時は11月。
若獅子戦開催が公布されて約一月。
いつの間にか季節はすっかり秋になり山々は紅く染まった。吹き付ける風は肌寒さが増している。
しかしその場に集まる人間は興奮と期待で胸を膨らませ、寒さなど感じてはいなかった。
――――若獅子戦予選。その初日である。
選手にとっては一か月以上の準備期間が与えられ、各々が万全を尽くし備えてきた。
『運命は来るべくして来る。来たのなら立ち向かえばいい』
その言葉通り、まさしく来るべくして来た。その地に集った全ての武人はそう思っている。
誰も彼もが己の敗北など考えてすらいない。この力を見せる機会が来るべくして来た。今日を境に自分は世界に羽ばたくだろう。
根拠は何かと問われれば拳と答え、負けることは考えないのかと問われれば、おかしなことを聞くものだと首を横に振る。
溢れんばかりの傲慢さ。求めるのは勝利のみ。武人とはこうあるべきだ。世界最強はそう溢した。
世界から自信家が集った若獅子戦。
予選はA~Fまで六つのグループにわけられた。
予選会場にはドームが二つ用意され、A~Fまで順番に割り当てられる。予選が全て終わるまで計三日。
事前に対戦表が参加者全員に配られ、ネットでもアナウンスされた。
初日はAグループとBグループの予選が行われる。
戦いはトーナメント形式で進められ、シード権などはない。
どれだけ実績や名声があったとしても優遇されることはなく、決勝まで進んだ二人が本戦に出場できるルールである。
寒空の下各会場に人が押し寄せた。
チケットは全て予約制になっている。当日券などはないが、それでも朝早くから人が詰めかけていた。その混雑ぶりは大規模なコンサート以上の物であった。
高まる熱気。観客の目は何かを期待している。現代に蘇った英雄。決闘。どちらも簡単に見られることではない。
その日は天気が良いのが幸いした。それほど厚着にならなくとも、これだけ人が集まれば自然と暖かくなる。
今か今かと戦いの始まりを待つ人の群れの大きさは注目度に比している。人が多ければトラブルをも起きやすい。
そうしたことに備え、警察や警備員も動員されたが、集う人々は何も日本人ばかりではない。世界各国に大々的に宣伝したおかげもあり、様々な人種が多種多様な言語を携えてやってきている。警察や民間の警備員だけでは手に余る。それを見越し、各施設に九鬼家の従者部隊が配置されていた。何より九鬼家がこうなるように仕向けたのだから、そうすることは当然とも言えた。
A予選会場には審判としてクラウディオ・ネエロと川神鉄心が。B予選会場にはヒューム・ヘルシングとルー・イーがそれぞれ控えている。リング場で何が起ころうとも対処できるよう万全な態勢である。よもやこの人物らを前に不埒な行為に及ぼうとする人間もそうはいないだろうが、この他にも会場の至る所で九鬼は目を光らせていた。
それぞれの会場のリングの中央でクラウディオ及びヒュームが、公明正大なジャッジを行うことを主・九鬼帝に誓い、いよいよ予選は幕を開ける。
A予選において、最大の注目選手は義経である。
義経は4人いるクローンの代表的な人物として紹介されてきた。
弁慶と与一は義経の従者として紹介され、残り一人葉桜清楚に関しては九鬼は情報を開示することを拒んでいる。必然的にクローンの顔役として義経の名は広まっていた。
その理由の他にも、彼女は日本人が抱いている武士としての要素を数多く持っていた。
日本の武士を彷彿とさせるような凛とした佇まい。長い黒髪を後頭部で一纏めにしている。腰に刀を携える姿はまさしく武士娘。
外国人は彼女をサムライと呼び、その呼び名とは裏腹に年頃の可愛らしい少女が刀を持つ姿に興奮を隠せない様子であった。
グローバル化された世界に日本の萌え文化が広まって久しいが、アンダーグラウンドに留まっていたそれに一躍脚光が浴びせられた瞬間である。
義経一回戦の対戦者はロシア人である。
2メートル近い長身に鍛え抜かれた体つき。幼子の胴体ほども太い腕には自動小銃を持ち、足のホルダーにはナイフをしまっている。顔つきからして貫禄に溢れていた。対峙する義経の幼さが場違いに思えるほどである。
ひょっとして彼は軍人ではなかろうか。観客は誰しもそう思った。だとするなら義経は負けるかもしれない。いや、そもそも戦うことすら可哀そうだ。言葉にはしないまでも妙な緊張感が会場を漂い始める。
当のロシア人もまた微妙な面持ちでリングに立っていた。
有名なクローンと戦えることを光栄にこそ思う。しかし義経はあくまで日本の偉人。目の前の礼儀正しい少女が大昔に日本で活躍したサムライのクローンだと言われても実感が伴わなかった。
何より義経は酷く緊張している様子。ムリもない。これほどの大舞台は大人ですら逃げ出したくなる。
投げかけられる歓声に逐一反応し右往左往する姿は見ていて可愛らしく、同時に可哀そうでもあった。日本人らしいと言えばそれまでだが、目の前の少女のそれは少々度が過ぎているようにも思えた。
あの小さな身体に背負わされている重圧はいかほどのものか。華奢な身体でどれだけ受け止めれるものか。いくら珍しいクローンと言ったって、所詮は女の子じゃないか。まったく日本人は。HENTAI文化はネットの中だけにすべきだ。
ロシア人は手に持つ自動小銃――――AKをそっと撫でる。
義経の活躍を楽しみにしている観客には残念だろうが、この少女には一回戦で退場してもらうとしよう。
彼は何も義経をただの一般人と決めつけ嘗めてかかっている訳ではない。
6月に公開された東西交流戦の映像には目を通している。その映像の終盤で目の前の少女が刀を持った少年を一太刀で切り伏せたことも知っている。
義経の腰に差された刀。まさしくあれで、義経は己の武を世界に披露し、自分がクローンである事実を激烈な印象と共に世界に知らしめたのだ。
あのニュースを見て心踊らさない人間はいないだろう。
サムライと言う単語を何度も耳にした。かく言う自分もその一人である。
しかしそう思っていてなおロシア人は自分が負けることはありえないと結論する。
理由は簡単である。なぜならば自分は銃を持っている。そして義経が持っているのは刀だ。義経をサムライたらしめるその刀こそが、自分が決して負けない理由なのだ。
この大会において刀が刃引きされているのと同じように、銃もまた火薬の量を少なくし、銃弾はゴム弾しか使えない。だがそんなことは些細なことだ。いくら火薬の量を少なくしたところで、それでなお弾速は人の反射神経を超えている。
一発や二発なら銃口の向きで躱せるかもしれない。だが三発、四発、五発と延々続く弾丸は躱しきれるものではない。
もしそんなことが出来るのなら、それは人間技ではない。怪物の所業だ。怪物の――――。
彼はそっと周囲に目を配った。
義経と自分の間に立ち、開始の時刻を待っているのは第一審判クラウディオ・ネエロ。リングの外で朗らかな表情でこちらを見ているのは第二審判川神鉄心。
川神鉄心……。その名前を呟くと、彼の頭の中でこの大会に出場することになった契機がありありと思い出された。
――――人間を越えた怪物がこの世界にいる。
始まりはその荒唐無稽とも思える一言だった。
兵士の間で実しやかに囁かれる噂。眉唾ものだと思っていた。しかし聞いたのは部隊長の口からである。
それは一体誰のことか。訊ねる彼の頭にはドイツの猟犬、マルギッテ・エーベルヴァッハが浮かんでいた。
ドイツ軍の誇る猛将。彼女とその部隊が成した功績は、漏れ聞こえるだけでも信じられない物ばかりである。
彼自身、彼女をお目にかかったことがある。目の当たりにしたその武勇たるやまさしく怪物の名にふさわしい。彼女ならそう呼ばれてもおかしくはない。
だが違った。隊長は言う。怪物の名前は川神鉄心。川神院の長。世に言う武神。
名を口にしただけなのに、まるでおぞましい物を見たかの様に、真っ青な顔の部隊長は今まで見たことがないほど弱弱しく、頼りなかった。
それは酒の席での話である。ひょっとして悪酔いしただけかもしれない。そう思い、後日川神鉄心の名を口にした時、部隊長は再び顔を青ざめさせた。
彼は衝撃を受けた。あれほど熟練の兵士が荒唐無稽な噂を信じていると? まさかそんなはずはない。
疑念を抱いた彼は聞いて歩く。同期の連中は皆鼻で笑った。だが不思議なことに、軍の上層部ほどこの噂を信じているフシがある。
嘘だと笑う同期。本当だと言う上司。
疑念が募る。嘘か真か分からない。理性は嘘だと言っている。だが本能の奥底で獣が叫んだ。
悶々とする気持ちを忘れるために、彼は任務に従事する。だが忘れることは出来なかった。日に日に真実を知りたいと欲求は強くなった。
若獅子戦の噂が飛び込んできたのはそんなときである。
疑念を解消するには絶好の機会だった。こうなれば直接行って確かめる他あるまい。
彼にとって若獅子戦に参加した理由は優勝などではなく、怪物の正体を突き止めることだった。
そこに川神鉄心がいる。
今この銃を彼に向けて撃てば疑念は晴れるだろう。
だがもし彼がただの老人なら怪我をさせてしまう。当たり所が悪ければ死んでしまうかもしれない。しかし疑念が晴れるのなら――――。
彼は誘惑と戦った。
そして打ち勝った。彼を惑わせる誘惑は一つではなかった。サムライと戦える。それもまた抗いがたい誘惑だったのだ。
クラウディオが告げる。
「時間です」
コッキングレバーを引きセーフティを解除した。澱みなく滑らかな動作で銃口を義経に向ける。
照準器の向こうに見える義経はやはり緊張していた。だがその顔に恐怖は微塵も浮かんでいない。
この少女は銃を向けられた経験があるのだろうか。この小さな穴からどれほどのスピードで鉄の塊が飛び出すのか理解しているんだろうか。
例え理解していなくとも、彼に容赦するつもりはまったくない。これは戦いなのだから。
それにもし理解していないのなら、自分がここで勝つことが彼女を救うことになる。子供がボロボロになる姿は見たくない。怪我を負わせるにしても最小限に留める。選手全員がそう思っているとは限らないのだ。
「それでは」
指を引き金にかける。
照準器の向こうに見据える義経は目を閉じ大きく深呼吸をしている。
何度かそれを繰り返した末に開いた目は、鋭く冷たく凍えるほどの冷気を伴っている。それに射抜かれた瞬間、彼の身を恐怖が襲った。
「はじめっ」
クラウディオが合図を言い切る前に、ロシア人は発砲していた。
義経はそれを居合いで斬り裂く。
ばかなっ……!?
目の前の信じられない現実を受け止める暇もなく二発目を放つ。
銃弾は義経の額に狙い定められていた。しかし返す刃で弾かれる。義経は駆けだした。
迫りくる義経に向け、ロシア人は発砲を続けた。
三発、四発、五発目。
全て躱された。義経はその弾丸が全て額を狙っていることを見抜き、左右に身体を揺することで最小限の動きで躱した。
六発目は撃たなかった。間に合わない。速すぎる……!
彼は小銃を捨てながらナイフを抜いた。迫る義経に反撃しようと腰を落とし順手に構える。
白兵戦になるなどと欠片も考えていなかった。甘かった。理解していなかったのは自分の方だ。
現状、肉体的にはともかく、精神的には追い詰められている。
浅く呼吸を繰り返す。動揺を鎮め、反撃の機を探る。来るなら来い。返り討ちだッ!
勢いそのまま向かってくるであろうと言う彼の予測を嘲笑うように、義経は直前で大きく踏み込み身体を沈める。かと思うと、さらに加速する。
完全に虚をつかれてしまった。まさかここからさらに速くなるとは!
迫る義経の首にナイフを振ろうとした時には、既に義経は斬り終えていた。
上から下へ順に三斬。
まずナイフを持った手首を打ち、流れて腰を、最後に足を打つ。一瞬の出来事である。
彼の手から離れたナイフがリングを転がり甲高い音を鳴らす。
束の間唖然とし、すぐに激痛が走り立っていられなくなった。うずくまる彼をクラウディオが見る。
骨が折れている。戦闘続行は不可能だった。
「勝者、源義経!」
観客にとっても瞬く間の出来事であった。
始めと合図されてから何秒も経っていない。
銃を持った屈強な男に、華奢な体格の義経が勝った。
信じられない。だが現実そうなった。会場は大興奮に包まれた。
うずくまり痛みに堪える彼に、義経が心配で声をかける。
「だ、大丈夫ですか!?」
おろおろと取り乱す様は、事件現場に居合わせた女子高生のようだ。
だが彼は覚えている。開始の合図がされる直前、この身を包んだ感覚。あれは間違いなく殺気だった。
戦場でしか感じたことの無い殺気をこの小さな女の子が発し、ついには自分の手首を折ったのだ。
銃弾を斬り、弾き、躱し、目にも止まらぬ速度で駆け抜け切り刻んだ。これを怪物と言わずに何という。
――――いましたよ隊長。怪物が。
きっとこれを見ているだろう上司に向けて心の中で言う。
この映像を見て青ざめているだろうか。怪物は川神鉄心の他にもいる。考えたくないことだろう。
――――こんなに小さな女の子でも、俺なんか赤子の手を捻るようなもんですな。でもちょっと怪物って言うには可愛すぎますか。
自分を心配してくれる少女に向けてふっと笑みを溢す彼。
それを見て義経はほっと胸をなでおろす。
やっぱり可愛すぎる。これは憎めん。恐ろしくもなんともない。むしろもっと近くにいたい。
運ばれてきた担架を見て、もう少し遅れてくれば良かったのにと嘆いてしまう。
担架に運ばれ意識が遠のく。彼の瞼には最後までサムライと呼ばれた少女の顔が浮かんでいた。
そこから先、義経は然したる強敵とも当たらず順調に勝ち進んだ。
危なげなく準決勝に勝ち、無事に本戦出場を決める。
そして決勝の舞台で義経と相対したのは川神一子であった。
準決勝、一子は島右近と三十分に及ぶ激しい戦いで辛くも勝利を収めていた。
最後はこの二人による決勝戦である。
だが当初の規定通り、二人は戦わずリング上で顔を合わせるに留まった。
生放送などで見ている視聴者へ本戦出場者を披露する目的もあった。
観客たちの大歓声飛び交う中、Aグループ予選は無事幕を下ろした。