次元覇王流拳法
――三雷会館。
かつて二人の男が、地上最強の武術を看板を掲げた始まりの地。
時は流れ、その竜虎も共に亡く。
今ではただ、子供たちの健全な育成を目指す道場としてのみ存続している。
兵どもが、夢の跡。
その終わってしまった物語の舞台で、二人の男が向かい合っていた。
「いいかげん、頭を上げて下さい、ナガラ君」
白髪混じりの柔和な顔が、どこか困ったように笑い掛ける。
その言葉に黒髪の少年――、ナガラ・リオもゆっくりと頭を上げた。
「ハジメさ、いえ、館長。
先日は、事情も知らずに不躾な真似をして、本当に申し訳ありません」
「……武術家が二人、立ち合った。
そして、単に私の力量が足りなかった、それだけの事だよ」
「ですが――」
「この話はもうよそう。
強いて謝罪を重ねられては、私の立つ瀬が無くなってしまう」
そう軽く苦笑して、ハジメが膝を崩す。
「それで、今日はどうしたんだい。
わざわざ来たのは、単に謝罪のためだけでは無いのだろう?」
「館長」
そこで一つ言葉を区切り、リオがまっすぐに瞳を向けて言った。
「恥を忍んでお願いします。
俺に、空手を教えて頂けないでしょうか?」
「空手を?」
「はい、三雷会の空手を」
きっぱりとリオが言う。
慮外の言葉に、思わずハジメが鼻白む。
かつて、『孤高の虎』ナガラ・セイイチロウは、三雷会の提唱するフルコンタクト空手を『偽物』と称して表舞台から去った。
偽物の空手を打倒し、父の無念を晴らす。
それこそがこの少年の費やした十年の宿願であった筈だ。
「教える、と言っても……。
知っての通り君の空手は、既に私の技を追い越しているのだが」
「足りません」
短く、淡々とリオが言う。
「俺は、父の教えてくれた空手しか知りません。
その教えも、今は半ばで途切れてしまいました」
「…………」
「これからはもっと、様々な技に触れてみたいと思っています。
単なる父のコピーではなく、その教えを内包した、俺の流儀を磨きたいんです」
まっすぐに見上げた少年の瞳を、じっ、とハジメが覗き込む。
その瞳に、再会した直後のような危うい輝きは無い。
だがその分、より切実な色を宿した碧い炎が燃えていた。
きっと、この二カ月の間に何かがあったのだ。
少年の十年に及ぶ執念を過去の光に変えてしまうような鮮烈な出会いが。
人と人の出会いは、時にそう言った凄まじい変革をもたらす。
居を正し、ハジメもまた少年を見つめ返す。
「君も知っての通り。
この三雷会の空手は、前館長のイズルとセイイチロウ氏の二人で築き上げたものだ。
三雷会の技で、君の父上が知らないものなど、何一つ無いよ」
「……はい」
「その上で君に伝えられなかった技術があるとすれば、それはセイイチロウさんが無駄と、不要の技と判断したと言う事だ。
今さらウチの教えを請うたとしても、却って君を混乱させ、技を曇らせるだけかもしれない」
「それは、そうかもしれませんが……」
「……まあ、それでも構わないと言うのであれば、いつでもここに来なさい。
私に教えられるものは、全て君に預けよう」
「館長……! あ、ありがとうございます!」
溌剌とした少年の声を受け、お人よしの眼尻に小皺がよる。
「礼などは不要だよ。
元々、三雷会に残したセイイチロウさんの置き土産を、君に還すだけの話だからね。
それにこの話を聞けば、義兄もきっと草葉の陰で喜ぶよ」
「前館長が? まさか……」
「喜ぶだろうさ。
かつて袂を分かった虎の子が帰って来たんだ。
武術家が二人、それぞれの信念から道を違えるのは仕方ない。
彼らにとっての不幸は、その後の和解に至るまでの時間を持ち得なかった事。
ただ、それだけなんだからね」
ハジメが静かに笑う。
そう言うものかもしれない、と思う。
もしもヒノ・イズルが本当に許せない敵であったならば、あの父はきっと、這ってでも決着の場に臨んでいた筈だ。
「やあ、それにしても、まだ六月だというのになんだろうね、この暑さは」
そう言ってハジメが木戸を開ける。
たちまち眩いばかりの日の光が、道場の中へと差し込んでくる。
「今からこれじゃあ、今年の夏は凄い事になるな」
呆れたように苦笑するハジメにつられ、リオも微笑する。
少年の心の中で、季節が変わり始めていた。
・
・
・
――そして、八月。
灼熱の季節。
ハジメの予言したように、少年にとって凄まじい夏が訪れようとしていた。
明朝、夜も明け切らぬ群青色の世界に、ナガラ・リオが駆け出していく。
立て付けの悪い玄関を開け、馴染みの商店街を抜け、若葉が茂る桜並木の河川敷を走る。
日が昇れば、すぐにうだるような暑さが襲ってくる。
そうなる前にランニングを終え、一汗流しておかねばならない。
そのあとは胴着に改め、日課の鍛錬。
部位の強化に筋力強化、素振り、柔軟、型稽古。
やるべき事はいくらでもある。
午後には三雷会の道場に赴く約束を取り付けてある。
シュミレーターによる模擬戦も可能とは言え、生身の相手と組み手が出来るのはやはり有難い。
脳内でスケジュールをまとめている内に、いつしかリオは年季の入った集合住宅の前まで辿り着いていた。
順調に進んでいた足取りが、ふっ、と止まる。
ハイツ『ビグ・ラング』603号室。
盟友、ヒライ・ユイの眠る部屋に、何とは無しに瞳を向ける。
ここ数日、彼女は家に顔を見せてはいない。
兼ねてより打ち合わせを続けていた新型リーオー。
その製作が佳境に入っているのだ。
『リーオーの骨格を作る』
沖縄から帰ってきた翌日。
ヒライ・ユイは満身創痍のリオに対しそう宣言した。
『強固なフレーム同士を連結させて、骨の頑丈さと関節のしなやかさを両立させる。
その上から、比較的柔らかな外装を重ねる。
国産車のフロントと理屈は同じで、外装で衝撃を吸収して骨格を維持する。
折れず、曲がらず、日本刀のようなMF――』
日本刀。
その言い草がよっぽど気に入ったのか、瓶底眼鏡の奥の瞳は、心なしか興奮してるように感じられた。
だが、内部フレームを一から作るなどと言うプランは、既に女子中学生のホビーの域を超えている。
彼女のために、自分に何か出来る事はないか?
そんな殊勝な考えを一度は抱いたリオではあったが、すぐに考え直した。
彼女に報いるとは、すなわち彼女のリーオーで勝利すると言う事だ。
余計な些事に気を払うべきでは無い。
体を鍛え、技を磨き、勝利を目指し一歩でも努力する。
それ以外の思考は全てが邪念だ。
(ガンプラ・ファイト、地下トーナメントの開催まで、あと一週間……)
心の中で暦を数え直す。
いくつもの因縁を清算し、積み重ねた時間の濃厚さを証明するための舞台。
今日か、明日か。
大会に向けて、新型リーオーと自分の動きを調整する為の時間がいる。
劇中のヒイロ・ユイのようにストイックなあの少女なら、確実にそのタイム・リミットに新型を間に合わせて来る筈だ。
呼吸を整え、古びたマンションに背を向ける。
時間はまだ十分にある。
焦る必要など何もない。
そう考えようとしても、胸の奥の疼きは止められそうもなかった。
新型のリーオーに対する溢れんばかりの昂揚と、僅かな不安。
逸る心を抑える代わりに、精一杯に肉体を動かす。
再び河川に合流する。
そのまま北上してしばらく走ると、やがて陸橋に出る。
そこで一度、河川敷に降りて呼吸を整え、時には軽く体を動かしてから帰路につく。
それが現在のリオの日課であった。
「……お?」
ふっ、とリオの足が止まる。
普段なら無人の明朝の河川敷に、先客の姿を見出したためだ。
歳の頃は、おそらくは十三、四。
ヒライ・ユイと同じくらいの年代の、あどけなさの残る少年。
空手のような稽古着を纏い、両手にバンテージを巻いている。
リオにとって、見覚えのある少年である。
今日のようにロードワークの途中ですれ違い、二言三言挨拶を交わす。
そんな程度の間柄の少年だ。
その少年が今、河原で一人稽古を行っていた。
これまでは、たまたま時間が重ならなかったのか、少年の拳法を目の当たりにするのは初めての事だ。
沖縄の少女を思い出させるような赤髪。
それを鮮やかに振り乱し、流れるように拳を繰り出す。
右の中段、空手で言う正拳突きから入り、直ちに左を返す。
そのまま半歩踏み出し、左の横蹴り、すぐに膝を畳んで上段に切り替える。
年齢に反し堂に入った見事な動き。
だが、リオの目には何か違和感を覚えるような体の入りだ。
少年はリオと同じ打撃屋ではあるようだが、その母体はあるいは、空手とはまた違った流派なのかもしれない。
「ハァッ!」
掛け声と同時に繰り出された右の上段突き。
それが直前に掌の形をとって空気の壁をピシャリと叩く。
少年の心根まで現れるかのような真っ直ぐな一撃だった。
「よう、朝っぱらから元気だな」
「え……? ああ、おはようございます」
見知った顔を視界に収め、少年がすぐに溌剌とした笑顔を向ける。
快活で礼儀正しい、今時たまらぬ少年であった。
「珍しいモン見せてもらったよ。
空手……、とは、ちょっと違うみたいだな」
「あ!? 分かりますか?
俺、『次元覇王流』って言う拳法をやってるんですけど……」
「次元、覇王流?」
「……と! すいません。
俺は聖鳳学園中等部二年、カミキ・セカイって言います」
「カミキ・セカイ……、それじゃあ君が」
リオがまじまじと目を見張る。
マイナーな拳法の方はともかくとして、少年の名前には聞き覚えがあった。
「え? 俺の事、知ってるの?」
「三雷会の道場でガキどもから聞いたよ。
ガンプラバトルの大会で暴れてる拳法家がいるってね」
「三雷会……、空手をやってるんですか?」
「ああ、俺はナガラ・リオ。
と言っても、俺のは他流派だけどね」
そう言っておもむろに河原の中央に進み、天地に構える。
そうしてひゅうっ、と息を吐きゆるりと拳を中空に突き出す。
太極拳のように緩やかな、しかし淀みのない動き。
タン、と半歩踏み込んで、さらにスロー・モーションのような左掌底を放つ。
「カミキくん」
傍らの少年に呼び掛けながら、続けて中段蹴り。
その意図を理解したセカイが、にい、と笑ってリオの前に立つ。
「セイッ」
短い気合いを放ち、セカイが右手を打ち出す。
リオと同様の、緩い右の中段突き。
その動きに合わせ、リオが左手を廻す。
交錯の直前で二人の両腕がぴたりと止まる。
返す刀でリオの下段蹴り、それも中空で静止する。
寸止め。
お互いの技を確認するかのように、一つ一つ、交互に繰り出していく。
型稽古のように『お約束』を繰り返していた両者の動きが、やがて、どちらからともなく速度を増していく。
(……親父が見たら、なんて言うかな?)
ふっ、と厳格な父の顔が、リオの脳裏をよぎる。
寸止め空手などダンスと一蹴し、厳密な闘争の世界に身を置いてきた男だ。
よくて破門か、あるいは殺されるかもしれない。
(仕方ねえだろ、こればっかりは)
軽く頭を振るい、雑念を追い出す。
表のガンプラバトルで名を上げた拳法少年。
一体どんな技を使うのか、その底を見てみたいと言う単純な興味が勝った。
さりとて堅気の少年に、ほいほいと喧嘩を売るわけにもいかない。
ガンプラバトルの学生大会は3対3。
そう教えてくれたヒライの真剣な顔を思い出せば、大会を控えた少年に、己が我侭で怪我を負わせる訳にもいかない。
いつしか両者の攻防は、本気、と言っていいほどの域に達していた。
半端に止めた拳では、相手に敗北を理解させる事が出来ない。
文字通り寸での所で止め、極める。
だが、お互いの体が高速で動いている以上、必ずしも拳は寸で止まらない。
打撃が防御の上を叩き、拳圧が頬を掠め、拳と拳が中空でカチ合う。
(今のは浅い)
そう思いながら、リオが返しの連撃を見舞う。
(これも浅い)
そう思いながら、セカイが対主の追い突きを捌く。
高速回転する思考と肉体が、面白いようにシンクロする。
まったく別の流派でありながら、二人の戦法ががっちりと噛み合っているのだ。
(こいつ……、とんでもねえ!)
セカイの連撃を凌ぎながら、リオが内心で舌を巻く。
自分の方が二年は年長だ。
リーチも自分の方が長い。
体格も自分の方がいい。
技量でも、自分が劣るとは思えない。
だが、目の前の少年は軽量を活かした入りで、こちらの懐に果敢に潜り込んで来ようとする。
釣り合っていた攻防の天秤が、徐々にだがセカイの側に傾き始めている。
やがてリオは気付いた。
まっすぐにこちらを見つめる少年の瞳。
彼が突き出した拳の先に見ているのはリオでは無い。
リオの体を通して、さらにその先にあるものを目指しているのだ。
(いるのか?
中学生の、それもガンプラ・バトルの世界に?
そうまで思わせるほどの
ぞくりと体が震える。
少年の強さの芯、それを理解する。
人と人の出会いが肉体にもたらすもの。
そう言う神秘をこの四か月ばかりで体験してきたリオである。
自分の場合はどうだろうか?
目の前の少年の流儀に合わせ、拳の先に『敵』を見据える。
『カーッカッカッカッカッッ!!』
恐ろしいまでの空耳と共に、両目を狙った目突きが飛んでくる。
思わず苦笑しながら、実際に迫るセカイの拳を払う。
(集中……、集中しねえと)
ぐっ、と奥歯を噛み締める。
確かに今、お互い暗黙の内に技を止めてはいるが、それでも一発一発、相手を殺す気迫で打っているのだ。
半端な受けは相手に対する侮辱になる。
目の前の攻防に全身全霊を込めねばならない。
と、いうよりも、もはや他の事を考えている余裕はない。
そこまでリオは追い詰められている。
集中しなければならない。
だが、そう思おうとすればするほど、却って余計な雑念が胸中に沸いてくる。
――今、こうして戦っている時間は本当に楽しい。
親父は否定した遣り方だが、お互いに繰り出した技を通して、相手の思惑を、その信念を読む。
それだけの事に付き合ってくれる相手がいる、それも嬉しい。
……だが、なぜ自分は、これだけでは満足できないのだろうか?
例えばアイツが相手であったならば、やはりこんな風には遊べない。
目を突き、金的を蹴り、砂を浴びせ、噛み付く。
お互いに学んだもの、覚えたもの、考えた事を全てぶつけ、本当にどっちが強いかを決めたいと思うのだろう。
自分の心の中で、そう言った世界の方を望んでいる。
ああ、また余計な事を考えてしまっていた。
もう限界だ。
これ以上は返しきれない。
もう一度、一打、一打に集中するのだ。
自分たちは今、人を殺せるだけの技を――
「ハァッ!」
「――!」
裂帛の気合いと共に飛んできた右掌。
それが、いなしに掛った左手を押し切って、まっすぐに顔面に添えられた。
妄執を打ち砕く一撃。
完敗である。
実戦だったら首から上が吹き飛んでいた所だ。
互いの技量や実力とは別に、目の前の戦いを楽しむと言う純粋さの一点において、リオは眼前の少年に大きく水を空けられてしまっていた。
それからしばし、乱れた呼吸を互いに整えた後、ようやくと言った風にリオから口を開いた。
「いやぁ、参ったぜ。
すげえもんだな、次元覇王流って言うのは」
「…………」
「……カミキくん?」
ぽつりとリオの口から疑念がこぼれる。
当のカミキ・セカイはしばし、最後に繰り出した右手を抑え、ぶるぶると震えていたが、その内にはっ、と顔を上げて言った。
「ナガラさん! もう一本だけ付き合って下さい」
「ん、もう一本……、ってのは?」
「あの、俺の勘違いかも知れないけれど……。
ナガラさんは何て言うか、まだ本気を出してないんじゃないかなって」
「――!」
今度こそリオが目を見張る。
リオがセカイの拳の先にあるものを見ていたように、セカイもまたリオの技の中にある、何とは無しの迷いに気付いたと言う事なのだろう。
「ナガラさん、俺の事なら大丈夫だから――」
「武術家が、手の内を全て見せる時はよ……」
セカイの言葉を遮って、リオが口を開く。
一瞬、続きを言うのをためらう。
だが、誤解は正されねばならない。
「……相手か自分、どちらかが死ぬ時だ。
師匠からはそう教わったよ」
「え……?」
「立派な師匠だろ」
思わず声を失ったセカイに対し、おどけた調子でリオが笑いかける。
なるほど、次元覇王流は大した『武道』である。
拳を通じて想いを伝える。
拳を通して相手を理解する。
余程の感性に、そして優れた師に恵まれねば出来ぬ事である。
だが、自分の『武術』の師だって、捨てた物では無いと思う。
厳しい世界で男が一匹、戦い抜くための牙を与えてくれた。
己の道を切り開くための、屈強の肉体を与えてくれた。
父の教えを離れ、己が流儀を模索している今だからこそ、却って故人の与えてくれた物の大きさが理解できる。
カミキ君とは良い友人になれそうだが、それでも今日のように遊ぶのが精々、と言う事になるのだろう。
「さっきのはお互い、拳を当てないように戦ってた。
俺はそのルールの中で最善を尽くし、そして、負けた」
「…………」
ちらりと、セカイ少年の顔を見つめる。
自分よりも遥かに聡い子ではあるが、それでも釈然としない物は残るであろう。
拳以外で語る、リオにとっては難事である。
「……ああ、なんだ、カミキくん。
ゲームってヤツはよ、お互いに公平なルールがなけりゃ成立しねえ」
「はあ……?」
「限られたルールの中でよ、お互いに出来る事を全部やって……。
だから安心して遊べる。
そう言うのって、なんて言うか……、良いよな?」
「……ああ! それ、俺もスッゲー分かります!」
「そっか」
ようやく得心が行ったのか、セカイが再び溌剌とした笑顔を見せる。
つられたリオも気恥ずかしげに苦笑する。
「再戦も良いけどよ、時間の方は大丈夫か?
いつもよりも随分と遅いだろ」
「あっ!? いっけね!
早いトコ戻んないと、ユウマの奴がうるさいんだった!」
そう言うが早いか、セカイが慌ただしく背を向ける。
「スンマセン、ナガラさん! 続きはまた今度で!」
「おう、また今度、遊ぼうぜ」
軽やかに階段を駆け上る少年の背を、リオが眩しげに見つめる。
真っ直ぐに正道を往く光の道だ。
彼らの行く先には、ガンプラバトル全国大会と言う大舞台が待ち受けている。
楽しいエキシビジョンではあったものの、やはり二人の目指す先は違う。
「……帰ろう」
ぽつりと一つ呟いて、リオもまた走り出した。
セカイほど大層な道ではないが、リオにも自分の事を待ち侘びている、クソったれな野良犬どもがいる。
こんな所で体を冷やして、体調を崩す訳にも行かなかった。
「…………」
階段を登り終えた足が、ピタリと止まる。
帰り道。
そのアスファルトの先に、逆光を背負う人影がある。
この酷暑にも関わらず、季節外れの迷彩柄のパーカー。
目深に被ったフードの奥から、金銀の煌めきが怪しくリオを捉える。
ふうっ、と一つ溜息を吐く。
どうやらクソったれな野良犬が一匹、待ち切れずにここまでやって来たらしい。
おかげで爽やかな朝が台無しである。
ゆっくりと、気負いせずに悠然と歩を進める。
近づくほどに空気が濃密になっていく。
20メートル。
10メートル。
5――。
「ケィア―ッ!」
「……!」
突如としてパーカー男が跳んだ。
立ち会いどころか、走り幅跳びでもやろうかと言う距離だ。
雄々しい黒豹のようなしなやかな跳躍。
背に負った逆光の中に身を隠し、一直線に悪意が牙を剥く。
「くっ!」
かろうじて身をよじり、烈風の如き跳び蹴りを紙一重で避ける。
顔の真横を通過する足刀が、ざんばらな前髪を一つ二つ持って行く。
「ヘッ! ままごとヤッてんじゃねェッッ!!」
振り向いた視線の先、男は既に動き始めていた。
脱げたフードの中から現れた褐色の肌。
金眼、銀眼。
輝きの異なる左右の瞳が、野生の狂気を宿してリオの許に迫る。
「……ハッ!」
「アァウッ!?」
ビン、と鈍い音がして、褐色の男が狼狽の声を上げる。
リオの放った右の指弾。
うろたえる男の額の上で、役目を終えた百円玉が宙に踊る。
「オォラァッ!!」
よろめく隙を見逃さず、リオが思い切り前足を蹴り上げる。
睾丸を両方とも潰してやろうと言う、一切の躊躇の無い蹴上げ。
すんでの所で腰を引いた男に対し、更に軸足で踏み込んで前蹴りを浴びせる。
「ンギィ! ちょ、ちょいタンマ!?」
蹴り足を両手で受けながら、男が大きく後方へ逃れる。
「何なんだよ、テメェッ!?
さっきまでのお遊戯と全然違うじゃねえか!!」
「ノボせんなよ犬っコロ!
なんで俺がお前みたいなのと、丁寧に遊んでやらにゃあならねえんだ?」
「……ケケッ! 違いねえ。
この分なら、一週間後も楽しめそうだなァ」
一週間。
リオがわずかに眉を歪める。
そんな言葉が飛び出す以上、この野良犬は、やはりガンプラ・ファイトの関係者なのだろう。
襲撃の意図は分からないが、男の纏う危険な空気は、いかにもあのプラモ屋の好みであった。
にぃっ、と口元を歪め、男が足元に転がった硬貨を拾い上げる。
「へっ、舌なめずりしてきてみりゃ、何せあんなボンボンと遊んでやがるからよォ。
どんなボンクラかと思ったが、おかげで安心したよ、先輩」
そう捨て台詞を残し、男がくるりとリオに背を向ける。
「……おい!」
「これ以上はやらねえよ。
今日の怪我のせいで本気を出せなかったなんて、本番で言い訳されちゃあ敵わないからな!」
「何なんだお前……、カミキくんの知り合いなのか?」
「直接の面識はねえよ。
まっ、血を分けた遠い兄弟って所だろうな?」
「兄弟……?」
リオの呟きを受け、男の足がぴたりと止まる。
振り向いた横顔で、金色の瞳が慧々と瞬く。
「ブラジリアン覇王流、ジョージ来栖(クルス)!
いずれガンプラ地下ファイトの全てを牛耳る男の名前だよッ!」