「お姉ちゃん!!」
傍にいた雪穂が、倒れた穂乃果に駆け寄る。周囲がどうしたことかとざわざわし始め、ミューズの他のメンバーも、穂乃果に駆け寄った。
亜里沙ちゃんが先生を呼んでくると言い残し、それに他の生徒も何人か続いた。
冷たい雨が降りしきる中、依然として屋上は緊張感に包まれている。
・・・・・俺以外は。
皆が各々にできる最善を尽くそうとしている。真姫ちゃんと海未と花陽がお客さんに説明しているし、絵里先輩は穂乃果を裏に連れていく。他のみんなはこれからどうするかを話し合っているようだった。
けど、俺は――――――――。
俺だけは、未だその場から一歩も動けないでいた。
――――――穂乃果が倒れた?
―――――なんで?―――――――――――――――――――――――――ライブは?
俺は何をすれば?――――――何かしていいのか?――――――今まで何もしなかったのに?――――――あんなに頑張っていたのに―――――――――いや、頑張っていたから?
サインはあった。けどまた、何にもできなかった――――――――――――――――いや、そもそも何かしようなどと図々しいのでは。―――――――――――――――――――けど穂乃果が倒れてるんだ。行かないと。――-――――行ってどうする。
汚くて何にもできないこんな俺なんか。―――――――――――結局。役には立たない――――――――。
ぐるぐると、考えが巡り、巡る。虚空を見つめていると、海未と目が合う。なぜか気まずくて気づくと、屋上から飛び出していた。恥ずかしかった。何にもなれない自分が。何の力にもなれない自分が。どうしようもなく恥ずかしくて、いたたまれなくなった。
ずぶ濡れとなった髪が、シャツが、ズボンが、靴が、肌に不快にまとわりつく。それらを振り払うように懸命に走る。途中、先生を呼びに行っていたであろうあの三人娘と亜里沙ちゃんに見つかるも無視して走る。
走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。走る。
走って走って、肺の中の空気をぜんとっかえして、それでもまだ足りなくて、空っぽにして。走り過ぎておぼつかない足が靴ひもを踏んだ。不様にこける。口の中に泥を盛大に含んでしまい、苦みが広がる。とっさに唾と共に吐く。泥にまみれた姿は惨めなものだったろう。それでも気にせずに走る。走ったその先に待っているものなどありはしないというのに。
ここがどこかもわからない。道など考えていない。どこにいくかもわからない。行くあてもない。打ちつけてくる雨に目も開けられない。鼻は呼吸をすることを忘れ、手足は千切れそうになる。それでも走った。自らの犯した過ちを悔いるかのように、詫びるかのように。誰に届けるわけでもなく、ただひたすらに走った。
走って、走って、走り疲れて。やがて足は言うことを聞かなくなる。足だけじゃなく、手も、脳も、肺も、すべてが自分と乖離していくようで、自分の意思から離れていくような感覚。
そしてやがて意識さえも自らの手から、滑り落ちた。
甘い匂いに目が覚める。知らない天井だった。
いや、よくよく見て見れば、見覚えがある。
「あ、起きた?」
未だ自分のものとは思えない状態の上体を無理やり引き起こし、声のするほうを見やる。
そこにいたのは、これもまた見覚えのある人だった。長い黒髪をアップテンポにまとめ、端正な顔立ちから光る鋭い切れ長の眼はけだるさに満ちていた。
数秒間、顔を見つめてああと合点がいく。この人はお隣さんだ。といっても顔を見ればあいさつする程度で深く話をしたことはない。なんでもお水の商売をやっているらしいことは、大家さんから聞いたことがある。
「あんた運がよかったわね。橋の上で倒れていたのをたまたま見つけたの。それでここまでおぶってきたのよ」
不満げに事の顛末を話すお隣さんは疲れたといった様子で肩をまわす。
どうやら意識を失っていたらしい。そこでようやく自分がベットに寝させられている事に気づく。どうやらここはお隣さんの家の様だ。どうりで天井に見覚えがあると思った。
運が良かった。先ほどお隣さんはそう言っていた。はたして本当にそうだろうか。あのままくたばっていたほうが良かったんじゃないか。段々と意識が覚醒していくにしたがい、頭をもたげるのは疑問の渦。そして、はっきりと頭の裏側に穂乃果の倒れていく映像がこびりつくように映し出されている。
もっと、練習に顔を出していれば。穂乃果の異変に気が付いていれば。もっと俺に周りを見渡すことができたなら。もっと俺が誰かの話に耳を傾けていれば。もっと―――――――もっと――――――――。
そうしていれば、もっと俺は幸せになれたのだろうか。あの父親からも、もっと―――――――――。
考えても仕方ない。分かってはいる。分かってはいるのだが、それでも考えてしまう。
なんだか以前にも同じような事を考えていた気がする。その時はどうしたのだっただろう。
思い出せずにいると小さな頃の、穂乃果に怪我をさせてしまったことが頭の中に浮かび上がる。もう泣かせないと決めた日の事を、もう傷つけないと誓った日の事を。
「どうした?頭でも痛い?」
気づくと、お隣さんが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「ほら、ミルクココア。これ飲んで落ち着きなさい」
マグカップになみなみと注ぎこまれたココアを受け取る。先ほどの甘い匂いの正体はこれだったのか。
湯気をフーフーと冷ましながら、ちびちびと口をつける。
「誓い破っちゃったな」
ずっと守ってきた誓い。どれだけ人を欺こうとも、それだけは守っていた。守りたかった誓い。
「それで、なんであんなところに倒れてたの?」
お隣さんがやれやれといった様子で訪ねてくる。
「それは――――――――」
この人に言ったところで、事態が好転するわけでもない。ましてや穂乃果が元気になることも。
そう思って、口をつぐんでしまう。するとそんな俺の心の中を察したのか、いらいらした口調で責められた。
「あのね!そんな聞いてほしそうなオーラムンムンに出して、言い渋るんじゃないわよ!さっさとしゃべれ!」
「・・・聞いてほしそうなオーラなんて出してないです」
心外な事を言われたので少し腹が立つ。
「出してんのよ現在進行形で。ナウよナウ!」
いいからしゃべれと、有無を言わさない圧力をかけられ、仕方なく。仕方なく
「ふーん。つまり幼馴染が頑張りすぎて、倒れて。それを過去のトラウマも手伝ってあなたは責任を感じていると。これからどう関わって行けばいいか悩んでるのね」
うまく整理して喋れなかったので、代わりに簡単にまとめてくれる。簡単すぎる気もするけれど。
しかしこうして簡潔にまとめられると、自分がいかに器の小さな人間なのか分かってしまって、余計落ち込む。
「お姉さんに言わせると「お姉さん?」」
思わず口に出てしまった疑問が気に入らなかったらしく、頭をたたかれる。グーで。
「い、痛い。なにするんですか!?」
「あなたが失礼なことを言うからよ。自分の発言には責任を持ちなさい」
やってることはひどいが、言ってることは正しく思えたのでおとなしく黙った。
「そんなに悩むくらいなら、いっそのこと切っちゃえば?その関係性」
お隣さんが、とんでもないことを口走る。
「そんなの!-――――――」
「切れないって言うんならそれでもいいのよ。あなたにとってその子たちはそれほど大事ってことなんでしょう。でも大事に思ってたものでもいざ捨てて見ると、それほど重要なものでもないって気づくこともある。断捨離って知ってる?」
お隣さんの問いに静かにうなずく。つまり断捨離とは、物への執着を捨て、ストレスや悩みも同時に捨てようというものだ。確かに固執している、俺は彼女らに。
「でも、最初に誓ったんです。俺は何にもできないから、せめて見ていようって」
「で?見ていてこういう事態になったわけでしょ?」
「――――――――っ!!!」
ぐっと唇を噛みしめる。そうだ、その通りだ。見ていて何が変わっただろう。ミューズにとって何かのためになっただろうか。ただの自己満足で終わってしまっていたんだ。見ているからと、それだけで何かをした気になって満足してしまっていた。
誓いだってそうだ。もうすでにいちばん古く、一番大事にしていた誓いは破ってしまった。いまさら一つ守ったところで、最早意味などない。
「関わるのをやめる・・・・・」
「まぁ、最終的に決めるのはあなたよ。ただ、頭空っぽにして、本能の声を聞くのもいいんじゃないかしら?」
本能の声。俺はいったい、何がしたいのだろう。何がしたかったのだろう。そもそもなぜここまで彼女らに固執するのか。幼馴染だから。それもある。頼まれたから。それもある。ミューズのファンだから。それもある。でも、それはアライズだって同じ。けど、俺はミューズをとった。あの時、足が傾いたのは、ミューズだった。
分からなかった。なにかパズルのピースがひとかけらだけ、なくしているようで。もやもやする。
「あ!バイト・・・」
なんとなしに、時計を見て見るともうすでにバイトが始まる時間だった。それもあの班長のバイトだ。
「なに?バイトなんて休みなさい。その体じゃ無理でしょ」
「いや、行きます」
ありがとうございましたとお礼を言って、それでも引き留めるお隣さんだったけど無理やり家を後にした。
だってあのバイト先には弱みがある。詐欺だとわかってそれでも雇ってもらっているのだ。それにまだやり始めて日も浅い。ここで欠勤したらクビになりかねない。
バイト先について、まず真っ先に遅れたことを謝った。すると煙草をふかしつつ真面目な顔をした班長から拳骨を貰う。これで今日拳骨を貰うのは二度目だ。
「さっさと支度しろ」
ぶっきらぼうに言う班長の背中を追っかけて、仕事場に戻る。けれど、頭ではやれると思っても、体はついてこない。ぼろぼろの体には流石にしんどくて、普段ではありえないようなミスを連発した。
「おい!新入りしっかり働け!!」
「・・・すいません」
額の汗をぬぐう。これ以上のミスは許されない。俺のような人物がミスをするのは現場にも悪影響だ。俺はしっかりと仕事をして初めて、存在できる。しかし、そう思えば思うほど、ミスは出てしまう。
「・・・・・・・・・・・お前もう今日は帰れ」
「え?でも、まだ一時間も経ってない―――――――」
「今のお前じゃ足手まといなんだよ」
こちらに背を向けたまま、冷やかに告げる。足手まといだと。そうして俺の代わりに、班長はさっさと現場に行ってしまう。
そこからは何も言えなくて、奥歯を噛みしめながら、帰る支度を済ませて大して何もしてないはずの体を引きずって、帰路についた。
その途中に、幸い時間は出来てしまったので考える。いや、本当はバイト中にも頭の片隅にあった。それで余計ミスが出たんだ。思えばきっとミューズにとっても、俺はそうだったんじゃないだろうか。足手まといだったのではないだろうか。
そんなことないとは、もう否定できなかった。否定する証拠は見つからなかった。
そしてもう一つ気づく。もう答えが出ていることに。
丁度、家の前についた。考えにはもう決着がついてしまった。本能の声に、耳を傾けるけど、やっぱり聞こえない。
階段を上がり、玄関の眼の前に不自然にマグカップが置いてあることに気づく。
そのマグカップにはどうやら先ほど俺が飲んだものが、ミルクココアが注がれている。そしてマグカップを重しにして手紙も共にあった。
「疲れた時には甘いもの!さっきより甘くしておいた。PS私はもう仕事に行くから洗って後日返せ」
静かな字で、けれどしっかりと書かれてある文面を読む。お節介振りに思わず笑ってしまった。
あの人はなぜここまでしてくれるのだろう。ただ単に同情したのか。ほっとけなかったのか。ただのご近所づきあいにしてはやり過ぎだろう。
すっかり冷めてしまったミルクココアを一気に飲みほす。なるほど、確かに甘い。ぼろぼろの体中に染み渡り脳がとろけそうになる。しかし、そんな甘さとは正反対に考えは苦みを増していく。マグカップの底に残ったかすを見つめながら、再度、幾度も幾度もゼロから考えたけど、やっぱり答えは変わらなかった。
―――――――――――――――ミューズと、みんなと関わるのをやめよう、と。
どうも、リトルバスターズ高宮です。
ぶっちゃけサブタイと後書きに一番時間かかってる気がします。
ネーミングセンスが欲しいよシェンロン。7つのゴールデンボールなら集めるから。