ガンプラ格闘浪漫 リーオーの門   作:いぶりがっこ

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舞術家 安室恋(アムロ・レン)②

 ――深夜。

 

 担ぎ込まれた急患たちを孫娘ごと駐在に預け終えると、アツト老人はえらく疲れた様子でどっかと居間に腰を下ろした。

 古ぼけたちゃぶ台を挟み、リオが無言で老人を見つめる。

 

「……あ~、さっきの男衆だがね。

 駐在の話じゃあ、やっぱりここいらを荒らし回っとる密漁者の類のようだね」

 

「密漁……、ですか?」

 

 怪訝な顔をする前で、アツトは頷きながら煙草に火を点けた。

 

「うん。

 本土の方は何を今時、と思うやもしれんが、昨今はそう言った輩が多くてね。

 漁協に属さず、高級魚や海産物ばかりを狙って好き勝手やりよる。

 酷いのになると、地元の者たちが丹精込めた養殖場まで荒らしていく。

 さりとて離島の寒村じゃあ、まともに警戒する事も出来んで手を焼いとるのよ」

 

「ははあ……」

 

 気のない返事をしつつ、老人の言葉の意味を、リオが頭の中で咀嚼する。

 

「つまりレン……、お孫さんは海岸で怪しげな船を発見して、そこでさっきの連中と口論になり、咄嗟に手が出てしまった」

 

「うん、まあそんな所だろうね」

 

「で、その後、気が動転した彼女は、たまたま居合わせた俺を、連中の仲間と勘違いして襲ってきた?」

 

「うん……」

 

「そんなワケないでしょ」

 

 ふへら、と呆れたように苦笑がこぼれる。

 つられた老人が、いかにも気恥ずかしそうに頭を掻く。

 

 先刻の少女のやり口、あれは明らかに手慣れた喧嘩屋の犯行である。

 手当たり次第に暴力を振るいたい、などと言う可愛らしい欲求ではない。

 血の気が多く、脛に傷を抱え、警察沙汰になっても泣き寝入りするしかないゴロツキ。

 今宵の彼女は、そんな格好の獲物を求めて人気の無い海岸線を徘徊していたのだ。

 

「いや、君をこんな身内の恥に巻き込んじまって、本当に申し訳ない」

 

「俺の方は構いませんがね、そろそろ教えてもらえませんか?

 安室流の舞踊ってのは、一体何なんです?」

 

「うん……」

 

 そこで一つ言葉を区切ると、アツトは観念したかのように煙を吐き出した。

 

「昼に君に話した通り、安室流は寛永期に根平に移り住んだ当代の篤人が、現地の舞踊を保護したのが興りなワケだが……。

 その起源はもっと古く、唐代の宮廷武術が形を変えて伝わったもの、と主張する先生までおる」

 

「宮廷武術……、中国拳法、ですか?」

 

「まっ、あくまで仮説の一つ、としてね。

 とにかくウチのご先祖さまは、安室の女の動きの中に何らかの武芸の極意を見出したらしい。

 やがて二人は結ばれる所となり、その後、篤人家は代々、男は武術、女は舞踊を修めるようになった」

 

「そしてレンは篤人流と安室流、両方の技を継いでいる、と?」

 

 リオの推測に対し、アツトが悲しげに首を振るう。

 

「儂はアイツに直接、技を教えた事など無いよ。

 君に話した通り、古武術は儂の代で終わりにするつもりだったんだ」

 

「けれど、先刻の彼女の動き、とても一朝一夕で身に付くものとも思えませんが」

 

「一朝一夕で身に付いたのよ。

 大好きだった祖母の舞踊を続ける内に、何かしら閃く所があったらしい。

 儂の型稽古を盗み見し、伝来の覚書を密かに読み耽り。

 それだけでアイツは篤人の技の粗方を修めてしまった」

 

「馬鹿な……」

 

「世の中にはそう言った天才、一種の化物が少なからずおる。

 だが奴の力は君のように、地道に一歩ずつ手順を積み重ねて築き上げた物では無い。

 よく斬れる名刀ではあっても、それを納める鞘拵えがなっておらんのだ」

 

 嘆息を吐いたアツトに対し、リオが静かに頷く。

 リオの心の中にも、確かに先ほどのレンのような野良犬が住んでいる。

 だがその獣は、亡父から施された武の鎖によって、かろうじて繋ぎ止められていた。

 少なくとも彼女のように、獲物を求めて徘徊するような浅ましさは無い。

 

「何とかならないもんでしょうか?

 このままじゃあの女は、遠からず人の道を踏み外します」

 

 孫ほども開きのある少年からの真摯な忠告に、さしもの好々爺も襟を正して頷いた。

 

「こう見えて儂は儂で、色々と考えてはみたんだよ。

 今から武術の心構えを教えるのが不可能ならば、せめてその興味を暴力以外に向けられないかとね。

 例えば、アイツに買い与えたプラモデルなんかは良い線行っておったと思うのだが。

 奴め、昨年のトーナメント決勝を目前にして、突然全てを投げ出してしまいおったわ」

 

 プラモデル。

 先のヒライとのやり取りを思い出し、リオの中で全ての線が一本に繋がる。

 

「……ようやく話が見えて来ました。

 先生、アンタ初めからプラモ屋とグルだったんだ。

 アイツにガンプラ・ファイトをやらせる為に、俺をアテ馬に使うつもりで呼んだんだね?」

 

「いやいやいやいや! ナガラ君にはまっこと申し訳ない事をした!」

 

 そう言って老人が困ったように頭を掻く。

 人懐っこい、どうにも憎めない笑みであった。

 

「構いません、むしろ最初からそう言ってくれた方が早かった」

 

 ふう、と一つ苦笑しながら、リオがおもむろに立ち上がる。

 

「もう一度、電話をお借りしますよ。

 明日の夕刻、俺のために用意したガンプラを持って砂浜に来い、と。

 レンの奴が戻ったら、そう伝えといて下さい」

 

 

 ――バラバラと、ローターの音が静寂の海岸線にこだまする。

 

 おもむろにリオが顔を上げる。

 沈み行く夕闇の空に違和感を以て浮かぶヘリコプター。

 そのサイズが異常に大きく見えるのは、決して遠近法による錯覚ではない。

 

 アムロ・レンと一戦交える。

 そうリーに告げてからわずか一両日中の行動力に、非日常に慣れたリオも驚かざるを得ない。

 

「あれがリー・ユンファご自慢の魔改造Haloかえ?

 カカカ、金持ちと言うのはイカれておるのう。

 野試合一つに幾らかけるつもりじゃ?」

 

 パチパチと爆ぜる篝火の向うで、真紅の長髪が紅蓮の炎のように揺らめく。

 初めて出会ったときと同じ、白の胴着に藍の袴姿。

 

 安室流舞踊、アムロ・レン。

 

 古風の清楚さを持った出で立ちと、なお隠し切れぬ野生のギャップが、少女の立ち居振る舞いに並々ならぬ妖絶さをもたらしている。

 

「……初めから、お前とプラモ屋の間では話がついていたんだな、アムロ」

 

「然り。

 以前、あの男が根平を訪れた時にこう言ったのよ。

 いずれ、儂の心を熱く出来るだけの戦士を用意する。

 ガンプラ・ファイト参戦の是非は、その勝負の後で聞く、とな」

 

 舐めるような視線でリオの全身を値踏みしながら、さらにレンが言葉を重ねる。

 

「じゃがのうナガラよ。

 なんだって今更、こんな茶番が必要なんじゃ?

 儂らが遊ぶだけなら、あんな大袈裟な玩具は要らぬ。

 昨日みたいに勝手に始めてしまえば良いだけではないか」

 

 そう言ってカカカと嗤う、真っ赤な唇、真紅の瞳。

 蟲惑的な熱気に当てられ、くらりと一つ頭が揺れる。

 なんて良い女なんだ。

 少年の中の野良犬が、少女の言葉を全身で肯定して震えている。

 

「……俺はゴメンだな。

 遊び一つの為に殺人犯になりたくはねえ。

 アツト先生との約束もある」

 

 獣を必死に鎖で繋ぎ止めながら、淡々とリオが嘯く。

 すっ、と紅い瞳に剣呑な輝きが宿る。

 

「随分と気取りよるのう、心にも無い事を。

 うぬはもしや、儂よりも強いつもりでおるのか?」

 

「どっちが上でも同じだ。

 俺はあのじいさんの事が気に入った。

 俺とアンタのどっちが勝っても、それで先生を悲しませたくは無いんでね」

 

「ハン! 模範解答じゃな空手小僧。

 一番ぶちのめしてやりたいタイプじゃ」

 

 やがて凄まじい旋風と砂嵐を巻き上げて、パースでも違えたかのような大型回転翼機が二台、砂浜へと降り立った。

 旧ソビエト連邦製大型輸送ヘリコプター、Mi-26。

 全長40.025メートル、最大定員150名。

 現行機最重量を誇る圧巻の八枚翼。

 だがそれも今となっては、荷台をまるごとガンプラ・トレース・システムに置き換えられた李大人のおもちゃ箱に過ぎない。

 

 ――ほどなく、ローターが完全に静止すると、見覚えのある小豆色のジャージ少女が、ひょっこりと砂浜に飛び降りた。

 

「ヒライ、わざわざお前が一人で来たのか?」

 

 意外そうに声を上げたリオに対し、相変わらず思考の読めない瓶底眼鏡が小さく頷く。

 

「操縦士さん以外は、私だけ。

 武術家の立会いに介添人がゾロゾロいくのは無粋だって、ハム姉が言った」

 

「……妙な所で気を遣うな、あの人は」 

 

「プロトリーオーは、私とあなたのMF。

 だから、リーオーの戦いを見届けるのは私」

 

 そう言って、鞄から取り出したガンプラをリオへと差し出す。

 修復を終え、更にいくつかのチューニングが施された白色のリーオー。

 いくつもの意見を重ねあいながら研鑽してきたこの機体が、かの『リアルニュータイプ』とやらにどこまで通用するのか。

 久方ぶりの実戦の機会に、ぶるりと指先が震える。

 

「カーッカッカッカッ!」

 

 神妙なる空気を遮って、鬼の首でも獲ったように悪魔が嗤う。

 

「青春しておるのう小僧!

 武術家同士の仕合に女連れとは、随分と余裕ではないか?」

 

「おい……」

 

「それは違う」

 

 リオの反論を遮って、ずいっとユイが一歩前に出る。

 

 

「ナガラ・リオは、童貞」

 

 

「「 ――!? 」」

 

 ……空気が凍る。

 そんな周囲の変化を気にするでもなく、淡々とユイが言葉を重ねる。

 

「空手道の追求の為に、女人を絶って鍛錬に人生を捧げている。

 男の中の男。

 この人を侮辱する事は、私が許さない」

 

「……ッ!?」

 

「……カカ!」

 

 

「カカカッ! カーカカ! カーッカッカッカッカッカッカッ!!」

 

 

 アムロ・レンが嗤う。

 嗤う。

 嗤う。

 嗤う。

 因縁の死闘を前に、腹筋が崩壊して死にかねない勢いで身をよじらせる。

 

「ヒライ、お前は俺を……、そんな風に見ていたのか?」

 

「……? 違う、の?」

 

 意外そうな声を上げてユイが振り返る。

 その瓶底眼鏡の奥底からは、彼女があたかもリーオーに相対している時に見せるような、溢れんばかりの尊敬(リスペクト)の眼差しが伝わってくる。

 

「今の話、誰から聞いた?」

 

「ハム姉」

 

 ああ。

 理解した。

 帰ったらブチのめそう。

 そう深く心に刻みつつ意識を切り替える。

 こんな些細な遣り取りが遠因で技を曇らせて負けたとあっては、亡父に対してあまりに申し訳が立たない。

 

「カカ、前言撤回じゃ!

 気に入ったぞ童貞野郎。

 よもや今宵は女の味も知らずに死ぬ覚悟とはなッ!」

 

「うるせえッ! どこでどう死のうが男は男よ!」

 

 とんでもなく下卑た売り言葉に意味不明な買い言葉を返しながら、憤然とリオがヘリへと乗り込もうとする。

 その背に向けて、おもむろに鞄から火打石を取り出したユイが、ガツガツと二回、切火を切る。

 

「武運を」

 

「……おう」

 

 相変わらず感情の読み取れない瓶底眼鏡の少女の顔が、せり上がる鉄扉で次第に見えなくなっていく。

 やがてゴドン、と言う音と共に機内は暗闇に包まれ、代わりに計器の明かりがそこかしこに灯り始める。

 頭上から緩やかに下りて来たリングが容赦なく肉体を締め上げ、心の中の狂犬が否が応にも猛り出す。

 

「……ガンプラファイト、レディー……、ゴー」

 

 淡々とした少女の合図と同時に、少年の視界が鮮やかに一変した。

 

 

 波の音が聞こえていた。

 静かな月の夜だ。

 足跡一つない真っ白な砂浜に、寄せては返す波の飛沫。

 

 ただ一つだけ、先刻までと違う事。

 それはこの世界がガンプラ同士の雌雄を決するための仮想空間であり、リオは今、リーオーの鋼の足で以って砂浜を踏みしめていると言う事だ。

 

(……今日は、死ぬには良い日だ)

 

 心中の逸る獣を抑えるように、そっと胸中で呟く。

 無論、致命傷をカットできるガンプラ・トレースシステムに於いて、果たし合いで死ぬ事は無い。

 だが、そう心で安堵してしまえば、たちまちに武は本物で無くなる。

 人を殺せる技を使う。

 しくじれば、いや、時にはしくじらずとも自分も死ぬ。

 故に拳を握る時、まず最初に殺しておくべきは己自身だ。

 

 亡父の教え。

 ナガラ・リオのガンプラ・ファイトは、そこから始める。

 

 月を朧に覆っていた雲が去り、松の木の下に、一つの影を照らし出す。

 ゆらりと一歩、月の下へと踏み出したのは、奇しくも同じ白色のMFであった。

 

 窪んだ眼窩にはジオン系統機を思わせる深紅のモノアイ。

 突き出した鼻先と、額に屹立する一本角が特徴的な強面。

 その厳つい顔立ちに相応しい厚めの胸板。

 バックパックはなく、白地のボディに生える紅の襷を背に回している。

 

 更に特徴的なのは、赤色の胴、紺色の垂の下に流した藍染の下半身。

 ガンプラ・ファイトにおいてはデッドウェイトでしかない筈の、脚部ブースターのアーマー。

 その裾を却って広く取り、腰部から爪先まで、あたかも一体型の袴姿のようにすっぽりと覆い隠しているのだ。

 和装としては正当、兵器としては異端。

 今宵、リーオーの前に姿を見せた獣は、そんな古兵のような風格を持った異形のMFであった。

 

「あれは……、確かゲルググ、って言うやつか?」

 

『違う』

 

 独り言のようなリオの呟きに対し、短くユイが答える。

 

『放熱フィンが無いから分かり難いけど、あれは多分、MSK-008【ディジェ】

 歴代のアムロ・レイ専用機の中で、唯一ジオン寄りのシルエットを持つ異端のMS』

 

「異端……、捻くれ者のアイツ好みってワケか」

 

 短く通信を切って半身を取り、爪先でじりじりと間合いを縮める。

 一方のディジェは無形。

 だらりと両手を下げ、右足を僅かに出して前傾をとり、ゆらゆらと上体を揺らしている。

 

(厭な感じだ)

 

 ぴたり、と間合いの半歩外でリーオーが静止する。

 ディジェは相変わらずの脱力。

 ゆらりと残像を描く深紅の単眼は、こちらに興味が無い様でもあり、そう見えた次の瞬間には、ゆるゆると撃尺の間境を超えていそうな危うさもある。

 

「どうしたえ、先輩?」

 

 けらけらと嘲笑うように、アムロ・レンが口を利く。

 

「今宵はうぬの手番では無いのか?

 ガンプラ・ファイトの面白さとやらを、手取り足とり教えてくれるのであろう」

 

 そう言って軽く左手を差し出し、厳つい外見に不釣り合いなしなやかな人指し指で、くい、くい、と挑発する。

 

「……そうだな」

 

 ふうっと、一つ息を吐いて、リオが一歩踏み出――。

 

 瞬間、ディジェが風を巻いて疾り出していた。

 低い、四足獣のような極端な前傾。

 

(足取り?)

 

 文字通り浮足立った右を押し留め、腰を落として迎え撃つ。

 

 ぞくり。

 殺気。

 迎撃に向かう下半身に敢えて背いて、リーオーが大きく上体を反らす。

 ひゅん、としなやかな指先がモニターを掠め、リオの鼻先に血玉が舞う。

 

「ちいイィィッ」

 

 反撃の下段突き。

 だが、既に敵はいない。

 再びディジェは潜行し、リーオーの脛目掛けて体を浴びせる。

 グラリ、つんのめる。

 肉体が咄嗟に踏み止まろうと力を入れる。

 

(イカンだろ、それは――!)

 

 既に蔓の間合い。

 脚を止めれば腱を斬られる。

 本能に抗いリーオーが思い切り前方に転がる。

 砂地。

 前回り受身。

 振り向きざまに両者の体が入れ替わる。

 ディジェが上、リーオーが下。

 斜めにかち上げる直突き。

 読まれた。

 右の膝頭を抑えるディジェの足。

 立ち上がれない、迫る、打ち下ろしの手刀。

 

「シャッ」

 

 砂でも喰らえ。

 左での目潰し、すかさず右手で足取りに行く。

 スカされる。

 あっさりと優位を捨て、片足立ちのディジェがゆるりと舞うように回る。

 ようやく立ち上がったリーオーの前で、くるりと背面立ち。

 隙だらけ、だが微妙に遠い。

 逡巡。

 

「ケカッ!」

 

 レンは見逃してくれない。

 後ろ蹴り。

 リーオーの股間目掛け、振り向きもせず真っ直ぐに踵を振り上げてくる。

 

「~~~ッ!!」

 

 受け、クロスした拳がかろうじて間に合う。

 そのまま後方に飛び退き、ヒョウッとひとつ息を吐く。

 ゆらり、と再び幽鬼のようにディジェが振り返る。

 

(何てえ事をしやがる)

 

 恐ろしく冷たい汗が背中を流れる。

 嗤う、それしか出来ない。

 きっと眼前の少女も愛機の中で、同じように嗤っているだろう。

 

 ガンプラ・ファイトは言ってしまえば遊びだ。

 目突き、金的、脊椎。

 致死的な攻撃、あるいは深刻な肉体の障害を伴うダメージを遮断できるようシステムが設定されている。

 そして、それ故に禁じ手はない。

 だからこそ躊躇なく突ける、蹴れる、打てる。

 

 そんなワケがあるか。

 

 理屈の上で分かっていたとしても、それを気兼ねなく遂行できる奴は気が狂っている。

 故にセイイチロウの空手は、最初の一太刀でまず自分を殺す。

 死人になって狂うのだ。

 死人でも無いのに簡単に狂えると言うのなら、掛け値なしに彼女は天才だ。

 

(奴の頭の方はさておき、問題は足元――)

 

 ちらりと視線を敵の腰下に移す。

 間合いに入って分かった。

 脚部のアーマーはプラスチックではない。

 もっと柔らかな素材、あるいはそれこそ本物の正絹を使っているのかもしれない。

 大胆な意匠に反し半身が柔らかく動き、道場で垣間見た鵺のような歩調を再現しているのだ。

 

(……もう、考えてもしょうがないわな)

 

 諦めて、腹を括って前に出る。

 悠然と、無造作に、最短距離で。

 待って打てる手など無い。

 篤人流も結局見れなかった。

 何より、やられっ放しは性分ではない。

 

「ジャアァッ!」

 

 歩きながら繰り出す、渾身の前蹴り。

 間合いの外一杯、リーオー最長の槍。

 ぬるりとディジェが沈む。

 蹴り足をすり抜け下から迫る。

 想定通り。

 体を畳んで迎え撃つ、最短距離を駆け抜ける直突き。

 至近、苦しい距離。

 苦しいが、ギリギリ間に合う、ギリギリで打撃の間がある。

 

(――じゃろうのォ!!)

 

 ぎりりとレンが歯を喰いしばる。

 想定通り。

 ギリギリでリオは乗せてきた。

 最短の直突き。

 レンの方も想定通りならば、これは捌ける。

 腹を括る。

 ギリギリで間に合う、ギリギリで捌ける。

 武術家の立ち合いは、常にギリギリでのせめぎ合――

 

(!)

 

 緩い?

 リーオーの右拳。

 掴みにしては荒い。

 打撃にしては温い。

 2-3のフルカウントで突然スッポ抜けたかのような、完全に想定外の棒球。

 想定外、故に捌けない、避わせない。

 ただなんとなく、腕を交差して受け止めてしまう。

 

 

 ――着弾まで10センチ、突如としてリーオーの拳が爆ぜる。

 

 

「おわっ! おおおおォおォォ!?」

 

 防御が浮く。

 機体が泳ぐ。

 初めてレンが狼狽の声を上げる。 

 

(粒子発勁!?)

 

 吹き飛ばされながら咄嗟に思う。

 多分違う、あのシンプルな外見のリーオーに、きっとそんな小癪な技はない。

 

 寸打、寸勁、ワン・インチ・パンチ……、だったか?

 そっちのが近い気がする。

 うろ覚えな漫画の記述を信じるならば、それはオカルトではなく詐術。

 拳を走らせる距離が無く、一見、力も入っているように見えない。

 けれど実は体重が乗っていて、十分に威力が出せる。

 秘訣はしなやかに連動する全身の関節。

 唐突にふっと脳裏に過ぎる、ジャージ姿の瓶底眼鏡。

 

(いい娘を飼っておるッ!)

 

 短い舌打ち。

 思う間もリーオーが迫る。

 立て直し切れない。

 リーオーが追いながら打つ。

 よろめきながらディジェが捌く。

 算盤を弾く、までもない。

 足らない、間に合わない、TV顔、至近、踏み込まれる、今――!

 

 

「え……?」

 

 呆然と一つ呟いて、ヒライ・ユイが液晶端末に疑念を零した。

 

 完全に獲物を捉えたかに見えたリーオー。

 その最後の一撃が放たれんとした刹那、不意に二機の動きが静止したのだ。

 だらりと両腕を垂らし、大きく胸元を上下させるディジェ。

 右拳を振りかぶったまま、ピタリと動きを止めてしまったリーオー。

 マシントラブル、ではない。

 ユイの瞳には無表情の筈のリーオーのTV顔に、苦悶の色が浮かんでいるのがありありと見えた。

 

「なんで、どうして……?」

 

 何故だ?

 リーオー、なぜ動かん?

 ニュータイプ、バイオセンサー、しかも脳波コントロー……。

 

「……違う!」

 

 違う違う。

 ようやく気付いた、これはオカルトではない。

 撃尺の間合いで固まった二機は、その実ある一点で交錯していたのだ。

 

「……カカッ! 惜しかったのう空手小僧」

 

 ディジェが舞踏会のように両指で股立ちをつまみ、するすると袴をたくし上げていく。

 ちらり、と白い足が覗く。

 白無垢の足袋。

 武骨で厳つい重MFに不釣り合いな、女性のように細くしなやかな脚に鋭い爪先。

 雀蜂のように獲物を穿つために、細く、鋭く作られた邪悪な爪先が、今、リーオーの甲の一点を押さえている!

 

「そのための袴……!」

 

 ヒライ・ユイが戦慄する。

 異端の発想。

 だが、捻くれ者などでは決して無い。

 歴代のアムロ・レイ搭乗機の中から、レンは極めて合理的な観点でディジェを選択していたのだ。

 細くしなやかな牙を隠蔽するための、太く、厳ついジオン系MSを。

 

「さっきの寸打はちいっとばかり焦ったが。

 後はまあ、だいたい道場でのシミュレーション通りじゃったのう、ナガラよ」

 

「……ッ!」

 

 通常の死合いではあり得ぬ至近で、カラカラとレンが嘲笑う。

 反論できない。

 テレビとかでよくある、やせっぽっちな合気の先生。

 足のツボを踏まれ、大げさに悲鳴を上げる大男。

 

(そいつを……、実戦でやるかよ!?)

 

 声が出ない。

 灼けた鉛でも脊髄に直に流し込まれているかのような激痛。

 

「つまらんの、こんなザマならやはり道場で殺しておけば良かったわい」

 

「……オオッ!」

 

 少女の嘲笑に対し、空手小僧がド根性で応じる。

 全身全霊の、しかし見る影も無い正拳突き。

 

「ほうれ!」

 

 ゆうゆうと拳を避け、左の爪先に全体重を乗せる。

 そのままぐっと踏み込んで、開いた右膝を思い切りリーオーの股間に叩きつける。

 

「グヌッ!?」

 

 ゴギンと鈍い音を立て、リオが一つうめき声を漏らす。

 深紅の唇がにぃっと歪み、邪悪な嗤いがこぼr

 

 

 ――パンッ

 

 

「にょわっ!?」

 

 突如、顔面で何かが弾け、ディジェが思い切りはしたなくひっくり返った。

 何が起きたか分からないと言った風に、ぱちくりとレンが対主を見上げる。

 目の前にいるのは、大きく体を傾げ前方に右掌をゆるりと突き出したリーオー。

 右の掌底。

 顔を打たれたのだ。

 

「じゃが、なぜじゃ……」

 

 つっ、と流れ落ちる鼻血を気にも留めず、呆然とレンが呟く。

 

 金的。

 直接の痛みは知らないが、蹴り抜いた後の男どもの反応ならば良く知っている。

 屈強な大男もヤクザの兄貴も、一たび蹴れば皆反応は同じ。

 修行だの努力だの根性だの気合いだのが、何の意味も成さない激痛。

 「ぴぎゃ」だの「うげげ」だの声にならない悲鳴を上げて、白眼を剥いて脂汗をかき、ピクピクと痙攣する。

 愉快痛快。

 目の前の木偶だって同じ事だ。

 たとえシステムが玉を潰れるのを防いでくれたとしても、今頃は懸命に股間を押さえて這い蹲っていなければおかしい筈だ。

 それを……。

 

「なんじゃ、うぬはよもや……、ついとらんのか?」

 

「……なワケあるか、ボケ」

 

 ぜえぜえと荒く息を吐き、ようやくリーオーが顔を上げる。

 

「滅茶苦茶痛え……、隠してなけりゃ死ぬ所だった」

 

「隠す?」

 

「アツト先生は教えてくれなかったか?」

 

 嘲るようなリオの声が、カチンと癪に障る。

 だが、そのヒントで分かった。

 琉球空手、骨掛け、釣鐘隠し――。

 確か、漫画だとそんな名前だった。

 腹筋を操作するだの自分の手で押し込むだの作品によって色々描かれていたが、とにかく事前にキンタマを体内に隠してしまう、と言う技術だった筈だ。

 

「……マジでそんなん出来るんか?

 気持ち悪いのう、お主。

 万国ビックリ人間コンテストにでも出たらどうじゃ?」

 

「まあ、そんな事はどうでも良いんだがよ……」

 

 いいながら、かざした右掌をディジェの眼前に向け、にゅっとVの次を作って見せる。

 

「今のはお前の『死に』だよな、アムロ」

 

「…………」

 

 すっ、と空気が凍る。

 音も無くディジェが立ち上がり、パンパンと袴の裾を払い、続けてぐっ、と鼻血を拭う。

 そうしておいて再びゆらりと無形の位を取る。

 物言わぬディジェの面構えから、既に少女の笑みが消えているであろう事が伝わってくる。

 

(ようやく本気になるかよ)

 

 ゆるりとリーオーが天地に構える。

 待つ。

 焦れる必要はない。

 レンの方から仕掛けてくる。

 見てみたい、安室の技、篤人の技。

 

(何が来る……、やって見ろ、ア――)

 

 パァン、と不意に飛んできた。

 天にかざした右手と、地を抑えた左手、そのど真ん中を最短で来た。

 

(……ッ それかよ!?)

 

 鼻血が噴き出す、頭を振るう。

 完全に読めなかった、篤人流四百年が見せた幻の当て身。

 

 それは、ジャブ。

 黄金の左、近代ボクシング最速の弾丸。

 

「シャッ」

 

 流れのままにディジェが踏み込む。

 袴を翻す、対角線、ローキック。

 バチンと左腿が跳ねる。

 脚の細い魔改造ディジェにとっては両刃の刃。

 それをキレイに当てて来た、蹴りなれた鞭のような一撃。

 

(この、脚の戻り……!)

 

 合わせてリーオーが動いた。

 あまりにもキレイに蹴られたので、咄嗟に動いてしまった。

 一瞬、忘れてしまった。

 目の前の武術家の本分が何であったか。

 

 右拳、空を突く。

 避けながらディジェが潜り込んできた。

 避けた右腕を両手で引き、同時に体を返してリーオーを腰に乗せる。

 柔術では無い。

 一本背負い、柔道、逆輸入。

 

(……だけじゃあ、済まないだろうな)

 

 案の定、体を丸めてディジェが跳んだ。

 大きく弧を描くリーオーの内側を、更に小さくディジェが廻る。

 武道、精神修養、そんなものをこの怪物は理解しない。

 

「ガハッ」

 

 大地と機体にサンドイッチにされ、受身が取れない、息が詰まる。

 全体重を乗せた肘の一撃が胸甲を貫き、同時にリオの胸骨が悲鳴を上げる。

 

(まだ……、リーオーの芯はブレちゃいねえ!)

 

 有難い。

 まだ戦える。

 寝技、必死に腕を伸ばし、だが虚しく空を掴む。

 あっさりと上の優位を捨て、何事も無かったかのようにディジェが立つ。

 

 ――瞬間、顔面を刈り取るかのようなサッカーボールキック!

 

 衝撃、鼻骨まで響く。

 欠けた歯がカリカリと口の中で鳴る。

 だが有難い。

 おかげでようやく立ち上がれる。

 

 風を巻いてディジェが迫る。

 右拳。

 

『――世の中にはそう言った天才、一種の化物が少なからずおる』

 

 アツト老人の言葉、今なら分かる。

 左のミドル。

 舞踊や古武術だけじゃない。

 掴み。

 ボクシングを見ればそこそこのジャブを出せる。

 キックをやればそこそこの蹴りが打てる。

 柔道を知ればそこそこに投げれる。

 肘。

 膝。

 こいつはそう言った類の天才。

 蹴、正面。

 

『ただ、親父の正しさを証明してやりたかった……、一番強い奴の前で』

 

 俺の声。

 気取ってんじゃねえ、バカが。

 目突。

 避。

 下段。

 思い切りやられちまってんじゃねえか、素人に。

 

『空手は標だ。

 男が一匹、誇りを貫いて生きるための手段だ』

 

 親父の声。

 面目ない。

 分かってる。

 足刀。

 踵。

 いつも通りだ。

 左拳。

 兎に角、最後に立ってればいい。

 

(もう、二度と負けねえ)

 

『私のプロトリーオーは、そこいらのガンダムに遅れを取るような機体じゃない』

 

 ヒライの声。

 右フック。

 ああ、分かっている。

 左のショート。

 見ろ、まだリーオーは堪えている。

 オープントーナメント九州地区ファイナリストの作ったガンプラを相手に、真っ向から。

 右ストレート。

 防。

 左フック。

 避。

 足りないのは俺だ。

 

(大丈夫、何とかする……)

 

 掴み、来る、喉輪。

 ようやく見えた。

 こいつを叩き落とす。

 

 

 ――胸先10センチ、突如ディジェの拳が爆ぜた。

 

 

(……寸打ッ!)

 

 ヒビの入った胸骨の上。

 衝撃がダイレクトに心臓を貫く、雷撃の一打。

 

 体が硬直する。

 ディジェはもう次の動きに入っている。

 袴を翻す鮮やかな入り。

 先ほど見たローキックの動き。

 

(違う)

 

 分かっている。

 分かってはいるのだ。

 このタイミングで見せた寸打。

 次の一撃で仕留めに来る。

 次の攻撃は、あれだけ見せた天才のバリエーションの中で、未だに見せていない技。

 

 くるん。

 中空で膝が返る。

 ほれ見ろ。

 左脚に打ち下ろされる筈の爪先が、まっすぐ斜め上方に跳ね上がってくる。

 右のハイキック。

 あの雀蜂の一刺しで、リーオーのこめかみを打ち抜くハラだ。

 分かっている。

 だから頑張れ、リーオー。

 

(動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動――)

 

 

 パァン、と。

 

 

 刹那、リオの視界が白色に染まった……。

 

 

 

 

 


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