土曜日だった。
その日、直江大和は午前9時の三十分前に駅前にいた。
おろしたての服を着て、普段より二十分も長く鏡の前に立ったおかげで髪のセットは完璧だ。
服のコーディネートに至っては京から『GOOD』の太鼓判を貰っている。もはや己の出で立ちに疑いの余地はない。
駅前の雑踏は休日だからか私服姿の若者がほとんどである。
喧騒に耳を傾ければ、賑やかで姦しい声が所かまわず聞こえてくる。
これだけ人がいるのなら中には知り合いもいるかもしれない。しかし今の大和にはそんなことを気にかける余裕はなかった。
そわそわと周囲の様子を気にして、しきりに腕時計を見る。
思い煩うかのように息を吐き、かと思えば突然凛々しい顔つきになる。
今か今かと視線を惑わせている辺り、何かを待っているようだった。
そんな様子を、少し離れた所から武松と公孫勝が見ていた。
「あれはデートだね。間違いない」
「そうなのか」
二人はカフェのテーブル席から大和のことを見ている。
ひじ掛けにもたれて涅槃仏の様な体勢でありながら、慧眼にも看破した公孫勝が厭らしい笑みで「邪魔してやろうか?」と姦計を巡らせていた。
対面する武松は大和の恋路にあまり興味もなく、ミラクルジャンボデラックスパフェとか言う常識を疑う物を食している。
色とりどりのフルーツと生クリームがたっぷり乗ったそれは、2リットルのペットボトルほどの大きさもあった。
作る方はもちろん食べる方も正気ではないだろう。本来なら四~五人で食べるはずのそれを一人で食べ進める武松を、公孫勝は「こんなんよく食うよ」と呆れた目で見ている。
「さあて、誰とデートかなあ。これはきっちり観察しないといかんよねえ」
「……」
ともすれば馬に蹴られるのではないかと言う程の野次馬根性をさらけ出す公孫勝。
無言の内に既に半分ほどを平らげている武松。
朝も早く、店内に客はこの二人だけだったが、店の奥から店主らしき人物がうっとりした顔を覗かせているのはホラー映画のワンシーンのようにも見える。
公孫勝の耳に誰とも知れぬ「いい……」と呟く声が聞こえた。自然と頬が引きつる。
「……武松。それ早く食べろよ。なんかここやべえよ」
「まって」
「まてないー」
「まって」
「はーやーくー」
武松の横に移動してその服を引っ張って急かす。
その様は駄々をこねる子供のようで、武松も慣れているからあまり相手にしない。
しかしながら、それが微笑ましい子供の我が儘だと思えない人間も一定数いるようだった。
「ああ……あの子も、いい……」
ぞわわと悪寒が走る。
「ほら見ろ。なんかロックオンされた!」
余程パフェに集中したいのか、公孫勝の嘆き混じりの声を半ば鬱陶しそうにしながら、武松はチラリと店主を見た。
「敵意は感じない」
「悪意は?」
「知らない」
ギャーギャーと本格的に騒ぎ始める公孫勝。
武松はパフェばかりに目を奪われ、公孫勝のことを努めて無視する。
店主は店の奥から二人のことをねっとり見つめていた。ただただ見つめるだけで、近づくことすらなかったが、それが余計に公孫勝には恐ろしかった。
9時の五分前になった。
約束の時間までもう間もなくである。
大和はなるたけ背筋を伸ばし、少しでもいい男に見えるようになけなしの努力を始めた。
引っ切り無しに人が行き過ぎる中、ある方向から人のどよめきが聞えたような気がする。
そちらの方向を見ると、満面の笑顔の燕が手を挙げながら大和の方へ駆け寄ってきている。
人の往来は変わらずだったが、燕の姿はこれだけの人がいてもひときわ目立っていた。
「お待たせー」
私服を見るのは初めてだった。
ボトムスはジーンズを履き、トップスは花びらのようなフリルが付いた黄色いブラウス。
いつもより少し背が高く見えるのは、踵の高いサンダルの様な靴を履いているためだった。
当然のことながらよく似合っている。
もう少し時期がずれていれば薄手の衣服も見れたのかもしれない。そう思うと口惜しさが募るが、目の前の格好がダメということではない。むしろ良い。とてもいい。
「今来たところです」
「まだ何も聞いてないんだけど」
気持ちが逸りすぎて先手を打ってしまっていた。
燕は大和の格好をじろじろと見つめる。
「ふむふむ」と人差し指を顎に当ててさえいる。
よくよく観察されたその上で「似合ってるよ」と微笑みながら言われて、大和の胸はときめかずにはいられなかった。
「そうですか?」
「うん。普段制服ばっかり見てるから、私服姿はやっぱり新鮮だね」
「燕先輩も似合ってます」
「ありがと」
華が開くような笑顔だった。
もう死んでもいい。世迷言だが半ば本気で考えた。
「じゃ、今日はどうしよっか?」
「行きたいところとかあります?」
「んー……。一応あるけどね。でも大和くん。考えてきたんじゃない?」
「お見通しですか」
頭を掻く。
今、大和の脳内には全身全霊で考えたデートコースがある。
いくつものプランに分かれ、状況によって柔軟に予定を変えることが出来る優れもの。
「じゃあ大和くんのエスコートにお任せっ」
言いながら、燕は腕を組んできた。
ふわっと良い匂いが漂い、腕には胸の感触が伝わる。
顔がだらしなく緩みそうになって、鋼の理性で堅持した。
「電車に乗りましょう。切符は買ってあります」
大和自身は気が付いていなかったが、口調が上擦っている。
緊張すまい緊張すまいと意識して、むしろ逆効果になっていた。
それを聞く燕がにんまり笑みを深める。
良い日になりそうだと両者ともに思っていた。
大和は燕に一つ頼みごとをされていた。
工藤の戦っている所。その映像をどうにか入手したい。
天神館の誰かに頼んでくれないかと。
快く引き受けた。
燕に貸しが出来る。それだけでその頼みを聞く理由は十分だった。
大友にメールを打つ。
返事は早い。
『あるぞ』
とんとん拍子に話は進んでいく。
映像はいくつかあって、それぞれメールで送れる容量ではないらしい。
そうなるとネット上でやりとりすることになるのだが、セキュリティのことを考えると忌避感が働いた。
これが自分の映像なら好きに出来るのだが、他人の映像をやりとりするのだから、もし流出でもしたらと良くない方面に考えてしまう。
だから、土日を利用してこちらへやってくると言う大友焔の言葉は、大和にとっては喜ぶべきものだったが、九州からわざわざ遠く神奈川までご足労願うのはあまりに申し訳ない。
『なあに。気にするな。丁度用事があるのだ。直江くんにも手伝ってもらいたい』
そう言うわけで、大友焔が川神にやってくる。
到着予定は午後。もちろん大和は迎えるつもりだ。故郷の良い場所を案内するつもりもある。
そのことを燕に伝えたら「じゃあ私も」と一緒に迎えたいと申し出てくれた。
断る理由はない。ただ「ついでにデートしよっか」と言う提案は、大和にとって望外の喜びであったことを隠すことはできないだろう。
◆ ◆ ◆
闇から光に出た。
大仰な言葉が自然と胸の内に湧き昇る。
何てことはない。暗い場所から明るい場所に出た。ただそれだけのことだったが、閉塞感からの解放は思った以上に晴れ晴れとした気分にさせてくれる。
隠形と言うのは忍者が用いる術だったか。どちらかと言うと呪術の気がする。なら京都の方だ。
どっちが元でもスニーキングミッションに代わりはない。
意味不明なほど厳重な警備を掻い潜り、足音一つ鳴らさぬよう気をつけながら進んだ。残念なことにそこまでして得られたのは微々たるものだったが、その分達成感はすさまじく、今足音を響かせ歩けているのはかなり気持ちが良い。
不思議なことにある程度往来があるはずのトンネルは、今この時に置いては誰の姿もない。これもまた時の運だろうか。
トンネルを抜けた先には地上へ向かうエレベーターが待っている。
大扇島へと至るための唯一の道だ。監視カメラを始めセキュリティ面は万全を期している。だがあると分かっていれば抜けられる程度の物でしかない。あえて今それをする理由はないけれど、それすら封じる程の手間はここには加えられていない。加わっているのは地下の方だった。
結局トラブルの一つもなく外へ抜け、一歩踏み出した途端、潮の香りが胸いっぱいに広がる。
海が近い。そもそもこの人工島は海の真ん中に作られている。目の前には九鬼極東本部と言う馬鹿でかいビルがそびえ立つ。自然豊かではあるがあれで景観を台無しにしている。
小さな人工島にあんなに大きな物があるのは心配だ。具体的には地震とか。
九鬼のことだからしっかり対策はしてあるのだろうけど。液状化にはどういう対策をしたのだろう。ヒュームが地下100メートルまで水分を蒸発させたとかだろうか。ありえそうな話だ。
さて、どこにいるのか。
人を探して辺りを見る。周囲には人の数が多くあったが、目的の人はいない。
人の数は観光スポットでもあるから当たり前のことだろう。最近はなんでもあの建物に三度願えば叶うと言う都市伝説まであるようで、一層多くなっている。どうせ願うなら流れ星か月にでもしておけと思うが、一過性な流行にそんなことを言っても意味がない。あんなものに願うなど個人的には願い下げぐらいに考えておく。
しかし、こうもカップルやらが多いと言うことは近くにあの人はいないのだろう。
あの人が出歩くと、警備やらなんやらで周囲の人間は追い立てられる。
だとすると建物の中か。取りあえずの見当をつけ歩き出し、ポケットの中で携帯が震えた。
ご依頼人かと思って携帯を取り出す。残念ながら予想は外れ、着信は直江君からだった。
携帯を揺らして考える。
あまり時間はないが、彼のことに関しては優先度が高い。そもそもいつでも連絡しろ的なことを言った気がする。
待ち人には多少待ってもらうことにして、電話を取ることにした。
「はい」
『あ、でた』
出て早々意外だと言う調子の挨拶が来た。
出ないことを見越していたらしい。
さて。そんなに信用がないのか。やってきたことを考えるとさもありなん。
「んー。なんかあったの?」
『いえ。何度か電話したんですが、出なかったので。もう出てくれないのかと』
「電波の届かないところにいたんだよ」
嘘じゃない。
ついさっきまで地下深くに潜っていた。
携帯の電波は届かなかっただろう。
『そうなんですか。じゃあちょっと代わりますね』
「誰に?」
『大友さんに』
その時の俺はきっと苦々しい顔をしていたに違いない。
実際切ろうかどうかかなり迷った。
しかし直江君が大友に代わるということは、きっとあいつは川神に居る。
なら今逃げても後回しにするだけで根本的な意味はない。ならここで受けて立とうと、電話向こうの雑音に耳を傾けていた。
『もしもし?』
大友の声がする。
「おお、どうした大友。ひょっとして川神に――――」
『どうしたもこうしたもあるかぁ――――!!!!』
鼓膜が破れるかという程の絶叫。
電話越しにここまで出来るのはある種才能のような気がする。
向こう側の声音はこちらの比ではないだろう。花火の音とどっちが凄いかな。
『授業も受けずに何を油を売っているのだッ!! 早く福岡にもどれぃ!!』
「いやあ。油売ってるわけじゃないんだけど」
『言い訳無用!!』
あー。これ話になんないわ。
早々真面に相手することを諦め、適当に返事をしてあしらい始めた。
大友は頭に血が上って俺のおざなり感には気づいていない。
これでは石田のことを笑えない。あるいはこの二年で毒されてしまったのか。
『ふーっ、ふーっ』
荒い呼吸が聞こえてくる。
多少頭も冷えたのだろう。そこからまた絶叫が響くことはなかった。
『ほむ。満足した? 代わって』
『む……』
会話が聞こえる。
大友一人で川神くんだりまで来たわけではないようだ。仲の良いことだ。
『久しぶり。先輩』
「おお。ハルハル。おひさ」
この声は姉の方のハルだ。
弟のハルはもうちょっと幼い感じの声音。
比べて姉は少し利発っぽい。少しの差ではあるけれど。
『さて。私たちは今どこにいるでしょーか?』
「川神」
『正解! というわけで先輩を連れ戻しに来たよ』
「そりゃまたご苦労だな」
『他人事だね』そう言う尼子の後ろで大友の声が聞こえる。『他人ごとではないぞっ』
すぐ近くで聞き耳を立てているようだ。
もしかしたらスピーカーにしているのかもしれない。
だとしたらこの会話は筒抜けか? もともと俺の携帯は盗聴されている恐れがあるからあまり変わらないけど。
「そんで? 館長からお達しでもあったか?」
『安心して。館長は放っとけって言ってたよ』
「そりゃよかった。川神であのおっさんと喧嘩してらんないからな」
あの人も最近は鍛え直して全盛期に近い実力だ。
一回負かすととんでもない速度で強くなるのは壁越え連中のお約束になっている。
『でも出席日数がやばいことに変わりないけどね。そこで私たちが連れ戻しに来たってわけ。先輩その辺忘れているような気がしてね』
『感謝せい』
尼子のいらぬお節介には苦笑が浮かぶ。
大友のやけに横柄な物言いにはイラッとする。
だがどちらも俺の出席日数を心配してここまで来てくれたのだから、感謝の気持ちを持って素直に言うことにした。
「大きなお世話だ」
『んなっ!?』
『あはは』
反応は二極化している。
もちろん前者は大友で後者は尼子。
またしても気炎上げる大友に付き合う義理はなかった。
「二人ともこの後は観光か? 美味いラーメン屋ならたぶん直江君が知ってるよ。観光楽しんでな」
『無視するな!』
大友は少し人目を気にするべきだ。
駅前だろうそこは。そんなところで何を騒いでいるんだ。
「ああ、それと。俺のデータが欲しいのなら、俺に言ってくれればいつでも渡せるぜって松永に言っといて。用意はあるから」
そんじゃよろしく。
電話を切って電源を落とす。
途端静かになって僅かに寂しさを感じる。
久しぶりに話した後輩コンビだったが、折り悪くこれ以上時間をかけられない。
あの二人は週明けには帰るのだろうから、きちんと話す時間は若獅子戦までありそうにない。
だが大友は随分怒っていた。関係の悪化を見過ごせるほど安い間柄ではない。コーラをダンボールで送れば機嫌治してくれるだろうか。
携帯をポケットに入れて気づく。静かだ。
さざ波の音。鳥の鳴き声。葉擦れの囁き。
それ以外に何もない。ありえないとは言わない。だが驚いた。
周囲からひと気がなくなっていた。
あれほどいた人間が、少し気を逸らした合間に神隠しのように。
誰かがやったのは間違いないが気づかなかった。
遠くに意識を逸らしていたから。油断していたから。言い訳にもならないな。
ため息を吐いて真剣に周囲を探ると、潮風デッキで風に吹かれながら座る男が一人だけいた。
時間はとっくに夕方だがまだ日は高く昇っている。黄昏ると言うには少し早い。単純に日本の空気を楽しんでいるのだろう。
「お待たせしましたか」
「おう。待った待った。三分待ったぜ」
特徴的な銀髪と額に残る十字の傷跡。
高そうなスーツなのに胸元を着崩している。
顔立ちは大人のそれだが、実年齢よりだいぶ若く見える。こう見えて子供三人――――一人は成人して――――いるのだから、相応の年齢だ。
名前を九鬼帝。九鬼揚羽、九鬼英雄、九鬼紋白の実の父親で、九鬼財閥統帥。
「そうですか。お忙しいのに申し訳ないですね」
「ふん。俺もなんだかんだ忙しい。この三分でざっと一億くらいか。どう落とし前つける?」
口調はいつも通り軽薄だが、具体的な数字を出すあたり、怒っているのか茶化しているのか。判断に困る。
「なんですかそれ。何かありましたか」
「ああ。いや、待つのはいいんだが、この三分があればもう少し局とイチャイチャ出来たかと思うと少し怒りが湧いてな」
「へえ。愛妻家ですね」
「お前が言うとどうにも嫌味に聞こえるな」
言った切り会話は途切れ、海に目を向ける。
心地のいい風が吹いている。この人はこうやって日本の空気を堪能するのが好きらしい。凪よこいと思っても都合よく来てくれるものではない。何も邪魔するものなく時間はゆっくり過ぎていく。
「いい風だ。やっぱ日本は落ち着くな」
帝様がじっくり堪能する間、側で待機する。
背筋を伸ばし、油断なく周囲を探り、微動だにしない。邪魔にならないよう気配も薄めた。
ああ。昔の癖が残っている。
「で、一億どうする?」
「しつこいですね」
「隙を見せれば徹底的に突かれるのが大人の世界だ」
「怖い怖い」
さて、どうするか。
本気で言ってるわけじゃないのは分かってる。
用意が出来るまでの暇つぶしだろう。
この人の好きそうな言葉を返すか。素直に返答するか。九鬼を去った身分で一体どこまで考えているのだろうか。馬鹿らしい。
「では貸しと相殺で」
「ん? 何か貸しがあったか?」
「前に、深海で」
「ああ」
得心いったと破顔する。
そしてすぐに不思議そうな顔になった。
「だが、ありゃあ金はちゃんと払っただろ?」
「あれっぽっちじゃ足りませんよ。深海1万メートルからの脱出劇なんて、契約書には書いてませんでした」
「おかげで中々ないスリルだった。確かにもう少し金払い良くしてもよかったな」
他愛の無い会話が続く。
昔からこの人との距離感はこんな感じに落ち着いている。
馬鹿な大人であると同時に尊敬できる部分も確かにある。だけどそれは決して言葉には言い表さない。出したら調子に乗るだろう。そうなったらクソむかつく。だから一生こんな感じかもしれない。
会話の隙を縫って気配が近づいてくる。
「帝様準備が整いました」
「おお。早いな」
やってきたのは燕尾服を着た黒人。名をゾズマ・ベルフェゴール。従者部隊序列4位の実力者。
俺にとってはヒューム枠、つまり糞爺枠に入っている。一応昔の上司。
「ゾズマさん。アフリカどうしたんすか」
「最近川神が何かと物騒でね。私も召集されたんだよ。しばらく留まる予定だ」
「大変ですねえ」
「一番物騒な奴が目の前にいることを思うと頭が痛いがね」
「日本の頭痛薬は半分優しさで出来てるのが効能良いらしいっすよ。買ってきましょうか」
「結構。九鬼印が一番効く」
この会話で何が衝撃かと言うと、ゾズマが頭痛薬を飲むことが一番衝撃的だった。
あるいは愛社精神からくるただの冗句かもしれない。
この人のギャグがピクリとも笑えないのはリーさんに通ずる。
「おいゾズマ。やっぱり愛妻家としては一分一秒でも妻との時間を大事にしたいって思うのは何より大切なことだと思うが、お前はどう思う?」
「同感です。その時間を邪魔するような輩は爆破して構わないと思いますね」
「だってよ。はっは」
まだその話題引っ張る気かよ。
「俺には妻がいないからその気持ちはわかりませんが、さっきの電話は後輩からでしてね。先輩風吹かせたい気持ちを察してもらいたいものです」
「その後輩は女か?」
「男。途中から女です」
「なら許す」
至極真面目な顔で頷いた帝様はニヤリと厭らしく口元を歪ませる。
「出会いは大切だぜ。大事にしろよ。社会に出たら誰彼構わず打算で寄ってくるからな。自由に恋愛できるのは学生までだ。出来ることなら学生の内に女をゲットするのが望ましい」
それは金持ち限定な気がする。
宝くじ当たった途端、銀行員から投資の話を聞かされるようなもんだろう。ほんとクソ。
ま、こういう話は適当に乗っかっておいて問題ない。よいしょよいしょって上げておく。
「身につまされるお言葉だ。帝様は良い伴侶を得られているから」
「そうだろ。なにせ局は最高の女だ。俺はつくづくラッキーだった」
「そのくせ移り気も多いときた。確かリーさんも狙ってるんでしたね。いい加減にしろよ糞親父」
「おいおいそれは内緒にしとけって言ったろ」
「愛妻家として、聞き逃せませんな」
すかさず横やりを挟んできたゾズマ。俺の暴言については不問に付されたようである。
帝様は一見いつもの糞むかつくニヒル顔だったが、それが精一杯の強がりである証に頬が痙攣していた。
「俺は局一筋だ。信用できないか?」
「前科がありますからね」
「二度と紋白泣かすな」
「おっと……そうだった……」
最近入社した若者ならともかく、古くからの社員は誤魔化せない。
新人の中には帝様を必要以上に美化する奴がいてもおかしくないが、その幻想も早々崩れることだろう。
「帝様には今まで以上に局様を愛していただくこととして、お早く移動をお願いします」
「おーけー。あー……藪蛇だった……」
先頭にゾズマ。真ん中に帝様を置いて、殿を俺が続く。
豪華絢爛なエレベーターに乗り込み上に向かう。
「聞いていると思うがね。工藤祐一郎。お前にはこれから帝様の護衛についてもらう」
「契約書には目を通してますよ」
「なら大丈夫だな。念を押すが、最優先は帝様の身の安全。あらゆる手段をもってお守りすること」
「今回は潜水艦の時見たく運悪く故障なんてこともないとは思うがな。任せたぜ」
肩をすくめる。
正直今回の依頼は深海に比べれば万倍簡単だと言う気持ちだ。
あの時はとんでもない水圧に押しつぶされないよう浮上しなければいけなかった。今回は最悪死なない程度に落下すればそれで済む。
「あの時はさすがに肝が冷えました。やはりヒュームをつかせるべきだったと」
「結果として五体満足で生きて戻れたんだから、十分役に立ったと思うけどな」
「ええ。その実績を買ったからこその今回の依頼です。深海1万メートルに比べれば衛星軌道からの生還など赤子の手を捻る様なものでしょう」
軽く言ってくれるゾズマに対し、帝様は声を潜めて訊ねてくる。
「……と、ゾズマは言っているが?」
「どうせ待っていれば地球に落ちますからね。最悪でも放射線と落下の衝撃に気を配るだけですから」
「まったくお前たちは頼りがいがありすぎるな」
帝様はやれやれと首を振る。
常識的にはありえない話だが、壁越えと言うのはそう言うものだ。今更言うまでもない。
「しかし今回は試作ロケットの最終試験です。万が一にも故障はありえません。あるとするならヒューマンエラーですが、統帥が同乗するということで通常以上のチェックが入っています。正直帝様がわざわざ乗られる必要もないのですが?」
帝様の我が儘が働いた今回の一件は、なぜか俺が駆り出されている。
宇宙の彼方に放り出されても無傷で帰還できると言う条件が厳しいのは分かるのだが、わざわざ俺に声がかかる理由は不明だ。
九鬼にはヒュームがいるし、なんならこのゾズマでもそれは可能だろう。というか従者部隊の序列一桁はあずみさんを除いて全員出来るはずだ。
「なあに。たまには宇宙旅行も悪くねえ。それにこういう危険を伴うやつは一番偉い奴が身をもって安全を確認して行かねえとな。後に続く奴が安心できないだろ?」
「一理ありますが、ならば揚羽様でも良かったのではないかと。あの方ならば何があっても単身生還できます」
「むしろ小十郎が死にかねんな。ま、あいつだって最近は中々忙しい。後は単純に俺が宇宙に行きたいってだけだ」
「ふっ……帝様の我が儘にも困ったものだ……」
あえて聞こえるよう言ったゾズマに、帝様は悪びれもせず笑みを浮かべている。
そうこうする間に、エレベーターは最上階に止まった。
屋上にプロペラを回転させたヘリコプターが待機している。
「後は任せたぞ」
「給料分は働きます」
乗り込む俺にゾズマはニヒルに笑った。
「給料分以上に働けば、帝様や私の覚え愛でたく重宝される――――そう言う考えはないのか?」
「労働搾取を重宝と言い換えたところでまったくありえない話です」
「まったくいけ好かないな、お前は」
ヘリが飛び立つ。
極東本部が遠ざかり、ゾズマの姿はすぐに見えなくなった。
この調子では何分もかからずに川神から出るだろう。
対面に座る帝様は調子良さそうに眼前の景色を眺めている。
ヘリの中はエンジン音が大きくて会話しにくいが、聞きとる分にはどれだけ小さくても問題もない。俺が少し声を大きくすれば成り立つ。
「宇宙には何のために行くんですか?」
「そこに山があるから登るのと同じで、頭の上に宇宙が広がってるなら当然行くしかねえだろ」
答えになっていない。
納得できないと肩をすくめる。帝様は笑って言葉を重ねた。
「ぶっちゃけて言うとただの浪漫だ」
「浪漫は行動原理になりえますか」
「なるなる。俺は俺のしたいようにしてきた。で、ここまできた」
欲望一つで世界一の財閥を作り上げた手腕には敬服する。
爺共で言う所の英雄だと認めることに否やはない。この人はそう呼ばれるだけのことをやってのけてきた。
「つってもお前も似たようなもんだろ」
「これでも大分ブレーキかかってますが」
「好きな時にブレーキ踏んで、好きな時にアクセル踏みこめるようになれば一人前だ」
そんなもんだろうか。
ブレーキとアクセルの使い分けは中々難しそうだ。
間違って両方踏めばスリップしてしまう。今まさにスリップしかけている気もする。
「ま、お前はまだ若いからな。ゆっくり学べ。……なんなら九鬼に来るか? 手取り足取り教えてやるぞ」
「願い下げです」
「ふん……ま、いいさ。気張れよ若人。大人たちを唸らせるぐらいにな」
ヘリは飛ぶ。
どこに向かっているのかはわからない。
ただ俺たちの目的地は宇宙だ。それだけ知っていれば十分だろう。
そこに浪漫など全く持って感じはしないけれど。