「お、父さん」
「よぉ。今日も来てやったぜ」
扉にもたれかかり、煙草をふかすその人は、まぎれもなくどうしようもないほど俺の父親だった。
「そっか、今日だったね」
自分の声のトーンが下がっていることを自覚してしまう。
この二日。いやここ最近、本当に毎日が楽しくて。つい忘れていた。俺の周りに人が増えるほど、その存在がより目立つというのに。
「ほら、さっさと出せよ。こちとら暇じゃねえんだ」
そう言って差し出される掌。しかし、俺はいつもの物を手渡すことができなかった。
なぜなら――――――――。
「ごめん。今日はバイトに行ってないからもらってないんだ。
「ああ?」
なぜなら、この二日は合宿に行っていてお給料をもらっていないから。現金支給だから。そう言ったところでこの人は許してはくれない。現に先ほどまで上機嫌だった父の表情は見る見るうちに豹変していった。
「そりゃあどういうことだ!ああ!?いつも俺この日に受け取りに来てるよなぁ!それなのに用意してないってことはこれ、いっちょ前に反抗気か!?ええ!?」
そういって、俺は殴られる。その衝撃で後ろに吹っ飛んだ。口の中に嫌な鉄の味が広がる。久しく味わっていない味だった。
その後も、父は土足で上がりこみ、ストンピングの嵐。「てめぇ、がっ、誰の、おかげで、ここまで生きてこられたと、思ってんだ!」
亀のように背中を丸めて嵐が過ぎ去るのを待つ。
「明日、明日また来る。それまでに用意してなかったら―――――――わかるよなぁ」
そう捨て置いて、父はこの家を出て行った。
「っ!!!」
一気に肺から吐き出される空気と共にごろりと寝転がる。天井の白さと蛍光灯の光が嫌にまぶしくて、思わず目を細めた。最近は怒られることもなかったのに、中学以来かな?口の中に広がる血の味を噛みしめながら、土足で上がられたために付いた靴跡に気がついた。
「掃除しなきゃ」そう言って起き上がる。
見ると、靴跡が泥にまみれていて、そこでようやく外は雨が降っていることに気づいた。窓から外を見るが、真っ暗でよくわからない。
泥を落としていると、またチャイムが鳴る。まさか、父が帰ってきたのかと、少し身構えながら扉を開けると。
「あ、海田君?あのねぇ、何か大きな声が聞こえたもんだから、どうしたのかと思って」
「―――――大家さん。すいません。以後気をつけますから」
扉を開けると、そこには大家さんがいた。きっと父の怒号を聞いて、怪しく思って来たのだろう。気をつけなければ、前の家見たく追い出されかねない。
すると、大家さんの視線が俺の口元に注がれる。
「血、がついてるみたいだけど?」
そう指摘され、ばっと、思わず口元を覆ってしまった。しまった。まだ拭いてなかった。
ごしごしと、手元で口元をふき取りながら「鼻血、ですよ。口にもついちゃって」たはは、とごまかす。それでも大家さんの訝しんだ目は消えなかったけど、なんとか注意だけして帰ってくれた。
扉を閉めて、カレンダーに明日の日付の下、お給料と大きく赤文字で書きこんでから、疲れた体を引きずってようやく深い眠りに着いた。
次の日、俺は一本の電話で目が覚める。誰かも確かめずに電話にでる。
「―――――――はい」
寝起きのかすれた声に電話の主は心配そうに声を出した。
「あれ?雪ちゃん?大丈夫?」
その声で、相手が穂乃果だと知る。最近はこの携帯の電話帳も以前より増えた。
「うん?うん、今起きた」
「え!!今もうお昼だよ?」
その声と同時に、時計の針を確認する。完全に正午を回って、もうすぐお昼休みが終わりそうだった。
「ね、寝過ごした」
「珍しいね。雪ちゃんが遅刻って、あんまりないよね?」
今日は、カレンダーにも書いてある通り、お給料をもらいに行かなければならない。それも5つからだ。・・・学校はもう休もう。
合宿の疲れと、寝起きのけだるさと、これからの憂鬱感に襲われて、学校はサボることに決めた。
「雪ちゃん?」
「あ、ああごめん。それでなんだっけ?」
学校をさぼることを決めていると、穂乃果の事を忘れていた。
「あ!そうだった。忘れるところだった。・・・あのね、雪ちゃん。心して聞いてね?」
「うん」
電話の向こうで一呼吸置くのが分かる。
「なんとミューズの順位が19位になったんだよ!!!」
あまりの声の大きさに思わず耳を離す。
「へー」
「反応うっすっっ!!!もっと喜んでよー」
「え?」
どこを喜んだらいいのか、数秒考える。確かに19位ってすごいけど・・・ん?19位?
「穂乃果、ラブライブ出場って何位からだっけ?」
「まさか忘れたの?雪ちゃん?ホントにおっちょこちょいだなー。20位からだよ」
「てことは・・・・ラブライブ出場ってこと?」
ラブライブ出場のボーダーラインは20位、そして、今しがた聞いたミューズの順位は19位。つまり、そういうことだろう。
「そうだよ!雪ちゃん!このままいけば私たちラブライブに出られるんだよ!?」
「―――――――――――――」
「・・・雪ちゃん?」
「ああ、ごめん」
声も出なかった。一瞬で今までの事がフラッシュバックする。最初のライブ、人が集まらなかったこと。花陽たちがメンバーになってくれたこと、廃校の危機が間近に迫って、でも、その危機を絵里先輩たちと脱したこと。
本当に、長かったような、一瞬だったような。
「とにかく、おめでとう。穂乃果」
「いやー、照れるなー。でも、まだ本決まりってわけじゃないから、これからもより一層頑張んなきゃだけどね」
「そっか、ファイトだね?」
「うんっ!ファイトだよっ!」
それを最後に電話は切れる。
カーテンを開けて、もうすっかり高く昇った太陽を見上げながら一つ伸びをする。多少の憂鬱感など、どこかへ行っていた。
「はい、これ」
「おお、わりぃな」
昨日とは打って変わって、いや、昨日も最初は機嫌が良かった。機嫌が悪くなったのはお金を受け取れないと知った時。
「また、来月も頼むよ」
「うん。あの、さ―――――――」
「あん?」
その続きの言葉は、飲む込む。いつもでてこない言葉の続き。最早何を言いたかったのか、忘れてしまった。
「いや、なんでもない」
そういうと、父は少し機嫌が悪くなり扉を思い切り叩いて家を出て行った。
「・・・ふぅ」
ため息。そして壁に寄り掛かる。とりあえず、今月もまたバイトを頑張らなくてはならない。むしろ、ミューズや他の事に時間を使っているせいか、生活費が圧迫している。
「バイト、増やそうかな」
増やすとするならば、これでかけもちは6つ。流石にしんどい。この出費がなければ、バイトしなくてもいいとまでは言わないが、少なくとも掛け持ちも歳を偽ることもしなくて済む。
いや、と首を振る。
俺が、多少頑張れば済む話だ。誰に迷惑かけるでもない。それに、世の中には俺より悲惨な人なんてありふれている。俺が弱音を吐くわけにはいかない。
ひとつ、また息を吐いて、気合を入れなおした。
「ちょっと、雪」
「ツバサ先輩」
放課後、バイトに行こうとした時、俺のクラスにツバサ先輩が現れた。
周りの生徒が多少ざわつく。それもそうだろう、この学園に来た人のほとんどはアライズ目当てだろうし、同じ学校とはいえ、一年と二年じゃあまり親しみはない。
「ちょ、ちょっと海田君!なんでアライズの綺羅ツバサ先輩と知り合いなの?」
隣にいる女子に話しかけられる。最初のころはなんだかなじめなかったけど、穂乃果達のおかげか、なんとか話しかけられるまでにはなった。
「えーっと、成り行きで?」
「どんな成り行きよ!」
「え?海田君、あの綺羅ツバサさんと知り合いなの?なんでなんで?」
「あ、えっと」
話を聞いていた近くの数人の女子に囲まれる。俺が対応に困っているとツバサ先輩が助け船を出してくれる。
「ごめんなさい。ちょっと彼に用事があるの、借りてくわね?」
「「「「は、はい!」」」
・・・凄いな。あれだけ騒がしかったクラスの女子たちを一瞬で黙らせていた。目を見るとみんなもれなくハート型になっている。
「――――――――ここまで来ればいいかしら」
クラスから離れて、階段の隅。一通りがあまりない場所に連れてかれる。
「あの、助けてくれてありがとうございました」
「いいのよ。もとはと言えば私のせいだしね」
振り向きざま、髪をなびかせながらそういうツバサ先輩に、俺はひとつ質問をする。
「それで、なんの用事でしょう?」
「そのまえに、私が生徒会長をしていることは知ってるわね」
「いえ、初耳ですけど」
ひざかっくんを食らったような衝撃に見舞われるツバサ先輩。
「ま、まぁいいわ。その生徒会からの指導というか、なんというか。あなた昨日学校サボったでしょ?」
「あ、はい」
結局、起きたのがお昼過ぎだったのもあり、電話を入れるのがかなり遅くなってしまった。
「それで、ホントは反省文を提出しなきゃなんだけど、私の口添えで免除になったから」
「え?それは、またなんで?」
「もちろんタダじゃないわ。またあなたに練習を見てもらう、それが条件よ」
練習を見る、それだけで反省文がなし。断る理由なんかどこにもない。
「そんなんでよければ―――――」
いいかけて、途中で止まる。今日は、バイトを増やすために求人誌を見ようとしていたのだ。もともとのバイトもあるし、時間的に厳しい。
「どうしたの?」
「いえ、それは今日の話ですか?」
「いえ、あなたの都合に合わせるけど・・・」
そうか、それなら良かった。安堵していると、ツバサ先輩が訝しんだ視線を送る。
「いや、ちょっと今日は都合が悪いってだけで、明日なら大丈夫ですんで」
ちょっと早口になりながら弁明する。
「―――――そう。なら明日。あなたの教室でまってて」
「わかりました」
昨日の話があり、俺は一人、放課後の教室でたそがれていた。
「あら?待ったかしら」
「今回はすまないね。急な用件で。ツバサが教師たちに提案し出した時は何事かと思ったぞ」
「そうそう~。先生たちもびっくりしてたよね~」
「もう!その話はいいでしょ!?」
教室に着くや否や、三人で仲睦まじくおしゃべりする。
「いえ、俺のほうは。大した用事もないですし」
「またまた~。ミューズの皆さんとよろしくやってるんだって?」
あんじゅがわき腹をつつく。
あんじゅとはクラスが隣ということもあり、メールを交わす仲にはなっていた。
「どこでそれを?」
俺の知る限りではそんなこと話していないのだけど。
「ツバサから聞いたのだよ」
今度は統堂先輩が肩に手を置いてくる。二人とも顔がにやついていた。
そういえばツバサ先輩と一緒にアイドルショップに行った時、そんな話をした気がする。
あれ?でも確かあれって夢だった気が・・・・・。
ツバサ先輩の顔を見ながら俺が自分に自信が持てなくなっていくころ、ツバサ先輩が思い出したように言う。
「そういえば、ミューズ。昨日のランキングで予選突破圏内に入ってたわね」
「ええ。俺も穂乃果から電話がきて知りました」
「ほう。呼び捨て。しかも電話で。ねぇ」
統堂先輩がからかうように手をまわしてくる。クールな人という印象だったけど、話していくうちにこういう面も垣間見えるようになった。
「すごいね~。雪君は。私たちともミューズとも関係を持ってるなんて♪」
「かかかか、関係!?雪と私たちはそんなふしだらな関係だったのか!?」「そんなわけないでしょ」
統堂先輩が一人、顔を赤らめながら誤解しているとツバサ先輩のチョップが入る。
「別に、凄くないですよ」
アライズのみんなと知り合えたのなんて偶然だし、ましてやミューズのみんなとなんて俺は何もしてあげられていない。そりゃ確かに、アライズともミューズとも仲良くあるのは事実だけど。それは別に、俺が凄いからってわけじゃない。
「そう?結構助かってるんだけど、私たち」
そう言ったあんじゅの表情は穏やかそのもので、もし本当に、ほんの少しでもそう思ってもらえていたら。この胸に湧く感情を抑えなくてもよいのだろう。
けど、と俺は自らを戒める。かつて、そうやって調子に乗って、一人の女の子に傷を負わせたことを。あんな思いはもうしないと誓ったことを。
「そろそろ、時間じゃないですか?練習、始めましょうよ」
あんじゅの声には答えずに、時間を告げる。
「おお。もうそんな時間か」
「それじゃ、始めましょうか。練習」
入念にストレッチをするみんなのサポートをしながら、そういえば合宿以来ミューズのみんなと会っていないことに気づく。バイトが決まれば、ますます忙しくなるだろうし、練習に顔を出そうと決めて。
そして俺は、何にも見えていなかったことを、見ようとしていなかったことを思い知らされることになる。
どうも、例の青い紐になりたい、高宮です。
あと少しで、スクフェスの地区大会が開催されますね。
俺は一応、応募してみて、福岡の午後の部当たりました。倍率がどれくらいなのかはわかりませんが、参加賞もらいに行ってきます。