夢です…猫の楽園とか」
「それは橙だけだろう?」
「えへへ」
狼戈の頭を一撫でし、笑む。幸せ者だ…私も、狼戈も。だから…早く元気になってくれ。
少しでも早く、元に戻るように…そう願い、狼戈の手を強く握るのであった。