黒狼狐己録 -Life Harboring- 作:ふーか
次回、最終話。
「……っ!」
跳ね起き、荒い息を整えるのも忘れて周囲を見渡す。誰もいない、相変わらずの綺麗な部屋を、卓上のランプが淡く照らしていた。それ以外に光は無く、机の反対側にある扉は、ギリギリ暗闇に包まれている。最も、夜行性且つ視力に優れる私に暗闇など無意味だが。
「ん…ぎゅぁ…っ!?」
起き上がろうとした瞬間、全身に鋭く激しい痛みが走る。悶絶しながらも歯を食い縛り、無理矢理心を落ち着かせて体に妖気を循環させていく。神経を麻痺させ、次第に痛みが和らいでいく。流石にその重傷さ故に完璧には引かぬが、落ち着ける程度には落ち着いた。腕を使わずに無理矢理上半身を起こす。あの後…私はどうなったのだろう。確か…泣き疲れて寝てしまったのか。椛に抱かれていた以降の記憶がない。
「…これ、治るのかなぁ」
わかる限りで四肢の、計八箇所の骨の粉砕。体中の打撲、そして誰が処置したのか、包帯は巻かれている深めの切り傷。恐らく剥離骨折や軽くヒビが入っている骨もあるだろう。臓器があまりダメージを受けていないのは、せめてもの幸運なのかも知れない。
とりあえず、打撲の痣や刀の傷は放置でもいいだろう。もう出血も止まっている。優先すべきは両足の傷だ…歩ければ、最悪何でも出来る。尻尾と口があれば、変な話戦えるし、普通に移動も出来る。
「…また怒られるなぁ」
あれだけ心配をかけ、それを振りきって飛び出し、また重傷を負って帰ってくる。私だって、正直怒りたくもなるようなことだ。藍の制止も振りきってきたのだ、後々紫や狐火鴉、きっと燐辺りにまでどやされるだろう。それでも…別に構わないや。後悔はある。でも…これが私の人生だ。例え天狗に追われる身になろうとも。私は寿命以外で死ぬ気はないぞっ。
「ん…狼戈っ、大丈夫!?」
ばんっ、と蹴破られるような勢いで椛が扉を開けた。デジャブを感じつつも、笑顔でそれに応じる。時計は真夜中を指しており、きっと皆は寝ているだろう。どう説明をするべきだろうか…
「私は大丈夫だよ。それより椛の方が大丈夫なの?」
「私は…文さんから手を貸して貰ったから、何もない。それより…!!」
次の瞬間、ぱちっと甲高い音が室内に響く。椛の放った平手打ちは、正確に私の頬を射抜いていた。涙を浮かばせながら私を睨む椛に、罪悪感で心が満たされていく。それもそうだろう…私は、椛の生涯を狂わせたも同然なのだから。どんな罰でも受けよう…そう考える最中、椛は涙混じりの声で、言の葉を連ね始めた。
「私が…っ!! 私がどれだけ心配したと思ってるの!? なんで、あんな無茶を…!!
私なんて放って逃げれば良かったでしょ!? なんで…なんで…っ!! 狼戈の…馬鹿っ…!!」
何も言い返せず、ただしがみついて泣き叫ぶ椛の頭を、上がらない腕で撫で続ける。椛の言葉に、後悔や憎悪は感じられない。その言の葉達に含まれるのは、心配…とても暖かい色だった。
「…ごめんね、椛。でもね…私はね? 他の皆が幸せなら、それでいいんだよ?」
「良くないよ!! 狼戈がいなくなったら……私、私…!!」
涙が混じり、もう正しい発音が聞こえない。だが、もう彼女が何を考えているのか、何を言いたいかもわかる。骨の砕けた腕で抱き締めるのは少々酷だが、そんなものは知るかと抱き締めた。
「…大丈夫、何処にも…行かないよ。ずっと、一緒だから…」
「うぁぁ…っ!! 狼戈…の…馬鹿…!」
馬鹿な私で…ごめんね。
暫くそのまま泣き続けた椛。何十分と続いたその泣き声が止んだ時、小さな啜り泣きだけが部屋に響いていた。私は…ただ頭を撫で続けるしか出来ない。慰めの言葉なんて…かけられないのだから。
「…もう。外出禁止ですっ」
「たはは、わかったよ」
何故か仕事口調と化す椛に苦笑しながら、断る理由もなく了承する。私もそろそろ引きこもりたいと思っていたところだ。でも、地霊殿の住民に、あまり迷惑をかけるのも申し訳ない…主に今私が担当する食事とか。おやつは決定事項としてずっと続けているが…作り置きももう無いだろう。改めて作らなければ…いや、こんな腕では何も出来ないか。
「…お目覚めかい、狼戈」
「燐…うん。ごめんね、心配ばっかりかけて」
「…もう、何時ものことだから気にしないよ。傷は大丈夫?」
小さく睨みながら話す燐に小さくなりながら、ぶらりと腕を上げる。その傷を見て燐が口を小さく開け、更に睨み付けた。怒ってる…気にしないとか言ってたけど絶対怒ってるよ。悪いのは私なんだけど…
「全く、なんでそうやって無茶ばっかり…あたいもそろそろ怒ろうかね」
「はは、ごめんね。暫くは大人しくしてるからさ」
「暫く、ねぇ…?」
ジト目で睨む燐。幻想郷の住民達のジト目は可愛いから逆効果だと何度言えば…
「今は皆寝てるから、何も言わないけど…明日、怒られることを覚悟しとくんだね」
「うん…本当にごめん」
溜め息を吐いた燐は、部屋に戻らずそのまま私の隣へ来る。傷の詳細を聞かれたままに話すと、ジト目ではなく本気の瞳で睨まれた。だから、ごめんなさいってば…私だって、こんなことになるなんて思ってもみなかったのだから…
「…足だけ集中なら、きっと一週間で治るよ。全部は…多分、半月以上はかかる」
「普通はそんなに早く治らないんだよ? 本当にもう…」
先程まで気付かなかったが、燐の瞳は潤んでいる。何か言おうとする前に燐が無理矢理、優しく私を寝かせた。起きて話をする暇があったらとっとと治せという意味だろう。椛もその意図を理解したようで、何も言わずに私の隣へと寝転んだ。傷に触れると痛いため心配だが、本人の気持ちを考えると当然だろう。本当に、申し訳ない。
「…燐、何か、くわえられる木とか、ないかな」
「? ん~…ほら、太めの木の枝。前ちょっと拾ってさ。篝火でも作ろうか、なんて」
部屋を出て、目の前にある火車から私の腕の半分程の枝を渡す燐。死体を乗せるものに入れた枝を渡されても正直困るのだが…周りの皆のことを考えると、そんなことはどうでもいい。枝をくわえ、目を瞑る。次の瞬間、全身の神経にかけられた妖気の麻酔を解いた。その妖気の全てを、傷の治療に回していく。強引な骨の接合、皮膚の細胞を繋げていく。少し動けば、少し風が触れれば悶絶する程の激痛。せめて叫ばぬように、耐えられるように、噛めるものを貰ったのだ。
「っ…~~~!!」
「狼戈……」
声にならない声。砕かれた時よりも鋭く、鈍く、痛みが走る。じっとその様子を見守る椛と燐に、更に再生を加速させる。妖気は私、妖怪の命の力。原理とかは気にしない。
一点集中、十分程で右足の傷を完治させる。痣に打撲、切り傷は全て後回し。骨の回復に全てを注ぎ込んでいく。嫌な音をたてながら再生していく体に気持ち悪さを覚えつつも、約一時間で四肢の骨を全完治させた。ずっと呻き声をあげていた影響か、痛みに耐えていた故か、かなりの速さで刻む心拍を、荒い息と共に戻していく。ずっと無言だった燐が声をあげた。
「…大丈夫かい?」
「は…ぅ……四肢は…全部……」
驚愕を浮かべる燐。恐る恐る椛が骨を触り、小さく声を漏らした。ごめん、まだ痛い。
「…後は、よくわかんないけどヒビの入ったとこと剥離の骨折を治して…」
頭上に「?」を浮かべる燐に、可愛いと苦笑しながら、全身にゆっくりと循環させる。青白く光を帯びながら傷を癒していく力。骨を集中治療するつもりだったが、切り傷等は勝手に消えてしまった。いやまぁ、全身に循環させれば当然の話だろう。私が悲痛な叫びをあげて一時間半、体の傷は消えて、後には解かれた包帯と、破れた服が残る。化けるで新調し、はい元通り。
「…お疲れ様でした」
「なにが一週間なのさ…程ほどにしてよ…」
先程からずっと不機嫌な燐に内心で謝りつつ、目を瞑る。すると狙っていたかのように、椛が尻尾を抱き締めた。暖かい感触が、小さな快楽を伴って尻尾を包む。尻尾は、性感帯が…
「お休み、狼戈」
「…お休み、椛、燐…」
「すまないが狼戈、まだ寝られたら困る」
突如として響く声。ふわりと現れたのは、見慣れた黄金色…藍。その表情は怒りと安堵、ふたつの色に染まっている。…以前交わした約束、忘れるはずもない。私は…破ってしまったな。既に二回目だが…。
「…私からは後でいい。紫様がお呼びだ」
無言で頷き、椛の頭をぽんと撫でる。まだ痛む体を引きずりながら、ベッドから飛び降りた。ここで断れば…きっと冗談抜きで恐ろしいことになるだろう。心の弱い私を罰する方法は幾らでもあるのだ。それこそ、体を傷付けずとも…紫には、色々と世話になっている。だが、彼女が何よりも大切にする幻想郷の理を、少なからず狂わせているのは事実だ。
「…いらっしゃい、狼さん。早速で申し訳ないけど、座っていただけるかしら」
隙間を抜けた瞬間に見える紫は、いつもの鬱陶しいような笑みは無く、ただ真顔。接客用のソファーと対になる椅子に座り、机越しに此方を見据える。背後で鎮座する藍に、嫌な汗をかきながらも素直に従った。彼女等ならば…正直私を殺しても不利益はない。それこそ、藍の場合は私物化出来るのだから…いや、こんなことを考えるとは、私も馬鹿になったものだな。
「…貴女が殺した天狗達。お陰で妖怪の山は大騒ぎよ?
万が一天狗共が暴走でもして、幻想郷で暴れまわったらどうするつもりなのかしら。
私とて、今回のことを黙認出来る程に寛容な心は持ち合わせていないわよ」
不機嫌そうに、低い声色で淡々と連ねる紫。その姿に威圧されつつも、言い訳の言葉を探す。椛を護る為? 自分の欲の為? あの戦闘は…私がもっと冷静になっていれば防げたのかも知れない。私が変なことを言わなければ、皆無事に終わったかも知れない。結局のところ、全て私が悪いのだ。言い訳なんて…出来る訳がないではないか。
「ごめん…なさい。私が…全部悪いんだ…私が……」
何時ものように、大人びた演技なんて出来ない。一言一言を口から絞り出す度に、段々と涙が浮かび始める。自分のやったことを改めて口に出した時、後悔と自責の念に心が押し潰されそうになる。ぽたりと涙が、太股を濡らした。
「なんで…あんなことになるなんて……思って…なかったんだよ…っ!!」
叫ぶように、吐き捨てるように、逃げるように。連ねる言葉は本心か、偽りか。正直、自分でも何を言っているのかわからない。それでも、また…自分を見失わないように、必死に繋ぎ止める。下を向き、涙ひとつも隠せずに泣きじゃくる私に、紫は先程とは一変、柔らかい声を発した。
「…私は、貴女自身に自分を責めろとは言っていないわ。少し落ち着きなさい」
そう言われても、涙なんて止まらない。止め方なんてわからない。
ふと隣に藍がゆっくりと座り、柔らかい尾で私を包んだ。暖かい感触に、更に涙は零れ落ちる。椛の前では…演じたさ。強い自分を…大丈夫と伝える為に。でも…耐える? 無理に決まっているよ。なんど暴走しても、私の心は弱いまま…ずっと。
「…確かに、私も流石に怒ったさ。あれほど無茶をするなと言ったのに…
もう二回目なんだぞ? 私が何を考えて、先日お前を送り出したと思っているんだ?
大事だからこそ…離れてほしくない。もう…何処にも行かないでくれよ…」
涙混じりに話す藍。包まれるがままに藍に抱きつき、顔を埋めた。優しく抱き締める藍の感触は、とても暖かくて柔らかい、遥か昔に感じた母親のようなもの…その様子を見て、紫が溜め息をひとつ、苦笑を溢した。まだまだ子供だな…なんて思われているのだろう。だが、その笑みはとても優しいものだった。
「…私を、離さないで」
「ああ、ずっと。今度は私が…護る番だ」
狼戈が見せた、涙の跡が見える満面の笑み。その心内には、果たして何があったのだろうか。
仲間を捨てた天狗への怒りと皆に心配をかけた自分への怒り。自分を受け入れてくれた家族への感謝や喜び。全てを纏めて、この二日間で、彼女の心は綺麗な純白へと染まっていた。もっとも、その白が…黒へと変わる可能性も、無い訳ではないのだが。
今の…いや、昔から、狼戈には…足りないものがあるのかも知れない。それは皆を守る強さではなく、家族を思いやる気持ちでもなく…
ーー自分自身への優しさ、なのだ。
今回のことで、果たして狼戈は成長したのだろうか。言い付けを守り、ずっと中で暮らしているのだろうか。
…否、彼女は何処にでも行くだろう。其処に困る者がいる限り、何処へでも、永遠に。
それが彼女の運命。自分を犠牲にしても、護りたい者がいるのだから…。
黒く、白い少女の物語は…まだ、始まったばかり…。