西方十勇士+α   作:紺南

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二十六話

場所を移そうと言う楊志の提案で、大和は彼女を連れてだらけ部の部室に足を運んだ。

 

そこはひと気の少ない場所にある。人に邪魔をされたくない話をするには持って来いの場所だ。

元々は茶道部か何かの部室に使われていたのか、襖があり畳が敷かれていて、座るにしても寝っ転がるにしても暖かい。

 

手際よく、情報通の大和が見つけたその場所を、大和を含めた三人がだらけ部と称して使っていた。

一人になりたい時やサボりたい時、横になりたい時などに都合がいい。

最近では使用率がモリモリ上がっていて、ふと思い立って顔を見せれば大体誰かが横になっている。

 

その三人の中に先生がいるのが幸運だった。今のところお叱りを受けたことはない。

恐らく大多数の先生は存在すら知らないだろう。

 

訪れたそこには、案の定部員の一人である弁慶が川神水を傾けており、楊志を連れた大和を見て目を丸くする。

 

「おー? なんだこの色男ぉ。早速転入生に手なんか出しちゃってぇ」

 

「噂通りかあ?」と顔を赤くして絡む姿はまるで中年オヤジの様だ。

美味そうに裂きイカを食べ、川神水をコップ半分も飲み干す。

ぷはーっとじじくさい息を吐いた。

うぃーと意味不明な言語を喋り、「ほら大和も飲めい」と川神水を進める姿勢にアルハラの素質を垣間見た。

 

「弁慶。これから大事な話をするんだ。悪いけど、少し出ててくれないか?」

 

「んんー?」

 

冗談だと思ったのか、弁慶は口をつぼめ不満を露わにする。

そうまでして、大和の顔には微笑みすら浮かんではいない。

 

大和の真剣な表情を見て、弁慶の表情から戯れが消える。

赤らんでいた頬は色を失くした。

 

そのすぐ後ろに居た楊志を見て目を細め、向き直って尋ねた。

 

「私も居た方がいいんじゃない?」

 

「ありがとう。でも大丈夫」

 

安心させるような微笑み。

しかしその眼は笑っていない。

 

弁慶は少し考えて立ち上がる。

手には川神水の一升瓶を持っている。

 

「すぐ外にいるからさ、何かあったら呼びなよ」

 

「ありがとう」

 

繰り返しの礼に弁慶は苦笑した。

楊志の横を通り過ぎ、出際に一度ぐいっとコップを傾けて、襖の向こうに消えて行った。

 

大和は畳の上に正座する。

直前まで弁慶が使っていた座布団は、何故だか使うのは悪い気がして横にどけた。

 

楊志は弁慶の背を追って襖を見ていたが、大和の呼び掛けに振り向いて、同じように対面に正座した。

 

「君の要望通り、誰にも邪魔されない場所だけど」

 

楊志はゆっくり頭を回して部屋の中を見ている。

何もない部屋だ。

座布団と弁慶の置いて行ったつまみ。

それ以外に何もなく、窓の内側には障子の貼られたさっしがあって、入ってくる光を和らげている。

 

「盗み聞きは……」

 

「弁慶はそんなことしない」

 

入口を見ながら言った楊志の懸念は、大和が即座に否定した。

付き合いは短いが、二人の間にはこの部室で積み上げた関係がある。

時間の多寡で、信頼関係の深さが決まる訳ではないことを大和は知っていた。

 

「そう」

 

素っ気なく言って、楊志は大和を見た。

先ほど廊下で見せた呆けた顔は鉄面皮の奥に隠されてしまった。

どころか、戦場に赴くような真剣な眼をしている。

眠気で気の抜けた眼は面影もない。

 

勝ったつもりでいたが、どうやら楊志にとって本番はこれからの様だ。

気を引き締める必要がありそうだと、大和は心の中で喝を入れた。

その調子に先手を打とうと、大和が口を開いたのを楊志は手で制した。

 

「まず、質問に答える前に、私の質問に答えてほしい」

 

それが無理なら話はしないと楊志は強気に出た。

大和はそれを飲む他ない。

 

盧俊義爆弾投下で主導権を握ったつもりだったが、甘かったらしい。

さすがは傭兵。伊達に経験を積んでいないということだろうか。

 

「私が聞きたいのは一つだけ。どこで、誰に、盧俊義のことを聞いたのかな?」

 

楊志は睥睨する。

殺気にも似た威圧感を感じて、大和は腕に鳥肌が立った。

 

嘘はダメだ。いま、楊志が何を考えているのか分からない。

今になって、京と楊志の決定的な違いに気が付いた。

不思議系、神秘系の属性に加えて、楊志からは不気味な雰囲気が感じられる。

何を考えているか分からないということは、何をするか分からないということに通ずる。

それは傭兵稼業ゆえの手段を選ばない所に関係しているのかもしれない。

 

もしかしたら、ほとんどないと分かっていても、本気で大和を殺すことを考えているのかもしれない。

そう思うとこれ以上詭弁を弄するのは憚られた。

 

生唾を飲み込み、慎重に口を開く。

何を言う前に、まず確認を。

 

「工藤先輩って知ってる?」

 

「…………」

 

楊志は何も言わない。

じっと大和を見つめている。

それだけで気圧される。

 

地雷を踏んでしまったかもしれない。そう思うと途端に取り返しのつかないことをした気がした。

大和は答えを待つのを止め、続きを言おうとする。

 

それより一瞬早く、唐突に、楊志は力が抜けたようにガクンと俯いた。

手で額を抑え、頭を抱えるような体勢になっている。

 

「うわぁ……」

 

見えないところから声が聞えてくる。

まさかこんな反応が返ってくるとは思わず、大和は「え?」と困惑してしまった。

鉄面皮を剥がしたぞと喜んでから、10分と経っていない。

工藤の名前一つで、表情どころかこんなリアクションを見られるとは思わなかった。

効果的過ぎるだろ。あの人の名前。

 

大和が楊志のつむじを見つめて数分と経ってようやく、頭を抱えていた楊志は顔を上げた。

 

「続けて」

 

「あ、ああ……」

 

本当に続けて良いのか疑問に思ったが、しかし続けてと言うからには続けないわけにはいかない。

 

大和は簡単に説明した。

工藤からの連絡で、梁山泊と曹一族が川神市に来たこと。その狙いが自分にあって、理由は梁山泊の言う所の盧俊義の素質であること。

 

至極明瞭な説明だ。

 

楊志は居ずまいを正し、黙って大和の話を聞いていた。

やがて大和が全て話し終わったとき、考えるように遠くを見ている。

 

大和は逸る気持ちを抑えて、今度こそ楊志の言葉を待った。

 

「その話に嘘はないよ」

 

呟くように聞こえた楊志の言葉。

考える前に、大和は問い返していた。

 

「つまり?」

 

楊志は遠くを見るのを止めて大和を見た。

 

「私たちの目的は直江大和の護衛。そして勧誘。後者は出来るなら、だけどね」

 

「護衛?」

 

それは初耳だ。

 

「曹一族に盧俊義の資格を持つ者を奪われるのは、私たち梁山泊としては避けたいんだよ。今の力関係を崩しかねない。だから護衛。曹一族から」

 

ピンと来ない。

工藤が言うには、盧俊義とはたかだか体調管理をする役目のはずだ。

 

梁山泊と曹一族。

詳しくは知らないが、周囲の反応を見ると、よっぽど大きな組織なのだろうと思う。

それが、たった一人の能力で力関係が変化するものだろうか。

 

「あいつは、なんて伝えたのかなあ……」

 

眉を顰める大和を見て、楊志はぼやいた。

 

「傭兵にとって、コンディション管理は凄く重要なことだよ。なにせ、命に関わるからね」

 

理屈としては理解できる。アニメやラノベでそんな展開を見たことがある。

 

死が身近な世界では、ほんの僅かな差が死に直結するというやつだろう。

それは体調だったり、気持ちだったり、あるいは運もそうかもしれない。

人間は理不尽な理由で簡単に死ぬから、考えうる要素を最高の状態に整える、ということだろう。

 

理解は出来た。しかし一向に実感がわいてこない。

小学生の時、遠くで戦争があって、それで沢山の人が死んでいると教えられた時の気持ちに近い。

可哀そうだなとは思うけど、それをどうにかしようとは思わない。切迫した状況だと思えない。

当事者にとっては、これ以上なく切迫していることは想像に難くないのに。

 

これが平和ボケと言うやつだろうか。

もしくは、自分が超重要人物かもしれないということを、理性が拒否しているのかもしれない。

 

どちらにせよ、一朝一夕で呑み込める話ではなかった。

「はあ……」と上の空の返事に、楊志は苦笑した。

 

「おやおや。……まあ、今は分からなくてもいいかな」

 

言葉の後半はあまりに小さくて大和には聞こえなかった。

「え、なに?」と聞いた言葉は当然の様に無視される。

 

「それで、聞きたいことって、なに?」

 

鉄面皮を被りなおした楊志の目に、先ほどまでの攻撃的な色は消えている。

他愛もない会話を交わすかのように楊志は気楽な調子に戻っていた。

 

大和は黙考して、今聞いたことを整理する。

 

梁山泊。

曹一族。

盧俊義の資格。

血の報復。

護衛。

 

工藤の言うことは事実だった。

自分が狙われる理由も知った。

曹一族は力づくでも仲間にするつもりだ。

楊志たちはそうならないように護衛してくれるという。

曹一族に盧俊義の素質を持つ者を渡したくないから。

 

しかし分からない。

 

「曹一族は無理矢理でも俺を連れ帰るつもりなんだろ。君たちは、どうしてそうしないんだ?」

 

わざわざ自ら護衛を差し向けて、貴重な労力をつぎ込むのなら、曹一族のように拘束して洗脳なり何なりすればいい。

そうすれば受け手に回り後手を踏むなんて状況は回避できる。

終わりの見えない護衛任務を選ばずとも、そっちの方がずっと合理的なはずだ。

 

「……」

 

楊志は一瞬大和を見つめた。

視線をわずかに逸らしてすぐに大和へ向き直る。

 

「傭兵をやってるといろんなことがある」

 

過去のことを思い出しているのか、どこかしみじみした口調だった。

 

「こんな商売、どこで恨み買うか分からないし。川神院を敵に回す可能性は少しでも見逃せない。あんなのに目を付けられるのは真っ平だ。そんなわけで、懐柔策」

 

「懐柔策……」

 

「そっちから来てくれるなら、それに越したことはないってわけだよ」

 

暴力で分からせるのではなく、言葉で分かりあおうということだ。

話して、知って、信用させて、最後には抱き込む。

酷く遠回りだがその分堅実な方法。

洗脳ではなく、大和自身の意思によって梁山泊に加わるなら、百代はもちろん京でさえも異論を挟みはしないだろう。

……京はむしろ追いかけて来そうで怖いのだが。

 

「ま、お前が今そんなこと気にしても仕方がないよ。どうせ候補でしかない」

 

きっぱりと告げる楊志の言葉は、事実だが手厳しい。

盧俊義の素質があるのかないのか、それを探るためにも来てるんだったなと大和は思い出した。

 

「曹一族に比べれば、君たちの方がましってことか」

 

工藤が言っていた。

『あいつら穏健派だから』と。

その意味がようやく大和は理解できた。

梁山泊に頼れと言った真意も。

何のことはない。本当に梁山泊以外頼れないのだ。この状況では。

 

「君たちの目的は分かった。……その上で、なんだけど」

 

大和は言い辛そうに言葉を続ける。

 

「今の話を聞いても、やっぱり俺は、君たちの仲間になりたいとは思わない」

 

多少の申し訳なさを持ちつつ、断固として大和は言う。

聞かれない限り、自分から言う必要もなさそうだったが、正直に話してくれたお礼と言うか、こう言うことはハッキリさせておいた方が良さそうだと思った。

これで諦めてくれればその方がありがたい。

 

楊志は嘆息する。

 

「……だから出来る限り隠しておきたかったんだよ。普通、こんなこと聞かされて喜ぶ奴なんていないから」

 

懐柔するにしても、最初から構えられては難易度が上がるんだと楊志はぼやいた。

なんだか悪いことをした気がするが、大和自身はなにも悪くないことに気づいて、その気持ちを追い出す。

こんなことでは、早々情が移って懐柔されそうだ。

理屈は分かっても感情は別に動くから、まったく人間って厄介だ。

 

久方ぶりに、大和の思考が与一に寄った傍らで、楊志が呟いた。

 

「あいつも余計なことしてくれたよ。まったく」

 

心の底から憎らしそうな口調だった。

あの人が関わった途端、楊志の無表情が剥がれ落ちている。

一体どんな仲なんだろうと気になって、一つ看過できない疑問がふっと湧いて出た。

 

「あの人、どうやってこのこと知ったんだろう……?」

 

「んー?」

 

口に出したつもりはなかったが、無意識に零れていた。

それにすら気づかず、大和の思考は深く深く潜り込む。

考えれば考える程、可能性は絞られてある方向に導かれていく。

 

あれ?

 

大和は思った。

 

もしかして、あの人が――――。

 

結論に達しかけた瞬間、楊志の言葉が耳に届いた。

 

「私たちに、この情報を持ってきたのは『M』って名乗ってた」

 

はっと我に返る。

 

「……M?」

 

「実際来たのは代理人だよ」

 

正体は分からないと楊志は遠まわしに言っている。

M……。どうだろうか。あの人の趣味嗜好は分からない。

けれど、なんとなく。もしあの人が偽名を名乗るなら何らかの繋がりを使う気がする。

 

例えば、イニシャルとか。

下の名前は何というのだろう……。

 

考え込む大和を楊志は怜悧な眼で見ている。

尋ねられた問いに、大和は現実に帰還した。

 

「話は、終わりかな」

 

頷く。

これ以上は後で考えることにした。

おそらく、いくら考えても確かな答えは出ないことは分かっていた。

 

「そう。……直江大和。お前がわたしたちの仲間にならないと言っても、わたしたちのやることに変わりはない。曹一族からお前を守る」

 

「ありがとう」

 

心の底から大和は言った。

顔は喜びで綻んでいる。

最初はどうなるかと思ったが、結果的に言えば、悪い方向には進まなかった。

 

楊志はおもむろに立ち上がる。

背を向けて出口へと歩き始めた。

大和は少し面食らって、慌てて腰を浮かせる。

 

そうこうしている間に楊志は扉を開けていた。

「終わったよ」その言葉は、いつの間にか外に待機していた林冲たちに向けられていた。

 

「そうか」

 

林冲、史進の二人と、それに挟まれるように弁慶が廊下にたむろしている。

酷く居心地の悪そうな弁慶は、大和の顔を見て安堵の表情を見せた。

 

「で? なんの話だったんだ?」

 

史進が両手を頭の後ろで組み、壁に背を預けながら尋ねる。

口笛でも吹きそうな上機嫌な様子だ。

 

林冲が頬を染めて恥ずかしそうに言葉を足した。

 

「その……史進は告白に違いないと言っていたんだが……」

 

つまるところ、大和の用事について、各自好き勝手に考察していたらしい。

わざわざ後をつけて話が終わるのを待つあたり、よほど興味津々なようだ。

 

「んー……」

 

楊志は言葉に詰まった。大和も同様だ。

弁慶がいる。九鬼のクローン。

盧俊義のことを教えるわけにはいかなかった。

 

四人の視線が集中し、それに気づいた弁慶は眉を吊り上げる。

 

「……また除け者?」

 

弁慶はいよいよ頬を膨らませる。

はっきりと、私不機嫌ですと主張するのは彼女の良いところだと大和は思う。

弁慶も大和のことを気にしてここに居てくれたのだし、その親切には報いなければと思う。

そうじゃなくてもギブアンドテイクだ。

とは言っても、本当のことを教えるわけにはいかないので、別のところで報いることになるのだが。

 

「弁慶」

 

「……なに?」

 

「実は最近、四国の長宗我部と連絡先交換して、四国の名産を送ってくれるって言うんだ。広告ついでだけど。それで、何か食べたいものある?」

 

「……」

 

明らかな物釣りに、弁慶は眼差し鋭く大和を見つめた。

大和は眼で謝罪の意を伝える。

 

「除け者だぁ」

 

「ごめん」

 

「つーん」

 

ぷいっと顔をそらされた。

困ったなと頬を掻く大和。側で二人の様子を林冲がハラハラ見守っていた。

 

「ちょっとした事情があるんだよ」

 

「それ、どんな事情かな? 興味あるなあ。私」

 

「それは言えない」

 

へえー。ほーう?

 

重い相槌。

険悪な雰囲気に、林冲は今にも泣き出しそうにしている。

 

「大和が転校生をターゲットにして口説いてるーって噂があるよ」

 

「まったくの事実無根」

 

一体誰がそんな噂ばらまいてるんだと、大和は憤懣やるかたない。

それを見て、弁慶の険が少しだけ和らいだ。

 

「証明できる?」

 

「証明は出来ない。けど信じてほしい」

 

浅からぬ仲じゃないかと、口で言わずとも眼で主張する。

「まあねえ」と弁慶は相槌を打った。

 

大和を見つめる眼にもはや怒りはない。

短い沈黙の後に、弁慶は言った。

 

「……じゃあ、とびっきり美味しいもので手を打とうかな」

 

「いつものよりも?」

 

「いつも以上に」

 

まずかったら承知しないよーと、普段の調子に戻った弁慶。

大和はほっと息を吐いた。

 

いつも以上に、と言うのは随分な難題だが、それで弁慶の機嫌が直るというなら安いものだ。

大和の快諾を受けて、弁慶はニヤッと笑う。

それで険悪な雰囲気は完全に雲散した。

弁慶は軽快な気配のまま口を開いた。

 

「でも、実際噂されても仕方ないと思うけど」

 

「は?」

 

「私は見ての通りだし、義経とも仲がいい。与一に至っては学校で一番気が合うんじゃないの?」

 

橘とも蜜月重ねてるみたいだし。

 

顔の前に一升瓶を掲げる弁慶。

たっぷり入った液体の向こうで、大和の顔がぼやけている。

 

大和は困惑した様子で反論した。

 

「弁慶とは部活仲間だから、仲良くするのは当たり前だろ。義経は俺だけじゃない。みんなと仲良いじゃないか。与一は……。まあ、気が合うけどさ」

 

現役の中二病と先達。

毒を食らわば皿までである。過去の黒歴史はもはや取り返しはつかないのだ。

 

「橘さんとは勉強で――――」と続ける大和を弁慶は遮る。

 

「ほら、そういうとこ」

 

「え」

 

「そうやって必死に弁解してると何だか怪しい」

 

苦虫を噛み潰したような表情の大和。

どないせーちゅうねん。

内心のツッコミは飲み込んだ。

 

その表情を見て、弁慶はにやにやと笑っている。

余計に大和の顔は歪んだ。

 

とにかく、そんなつもりは欠片もないからと答えるにとどまる。

実際、本当に、まったく、神に誓って、転校生を口説いてなんかいないのだから、そう言うしかないのである。

 

「ま、私は大和を信じてるけど。転校生が来るたび、いの一番に親しくなってたら、そう噂されても仕方がないよねってことだよ。しかもちゃっかり告白までされてるし」

 

もうそこまで噂になってるのか。

心無い罵倒に心痛めている間に、随分流布されたようだ。

 

林冲の頬が染まるのを横目に、大和は頭を抱えそうになった。

 

「よっ。色男」

 

「……ありがとう」

 

これは弁慶なりの忠告だろうか。

あんまりやってると睨まれるぞと。もうとっくに手遅れな気がする。

 

「じゃ、今日は帰ろうかな。お邪魔虫みたいだし」

 

「あ、いや、そんなことは全然」

 

なぜか、林冲が引き留めるように言う。

話題の名残で、その顔はまだ若干赤い。

 

引き留められた弁慶は意外そうな顔をした。

 

「じゃあ私いてもいいの?」

 

「それは……。いや、いてもらって構わないのだが、話を聞かれるのは困るというか……」

 

弁慶は苦笑する。

ならいないほうがいい。

 

「じゃ、大和。つまみ楽しみにしてる」

 

「任せてくれ」

 

一升瓶を手に去っていく弁慶。

それを見送る一同。

 

見えなくなった所で、楊志が言った。

 

「話は中で」

 

楊志の言葉に従って林冲たちは部屋に入っていく。

大和も続こうとして、何となく部屋の入り口を見上げた。

 

馴染みのある変哲の無い扉だ。ドアプレートには何も書かれていない。

この外見から、中の和風感を察するのは土台無理な話だろう。

 

大和は視線を下に戻す。

また説明することになる。盧俊義のことや工藤のことを。

今日はやけに疲れる一日だ。

 

一度溜息を吐いて、喝を入れる。

今日何度目の喝かはわからない。

でもこれで最後になればいいと思う。少なくとも、今日の喝はこれで終わりであってほしい。

 

中から林冲の感嘆の声が聞こえる。

史進の口笛も聞こえた。

 

茶室に感動しているらしい。

大和は微笑んで中に入る。とりあえず、そのリアクションが見たかった。

 

 


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