死だけがリアルなクソゲー。それがこのデスゲーム『ソードアート・オンライン』、通称SAOだ。
キリトや周りの人間がどのように考え、俺が感じることのなかった何かをこのゲームから受け取っていたところで、俺はずっとこの主張を続けてきた。どれだけこの世界の風景が美しくても、どれほど
だがそれでも、その一点張りだった俺でも、現状のピンチは本物であると言わざるを得ない。なんなら絶体絶命なまである。
「じゃあ、部屋割りはこれで良いかい?」
ギルド『月夜の黒猫団』リーダー、ケイタがテーブルに1枚の羊皮紙を置く。SAOでは普通の紙より羊皮紙が割と一般的だったりする。
「異議なし」
「おー」
羊皮紙に書かれた部屋割り、つまりはつい先日購入したギルドホームの領地分配をしている状況だ。黒猫団は俺を含め7人という、大所帯とは言えないが、一軒家で暮らすには少し多い人数である。
加えて黒猫団は最前線のプレイヤーではない。ゲームである以上、攻略が進み高層になるほど
そこから可能なレベルで節約し、コツコツと貯蓄をしている。
前置きが長くなったが何が言いたいかといえば、キリトと俺が少し寄付をした程度で、購入できるホームの大きさは変わらない。言ってしまえばこじんまりとしたギルドホームなのだ。
当然、共有スペースも必要になるのでその辺りも考慮する必要がある。
「いや待て。おかしいでしょ、なんで俺の部屋無いの?」
いじめなの?異議なしって言ったやつ誰?考慮する必要があるとは言ったが、俺が考慮されていなかった。いや、むしろ考慮した結果がこうなのだとすれば、今すぐここから出て行けということなのだろうか。
「悪い、書き忘れてた」
そう言ってつらつらと書き加えるケイタ。素直な謝罪が傷口に沁みた。
「ハチマンはサチと同じ部屋で」
「異議なし」
「おー」
「いやだから待てって」
「え?」
恥ずかしそうにもじもじしているサチを除いた全員がキョトンとする。
またオレ何かやっちゃいました?と冷や汗をかきそうになるが、むしろやっちゃってるのはこいつらである。
「あぁ、そういうことか。でもハチマン、このホームにこれ以上広い部屋は無いんだ。お前たちの部屋が1番大きいんだよ」
「キリト、全然違う。2人なんだからもっと大きい部屋にしろとかじゃない。1人にしろ」
分かってる風のキリトだったが、全然分かっていなかった。全然アホの子だった。
「でも、もう部屋は空いてないし、誰かがペアになるんならハチマンとサチしかないだろ?」
「なんで部屋数足りないホーム買っちゃったんだよ。それにそこが1番おかしいだろ」
組み合わせに悪意を感じる。ぼっちゆえの敏感センサーがビンビンです。このまま悪意に晒されれば、城を出て1人きりでモンスターと戦い、攻撃力不足を感じて亜人の奴隷を購入することになる。
「だって……、なぁ?」
ケイタの同意に、うんうんと頷く黒猫団男子メンバー。ちなみに俺は入っていない。やはりこの世界でも俺は孤高だったらしい。
「それに、サチもその……、困る、だろ」
反撃の手段を変更する。こいつらは何だかんだサチには甘いのだ。サチが本気で拒否すれば部屋割りを変える可能性は高い。
「困、る……」
口元で両手を握りしめながら、でもと続ける。
「ハチマンが、嫌じゃ……な、ければ」
「……っ」
ボッ、と擬音が聞こえそうなほど赤くなるサチ。正直俺ははそれ以上だ。
「おおーい、キリ公!ハチ!ギルドホーム買ったんだってな、引っ越し蕎麦でも……」
勢い良くホームの入り口を開け放ち、ギルド『風林火山』のリーダー、クラインが入ってくる。扉の向こうに視線をやれば、風林火山の他のメンバーも来ているようだ。
正直今回は本当に助かった。今のタイミングでクラインが入って来なければ、うっかり告白を越えてプロポーズしていた。
「……?何だぁ、キリ公。どういう空気なんだ、これ?」
「ハチマンと嫁のラブコメ中」
「嫁ェ!?」
グワバッ!と首が千切れそうなほどの勢いで此方を凝視するクライン。俺は咄嗟に首を左右に振るが、クラインの虚ろな瞳に映っているかは定かではない。
「あの黒髪のかわい子ちゃんが……」
「
互いに存在は耳にすれど初対面だったらしく、キリトが紹介する。
クラインは無遠慮にサチをマジマジと見る。凝視されて気恥ずかしくなったらしく、サチは俺の後ろに体を隠す。それが引き金になったのか、クラインはその場でパタリと仰向けに倒れる。
「クライン!?」
「リーダー!?」
風林火山のメンバーが慌てて駆け寄り、首元に手を当てて脈を測る。
「し、死んでる……」
「デスゲームでやっていいジョークじゃねぇだろ……」
へんじがない、ただのしかばねのようだ。おおクライン!しんでしまうとはなにごとだ!
風林火山のメンバーが、クラインの死体の手を組ませたりと、悪ふざけを続けていると、クラインがゆっくりと生命活動を再開する。
「ハチマンよぉ……、お前ェぼっちだなんだと口では言っておきながら、やるじゃねぇか。羨ましいぜ、こんちくしょー」
「おお、いや違うって言ってんだけど……」
体を起こしたクラインは、涙が出やがるぜとか言いながら目元を拭う。SAOって血涙も出るんだな。どんな精神状態をナーヴギアは読み取ってんの?
「いいんだ、みなまで言うんじゃねぇ!春は誰にでも訪れるもんだ!……きっと、俺にだってその内……!」
拳を握りしめ、なにかを決意しているクライン。
「幸せになりやがれよ、ハチ!」
「とりあえずさっきから送り続けてくる決闘の申請を止めろ」
台無しだった。
そこからまあまあの時間をかけ、赤い涙と決闘の申請を出し続けるクラインに事情を説明する。この件はあくまでケイタたちの悪ふざけであり、クラインの想像するようなことは何もない。なんなら部屋も無い。
弁解を続けるにつれて、腕を握るサチの力が増している気がするが、SAOに痛覚は存在しないはずなので気が付かないことにした。
・ ・ ・
引っ越し蕎麦の約束は次回に持ち越し、とりあえず風林火山を撃退することに成功した。というか、この世界に蕎麦があるのか?全体的に西洋文化のイメージだったが、レストランなどを探せば見つかるものなのだろうか。
もしそうであれば、ラーメンがあるかもしれない。SAOに閉じ込められて約1年。諦めていたラーメンへの情熱が再燃する。今度1人でレストランを巡ってみよう、そう決意したところで本日2組目の来客があった。
「久しぶりだナ、キー坊、ポチ。アルゴ様が引越しの祝いに来てやったゾ」
「お、お邪魔します」
情報屋『鼠』のアルゴと、意外にもギルド『血盟騎士団』副団長のアスナが2人組でやってくる。
「アルゴにアスナ。久しぶりって言っても、この間のボス攻略以来だろ」
「前はもっと頻繁だったダロ。ポチなんか毎日オレっちを呼び出してたからナ」
「むしろ俺が毎日呼び出されてた気がするんだが……」
主にぼったくり目的で。SAOから帰還することができたなら、『絶対許さないノート』に新たな名前が追加されるであろうことは確定している。
「それデ?今はどういう状況なんダ?」
ニヤニヤと笑みを浮かべる鼠。アインクラッド1の情報屋は伊達では無い。空気から何かあったと判断しての質問だろう。だが、この出歯鼠にタダで教えてやる必要はない。
「なん」
「部屋割りで揉めてるんだ。ハチマンがサチと同部屋なんだけど……」
なんで言っちゃうんだよ……。
「なるほど、それはかなり面白そうダナ」
「ど、どどど同部屋!?」
ある意味1番正しい反応をするアスナ。良かった、お前だけは俺の味方だったんだな。
唯一の味方の出現に、うっかり惚れそうになっていると、アスナは二つ名の由来を示すが如くの神速でサチを庇うように抱きしめる。
「だ、男女で同部屋とか馬鹿じゃないの!?眼ゾンビ!変態!ハチマン!」
「いや待て落ち着け待て。最初以外は否定する」
「最後はお前の名前だよ」
「落ち着いて、アスナさん……」
というかこいつも全然敵だった。やはりぼっちはどこまでいっても独りらしい。
「サチさんも!気を付けないと男の人なんて、みんなケダモノなんだから!キリトくんなんて何度も何度もわたしの身体を触って……」
「ちょっ、アスナ!?あれはわざとじゃないって何度も……!」
大慌てでアスナの発言を遮るキリト。そのまま乱戦状態に突入!というか、俺も詳しく聞きたいですね。具体的にどの辺をどう触ってどんな感触だったのかとかその辺。
「なに想像してるの、ハチマン」
「ばっかお前想像とかしてねぇよ。これはアレだ、世界平和について考えてただけだ」
本当だよ?男がそればっかり考えてると思ったら大違いだ。それよりあれだ、とやや強引にだが話題を逸らす。
「部屋割りでいつまでも揉めてたら、攻略進まねぇだろ」
「文句言ってるのは君だけなんだけど」
「いや、言うだろ。俺も男、なんだし……」
「…………」
しまった、失言だった。サチの顔をまともに見ることができず、顔を逸らす。視界の端で、彼女も俯いているのが見えた。
それも束の間、深呼吸をするサチ。そして覚悟を決めた表情で、こちらを真っ直ぐに見る。
「でも、もう決めたの。私はハチマンに遠慮しない。だって、遠慮なんてしてたら、君はいつまでも逃げちゃうもん」
だって、と続けるサチ。
「昨日もだいぶ勇気を出したつもりだったんだけど、帰ってきてからも何も言ってくれないし」
「うぐっ……」
「だから、捕まえることにしました。ぜーったいに逃げられないように、どんな時もいつでも……」
フフ……、とサチの目が怪しく光る。やだサッチー怖いよ、あと怖い。
とはいえ、ここまで言われてしまうと勘違いのしようがない。きっとこの感情は俺の予測通りのもので、サチの言葉通りのものなのだろう。けれど、俺はこの偽物の世界でそれを見つけてしまったら、きっと帰るために今まで切り捨ててきたものを、捨てきれなくなる。
少しでもこの世界に思い入れを持ってしまえば、俺はきっと動けなくなる。家族の元に、彼女たちの元に帰るという思いのみで動かしてきた足を、止めてしまう。
だから。
「……帰るまで。生きて帰るまで待っててくれ。全部、現実世界で伝えるから」
これが精一杯だ。
俺の言葉を受けたサチは、ふわりと美しい笑顔を浮かべる。かと思いきや。
「べー」
舌を出して、駆けていく。
俺の胸に残った確かなものは、今回ばかりは見逃すことにした。
平成最後に更新!