東方西風遊戯   作:もなかそば

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東方西風遊戯

 結論から言うと、八雲紫もまた西宮とは役者が違ったと言ってしまって良いだろう。

 彼女は西宮が気にしていた今回の異変において被った迷惑など露ほども気にする事無く、既に外の守矢神社に対する対処を始めていたのだ。

 

「まぁ正確には異変が始まるもっと前からだけど―――黙っていたのは申し訳ありませんでしたわ。射命丸から聞いたけど、早苗さんがそこまで気にしていたなんてね」

 

 と、言うのは宴会の翌朝、守矢神社を改めて訪れた紫の言葉だ。

 守矢神社の本殿にて守矢勢と向かい合うように座り、彼女の訪問を受けて集まった守矢の住人である二柱と二人を前に頭を下げる。

 それを受けて二柱もまた紫に、そして早苗に頭を下げる。

 

「いや、すまない。私達も目先の事に手一杯で、そちらに気を回す余裕が無かった。―――いや、言い訳にしかならんな。早苗の内心に気付くべきは、私達であるべきだったろうに」

「力を取り戻して浮かれてたのかもねぇ。ごめんよ、早苗」

「そんな……御二柱も紫さんも、気にしないで下さい。私がそう振る舞ってただけなんですから……」

「御三方が下手を打ったというより、今回に限っては東風谷が上手く内心を外に見せなかった、というべきかも知れませんね」

 

 そして早苗の言葉を補強するように西宮が肩を竦め、しかし一瞬後には表情を正して紫に向き直る。

 彼がこの会談用に全員分用意した最高級の玉露に、横の早苗が気持ちを落ち着けるように口を付けた。

 

「それで―――大変申し訳ありませんが、八雲様。早速ですが外の現状はどうなっているか伺っても宜しいですか?」

「ええ、勿論ですわ。平たく言えば―――」

 

 そして早苗が茶を口に含んだ直後、紫が満面の笑みと共に言葉の水素爆弾(ツァーリ・ボンバー)を投下する。

 

「こちらに飛んだ筈の神社は向こうでは現存しており、早苗さんと西宮君は駆け落ちした事になっております」

「ぶふぅ!?」

 

 次の瞬間、早苗が口に含んだ玉露は緑色の噴霧と化し、レスラーの毒霧もかくやという勢いで八雲紫の顔面に襲い掛かった。

 西宮は正座の状態から前に崩れ落ちるように、形容し難いポーズを晒す。

 頭が机にぶつかった時、『ゴン』という大変良い音が響き渡った。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「ごめんなさい! 本っ当に申し訳ありませんでした紫さん!」

「い、いえ……大丈夫よ、うん」

 

 数分後。

 玉露まみれになった紫の顔を蛙と蛇の絵の付いたハンカチで拭きながら、早苗は全力で頭を下げていた。

 紫側も非が無いわけではない。面白い反応が返ってくるだろうと言う理由で結論から伝えたのがこの結果と考えると、早苗が茶を口に含む前に言うべきだったとも言えるだろう。

 いや、まさか花の女子高生が悪役レスラーのように口からジェット噴射をカマすという事態がそもそも想定外だったか。ともあれ―――

 

「八雲様、何がどうなってそんな話になったかをお教え願えますか? 願えますね?」

 

 正座のまま眉間に皺をよせて、西宮が紫ににじり寄る。

 対する紫は頬をヒクつかせ、こちらも器用に正座のまま後退しながら頷き、

 

「え、ええ。勿論よ。だから落ち着きなさい? いいえ、落ち着いて」

「大丈夫です紫様。俺は今、かつてポンペイを粉砕したヴェスヴィオ火山の火砕流と同じくらい冷静です」

「例えの意図が良く分からないけど、混乱しているのと落ち着いていないのだけは伝わって来たわ……というかね、神社に関しては藍に頑張って貰ったのよ」

 

 詰め寄る西宮の顔の前に指を一本立てて制し、紫は語る。

 残った片手で隙間から扇子を取り出し、それで口元を隠してにやりと笑う姿は、胡散臭い隙間妖怪そのものだ。

 

「―――そもそも、何故先の異変の中で私は式神である藍を使わなかったと思う? それこそ、異変が終わるまでこちらに顔すら出させずに。まぁ、霊夢や魔理沙に私の関与を知られたくないというのはあったけど、それ以上に藍は外の世界で一つ仕事をさせていたの。狐らしく―――ね」

「……あぁ、なるほど! 化かしたわけだね」

「その通りですわ」

 

 そして守矢勢の中で、真っ先に納得したように頷いたのは諏訪子だ。

 他の三名は困惑の表情を浮かべ、諏訪子と紫を交互に見る。

 頷いた拍子に落ちそうになった奇抜なデザインの帽子を手で押さえながら、彼女は紫の解説を引き継ぐように語り出す。

 

「要はさ。こっちに持って来ちゃった神社を幻術とかで『ある』ように見せかけているんじゃないの? その間に、偽の守矢神社を作り上げるとかかな。後は偽神社が完成した後に、幻術で作った神社と偽の神社を入れ換えれば、神社の消失に関しては誤魔化しが効くんじゃない? 幻術って言ったら狐の十八番でしょ」

「中正解ですわ。流石に入れ換える心算の神社を一から作るのは骨が折れますので、外の世界の廃棄された神社を元に改造中ですわね。―――藍が」

「何でも藍様ですか。大丈夫ですかそれ」

 

 式任せな紫に、流石に西宮が突っ込みを入れる。

 しかし紫はどこ吹く風で、

 

「大丈夫よ。あの子はかつては大陸で人間騙して傾国の悪女を二、三回やらかした挙句、流石に向こうに居られなくなって、日本に来た後も似たような事をやって殺生石に封じられた筋金入りよ? 騙しは御手の物。最近は随分丸くなったけど、昔はそりゃもうお転婆だったわよ」

「今凄く知りたくもない歴史の隠された事実を知った気がします。中国史と日本史的な意味で」

「殺生石? 何でしたっけそれ。なんか三丁目の田島さんの御婆さんが、強盗相手に投げ付けて危うく息の根止めそうになった漬物石でしたっけ」

「殺生するのに使う石って意味じゃないからな。つか、御歳八十で漬物石投擲とか、あの婆さん絶対介護要らんな」

「なにそれこわい。ゆかりんこわい」

 

 仮に外の世界に出ても、三丁目の田島さんとやらには絶対に近付かないようにしよう。そう決意した境界の賢者だった。

 

 ともあれ話の筋は単純だ。

 まず外で事件に対するケアをするに当たって最大の問題になるのは、『神社が消失した』という事。

 西宮と早苗が行方不明になった程度ならば、二、三日程度は家出程度の言い訳で誤魔化せる。しかし神社はそうはいかない。確実に大騒ぎだ。

 

 故に紫は真っ先に藍を派遣し、神社が『在る』という幻をその場に訪れた人間に見せる為の結界を張った。視覚のみならず触角まで騙す特別製だ。

 幻想入り二日目に西宮が人里で藍と遭遇した段階で、実はその処置は既に終わっていたと言うのだから、藍の有能さが伺い知れる。

 

「ん、ごほん。それでまぁ、神社に対するケアはそれで良いとして、次は貴方達の友人など―――つまりは貴方達二人を知る人達へのケアなんだけど」

「ああ、何か凄い説を浸透させてくれたそうですね、八雲様」

「本当ですよ。私と西宮が駆け落ちだなんて」

 

 呆れたように言う西宮と早苗。彼らは外の世界では行方不明扱いになるだろう。

 しかし彼らに対しての一般人の反応だが―――これに関しては紫も藍も予想外の結論が、既に外の世界の彼らの友人の間で囁かれていたのだ。

 それは即ち―――

 

「私も藍も、殆ど何もしていないわよ?」

「え?」

「へ?」

「貴方達二人が同時に行方不明ってだけで、既に貴方達の友人の間で駆け落ち説が圧倒的な支持を集めてたし」

「……何故にッ!?」

「ど、どうしてですか!?」

「いや、何故って言われても私は貴方達の外の世界での言動とか知らないし……」

 

 ―――即ち、駆け落ち説。

 神社に対するケアは初日に藍が行った為、『西宮と早苗がいきなり行方不明になった』とだけしか認識されなくなった守矢神社の幻想入り。

 それは即ち、駆け落ちとして周囲の人々に受け入れられていたのだ。

 

 これに関しては、彼ら二人の自業自得と言うしかあるまい。

 登下校は一緒。西宮は早苗の実家である神社に入り浸り。弁当は二人分西宮が用意する。早苗から西宮への無防備な対応。西宮から早苗への時々見せる優しさ。

 彼らと付き合いのある学友達や御近所さん達が駆け落ち説を唱えるのも無理もあるまい。

 藍と紫がやったのは、その噂を補強するような証拠を二、三用意した程度だ。

 

「まぁとにかくそんな感じで、外の世界での神社と貴方達に関する扱いは概ねそうなってるわ。一般人相手には、ね」

「―――となると、例外が居るわけだ」

 

 そして胡散臭い笑みを浮かべながらの紫の言葉に、神奈子がどこか神妙に頷きながら呟いた。

 対する紫は早苗に目線を送り、ゆっくりと頷きを返す。

 

「ええ、その通りですわ八坂さん。早苗さんの御両親には、真実を伝えてあります」

「……っ!!」

 

 紫の言葉に早苗の身体がビクリと震える。

 それを横目で見ながら、西宮が呟いた。

 

「親不孝をした自覚はあるみてーだな」

「……ええ」

 

 その言葉にはオブラートに包むような婉曲さは無い。

 ある意味そういう面では、彼は彼女に甘くは無い。失敗は失敗として認めた上で、そこから先へ進むフォローをするのが早苗の相棒としての彼の在り方だ。

 対する早苗の返答は、彼女らしくなく静かだった。

 

「紫さん……お父さんとお母さんは、なんて言ってましたか?」

「そうねぇ。物凄く心配していたわよ? あとまぁ、実際に力を使って見せたのが大きいだろうけど―――私の言と、私達のような幻想の存在を信じてくれた。その度量は、流石に貴方の親で、西宮君の親同然の存在ね」

 

 胡散臭い笑みを浮かべたまま、紫が扇子を持った手を水平に伸ばす。

 扇子の軌道に沿うように、空間に線が引かれ―――そこにありとあらゆる物理法則を無視して、空間が『開く』。

 無数の瞳を内包する謎の空間、『隙間』。それを操作する事が隙間妖怪と呼ばれる彼女の能力であり、その能力は彼女以外の何者も為し得ない事を可能とする物でもある。

 

「まぁ、そこから先は―――」

 

 ―――そう。

 幻想郷で唯一、彼女だけが幻想郷の外と中とを容易く往来する事を可能とさせる。

 それは彼女自身であろうとも、他の誰か(・・・・)であろうとも。

 

「―――本人達で話し合ってみたら?」

「……え?」

 

 そして、『してやったり』とでもいうような満面の笑みで告げられた言葉と共に、隙間の中から出て来たのは一組の中年の男女。

 神職らしき服装をした男性と、彼に寄り添うように立っている女性。

 彼らを見た早苗は呆然とした声を発し、対する二人は隙間から出るや否や、早苗の姿を見て感極まったように声を上擦らせる。

 

「早苗……!」

「早苗、良かった……」

 

 そしてその言葉を―――自らを呼ぶ両親の声を聞いた早苗は、呆然とした表情からくしゃりと顔を歪ませる。

 堪えるように唇を噛み締め、しかし堪え切れずに瞳に涙が浮かび、零れて行く。

 その背を、不意に後ろから諏訪子が押した。

 

「行ってきな、早苗」

「あ……」

 

 押された早苗が座っていた状態から、のろのろと前に進みながら立ち上がる。

 同じように彼女の両親も、ゆっくりと彼女へ向けて歩き始めた。

 一息に駆け寄らないのは、まるでこれが夢か幻か―――それこそ幻想ではないかと疑っているからか。

 

 しかしそれも数秒。

 そう遠くもない距離を両者は詰め終わり、早苗とその両親の手が互いに触れ合った瞬間、

 

「―――お父さん、お母さんっ!!」

「早苗!!」

「ごめんね、ごめんね早苗……!」

 

 三人は弾かれたように抱き合い、涙を零しながら再会を喜び合う。

 紫は音を立てないようにゆっくりと立ち上がり、二柱と西宮に目配せ。それを受けた三名も、各々苦笑したり肩を竦めたり、あるいは貰い泣きをしそうになりながら席を立つ。

 ちなみに順に諏訪子、西宮、神奈子であった。

 

 そして紫とその三名は抱き合う家族を残し、本殿を出る。

 すぐさまぐすっと鼻を啜って、神奈子が紫の手を取って頭を下げた。

 

「すまない、八雲……! ここまでして貰うとは、お前には返しきれない程の恩が出来た……!」

「大した事ではありません、とは言いませんわ。幻想郷の存在を外に知られたくない以上、外の人間に幻想郷の存在を知らせるのは好ましくありませんからね。早苗さんの御両親に関しても、本当はここまでする心算はありませんでした」

「記憶の境界でも操って、早苗の事を忘れさせる心算だった?」

「ええ、その辺りが落とし所だと思っていましたわ。ですが流石、守矢の神主とその妻と言うべきかしら。記憶を消す前に一度、早苗さんの親がどのような人か話してみたかった。故に私は彼らの前に隙間を使って現れたのですが―――」

 

 その時の事を思い出して、紫は小さく笑う。

 突如現れた不気味な力を使う謎の人物相手に、守矢神社の神主夫妻がまず聞いたのは『お前は誰だ』でも『何をしに来た』でもない。『早苗と丈一を知っているか』である。

 恐らく早苗と西宮が行方不明になって程無くのタイミングで現れた紫に、事件との何らかの関連性を感じ取ったのだろうが―――だとしても、怪しいどころの騒ぎではない相手にいきなりそれだ。肝の太さは流石に早苗の両親である。

 

 そして娘と息子同然の相手を何よりも想うその対応は、紫にとって好ましい物だった。

 故に彼女は彼らに事情を説明し、自らの存在と幻想郷、そして早苗と西宮がそこに居る事実を語って聞かせた。

 かくて東風谷夫妻は事情を聞き終わり、紫に告げる。

 『自分達は親として失格である』、と。

 

 目を丸くする紫に対し、彼らが告げた事は『早苗が幼い頃に語った二柱の存在を、子供の絵空事と決めつけ、笑い飛ばしてしまった』という事実だった。

 或いは自分達がそれを信じる努力をしていれば、早苗は幻想郷に行く前に自分達に相談を持ちかけてくれたのではないか。

 或いは自分達が早苗の様子に気付いていれば。或いは自分達がもっと真剣に彼女に向かい合っていれば。

 

 東風谷夫妻が語った内容はそのような後悔であり、故に彼らは紫に懇願した。

 ―――早苗に会わせて欲しい、と。

 

「―――なんというか、情にほだされたのかもしれませんね。無論、外の世界で幻想郷の存在を話さないようにする事など、幾つも条件は付けましたわ。藍が得意な妖術で、幻想郷について話を出来ないように強制をかける事も条件の内。そこまですれば、まぁ彼ら自身の人柄も信用に値する物に思えましたし、幻想郷の存在が外に漏れるとは考えられないでしょう」

 

 無論それは面倒な事である。

 紫からすれば、さっさと記憶の境界を弄ってしまうのが一番手っ取り早い。

 だが、その面倒を享受しても早苗と両親を再会させてあげても良いかと、紫は思ってしまった。

 

 彼らは紫や幻想郷という、幻想の存在を認めた。

 二柱について幻想郷に行くという娘の決断をも、紫から事情を聞いた上で認めていた。

 しかし娘に対して真剣に向き合いきれなかった自分達を、娘の事情を察しきれなかった自分達を、娘が幻想郷に行く前に気付けなかった自分達を、ただ悔やんでいた。

 

 結局のところ、そんな彼らと―――そして幻想郷で両親を想って泣いた早苗の姿を見て、情にほだされた。

 この件に関する紫の行動理由は、そこに集約されるのだろう。

 

「……八雲。後で私達も、早苗の両親と話す機会を貰えるか?」

「ええ。丸一日程度は許しましょう。流石にそれ以上の滞在は、幻想郷の管理者として許せませんけどね。―――それに、今回は特別サービス。あんまりこのような事を繰り返していては、他への示しが付きません。それは分かった上でお願いします」

「分かってるよ。ただ、早苗を巻き込んだのは私達の事情だからね。やっぱり一度、両親に謝っておくのが筋でしょ」

「まぁ確かに、そうですわね。でもそこら辺は貴方達に任せますわ。私は明日のこの時間にでも、もう一度やって来ます。その時に東風谷夫妻を境界の外へお返ししますが―――」

 

 ちらりと紫が西宮に目を向ける。

 

「―――自らの意思で来た早苗さんはともかく、西宮君は事故で巻き込まれたような物。望むならば、ついでに外の世界にお帰ししても構わないわ。無論、その場合は東風谷夫妻と同じ程度の処置は取らせて貰うけど」

「東風谷はこっちに残るんでしょう?」

「ええ。彼女は自分の意思でこちらに来るのを選んだ。そうである以上、そう易々と向こうに帰すわけにはいかない。境界の管理者としての、それはルールよ」

「成程。―――ならば俺の返答は決まっているような物でしょう」

「そうね。愚問だったかしら」

 

 西宮の返答に対し、紫は小さく笑ってそれに応じる。

 そのまま自らの眼前に境界を開き、彼女は西宮達の眼前から去って行った。

 それを見送り、諏訪子が呟く。

 

「大きな借りが出来ちゃったねぇ」

「そうだな。或いはそこまで計算の上なのかもしれないが、だとしてもこれは大きな借りだ。そうそう返し切れないほどに、な」

 

 本殿の中から漏れ聞こえる会話は、早苗と両親が互いに詫び合っている事を伝えて来る。

 早苗は自らの短慮と親不孝を。両親は自分達が早苗を理解し切れていなかった事を。

 それを聞きながら、彼らは足を社務所に向けた。

 

「まぁ、まずは親子水入らずで話させてあげましょう。俺や御二柱が東風谷の御両親に話をするのはその後で」

「私らなら、まずは『誰だお前ら』とか言われそうだけどね。向こうじゃ見えてなかったし」

「俺が言いましたよね、それ。あの時は本当に失礼しました。しかしぶっちゃけ誰かと思いました、マジで」

「まぁ流石に、今回はあの時と比べて事情の説明が出来ている分は楽だろう。丈一の事は完全突発事故だったしな……」

 

 思い出して苦笑する三人。

 そして―――

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

「―――では、皆様。これが最後ですので、心残りの無いようにお願いしますわ」

 

 そして、翌日―――守矢神社の境内。

 そう宣言する紫が開いた隙間の前に、東風谷夫妻と早苗、そして西宮と二柱が立っていた。

 東風谷夫妻と、幻想郷の守矢神社に残る者達の別れの時だ。

 

 昨日は多くの事を話したと、西宮は思う。

 神奈子と諏訪子は早苗を連れて来てしまった事を夫妻に詫び、しかし夫妻も神を祀る身でありながら神に気付きすらしなかった自らの不甲斐なさを詫びた。

 

 西宮自身は夫妻から、娘をくれぐれも宜しく頼むと念を押された。

 まるで娘を嫁に出す両親である。否、或いは本人達は殆どその心算だったのかもしれない。外では駆け落ち説が流れている事でもあるし。

 早苗の父は晩酌相手にして将棋の相手でもあった西宮が居なくなる事を残念がっても居た。

 『娘と息子が一度に離れて行くのは寂しいものだ』という言葉に、不覚にも涙腺が緩みかけたのは彼だけの秘密である。

 

 早苗と両親は一番長く語り合い、そして昨晩は三人そろって同じ布団で語り明かしていた。

 そして今、或いはこれが今生の別れである可能性が高いのも気付いているのだろう。

 

「お父さん、お母さん……今まで本当にありがとう」

 

 隙間に入らんとする両親に、早苗は涙を堪えながら、必死に笑みを向けていた。

 これが今生の別れになるなら、故にこそ笑顔で。

 それが彼女が出した結論のようだ。

 

「不甲斐ない神で済まなかった。早苗の事は任せてくれ」

「早苗に不自由させないよう、私達も頑張るからさ」

 

 二柱は夫妻へと安心させるように言葉をかけている。

 無論それは言葉だけの物ではなく、紛れもない本音で本気だろう。

 彼女達にとっても早苗は娘のようなものなのだから。

 

「今まで本当にありがとうございました。―――俺にとっては貴方達が本当の両親のようなものでした」

 

 そして西宮は、夫妻へ深々と頭を下げた。

 それら一連の言葉を受け、夫妻は二柱へ重ねて()息子(・・)を頼むと頭を下げ、早苗と西宮を最後にもう一度だけ強く抱きしめ―――そして別れの言葉と共に、外の世界へと続く隙間へ入って行き、程無くしてその隙間が消え去った。

 

「……う、あぁ……ぐっ……うう……!!」

「あぁ、クソ……行っちまったか」

 

 そこが限界だったのだろう。早苗が嗚咽と共に涙を流し、崩れ落ちる。

 西宮もその横でごしごしと袖で目を拭い、空を見上げる。

 

「……諏訪子。私達は本当に、神失格かもしれんな」

「ああ、全くだよ。自分らを信じてくれた信者、その親子の間を割くなんて神様失格どころの騒ぎじゃない。だけど、だからこそ……幻想郷でのこれからの生活で、あの二人にこっちに来て良かったと思わせるほどに幸せにしてやろうじゃないか」

 

 二柱がその二人の姿を見て、これからの幻想郷での暮らしへ決意を新たにする。

 そして―――

 

「―――ええ。八坂神奈子さん、洩矢諏訪子さん。東風谷早苗さん、西宮丈一君。幻想郷は貴方達を受け入れましょう」

 

 ―――そして守矢一家のその姿を、優しく微笑みながら見守る賢者がそう告げる。

 両手を広げ、温かく微笑み、境界を司る優しき賢者は宣言する。

 まるでこれが始まりだとでも言うように。

 

「改めまして、忘れ去られし者達が集う地へようこそいらっしゃいました。私は境界の管理者として貴方達を歓迎しましょう。さぁ―――」

 

 そう。これにて開幕(プロローグ)終幕(おわり)

 

「―――ようこそ幻想の地へ。幻想郷は全てを受け入れますわ」

 

 ―――東方西風遊戯。正しくこれより、開幕し候。

 


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