余すところなく咲く紫陽花が、その青い花びらを赤く染め上げていた。側に目をやると、同色が、人の体と思しきものから噴き出していた。
―誰がやった?
紫陽花が問う。知った事か、と私は思う。真昼の空から、陽の光が燦々と降り注ぐというのに、通り雨がやってくる。
―誰がやった?
日輪が問う。私じゃない、と空に叫ぶ。返事など返ってくるはずもなく、厭らしく輝く太陽は寡黙に戻り、再び静寂を取り戻す。
―誰がやった?
死体が問う。私がやった、と誰かに返す。次いで私は不気味に笑う。死体も、日輪も、紫陽花もつられて笑う。舌に残る雨は、鉄と塩の味がした。
*
「……夢か」
意識を取り戻しつつ、眠たい目を擦る。緋色の長い髪を梳かすよりも先に、肌掛けから足を出してうんと伸びをする。腕を下ろし一呼吸したところで寝具を押入れに戻す。まだ七月に差し掛かる前だというのに、耳障りな蝉の鳴き声がジジジ、と目覚まし時計のように私の脳を揺らす。空蝉というのは蝉の抜け殻だけでなく、この世に生きている人を意味するらしいが、空蝉を残してなお、この世に縋っているのは実に諦めが悪い昆虫だと考える。弔鐘を自分で鳴らす生き物など彼ら以外にいるのだろうか。
そんな簾の向こう側に住む死に損ないをよそに、縁側を渡ろうとした時、蝉とは違う、畳の上で暴れる音がする。
「電話…ああ、あいつか」
和室には似つかわぬ電子音が鳴り止む前に、不承不承、スマートフォンを耳に当てながら応答ボタンを押す。
「……………もしもし」
『ああ!やっと繋がった!さっきからずっと掛け直しても出なかったよね?寝てたの?』
「どうもそうらしいね」
『その返事だと起きたばっかりらしいね。こっちにすぐ来れる?』
「今日は調子もいいし、シャワーを浴びたら行けるけど?」
『わかった。待ってるよ』
そう言うと先方からはビジートーンが断続的に鳴り続ける。そのまま右手で画面をいじりネットに繋げると、画面中央下に書き綴られたニュースが目に入る。
「青森の八戸自動車道で謎の爆発…」
その下には、今年の芥川賞候補『
神々しい光を放つ木々が人の口から溢れ出していた。おびただしい精気が辺りを彷徨い、人々の間に立つ男へとそれは向かう。そんな一部始終を写している一枚の写真を見て、この状況を説明できる力を私は知っていた。
「サイキッカーね。こんな堂々と使うものじゃないでしょ…」
写真の男もPSI使い、いわゆるサイキッカーなんだろうけど、この写真だけではどうにも分かりにくい。
「う~ん。安っぽいイルミネーションより綺麗なのは分かるんだけど、これだけじゃどういう能力かまでは…とりあえずシャワー浴びよっと」
スマホを文机に置いて、私はその場を後にした。
*
玄関の引き戸を閉めて鍵をかけた後、徒歩で駅まで向かう。大学へ向かうときは自転車を使うが、今日は違う。数寄屋造りの日本家屋を門の前で見直し、特に忘れ物もないな、と確認してから歩き出す。
人里離れた京の都、嵯峨鳥居本は嵐山から更に、隅へ隅へと向かった先にひっそりと佇む町だ。古くは化野と呼ばれる埋葬地、世捨て人の私にはお似合いだろう。この町は嫌いじゃないが、欲を言えば私の家に枝垂れ桜を一、二本植えてほしい。枝垂れ桜といえば紅枝垂れだが、あんな上品というか情景的というか、そういった桜は好きだけど、蘭蘭のようにかさ張りながら咲いてるのはどうも気に入らない。あれじゃまるで鳥の巣だ。
またどうでもいい事に頭を使っていたらしい。気が付くと嵐山に入り、もう辺りには草葺き屋根は見当たらない。ここまで来ると観光客の数もグンと跳ね上がり、通り過ぎる何人かは、私の髪を好奇な目で見てくる。嵐山にいるんだから大人しく紅葉でも見てればいいのに。普段は首の後で一つに結び、前から見えないようにニット帽を被ってるけど、今日からは髪を結わずに被り物もやめようかと思う。暑いし。
嵐山駅から何回か乗り換え、ようやく伏見駅に辿り着く。京町家の町並みを抜けて、そこから歩いて数分だろうか。近代化が進み、古くも雅やかな景色を蝕むマンションがそびえる中、それらより遥かに近代的な建築物が見えてくる。
「どうみても浮いてるよね」
文部科学省能力開発研究局異種心理神経課 。通称グリゴリ。国家機密研究組織と大それた名目だが、過去に二度も潰され、今となっては陰でこそこそ脳科学を研究してるだけだ。かく言う私もここに寄生してる一人なのだが、いや、むしろ寄生してるのはグリゴリ側か。
第三次グリゴリ計画。科学技術庁と防衛庁との合同による、サイキッカーの軍事利用を目的とした極秘プロジェクト。第一次、第二次の反省を活かし、実験体の意思も尊重して、比較的緩やかな環境で行われる。そして第三次最初のグリゴリ実験体。01号から数えると10号になる。それこそが私、
私が歪な形をした研究所で佇んでいると、後ろから聞き飽きた声がする。
「おーい、しおりん。来てくれたんだ」
「さっき行くって言ったじゃん。というかその呼び方はやめて」
「まあまあ。さっさと中に入ろう?」
空のような群青色、それとも瑠璃色か、いやどっちも似たような色だったかな。若しくはどちらとも言えないその髪を揺らし、年甲斐もなく小じわを作って笑う女性。歳は聞いたことないが、三十五くらいだろうか。だとしたら彼女はアラフォー独身ということになったりするのかな。
本人に聞けばいいだけか、と考え彼女の名を呼ぶ。
「ねぇ、小森さん。あなたいくつなの?」
「ん~?いくつに見える~?」
(…深追いしないほうがよさそう)
着慣れた白衣を翻しつつ、質問に質問で返すアラフォー、もとい
「そうだ!これしおりんに上げるよ」
「…なにこれ?」
「厄除け弓箭!しおりんって今年で十九になるよね?今日貰ってきたからあげるよ」
そう言えば今年は私にとって厄年なのか。この人に歳を教えた覚えはないけど、研究データでも見たのかな。というか厄除けって直接貰えるんだっけ。
「まあ…ありがと。今度ご飯奢るよ」
「ほんと!?じゃあ今晩どう?」
「いや、今日中には無理だよ」
「え~!」
「いちいち反応しすぎ」
談笑しながら、開いた自動ドアの先へと向かう。研究所に入るやいなや、迷彩柄の服がずらりと並ぶ姿が目に入る。そう言えば門や入り口にも立っていたな。殺気立ってこんな凡俗な研究所にいる意味なんてあるのかな。周りを見渡し慮っていると、百七十はあったはずの身長をもつ私を、少し下から睨んでいる人がいた。
「何ですか、小森さん」
「しおりんさ…美人さんだけど、目つき悪いからそんな目で見ると兵隊さんがびびっちゃうよ?」
「……彼らはそこまで柔じゃないと思いますよ」
いや、むしろ、そこまで私の目つきが悪いということなのかな。何であれ、二十歳にも満たない少女を陸自が恐れるはずもないだろう。
奥に進むにつれて迷彩柄の服は消え、白衣の数が増える。すれ違う彼らは私にとって小森同様、見飽きた顔ぶれであり、小森以外とは会話らしい会話をしたこともない。それは私が望んだことでもあって、彼らが望むことでもある。だからこれでいい。
「しおりんギャルっぽいとこあるし、出るとこ出てるし、今度セクシーな服でも買ってあげようかな…うん!それがいいかも!」
隣からは独り言なんて聞こえなかった。幻聴だよね。きっと。
*
それからホールを抜け、小森は彼女が専攻する二階の分子遺伝研究系へ、私は五階の所長室へと向かった。
「10号。君に是非、頼みたいことがある」
現在のグリゴリのトップである所長
「内容による、としか言えないけど」
「話がはやくて助かるよ。やはり君は頭が良いね、大学を卒業してここに就職したいなら、私は喜んで歓迎するよ」
「自己分析なら間に合ってるけどね」
「これは一本取られたな。ハハハ」
悪態をついたつもりが喜ばせてしまったらしい。この掴みにくい性格はどうも苦手だ。だというのに長い間見かけないと、つい顔を見たくなる。もしかしたらこの掴みにくさが彼の魅力なのかもしれない。
私の考えをよそに、乾はタブレットを弄くり回しながら話を切り出す。
「今朝のニュース。見たかい?」
「…爆発の件、ですか?」
「そう。正体不明のサイキッカー。だけど僕らは知っている」
何処と無く、声色が変わった気がした。窓から見える空蝉から乾へと視線を戻す。真剣な面持ちでこちらを見据え、飄々とするいつもの彼はどこにもいなかった。
私が目を見開くと、彼は間髪を容れずタブレットを渡した。そこには九人の名前と、顔写真が載っていた。その中でも一際目立つ少年の姿。
―ニュースで見た血のように赤い髪。
「君に頼みたいことはたった一つ」
―そして自分と同じ
「グリゴリ01号から09号の抹殺だ」
―実験体。