何もかもが駆け抜けていったような、そんな感覚がしていた。
向こうの世界で事件が起こり、死ぬまでの十六年。
そして、こっちの世界で再び生を受けてからの十六年。
合わせて三十二年も記憶があるというのに、全て終わった今となってはあっという間だった。
湯船につかりながらふと、そんな感覚がよぎっていた。
「ここも、同じだったんだな……」
総檜木の、しっかりとしたつくりの湯船。
幼いころから気に入っていたここも、前の私――前の次元での篠ノ之家と同じものだと思い出して。懐かしさと寂しさの同居した、不思議な感覚に襲われる。
なぜだか今日は、見るもの会う人ほぼすべてに、そんな感覚を抱いてしまっているのだ。
いや、理由は分かっている。
だって、きょうは……。
「夏祭りの日、だものな」
そう、ちょうど「異界事変」と名付けられた一式白夜との戦いが終わって、二週間。夏祭り、その当日を迎えていたのである。
あんなことがあった後だから、休んでいてもいいと姉さんや雪子叔母さんからも言われた。
けれど何もしなかったら緊張に押しつぶされそうだったから、私も準備に参加してはいたものの……。
それらもすべて完了してしまった今、こうしてまた悩み事が頭を過ってしまっていたのである。
「前の世界、そして今、か」
それだけ呟き、口元を湯船に沈める。
告白する勇気もそうだが、前の世界でのこともある。
こんな風に、私だけ――生き残って……。
「せめて、誰かに相談できれば……」
ふと、頭の中でいつもの仲間達を思い浮かべるが……どうにもこんな事を話しやすい顔は思い浮かばなかった。
ラウラはこっちの世界でも恋愛の駆け引きとかに疎そうだし、鈴だって近くで見てきたのだ、こっちのあいつがそういうのが苦手なのはよく知っている。
セシリアならば、とも考えはした。しかし今あいつはイギリスで代表候補生、かつオルコット家としての仕事で忙しく、とても話せるような余裕はないだろう。
姉さん――は、流石に論外として……。
「……僕なら相談に乗るけど?」
と、思った瞬間だった。
きっと脱衣所まで声が届いていたのだろう。
私の家に居候している、同じ次元の出身者が、そんなことを言いながら浴室へと入ってきた。
「シャルロット……」
シャルロット――こっちの名はイザベル――は、この戦いで専用機、それも第四世代を手に入れた。おまけに事件が広く知れ渡ってしまったため、IS学園へと編入させられる事となったのである。
「学園への編入、親はなんて?」
「行ってきなさいって。前の世界の未練があるってコト、ばれてたみたい」
こっちのシャルロットの両親は真実を知っても暖かく迎えてくれたらしい。娘の要望を尊重するのは、そこまで変でもないのかもしれない。
「だから、夏休み明けまでお世話になるから……話したい事があるのなら、言って」
口にしつつ、同じ花鳥風月を使った少女は即浴槽へ。篠ノ之家の風呂はさすがに温泉ほど大きくはないとはいえ、それでも女二人が入っても全然スペースには困らない程度の大きさは誇っている。
「話してしまえば楽になることもあると思うよ?」
足を延ばしながら、続けざまにシャルロットが口にする。
実際、話さないでこのまま悶々としているよりはいいと思い……気づけば、言葉を紡いでいった。
「ああ、実はな……今更、悩んでしまって」
「何を?」
「私なんかが、幸せになっていいのか……とか」
ずっと悩んでいた事を、かつてのライバルへと打ち明けた――が。返ってきたのはため息と苦笑だけ。
意を決して言ったにも拘らず、反応がこれだけとは……と、思っていた時であった。
「箒ってさ……バカじゃないの?」
「ば、バカだと!?」
「そんなの、許可いるとでも思ってるの?」
確かに、シャルロットの言う通りかもしれない。
幸せになるのに、許可を貰わなければいけない。そんな風なものではないとも思ってはいる。
だが、それは一般的な話であって――。
「っていうか、なんでそんな事を今更? 理由、聞かせてよ。少しは力になれるかもしれないし」
「あ、ああ……。言うまでもない事かもしれないが、私はあの世界の、異界事変の生き残りだ。たくさんの犠牲の上に立っている」
「自分だけ幸せになるのは……その、死んでいった人達に対して申し訳ないって感じ?」
勝手に続けてきたシャルロットの言葉は、正解だった。
私――いや、私達は数えきれない命を犠牲にした果てに生き残っている。
それなのに、自分勝手な幸せを追求していいものなのだろうか。
そんな懸念は日増しに強くなっていって――気がつけば、告白そのものの緊張よりも、そっちの方がストッパーになっていて仕方がなかった。
「さっきはあんな事言ったけど、全く気持ちが分からないわけじゃないよ。僕も四年前、記憶が戻ったころは同じ悩みを持っていたからね」
「今は悩んでないのか」
「うん。だってさ……約束、思い出したんだもの」
「約束……」
たった二文字の、その言葉を聞いて。記憶の奥底に蓋されていた、ある記憶が蘇ってくる。
あれは確か、まだ脱出艇で逃げてから一か月も経っていなかった頃の話だ。いきなり戦場を転々とし、死と隣り合わせの生活へと叩きこまれた私達は、日に日に消耗していっていた。
そんなある日、私達は一つの約束をしたのだ。
この戦いが終わったら、死んでいったみんなの分まで幸せになろう、と。
その頃はまだ、倒せるかもしれないという希望が見ていたからこそ、そんな約束もできた。あの世界の荒廃もまだ緩やかだったから、
だが結局奴の力はあまりにも強大が過ぎ、いつしか希望を上回る絶望が、そんなささやかな願いにすら蓋をしていたのだ。
「確かに、そうだったな……」
「倒した今、みんなのお願いを叶えなくちゃって思って」
そうだ、もう奴はいない。向こうの世界、第二の操縦者による事変は起きようもないのだ。
そうなった今、確かに約束を叶える義務もあるし、何より私自身、みんなのためにそれを成し遂げたいという欲もでてはきた。
となると、最後の悩みは……。
「なぁ、こんな形で一夏と結ばれ――」
「許す、許すよ」
何を言おうとしたのか、完全にお見通しだったのだろう。シャルロットはいちだんと声を強めて断言すると、続ける。
「ねぇ、箒。考えてみてよ、僕たちの友達だった
「……それ、は…………」
違う。断じて否、だ。
確かに一夏を巡って何度も衝突はしたし、喧嘩もした。
だけど、それでも。
そこまでの、嫉妬の範疇を越えた事を願う少女は一人としていなかった。
そう、断言できる。
「それに楯無さんや優奈だって、絶対箒のことを心配してるよ」
「……そう、か」
「だからもう、キミの告白を邪魔する壁なんて、ひとつもないんだよ。分かった?」
視線は合わせられなかったが、そっと頷くと、向こうから満足そうな視線を感じる。
それからしばらく、私たちはただ湯の中で話すこともせず、しばらく沈黙が続いた後だった。
そろそろ出よう。
そう思った時、シャルロットの方から声をかけてきた。
「あとは自分の中の自分を信じるだけだよ、箒」
「信じる……」
言われた言葉、それはかつてオルレアンでネクロ=スフィア展開を示唆するためにあいつが口にしたものと一字一句同じもの。
それを信じた結果、紅椿を展開することも、記憶を取り戻す事もできた。
あの最後の戦いだって、夢の中の雪片を作り出せたからこそ勝てた。
信じる力――言い換えればネクロ=スフィアとか心とか呼ばれるもの。
それはきっと、人類最強の武器なんだろうな……など、柄にもなく感じてしまった。
「それにしても、ここまで緊張したのは安崎戦の前でもなかったぞ。どれだけ奴は強敵なのだ……一夏という男は」
「はぁ……。箒、気付いてなかったの……?」
ふと思って発した言葉に、シャルロットは本日二度目のため息を吐き出す。
こ、今度は何だと言うのだ……!? そんなに可笑しな事を口走った記憶もないのだが……。
「恋愛とか告白が安崎より強い相手なんて、みんな知ってるってのに。あんなの、これから戦う相手に比べたらスライム同然だよ?」
「スライム、か……ふふっ。そうだな、ありがとう」
最後にそれだけ言うと、浴槽を出るのだった。
正直、まだ決心はついてはいないかもしれない。
けれど、逃げたくなる気持ちだけはかき消す事はできた。
「ありがとう……シャルロット」
◆
服見たり、カラオケでバカ騒ぎしたり、ゲーセンでゾンビ撃ったり……そんな事をして、日が暮れるまで遊んだ。
ずっと戦ってばかりの私にとってはしばらくぶりにできた、日常。
ほんとうに楽しくて仕方なくって、時がたつのは早くて。
とうとう、最後に行く場所まで着いてしまった。
日もすっかり傾き、夕焼け色に染まる坂を登りきる。
向こうが指定してきた場所が場所だけに、繋いだ手は緊張で汗ばむ。
だってここはIS学園の端にある遊歩道、その小さな丘のてっぺんだったのだから。
「ほかに人がいないのは、都合がいいわね……」
手を解いたあいつが、口にする。
展望目的で作られた場所だけど、さすがに夕方。
おまけに夏休みなうえに異界事変の後という事もあって、いるのは私達二人だけだった。
「もう、設置されてたんだ……」
「昨日ね。建ったって聞いたから、二人で行こうって思って」
「そっか」
柵の近くまで寄って、その付近にあった真新しい石碑の表面をなぞりながら、口にする。
このモニュメントこそ、私と一夏がどうしてもと頼んだお願い。それが叶った結果であった。
――異世界で死んでいったみんなの、慰霊碑。
「これだけ綺麗なら、みんなここで眠りたいって言うよね、そりゃ……」
かつて脱出艇で逃げていた頃、お墓をどこに建ててほしいかって内容のアンケート。
その結果、ぶっちぎりの一位を獲得したのがここだった。
「ただ、私の次元じゃないってのはどうかと思わなくもないけど……」
「瓦礫の山なんて見たって楽しくないでしょ?」
聞こえてきた声に「そうだね」と苦笑交じりに返した、その直後だった。
「優奈。約束の名前、決めてくれた?」
安崎を殺せず、一億点手に入れられなかった私に、お情けという形でデートを受諾してくれた。
だけど、その代わりにと提示した条件。
それは新しい名前を付けてくれというものだった。
どのみちこっちの世界にも「鏡ナギ」はいるし、前の身体の持ち主とは別人な以上、新しい名前は必要。そう思って受諾した。
あとは気に入って貰えるかどうかだけど……ここばっかりは、出たとこ勝負。
意を決して、口を開く。
「ユキ……」
「ユキ?」
「そう、鏡ユキ。どう、気にいった?」
「なかなか素敵な名前じゃない」
笑みと共に口にするあいつ――ユキ。
その顔はなかなかっていう割に口元が緩みすぎてて、本当はかなり嬉しいんじゃないかなと邪推してしまう。
それから二人、すこしだけ離れたところにある芝生の上へと並んで座ると、ユキの方から口を開く。
「今日は楽しかった。こんな風に遊んだの、初めてだったから」
「初めての相手が私で良かった?」
「言わせないでよ」
ふっと笑うように返す言葉。それはかつてのナギとは当然ながらぜんっぜん別のもの。
もし似たような状況になったら「え!? あったりまえでしょ、もう!」なんて、あの子なら軽くどつきながら返してくれたに違いない。
別人だって割り切ったはずなのに――それでも、思いは止まりそうになかった。
「私も、楽しかった……けど…………さ」
「けど、何?」
「前のナギとは、違った……だって、あんたはユキだもんね」
そう言って、慰霊碑の表面へと視線を向けていく――最上段右側に書かれた「Nagi Kagami」という文字に胸を締め付けられながらも。
「楽しかったからやっと、やっと受け入れられたんだ――親友だった、保育園から高校まで一緒だった鏡ナギはもう、この世にいないってコト」
「あんた私に言ったでしょ? 生きてるとは思ってなかったって」
「……理解と納得は違うっていうか…………やっと腑に落ちたっていうか……」
正直自分でも、何を言ってるのかよく分からない。でも、これが本心だった。
もう止めなきゃマズいって思ってるのに、こんな事考えたら失礼だって分かってるのに。
それでも、なぜか口が止まらなくって。
「変だよね? ずっとナギは死んだって考えてたのに、ナギが死んだからユキがいるって知ってたのに、ユキは大事な友達なのに。こんな事考えるのも、あんたに話すのも失礼だってのに――」
早口でまくし立ててしまい、おかしくなりそうになる心を強引な吐露でごまかしていた時だった。
急に何かに押される感覚がしたかと思ったら、芝生の上へと頭が乗っかる感覚がする。
押し倒されたんだと気づいたのは、ユキの顔が目の前に来た時ようやくだった。
でもそれも、すぐにあの子の手で隠されて。
そして、なんにも見えなくなった時の事だった。
「いままでありがとう、楽しかったよ」
ふっと、耳元で聞こえてきた声。
奪われた視界の中。映ったのは目の前の少女じゃなくて、私の大親友。
ずっとずっと、いっしょにいてくれたあの子。
「バイバイ、優奈」
間違いなく鏡ナギの、ものだった。
「ユ、キ……なに、それ……?」
「素敵な名前。そのお返し。体に残ってた留守録よ」
震えるほど嬉しくて。
でも、おんなじくらい寂しくて。
「言っとくけど、二度とやらないから」
普通じゃこんなのきけないって知ってるから、喜びであふれそうなのに。
でも、せつなくて。
「まったく、これくらい自分で伝えなさいって私は思うけどね!」
悪態交じりに、恥ずかしそうに吐き捨てるユキを見て。
「ほ……んと、そうだよ……」
そっぽを向きながら、それだけ返す。
ユキの顔を見ていたら、我慢できなくなりそうだったから。
「あとあんたね? 無理すんなっての」
もう本当に、限界が近かったのに。
それでも、無理して我慢したかったのに。
「顔は見ないでやるから」
「――!!!」
「……いいのよ?」
ぎゅっと抱きしめられて、とどめの一言を放たれれば。
もう決壊する以外の選択肢は選べなかったし、それ以外の選択はいらなかった。
「勝手に、いなくなりやがって……!」
そんな言葉をはじめとして、ずっと心の奥底に溜め込んでいた感情が、溢れ出る。
「私が、寂しがりやなの、知ってるだろ……!」
あの花鳥風月を使った作戦からこっち、ずっと我慢していた気持ちがあふれ出して。
「なのに……なのに……勝手に、黙って……黙っていなく、なりやがって……!!」
最後にそれだけ言い切ると。
もう後は、声にならない嗚咽を発する事しかできなかった――。
◆
「泣いた後は思いっきり笑うといいって、お姉ちゃんもよく言っていたっけ……」
泣き止んだのは、すっかり日も暮れた後の事。
夕日は西に消えて、完全に暗くなった空の下。私はそっとつぶやいた。
「そうすれば幸せになれるって……続くあれよね」
「だから決めた」
「何を?」
きょとんとするユキへと、続ける。
幸せになるために、私が決めたことを。
これから先、死ぬまでの何十年か。絶対最期の最期まで守り通してやるって決めた決意を。
「たくさん美味いもの食って、たくさん綺麗な景色見て……死んだらお姉ちゃんとナギに全部自慢してやる!」
本当に月並みで、しょうもないかたちでの
それをこの世界で、この空の下で。
隣にいる、新しい親友といっしょにやっていこう、そう決めた。
幸せになって、この世界を存分に楽しんで――それで言ってやる。
私の友達は、異世界での日々はこんなに楽しかったって!
「――ほんっと、あほねアンタ」
「知らないの? 記憶があるのに? 私は補欠合格の阿呆だぜ?」
そうだ、私はアホだ。
補欠合格だし、居眠りしてたら勝手にクラス代表に選ばれただけだし、ここまで来るまで散々悩んで泣いてぐるぐる同じところを回って来た。そんな女。
「でも……これだけは、絶対止めないし変える気もないかな……」
そう言いながら、ユキと一緒に立ち上がろうとした――その時だった。
「あ、花火」
ぽつりとあいつがつぶやいた通り、空には大輪の火の華が咲き誇り、私達を楽しませてくれていた。
「最初の復讐ってところかしら? あんた風に言うと」
「ま、そーなるか」
ぎゅっと肩を抱き寄せ、笑顔で言う。生きてこうして、こんな綺麗なものを友達と見れる。
なんかもうそれだけで、しぜんと口元が緩む。
「こんな笑顔遠くからしか見れないんだし……復讐ってのも間違いないかもね」
「でしょ?」
お姉ちゃん、ナギ。
あの二人だけじゃなく、失ったものは沢山ある。けど、こうして掴めた幸せだってきちんとあるんだ。できた友達だって確かにいる。
だから今さ、私……すごく、幸せだよ。
◆
篠ノ之神社の花火大会。
私と姉さんに一夏と千冬さん。それにこっちの世界の鈴しか知らない秘密の場所にて。
かつての私はその直前に告白し、轟音にかき消されるという失態を犯してしまっていた。
だから、今回は。
「絶対に失敗しないからな……」
おそらく音とともに消された、そんな決意。それを口にすると同時、思ってしまう。
毎年、ここから見ている筈なのに。
それでも妙に懐かしく、感じてしまうと。
きっと……いや、間違いなくとなりに私の想い人がいて、微笑みながら夜空を眺めているからだと思う。
「綺麗だな、箒」
「あ、ああ……そうだな」
向こうの私と別れてから二年が経過し、もう十八にもなろうというのに。
優奈以外の全ての知り合いを喪い、何もかもなくした経験まであるというのに。
無邪気に花火を眺めるその姿。
それもまた、記憶の中のあいつと何も変わってはいなかった。それが何というかもどかしかったし、嬉しかった。
と、思っていたのだが。
「いち、か……」
今ほど、花火の音が声をかき消したことを喜ばしく思う事は――たぶんこれから一生、来はしないだろう。
あいつの頬を伝う涙を見た途端、無意識のうちに口から漏れ出たその言葉が伝わっていないのを確認した後、私は再び視線を前へと向けていく。
それからは暫く、二人並んで花火を見る事に集中していった。ここの花火は全国的に有名で、百連発で一時間以上続くというものである。
轟音と共に、次々と天空に描かれていく光の芸術をしばらく無言で見つめていたが、やがて。
「花火、終わって、しまったな」
「ああ……そうだな」
たとえ長いとはいえ、終わりは来るもの。緊張と共に並んで眺めていた花火は、最後にひときわ大きな一発を天に描いて打ち止めと相成った。
心の準備は、きっとまだできてはいないんだろう。
さっきから心臓がバクンバクンと酷く不規則に鳴りっぱなしなのが、自分でも分かるくらいだ。
もう花火も終わって、言わなければならないのに。風呂でシャルロットに言われた事もあるのに。
それでも、いまいち決心がついていない自分が情けなくなる。本当に奴を殺す際に雪片を展開した人間と同じなのかと、我ながら思う。
でも、逃げるわけにはいかないから。
「一夏……もう少し、ここにいないか?」
とだけ、あいつの服の端を摘まんで、そっと口にする。
「……いいぜ」
しばらくの沈黙のあと、あいつも思うところがあったのだろう。そう言って、再び視線を目の前――私達が守ったこの街と学園の方へと向けていく。
それはまるで、あの日のように。
「何から、話したもんかな……」
ぽりぽりと軽く頭を掻きながら、さきに口にしたのは一の方からだった。こっちに視線を合わせないまま、少し苦笑交じりにあいつは続ける。
「あの日から、俺の方は二年間だった」
「私のほうは十六年。だけど、実質的には四年だな」
ちょうど記憶の蓋が開きかけたのが、その頃。時間差で開くように花鳥風月が作動したんだろう。
それにしても、時の流れが次元によって異なる。その事に感謝しなければならない気もする。
もし幼子のままあいつに襲われていたらとも思うし、それになにより、あの頃と同じくらいの年齢で再会できたという事も――。
「二年間だけだけど、いろいろあったんだよ。別の次元に行ったり、一人で戦ったりとか、本当に――色々」
「そう……か。私もいろいろと、本当にいろいろあったぞ」
ひとり考えていると、あいつの方から語りかけられた言葉。それは私も期間こそ違えど同じだった。
こっちの鈴やセシリアと仲良くなったり、重要人物保護プログラムを阻止したり……いろいろな出会いも、別れも重ねてきた。
話したい、でも。
「話したいことは沢山あるけど、お前の顔を見るとうまく思い出せなくなる……」
「そっか」
本当に細かいところまで話したい、口にしたい、知ってもらいたい。言いたいことはあふれかえっている。
でも、話そうと口を開こうとすると、記憶に靄がかかったようにできなくなってしまう。
どうしてか、きっとわかってる。
だってまだ、本当に言いたいことを言えていないのだ。
他のことなんて、全て些末事のように脇に追いやられているからこそ、こうなっているのだろう。
だから、多分――言わなければ、スタートラインにすら立てないんだろう。
どういうべきかも覚悟も、いまだどうにも定まらないけれど――でも。
「もう、言うしかない……」
小さな声で呟いてから、逃げるなと自分に言い聞かせ。
「帰ろうぜ、箒……箒?」
それから私は、あいつに向き合い。
「な、なぁ一夏……私は、私は。お前のことが――」
すうっと息を吸い、少しだけ期待の入り混じった穏やかな顔でこっちを見てくる一夏へと。
「ずっと、ずっと好き……でした!」
あの前の人生で出会ってから二十年近く経って。
ずっとずっと言いたくて言えなかった言葉。
ついに、告白の言葉を声にしたのだった――。
〈完〉
というわけで、今回の更新をもって「篠ノ之箒は想い人の夢を見るか」完結でございます。まずはここまでお付き合い頂いた読者の皆様に感謝を、本当にありがとうございました!
処女作「明けの明星」から第二作「俺女」(ともにエターしてしまいました、読んでいた方々には申し訳ない)そして本作に引き継がれた「滅んだ異世界から来た一夏」「一夏と同じ顔を持つ敵」の二要素もこれで書ききったこととなります。もっとも、当初予定していたかたちとは大幅に異なったものになったのは否めませんが……。
思えばここに来るまで、平坦な道のりじゃなかったとは思います。
一年エタしたりとか、優奈というオリキャラを予定変更して出したりとか、突如某日曜17時台にやってたアニメ二作のネタをやりだしたりとか…ってほとんど私の無計画さが原因だ、これw
無事、書ききれたことに達成感があるのもまた事実でして。はじめて完結できたというのは、やはり嬉しいですね。
なお、今作の反省についての活動報告につきましては、完成次第投稿いたしますので、もしよろしければお読みいただけると幸いです。
次回作はどうなるか分かりませんが……そちらもお付き合い頂ければ幸いです。
それでは、最後にもういちど。
本当に約三年お付き合いいただき、有難うございました!