東方西風遊戯   作:もなかそば

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にじファン(小説家になろう)様では無かったエピソードの追加です




 人里の大工が端材から作ったと思しき長方形の木の板に、十本線が引かれている。

 平行線を縦に十。横に十。板が九×九=八十一の升目に区切られているものだ。

 そこにばらばらと、木製の“駒”がばら撒かれる。表と裏で書いてある文字が違うために必要以上に多種多様に見えるが、実際の種類は九種程度。

 四十二枚の駒が、盤面に散らばった。

 

「……って、四十二枚?」

「おう。なんだ(わっぱ)、小将棋は知らぬのか」

 

 幻想入り三日目、朝。

 西宮丈一は先日の茶屋の席にて、にやりと笑う着流し姿の老人相手と将棋盤を挟んで向き合っていた。

 老人とは言うものの、その外見はその言葉から想起される印象から随分とかけ離れている。鍛え込まれている肉体は巌のようであり、加齢による衰えなど欠片も見せていない。着流しから除く肌には、刀槍のものか爪牙のものか、幾つもの傷跡が見え隠れしている。

 背丈も高く、六尺に届く長身の西宮と並んでもそう遜色が無いか、むしろ老人の方が僅かに高いほど。ざんばらに切られ後ろで括られた灰色の髪は、元々色素の薄い髪色らしく、どこまでが白髪でどこまでが元の色なのかの区別が曖昧だ。

 口髭は剃られているが、顎鬚だけは丁寧に整えて伸ばしている。洒落者のつもりなのかもしれないが、ボロの着流しとざんばら髪は、洒落者というより主家の無い牢人という印象を見る者に与える。

 

 そう、牢人だ。浪人とは微妙に意味合いが違う。

 浪人とは戸籍に登録された地を離れて他国を流浪している者のことを意味し、身分を問わず全ての者が当て嵌まる。対して牢人とは、主家を去り放浪している武士階級にのみ当て嵌まる言葉だ。

 

 浪人と牢人の区別が曖昧になったのは慶安四(1651)年、由井正雪の乱こと慶安の変が起きた辺りからの事である。ちなみにその由井正雪の乱自体が、増えすぎて生活に困った牢人らの為の幕府転覆計画だったという。

 その辺りまで幕府は牢人に対して締め付け政策を取っていたが、その転覆計画に危機感を抱いたのか、由井正雪の乱の鎮圧後は幕府の対牢人政策は軟化していくことになる―――と、その辺りの事情については幻想郷が出来る前の事ではあるし、慧音辺りに聞けば詳しかろう。

 

 話が逸れたが、西宮が相対している老人が周囲に抱かせる印象は“牢人”。即ち武士階級だ。

 鍛えられた体格もそうだが、腰に差した長短二刀の簡素な刀が、この老人が単なる好々爺ではないことを証明していた。それが身体の一部のであるかのように馴染んでいる様から、飾りなどではないということも。

 

「―――外の世界では廃れたものです故。些か驚きましたが、なるほど、本将棋よりは軽いものですから、このような場での遊戯としては適当かと」

「知ってはいる、と。であれば殊更に説明の必要はあるまいな。どれ、指してみろ。先手は譲ってやるわい」

「では失礼して」

 

 今や外の世界で一般的に言われる“本将棋”より、敵味方ともに一枚多い駒を並べ。

 老人は崩した胡座に、人を食ったような笑みを浮かべ。対面する西宮は口調は真面目そうに、しかし態度としてはさほど気負わず、珍しそうに玉将の前に位置する“醉象”と書かれた駒を撫で。

 

「一手、ご指南願います」

「おぉ、打ってこい打ってこい。童の遊びには付き合ってやるのが大人の余裕だからなぁ」

「銭を巻き上げる気ィ満々ですけどね大人」

 

 一手の時間を定めるための砂時計と、互いにチップとして出している銭を横に置き。

 茶屋の奥で寝ている東風谷早苗を待つ間の時間潰しとして、西宮丈一の幻想入り後の初の戦は弾幕ではなく賭け将棋として開始していた。

 

 人里の守護者である上白沢慧音に会いに行く予定だった彼が、何をどうしてそういう状況になったのか。それには語ると長い事情が―――別に無いのだが、一応語らせていただこう。

 

 

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 そもそも事の起こりは、外の世界で失敗続きだった布教が幻想郷では実に好調な事が楽しくて仕方ない様子の早苗が遠因だ。

 二日目となる布教活動が楽しみで仕方なかった様子の早苗、深夜か早朝かも曖昧な刻限から西宮を叩き起こし、身支度もそこそこな彼の手を引っ掴んでは、悲鳴―――無論、西宮のものである―――のドップラー効果付きで人里へ出撃したのである。

 ちなみに本来であれば早苗にストップをかけれたはずの神々は、朝早すぎて普通に寝ていた。

 

 そして流石に朝早すぎて人通りがまばらな人里に到着した辺りで、早苗は気付いた。

 

「西宮……どうしましょう、神徳を説くべき人が居ません」

「いや今更かよ。今更そこかよ!」

 

 身長差を物ともせずに西宮を引き摺るようにしていた暴走機関車早苗さん。

 その言葉に、ワイシャツとジーンズ姿のラフな格好の西宮が思わず突っ込む。ちなみにこれは昨日人里の服屋で買ったものだ。

 昨日は何故明らかに外の世界らしき服装が売ってるのかと驚いたものだったが、魔法の森に住む人形遣いが資金稼ぎの為に時々外の世界の衣装を真似て縫っては売りに来るらしい。下手をすれば外で買った服よりも良質なそれは、外の洋服に慣れていた西宮としてはありがたい事である。

 

 閑話休題。

 戦慄したという様子の早苗に、西宮が繋がれっぱなしだった手を離しながら言葉を投げる。

 

「人は日中に活動するもんだ。まぁ外の世界に比べると、光源の問題もあるから朝早くて夜も早い傾向はあるだろうが……それにしたってこの時間は無ぇわ」

「今、何時くらいでしょうか」

「体感的なもんだが多分4時から5時。午前な」

 

 人里の目抜き通り。左右に蕎麦屋や団子屋、飲み屋肉屋八百屋道具屋などの店が立ち並ぶ大通りだが、太陽がようやく地平線から顔を出したばかりの時刻ではまだ人通りが少ない。

 閑散としているわけではない。それらの店の主人や丁稚達であろう人々が店の前で忙しそうに働いていたり、或いは痛飲していたのであろう酔漢が『もう閉めるから帰れ!』という声と共に飲み屋からよろよろと追い出されてきたりしている。

 が―――

 

「とりあえず今時間に活動している人は用事があって今時間から起きて活動しているか、或いは昨晩寝てないような人だろうからな。今からあの辺で神徳説いてみろ。邪魔だとか煩いとか言われて追い払われる方に晩飯賭けるぞ俺は」

「いえ、気合があればワンチャンス……」

「無い」

 

 断言する西宮の言葉に、早苗ががっくりと肩を落とす。

 しかし西宮の言う通り、正直今この状況で神徳を説いて信仰を求めたところで、却って邪険にされそうな時間帯だ。下手をすると付近の家や店からも、追加で五月蝿いという苦情が入りかねない。

 

「じゃあどうしましょう……? 一回神社に帰りますか?」

「それも面倒臭ぇな……片道で半刻程度はかかる道のりだし」

 

 そう言いながら、西宮が視線をきょろきょろと彷徨わせる。

 何を探しているのだろうと早苗がその視線を追い、追った先にあったのは昨日の茶屋。折しもその店の商売っ気の強い主人が、西宮と早苗を見つけてきょとんとした表情を浮かべたところだった。

 

「おはようございます、御主人。ちょっと悪いんですけど―――」

 

 そして西宮、軽く手を上げつつその茶屋の主人に近づいていき、こう問うた。

 

「―――ここ、厳密には何茶屋ですかね?」

 

 

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 一言に茶屋といっても、実は江戸時代辺りまではその業態は多種多様だった。

 現代日本人の間に一般的に根付いているイメージは「掛茶屋」、或いは「水茶屋」が最も近いだろう。街道沿いの休憩所であり、飲食を提供する営業形態だ。

 

 しかし人形浄瑠璃の作者として名高い近松門左衛門の心中物などで「茶屋」という単語が出た場合、それは概ね「色茶屋」と呼ばれる性風俗を売り物とする茶屋だ。これは言ってしまえば遊郭の業態の一つであり、茶屋が提供する場所で男女がなんかイヤーンでアハーンな事をする物である。

 茶葉を売るタイプの茶屋は葉茶屋。外の世界では料亭となり残っている物も多い、料理茶屋。或いは待ち合わせや会合の場所を提供する待合茶屋なども茶屋の一種だ。

 

 西宮が目をつけたのは、その内の待合茶屋としての業態について。つまりは金払えば休む場所貸してくれないか、という交渉であった。

 分類としては水茶屋としての領分が最も多い茶屋であるようだが、営業準備の邪魔にならないならばということで、茶屋の店主もそれを了承。部屋の一室を提供してくれたのだが、清潔な寝具まで複数部屋に用意されていたことまで察するに、或いは某歴史教師辺りにバレないように、こっそりと今で言うラブホテルにあたる『出会茶屋』としての営業もしているのかもしれない。

 

「……む」

 

 そして交渉を終え、早苗と一緒に部屋に入り。

 流石に朝早すぎて寝不足だったのか早苗も西宮も布団を各々勝手に敷いてさっさと一眠りし―――先に起きたのは西宮だった。

 

 窓の木戸を僅かに開け、差し込んでくる陽の光の角度から察するに、寝ていた時間は一刻程度だと推測。外の世界では起きだして学校―――の前に神社に早苗を迎えに向かう準備をしている頃合いだったか。気取らず言ってしまえば午前7時と、そんなところだろう。外の世界で馴染んだ生活サイクルは、そうそう抜けないものであるらしい。

 

 少し離して敷いた布団で、風祝の衣装のまま爆睡している相方に視線を向ける。

 守矢の風祝様は掛け布団を蹴飛ばし、お臍を出した格好で口元から涎を垂らしていた。

 

「相変わらず気持ちよさそうに寝てるなオイ」

 

 呆れたように―――しかし彼本人としては無自覚に優しげに―――笑って、蹴飛ばされて転がっている掛け布団を早苗の上に掛け直す。

 むずがるように身を捩る早苗だが、すぐにまた緩んだ寝顔に戻る。少しそれを眺めていたところで、飽きたのもあれば気恥ずかしくなったのもあり、前者が八で後者が二程度の心理的動きから、西宮は音を立てないように戸を開けて部屋を出る。

 

 廊下を少し歩けば、既に営業を開始している様子の茶屋の店の中だ。西宮に気付いた店主が視線と言葉を向けてくる。

 

「嫁御さんはどうしました?」

「まだ寝てます。っていうか、嫁じゃないの昨日の騒ぎで知ってるでしょう、御主人」

 

 からかうような言葉に、苦い表情で返す西宮。僅かに目を逸らす様子は、多分に照れも混ざっているようであった。

 そんな西宮の様子に楽しげに笑い、店主は一度奥に引っ込んでから、茶を一杯持ってくる。

 

「濃い目です。寝起きには丁度いいでしょう」

「ありがとうございます」

「無論宿泊料とは別料金ですが」

「いやいや、それならせめて注文するかどうかを聞いてください」

 

 西宮の突っ込みに対して『流石に冗談です』と笑う店主だが、既に幾人か入っている茶屋の客には、今の会話を聞いて『処置なし』とでもいうように肩を竦めている者も居る。

 或いは突っ込まなければマジ請求が来ていたのかもしれない。

 

 底知れぬ商売人魂に軽く戦慄する西宮だが、流石に早苗が起きてくるのを待つのに茶だけというのも不義理であるし口寂しいと思い、ついでに団子の注文をしようとお品書きを探して目を走らせ、何やらそれらしい板切れを席の横に発見。

 手を伸ばしてそれを取り、眺めてみるが―――

 

「……あれ、なんだこれ。将棋盤?」

「ああ、それ。娯楽用に置いているんですよ。お品書きはこちらです」

 

 安っぽい板切れで作られた将棋盤をしげしげと眺める西宮。

 その様子を見た店主が、将棋盤に隠れていて西宮からは見えていない位置にあったメニューを渡す。しかし渡された西宮はメニューを見ず、将棋盤に視線が固定されている。

 

「将棋に興味がお有りですか」

「多少は。真剣師の真似事も経験がありますね」

「おや」

 

 驚いた様子で店主が片眉を上げる。

 真剣師とは賭け将棋、賭け麻雀といったテーブルゲームの賭博によって生計を立てている者の事であり、日本でもいわゆる職業としての将棋指し、碁打ちなどが確立していない時代の棋客には真剣師もよく見られたという。

 現在の日本では賭け事が法律で禁じられており、この手も賭け事も以前ほどは盛んではないため真剣師はほとんど存在しないが、それこそ江戸時代辺りには賭け碁が盛んになり過ぎたために囲碁禁止令を出す藩もあったという。

 ちなみに現代でも、海外ではバックギャモンやチェスによる賭け試合は特に禁止されていないため、気軽に行われているのだが―――さておき。

 

 西宮の言う真剣師の真似事とは、無論彼が賭け将棋で生活費を稼いでいたとか言う話ではない。

 高校時代に人数不足で大会に出られない将棋部の助っ人を一試合ン百円で引き受けていたとか、中学時代の修学旅行中に部屋で行われた小銭を賭けての将棋大会で無双したりと、その程度だ。

 しかし軍神建御名方の祭祀(※見習い)でもある彼には、この手の戦術遊戯には一定の自負がある。故にこその、多少誇張した“真剣師”という名乗りになったのだろう。

 

「お若いのに将棋を嗜むので?」

「相応には」

 

 相応とは言いつつも、歳相応の稚気混じりの自信を表情と口調が物語っている。

 その様子に微笑ましさを感じ、金勘定抜きの苦笑を店主が浮かべた。

 

「あまり大金を賭けてのものは禁じられていますが、この店の支払い程度の額を賭けての物であれば賭け将棋や賭け碁も黙認されています。そういえば人形師さんなどは、以前にチェスで同じようなことをしていたことがありましたね」

「へぇ……」

 

 ちなみにその人形師、チェスは幻想郷では不人気だと気付くまでの一時間ばかり賭けチェスを楽しみにしながら茶屋の店先で挑戦者を待ったのだが、誰も来ないままに終わって結局紅魔館まで行ってそっちの魔女に相手して貰ったらしい。

 東洋文化主体の幻想郷、西洋文化に馴染みの深い人妖はそういう細かい部分で少し肩身が狭いらしい。

 

 閑話休題。

 賭け将棋と聞いて興味を持った様子の西宮に対し、店主が『さて、場代を貰えれば相手を紹介しても良いのだが』と内心で思考を開始した時、第三者の声が割り込んでくる。

 

「おう、なんじゃ童。賭け将棋に興味が有るのか」

「おや、ご老体」

「老体はやめい、店主」

 

 着流し姿の体格の良い老人が、人を食ったような笑みと共に顎鬚を撫ぜながら横合いに立っていた。いつの間に接近してきていたのか、西宮の顔に僅かに驚きが浮かぶ。

 しかしその反応を歯牙にもかけず、老人は西宮の対面へと無造作に胡座をかく。

 

「おう店主よ。儂のツケぁ今、幾らだった?」

「賭け将棋で賭けたりしたら、上白沢様が良い顔をしない額ですね」

「かぁ―――っ! あの牛娘も堅物よなぁ! 乳だけではなく頭も柔らかくせんかい!」

「そのような言葉が耳に入ったら頭突きが来ますよ?」

「オイ店主、この小僧の分と儂の分の団子を適当に。注文したんだから告げ口無しな」

 

 気安い様子で店主と丁々発止とやりとりをしている老人。腰に差した長短二刀は無骨な拵えであり、柄には滑り止めの布が巻かれている。

 実戦仕様、そういうことだろう。人里の守護者を『牛娘』などと呼んでおり、店主もセクハラ発言を咎める事はあってもその呼び方自体を咎める様子はない。つまりはこの、好意的な表現をするとファンキーな言動の老人はただの老人というわけではあるまい。

 

 しかし、老人の正体を見極めようとする西宮に対し、老人の反応はそれを歯牙にもかけない端的な物だった。

 

「おう、童。幾ら賭ける?」

「……それは、賭け将棋でということでしょうか」

「応よ。お前、八雲が連れ込んだ外来人よな。昨日は巫女だかなんだかという娘御が広場でハシャいでおったようだが」

「風祝です。厳密には巫女ではありません」

「おう、それよそれ! 似たような物だと思うのだがなぁ。爺には良く分からんわい」

 

 何が楽しいのかゲラゲラと笑う老人。

 どうしたものかと視線を横に向けると、店主は苦笑。つまりはこの老人としてはいつものノリであると、そういうことか。

 であれば言動に気になる部分も無くはないが、そこまで気にしても仕方あるまいと西宮は判断。或いは妖怪退治屋か土豪の隠居老人辺りかと当たりをつけ、しかし当たりをつけた思考を頭から意図的に追い出す。

 

 目線と思考を向けるは、眼前に置かれた九×九の盤面。

 その横に、人妖一人が人里で一晩好きに飲み食い出来る程度の額の銭をじゃらりと置く。

 音を聞いて視線を向け直してきた老人に対して正面から視線を返し、語る言葉は端的だ。

 

「一手の待ちは」

「そこまで厳密にやるもんでも無いからのぉ。常識の範疇で早打ち勝負。長考は三度までで、長考は一度につき五分まで。その五分は砂時計で測る。どうよ?」

「対局時計は無いのですね。であればまぁ、仕方ない」

 

 対局時計とは競技者の持ち時間や制限時間などを表示し、ゲームの時間管理を行なうために使用される特殊な時計だ。役割としては時計というよりタイマーに近く、片方の競技者の残り時間が減少している間はもう片方の競技者の時間は動かない。

 持ち時間制の対局将棋には必須の道具であるが、外の世界でもその原型が生まれたのが十九世紀の半ば以降のヨーロッパであったため、幻想郷にそれが無いのはある意味当然だろう。

 

 仕方ないなどと嘯きながら、気負うでもなくどこかふてぶてしく座り直し、将棋盤に向かい直す西宮。老人はそれをどこか楽しげに眺めていた。

 戦意十分と、そういうことで。勝負を吹っ掛けた老人側はその態度に満足したように笑みを深め、行儀の悪い胡座のまま、西宮が置いたのとは将棋盤を挟んで逆の位置に、ざっと同額程度の銭を置く。

 

「おうおう、やる気だの。おい店主、駒だ駒! 対局開始じゃ!」

「貸出料金と場代は掛け金の一割となります。あとご老体が勝ったらそれはツケの返済に回しますので」

 

 そして景気良く叫ばれた言葉に対し、事務的に―――ただし金の匂いに対して満面の笑顔で告げられた言葉に、機先を潰された老人と西宮はがくりと肩を落としながら掛け金の山から一割の銭を店主に渡したのだった。

 

 

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 そして話は冒頭に戻り―――西宮は強い異物感を感じる盤面を挟み、老人と対峙することになっていた。

 異物感というのは無論、盤面の中央手前、玉将の正面に位置する醉象が原因だ。

 醉象。現代の本将棋のみを知る者であれば聞き覚えの無い駒であろうが、醉象自体の歴史は古い。

 

 古くは鎌倉時代初期に成立したとされる事典である二中歴という書物に、平安時代に指されていたと思しき平安将棋、並びに平安大将棋についての記載がある他、山の天狗や河童が指している十五×十五の盤面で行う物は大将棋、或いは鎌倉大将棋と呼ばれるものであり、その名の通り鎌倉時代に指されていた記録が残っている。

 

 そこから盤面と駒を整理した十三×十三のものが中将棋であり、それ以外にも歴史の流れの中で十七×十七の大大将棋だの、実際に遊ばれた記録は無いが三十六×三十六というふざけた広さで行われる大局将棋なども、文献上は残っている。

 とにもかくにも、将棋とはおよそ千三百年ほどの長きに渡り遊ばれ続け、形の変わり続けてきた遊戯である。小将棋と呼ばれる現代の本将棋に近い九×九の盤面のものから、醉象を取り除いて現在の本将棋になったと考えられているのは十六世紀頃。

 一説によれば元禄年間に出版された歴史書によると天文年間(十六世紀序盤~半ば頃)に後奈良天皇が命じたものだともされているが、正確なところはわかっていない。

 

 ともあれ醉象という駒が将棋から取り除かれたのは、最近僅か四、五百年程度の間の事であり、醉象が入っていた時期のほうが将棋の歴史全体で見ると長いのである。

 或いは旧い妖怪であれば、醉象入りの盤面の方が慣れているという者も少なくないだろう。

 

 そしてこの醉象という駒はどういう駒か。

 動きとしては真後ろ以外の七方向に動ける、王将や玉将に近い自由度を持った駒であるのだが、最大の特徴はやはり成り駒になると“太子”となり、王将が取られても太子が残っていれば負けではなくなるということだ。

 王が取られても決定的な敗北ではなく、血筋が残っていれば立て直せる。そういうルールなのだろう。

 

 ちなみに小将棋に限らず中将棋、大将棋は“取った駒の再利用が出来ない”という点で本将棋と大きく異なっている。

 その辺りの歴史上の変遷も色々と理由や時期についての考察があるが、その辺りは又の機会に譲るとしたい。

 ともあれ取り駒の再利用が無いという点では、将棋のルールとしては本将棋に比してかなり簡略化、高速化のされた物だと言える。

 中将棋や大将棋だと、それでも盤面の大きさと駒の多さから本将棋より時間がかかったりするのだが、駒の数が本将棋とほぼ変わらない小将棋だとほぼ純粋な軽量化・簡易化に繋がっている。故にこその冒頭での西宮の『本将棋より軽い』発言に繋がるのだが。

 

 しかし西宮が感じる決定的な異物感は、不慣れな小将棋のルールもあるが、それ以上に醉象の位置だ。

 その位置は玉将の真正面であり、飛車が盤面の中央を抜けて向かって左側に布陣する為の障害となるのである。

 

「……振り飛車、中飛車は使えませんね」

 

 パチン。

 小気味良い音と共に一手が指される。

 

 振り飛車とは序盤で飛車を定位置から大きくもう片翼に移動させる戦法であり、外の世界では振り飛車の一種である四間飛車の使用率がプロ対局の二割以上を占めていた時期もあるくらいに一般的な戦法だ。

 逆に定位置かそれに近い位置に飛車を配置して運用するものを居飛車という。

 

「ほぉう? これはまた懐かしい戦法の名が出たな。しかし中飛車とはの」

 

 パチン。

 応じる一手に迷いは無いが、老人の口元には苦笑が浮かんでいる。

 

 中飛車とは居飛車でも振り飛車でもなく、玉や王の真ん前、ど真ん中に飛車を配する戦術だ。初心者がよく使う戦術であり、攻め気が強い手筋ではあるものの戦術としては脆く、かつては『下手の中飛車』という言葉もあったくらいである。

 ちなみに本将棋においては非常に古い戦術であり、徳川家臣の松平家忠の日記にも中飛車に関する記述が載せられている。

 

「こちらでは『下手の中飛車』のままかもしれませんけどね。外では色々と戦術が研究されていまして、中飛車といえど馬鹿には出来ませんよ。超急戦は俺の好みでもあることですし」

 

 パチン。パチン。

 

 ちなみに西宮の場合、外の世界で好んで用いていたのは中飛車だ。

 特に西宮が神奈子に将棋を教わり始めた頃に外の世界で全盛を迎えていた『ゴキゲン中飛車』なる戦術は非常に攻め気が強い超急戦型の物であり、彼自身の好みに合っていたので今でも良く使っている。新しい戦術だったので対応しきれず、師である神奈子が西宮に初敗北を喫したのもこの戦術だ。

 

「ふぅむ。では機会があれば見せて貰うとして―――それらの手筋が使えんと、必然居飛車となるが?」

 

 パチンパチンパチン。

 

「そも、居飛車も振り飛車も中飛車も、取った駒の再利用が出来ないって時点で本将棋のシステムは応用できませんからね。いっそ今から考えますよ」

 

 パチンパチンパチンパチン。

 

 会話を交わしながらも手の動きは止めず、両者はリズミカルに駒を動かして行く。

 初めて触れる駒を面白がるように、醉象を押し出していく西宮。序盤の盤面はやや西宮有利で進んでいく。

 

 

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 パチン…………パチンパチン…………パチンパチン。

 

「……待った。長考を」

「どうぞ」

 

 中盤戦。盤面を睨みつけた老人が渋い顔で長考を申請する。

 西宮はぬるくなりかけの茶を啜りながら、それを了承した。

 

 老人は駒を触りながら、ああでもないこうでもないと策を練っているようである。

 茶のお代わり(※有料)を持ってきた店主が、『ああやっぱりか』という表情を浮かべていた。

 それを見た西宮、手持ち無沙汰ついでにそちらに話題を振ってみる。

 

「……店主さん、ご老体ってもしかして……」

「ええまぁ、下手の横好きという奴らしいですな。孫娘さんは将棋は好まないわ、元主君やその親友殿は強すぎて話にならないわとかで、よくここで賭け将棋の相手を探してるんですけど」

「聞こえとる聞こえとる! そこ、聞こえとるから!」

「ツケさえ完済してくれれば黙りますよ」

 

 呆れたような店主の声に、『ぐぬぬ』と声をあげて老人が盤面に向き直る。

 しかし小将棋には不慣れな西宮だが、盤面の有利は明らかだ。神奈子の薫陶を受けた西宮がこの手の遊戯に慣れているのもあるのだが、ぶっちゃけ老人が普通にヘタだった。

 

 駒の数自体はほぼ互角だが、西宮側は醉象が敵陣の中で太子に成り、飛車と角行といった大駒が未だ健在。しかし老人の方は太子と飛角が討ち死にしている有り様である。

 さて、ここからどう盛り返す気だろうと思って西宮が見ていると、老人はやおら力強い動作で自分の金将を掴み、

 

「ギュィィィィィン!!」

 

 なんか効果音を声で出しながら、斜めに三マス(・・・)移動させて西宮の飛車を討ち取った。

 

「って、おいおいおい待てェ!! 爺様、金将ってそういう駒じゃねぇから!?」

「これは金将ではない! これは冥界の御庭番……! その双剣は無双であり、他の駒よりずっと強い!」

「自分で言ってて恥ずかしくないんですかご老体」

 

 呆れたような店主が、流石に強権発動で止めるべきかと思い、西宮と老人を見比べる。

 その視線に気づいた西宮だが、店主からすれば意外にも、盤面と店主を見比べた彼は笑いを口元に滲ませて頷いた。

 

「そっちがその気なら別に良いですよ。続けましょう」

 

 寺小屋の子供が言い出すようなルール変更に対し、その楽しそうな様子はどういうことかと店主が訝しんだのも数秒。

 盤面を見た店主は、その盤面―――というより金将改め冥界の御庭番の位置を見て絶句した。

 

「同、桂馬」

 

 パチンと小気味良い音と共に、西宮が動かした桂馬が冥界の御庭番の位置に移動。

 

「ああああああああああ!?」

「御庭番、討ち取ったりィ!」

 

 冥界の御庭番、桂馬により討ち死に。

 

 

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 パチン…………パチンパチン…………パチンパチン。

 

「……待った。長考を」

「おじいさん、さっき使ったでしょ」

 

 終盤。駒の数に目に見えて差がつき、隙間妖怪やら冥界の姫やらという名が付けられた桂馬やら醉象やらが無残に討ち死にしたところで。

 老人は既に長考の権利も使い切り、うんうん唸りながら盤面を眺めていた。

 

「ちなみに好き勝手変な駒を生み出してくれた分のペナルティは受けてもらいますからね。店主さん、何が良いでしょうか」

「こっちに儲けが入ってくる類のが良いですねぇ」

 

 まだ客が少ない時間帯なので、完全にギャラリーと化している店主が西宮と軽い調子で話している。

 それらを聞いて、老人は額に汗を滲ませたまま大仰に頷いた。

 

「……今日は日が悪いのでこの辺りで解散で。勝負は引き分けという事に……」

「「なるわけないだろ」」

 

 事実上の敗北宣言であった。

 

 

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「んー、よく寝た! あー、そろそろ良い時間ですかね布教活動するのに」

「おう、起きたか東風谷」

 

 そしてそれから更に一時間後。

 ぐっすり爆睡して目覚めすっきり。大きく伸びをしながら奥の部屋から茶店に出て来た早苗が見たのは、団子と茶を手にして茶店の席に座っている西宮だ。

 

「美味しそうな物食べてますね。一口ください! あ、店主さーん! 私にもお茶とお団子!」

「起き抜けでそれかよ。元気だなお前」

 

 小走りに西宮の横に来て、景気良く注文を飛ばす早苗。その眼前に、机の上を滑らせるようにして西宮は小さな木箱を差し出した。

 渡された側の早苗はひょいと軽い様子で箱を手に取ると、しげしげとその箱を観察する。桐箱とは言わないが、そこそこ高そうな木箱だ。

 

「なんですかこれ? お団子?」

「食い物から離れろ暴食巫女(グラットンモンスター)。お前確か昨晩辺り、ヘアーブラシ忘れたとか騒いでたろ。外の世界からこっちに持ってきてなかったって」

「ええ、まぁ。準備したつもりでも、いざ生活ってなると無い物も多いんですよ」

「そういうもんも徐々に揃えていかんとな。……で、それ。お前がぐーすか寝てる間に霧雨道具店ってとこで買ってきた(かんざし)

「え、簪?」

 

 僅かに驚いたような声をあげ、早苗は手早く箱を開ける。

 中にあったのは、早苗からすればやや大人びたデザインの高級そうな櫛だ。綺麗な飾り彫りがされ、漆で黒と紅に塗られている。

 あまり世事に長けているわけではない早苗からしても、それなりの高級品と分かる品である。ただし、事前に聞いていた『簪』という単語から想起される物とは違う物であったため、早苗は小さく小首をかしげた。

 

「……簪っていうか……櫛?」

「贈答品として櫛を贈る時は、忌み言葉として簪と言うものらしい。全然知らなかったが、霧雨道具店で買い物に来ていた他の客に教わった」

「へぇ。なんか縁起を担ぐものなんですかね」

 

 日本では古来、櫛は別れを招く呪力を持っているとされ、現代の日本人でも老人や信心深い人などは櫛を贈答品にしたり気軽に貸し借りするのを嫌がる人は少なくないと言う。

 ―――が、現代っ子の現人神はさほど気にした様子もなし。霧雨道具店でも未婚女性への贈り物ならばそれも良しと、何故か客として居たやたら力強く桃色髪にシニョンキャップの女性に背を押された西宮も、アドバイスに従って縁起の悪い事にしないように『簪』と呼んだ程度でそこまで気にした様子はない。

 

 どちらかというと、そういった縁起云々よりも貰った物そのものが大事だとでも言いたげに、早苗は簪改め櫛を丁寧に箱に戻し、胸に抱くようにして笑みを浮かべた。

 

「なんにせよ、ありがとうございます。大事にしますね、西宮」

「あんまそこは気にせず、ちゃんと使えよ。なに、どうせ活動資金には全く手を付けずに手に入ったアブク銭だからな」

 

 布教活動開始前。茶屋で寛ぐ二名は数日後に控える異変―――後に風神録異変と呼ばれるそれの存在も知らず、楽しそうに笑っていたのだった。

 

 

      #   #   #   #   #   #

 

 

 ―――なお、翌日。

 冥界にて亡霊の姫君が来客に対応して曰く―――

 

「はぁ、将棋? また賭け将棋をしたのねぇ、妖忌。勝てた試しが無いんだから―――え、お金貸してくれ? いやいや妖忌、あのねぇ妖忌。私もあんまり口煩くは言いたくないけど、妖夢の教育に悪いんだからそういう事は控えて――――口答えしない。正座なさい」

 

 

 とにもかくにも、風神録異変の前段階である今は、守矢神社のみならず幻想郷は全土的に平和なようだった。




華扇ちゃんの言動についてはまたいずれ。宴会辺りで語って頂く予定です。



■オマケ:今段階での幻想郷の人々からの西宮への評価■

紫:招いた神のオマケ(早苗)のオマケ。賢しく礼儀正しいので、人間にしては出来る子。

魔理沙:おのれなんだあの勘違いは。いずれ復讐してやる。

文:大昔の人間を思い出させる目をした、面白い人間。

阿求:守矢神社という神社の信者の方。礼儀正しく話しやすいが、歳相応の部分もある。

妖忌:いずれ巻き上げられた分は取り返す。

椛:あーうん大丈夫ー大丈夫ー覚えてるッスよー。人里のー、えーと、農民の田吾作君。あの樅の木まだデカくなってんスか?

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