自分の中にある存在を受け入れたセイは制御能力を格段に飛躍させた。莫大な魔力をミリ単位で制御し、繊細な魔力制御が必要な術でさえ行使できるようになった。
そしてそれと引き換えにしているかのように、セイの魔王化は進行していた。今では髪の半分ほどが白くなっており、精霊もピリピリしていた。
「……そろそろ頃合いか」
セイは自分の手を見下ろしながら、そう呟いた。莫大な魔力の制御技術を完成させる事に成功した今、自分の目的を果たすためにしなければならない事がある。
「――――
メイガスモードを纏ったセイだったが、その姿は以前とは全く異なっていた。まるで龍を模しているかのような黒い鎧を身に纏い、少し身を屈めると背中から何か粒子のような物をばら撒く黒い翼が現れた。
これが魔力を制御するために生み出した魔術。魔力を周囲にばら撒く形で放出する術式だ。ばら撒いた魔力はセイの物であるため、セイは魔力に干渉することが出来るようになった。
「もう行ってしまうのかい?」
声がした方向をため息交じりに振り返ると、そこにはパジャマ姿のアナがいた。メイガスモードのセイを見つめて若干痛ましそうな表情を浮かべたが、すぐに近づいた。
「起きてたのか……寝ている間に行こうと思ったんだがな」
「寝てたよ。ただ、この子たちが教えてくれたんだよ。君がここを離れようとしてる、って」
「……なるほどな。やはりお前たちは侮れないな」
苦笑交じりにそう告げるセイの腕をアナが掴んだ。その反応をされるかもしれないと思ったからこそ、セイは何も言わずにここを去ろうと思ったのだ。
「アナ」
「嫌だ。嫌だよ、どうして行ってしまうの?もう少しすればボクもそっちに行ける。それまで待ってくれてもいいじゃないか」
「……お前は分かっているんじゃないのか?俺が、何をしようとしているのか」
「……うん。おぼろげではあるけど、分かるよ。でも、どうしてなんだい?君は」
人差し指をアナの口に当て、セイはただ暗いだけの空を見上げた。
「――――俺には責任がある。始めてしまった責任が。だから、これは俺が終わらせなくてはいけない」
始めた物事は何時か終わらなければならない。それがいかなる結果を生もうとも、それから逃げることは出来ないのだから。ならば、その役割を全うしなければならない。
「逃げられない。逃げてはいけない。これを放置することは赦されないし、赦してはいけない。その結果は俺が望んだ物なのだから」
「それは違う。誰もその事で君を責めたりしない。だって、それは……」
「仕方のない事、じゃない。避けることは出来た。俺が始めなければ、この輪廻は始まる事はなかったかもしれないんだ。それなら、俺はしなければならないんだ」
「それが君の守りたかった物を滅ぼす結果になっても?」
「それも違うな。俺は決して正義じゃない。多くを守るために少数を切り捨てる正義の味方じゃない。だったら、俺は少数を守るために多くを犠牲にする」
「言っている事がおかしいよ。君がやろうとしている事は、結果的に総てを滅ぼす。なのに――――」
「何もおかしくないさ。俺は支配する者――――王だ。王が守りたい者も守れない訳がないだろう?」
その瞳には何か確信があった。言っている事は道理に合わないのに、それでも合っているような気にさせる何かがあった。アナもそれを見ると何も言えなくなった。
「アナ、俺はお前がどういう存在なのか分かってる。お前が気にするべき存在が俺でないこともな」
「それは……っ!」
「アナ。アナスタシア=L。本来の
「そうか……君は何でもお見通しなんだね……」
「お前が隣にいるべきなのは魔王候補であるアラタで、俺じゃない。だから、俺にその感情を向けるな。ただ辛くなるだけだからな」
「それでも、ボクは……!」
「俺とお前は違うんだ。求められている役割も、居場所も。だから、俺はお前と共にはあれない。破壊を司る俺のような男の隣にお前は相応しくない。だって、お前は優しいから」
「それは、君だってそうじゃないか……君だって、誰かのために戦うんだろう?そんな君が優しくない訳がない!」
「違う。俺は優しくなんてない。終わることは俺が求めた事でもある。世界の真理を知った瞬間、俺はその道を閉ざしてしまった。それがどういう結果を齎すのか知っていたのに、そんな選択をしたんだ。そんな俺が優しい筈がない」
「それこそ違う。君は優しいんだ。君が本当に冷酷非道なら、誰かを助けようなんて思う筈がない。魔王が舞台装置に過ぎないって知ってるなら、尚更だ。君がそんなに自分を否定する必要はないんだ!」
アナが息を切らしながら、叫ぶようにそう言った。この願いよ、どうか届けと言わんばかりの言葉はしかしセイには届かなかった。瞼を閉じていたセイはただ淡々と口にした。
「平行線だな。お前がどう言っても、どれだけの言葉を尽くしても、俺の心には響かない。俺にはもうその言葉に、その祈りに応える資格はない。お前の願いを叶えることは出来ない。俺の使命のために」
翼から膨大な魔力をばら撒き、その衝撃でアナを引き剥がそうと試みた。しかし、是が非でも離さないとばかりに力を込めるアナにセイは困惑する。
「どうして君は……そこまでする?俺と君はどうせ数週間程度の付き合いだ。そこまでする理由なんてないだろう」
「確かに、君の言う通りなのかもしれない。でも、ボクは諦めたくないと思ったんだ。ううん、ボクだけじゃない。
「……そうか。そういう事か。あぁ……どうして気付かなかったんだろうな。俺もまた世界に縛られているという事か」
誰かを見ている。アナはそう感じた。アナを通じて、セイは誰かを見ている。まるで遠いどこかで会った誰かを思い出しているように。その視線は優しさと懐かしさに満ちていた。
「ならば尚更だ。
さっきよりも一際強い魔力放出によってアナは吹き飛ばされた。精霊が受け止めたので傷こそ負わなかったが、手を離してしまった。すぐさま立ち上がったが、嵐のように吹き荒れる魔力を前に近付くことは出来なかった。
「アナ、まさか君がアイツだとは思わなかった。よく思い出せば似てる所だらけなのにな。まったく、間抜けな事だ」
「君は一体何を……!」
「なに、些細な事さ。君と会えて嬉しかった。ここの思い出を、俺は死ぬその瞬間まで忘れることはないだろう。ありがとう、アナ」
「そんな感謝なんていらない!どうして君は……そんなに死に急ぐんだ!?」
「アナ、いや、リュー。またお前に会えて嬉しかった。果てしない時間が経とうとも、俺の事を覚えていたお前に感謝と申し訳なさを覚えている。でも、知ってるだろ?それが俺なんだ、って事をさ」
聞き覚えのない名前を口にした、のだろうと思う。しかし、アナはその名前が懐かしく感じた。まるで、
「俺はもう行くよ。この出会いに感謝を。……それにしても、俺は
そう呟いたセイはまるで霧か幻であったかのように姿を消した。アナは膝から崩れ落ちた。何故かは分からないが、何か途方もないモノをなくしてしまった。そう感じた。それが何なのかも分からず、しかし涙が流れるのを止めることは出来なかった。
姿を消したセイは世界と世界の狭間――――次元の狭間とでも呼ぶべき場所を進んでいた。そうして進んでいると、零が表に出てきた。
『まったくマスターも女泣かせだな。あんな良い女を泣かすなんて、中々悪じゃないか』
「黙れ。俺がこうする以外なかったのは、お前も分かっているだろう。それよりもお前、なんで黙っていたんだ」
『心外だな。所詮、俺は残滓にすぎねぇ。大元たる存在から力を与えられてはいても、記憶まで受け継いでいる訳じゃねぇんだぜ?』
「知らなかったと言いたいのか?」
『そうだ。もしかしたらまだマスターの身近にいるかもしれねぇな?』
「たちの悪い話だ」
愉快そうにそう告げた零に対して、セイはそう呟いた。その言葉に零は同意した。全くその通りだと。
『だがよ、マスターだって知ってるだろ?俺たちが相手にするのは――――』
「世界そのもの。分かっている。それでも俺は、挑むと決めたのだから――――」
止まる事などありえない。これは自分が決めた戦いなのだから、そこから逃げだすことは許されない。たとえ、その道に自分の知る者たちが立ち塞がるとしても、止めることは出来ない。
「この力が起こしたことを、俺が収束させなきゃいけないんだ。それこそが俺の負うべき責任だ」
『硬いねぇ……もうちょっと緩くなれよ、マスター。手前の女のために戦うんだろ?確かにマスターはこの世界のためだけじゃなく、もう一つの場所のために戦わざるを得なくなった。でもよ、やる事は変わっちゃいねぇ。自分の女を、友を、仲間を、大切な存在を、守るために戦うんだろ?』
「……そうだな。幾らか物申したい部分もあるが、概ねその通りだ。確かに、俺は幾らか難しく考えすぎていたらしい」
『だろう?マスターの真面目さは美点だ。けど、過ぎたるは及ばざるがごとし、って言うだろ?』
「まさかお前にそんな事を言われるとは思わなかったな。……さあ、俺たちがやるべき事を果たすとしよう」
次元の狭間を突破すると、そこには廃墟となった遺跡があった。確認するために足を遺跡の床に着けると、まるでセイが来るのを待っていたかのように起動した。そして転移魔法が発動し、とある一室に放り込まれた。
ドーム状の天井の下にあったその部屋の中心には、二つの窪みがある台があった。訳が分からないままその台にの前に立つと、所有している魔導書が輝き始めた。そしてセイの手から離れ、まるでそのために作られたかのように窪みに嵌った。
『魔導書認証――――完了』
『対象魔道士の
『対象の魔道士の魔力量を確認――――測定不能』
『対象の魂を確認――――一部汚染が見られるが思考に異常なしと判断』
『
莫大な魔力を吸い上げ、何かの扉が開かれた。そして、その扉が開かれると同時に魔導書が灰になり、回収できなくなった。メイガスモードが解除されたセイは何とも言えない表情を浮かべ、しかし扉の先へ向かった。
「これは……」
扉の先にあったのはエメラルド色の石碑と黄金色の槍が浮かんでいた。
『ほう、こいつは……』
「エメラルド・タブレット……
『マスター、これは元々マスターが所持してたものだろ?』
「なに?」
『そこまで思い出してねぇのか?
――――お待ちしておりました、マスター。さあ、どうか御手をこちらに。
「……そうか。ここでずっと待っていたのか。俺が起きるのを、俺が世界に現れるのを……」
魔導書が嬉しそうに輝きながらそう言うのを見て、セイはそう呟いた。そしてセイは魔導書に触れ、瞬く間にメイガスモードを構築した。すると、髪も肌も完全に白くなり、魔王として完成した。
「これが……トリニティか」
手を握ったり開いたりした後、セイは物怖じすることなく浮かんでいた槍を手に取った。多少の反発はあったが、それでも完全に槍を掌握し試しに振って見た。すると――――
――――遺跡が半壊した。
『ハハハハハッ!流石は神代の産物だぜ。化け物みたいな威力だな!』
「これが、神代の産物の力……?」
『そうだぜ、マスター。それじゃあ、行こうじゃねぇか。俺たちの役目を果たすためにな』
「……ああ。行こう」
そう呟くと、もはや振り返る事はなく遺跡を飛び出していった。目指す場所は――――ビブリア学園。