黒狼狐己録 -Life Harboring- 作:ふーか
今回の短編に含まれるもの。
・グロテスク表現 ・軽度(?)の性的描写
・遠回しな死亡表現(読者様の捉え方によります)。
上記がよければ、どうぞ…お楽しみくださいませ。
~教調~
視界が霞む…あれから幾日、体調が安定しない日が続いている。情緒の不安定が、きっと体にも現れているのだろう…やはり、所詮は強がり。落ち着くまでに時間はかかるかも知れない…でも、ゆっくり気をとり直していかなければ…皆に迷惑をかけてばかりでは、本当に面目がたたないのだ。
「…落ち着いた?」
「……はい。ごめんなさい…仕事も放置して休むなんて…」
「正直、働かなくてもいいくらいよ? 大丈夫…此処にいる間は、私達が守るから」
さとりの言葉に、下を向いたまま作り笑いを溢す。さとりの表情は心配一色、これでは尚更早く治さねば…
「…軽いものでも、お菓子作って来ます」
「……無理はしないのよ」
止めても無駄と悟ったのか、一切制止せず見送るさとり。私の性格を良く知っている故に、下手に止めるのは逆効果だと知っているからだろう。皆の為に働けないのはまたストレスになり、自分の崩壊を引き起こす…いわば悪循環。自分では、どうしようもない。
さとりに一礼。床を眺めながら、部屋をゆっくりと出るのだった。
◆◇◆
「…お姉ちゃん、狼戈のこと…気になるの?」
「こいし、いつの間に…ええ。また暴走でもしたら、きっと彼女自身にダメージが大きい…」
今のところ、まだ矛先を自分に向けることはしていない。もし、この矛先が周りの者へ向いたとしたら…きっと誰も止められない。皮肉にもその優しさがあってこそ、今、この状態がある。
それに、今回の事件…受け止めるには事が大き過ぎる。無意識に、周りの者の全てを貪る。椛の記憶から読み取ったことだが、この内容では二人が頑なに話さなかったことに納得がいく。この事件は今のところ、狼戈の椛、そして私…天狗達にしか知られていないだろう。だが、きっと広まることは避けられない…狼戈は、いったいどうするつもりなのだろうか。
「…さっき廊下ですれちがったけど…まるで死体みたいに顔色が悪くて」
「…そうね。どうにかしなきゃ…」
…だが、どう改善する? 何度も言うが、やはり事が大き過ぎる。下手な慰めも逆効果…頼られたらフォローし、それ以外は見守る。これまで通りでいいのだろうか…立ち直るといいのだが。
「…じゃあさ、お姉ちゃん」
「…なに? こいし」
無邪気な笑みを浮かべるこいしに、微笑みつつも応える。こんな状況だからこそ、心にゆとりを持って考えるのが一番…そう考えた。考えようとした。…こいしの言葉を聞くまでは。
「今の狼戈ならさ…私達のものに出来るんじゃない?」
「………は?」
微塵も予想していなかった言葉に、思わず素の言葉で返す。聞き間違いであることを願い、言葉を繋げる。
「今…なんて……?」
「心も体も弱ってる今の狼戈なら、簡単に壊せるんじゃないかなってさ」
にやりと笑うこいしの言葉に浮かぶのは怒りでも、悲しみでもなく。虚しさ…とでもいうのだろうか…。
こいしが、無意識に何か腹黒い感情を孕んだというのなら…この言動は決しておかしいものではない。心が読めない以上、本音はわからないが…それでも、こいしの瞳には決意らしき何かが浮かんでいた。
「…ダメに決まってるでしょう? だいたい、私は狼戈を独占したい訳じゃ…」
「嘘、でしょ? お姉ちゃん、いつでも狼戈ばっかり見てるもの」
こいしの言葉に反論しようとするが、それに否定を出来ない自分がいた。確かに…何かあればずっと狼戈を見ている気がするのだ。
「そ、それはただ何か起きたら心配で…」
「…見え透いてる。正直になろうよ…ね?」
こいしの言葉に、今の今まで胸の奥に隠されていた独占欲が、自身の欲望が溢れていく。踏みとどまるにもこいしの囁きが反芻する心の中。もう…迷いはなかった。
「…どうするの?」
「ふふ…えっとね、まずは…」
◆◇◆
「ふゎぁぁ…狼戈、一緒に寝てもいいかい?」
「…一緒に? 別に、構わないけど…」
欠伸を溢しながら、同じ布団に入ってくる燐。わざわざ私の向いている方に入ってくるのは、果たしてわざとやっているのだろうか。それとも、私が気にしすぎなだけだろうか。
「…何か、胸騒ぎがするんだ。独りにさせちゃいけない気がして…」
「…そっか。ありがとう、燐」
擽ったそうに笑う燐に淡く微笑み返し、しゅるりと自分の体に尻尾を巻き付ける。体を暖めるためなのに、温もりはまったく感じない…虚ろだ。意識も、視界も、意識も、自分も。速く…治さなければ。
「…お休み、狼戈」
燐の囁きに、私は何も反応する事が出来ないのであった。
◇◆◇
「……ん…ぅ?」
視界に広がる、見たこともない部屋。そして即座に気付く、体の異変。それに驚く間も無く、気付く自分の状態。まるで状況が読めない…これは、どういう…
X型の張り付け台のようなものに四肢が縄らしきもので縛り付けられ、多少身を捩れる程度でまったく動けない。しかも、当然のように服は剥がされている。全裸で縛り付け…? 自身が軽いため四肢への負担は少ないが…
「おはよっ♪ 狼戈…」
「…こいし? ね、ねぇ、これは…」
満面の笑みを見せながら突如現れたこいしに、嫌な予感を感じながらも事態を問う。この場所で、私に何が起きたのか…何の驚きも素振りも見せないこいしに、もう薄々感づいてはいた。
「…私達ねぇ…どーしても狼戈の体が欲しいんだ…?」
「…“達„?」
刹那、まるでタイミングを図ったかのようにゆっくりと影が姿を表す。其処にいたのは、紛れもない主の姿…視線を泳がせながら、ゆっくり、ゆっくりと此方に歩み寄ってくる。
「さ…さとり様? これは、いったい…!!」
「……ごめんなさい、狼戈」
「なんで謝るんですか…? それよりこれ、解いてくだ…っ!!」
割り込むように、こいしが眼前に現れる。一瞬の隙もなく、こいしの冷たい指が私の中へと侵食していた。表情を吐息が当たる程の近さで眺めつつも、中をぐちゅぐちゃと掻き回すこいしに、戦慄以外のものが出てこない。身も捩れず、抵抗も出来ない。ならばと縄を引き千切ろうとするが、かなりの力を込めても縄は千切れず…
「ペットが暴れたり、緊急時とかに使う妖力のこもったロープ…そう簡単には破れないよ~?」
「やっぁ…ぃ、やぅ…」
嬉しそうに、弄ぶように告げるこいし。さとりはただ傍観するばかりで、何も言ってはくれない。助ける素振りも見せてくれない。本当にさとりかと疑う程に、其処にいるのは人形のように立ち尽くす妖怪だけ…
「ふふ、このくらいでいいかな…? じゃあ…」
垂れた頭を持ち上げて見れば、こいしが持つのは茨の蔓。薔薇の蔓…鞭のように振り、にやりと微笑む。これから何が行われるのか嫌でも頭が理解し、快楽に錯乱していた思考は、再度一気に恐怖へと塗り替えられた。
「ぎゅぐっ!? うぅ!! あぅぁっ!!」
「可愛いなぁ、狼戈…もっと、もっと鳴いて…? あは、ははは…♪」
棘の散りばめられた茨の鞭は肌を裂き、鮮血を滲ませる。深く当たれば肉が見える程に裂け、血を、肉を吹き出させた。胸を、腕を、脚を、腹を。無限永久に続くような苦痛の地獄の中…張り付け台の下に血溜まりや、小さな肉片が飛び散る頃には、既に意識も息も、か細く弱いものとなっていた。血濡れで、唯一傷の無い顔にも無慈悲にい一閃、頬も、口の中も裂かれる。ほぼ血で濡れているところがない程に朱で染まった体…こいしは淫らに笑み、さとりは顔を手で覆う。
「…ぁ……ぅ…」
「とっても綺麗な血…まるでルビーみたいだね…ん」
こいしの舌が胸を這う。血を舐め、肉をすする。脳が錯覚したのか、それとも安全装置が働いたのか痛みは感じない。それとも、痛みの強さを脳が理解していないのかも知れない。
「お姉ちゃんも此方おいでよ…狼戈のこと、欲しかったんでしょ?」
こいしの言葉に、さとりが数十秒の間を開けて此方へと近付いた。眼前に迫るさとりの姿に、無意識に口を開く。
「さ……と…り…さま…」
視線を合わせず、表情を歪ませるさとり。これでよかったのかと、さとりの表情が語っている。少しの希望に賭けて口を開いた瞬間、さとりが耐えきれないといった様子でその場を離れていった。伝えようとしたことが…あったのに…
「…まぁ、いいや。今日はこのくらいで…またね、狼戈」
血の滴る鞭を手に、スキップで去っていくこいし。少し前まで、仲良く、家族同然に接してきた相手にこんなことをされるのは、ここまで堪えるものなのか…彼女の能力…無意識に何かを孕ませたのだろう。それが独占欲か、狂気か、願望か。それはきっと、永遠にわかることはないが。
これは、天狗達を殺した私への罰…そう考えることも出来た。だが、それはただ私が逃げているだけの話。天狗を殺した罪の、言い逃れを作っているだけ…罪は、自分自身で償うもの。こんな代償は、求めていない。
「た…すけ、て……藍」
か細く溢した声は、闇へと消える。もう意識ももたない…次に目覚めたら、普通に部屋で寝ているのならいいのに。全てが夢だったらいいのに…もう、何もかも。
視界に一瞬写った黄金色の正体を確認することも出来ず、私の意識は闇へと落ちていくのだった。
◆◇◆
「……っう…?」
「!! 藍様!! 藍様っ!!!」
起き上がろうとした瞬間、全身に鋭い痛みが走る。体を見れば、裂けて肉や骨が露出しているところも決して少なくない。少し血が滲んでいる程度のところもある。頬は触れてみると確かに口の中まで貫通しており、その傷は、先程の一瞬の行為がどれだけ酷いことだったかを表していた。
「狼戈っ!! 大丈夫か!?」
「…藍? だい…じょうぶ……」
「…どう見ても大丈夫じゃないぞ…っ」
私の体に触れぬように、どうにか出来ないかと嘆く藍。手と指くらいしかまともには動かず、足に関しては指すらも動かない。防衛本能故か、妖気を回復に回せない…痛みすらも和らぎきれず、視界は霞む。
「…狼戈、手を…借りるぞ」
不意に藍が手を取り、両の掌で包んだ。次の瞬間、体を循環していく淡い力…藍の発する妖力だというのに気付くのに、時間はかからない。傷が熱を帯びていくのを感じながら、何が起こったのかを、働かぬ思考で再認識する。
「大丈夫…だって…」
「喋るな…何も言わなくていい」
少し声を張る藍に罪悪感を感じつつ、ゆっくりと目を瞑る。フラッシュバックする光景に体を震わせながらも、現実から逃げるように…またも意識を投げ捨てるのだった。
◆◇◆
「…本当にやる気? 彼奴等に目を付けられたら後々面倒よ?」
「…構いません。紫様の忠告でも…このままでは怒りが収まらない」
今でも時々ビクッと震える狼戈の体。傷はだいぶ治ってきたものの、意識も回復しなければ悲しそうで、寂しそうな表情も変わらない。どんな原因があろうが…これほど迄に痛めつけるなど、正直生かしてはおけないと、そういったレベルの事だ。何があったかは知らないが、あれは地霊殿の中…つまり、親しい者、最低でも顔見知りの相手にされたことになる。狼戈のことだ…きっと、何の抵抗もせずに、ただされるままになったのだろう。遥か昔に忠告した…”その優しさは、自らの命を落としかねない„と。彼女の力で抵抗していれば、きっと無傷で抜け出せた…それをしなかった狼戈は愚かかも知れない。だが…狼戈に非はないはずだ。
「…胸騒ぎがする。藍、狼戈が目覚めるまで待ちなさい」
「っ!? で、ですが…」
「貴女が行くことを否定も、阻止もするつもりはない。私だって怒っているの。
ただ待てと言ってるだけよ。急いだって、結末が変わる訳じゃないでしょうに」
紫の言葉に焦れったさを覚えながらも、眠ったままの狼戈を見る。手を握ると、その温もりに改めて怒りが込み上げる。この温もりを奪おうなど…許せる訳がないのだ。
「…藍」
「狼戈っ!! 傷は…」
「行かなくていいよ……私が行く」
目覚めるなり耳を疑うような発言をする狼戈に、言葉も何も出なくなる。ボロボロの体で、また彼処に戻ると? 行かせられる訳がない。直感が、本能がそう言っている…絶対に行かせるなと。きっと、恐ろしいことに…
「駄目だ…絶対に許さない。まだ、安静にし」
「藍も、私を閉じ込めるの? 虐めるの? …独占するの?」
絶句。ただその一言だった。並べられた文字列は、きっと狼戈がその身に受けたこと…かなりトラウマになっている。制止する暇もなく、ベッドからゆっくりと降り、直立する狼戈。身体中に丸や線状の傷が巡る、直視するのが辛い程に凄惨なもの。そんな体で…何処へ行く気だ。私は…絶対、絶対に行かせない…絶対護るって、絶対離さないって…約束したから。
「…力尽くでも止めるぞ、狼戈。離さない…そう約束した」
「…止められるなら、止めてみればいいよ」
刹那、狼戈の姿が消える。ハッとして上を見た時にはもう遅く、狼戈の手刀は首筋に深く食い込んでいた。床に強く叩き付けられ、口から空気を漏らす。
「当て身だよ…ごめんね、藍。自分のことは自分でやらなきゃ…」
「だ…めだ、狼戈…行かないで……」
背を向ける狼戈。伸ばした腕は虚しく空を掴み、力無く床へと落ちる。自分の無力さが憎い…大切なものひとつ、救えないのか私は…っ
「…式をこんな目に合わせて、私が黙ってると思うかしら」
「…私を消せば、貴女はいったいどれだけの者から恨まれるのかな」
無慈悲な言葉に、紫が怒りを孕ませた瞳で狼戈を睨む。背後から故にあまり見えないが、狼戈の表情は無い。人形のるうな、無機質な顔…心に何を思っているのか、何も読み取ることは出来ない。
「別に、消さずとも止めることは出来るわ。どんな手段を使ってもね…」
「…そっか。紫も…そういうことするんだ」
次の瞬間、背筋が凍るような空気が辺りを包んだ。本能故か、体が震え出す…弾幕ごっこという範疇を遥かに越えた、肌を刺す程に鋭く、強い力。掠れた意識と視界でもはっきりと感じられるその力に、無理矢理に手を地面に着ける。起きなければ…どうにか……
「…死んでも、知らない」
狼戈の言葉。刹那、何かが砕けるような、鈍い音が周囲に響く。何が起こったのか、目視も、理解すらも出来ない状況。倒れ伏す主を前に、思考は完全に白紙へと返った。
「…速さで私に勝とうとしたなら。ただの愚か者だよ、紫」
何も出来ずに…負けた? 主である紫でさえも? 小さく幼い体に、どれほど力を秘めているのか…私には、微塵もわからなかった。
「…じゃあね、藍。会えたら…また会おう」
「い、嫌だ…お願いだから……」
ちらと此方を向いた狼戈が見せる、儚い笑み。今まで保っていた意識が嘘のように、視界が暗くなっていく。心の叫びは、願いは…ただ深い闇にへと、消えていくのだった。
◆◇◆
「…藍。起きなさい、藍」
「ぅ…ぅう?」
紫に揺り起こされ、上半身を起こす。虚ろな頭が思い出した記憶に、眠気も何もかもが吹き飛んだ。
「ゆ、紫様っ、お怪我は…」
「…ほぼ無傷よ。なんだかんだ言って、狼戈は狼戈…殺すなんてことは出来ない」
…逆に言えば、狼戈が手加減しなければ、成す術なく殺されていたということ。改めてその事実に驚愕しつつも、狼戈のことがどうしても気になる。行ってしまったのか…ならば一刻も早く。行かなければ…
「藍の言いたいことも、したいこともわかってるわ。でも…藍。もうきっと…手遅れよ」
「ッ!? な、何故…!!」
「…あれからもう、何日も経ってる」
絶望。失望。それだけ経って此処にいない…彼女のことだ、良い方向に進んでいる訳がない…まだ、まだ…間に合うかも知れない。諦める訳には…いかない。
「…行くのなら急いで。少しでも望みがある内に」
「…はい」
眼前に開く隙間に、間髪入れずに体を滑り込ませる。生きていればいい…それだけを願って。
◆◇◆
「・・・・・・」
大きな館を前に、ただ立ち尽くす。例え何が起きようが…怒りも悲しみも、見せるつもりはない。何をされても、何を言われようとも…もう。
少し大きな扉を開け、中のホールを見渡す。何者の気配も感じない大きな空間…隠れる素振りも見せず、ぺたぺたと奥へと進む。少しずつ近付いていく主の部屋に思考は白紙。いつ何が来ようが対応出来るよう、妖力も全開で…きっと、館にいる全員が何かがいると感付いているだろう。極端な話、この館ひとつ、簡単に吹っ飛ばさせられる。まぁ…そんなことは、出来ないが。
「…失礼します。さとり様」
丁寧にノック、返事は聞かぬまま、扉を開く。椅子に腰を掛け、両肘を机に着いているさとり。視線も合わせず、狼狽するさとりに無表情で近寄り、机の前で静止した。
「…こいしは何処ですか?」
「……私にもわからない。あの娘は神出鬼没で、行方がわからないのよ」
ゆっくりと話すさとり。彼女が私と視線を合わせたがらない理由として、恐らく先日のことと、私の姿にあるだろう。今現在、私はほぼ裸に近い。私が何をされたのか、あの娘が何をしたのか。それを知らしめるために。
「…こいし、いるんでしょ。早く出てき…やっぁ…!?」
「此処にいるよ? ふふ、あはは…戻って来てくれたんだ? ねぇ、狼戈…♪」
何処から現れたのか、背後から優しく抱き締めるこいし。その手は流れるままに下へ、口へと伸び、警戒も、妖力も全てが分散され、白紙へ返った。 膝の力が抜け、その場で崩れ落ちる。
「ふふ…痛そうだね…? そんな姿でいるからいけないんだよ…」
「こい…し…っ!!」
虚しく消える叫び声。それを嘲笑うように体を愛撫することをやめないこいしに、意識が狂い始める。何かあれば逃げるつもりで来たというのに、これでは…。それもそうだ、少し考えればわかることだ。長年一緒に住んできたというのに、私の弱点を…知らない訳がないではないか。
「お姉ちゃん、此方においでよ…ね?」
無表情のさとり。離れるこいしを強く睨んだ後、主であるはずのさとりを見据える。ゆっくりと歩み寄ってくるその姿に殺気を放ちつつも、彼女が何をしようとしているのかを待つ。どうせ快楽のせいで体は動かない…待つしか出来ないのだ。
「…狼戈」
「…さとり…様…っ…ぁ…?」
優しく、暖かい…昔と変わらない抱擁。その感覚に一瞬、涙腺が弛んだ。だが…運命は、現実は…非情だった。
「っぁ…な、にを…」
「改めて会いたかったわ、狼戈…愛してる。ずっと」
背中の左側から右側の横腹まで、するりと抜ける細長い金属。己嵐のものとよく似た刀は小さな体を貫いて、鮮血を滲ませる。綺麗な紅が地面に滴り、弾けた。
「そ…んな……」
「もう…離さない…ね、狼戈?」
意識を裂く痛みに、主に刺されたという精神への痛み。前からも後ろからも…二人から優しく抱き締められながら、意識も体も、崩れ落ちていくのを感じる。さとりが刀を引き抜いたのが引き金となり、完全に意識が耐える。この時…もう命が無かったのなら。記憶も何もなかったのなら…きっと、結末はまだまともなものだっただろう。黒い笑みを見せるさとりに刀が抜かれる寸前、私は確かに聞いていた。自分に言い聞かせるような、主であり家族であるはずの妖怪の、悪魔の囁きを。
「これからは…ずっと一緒よ? ペットはしっかり躾をしてから…ね」
◆◇◆
隙間を介し、眼前にある扉を蹴るように開ける。開いた部屋に広がるのは、何時か来た時と同じ内装に、変わらぬその主の姿。そして…
「…狼戈?」
さとりにぴったりと寄り添う、狼戈の姿。だが生々しく深い傷は増えており、とても凄惨なもの…表情も幼く、まるで姉にくっつく妹のような雰囲気だった。彼女の傷が増えている以上、やはり見逃す訳にはいかない。
「…狼戈に何をした?」
「挨拶も無しとは…無礼な妖獣ね」
さとりの態度に、疑問の心は確信へと変わった。狼戈は…。
「…狼戈を渡して貰おうか。どちらにせよ…嫌でも連れていく」
「そう。どうぞお好きに。この娘が良いなら…ね」
「……え?」
何かを隠すようなさとりの言葉に目を細めながら、狼戈を連れていく為に近付く。だが狼戈は此方に寄ってくる素振りをまったく見せず、更に強くさとりに擦り寄った。
「狼戈? どうしたんだ、此方に…っ」
『グルルルゥ…』
狼戈から聞いた第一声は…唸り声。威嚇の鳴き声。唖然とする私を気にも留めず、狼戈はさとりの背後へと隠れた。嘲笑うかのように此方を笑うさとりに、無意識に辺りを熱気が包んでいた。この妖怪は…悪魔は…っ。
「あら、私を殺す気? やれるならば…どうぞ? 私を消せば、この娘はどうなるのかしらね」
さとりの言葉に、周囲の熱は引いていく。今の狼戈は…さとりのことを親のように見ているように感じる。私が殺気を滲ませる程に狼戈も怯えながらもさとりを守ろうと力を漂わせている。さとりを消せば…狼戈はきっと考えられない傷を負うだろう。既に還付なきまでに、壊された心に。
「貴様…ッ!! 悪魔め…」
「悪魔とは心外ね。それに、貴女の考えてることも悪魔に等しいわ」
さとりの赤い瞳は私を見つめ、ただ佇む。見透かされるような瞳に屈することなく睨み返しながら、どうするかと思考を巡らせる。どうするべきか…考え付く選択肢は、二つしかない。
このまま狼戈を放置し、また慣れてくれるのを待つか。
無理矢理にでも、狼戈を奪うか。
ひとつ目の場合は、きっと狼戈は幸せだろう。偽の親に愛され、愛し、家族と暮らす…彼女からすれば、幸せ以外何物でも暮らし…だが、そんなこと私は許せない。心を壊された相手に、何も知らないまますがり続けるなど…絶対に。
二つ目の場合は…きっと狼戈が精神的にもダメージを受ける。それに、親を護ろうと、一緒に居ようとする為、きっと私までも攻撃するだろう。それ故に…対処はひとつ。私も同じように…教調すること。まともに考えれば、もっと良い考えは浮かんだだろう。だが怒りと焦りに染まった私の心では、考えなど浮かんではくれなかった。私の欲も満たされる…だが、それでいいのだろうか。絶対に彼女を護ると、その約束は…それで果たせられるのだろうか。いや…もう遅い。どうせ…護れなかった。それに、こうも約束したはずだ。絶対に…離さないと。
「狼戈、行くぞ」
「っ!? い、嫌だ…っ!! 来ないで…」
「…無理矢理にでも。紫様」
次の瞬間、狼戈の体がぐらりと傾いた。現れた隙間に落ちる狼戈…だがその寸前に何かに手を掴まれ、全身が落ちることはない…何事だと見れば、確かに何かがそこに存在していた。この状況で…もう、思い当たる者は一人のみ。
「…こいし、その手を離せ」
「ふふっ、大事な妹を離す訳ないじゃない? ね、狼戈」
隙間から腕だけを見せる狼戈。どうするかと迷った刹那、私の足元に隙間が開く。瞬時に紫の意図を悟り、そのまま身を委ねる。隙間が閉じる瞬間に、幼い少女の叫び声が聞こえた気がした。
◆◇◆
「…二の腕から下を切断してまで連れ去るなんて。悪魔ね」
「心も体も壊した貴女に言われたくないわ。悪魔」
地霊殿の主を隠しもせず睨みながら、日傘を肩に扇子を広げる。床に転がる傷だらけ小さな腕を拾い上げ、再度悟りの姉妹を睨んだ。確かな殺意と僅かな嫉妬を浮かべながら、妖気を滲ませる。
「…貴女達を消すのは簡単よ。それこそ狼戈と同じような苦しみを与えることも。
それをしないのは…あの娘の優しさに免じて。次に会ったら…消すわ」
何も反応をしない姉妹に背を向け、隙間を潜る。其処にいるのは、眠る狼戈とその隣で佇む藍の姿。血溜まりが狼戈の隣に溜まっているのは、不可抗力…仕方のないことだった。能力を発動させながら狼戈の腕を繋ぎ合わせ、妖気での回復を施す。藍を見れば、切なく寂しげな表情。彼女の苦痛は…痛い程わかっていた。
「…私を、知らないと。嫌だと。記憶も…きっと」
「…私の能力なら…治せるわよ?」
「いえ…いいです。このままで…」
藍のしたいこと…それはわかっている。多少の迷いあるが、反対することもなければ、止めることもない。何らさとりのやることと変わりはないだろうが…
「…うぅ…ぅ」
不意に、狼戈の呻き声が響いた。ハッとして手を取る藍に、声を荒げる。
「藍っ!! 離れて!」
「え…?」
次に私が見るものは、感動の再開でも、涙でもなく…
ーー飛び散る鮮血に肉片…地獄絵図。
血に塗れた狼戈。何かを言う間も考える間もなく、壊れた少女は、小さくか細い声で呟いた。
「おねえちゃんのところに……かえらなきゃ」
その言葉は、私の意識が途絶えるまでに聞いた、最後の言葉だった。
姉妹が起こした凄惨な事件。だざ何かを殺すことなど、幻想郷では茶飯事のことなのだ。
例えそれが…どれだけ幼い者の、精神、心であろうとも。
あの後、壊れた狼の少女はどうなったのだろうか。
それは地底に聳える館が、今でも賑やかで栄えているという事実が、全てを物語っていた。
優しい姉達と、個性豊かなペット達に囲まれて…きっと幸せだろう。その“全て„を知らない限りは。
生傷の耐えぬ狼に、それを愛でる妖怪。愛し方は人知れず…
皆に優しい主、それに恋するペット達。恋し方は人知れず…
今日も明るい館の中で、綺麗な紅は滴り続ける。きっと、世界が滅ぶまで、ずっと…
「さぁ、狼戈。遊びましょ?」
「たくさん、たーくさん! 遊んであげるからね…♪」
「うん…だいすき、おねえちゃん」
全てが壊れても。全てが砕かれても。
端から見て、例え最悪なものだとしても。
最終的に幸せならば、もう…なんでも良いのかも知れないですね。