「・・・・・ことり」
「なに、やってるの?雪君?」
駅前の人通りが多い場所で、南ことりは自身の目を疑っていた。
なぜなら、目の前にいる海田雪という人物が俗に言う”ナンパ”をしていたからだ。
「・・・・えっと、私、用事あったんだった」
そのただならぬ雰囲気に気圧されたのだろう。雪にナンパされていた女性は空気を読んで足早にその場を去っていった。
「誰?あの女の人」
「・・・・・お姉ちゃんだよ。ちょっと東京案内をしていたのさ」
「嘘!雪君のお姉さんの顔くらい覚えてるよ!・・・・どうしてそんな嘘つくの?」
吹雪のような凍える空気を、流石の雪も感じたようだ。たらりと冷や汗が頬を伝う。
「違うんだよ。バイト先の知り合いのお姉ちゃんでさ。偶々会って道を聞かれたから答えてたんだ。あまり無下にはできないだろ?」
さらりと、いつの間にかことりのすぐ傍に近寄り無害な笑顔で雪は答える。
「ふーん。本当かなー」
ぷいと頬を膨らまし、そっぽを向くことりに雪はここぞとばかり攻めに転じる。
「本当さ。・・・・だって、僕の心の中はいつだってことりしかいないんだから」
肩に手を回し、怪しげに顔を近づける雪。ああ、これでまた彼の毒牙にかけられた被害者、もとい女の子が増えてしまった。
と、思いきや。
「・・・・・やめて」
パシっとことりはその手を払いのけ、普段の笑顔からは想像もつかないほど真剣で怖い表情をしていた。
その予想外な反応に一瞬、雪は固まった。
「・・・おいおい。眉間に皺が寄っちゃってるよ?せっかくの可愛い顔が台無しだ」
が、すぐに調子を取り戻し笑顔をその顔に張り付ける。
「————————っ!///」
可愛い、そう言われ一瞬で顔が真っ赤に茹で上がることり。
ダメか。やはり、女の子である以上雪には敵わないのかもしれない。
が、ことりはぶんぶんと頭を振ると冷静さを取り戻したのかまたぞろ鋭い視線に戻った。
「顔、赤いよ?」
「うるさい!」
自覚はあったので、声が大きくなってしまうがそれでもことりは冷静だった。今までの雪の魔力に憑りつかれた女の子たちとは、どこかが違った。
「・・・あなたは、誰?」
「やだなあ。僕の顔忘れちゃったのかい?雪だよ。海田雪」
にこやかな笑顔で、自分の顔を指さす雪はだれがどう見てもやはり海田雪だ。
「あ!今まで色んな女の子にフラフラとしてたのを怒ってるの?ごめんね、でも大丈夫。もう僕にはことりしかいないってわかったから。僕の中にはことりだけだよ」
ぎゅっと手のひらを握って、熱い視線で見つめて。これまでと同じように雪はことりに迫った。
が。
「やめて。雪君の顔で、雪君の声で。そんなこと言わないで」
ことりの表情は変わらず不穏だ。
「・・・・え、っと」
これには流石の雪も動揺したらしい。わかりやすく、狼狽えている。
視線が彷徨い、数歩後ずさる。
おかしいのは明白で、その理由だけがことりは分からない。
「・・・・・・・あ!」
ことりが真意を探ろうと次に言葉を発する前に、雪は逃げた。人と人の合間を縫って、隠れるように。
「・・・なんだったんだろう」
ことりだって別に本気で雪が別人だと思っているわけではない。ただ、なんとなく感じた違和感。それを探ろうとした結果、逃げられてしまったのである。
逃げ足が早いのか、すでに周りに雪の気配はない。
だが、やはりおかしいのは間違いない。なにか変な食べ物でも食べたのか。それとも、また何か問題でも抱えてしまっているのか。前者だったらどれだけ良いだろうと、ことりは願望を胸にしまい、仲間に頼る。
そう、今は部室にいるはずのミューズに。
「あ、もしもし?うん・・・用事?終わったよ。それでね、雪君のことなんだけど—————」
「あんじゅ!そっちにいた!?」
「ううん。ツバサは?」
「駄目。こっちにもいなかった」
ぜえぜえと肩で息をつくのは汗だくになったツバサ。傍らには困ったといった様子のあんじゅも当然いる。
「まったく!どこ行ったのよアイツは!」
ギリギリと歯噛みし、心底悔しさを滲ませるツバサ。それもそのはず、今こうしている間にも雪は誰かをその毒牙にかけているかもしれないのだ。そう思うと歯噛みもする、地団駄もする。
「それはそうと、ツバサ」
「なに?」
「雪君を戻す方法は見つかったの?」
雪を探すのはいい。だが、問題はどうやって雪を元の状態に戻すかだ。それが分からないうちに捕まえてもまだ同じように逃げられては骨折り損というものだ。
「それについては、ウチの開発班に任せてあるわ。残った惚れ薬から成分を抽出してそれと反対の効果のものを作れば理論上は元に戻るはずよ」
「可能性はあるの?」
「・・・・・・・」
黙って目を逸らすツバサ。
「わからないってわけね」
思わずため息をついてしまうあんじゅにツバサは口を尖らせる。
「しょうがないじゃない。惚れ薬だってあんなのほとんど偶々みたいなもんだし・・・・」
「まあ、とにもかくにも雪君を捕まえることしか、今の私たちには出来ることがないわけだけど」
「そ、そうよ!だから他のことは任せて私たちは雪に集中しましょ!」
「あと、回ってないところと言えば・・・・音ノ木坂くらい?」
「・・・一番可能性はあるけど、出来ればミューズの子たちには知られずに解決したかったわ」
そんなツバサの思いとは裏腹に、ツバサの携帯に一件の着信が。
「あら、どうやら、悪い予感が的中してしまったみたいよ」
「まさか・・・・」
携帯が指示す着信相手は。
絢瀬絵里だった。
「もう、やめてよ」
海田雪は静かに抗議した。
目の前にいるもう一人の自分というやつに。
「なんでさ。僕は君なんだぜ?ということは君は僕でもある。その僕がやることを”僕”に咎められる理由はないはずだよ」
あたりは真っ暗で、何もわからない。上も下も、右も左も。どこが前でどこが後ろなのか。なにも、分からなかった。
だが、海田雪は不思議と落ち着いていた。焦ることも怒ることもなく。それはなんとなく知っているからだろう。ここがどこなのかということを。
「ここは、僕の闇そのもの。そして君は僕が生み出してしまった、もう一人の僕だね」
海田雪は動けない。椅子のようなものに縛られて身動き一つできない。縛ったのはきっともう一人の自分だ。
なぜこうなったのか、その元凶はわからないが気付いたらこうなっていた。そして自分が女の子をそれも知り合いの女の子たちを恥ずかしげもなく口説いているのをずっと見せられ続けている。
どんな苦行だ。そう思った。
「ご明察。とはいえ、簡単な問題だったかな。なにせ他でもない”僕”のことだからね。自分のことは自分が一番よくわかってるってやつ?」
パチパチと馬鹿にしたように笑顔で拍手する自分。鏡かと思うほどにどこからどこまでも自分そっくりだ。
いや、自分なのだ。目の前にいるのは。
拍手の仕方も、笑顔の作り方も、人を誤魔化すときの仕草も。嫌というほど突きつけられる。目の前にいるのが紛れもなく自分なのだと。
「もう一回いうけど、やめてくれないかな。こういうの」
「こういうのって?なんのこと?」
きょとんと、小首を傾げてとぼける。いつも自分がそうしてきたように。
「だから、その、ナンパ。みたいなことだよ」
「ぷふーっ。なに恥ずかしがってるのさ。純情ぶっちゃってさ」
顔が赤くなっている海田雪を、もう一人の自分は馬鹿にしたように鼻で笑う。
「言ったろ。僕は君だ。それ以上でもそれ以下でもない。僕はただ、”僕”に従っているにすぎないんだよ?」
「僕は、こんなこと望んでない」
「嘘だね」
即答。一瞬の間もなく、まるで台本にそう書いているとでも言うように。
「僕はこう思っているはずさ。あーあ、いつも女の子に囲まれて気を使って、偶にははっちゃけたいってね」
「・・・・思ってない」
「おいおい。言ったろ?嘘だね、と。そしてこうも言ったはずだ。君は僕で、僕は君だと。つまり、僕が言うことは君の言うこと、言いたいことでもある。嘘なんてないのさ」
それきり、海田雪は黙ってしまう。目の前の人物が言うことに、自分が言うことに、嘘はない。それがわかるから。
「まあ、君は黙ってみてなよ。僕が代わりに君の欲望を満たしてあげるから」
くるりと振り返ったもう一人の自分は、それきり消えていなくなる。
「・・・・はあ、分かってないなぁ。僕にしては」
虚空を見つめ、そう呟く声も聞かずに。
「はぁはぁ・・・ゆ、雪を捕まえたって本当!?」
「綺羅さん。落ち着いて」
ツバサは、息も絶え絶えに開口一番そう訊ねる。
場所は音の木坂。先ほど、絵里から電話をもらいツバサとあんじゅは急いでこの音の木坂へと来たのだった。
「え、ええ。それもそうね」
ツバサはスーハースーハーと大きく深呼吸をして。
「で!雪はどこ!?眠らせて隔離して女の子と一切合切縁遠い場所に拉致しなきゃ!!」
くわっと目を見開き、早口にそう言った。
「だから落ち着くにゃー」
凛にそう宥められるほどに。
「・・・・事情は聞きました。綺羅さんが雪に薬を盛ったせいで、雪が色欲魔と化していると」
「うぐ・・・・」
絵里に冷静に現状を突きつけられ、先ほどまでの勢いが萎むツバサはぐうの音も出ない。
「それで?犯人、じゃなかった。雪君は?」
見かねたあんじゅが助け舟を出してくれるが、代わりに雪が犯罪者に仕立て上げられていた。
「それが、ごめんなさい。逃げられちゃったの」
しゅんとしたことりが答える。用事が終わり、学校に向かうため駅前を歩いていると雪に会って、変だったので問い詰めようとしたら逃げられたのだと。
「私たちとまったく同じね。あの子ったら逃げ足だけは早いんだから」
ギリギリと爪を噛み、焦ったように呟くツバサ。それもそうだろう、このままでは自分の失態がさらに多くの人に広まってしまうかもしれない。あの綺羅ツバサが、好きな男を薬で落とそうとしたなど、知られたら恥ずかしさで死ねる。
しかし、これでまた事態は振り出しに。
「・・・・雪君を元に戻す案はないん?」
「待ってください!そもそも雪がし、色欲魔になっただなんて話を信じるのですか!?あの雪ですよ!?天地がひっくり返っても、女性をナンパだなんて、ふしだらなことするような人には思えません!」
「そりゃー、いつもの雪ちゃんならね。でも今の雪ちゃんは薬で狼になってるにゃ。ナンパくらいで済めばいいけどにゃー」
「な、ナンパくらいって、凛ちゃん」
「もうキスとかしてるかもよ?ぷくく」
「な!ありえません!!許しません!」
「は、離してよー!く、首、くるし。もう!凛に当たらないでにゃ!」
「——————————————あ、もしもし?パパ?・・・ええ、そうよ。すぐに手配して。はぁ!?できない!?可愛い娘の頼みが聞けないって言うの!?・・・・惚れ薬の一つや二つ開発するなんて容易いでしょ?現に開発した人がいるんだし。・・・空想じゃないわよ!ちゃんといるの!どうやら失敗したみたいだけど、ウチはそうはならないでしょ?」
「・・・・・・こ、これは」
ツバサは額に吹き出る脂汗を止められない。部室は一見普通、平常を保っているように見えるが、ツバサにはわかる。皆どこかおかしい、ネジが緩んでしまっていることに。
海未と凛は些細なこと(雪)で口喧嘩してるし、花陽はずっと表情が暗いし、希はブツブツと黒魔術の本を音読している。真姫は言わずもがな。
「だから嫌だったのよ。どうせ、こういう状況になるんだから・・・・!」
異様な状況に半分涙目のツバサ。あんじゅは恐怖に目を逸らしている。
「はぁ・・・・ほらほら皆!落ち着いて!とりあえず雪を元に戻す方法は、真姫と綺羅さんに任せて私たちは雪を捕らえに行きましょう?」
絵里が場を鎮めようと、手を叩く。
「そうだよ!たまった鬱憤は全部雪ちゃんにぶつければいいんだよ!」
「・・・確かに、その通りですね」
「こうなったのもすべて薬に負けた雪君の所為やしね」
穂乃果の一言により、場の言い知れぬ怒りの矛先が雪に向かってしまったが。
(・・・ごめん、雪)
心の中でツバサは謝った。場の雰囲気が完全に一揆に向かうそれと化してしまっていたからだ。
「・・・・ことりちゃん?」
そんな中、ことりだけはずっと俯いたまま何かを考え込んでいた。
「・・・・・・・・え?あ、ああ。あれだよね。ほんともう雪君には困ったものだよね、骨の一本でも折ってやりたくなっちゃうよ」
「・・・いや、流石にそこまでは思ってないけど」
柔らかい笑顔で物騒なことを言うことりに流石の穂乃果の表情も引いている。
「どうしたのですか?なにか、悩み事でも?」
以前のことりの留学騒動がよぎり、海未の声色からも表情からも心配しているのが窺える。
「ううん。悩みっていうか・・・・」
ことりの頭にあるのは雪を拒絶した時に見たあの狼狽えた姿だ。あの時はなにかまた問題でも・・と思ったが、どうやらツバサの話を聞く限り、そういうわけではなかったらしい。
「はぁ・・・・もう、心配させないでよ」
「え?」
「あ、違うの。こっちの話。気にしないで?」
疲れたといった感じが前面に出てしまっていることりに、結局海未は心配しっぱなしだったがことりが大丈夫と繰り返すので信じることにしたらしい。
「そ、それにしてもそんなにひどいの?」
クルクルと髪を弄りつつ、興味ないという雰囲気を醸し出しながら、あと表情だけが隠し切れずに口元が突き出ている真姫が聞く。
「・・・うーん。雪君が天然の悪魔だとしたら、今の状態は養殖の魔王って感じ?」
ミューズメンバーでは唯一の体験者。ことりが語る。
「・・・・わかるような、わからないようななんやけど?」
「私はわかるわ。その例え」
うんうんと激しく頷くツバサ。どうやら体感したものには通じるらしい。
「えっとね、雪君が天然の悪魔ってのはわかるでしょ?」
これには、一同激しく頷く。
「その天然の部分を、狙って人の手で操作したらああなるんだろうなって感じ?」
「つまり、今までは天然というある種のブレーキがあって、悪魔どまりでしたが、今はそのブレーキが外れて魔王になったと?」
「より質が悪そうね」
流石は海未と絵里、飲み込みが早い。
「待ってにゃ!それだと雪ちゃんはわざと女の子を口説いてるってことかにゃ!?」
「そう、じゃないかなぁ?」
ことりは小首を傾げるが、内心ではその説を一ミリも疑ってなかった。
一度は鎮静化したかに見えた雪への怒りが、ぶわっと勢いを増して燃え盛る。
(もう一回いうわ。ごめんなさい雪。でもこの怒りが私に向かなくて本当に良かったって思ってる。・・・本当にごめんなさい)
心の中で何度も謝罪するツバサだが、勿論残念ながら雪には届かない。
「ところで、にこっちは?」
「そういえば、まだ来てないにゃ」
皆が怒りを内に込め終わり、希がキョロキョロと辺りを見回したのと同時。勢いよくドアが開かれ。
「はぁはぁはぁ・・・・!なんなのよ!もう!」
「にこっち」
「ああ!?・・・って、なに?なんの集まり?——————あ、アライズ!?」
肩で息をしたかと思えば、急に怒り出し、きょとんとしたかと思えばアライズに驚く。忙しそうだった。
「なにしてたの?にこ?」
「な、なにって・・・・」
絵里の問いに、にこはそっぽを向く。その顔は心なしか赤く染まって見えなくもない。
まさか。そう絵里が思った瞬間。元凶はいともたやすく向こうからやってきた。
「にこちゃん。逃げるなんてひどいじゃないか」
「ひぃぃっ!」
ドアのすぐ後ろで壁に手をかけ、にこの右腕をつかんでいるのは、雪だった。
「逃げられたら、追いたくなるのが心情だろ?」
「知ら、ないわよ!」
にこは捕まれた腕を振りほどく。
「・・・・・君も、僕を拒絶するのか」
ぼそりと、雪は解かれた腕を見ながら呟くがその声は誰かに届く前に霧散して消える。
「・・・・雪君」
声は届かなかった。が、その表情は届いた。ことりに、皆に。
真っ黒になったその表情だけは。
「ありゃ。なんで皆お揃いなの?あ、ツバサさんもいる」
が、それも一瞬で、すぐに元の軽い感じに戻った。
「———————、」
「ヴェええ!?」
ツバサは呼びかけられた瞬間、真姫の後ろに隠れた。
「・・・まったく、恥ずかしがり屋さんめ。ねえ?あんじゅ——————」
そしてあんじゅは右に倣えとことりの後ろに。
「ふぅ」
一つ、しょうがないといった様子で真姫の後ろに歩み寄る。
「やあ、真姫ちゃん。今日もいつも通り可愛いね。抱きしめてもいい?」
「———————ヒュ」
唐突すぎて、真姫の思考が追い付かず息を吸い込む音だけが発せられる。
「・・・・駄目よ」
が、やはりことりと動揺持ち直した真姫はツバサを庇うように一歩前に出る。
「いい。雪、あなたは薬でちょっとおかしくなってるみたいなの。だから解決するまで大人しくしてて頂戴?」
絵里は雪の後ろでそう優しく諭しにかかるものの。
「・・・やだなあ絵里先輩。僕がおかしくなってるだなんて。僕は正常ですよ。ほら、ちゃんと触って確かめて?」
ぎゅっと絵里の手を握り、自身の鼓動を聞かせるべく胸に手を当て密着する雪。
「確かに、雪の鼓動だわ」
「ね?だから、安心して僕に身を委ねてもいいんですよ」
チャンスと思ったのだろう。雪はここぞとばかりに距離を詰め、甘い言葉をささやく。
———————スッ。
(・・・・あれ?)
が、しかし。絵里はその距離をもう一度、適切なそれへと戻す。
てっきりその他大勢のモブと同じように絵里も落ちると踏んでいた雪は、拍子抜けしたような表情だ。
くるりと後ろを振り返り絵里は言う。
「私は、薬で言わされた言葉なんかに惑わされたりはしないわ。だから、正気に戻って」
「——————————————、」
ピクリと、その言葉に雪の眉間に皺が寄る。
今までどんな女の子でも雪には敵わなかったのに、絵里には効かなかった事による悔しさか。それとも—————————。
どちらにせよ、絵里は打ち勝った。
と、傍目には見えていたがツバサだけは見えていた。絵里が必死に唇を噛んで嬉しそうな表情を押さえ込んでいたことを。
「ゆ、雪。あなたやはり・・・色欲魔へと変貌してしまったのですね」
「・・・うん?」
今度はその一部始終を見ていた海未がフルフルと拳を震わせている。
「どうやったら正気に戻りますか?やはり一度気を失わせるほかないのでしょうか」
本当に切なそうに、手に持っているのは金槌。
「だーかーらー!別に正気なんだって、僕は」
じりじりと後ずさりしながら、多少イラつく雪。近づいたらヤバいと、本能が警鐘を鳴らしている。
海未の瞳は真っ暗で、底のない谷のようだ。
一定の距離を保つために一歩一歩、後ろへ後退する雪。
そこで、ドン。と、壁にぶつかる。
「穂乃果、良かった。ちょっと海未に言ってやってよ。僕は狂ってなんかいないんだって」
振り向くと壁だと思ったものは、穂乃果だった。
「雪ちゃん。あのね、雪ちゃん。別に穂乃果はそういう積極的な雪ちゃんも素敵だなって思うよ。良いと思います」
なぜ最後が敬語だったのかという疑問はさておいて、雪はこの場で初めて現れた味方についテンションが上がる。
「そうだよね!良かった、穂乃果だけだよわかってくれるのは!」
抱き着いて、抱きしめて。互いの鼓動が聞こえるその距離で。
耳元で穂乃果はこう囁いた。
「でも、浮気は駄目だよ」
ゾクリ。
背筋に広がる寒気。自分の闇なんかより、よっぽど純粋で深刻な闇を見た気がした。
「は、花陽。花陽は分かってくれるよね!男はしょうがないんだよ!だってハーレム好きなんだもん!」
いつの間にか、強弱が、上下が、逆転していた。
「雪君。それはね、絶対に言っちゃいけないんだよ?例えどれだけそう思っていたとしても、それは絶対に、言っちゃ、いけないの」
カチカチカチカチカチカチ。
ボールペンを何度も何度もノックして、花陽は力強くそう言った。雪の表情は引きつっている。
「でも、大丈夫だにゃ。雪ちゃんは薬で一時的にそうなっちゃってるだけだから。元に戻ったら忘れてあげるにゃ」
「そうやね。だから今の内に、結婚しよっ!?」
いつの間にか四方八方を囲まれて、視界が塞がれていた。
「まったく、アンタはいつもいつも面倒ばっか起こして」
「丁度いいわ。この際デリカシーと言うものを叩き込んで起きましょう」
「それはいいですね。正気になった時も忘れないように心根の奥深くまで染み込ませましょう」
「ねっ!結婚しよ?ここにハンコ押すだけでいいから」
「希ちゃん、それはちょっとずるいんじゃないかな?穂乃果も結婚したいのに」
「」(カチカチカチカチカチカチカチカチ)
「ねえ、雪ちゃん。監禁されるのと拷問されるのどっちが良いかにゃ?」
「大丈夫よ。場所は私が提供するし、薬も西木野病院のを使うから」
雪はあまりの圧にぺたりと座り込み、最早何もできない。強気にも出られずに、押し込まれている。恐怖で涙目だった。
「う、うわーん!」
ついに、雪は耐え切れずに逃げ出してしまう。職員用トイレの一室、個室に引きこもり。内部に引きこもる。
・
・
・
「え、えっと・・・・」
ツバサはようやく口を開くことができた。今まで息を飲むという表現がこれほど当てはまる状況もそうはなかっただろう。
「これで少しは懲りたかしら?」
「雪ちゃんも大概だにゃー」
「少しは大人しくなってくれるといいのですが」
口を開くことができたのは、重苦しい閉塞感が雪が逃げて一気に終息していったからだ。
「もしかして、今までのは演技?」
「・・・・演技?演技してたのみんな?」
ツバサはもしや、あまりの変わりようから雪を薬から脱却させ自らの力で自己を取り戻させようとわざとああいった態度をとっていたのかと思った。それほど先ほどと今では態度は天と地ほどの差があった。
が。
「演技?なぜ、そのようなことをする必要があるのですか?」
「別に凛、女優とかじゃないよ?」
「わ、私が演技だなんておこがましいです・・・・」
「あ、パパ?ごめんなさい。もう一つ頼んでいい?・・・ええ、ちょっとした睡眠薬と自白剤と強心薬を」
「あーん。せっかくハンコ押してもらおうと思ってたのに」
どうやら、そういう美しいことではなかったらしい。
「・・・・・ツバサ、もうあまり刺激しない方がいいよ。・・・・私たちのために」
「そうね・・・・・・」
二人は心なしか体重が減った気がしていた。
「女の子怖い女の子怖い女の子怖い女の子怖い女の子怖い」
「だから言ったろ?分かってないな、って」
暗闇に包まれた中で、同じ顔の人間が対となって会話をしている。
「うるさい!いつも見てたんだ!知ってたんだ!なのに・・・・なのに・・・」
一方は、頭を抱えてしゃがみこんでいる。
「知ってるのと、体験するのとは違うよ」
もう一方は椅子のようなものに縛られている。相変わらず。
「・・・・君は僕だ。それは認めよう。だけど、君には務まらないよ。あのじゃじゃ馬たちの相手はさ」
ガチャリと片方を縛っていた鎖は取れる。
腕をさすりながら、片方は立った。
「・・・・・・・・・・」
しゃがみこんだまま、片方は黙り込む。
「でもきっと、僕にも務まらないんだ。あの人達一筋縄じゃいかないから。だからさ」
そして片方はしゃがみこむ。もう片方と同じように。
「一緒にやろうよ。なにせ君は僕なんだから。僕のことをやる義務があると思わない?」
「・・・・・・・」
尚も、片方は黙ったまま。片方に差し出された掌を見つめる。
「君は、僕は、認めて欲しかったんだよね。見て欲しかったんだよね」
「・・・・・うるさい」
パシリと差し出された掌は払いのけられる。
「僕は、お前を認めない。僕を認めない”僕”を、認めない」
それを最後に、片方は暗闇の奥のほうへ消えていく。
「・・・あれは僕ってことは僕にもあんな恥ずかしいこと出来るってことなのかなぁ。うーん、考えないようにしよう」
払いのけられた手をさすりながら、片方は振り返る。
現実へと。
別に女の子を口説きたい訳じゃなかった。ただ、目立ちたいだけだった。見て欲しかっただけだった。認めて欲しかっただけだった。ただ、自分という存在を認識して受け入れて欲しかっただけだった。
(でも、それはもう既に叶っているからさ。無理に出てこなくたっていいよ。無理に悪ぶろうとなんてしなくていいよ。君は、僕なんだから)
「雪君」
ことりの声が聞こえた。彼の名前を呼ぶことりの声が。
「あのね雪君。雪君はね、いつも優柔不断で誰かを放っておくことができなくて。皆の幸せを願うくせに、自分の幸せには無頓着で。他の人には優しいのに、自分には優しくない。そういう人なんだって知ってるよ。みんなみんな、知ってる。だから、戻ってきて。薬なんかに負けないで。どんな雪君も、私は————————」
ことりの言葉は最後まで続かない。なぜなら、扉が開いて目の前には・・・・・。
用務員の小太りのおっさんが立っていたからだ。
「・・・ま、まさか。薬が悪化してなんやかんやでおっさんに・・・・!?」
「いや違ええええよ!!!こっち!!」
勢いよく、すぐ隣の扉が開いた。
「あ、ああ。ごめんなさい」
ことりは自身が扉を一つ間違っていたことに気づき、用務員のおっさんに頭を下げる。用務員のおっさんはそのまま何も言わずにそそくさと出て行った。
「えっと、ね。つまり、何が言いたかったかというと」
間違えた恥ずかしさからか、あたふたしだすことりに、雪は笑う。
「いいよ、大丈夫。僕も、分かってるから」
「・・・・あれ?もしかして雪君。元に?」
「ん?何の話?」
ぱあっとことりの顔は見るからに明るくなり。
「皆に報告しなきゃ!」
と、走りだそうとする。
「それはいいけど、ことり。一個いい?」
「うん!なに?雪君!」
満点の笑顔で心底嬉しいという感情が漏れ出ている。
「ここ、男子トイレだからね」
音の木坂は女子高である。よって校舎に男子トイレはない。
が、ここ職員用トイレだけは特別である。職員には男性はいるのだから。
「あ、————————————////」
顔を真っ赤にしたことりに、再度、雪は笑った。
「まあ、何はともあれ一件落着ってことね」
「もう、これに懲りたら変な気は起こさないでねツバサ」
ツバサとあんじゅ、そして雪は音の木坂を後にし、UTXへと向かっていた。
なぜなら生徒会の仕事は依然として余裕はなく、一人で切り盛りしていた書記さんがついにヘルプを求めてきたからだ。
「わ、分かってるわよ。それにしても、雪。アナタ本当に覚えてないの?」
若干誤魔化したフシのあるツバサにジト目を送りながら、あんじゅは雪のほうへと顔を向けた。
「ええ、さっぱり。話を聞いても半信半疑ですよ。僕が、その、女の子に手を出してたなんて」
「それはもうひどかったんだからね。気を付けてよ?」
「気を付けてって、何にだよ・・・」
そんな会話を繰り広げている間に、UTXへとついてしまう。
(ごめんね、ことり。嘘、ついちゃった)
雪の心情など知る由もない二人は、目的の場所へと着いたというのにあれこれと苦労話を語っている。
「ん。ごめんなさい、電話だわ」
「先行ってるよ?ツバサ」
「ええ」
ツバサは二人をしり目に電話をとる。着信は自宅からだった。
「何?用かしら?・・・・ああ、惚れ薬の成分ね。もういいわ、解決したから」
一歩遅かったな。とツバサは心中で思うが、とりあえず電話越しの相手に謝辞を述べる。
『ええ、それで、とりあえず結果を報告しておこうと思いまして」
「結果?」
『はい。詰まるところあれは惚れ薬などというものではありませんでした。一種の強心剤というか、まあある種のトランス状態にさせるものでした。あれに惚れさせるといった効能はありませんでしたよ』
「ふーん、つまりどっちにしろ失敗だったわけね」
再度謝辞を述べ、ツバサは電話を切る。んーっと伸びを一つしてから、あれ?ちょっと待てよ。と、ツバサは疲れた脳みそを回転させる。
「じゃあなんで雪は、あんなに女の子を口説き落としていたのかしら」
今まで、雪の行動は惚れ薬の効果で女の子に見境がなくなっていたのだと思っていたが、それはたった今否定された。ということは、あの行動は、紛れもない雪自身の意思——————?
「なーんてあるわけないわよね!園田さんの言う通り天地がひっくり返ってもありえないわ」
あははと笑い飛ばすツバサだったが、次第にその笑いにも力がなくなってくる。
「・・・・やめやめ。考えても仕方ないことだわ」
「あ!ゆゆゆゆ、雪!かかかか、帰っていたののののおのののか」
「英玲奈、ぎこちないわよ」
「あはは、なんか迷惑かけちゃったみたいで」
「海田くーん!早く手伝ってよー」
「書記さーん!今行くー!」
廊下から手を振る書記さんに手を振り返す雪を見て、ツバサは考えるのをやめた。
どちらにせよ、今までの雪が変わってしまうわけではないのだから。と。
「ちょっとー!私、手伝ってあげてもいいわよー」
どうも、最近薄幸少女って良いよねってあんハピ見ながら思った高宮です。
最近グリモアというアプリにはまってます。アプリゲーにしてはストーリーが重厚で気に入っています。
あとFGOでは酒呑童子ちゃんをお迎えするべく、呼符と石を使って二百連くらいしましたがカスリもしませんでした。マリーちゃんが三体でました。マリーちゃんのファン辞めます。
ということで次回もチェケラ!
あ、あとEXを時系列順に組み換えました。読みにくかったら戻します。ではでは。