『翼は風を謳う』
ほろほろと崩れるように金砂となって消えていくヒユウを眺めながら、その前に跪くカナギに衝撃を受けていた。
壁の中には、跪く、頭を下げる、という習慣は無い。せいぜい、王族に対する時のみくらいだろう。上官に対しても、敬礼はするが頭は下げない。
そのせいか、目の前のやり取りは非常に神聖な儀式に見えた。
【Arma 03:rre fwal hymme anw ee fhyu.】
三ヶ月。
それが、ヴォルフシュテイン卿と交わした調査期間だった。ただし、このうちの殆どは移動時間にとられる。実際の滞在期間は長くても半月だろう、と云われた。
「……まぁ、今回は諸事情があって、途中で裏技を使いますけど」
軽く苦笑と共に言われたが、その内容は教えてもらえていない。――まぁ、こちら側には言えない、あるいは伝えようの無い方法なのだろう。たとえば、ヒユウが使っていたような移動方法だとか。
エルヴィンは壁内に残るらしい。流石に3ヶ月も音信不通になるのは無理だと、そう言っていた。それに、自分がいればある程度の不都合は誤魔化せると。
送り込まれる面々も、かなり絞られた。次の壁外調査に紛れて出発し、途中で選出した者だけが分かれて本当の『外』へ向かう。ついでにカナギからは決まり悪そうな顔で言われていたことがあった。
「……ヴォルフシュテインに、イルゼを置いて来てしまった。申し訳ない」
どのタイミングだ、と思ったが、理解した。
あの、ユウが化け物に攫われた日の昼間だ。たしかに、それ以降、イルゼ・ラングナーの姿を見ないと思っていたら、まさかそんなところにいようとは。というか、その時には一体どんな移動手段をとったのだろうか。――正攻法ではないのは察するが、それはあまり乱用していいものでも無いのではないか、とも思う。
ユウとカナギはまだしばらく壁の中に残るらしい。主にユウの体調のせいだ。延命剤は投与したものの、それまでに無理をし過ぎていた為に熱を出して寝込むこと2日。主治医と化したカナギによってまだ数日安静にするように、というお達しが出たようである。
その際、レイフォンが笑顔で『今度迎えに行きますね』とか言っていたが、――深く突っ込むのは止めにした。こいつらは妙な言動でこっちが混乱するのを見て楽しんでいる節があると知った為だ。それを教えてくれたのはカナギである。
ちなみに、【狼呀】と【降魔】の距離感が近いのは普通のことなので、それ自体に深い意味は欠片も存在しない、とも教えられた。種族同士の相性とか、共生関係にあるとか、そういう話であるらしい。つまり、個人の努力ではどうにもならないレベルなので、慣れろ、と。
そんなことを横目で眺めつつ、壁外調査の準備をすること5日。そうしてトロスト区から出発し、ひたすらシガンシナ区を目指し、走り続ける。シガンシナ区に入り、巨人どもを片付けながら最も外側に在る壁へと登った。
最南端の壁の上。
そこが、レイフォンに指定された場所である。
ちなみにレイフォンもレンと共に同じように調査兵団に紛れてやってきたので、別に待ち合わせという訳では無い。
「――リヴァイ兵長」
傍らに立つレイフォンに声を掛けられ、静かに顔を向ける。レイフォンは街を見下ろし、戦う兵士たちを眼下に見渡してから、こちらに深い色の眼差しを向け、そっとひそやかに問い掛けた。
「あなたは、あなたを信じ、ついて来る人間を、切り捨てることが出来るひとですか?」
――――何の問いだ。
だが、そう思った反面、既に答えは察していた。
おそらく、何かを――俺の意思だとか生き方だとか、そういうものを訊いているのだろう。
「――――俺は、背負うと決めている」
「省略した前半部分の方を聞きたいのですが――まぁ、いいでしょう。あなたは政治には向かない、紛うことなく、英雄として立てる人だ。どちらかと言うとダークヒーローっぽいですが」
「何が言いたいのかハッキリしろ」
「失礼。――英雄というのは、どこまでも孤独です。何故ならば、化け物と呼んで差し支えない力を持つ者が、人間に都合が良い方向性をもってその力を揮った場合に『英雄』と呼ばれるのですから。必要とされるうちはまだいいでしょうが、不要となれば、どうでしょうね。――――過去、そのような末路を辿った英雄は、存外多いものです」
レイフォンは懐から剣の柄のようなものを取り出す。青い石のようなモノ。
「――これは、錬金鋼と言います。【降魔】のみが扱える武器です。これに勁を流し、復元鍵語を発することで武器の形にします。――――【restoration】」
柄のような青い石――錬金鋼とか言うらしい――が蒼い光を孕んで融解するように伸び、剣の形となって再び固まった。一瞬、レイフォンの身体から薄青い陽炎のようなものが立ち昇った気がするが、気のせいだろうか。
いや。それよりも、いま気にするべきは。
「――おい、まさか」
「もし貴方が残す人たちを気にするのなら、巨人だけは排除して行こうと思います。憂いを絶つために」
いかがでしょう、と笑顔で言われ、思わず押し黙る。
――――正直、自分としては同じ土俵にいない人間に自分たちの役目を奪われるようで、あまりいい気分にはならない、という心境に近い。
だが。
それで、少しでも死傷者が減り、脅威が減るのなら、合理的に考えてこんなプライドはいらないのではないか、と思う瞬間があるのも事実だった。
沈黙し、逡巡する。
その様子を見ていたらしいレイフォンは、あろうことか軽やかに笑ってみせた。
「――その葛藤を、忘れてはいけませんよ。しかし、人を率いる立場にあるのなら、その葛藤を曝してもいけません」
「…………孤高であれ、とかって話をしたいのか?」
「まさか。――――僕と貴方は同じ土俵にいない。それを知りながら、貴方もエルヴィン団長も、僕たちに丸投げしたりはしなかった。きっと、本能的に感じていたのでしょう。それをして、巨人という脅威を取り除いても、今度は僕たち『外』の人間こそが貴方たちにとっての巨人に成り代わるだけであろうと」
苦笑しながら告げられた言葉に、思わず深く嘆息した。
空を仰げば、いつも通りに蒼く、広い。
「……お前らが、俺たちに気を使い過ぎているほど、使っているのが良くわかった」
それはもう、神経質なほどに。慎重に、細心の注意を払って、考え考え、言葉も態度も選びながら、まるで何かに怯えるようにしながら、接してきているのだと。
こいつらは、たぶん――優しいのだと。
「確かに、お前の言ったようなことも考えた。だが、それでも今の内地よりお前たちに丸投げした方が、一般市民にとっても俺たち兵士にとっても、最小の被害・損害ですむだろう、とも考えた。――迷ったのは、お前たちが巨人に代わる脅威となるかどうかじゃねぇ。それをしたら、俺たちは何かに屈したまま、二度と自分の足で立ち上がることが出来なくなるような気がしたからだ」
隣に立つレイフォンの目を見て、しっかりと告げる。
「――俺たち『調査兵団』は、家畜の安寧を良しとしない。何故なら、俺たちが望むのは安寧では無く、自由の翼で羽ばたける大空と、広大な世界だからだ。――そして、お前たちは『外』から吹いてきた、願っても無い恰好の『風』だ。その『風』に乗れば、俺たちはもっと高く飛べるだろう?」
その為にこそ、俺たちが、お前を利用するのだと。
決して、お前らが危惧することは、起こらないのだと。
万が一、その危惧が現実になろうと、それをお前たちが気に病む必要など無いのだと。
そう、意思を込めて蒼い空のような双眸を見つめる。それを受けて、レイフォンはゆっくりと口角を上げて微笑んだ。――たぶん、こっちがレイフォン本来の笑みなのだろう。少し陰のある、けれどじんわりとした温もりを感じるような、木漏れ日のような微笑み方。
幼いままではいられなかった、子供の微笑。
「――――訂正します。貴方は『英雄』では無い。良くも悪くも」
どこか泣きだしそうな笑みでレイフォンは手にした剣を大きく振り払い、そうして眼下の街並み、戦う兵士、巨人を見渡す。
「きっと貴方は『銀の勇者』と云うほうが、よく似合う」
そう言ってから苦笑を零し、そしてレイフォンは50メートルの壁上から一段降りるような気安さで、止める間もなく宙に一歩、足を踏み出した。
デモンストレーションの幕開け。
ちなみに、『銀の勇者』は白泉社の花とゆめコミックスから出ていたタイトル。全5巻で完結済み。というか、絶版のはず。