崩れ落ちる岩の欠片。巨人を形どっていた岩は細かくなりすぎて、ザラザラと砂の滝のようだ。
元がかなり巨大だったため、その場には一メートルほどの高さの砂山ができる。
俺はその砂山から目を離さず、じっと睨み続ける。討伐はできていない。そもそもまだボスのHPバーは二本は残っていた。これはなにかの前触れだろう。
俺の予想通り、動きがあった。
もぞり、と砂の山が動く。……中になにかいるな。もぞもぞと砂から這い出そうと体を動かしているのだろう、砂山が形を崩していく。
「ハァァアアアア……」
苦しんでいるのだろうか、悲痛な声を零しながら砂を掻き、懸命に這い出てくる。攻撃してしまおうかとも考えたが、よく見ればそのモンスターにはHPバーがない。
つまり今斬ったところで、ダメージは与えられないということだろう。この不快な生命の誕生を、指を咥えて待っているしかない。しかし、この世界でこのルールだけは絶対のもので、不死属性のものは俺の暗黒剣であっても壊すことはできない。
ゆっくりとしか動かないそいつにイライラしながら数十秒も待つと、ようやくボスの中から出てきたモンスターが砂からの脱出に成功する。体長はおよそ二メートル。随分と小さくなったものだ。
そして気味の悪い動きで立ち上がると、俺に目を向ける。
そのモンスターの姿は、枯れた木のような、干物のようなものだった。恐らくあながちどちらも間違いじゃない。あれは木乃伊だろう。砂漠に権力者の巨大な墓、石巨人と来れば残っているのは木乃伊くらいのものだ。
キュイン、という電子音が鳴り、ボスモンスターに再びHPバーが戻る。大した前触れもなく戦いは再開されたらしい。
ボスの残りHPは二本弱。全快して初めから、などということはないようだ。
ボスの形態が変わるだなんて情報は知らなかったな。いや、俺はあのクエストを終えてから一度も街には戻らず、ひたすら迷宮区を攻略していたのだ。情報があっても、俺の耳に入ってこなかっただけかもしれない。
けれど、それはこいつを殺せない理由にはならない。今の熟練度で使える暗黒剣のスキルは三つのみ。ならばすることはさっきと変わらない。
湧いてくるmobを蹴散らし、真ん中のボスに確実に一撃を与える。それを繰り返すだけだ。
ゆっくりなんてしていられない、我慢の限界だ。これ以上あの男の好きにはさせない。俺はさっさとこの世界を終わらせる。
奥歯を噛み締め、剣を握る手に力を込める。近付いてきたmobを斬り伏せ、ボスの懐まで潜り込む。
「ふっ!」
体を捻り、ソードスキルを放つ。
……だが、そこにボスはいない。見失った、と気付いたときには俺のHPバーは五分の一ほど減少していた。
後ろからの衝撃で、仰け反った姿勢のまま前方に吹き飛ばされる。剣を持っていない腕で受け身を取り、激突による追加ダメージは避けたが、それなりのダメージを受けた。
いつの間にか背後にいたボスは、相変わらずなんの武器も持っていない。乾ききって固まっているはずの顔が、いやらしい笑みを浮かべているように見える。
……落ち着け。俺は早鐘を打つ心臓を押さえて、落ち着かせようとする。
今までにやってきたゲームでも、鎧武者が鎧を脱いだ途端に速くなった、なんてことはよくある。驚くほどのことではない。
だが最悪なことに、俺はパワー重視ののろまで、スピードタイプのモンスターと相性がかなり悪い。mobならばラッキーパンチが当たれば、暗黒剣の威力でごり押しできるが、体力の多いボスはそうはいかない。
つまり、この震えは不意を突かれた驚きからくるものではない。ただ単純に悟ったのだ。ここで俺は死ぬだろうと。そして、そのことに怯え震えているのだ。
「くそっ……」
今更、本当に今更だ。死の覚悟もできないまま、無謀にもたった一人でフロアボスに挑んだというのか。違うだろ。
勝てない勝負しかしないなんて、八百長と変わらない。今回だけは諦めるわけにはいかないのだ。たとえ死ぬことになろうと。
黙って突っ立っていても、なぜか攻撃は仕掛けてこないミイラ。これ幸いと俺はポーションを取り出し、一息に呷る。ポーションの回復は即効性はなく、徐々に回復していくものだ。
俺はそれを待たず、もう一度ボスに向けて駆け出す。まだHPには多少の余裕があるし、攻防の最中に回復するだろうという判断だ。
今度はスキルは撃たず、普通に剣を振るう。先ほどと違い意識をボスに集中させて動きを追おうとするが、視界の端に捉えるだけで、反応が追いつかない。
その場から身を投げ出すように転がる。ボスの攻撃が足先にかすり、微量のダメージを負う。
「動きが追えないなら……」
独りごちた瞬間、ボスが目の前に立っていた。
「ぐっ……!」
咄嗟に体を捻るが、攻撃をまともに受ける。だが見えた。奴の攻撃の正体は、素手。俺も会得している体術スキルだ。それにプラスで本体の速さが加わり、不可避不可視の攻撃になっている。
だが体術スキルはもともと他のスキルと組み合わせて使われることが多く、単体ではそれほど威力はない。だから防御の低い俺でもまだ生きていられるのだ。
受け身をとり、ポーチに手を突っ込んでポーションを呷る。こうなればどっちが先に倒れるかだ。
俺はソードスキルの構えを取り、ボスに一歩近づく。姿を見失うと同時に、全方位範囲技《ペイン》を放つ。
射程の短い体術スキルを使うボスなら、必ずこの技の範囲内にいるはずだ。姿を追えずとも、相打ちでダメージを蓄積させることはできる。
「グギィア!」
予想通りダメージを与えることができ、ボスが呻く。しかし同時に予想外の出来事が起こった。今の形態になって初めてダメージを受けたボスは激昂し、体術スキルを乱打した。
「くそがっ!」
乱発される拳を咄嗟に防ぐ。もちろん受け切れず、両手剣は破壊され、HPも半分ほど持っていかれる。
「グャァァァアアア!!」
半狂乱のボスは間を置かず追撃をかけてくる。新しい武器を出す暇も、ポーションを飲む暇すらない。
もう俺に打つ手はない。手持ちの武器はまだあるが、ウインドウを開く余裕はなし。俺の反応速度ではボスの攻撃を躱しきれず、パリィもシールドもシステム的に不可。
やはり俺には無理だったのだ。同じユニークスキル使いのヒースクリフはフロアボスに勝利を収めたが、俺は敗北した。出来が違う、ということか。
自嘲気味に笑い、目を閉じる。もういいだろう。これだけ努力したんだ。許してはもらえなくても、言い訳くらいはできる。
……俺は二度と開かれないだろうと瞑った目を、もう一度開けることになる。理由は単純。聞き覚えのある快活な声で、皮肉っぽく呼びかけられたからだ。
「よう、ハチマン。こんなところで居眠りなんて、余裕だな」
「…………キリト」
漆黒を纏った少年は、二本の剣を交差させてフロアボスの攻撃を受け止めている。
「お前、それって……」
「まぁ、多分それだよ。でも、詳しい話は後……だ、なっ!」
そう言うとキリトは力を込めてボスを押し返し、声を張る。
「みんな!頼む!」
「応!」
キリトの声に呼応して、フロアの入り口付近からいつの間にいたのか、プレイヤーたちが次々と駆け出す。血盟騎士団、聖竜連合、風林火山、その他のプレイヤーやギルド……そして、月夜の黒猫団。
オォォォオオオ!と幾人もの声が重なり、空気を震わせる。あっという間にボスモンスターを囲み、陣形を取る。その指示を出すのは血盟騎士団副団長のアスナ。
ボスミイラは周囲をぐるぐると見回す。一気に人数が増え、戸惑っているようにも見える。
「ボスの体術スキルは威力は低いですが、速すぎて躱すのは困難です!
アスナの指示に、最前列のタンクたちが応答する。他のプレイヤーにも指示を出し終えたアスナは俺を一瞥し、フンと鼻を鳴らすと戦線に向かう。
「ほら」
「…………」
キリトが無造作にポーションを放ってくる。俺は反射的に受け取り、掴んだそれを見つめながら尋ねる。
「お前は行かなくていいのか」
「俺はお前の護衛だよ。ハチマンのスタイルじゃ、体術を捌くのは無理だろうからな」
ニヤリ、と口角を上げるキリト。確かにその通りだ。俺は完膚なきまでに叩きのめされた。
「積もる話はあるけど、まずはボスを倒してからだ。だから、ポーション早く飲めよ」
「……おお」
キリトに急かされ、ポーションに口を付ける。
「……あのボスだけどな、多分音に反応してるぞ」
「全員知ってる。お前から連絡がなくなってから、アルゴが多分ハチマンはボスに単独で挑む気だろうって、色々情報集めてたからな。これだけの人数集めたのもアルゴだよ」
「……マジかよ」
俺の行動先読みしすぎだろ……。
・ ・ ・
「おぉぉぉおおお!」
「ハァァァアアア!」
ボスのHPがレッドに突入し、俺以外のプレイヤーが総攻撃。ガリガリとボスのHPを削り、止めはキリトとアスナの連続攻撃で終わる。
アスナの正確な攻撃も脱帽ものだが、キリトの攻撃には驚愕を通り越して呆れてくる。
もともと単発威力重視の片手直剣使いのキリトは現在、二本の片手直剣を両手に一本ずつ装備している。確かに俺の両手剣を片手に持つ行為と同じくシステム的には可能なのだが、その状態ではソードスキルを使えない。
しかしキリトは見たことのない連撃を、ソードスキルのエフェクトとともに放っていた。つまりはそういうことだろう。
「三人目か……」
誰かが呟く。ヒースクリフ、俺に続く三人目。いや待て三人目?ということは俺のユニークスキルは既に世間様に知れてんの?
心当たりに視線を送ると、ふいっと逸らされる。やっぱりあなたですか。というよりは、団長殿の仕業ですかね。まぁ、知られて困ることは教えてないが。
ともかく、フロアボスも倒した。ここに長居する理由はない。俺は踵を返し、入り口から街へ戻ろうとするが、後ろから肩を掴まれる。
「待てよ、ハチマン」
掴んだのはやはりというか、キリトだった。
長くなるので一度切ります。