自由の向こう側   作:雲龍紙

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 『kei』は『雫』。

 流れ落ちた一滴は、水面に微かな波紋を描いて揺らす。




【kei 01:Fhyu nya, nanarta won dor anw sabl lusye.】

 

 

 壁外調査――――遠征から帰還した調査兵団には、報告書作成の期間として数日の休暇が与えられる。その為、トロスト区に自分の家を持つ者は自宅に帰る者もいた。自分もその一人である。

 

 両親は流行り病で亡くした。その両親から譲り受けたので実家と言えばそうなのだが、帰りを待つ者もいないなら、「実家」とは認識しづらい。

 今もトロスト区郊外にある自宅は、明りも無く静かに佇んでいる。

 

 ――――が。

 

 その自宅前の階段に座り、ぼんやりと空を見上げている人物が誰かを認識した時、私ことイルゼ・ラングナーは思いっ切り絶叫した。

 

 

 

【kei 01:風、誘う 地に舞う砂の煌めきを 】

 

 

 

「納得いかない」

 

 ぶすっとした表情で食卓に肘を着き、頬杖をついているイルゼの言葉に予想外の来客――ユウは小さく苦笑する。

 

「何が、納得いかないの?」

 

「……何が? 何がですって?」

 

 ぎっとユウを睨み付け、イルゼは更に機嫌が低下するのを自覚した。

 

「全部よ全部! まず、何で『此処』にいるのよ!」

 

「実は壁が作られた当時から抜け道は存在していてね。普段カナギが使っている道を使わせてもらった」

 

 そんなものがあったのか。非常に忌々しき問題である。だが、それ以上に私としては一応、これでもひとりの女として問わなければならないことがあったりするのだ。

 

「――なんで私の家を知ってるのよ!」

 

「それもカナギ経由で。彼は鳥に訊いたらしいけど」

 

 情報源が鳥とか。もう無理。これは仕方ない。一般人な自分には手に負えない。別に私は動物と仲良くしたり植物と意思疎通できたりするような、そんな特殊な能力なんて持っていないのだから。手の打ちようがない。

 

「というか、なんで言葉通じてるのよ!!」

 

「もちろん、勉強し直したからね」

 

 まさかのユウ自身の能力らしい。――いや、勉強したと言っているので、努力はしたのだろう。しかし、である。そもそも勉強できるほどの言語サンプルがあることが驚きである。

 

「……一番気に入らないのはっ!!」

 

 びしっとユウを指さし、ちょうど出来上がったらしい彼が運んでいる料理を見て本気で泣きそうになった。

 

「なんでそんなに料理が巧いのよ!?」

 

 女子として恥ずかしいうえ、非常に悔しい。むしろもう何処へなりと消えてしまいたい。

 ユウは少し首を傾げて、困ったように笑った。

 

「ちょっと壁内の食事事情を見るに見かねて……えっと……ダメだった?」

 

「…………ダメじゃ、ないわ……」

 

 兵士の基本食は豆のスープとパンである。基本的に食料が慢性的に不足しているからそうなのだが、まさか同じ材料でまったく違う料理を作ってもらえるとは思わなかった。非常に悔しいのだが。

 

「じゃあ、食べちゃおうか」

 

 出来たての料理を食卓に乗せ、他にサラダやスープも用意されている。ほかほかと立ち昇る湯気と食欲をそそる香りで、非常に美味しそうに見える。というか、本当に美味しいんだろうな。やはり悔しい。

 

「美味しそうではあるんだけど、これ何?」

 

「こういう麺を使った料理は『パスタ』って云われるよ。今回はトマトソースだね」

 

「ふ~ん」

 

 くそぅ。忌々しい食糧事情め。ひいては巨人め。

 最後に水を持ってきたユウを不貞腐れながら眺めていると、席に着いたユウは料理を前に両手を合わせ、静かに「いただきます」と言った。

 

 その行為の意味が解らず、思わず瞬く。

 ユウは視線に気付くとただ柔らかく微笑み、僅かに首を傾げてみせた。

 

「イルゼ。食べ方は、わかる?」

 

 いえ。そもそも麺料理って何、という勢いで知りません。

 そう答えれば、ユウは「そうだよね」と言って頷いた。そして器用にフォークをクルクルと回し、パスタを巻き取るとそれを持ち上げる。

 

「こういうパスタの場合は、こうやってまとめて食べる」

 

 先に食事を済ませちゃおうね、と言って笑うユウを睨み、初めて見るパスタを攻略しに掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 予想以上に美味しかった食事の片づけも終わり、イルゼは改めて向かい合って座るユウに溜息を吐く。彼にとっての本題は、ここからだ。気を引き締める。

 彼は僅かに目を伏せると、静かに口を開いた。

 

「レヴェリー・メザーランスって名前であってる?」

 

「女の子の方はあってる。男の子の方は結局、聞きそびれちゃったけど。――本人?」

 

「十代半ばで、その組み合わせで、その名前なら間違いないだろうね。――ガハルド・バレーンの方はどうだった?」

 

「そっちはあっさり見つかった。今は訓練兵として確かに壁内にいるわ」

 

「そう。――ごめんね、こんなこと頼んじゃって」

 

 こんなこと、とは密偵の真似事のことだろう。だが、別に無茶なことはしていないし、応えられる範囲のことにしか手を出していない。

 思わず軽く笑って、肩をすくめて見せた。

 

「別に、このくらいはお安い御用ってところだわ」

 

 だが、ユウは困ったように――いや、どちらかというと申し訳なさそうに微笑み、やはり静かに、淡々と告げる。

 

「うん。でもごめん。――つけてきてた人たちって、君の上官絡みで合ってるよね?」

 

 ――――うん。そんなこと知りませんが、何か?

 

 思わず笑顔のまま、呼吸を止めて硬直する。

 つけられてたんですか、私。ということは、ユウの存在がばれてるってことですね? 見つけた時、思いっ切り叫んじゃいましたし。

 知らぬ存ぜぬで押し通すしか……無理かな。無理ですよね知ってました。

 

(あぁぁああぁあぁ……どうすんの、私。てかどうなるの……)

 

 思わず机に突っ伏し、どうするべきかを思案する。

 不意に頭を撫でられる感触にチラリと目を向けた。ユウは柔らかく微笑んでいる。

 どうもユウは私をペットか何かと思っているのではないだろうか。というか、そうでなかったら逆に何だと思ってるのか気になりすぎる。

 

「イルゼ」

 

「……いま、自己嫌悪に浸ってるんで、もうちょっと待って下さい」

 

「えっと……あまり時間も無いから、出来れば早く立ち直ってほしいんだけど」

 

 そう言われてしまえば、立ち直るしかないではないか。色々な意味で時間がないのも事実ではあるのだし。

 のそりと身を起こし、改めてユウに向き直る。ユウは安堵したように笑った。

 

「明日とか、君の上官に会ってみても良いかな?」

 

 ――――とりあえず、ユウは絶対的に言葉が足りていないと思ったのは、決して間違っていないと思う。

 

 

 

 






 れんあいフラグなんてない。
 むしろ父娘です。きっとたぶん。

 ……いや。祖父と孫娘かも。


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