仕事、それは無くてはならないもの。
それがなくては人は生きてはいけない。勿論、お金を得るという行為ではあるがそれ以上に人生において仕事という概念がなくなれば人類の歴史は既に滅んでいただろう。
まるで起伏のない山のように、その人生はつまらないものになるはずだ。
「あなた、仕事中に何やっているのよ」
海田雪。齢、二十五。どこにでもある平凡な一中小企業に勤める企業戦士(死語)。
ただ、海田雪にとってはこの会社は他のどの大企業より魅力的な職場であった。
「いやー、つい現実逃避を」
その理由が今、目の前で呆れたようにため息をつく絢瀬絵里という存在である。
自身のデスクにあるパソコンには資料を作るためのエクセルが起動されており、冒頭にある文章がそっくりそのまま打ち出されている。こうでもしないと目の前にある仕事量に打ちのめされそうだったからだ。絶対仕事なんていらない。絶対だ。
「まったく、あなたは昔から変なことばっかり頭が回って」
「てへへ」
「褒めてないわ」
きっちりとしたスーツに身を包んだ絵里はこめかみをモミモミしながら、雪の隣に腰掛ける。
雪は?マークを頭に浮かべると、絵里は積もりに積もった資料を半分持っていく。
「もう退社時刻は過ぎてるんだから、早く終わらせましょ」
「絵里先輩・・・・・」
絵里のそのやさしさに感涙して前が見えない雪である。その隙で小さくガッツポーズをしている雪である。
「雪?」
「・・・・・・すいません」
そのガッツポーズをがっしりと現行犯逮捕されその恐ろしげな表情に平謝りする。
「・・・・うちをブラック企業にするつもり?早く帰るわよ」
「はーい」
誰もいなくなった社内で二人きり、彼にとってはこれもまた数ある幸せの一つであった。
「今日の晩御飯何がいい?」
「ハンバーグ」
結局、あの大量にあった資料のほとんどを絵里が片付けて頭が上がらない雪と二人、夜道を歩いている。
「いい?ああいうのは容量をつかみさえすればさほど難しい内容じゃないんだから」
「はい」
絵里は雪の上司である。絵里が入社して三年後。雪が同じ会社に入った時にはすでに絵里は部署のトップにまで駆け上っていた。流石である。
「ふふ、ほーんと聞き分けだけはいいんだから」
シュンとした雪を手のかかる子供を見るような眼で雪を見つめる絵里。そうこうしているうちに晩御飯の買い出しのため近所のスーパーにたどり着く。
「晩御飯、ハンバーグってことは・・・・えーっとまずひき肉よね。あと何が入ってたかしら?」
絵里は仕事は抜群にできるが料理に関してはまだまだ素人に毛が生えた程度であった。
「よし!ここは僕の出番だね!手によりをかけちゃうよ!」
なので家事に関していえば雪は絵里よりもちょっと鼻が高い。
「ちょ、駄目よ。今日は私が晩御飯の当番なんだから」
「そうだけど、仕事手伝ってもらったし。今日は僕が作るよ」
「そう?」
「そうそう!」
申し訳ないといった様子の絵里にやや強引にカートの主導権を奪う。
「まずそのなんに使うかわからないかぼちゃを置いておこうか」
「え?ハンバーグってかぼちゃ入ってなかったかしら?」
「入ってないよ。もう僕にはその発想が心配になるよ」
その後もなんやとかんや絵里のトンでも発想の一体完成したら何料理になるのかわからない食材を次々に撃破していき、無事にハンバーグを作るための食材を買い込んで家に帰る。
「ただいまー」
「おかえりー」
二人の声に家の中から帰ってくる言葉が一つ。
「あれ?亜里沙ちゃん」
「来ちゃいました雪さん!」
そこにいたのは絵里の妹である亜里沙。雪の一つ下である亜里沙は高校生の頃に雪穂という雪とは縁ある人物とともにスクールアイドルを結成していた。
「いいのかい?アイドルが男の家に来ちゃって」
「はい!雪さんだからいいんです!噂が立ってもいいんです!むしろ立てばいいんです!」
「いやいや、それはダメでしょ」
そのスクールアイドルを引退した後もアイドルとして活動を続けている亜里沙である。最近はテレビに露出することもあり徐々に人気を獲得していっている。
そんな亜里沙は家が近くということもあり、こうしてちょくちょく家に来てはご飯を共にしたりデートを共にしたりしているわけだ。
「ほら、亜里沙。雪を困らせちゃダメでしょ?」
「はーい、ごめんなさいお姉ちゃん」
基本、亜里沙と姉の絵里は仲が良い。だが、こと雪に関してだけは異常に仲の悪さを見せる二人である。
「大体、告白されて付き合っているのは私なんだから、ただの、妹は黙ってなさいよ」
ただの、という部分をより強調する絵里。今日はどうやらこの一言がきっかけになったらしい。
「うぐぐ、で、でも!」
「でももなにもないわよ」
こういう時は雪は空気に徹する。変に口を出すとたいていろくなことにならないとこの三年でようやく学んだ。
「雪さん!雪さんは私がいると迷惑!?」
あれ?口に出してないのに!空気に徹していたのに火の粉が降りかかってくるよ!なんで?
「迷惑だなんてことは・・・・」
「あら?雪?もしかして私と二人でいるのが不満なの?」
「そんなことは!」
「そうよね。彼女は私なんだもんね」
「彼女彼女って、お姉ちゃんお仕事ばっかで全然家庭的なことできないじゃん」
「はあ?できますー、お姉ちゃんだってやればできるんですー」
「そんなこと言って今日だって雪さんが晩御飯作ってるし、なんなら雪さんのほうが断然おいしいし!」
「今日は特別なんですー。私が仕事手伝ってあげたからなんですー」
「ね?雪さん!家庭的な女性のほうがいいよね?私のほうがいいよね?」
「そりゃ、出来るに越したことないけど・・・・」
雪のその言葉に絵里は雷に打たれたような衝撃に見舞われる。
「な・・・・!雪!私じゃダメっていうの!?」
「そうは言ってない!そうは言ってないよ!家事なんて俺がするし」
「亜里沙ならちゃんとお仕事しながら家事出来るよ!」
「わ、私だって頑張る!」
「雪さん!」
「雪!」
「ええええ・・・・」
一体何がどうなってこうなったのか。最近はこんなことばっかりだ。ずずいっと二人に顔を近づけられ、タジタジになる雪は心中で思いを馳せながらこの局面をどう乗り切るか画策する。
そして大体いつも同じ結論にたどり着くのだ。
「よし、この話は明日にして今日はお風呂に入ろう!なんなら三人で一緒に入ろう!」
要約すると大抵こんなことを言って話をうやむやにする。それがいつものパターンだった。
そしてそれに対する二人の反応も大体一緒である。
「「・・・・・・変態!」」
二人、顔を見合わせてパンチをクリティカルヒットさせる。
そして二人でお風呂に入り、出てきたときにはすでに仲直りしているのだ。本当にめんどくさい姉妹である。
もっとも、めんどくさくしているのは当の本人なのだが。
「ということが昨日あってさ。これって僕が悪いのかな?」
「そうやね、雪君が悪いんやないかな?」
駅前にあるファミレスでスーツ姿の男女が一組、来店していた。
雪の目の前に座っているのは東條希、かつて絵里と共にスクールアイドルを結成していた仲間である。
「・・・・やっぱり?」
「うん。うちらを振ったときみたいに亜里沙ちゃんにもちゃんとその気はないって言ってあげるべきやと思うけど。うちらを振ったときみたいに。。。。。うちらを振ったときみたいに・・・・・」
なぜか物凄いデクレッシェンドで逆に強調された。だんだん弱くなっていった。
気まずい沈黙がファミレスを支配する。その沈黙に耐え切れなくなった雪が話題を逸らす。
「えーっと、今日は絵里先輩の誕生日プレゼントの話でね。来てもらったんだけど」
「そうやったね!で!なんにするかもう決めたん?」
先程とは一転、パッと明るく振る舞う希に雪はそこで気づいた。自らがからかわれていたのだと。
しかしそんなこと日常茶飯事なので大して気にすることもなく次に行く。
「いや、それが社内の他の女子に聞いてさ、いまいちわからなくなって今度その子と一緒に買いに行くことになったんだ」
「なんで!?」
希は今日一番のテンションで思わず勢い良く立ち上がった。希にしてみれば、今の文章がどうつながればそうなるのか、皆目見当がつかない。
「なんでそうなるん!?百歩譲ってサプライズは諦めてえりちと一緒に買いに行くってんならわかるけど!?なんでその子と行くことになってんの!?」
「それがいいお店知ってるっていうから」
キョトンとした顔でそう話す雪に、希は頭を抱える。バカだ。この子本物のバカだと。
「いい?雪君、よく聞いて。その子と買い物には絶対に行っちゃだめ。えりちの彼氏なら絶対にその約束断って」
「ええ?でもそれじゃあプレゼントは」
「そっちはうちが何とかしとくから」
頭が痛くなってきた希は一刻も早くこの空気から逃れたくて、そう引き受けると雪を返した。
「はぁ、雪君の天然が悪化していってる気がする・・・・」
そしてまた別の日。同じファミレスに、今度は別の人物から招集がかかる。
「希、最近雪の様子がおかしいの。なんか社内の女の子と物凄く仲良さげで、それとなく探りを入れてみてもあいまいな返事しかしないし。ないとは思うけど、まさか浮気かな・・・ねえ希?」
目の前にいる親友が本当に真剣に悩んでいる姿を見て、希の脳内はスパークする。勿論雪への怒りで。
(あんのおバカぁ!買い物に行っちゃだめってことは仲良くもしちゃだめでしょうが!なんで言葉の裏ってやつを読まないのあの子!)
もはや希の頭はショート寸前である。
「ねえ希?聞いてるの?」
「うん、聞いてるよ。ほんの数日前に聞いてるよ」
「??」
脳内の雪を思いっきりサンドバックにしながら、目の前の絵里に対してフォローする。
「あのー、大丈夫やって。雪君に限って浮気なんてありえないやろ?」
「それはそうだけど、あの子に気がなくても相手にはあるのよ。そうよ、絶対そう。大体雪と私が付き合ってるって知ってるのに仲良くしようとしてる時点でもうクロよ」
その後もぶつぶつとその彼女に対して怨念のようなものをぶつける絵里に希はもうすでに興味を失ったのかドリンクのお代わりを注ぎに行っている。
「よし、希。私決めたわ。一週間あの子たちを監視する!」
何がどうなったらその結論に行き着いたのか。希としては一から聞き直したい気分だったがうふふと不気味に笑う絵里と共に流れる空気的にそれも憚れる。
もうなにもかもがめんどくさくなった希は雪に『うちはもう疲れた。あとは当人同士でやってください』と一通のメールを送りその場を解散とした。
そして絵里の誕生日当日。
サプライズといっても家でケーキと誕生日プレゼントを渡すだけといういたってシンプルなものだが、それでも雪の鼓動は早鐘のように鳴り響いていた。
のだが、なぜか今目の前にいる絵里は機嫌が悪い。
「えっと、絵里先輩。今日が何の日かわかる?」
とにもかくにも、雪は手はず通りに誕生日を祝うべく進めていこうとした。
「ええ。今日はお説教の日よ。よくわかってるじゃない雪」
進行していこうとした雪はその予想外の反応に面食らう。お説教?なにかしただろうか。まさかまた仕事で失敗したのか。
内心で心当たりを探っていると、絵里から数枚の写真が。
「さて、この女性に心当たり。あるわよねぇ」
そこに写っていたのは、絵里の誕生日プレゼントを相談していた女性某である。
「あ、うん。あるけどなんで?」
なんでこんな写真を見せられるのか、そこが腑に落ちない雪である。
「ほほぉ。しらばっくれるのね。じゃあもう言ってしまおうかしら。言ってしまおうかなー、言ってしまうわよ」
なぜか確認され訳も分からず頷く雪。そんな雪の反応に、若干言葉が詰まった絵里だが結局は話し始める。
「知ってるのよ私。この一週間この子と毎日食事を共にしているとこ。私とは一回も一緒にしなかったのに」
見せられた写真の中には確かに食事をしている写真もある。
当然、雪にもその事態には覚えがある。
だが―――――――――。
「それは、相談をしていたんだよ―――――――――――」
「はっ。相談?恋の相談ってやつ?」
おおう。完全に荒んでいる。体操座りで完全に閉ざしていしまっている。目の下のクマがより一層悲壮感を醸し出している。
「違うよ」
「なに?じゃあなんだっていうのよ。可愛かったもんねあの子。名前はなんていうの?きっと家事もできるんでしょうね。私なんかよりずっと・・・・・ずっと・・・・」
体操座りのままついには泣き出してしまう絵里に、雪はおたおたと慌ててしまう。
「絵里先輩」
「・・・・・やだっ・・・・捨てないで・・・・・」
雪は頬を伝う涙を拭くと絵里先輩にしがみつかまれる。
「捨てないよ、何バカ言ってんの」
「ほんと?」
涙でグシャグシャになった絵里を抱きしめる雪。
「ほんとにほんと」
「じゃあキスして」
その言葉をふさぐように、雪は唇を重ねる。
「――――――――――っ」
「――――――――――僕さ。家族が欲しかったんだ」
離された唇から言葉が紡がれる。
「僕が愛せる、愛してくれる家族が欲しかったんだ」
唐突なその言葉に絵里はきょとんとする。
「絵里先輩。誕生日おめでとう」
その言葉に絵里先輩はようやく今気が付いたように言葉を漏らす。と共に一つのプレゼントを手渡す。
「これ・・・・?」
「もう独りぼっちは嫌なんだ。家族が欲しいんだ。一緒に笑って、怒って、泣いて、許して許される。そんな家族が欲しいんだ」
その言葉の意味が分かると、ようやく絵里は驚きに目を見開いた。
「だからさ、結婚してください」
渡したプレゼントの中身は、指輪だった。
「・・・・・・はい」
今度の涙は暖かい。暖かい涙だった。
「雪さーん。疲れたー。亜里沙は膝枕してほしい・・・・・・」
先の状況下の中で運悪く亜里沙が来客してしまう。
だが、二人とも亜里沙の存在には気付かずに二人の世界に入ってしまっていた。
そんな二人に亜里沙は驚きとともに、ゆっくりと家を後にした。
そしてこの状況を愚痴りたいような喜びたいような、そんな複雑な感情を吐き出せる友人に電話をかける。
「あ、雪穂?今から家に行ってもいい?・・・・・うん。膝枕してもらいたいの」
どうも卍解!高宮です。お久しぶりです。
間が空きましたけど忘れ去られてないか心配です。もう遅刻とかそんなんはるかに超えてますが。
とりあえず絵里チカ誕生日おめでとう!!
次は凛ちゃんだね。次は頑張ります。