十二話を加筆修正しました。
展開自体はさほど変わりなく、以前より気にかかっていた部分を修正するついでの加筆です。
全体的に工藤君の意地の悪さが強調されました。
この加筆で矛盾点等ありましたら、感想などでお知らせください。
順調に勝ち進んでいる。
試合を終えた直後、選手控室にて工藤は一人思う。
すでに試合も大半を消化した。残すは数試合。この調子だと日が暮れるまでに終わるだろう。
最初は溢れんばかりに人の往来があった控室も、今はすっかり閑散としている。敗者は医務室か、あるいは自分の足で帰って行った。もう自分以外には誰もいない。
自動販売機の小さな駆動音、扉の外から微かに聞こえる人のざわめき。
一人だけ外界から隔絶されてしまったような気分に陥りかけたのを、スポーツ飲料でのどを潤すことで紛らわす。
次の試合までまだ少し時間がある。やることがないからこんなことを考えるのだ。暇つぶしもかねて、ここまでの道のりを振り返ってみた。
準々決勝まで来た。順調な道のりだった。この間然したる強敵はいなかった。
ネット界隈で激戦区とも評されたFグループ。しかし蓋を開けてみればこんなものである。
下馬評では優勝候補がたくさんいた。その内何人かと当たったが、すべて蹴り一撃。
まあ、こんなものだろう。ある程度予測された結果だ。
飲み干したペットボトルをゴミ箱に投げいれる。上手いこと入った。間の抜けた軽い音が聞える。
それから椅子に座って溜息を吐く。今の自分の気持ちを率直に表に出すならば、つまらないの一言だった。
世界中から強者が募ったはずの大会で、ここまで本戦に出場を決めた面子を見るとそのほとんどと面識がある。
何という狭い世界か。自分の周りだけで世界が完結しているなどと、おこがましいことは思わないし思いたくもない。だがこの結果を目の当たりにしては少々の悲観を抱かざるを得ない。
九鬼家の爺共のどうでもいい諦観が移ってしまったか。ここ最近は依頼を受けることが多かった。しかし影響を受けるほど高尚なものでもないはずだが。
そもそも優勝したくてこの大会に出たわけではない。どこぞの武神様のように強者との出会いを求めている訳でもなかった。
これはもう致し方ないことだと割り切る他ないのだ。
壁に張られている対戦表を見る。
勝ち残っている選手の名前を指でなぞった。この内、あと二人倒さなければならない。
剣華は無事に本戦への出場を決めた。
与一と当たると知ったときは心配したが、さすがに杞憂だった。弓使いを相手にあの距離では話にならなかった。
あとは本戦の組み合わせ次第だ。できれば一回戦で当たってくれれば嬉しい。組み合わせはAIで自動で行われるらしい。そこにちょっと小細工できればいいのだが。
工藤は少し真面目に悪だくみを始める。
機械には明るくないのが難点だ。協力者が必要になる。
九鬼で内部工作に勤しめる人間に心当たりは一人しかいないが、もうあの人になにか頼ることはないだろう。となると他に思い当たる人間はいない。この時点で悪だくみは計画倒れに等しい。考えるだけ無駄か。
扉の外から一際大きく歓声が聞こえる。
前の試合が終わったようだ。
準々決勝。ここを勝って次を勝てば本戦決定。
さて、相手は誰だったか。
対戦表に目を向ける。確か、板垣――――。
準々決勝の相手は板垣竜兵。
180ほどの長身。鍛えているようだが、肌はやけに色白い。
指輪やネックレスなど貴金属をジャラジャラさせて、頭の上にはサングラスをかけている。
彼は一目見てヤンキーだった。こんなのがここまで勝ち進めるとは、よほど喧嘩が強いに違いない。武術の心得はあるのだろうか。
少なくともそんじょそこらの不良とは一線を画すことは、一目見て分かった。わずかにだが、闘気を纏っている。
「よう」
リングの中央で向かい合ったところ、竜兵は工藤に気安く話しかけてきた。
大会の最中、それも対戦の直前ではかなり珍しいことだ。
工藤は少し考えて返事はしなかった。
別にどう応えようと何ら問題もないのだが、あえてしなかったのはその必要性を感じなかったからだ。
「無視かよ……。まあ、いい」
鼻で笑った竜兵は緩慢な動作でジャケットのジッパーを下ろす。
脱いだ下には誰しもの予想通り筋骨隆々の身体があった。左腕に走る入れ墨はアウトローの証である。
11月なのにタンクトップ一枚は明らかに寒い。
工藤は秋風に吹かれる竜兵を憐れんで眉を寄せた。ついでに学生服の襟も寄せて身を縮ませた。
当の竜平はそんな工藤を捕食者のような目で見ている。
二人の歯車は絶妙に食い違っていた。どちらも自分こそが格上だと思っている。これから行われるのは試合とも呼べぬものだ。一方はそれを喧嘩と呼び、一方は軽い運動とでも呼ぶのだろう。どちらが正しいかはこれからわかる。
「前の試合見てたぜ。随分強そうじゃねえか」
「……」
「俺は自分のことを強いって思ってるやつを屈服させるのが好きなんだよ。コテンパンにぶっ潰して慰めんのが得意でな。……この後、時間空いてるか?」
「……」
「無視すんなよ」
「……」
竜兵は舌打ちした。
工藤はどこまで行っても何も言わなかった。
嘗めてんのかと竜兵は忌々しく睨む。工藤は無表情で視線を返した。そこには不気味なほど感情の起伏がない。
睨み、見つめ、わずかばかり時が過ぎる。
ルー師範代が始まりを告げた。
「では、始めるヨ」
竜兵の構えは素人臭さが漂っている。握った拳に応じて腕の筋肉が膨らむのを、工藤はただ見ていた。
「Fグループ予選準々決勝、レディ、ゴー!!」
先手を取ったのは竜兵だ。苛立ちをぶつけるように突っ込んでいく。
ご自慢の右ストレート。いけ好かない対戦者の顔面に叩き込もうと突進する。
工藤は振りかぶられた拳を見、当たる寸前に一歩下がった。
後先考えない大振りである。外せば体はガラ空きだ。そこに蹴りを叩き込めばいい。
読み通り、竜兵の拳は空を切った。
変に玄人染みたステップのせいか、工藤が予想したよりも拳は大きく伸びたが、結局紙一重で避けている。
ぶんと風を切る拳を見送って、さあ蹴ろうと工藤は重心を片足に移す。
その最中、ニヤリと笑う竜兵の顔が見えた。
「おらぁっ!!」
直後、竜兵は両足に力を込めてタックルをかます。
空ぶった体勢のまま、肩を起点に身体全体で工藤にぶつかりに行く。
180センチの巨漢。それも筋肉の塊による突撃に、さすがの工藤もたたらを踏んだ。
追撃は密着した状態でのエルボー。渾身の力で打ち込んだ。
ガードはなかった。真面に入った。手応えはありすぎるほどある。
――――こりゃあ決まったか?
ここまで工藤の油断につけ込んだ猛攻。全て板垣家の保護者もどきである釈迦堂刑部の入れ知恵であった。
「お前じゃぜってえ勝てねえよ」と断言され、「やってみなきゃわかんねえだろっ」と反発し、最後は姉の言葉に従う形で渋々聞きいれたが、おかげで面白いぐらい上手くいった。それだけ嘗められていたというわけだが、おかげで今大会で初めて工藤に攻撃を決められてもいる。
――――次は……左だな。
釈迦堂が具体的に教えたのはここまで。後は完全にアドリブだ。
勢いを途切れさせるなと言う指示の元、次は左腕でぶん殴ろうと決める。
だがここで一つ、竜兵のミスである。
釈迦堂の言い分では、どう攻撃してやろうかなどと考える暇はない。息切れてなお猛攻を仕掛ける必要があった。それでようやく1000回に1回、もしかしたら勝てるかもしれない。そう言った。
だと言うのに、竜兵はそれを聞いていなかった。あるいはあまりに上手くいったため慢心したか。
どちらにせよ、ほんの一瞬の間も開けずに攻撃を続けるか、もしくはいったん距離を取るべきだったのだ。
なぜなら――――。
「なんだ、終わりか?」
――――竜兵の攻撃はまるで効いていないのだから。
その声が聞えた直後、竜兵の腹に膝がめり込んだ。
口いっぱいに酸っぱいものがこみ上げてくる。膝をつきそうになるのを必死に堪えた。
次いで、額に掌打。
たった一撃で竜兵は仰向けのままリングの端まで吹っ飛ばされた。
「ちっくしょう……」
一瞬で形勢が逆転した。
無様に空を見上げる自分。あまりに不格好で思わず悪態が漏れる。
視界が回っている。立とうにもすぐには立ち上がれない。頭を揺さぶられた。この分ではダウンでカウントを取られる。10カウントまでに立てばいいし立てるだろうが、地面に倒されたのは屈辱だった。
竜兵は喉元まで込み上げていた物を怒りと共に飲み下す。
今は束の間回復する時間が欲しい。
そのために身動ぎひとつせず、ダウンと言う屈辱に塗れることを許容した。
沸騰寸前の怒りは大事に育てよう。怒りはドーピングであり推進剤にもなる。これを爆発させる時が工藤を倒す時である。この屈辱は100倍にして返す。
その様子を眺める工藤。竜兵の思考を読み取ったわけではなかったが、すぐさま立ち上がれるだけの余力があることは感じ取っていた。ゆえに、竜兵がルールにのっとって態勢を立て直そうとするのを見過ごすのは、何となく憚られた。
どうせカウントをとったところで、ギリギリ立ち上がるのは目に見えている。攻撃はしたがそれも軽く打っただけだ。もしそれで終わりなら拍子抜けもいいところだが、嬉しいことに竜兵の目の闘志は依然ぐらぐらと煮えたぎっている。
この状況でむざむざ見逃がすのはなんか違う気がする。見逃したくない。戦う気あるなら追撃したっていいじゃないか。
しかし規則ではダウンした相手への攻撃は禁止されている。だがまだルー師範代はダウンを宣告していない。ならばルー師範代が動く前に追撃すればいいのでは? よし。
「さっさと起き上がらないと踏みつぶすぞ」
いつの間にか傍らに立つ工藤が、持ち上げた足で顔を踏みつけようとする。
頭が揺れてるなどと言っていられない。竜兵は慌てて起き上がった。距離を取ろうとリングの上を転がり、途中背中を強打されリングの外に叩きだされそうになる。
「ちくしょうがっ!!」
リングを拳で叩き、リングアウト寸前で押し留まった。
顔を上げると、悠々歩く工藤が手を伸ばせば届く距離で立ち止まったところだった。
「けっ。趣味の悪い野郎だ。弄り殺そうってか? あぁ?」
「いや? 今まで戦った中じゃあんたは一番強い。それだけだよ」
「……なんだ話せるじゃねえか。てっきり根暗野郎かと思ったぜ」
「俺にとっては言葉も武器なんだ。可哀そうだろう? 試合前から弱っちゃうのは」
「いや、意味わかんねえわ」
竜兵は立ち上がり工藤を睨む。
うっすら笑う工藤に怖気が走るのを止められない。
すでに背中はこれでもかと冷や汗をかいている。
――――つえぇ……。たしかに、こりゃあ俺じゃ厳しいか。
元より釈迦堂の言葉を疑うつもりはなかった。姉妹が尊敬する武の師匠なのだ。その実力は竜兵も認めるところである。
だが、戦う前からそうだと言われ認められるほど聞き分けがよくはなかった。無頼を自負する彼は、むしろそう言われることでやる気を出すタイプだった。
勝つ気満々でリングに上がった。対峙してもその気持ちは変わらず、攻めている最中は大したことないとすら思った。一転反撃を食らって、ようやくわかった。絶対勝てない。
「なるほどなあ……お前滅茶苦茶強えな」
「ありがとう。で?」
「ああ……俄然やる気出てきたわ」
パキッと拳を鳴らす。
竜兵は自分の置かれている状況をきちんと把握していた。
一歩下がればリングアウト。即失格ではなくカウントを取られるが、一度落ちれば二度と戻って来れそうにない。目の前の男はそんな甘いこと許しはしないだろう。
かと言って、前方には大きすぎる壁。断崖絶壁すぎてほとんど行き止まりと言って良い。
これを乗り越えなければ勝利はないが、天辺すら見えない。乗り越えられるはずがない。竜兵は工藤と当たった時点でほぼ詰んでいたのだ。
この状況を正しく認識している竜兵は、それでいてなお意気軒昂。
むしろ気力は先ほどより充溢している。工藤はいささか感心しながら一つだけ訊ねてみる。
「棄権したっていいんだぜ」
「棄権? は、御免だな。俺は無頼よ。負けを認めちゃそこで死ぬ。生き残るにはただ一つお前をぶっ殺すのみ」
「お前にそれが出来るって?」
「出来る出来ないじゃねえ。するんだよ」
「なるほど」
手を伸ばせば届く距離である。
固く握った拳を振り上げ、力を溜める。工藤は涼しい顔をしている。気に入らねえ。そのすまし顔も、俺ごときどうとでも出来るって自信も、こいつの全てが気に入らねえ。こいつは俺が叩き潰す。今、この場で。
今にも殴りかかりそうな竜兵を前に、工藤は最後に訊ねた。
「名前なんだっけ?」
「……板垣竜兵。覚えておけ。お前をぶっ殺すダブルドラゴンの片割れだ」
拳が放たれた。
先ほどよりも大振りで、それでいて鋭い一撃だった。
その拳の鋭さに工藤は目を見張った。実に素晴らしい。武道の心得はないだろうに、よくぞここまで上りつめた。
工藤は心の中で率直な称賛を送り、それはそれとして、当初の予定通りカウンターで蹴りを放つ。
拳が届く前に爪先で竜兵の顎を蹴り上げた。手ごたえは十分以上。死なない程度に手加減している。
ガクッと竜兵の身体から力が抜け、その場に倒れた。
即座にルーが駆け寄るが最早勝敗は明らかだ。
戦いの余韻に浸りつつ、意識は違うことに向けられる。直前の会話で気になることが一つあった。
「ダブルドラゴン……」
呟いた声は観客の悲鳴に掻き消された。
工藤は倒れた竜兵を見、それから観客席に目を向けた。
「ぎゃーっ!!!??? リュウーーー!?」と一際うるさい集団がいる。
一人は本戦出場を決めた板垣天使。騒いでいるのは主にこいつだ。もう一人はB予選でマルギッテに敗れた板垣亜巳。その棒術はなぜか川神流であったが、見事な棒捌きであった。敗れはしたが惜しい戦いだった。三人目は、現在工藤と同じくF予選を勝ち抜いている板垣辰子。
もし、次の試合で辰子が勝てば、二人は準決勝で戦うことになる。その実力は、工藤から見てもはっきりとは分からない。
工藤を見つめる辰子。辰子はどこかむっとした顔をしている。
苗字からして家族のはずだ。弟か兄か知らないが、家族を倒されたとあればその反応ももっともである。
工藤はもう一度竜兵を見やる。
以前、鉄心からこんな話を聞いた。
100年ほど前から、強い女は東に生まれ、強い男は西に生まれる。そんな傾向があると言う話だ。
もちろんあくまで傾向の話であるから、東に強い男がいても不思議じゃないし、西に強い女がいてもおかしいことなど何もない。丁度松永燕が西の強い女ということになる。
だが、そう言う傾向があると言うのもまた事実。そのことを思えば、嫌が応にも期待は高まる。
――――板垣辰子。お前はこの男よりも強いか?
板垣竜兵は強かった。さすがに今までで一番強いと言うのは嘘だが、二~三番手には入る。
これより強いと言うのなら、もう何も言うことはない。存分に戦おう。
ルーの勝利宣言を聞きながら、工藤は期待が高まるのを自覚する。
これではヒュームも百代も笑えない。だが仕方ない。武人の性である。
あと一つ。さて。楽しめるかな?
試合後、ルー先生に厳重注意を受ける工藤君