西方十勇士+α   作:紺南

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三十八話

このところ林冲と言い争うことが多くなった。

剣華は振り返り思う。

 

梁山泊に居た頃、誰かと争うことなどほとんどなかった。

人との関わりは薄く、日々を鍛錬に明け暮れ、時たま命じられるままに任務に同行し、何を考えることもなく敵を屠った。

故郷に帰れば労をねぎらわれ、また鍛錬の日々である。

若くして百八星に選ばれた剣華を慕う人間は多く、口喧嘩をしようと言う人間は一部を除きいない。むしろどうしたらそこまで強くなれるのかと教えを請いに来る人間にむず痒さを感じる始末であった。

育ての母が生涯現役を有言実行してしまったから遅れただけで、本来なら最も早く星を継いだのは剣華のはずである。

 

然るのちに天勇星を継ぎ、過去に増して人との接触は減った。

宋江を始め幾人としか言葉を交わさず、喋ったところで口から出る言葉は意味のない相槌かYESのみ。その様はまるで機械のようだと剣華は改めて思う。

公孫勝のような趣味はなく、武松や史進のように戦いに魅入られることもない。楊志のように耽るものすらなかった。

ただ食べて寝る。

それ以外は自然に浸かった。

深山幽谷。雄大な自然の中に身をやつし、その自由気ままな空気の中で癒される。

人の世に出ることを義務とすら感じていたあの頃は、自分は死んでいるも同然だったのだ。

 

比べて今はどうだろうか。趣味はない。殺し合いには嫌悪すら覚える。耽るほどの出会いは依然としてない。

それだけ見ればあの頃とさして変わっていない。だが明確に変わっているものもある。それが何なのか詳らかにしようなどとは毛ほども思いはしないけれど、それが良いことであるのは感覚で理解していた。

 

そのように過去を振り返る剣華。

過去に飛んでいた意識を引き戻そうと言うように、あまりに近すぎる距離から声がかけられる。林冲である。

 

「お前を守るためなら何でもする。どんなことでも聞きいれる。私を頼ってくれ」

 

ソファに座った剣華の隣。身を乗り出す林冲は目と鼻の先にいる。

我に返った途端の一言。――――重い。

 

正直に言って邪魔であった。ごく自然に吐息がかかるこの距離感は絶対おかしい。

だが下手に邪険にするわけにもいかず、げんなりとした気分を深く息を吐くことで軽くする。それでなお吐き切れるものではなかったが、気分は幾分マシになった。

 

チェイサーから注いだ水でのどを潤す。上下する喉を林冲がまじまじ見ていた。

妙な居心地の悪さを感じる。こんなにも良い部屋なのに。

林冲たちが拠点に使っているホテルは最上階。リッチな場所である。5人で使っているから部屋が広い。

職人が惜しみなく技を使い、居心地のいい空間を作ったはずである。にも関わらず、これほどまで尻の据わりが悪いのは林冲のせいだ。もはや自分はこの水のためにここに居ると言って過言はない。逆に言えばこの水以外にこの部屋に良い所はない。水はただ美味い。

 

ふうと息を吐き、林冲を見る。

幼い頃、教えを請いに来た少女がその恩を返すと言うように隣にいる。

そのことに思う所がないでもなかったが、剣華の口からはお決まりの返事が出た。

 

「別にいい」

 

「なんで!?」

 

「燕がいる」

 

コップを傾ける剣華の隣で今にも泣きだしそうな林冲は、唇を噛みしめ低く問う。

 

「私じゃダメなのか……? 私だって、お前のためになら――――!!」

 

「重い」

 

「おもっ!?」

 

泣きながら自分を使えと迫る林冲を剣華ははいはいと躱し、やがて泣き疲れた林冲は眠る。

子供かこいつは。吐き捨てた言葉を口には出さず、代わりに林冲の頬を打った。

うーんと魘され寝返りを打つ。ぺちぺちと何度か続ける。起きない林冲はうーんと唸る。いい気味だ。

ある程度満足した所でお姫様だっこでベッドまで運ぶ。健やかな寝顔を見せる林冲に布団をかけてやる。

こうやって無事この日の争いは終わりを告げた。

 

「懐かれてるねえ。林冲に」

 

隣の部屋からやってきたのは楊志。

真面目な口調だがその頭にはパンツを被っている。純白のパンツだ。今日は誰のパンツだろう。

お気に入りは林冲のはずだから林冲のパンツだろうか。

いや、待てよ。確か楊志には無駄なこだわりがあって、パンツを被るなら脱ぎたてが一番と憚らないはず。

ならばあのパンツは脱ぎたてか。そんでもって今ベッドに眠る林冲はノーパンか。

 

確かめる気にはならなかった。

同性の股間を見て滾るような性癖は持ち合わせていない。

至ってノーマルを自負している。

 

「……」

 

「なにかな?」

 

「いや……」

 

楊志の変態性は言及するだけ無駄である。スルーするのが賢明と言う物だ。

この水飲んだら帰ろう。

コップを傾ける剣華の対面に楊志は座る。

 

「すー……。はぁ……」

 

いつの間にか手に黒のパンツを持ち、あまつさえキメる楊志の変態っぷりに水が喉を通らない。

やむなくコップを置く。

楊志の鼻息と林冲の寝息。それと壁時計が時を刻む音。それだけしか聞こえないこの部屋には、剣華を含めた三人しかいない。

 

公孫勝と武松は直江大和の護衛についている。

武松がスイーツばっか食って困ると公孫勝から泣き言付きで連絡が入っていた。

当の直江大和はデートだそうだ。自然と甘い店が多くなるそうで武松の琴線が刺激されまくっている。そう言えば燕も今日はデートだと言っていた。

 

史進は川神院に出向いている。なんでも川神一子に決闘を申し込まれたらしい。

川神に来てからしばらく欲求不満が募っていた史進には願ってもないこと。我が意を得たとばかりに喜び勇んで飛び出して行った。

今頃は川神院に着いているはずだ。川神一子のみならず屈強な修行僧たちとも武を競い合っているだろう。運が良ければ、ルー師範代が稽古をつけてくれるかもしれない。かつて剣華にそうしてくれたように。

 

「林冲は、頼ってほしいんだよ」

 

「知ってる」

 

「なら、頼ってあげなよ」

 

剣華は答えない。

構わず楊志は続けた。

 

「確かに林冲がお前のことを見る目はちょっと行き過ぎてる所はあるけどねえ」

 

「私はレズじゃない」

 

「いやいや。そういうことじゃなくてさ」

 

分かっていて剣華は言った。楊志は茶化すなよと手を振った。

この会話の行き着く先が想像できる。昔感じたむず痒さと同じものが剣華の心をくすぐった。あれから何年経ったのだろうか。

 

「林冲は――――ファンはダメな子供だったからねえ」

 

あえて昔の名を告げる楊志。自然と剣華も過去に思いを巡らせた。

 

まだ誰も星を継いでいなかった頃。誰もが幼く未熟で、世界はおろか自分のことすら何も分かっていなかった頃。林冲は正しく無能だった。

それは誹りではなく事実として、林冲は異能を持ち合わせていなかったのだ。

異能は生まれ持った才能。当然持たない者もいる。持っていて発現しない者もいる。あるいは自分のようにコントロールできない者も。

林冲が今持っている異能は、死んでしまった同期から授けられたものだった。

 

「どこまで行っても、神童に憧れてるのさ。元々優しかったところでルオが死んで。守ることに固執するようになって。守れなかったことで拍車がかかった。今目の前で守れなかった関勝が困ってる。是が非でも力になりたいって思って不思議じゃないよねえ」

 

失敗を乗り越えるのに、林冲は真面目すぎた。

ルオの死も剣華の隠遁も、林冲には何の責任もない。

だと言うのに、自分がもっとしっかりしていれば守れたのだと自責の念に苛まれているのは、もはや何の罰であろうか。そこから救うことなど誰にもできないのではなかろうか。

 

そこが林冲の良い所であるし、悪い所でもある。周りがしっかり手綱を握れば、悪い方に転がることはあまりない。

今林冲が暴走気味なのは、手綱を握らなければけない人間がそれを手放しているからだ。

 

「適度なガス抜きすらしないのは罪悪感? それとも、他に頼れない理由でもあるのかな?」

 

「……」

 

楊志の口調は平坦である。

ともすれば問い質しているようにも聞こえるが、パンツを被りパンツを握りしめるその姿から真剣味は感じられない。

剣華は卓上のコップを見つめる。結露した雫が一粒、跡を残しながらテーブルまで伝った。

 

「帰る」

 

突然の宣言に楊志は面食らったようだった。

気にも留めずに立ち上がる剣華。出て行こうと言う直前で呼び止めてくる。

 

「関勝」

 

剣華は立ち止まり、ただ振り向きはせず言葉を待つ。

 

「もしあいつが来なかったらどうなってたかな」

 

主語が曖昧だったが二人には通じた。

その問いの答えは考えるまでもなかった。

 

「私はここにいない」

 

部屋を出る。

背中に楊志の声が聞こえる。

 

「それには答えてくれるんだねえ」

 

閉じた扉の向こうに答える術を、剣華は持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルのロビーに出た剣華は足元を見て歩いていた。

無意識の内にぶつかりそうな気配だけ掬い上げ、進路を変えて歩いている。

ロビーを半ばほど過ぎた時、受付から聞き覚えのある声が聞え、思わず足を止めた。

向いた先には二人の少女。片方がとんでもない物を担いでいて、なおかつそれには見覚えがあった。

凝視する剣華を目前に、用件を済ませたらしい二人が振り向き、揃って同じように固まった。

 

「む」

 

「あれ」

 

一言ずつ声を上げたのは大友焔と尼子晴。

剣華が天神館に通っていた頃の同級生である。

 

「こんなところで会うとは奇遇だな」

 

背中に大きな筒を二つ担ぐ大友焔。そこにいるだけで妙な圧迫感があり周囲の人間は自然大友を避けている。

比べて尼子は着の身着のままと言う感じであり、この奇妙な組み合わせは奇異な視線を集めていた。

 

「……どうしてここに?」

 

「うむ。観光だ!」

 

腰に手を当て胸を張る。

なぜそんなに威張るのか。

天神館にいた頃から不思議であった。こういう性格なのだと今では勝手に思っている。

 

「他にも用事はあったんだけどね。どうせダメ元って感じだったから」

 

尼子の捕捉は要領を得ない。

はてなと首を傾げる剣華に、それ以上付け足すことはないと尼子は何も言わない。

 

「橘こそこんなところでなにをしているのだ? ホテル住まいなのか? 豪勢だな!」

 

「違う」

 

知り合いに会いに来たと告げる剣華に、ふーんと相槌を打つ二人。

あまり興味もないのだろう。それ以上深入りもなかった。

 

「大友たちはここに泊まるつもりだったのだがな。川神院で面倒を見ていただけるということでキャンセルしたところだ」

 

「川神院?」

 

「さっきちょこっと観光にね。やけに強い挑戦者がいて盛り上がったんだよ。流れで泊まらせてもらえることになったんだ」

 

「鉄心殿のご好意だぞ」

 

やけに強い挑戦者とは恐らく史進のことだろう。

聞けば大友は手合せしたらしい。残念ながら負けたそうだが、馬があったとのこと。

特に言及する素振りを見せない辺り、史進は梁山泊とは名乗らなかったのだろうか。

 

「そう」

 

「橘もここにはもう長いだろう。美味いラーメン屋を知っているか?」

 

「ほむ。さっき食べたでしょ」

 

窘める尼子に大友は三食三杯ラーメンと言うのも乙ではないかと言っている。

尼子は勘弁してよと嘆いていた。川神に来てまでラーメン三食は悲しかろう。

何よりラーメンは福岡でこそ名物である。わざわざ遠く川神くんだりやって来て、故郷の名物を食べる理由は何もない。

 

「知らない」

 

「そうか。残念だ」

 

「ほむ。そろそろ行かないと」

 

「おっと。人を待たせているのだったな。では橘また会おうではないか」

 

それを最後に二人は出口へと去って行く。

雑踏の中に消える二人を見送った剣華にとっては思いがけない再会であった。

あの二人が観光に来ていることを工藤は知っているのだろうか。

ふと思ったがどうでもいいと思い直し頭を振る。必要とあらばあちらから接触しているだろう。

そもそもスルーしている可能性も高い。剣華の再三に渡るコールには一切応じなかったのだから。

 

剣華も止めていた足を進め帰途につく。

明日は燕と鍛錬の日である。疲れを残して臨むことは避けたい。

怪しい笑顔で「楽しみにしててね」と言っていたから、何か嬉しいことがあったのだろう。

工藤の弱点が見つかったとかそんな――――。

 

「……あ、そっか」

 

そこまで考えてはたと気づく。

点と点が線でつながり、頭の中を閃きが駆け巡る。

あの二人が川神に居る理由と燕の意味ありげな態度。

 

なるほど。

あの二人の訪問は燕の工藤対策の一環か。映像かあるいは情報を引き出したに違いない。

だとするなら、工藤はこの件には関与してこない。いくらあいつでも、自分を打倒するための準備活動にまで出張ってくるはずがない。

あいつはそう言う奴なのだ。好きに準備させ、好きに策を練らせ、いざ戦えば正面から打ち砕いてくる。それこそが上に立つ者の仕事とばかりに。

 

なんにせよ、あの二人の目的がそういうことなら、剣華にとってはもうどうでもいいことだ。

あの様子では接触しようとして出来なかったのだろう。

ならば自分は目の前の戦いに意識を集中することとしよう。

好きに準備させ、策を練らせ、その上ですべてを打ち砕いてくる。そんな相手に挑む戦いを。

 

剣華は一度うんと伸びをして歩き始めた。

不思議と軽やかな足取りであった。

 

夕日の沈もうとしている空には宵の明星がある。また一日が終わる。こうする間にも時は刻一刻と流れて行く。

あとどれほどの時間が残されているのか。

過去を思えば一月などすぐである。嫌だと思っても来てしまうだろう。

 

剣華は未来に思いをはせる。

過去ばかり見た今日の締めには丁度いい。

何より今は黄昏時。現と夢幻との境が曖昧になる時刻だと言う。

ならば多少夢見た所で罰は当たるまい。

 

そう言う心づもりで思い描いた未来は、何故だか分からないが悲惨な物しか浮かばなかった。あまりに幸先が悪いので剣華は胸に秘することに決めた。

 




直江大和君のデート模様や川神院での会話、川神一子ちゃんのことなど、書きたいことはあるのですが、ばっさりカットしていくことにします。
次回は多分ようやくあれです。その前に番外挟むかもしれませんが。

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