二十四話
2-Fに編入した林冲に史進、楊志。
実はその他に2-Sには武松。さらに1-Sに公孫勝と言う女の子が編入したのを、大和は身をもって思い知らされた。
武松と共に現れて早々「うちら、直江大和に興味あるから」と公孫勝の一言。
もし、これが普通の女の子に言われたのなら、大和は喜んだだろう。
外見は澄ましながらも内心はガッツポーズで雄たけびを上げていただろう。
しかしそれを言ったのがよりにもよって公孫勝。
梁山泊と言うだけではない。小学生なのだ。見た目が。どう見ても。
おかげでみんなからはロリコン扱いされた。
初対面だということを説明しても、小学生には興味ないと主張しても、嫉妬に狂う飢えた男どもは聞きやしない。
「ロリコンロリコン」の大喝采は、大和の名誉をこれでもかと抉り、女子たちの白い眼は大和の築き上げてきたものを崩すのに十分な威力を持っていた。
目の前が真っ暗になった大和は、その場で四つん這いに膝をついた。
絶望に沈む大和。その肩を誰かが優しく叩いた。
「大和がロリコンでも気にしない……。そう、私は大和を愛してるから!」
その言葉がその時ばかりは心に染みた。
誰かと思って顔を上げる。
神の御慈悲かと思ったら京の励ましだった。
これも篭絡のための策略かと思うと素直に縋りつけなかった。
「ロリコニアへようこそ」
ハゲのその言葉が傷口に染みる。
仲間扱いは心外である。その慈悲深い仏の眼差しは止めろ。仏像みたいな頭しやがって。
「紋様には近づくなよ」と忍足あずみの言葉はもはや致命傷だった。
机に突っ伏して動けない。
大和を励まそうと近寄ってきたワン子は笛で遠ざけた。
岳人を除くファミリーたちは不憫そうに大和を見ていたが、今はそっとしておこうと常識あるモロの言葉でそっとされている。
それが今ばかりはありがたい。
「はあ……」
つい零れた溜息。
空は青い。浮かぶ雲は白く自由にどこまでも漂っている気がする。
天高く浮かぶ太陽が、先ほど見た禿頭と重なって無性にイラついた。
「ようこそ、同士。歓迎するぜ」うぜえ。
ポケットの中の携帯が振動する。
出る気もないが一応名前だけでも確認する。
大友焔からだった。
「……」
このタイミングで、大友さんか……。
彼女の容姿を想像する。
……あれ、ロリじゃね?
変な方向に向かいそうだった思考。慌てて頭を振った。
ロリじゃないロリじゃない。彼女はあれでもれっきとした高校生!
確かに平均的な高校生より小柄だ。言動も花火に拘っている辺り何だか子供っぽい。
でも彼女の年齢は16歳。高校二年生。ロリじゃない。
そもそも、ロリだからとかそんな変態極まりない動機で連絡先を交換したのではない。
西にも交友関係を広めようとして、いわば打算で交換したのだ。
俺は決してロリコンじゃない。
ひとり自問自答。
もし他者がこれを聞いたなら、そのあまりの必死さに思わず言うだろう。
やっぱロリコンじゃねえか。
そんな事をしている間も携帯は鳴り続けている。
もう一分ほどなり続けているのではないか。
やけに粘るな。
大和は突っ伏した姿勢のまま、通話ボタンを押した。
「もしもし」
『む……直江か?』
耳に届いた声にほんの僅かに違和感を感じた。
「そうだけど……どうかした?」
『むー……』
尋ねれば、何だか酷く言葉に詰まっている。
焔とはときどき――――剣華がらみで――――連絡を交わすが、ここまではっきりしない彼女は初めてだ。
何でもかんでもはっきり言う彼女にしてみれば珍しい。
なんだかただ事ではない雰囲気を感じて、大和は顔を上げる。
『どうかしたというか、何というか……。ええいまどろっこしいな。実はな、今先輩が隣にいるのだが』
「先輩?」
先輩と言うのが誰のことなのか、大和は瞬時に結びつかなかった。
もしかして、とあの人物を思い浮かべるのと焔が答えを言うのはほとんど同時だった。
『工藤先輩だ』
「あー……。うん。それで?」
『先輩が直江と話したいと――――』
途端に、電話の向こうでごちゃごちゃと騒々しい音が聞えた。
『なにをする!?』と焔の悲鳴に近い声。
『うわわ、何やってんの?』と誰とも知れない声が遠くの方から聞こえた。
そして静寂。耳を澄ませても何も聞こえない。
何があったのだろうか。「大友さん?」と呼びかけようとした瞬間、別の声が聞こえた。
『直江君。ちょっと黙っててくれ』
「――――」
出そうとした声は出ない。
自分の意思とは関係なく、声が出ない。
こんなことは初めてだ。
パニックになって、大和は大きく息を吸った。
吐くついでに発声しようとするも、声は一欠けらすらも出なかった。
――――失語症。
脳内に浮かんだ単語。
頭の中が真っ白になる。
これってどういう病気だ?
確か精神的な原因で発症する病気だ。
ロリコン扱いされたのがそんなに堪えていたのか?
どうすればいい?。
とりあえず病院だ。病院に行って診てもらおう。
それで治らなかったらどうする?
学校には今まで通り通えるのか? 卒業して就職できるのか?
そんな感じに、将来のことを一通りシミュレートしたところで、携帯から聞こえてきた声にはっと我に返る。
『やあ、ごめんごめん。ちょっと焔の馬鹿野郎がおかしなことをしようとしたもんで……』
『おかしなこととはなんだ! そもそも先輩が可笑しな注文を付けるから悪いのだ!』
『まあまあ、ほむほむ。先輩がおかしいのは慣れっこでしょ? そんなに怒らないの』
三者三様の声が聞こえた。
一人は工藤で、一人は焔だ。最後の声の主だけが分からない。
でも、もしかして尼子晴ではないかと大和は思った。
『うるさい。今通話中。あっち行け。しっしっ』
『むーーーーー!!!!!』
電話の向こうで、焔の声が遠ざかっていく。
やれやれと溜息を吐く雰囲気が伝わってきた。
『直江くん? ごめんね。ちょっと君に用事があってさー』
「……」
大和は答えようとしたが、しかし答えられなかった。
今のやり取りで瞬間忘れていたが、失語症を発症していたのだった。
『あれ、直江くん? 聞こえてる?』
「……」
聞えてる。でも返事が出来ない。声が出ないのだ。
一回通話を切ってメールでやり取りを、なんて大和が考えたとき、電話の向こうで得心行ったような声が聞こえた。
『あ、そうだ。もう喋っていいよ』
「……は?」
その一言で、大和は自分の身体の中で何かが変わるのを感じた。
直前まで鎖で拘束されていたのが解き放たれたような解放感。
声を出そうとしてみれば、その通りに声が出る。
「えっと……」
『おっけおっけ。声出るね? それでさ、ちょっとお願いがあるんだけど』
「はあ……」
自分の身体の異変を呑み込めないまま、工藤は話を進める。
『この電話で、俺の名前出さないで欲しいんだよね』
「はい? くど――――」
『黙ろうか』
工藤先輩の名前をですか?
そう言おうとして、またもや大和は声が出せなくなった。
さすがに二度も続けてこうなれば、原因に見当もつく。
この人がやっているのだ。
『俺の名前を出すのはまずいんだ。だから出さない様に』
「……」
大和は懸命に頷いた。
それはもう首が取れるのではないかと思うぐらい。
しかし悲しいかな。電話越しでは大和のその努力も伝わらない。
伝わるはずはないのだが、次に工藤が口を開いたとき何故か半笑いだった。
『じゃあ、うん。喋っていいよ』
「……あ、あー。……出た」
喋っていいよと言われる前からずっと「あー」と言い続けていた。
やはり工藤の言葉を契機に声が出るようになった。
原因はこいつだ。それははっきりした。
「えっと……まあ、それじゃあ」
言葉を選び選び、絶対に工藤と言う単語を出さない様に。
それどころか連想すらさせないように大和は慎重に言葉を紡ぐ。
そのせいか出てきた言葉は何だか要領を得なかった。
「どういうことですか?」
『梁山泊来てるでしょ。そっち』
予想していなかったわけではないが、いざストレートに梁山泊の名前が出ると、咄嗟に大和は言葉に詰まってしまう。
『理由、聞いてるかなあ』
大和が固まっていることぐらいわかっているだろうに、それを全く気にすることなく独り言のように工藤は続けた。
『あいつらは君に盧俊義の資格を見たらしい。あ、これも口に出さないでね』
「……」
言っちゃダメなこと多すぎるだろ。
もはや相槌ぐらいでしか返事できない。
何か言えばそれがNGワードに引っかかりそうだ。
『盧俊義って言うのが108星の上から2番目のことで、なんか他の108星の健康やら体調やら管理するらしいよ』
えらく適当な説明だ。
口調からも興味の無さが伺える。
「それを、俺が?」
『本決まりじゃないけどね。その素質がありそうだって、見極めるために林冲たちが派遣された』
「はあ……」
林冲たちはそんなことは言っていなかったが、「興味がある」と言う言葉の真意がそれなら、彼女たちの言動をも納得できる。
さすがの大和も、初対面の相手に続けざまに告白されるほどモテるわけではないし、それを自覚してすらいる。
でも、真実を聞かされてがっかりするのは別問題だ。
男心と言うのも女心に引けを取らないぐらい複雑なのだ。分かってほしい。
『正直梁山泊はどうでもいいんだよ。あいつら穏健派だし。問題なのが曹一族っていう他の傭兵集団がいて……。あ、これも言っちゃダメだけど』
「……その他のがどうしたんですか?」
『今、君を見張ってる』
咄嗟に大和は窓の外を見た。
さっき見た雲がずいぶん遠くにある。
見える範囲、建物の屋上や窓に目を走らせるが、不審な人影は見つけられなかった。
『……いま窓の外見たでしょ?』
「見ますよそりゃあ。いきなりそんなこと言われたら。……え、冗談とかじゃないんですか?」
『実際梁山泊が編入してきてるのに? 林冲たちが君にどういうアクション起こしたのか知らないけど、それでもおかしな関わり方されたんじゃないの?』
出会い頭に告白まがいなことされました。
結果ロリコン扱いされました。
臍を噛むように大和は言った。
『へえ……』
工藤の反応は微妙なものだった。
正直笑われてもよさそうなものだが、神妙な反応だ。
何か含みがある気がする。
『曹一族は九鬼に気取られないように動いてる。君じゃ見つけられない。見つけたとしてもどうにもできないし、しちゃダメだ。大人しく見張られておきなさい』
「これマジ話ですか?」
『まじまじ。だから窓の外あんま見るなよ』
そう言われても……。
チラチラと窓の外を気にしてしまう。
何の変哲もないいつも通りの光景。
だがこんな話を聞かされると、この風景のどこかからか異質な気配を感じるような気がする。
『この話が本当かどうかは、林冲にでも……一番は楊志かな。聞くといい。剣華は知らないだろ。あいつだし』
「はあ……」
『それで曹一族なんだけど――――』
「あの、待ってください」
『なに?』
「どうしてこんな話をするんですか?」
『うん?』
怪訝そうな声。
大和は慎重に言葉を選びながら、工藤を問いただした。
「俺にこんなことを話す理由は何ですか? 正直……関係ないでしょ? 嘘か本当かもわからないし……。なんかメリットあるんですか?」
『あるよ』
即答だった。
『まあ話を聞け』
これ以上口を挟むなと強い口調で――――先ほどより随分柔らかいが――――大和は静聴することを強制された。
『さっきも言った通り、真偽は梁山泊に聞くと良い。なんなら俺の名前出してもいいよ。場所は選んでね。
で、曹一族なんだけど、あいつらも目的は一緒。だけどずっと過激だ。血の報復とか言って邪魔をしてきた者には一切容赦しないんだ。無関係の家族まで報復する。例えば、もし君が島津岳人を頼って、彼が曹一族を妨害したら、本人だけじゃなく島津麗子まで殺される。だから、君は今回のことで友人を頼っちゃいけない』
工藤に強制されているのとは別の理由で言葉が出なかった。
たぶん今自分の顔色は青くなっているだろう。
そう自覚できるぐらいサッと血の気が引くのが分かった。
しかし心の中でそんなの大したこと無いと思ってる自分もいる。
「……姉さんなら」
ぽつりと呟いた言葉は、川神院ならと言う意味でもある。
本人は武神と呼ばれるほどの実力を持ち、祖父は武の総本山川神院の総帥。
かつて世界最強とまで呼ばれた偉人だ。
そうじゃなくても川神院には人の道を外れた猛者が集っている。
いかに曹一族と言ってもさすがに手出しは出来まい。
そう思っての、藁にもすがりたい気持ちでの呟きだったが、工藤の返答は静かな物だった。
『止めておいた方がいい』
「でも、川神院ですよ……。だれが喧嘩売るんですか?」
『俺なら制圧できる』
耳を疑った。
「……無理だ」
『できる。鉄心さんは老いてるし、川神百代は隙だらけだ。入念に準備してなら、落とせる』
『しないけどね』と冗談めかして工藤は笑う。
しかし一瞬前の口調はどこまでも本気で、もしかしてこの人なら本当にやるんじゃないかと疑ってしまうほど真剣そのものだった。
『頼るなら梁山泊にするといい』
「は? 梁山泊?」
『あいつら穏健派だから』
カラカラと調子よく笑う工藤。
そこに込められた含みは本人たちにしか分かるまい。
どういうことなのか。問いただす前に昼休み終了のチャイムが鳴った。
次の授業が始まるまであと5分。
キンコンカンコーンと甲高い音は、電話の向こうの工藤にも届いたらしい。
『時間切れ。これ以上は本人たちに聞いて』
「ちょっと待ってください!」
勝手に掛けてきて、勝手に切り上げにかかる工藤。
そのマイペースさにたまらず大和は声を荒げた。
電話の向こうからは変わらずマイペースに『言い忘れてた』と声がする。
『そうそう。あいつらクリスマス終わるまでは動かないよ。若獅子戦終わるまでは動かないって約束させといたから。だからそれまでに梁山泊と仲良くなることだね』
「クリスマス? 若獅子戦? いや、待ってください!」
『もし動いたら俺に連絡ちょうだい。それじゃあ』それを最後にぶつりと通話が切れる。
「嘘だろ」と画面を見るも、やっぱり通話は切れている。
慌てて掛け直すも電源が切られていた。工藤本人の携帯も同様である。
「なんなんだあの人!?」
大友へメールを送る。
工藤と話がしたいという内容である。
天神館で連絡先を知っているのは大友と工藤だけだ。
本人に連絡が付かない以上、大友を頼るしかないのだが、先ほどのやり取りを振り返るとどうにも不安が残る。
まさか本当にこれで終わりじゃないだろうな……。
待っても待っても来ない返事にその不安は募っていく。
聞きたいことは山ほどある。
そもそも工藤は、大和にこの話をするメリットについて何も言わなかった。
誤魔化されたのか、単純に時間が足りなかったのか。
どっちにせよ話をしなければ。
授業中ずっと携帯を確認していた。
もはや先生にばれても知るものかとなりふり構わず。
だというのに返事は来ない。
待てども待てども返信は来なかった。
◆ ◆ ◆ ◆
電話を切った途端、周囲の喧騒が耳にうるさい。
そう言えば、ここは学校だ。
今更そんなことを思い出して苦笑する。
「大友ー」
大声で読んだ名前に、周囲の人間がびくっと反応した。
そんなに怖がらなくてもと内心思うのだが、2年生にしてみれば3年生は怖い生き物なのかもしれない。
しれない、とあくまで可能性の話なのは、俺にそんな経験はないからで、思い返しても年上に恐怖を感じた記憶はない。
あるのは怒りばかりだった。ろくな環境じゃなかったな。
教室の反対側からぷんすかと怒りながら大友はやってきた。
その隣には尼子晴――――双子の姉の方、がついている。
「話し終わったから返すわー」
放りなげた携帯を大友は慌ててキャッチする。
「壊れたらどうするのだ!」その文句は無視して、欠伸をしながら教室を後にしようとした。
「うがああああ!!!」と地団駄に続いて、晴が何だか面白そうな口調で尋ねてくる。
「ね、今度は何企んでるの?」
ため口で、先輩に対する言葉遣いではないが、俺もそんなことは気にしない。
なにせ俺自身、還暦過ぎた老人を爺呼ばわりして、なんならぶん殴りに行くほどの非常識な奴だ。
非常識だと自覚しているだけマシだろう。
この開き直りはあずみさんが聞いたら怒るだろうなあ、と他人事のように思う。
「なんにも。むしろ尻拭いだな」
「誰の?」
「……俺の、かなあ」
「なにそれ」と晴は愉快そうに笑っている。
その後ろで「どうして電源が切れているのだ?」と電源を入れなおす焔。
とっとと逃げよう。
「じゃ、俺はしばらく学校サボるから。館長に適当言っといてくれ」
「卒業できないよ。私たちとまた三年生やる?」
「それもいいかもなあ」と早足に教室を去る。
怪訝そうに見送る晴の視線。
電源を入れたらしい大友が大声で呼び止めてきたので、俺は走る。
気勢を上げて追いかけてきた大友。
かなり必死な形相だ。関西の武士娘は面子を気にするからいけない。
少しぐらい勝手気ままに生きればいいのに。
折角だし、ここのところ嫌なことばかりだったから、少し楽しもうか。
とりあえず鬼ごっこだな。
そう思って、グラウンドに向かって駆ける。