ガンプラ格闘浪漫 リーオーの門   作:いぶりがっこ

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舞術家 安室恋(アムロ・レン)③

 ――闇の中に居た。

 

 底深く、暗い闇だ。

 静謐さに満ちた孤独な闇では無い。

 

 逢魔ヶ辻。

 自分の遥か背後から、或いは光の及ばぬ一寸先に……。

 何やら得体の知れぬ魔物が棲みついていて、ずっとこちらを観察している。

 そんな、おぞましい闇だ。

 

「ゼァ……、ゼァッ!」

 

 自分のものとは思えない荒い吐息が漏れる。

 それで手が止まっていた事に気付く。

 打たなければならない。

 

「イィアアァァッッ!!」

 

 悲痛な声を上げて右拳を突き出す。

 ガツン、と言う鈍い音。

 たちまち激痛が、指先から脳天まで稲妻のように駆けあがる。

 

「……ィギッッ!!」

 

 声が出せない。

 ぬるり、と右拳が壁から離れる。

 暗闇の中で分からないが、きっと指先はとんでもない事になっている。

 それでも止めてはならない。

 

 激痛を振り払うように体を返し左拳を叩き込む。

 ガツン、激痛、悶絶。

 息が詰まり、脳が揺れ、体が震える。

 じんじんと熱を持った両手が限界だと悲鳴を上げている。

 それでも止めてはならない。

 父がそうしろと言ったのだ。

 

 巻藁、などと言う可愛い代物ではない。

 単に藁を巻き付けただけの太い幹だ。

 数え八つの子供には手が余る。

 

 それを父は、突け、と言った。

「止め」と声を掛けるまで、止めてはならぬ、と。

 

 言われるがままに百回突いた。

 それでも父は「止め」とは言わなかった。

 きっとこれは数の問題ではなく、質の問題なのだと思った。

 そこから先は数えるのをやめた。

 父の言葉を思い出しながら、一本一本、全身全霊を込めて打った。

 

 ついに、日が傾き始めた。

 いい加減、拳も限界に近い。

 

 きっとこれは、技や肉体を見ているのではない。

 自分がこれから過酷な鍛練について行けるか、その根性を見ているのだと思った。

 だとしたら、止めるわけにはいかない。

 どんなに不格好であっても、腕が上がる限り突き続けねばならない。

 

 やがて、とっぷりと日が暮れた。

 ようやく気付いた。

 自分は捨てられたのだ、と。

 

 

 

 ガツン。

 

 人の手の届いたキャンプ場ではない。

 地理も分からぬ深い山の中だ。

 水場も分からない。

 寝床もない。

 焚き火の準備もしていない。

 

 ガツン。

 

 それでも叩くのを止めない。

 止めてしまって何になる。

 たかだか八歳の少年が、人跡未踏の山中で生きて行ける筈がない。

 手を止めて、その後の現実と向き合うのが怖い。

 

 ガツン。

 

 打ち続ける限り、自分はまだ修行の最中にいる。

 次の一突きで、父が「止め」と言ってくれる可能性がある。

 それならもうそれでいい。

 

 ガツン。

 

 自分はもう、死ぬまでこれを打ち続けよう。

 意識が途切れ、そのまま野垂れ死んでしまうまで。

 

 ガツン。

 

 しかし存外、人体はしぶとい。

 もう意識を手放してしまおうと思っても、次の激痛に引き起こされる。

 

 ガツン。

 

 また眼が醒めた。

 

 ガツン。

 

 また、もう一打だ。

 

 ガツン。

 

 まったく、人体はしぶとい……。

 

 ガツン。

 

 まったく……。

 

 ガツン。

 

 ま……。

 

 ガツン。

 

 ……。

 

 ガツン。

 

 ガツン。

 

 ガツン。

 

 

 

 

 ――ぞわり。

 

 

 不意にそれは来た。

 鼻を突く獣臭。

 おぞましいばかりの殺気。

 背後、自分のほんの真後ろに、得体の知れない怪物がいる。

 

(熊……ッ!?)

 

 咄嗟に思った。

 本物の熊を知っているワケではない。

 ただ背後の異常に巨大な気配に対し、当てられる物差しがそれしか無かっただけだ。

 いずれにせよ次の瞬間、奴の牙が襲ってくる。

 

 恐怖、死――

 

「イェアアアァアァァ―――ッッ!!」

 

 だが肉体は、思いもよらず動き出していた。

 素早く踵を返し、どこにそんな力が残っていたのかと言う疾さで。

 

 

 パァン!

 

 

 凄い音がなった。

 右拳から突き抜けた衝撃で、全身の細胞が目覚めるような音だった。

 

 ゆっくりと雲が去り。

 暗闇の世界に少しずつ月光が差し込んでくる。

 

 父だった。

 いつだって巌のように立ちはだかる父。

 その父が今、自分の拳を真っ直ぐに受け止めている。

 差し出された左の掌。

 人差し指があらぬ方向に捻じ曲がっている。

 

「覚えたか」

 

 父が言う。

 何の話か分からない。

 分からないが、がくがくと体が震える。

 歯の根が合わずガチガチと鳴る。

 

「――神は、精神ではなく、肉体の方に宿る」

 

 捻じ曲がった指先を右手で直し、その大きな手が、震える拳をしっかりと包む。

 

「頭の方がどれだけ悲鳴を上げていても、肉体の限界はその先にある。

 そう言うものを、俺はお前に教えている」

 

 どっ、と軽く、父の拳が胸を叩く。

 ぶるん、体が一つ震える。

 

「この体が、お前の標だ」

 

 そう言って、父が笑う。

 

 ――笑う?

 

 あの父が、まさか?

 

(この体が、俺の標……)

 

 心臓が体の内側から熱を持って高鳴っていた。

 体の震えは収まりそうにもなかった。

 

 

 ――ナガラ・リオは、ようやく長い夢から目を醒ました。

 

「…………」

 

 悠然と辺りを見回す。

 月下の海岸。

 きらきらと月光に煌く海面と、白く輝く砂。

 ここ二日ですっかり馴染みとなった、風光明媚な離島の光景。

 

 ただ一つの問題は、それが現実の根平なのか、それとも仮想の映像世界であるか、と言う事だ。

 

 ――と、

 見覚えのある豚鼻を視覚に捉え、ふう、と一つ息を吐く。

 MSK-008【ディジェ】

 アムロが未だあの機体を纏っていると言うのならば、戦いはまだ最中と言う事になるのだろう。

 

(だがなぜだ、なぜそんな遠くにいる……?)

 

 波間を背負い、珍しく両手を開手に構えたディジェ。

 その距離はおよそ5メートル。

 なお慎重に、じりじりと円の動きを取る。

 先のハイ・キック、必殺の間合いに入っていた。

 既に積み筋に迫っていた筈のレンが、なぜ自ら距離をとる必要がある?

 

 ふるり、ディジェが軽く左手首を振るう。

 その姿にはっと目を見張る。

 ヒビの入った手甲。

 間違いない、レンは左手を痛めている。

 

(いつだ、アムロ、いつ痛めた?)

 

 そこでようやく気付いた。

 視界の端に映るリーオーの拳。

 正拳の形を取っている。

 

(やったのか、あれを……?)

 

 あの時のように、ブルリと体が震える。

 魂を超えて走る肉体の働き。

 あの神の一撃を、人ならざるリーオーの拳で。

 

(凄ぇ……)

 

 笑みがこぼれる。

 ヒライ、このリーオー凄いよ。

 親父に刻み込まれた空手の技を、心が思う前に実行している。

 そのおかげでまだ、戦場に踏み止まっていられる。

 

(どうしたよアムロ、この程度でビビっちまうタマか?)

 

 すっ、と構えを解き、自然体で腕を開く。

 そうして、深く息を吸い込む。

 空手の息吹……、ではない。

 正真正銘、単なる深呼吸だ。

 かろうじて一命を取り留めたとは言え、肉体の回復にはまだ時間がかかる。

 酸素を取り入れる。

 細胞の一片にまで染み渡るように。

 

(来いよ、さもなくば回復しちまうぜ)

 

 

 

 戦いの最中に休息を始めた敵を前に、ぎりり、とディジェの中でレンが歯噛みする。

 先の交錯の瞬間、とんでもない速さで拳が伸びてきた。

 左手が間に合ったのはまさしく奇跡としか言いようがない。

 結果、浅いながらもディジェの蹴りは顔面を捉え、一方でリーオーの中段は、ディジェの左手の前に阻まれた。

 

 だが、それでもダメージを負ったのはディジェの方である。

 ディジェの細い脚先は、リーオーの意識を断ち切るには至らず、一方リーオーの拳の衝撃は、ディジェの繊細な手の甲を思い切り突き抜けてしまった。

 

 それはまあいい。

 過ぎた事を悔いても仕方ないし、逆襲と呼べるほどの怪我を負った訳でもない。

 

 問題は、今の状況だ。

 リオの動きは挑発でも罠でもない。

 蓄積されたダメージから、本当に休息を挟まなければマトモに動けないのは分かっている。

 先の一撃が、そうそうに何度も繰り出せるような拳ではない事も分かっている。

 そう分かりながら、わずかに残るカウンター狙いの可能性を前に、迂闊に踏み込めないでいる。

 その自分の弱さが憎い。

 

(たわけが! たかだか玩具遊びに怯えて、何の天才じゃッ!!)

 

 動こうとしない鋼の肉体に対し、レンが必死で鞭を振るう。

 死にかけた肉体を蘇すために、リオが悠然と呼吸を整える。

 

(行くぞ行くぞ行くぞ行くぞ行くぞ……)

(殺す殺す殺す殺す殺す……)

 

(今――!)

 

 ダッ、とバネで弾かれたかのように、二つの機体が大地を蹴る。

 両者の間合いが一瞬にして潰れる。

 

「「~~~~ッッ!?」」

 

 思いもよらぬ急転、二人の表情が固まる。

 だが、揺れる心を置き去りにして、リーオーの肉体は動き出していた。

 先を取る右の中段突き。

 折れた左手では受けきれない。

 咄嗟に手首を返していなしながら、ディジェが更に一歩踏み込――

 

「フン!」

 

 返しの頭突き。

 ベキリとディジェの角が折れ、上体を沈めながら、二、三歩よろめく。

 

(追撃――)

 

 そう思うリオの肉体が、突如、金縛りのように動きを止める。

 何故?

 間髪入れず理解する。

 ディジェの右の爪先が、リーオーの追い足を押さえに来ていたのだ。

 目で見て、頭で理解するその前に、リーオーの体は踏み止まっていた。

 

『――ナガラの右腕、左腕よりも2センチ長い』

 

 唐突にヒライの声が聞こえる。

 出会ってから二週間くらいたったある日、リオを前習えさせながら言った台詞だ。

 そんな記憶を引っ張り出しながら、ディジェの右足を思い切り払い上げる。

 

『――半身に構えた時、右脚と左脚の働きは違う。

 重心の位置も関節の動きも、本当は、左右対称であってはならない』

 

 よろめく相手を追いながら思い出す。

 ヒライの言葉。

 普段は無口だが、その説明は分かり易く面白い。

 

『――あなたがリーオーに合わせる必要は無い。

 私のリーオーが、あなたの動きに合わせる。

 特別な事は何もしない。

 左右均等に作ったリーオーのパーツを、あなたの動きに合わせて、少しずつ歪に修正していく』

 

 ヒライの言葉。

 その先が気に入った。

 それを続けていくとどうなる?

 

『――やがてガンプラに、神が宿る。

 プラフスキー粒子が、あなたの空手を理解しようとする』

 

 神。

 自分よりも年下の少女が、親父と同じ言葉を吐く。

 

『――思いのままに機体が動く、それでは足りない。

 思いもよらず機体が動く。

 それが自然、私の理想』

 

 鳴呼。

 自分は本当にバカだ。

 ヒライの言葉、本当にただの理想と、そう言う心構え、としか考えていなかった。

 

 少しずつ調整を繰り返していたから気付かなかった。

 リーオーと一体化する時に、何とは無しに感じていた引っ掛かり。

 それが今では、まるで羽毛のように軽い。

 思う前に体が動く。

 動いてから、その理由を頭が理解する。

 本当に何と言うことのない、ほんのちょっぴりの差。

 その僅かな働きの中に、確かに神が宿っている。

 

(その機体、苦しいだろう、アムロ……?)

 

 右の追い突き。

 完全に見切られていた筈の一撃が、ディジェの鼻先を浅く捉える。

 理由は分かっている。

 リーオーの右腕が、左腕より2センチ長いからだ。

 

 厳ついジオン系MSの上半身に、細くしなやかな女性の下半身。

 そんなアンバランスな機体を、シュミレーターも無しに苦も無く操って見せる。

 紛れも無く彼女は天才だ。

 

 だがその一事が、ほんのちょっぴりの差を更に大きく縮めている。

 こちらにはヒライと言う盟友がいる。

 事実上の二対一だ。

 これなら負ける訳がない。

 よもや、卑怯とは言うまいな、アムロ――?

 

 

 

(こんっの……、卑怯者がァ!!)

 

 ディジェの中で、息を切らしながらレンが毒づく。

 たちまち飛んでくる、左の追い突き。

 

(これは捌ける)

 

 そう思いながらも、距離をとって避ける。

 真っ直ぐに迫る、右の前蹴り。

 

(これも取れる)

 

 そう思いながらも、上体を逸らしてかろうじて避ける。

 

 リーオーの動きには迷いが無い。

 腕の一本、足の一本を落とされても、返す刃で一発当てさえすれば勝てる。

 そう言う思い切りの良い動きだ。

 そして、それは事実、当たっている。

 

『――あれは天才、一種の怪物よ』

 

 そう言って一つ、祖父が溜息を吐く。

 

『こ、こんの化け物がッ!?』

 

 屈強の大男たちが、捨て台詞を吐いて逃げ去っていく。

 

『ええい! 沖縄のニュータイプは化物かッ!?』

 

 腕に覚えのあるビルダー達が、大げさに叫び涙を浮かべる。

 

 

(たわけ共がッ! どいつもこいつも何も分かっとらん!)

 

 心の中でレンが叫ぶ。

 

 

 ――女に生まれた。

 

 

 50パーセントの確率で、レンは神から嫌われた。

 アツト・レンになれず、だからレンは『アムロ』になった。

 どれほどの才能があろうとも、レンにとってはそれが全てだ。

 

 見ろ。

 何度踏んでも立ち上がってくる、目の前のリーオーを。

 

 レンよりも背は低い。

 要領も悪い。

 はっきり言って才能が無い。

 

 だが、ナガラ・リオは50パーセントの確率で天に愛された。

 男と言う境遇が、その未熟な五体を凶器となるまで虐め抜く事を許した。

 物覚えの悪い頭に代わり、肉体が勝手に判断できるまで鍛え抜く事を許した。

 レンが一足飛びで抜き去った壁を、異形と化した指先で必死によじ登ってきた。

 

 それが許せない。

 レンの全身が叫ぶ。

 持って生まれた才能だけで、この男の十年を否定してやる、と。

 

「キィヤッ!」

 

 突き出された右拳。

 合わせてディジェが跳ぶ。

 しなやかな半身の軽さを生かした、一か八かの飛躍。

 中空で大きく弧を描き、リーオーの背中に落ちる。

 間髪入れず、しなやかな腕がTV顔の頭部に纏わりつく。

 

「ウヌッ!」

 

 裸締め。

 ニュータイプが最後に頼ったのは、小細工抜きの力技。

 子泣き爺のように背にしがみ付き、必死に締め落とさんと歯を喰いしばる。

 

(さすがに……、天才めッ!)

 

 必死に奥歯を噛み締め踏み止まりながら、それでもリオが嗤う。

 これが通常の立会いならば、この形になっては反撃の術が無い。

 

(だがこれはガンプラ・ファイト。

 アムロ・レンは二つ、過ちを犯している)

 

 過ち其の一。

 ディジェの下半身の軽さ。

 魔改造を加えたディジェの軽さゆえに、膝での当身が不十分に終わっている。

 ゆえに小柄なリオでも、未だその重量を支えて踏み止れている。

 

 過ち其の二。

 リーオーの首周りの構造。

 ヒライが良く嘆いていた。

「リーオーは首周りの稼動が狭い」と。

 陥没した頭部と襟周りの盛り上がりに阻まれ、稼動域を取るのが一苦労だと。

 だがそれがいい。

 その狭い間隙と、ディジェの上腕の太さに阻まれ、完全に極まった筈の首締めが極まり切っていない。

 

(結論、走れる……、十秒ならッ!!)

 

 そう短く覚悟を決め、次の瞬間、リーオーが勢いよく走り出した。

 10メートル、5メートル……。

 目標目掛けて、大地を踏みしめ、勢いよく跳ぶ。

 必死にしがみ付くディジェを背負ったまま。

 

 中空で半回転し、背中から落ちる。

 目標は海面。

 ザブリと勢い良く水飛沫が跳ね、二つの機影が水底に沈む。

 

(どこに行った、アムロ……?)

 

 リーオーが体を振るう。

 いつの間にか、背中から重さが消えていた。

 ディジェの姿を必死で追う。

 だが現状では、どちらが上でどちらが下なのかすら分からない。

 

 と、不意にするりと伸びてきた両手が、正面からリーオーの頚部を捉えた。

 それでようやく理解できた。

 成程、そっちが海面か。

 

「キイイイィィ」

 

 万力を込め、しなやかな指先がリーオーを落としにかかる。

 相手の顔を水に付け、必死で締める。

 それはもう武術家の技ではない。

 絶体絶命の窮地で、にいっとリオが嗤う。

 武術家同士の立会いでは、先に手の内を出し尽くした方の負けだ、と。

 

(なぜ空手家が打撃しか使わないか、知ってるか、アムロ?)

 

 ぐっ、とディジェの右腕を掴み、その顔を海面に引き寄せる。

 合わせて下半身を跳ね上げ、右内腿をディジェの首筋に絡み付ける。

 

(空手家が打撃しか使わない理由……。

 それは、本当にどうしようもない時に、確実に相手を絞め殺すためだ!)

 

「……ッ!?」

 

 グッと下半身に力を入れる。

 たちまちレンの頚動脈が絞まる。

 

 三角締め。

 打撃屋、ナガラ・リオが残しておいた、最後の最後の取って置き。

 

「~~~~~ッッ」

 

 声にならない声を上げ、ディジェが必死で空いた左腕を振るう。

 だが、全ては空しい努力だ。

 先ほどまでリーオーを追い詰めていた水が、今は打撃を阻む壁となってくれている。

 武術家が全ての技を見せた以上、後は決着の時を待――。

 

「……ギャバ!?」

 

 不意にビンッ、とリオの首が絞まり、貴重な酸素が海上に逃げていく。

 この体勢で締め技?

 狼狽の色も露わに、リオが必死に視線を泳がせる。

 

(~~~!? そのための襷ッッ!!)

 

 ようやく気付いた。

 ディジェは目ざとく背中の襷を外し、いつの間にか自身の両手に、そしてリーオーの首筋に巻き付けていたのだ。

 

 卑怯、ではない。

 ガンプラ・ファイトとは言え野試合、ルールなどある筈が無い。

 

(むしろ、俺が巻き付けてやるべきだった!)

 

 薄れ行く意識の中で決意する。

 今度コイツと闘る時は、ヒライにヘビーアームズを持ってきてもらおう、と。

 だがそれもとりあえずは、今日の死合いに勝ってから、だ。

 

 三角締めは捨てる。

 そう潔く決意して、自由になった両足で、思い切りディジェを蹴り上げる。

 うら若き乙女の顔面を、躊躇いもせずに全力で。

 

「ギャガッッ!?」

 

「ウギャバッ!!」

 

 拷問を受けるリトルグレイのような悲鳴を上げ、両者がようやく海上に立つ。

 水深はおよそ腰まで。

 ディジェの方がダメージが大きい。

 リーオーに背を向け大きくむせている。

 

「アァムロォ~~~」

 

 よろよろと、ゾンビのように水面を掻き分けリーオーが迫る。

 とっととこっちを向け。

 その瞬間に、渾身の右を叩き込んでやる。

 

「シャバアァァ!!」

 

「ンギッ!」

 

 振り向き様に、凄まじいばかりの水圧を顔面に叩きつけられる。

 唐突にいつかのヒライの言葉が過ぎる。

「口からビームを吐くザクがいる」と。

 

(そんな所まで、改造していやがったかッ!?)

 

 すまんヒライ。

 ちゃんと聞いときゃ良かった。

 目潰し、前が見えない。

 構わない、もう敵は正面。

 

(リーオー、お前に任せる)

 

 全てを相棒に委ねる。

 ただ真っ直ぐ、最速最短を駆け抜ける直突き。

 残された全身全霊を込める。

 

(その一発を待っとったんじゃァ!!)

 

 海面スレスレまで腰を落とし、渾身の一撃を避ける。

 グラリ、リーオーの体が泳ぐ。

 必殺の間合い。

 

 ディジェが大きく両腕を開く。

 右手は掌、左手は手刀。

 あたかも鍬形の大顎のような渾身の打撃が、リーオーの頭部目掛け放たれる。

 右の掌底が的確にこめかみを打ち抜き、刹那、左の手刀が顎先を走り抜ける。

 間断入れぬ連携に頭部の衝撃が加速される。

 

 脳震盪。

 

 グラリとリーオーの体が大きく傾いで、ディジェの左脇を抜けていく。

 10カウントはいらない。

 努力も、根性も、執念すらも断ち切る快刀の一太――

 

 

 ドン

 

 

(……!)

 

 不意にレンの左脇腹に重い衝撃が来た。

 みしり、と湿った音が体内に響く。

 

(不意打ち?)

 

 咄嗟に思う。

 そんな訳がない。

 ここは仮想空間、第三者の介在する余地など無い。

 一つだけ確かな事。

 今の重さは致命的な一撃。

 この信号が脳にまで到達した時、それは――

 

「……ンッッ……ギ……ッッッ!!!」

 

 来た。

 ついに来た。

 才能も、プライドも、怨恨すらも打ち砕く鉄槌の一撃。

 どうしようもない。

 堪え様も無い。

 胃の腑の液体が思い切り逆流し、口から鼻から思い切り吹き出す。

 がくりと膝が折れ、上体が海中に没する。

 息が出来ない、だがそれどころではない。

 

(追撃……!)

 

 来る。

 分かっている。

 このままの体勢では、後頭部を思い切り踵で踏み付けられる。

 分かってはいる。

 だがどうしようもない。

 

 来る。

 来ない。

 何故来ない?

 

(何をやっとる、このノロマ!)

 

 必死に心の中で叫ぶ。

 とっとと殺せ!

 死にたくない。

 ただ、待つ時間が恐ろしい。

 

 その内に、ふっ、と諦めが付く。

 どうにでもしろと、仰向けになる。

 そうして必死に片腕を伸ばし、浅瀬を求めて海中を這い回る。

 

「ぶはっ」

 

 ようやく水面に上がった。

 震える体に鞭を入れ、何とか上体を起こそうとする。

 いい加減、気が付いていた。

 リーオーは追撃しないのではない、追撃できないのだ。

 最後の一撃は、やはりリオの意識を刈り取っていたに違いない。

 そして、それでもなおリーオーの右手は動いたに……。

 

「……あ」

 

 むりやり引き起こした視界の先に、ようやくリーオーを捉えた。

 瞬間、一瞬だが腹の痛みが引いた。

 

 リーオーは、海中に没してはいなかった。

 大きく頭部を傾がせ、背中を丸めながら、それでも両足は大地に踏み止まり、掲げた両の拳を見えざる敵に備えている。

 

 知っている。

 アレは『残心』だ。

 

 (シン)を残す、(シン)を残す、(シン)を残す。

 油断なく、次の敵に対し備える。

 現代の武道の多くにおいて、その心構えを見せなければ有効な打突とは認められない。

 

「あ、ああ……」

 

 思い出す。

 道場で垣間見た、数々の祖父の技。

 型稽古を一つ見るだけで、その理合、理念があっさりと頭の中に入って来た。

 時折盗み見た秘伝書もまた、それらの答え合わせに過ぎなかった。

 そして実戦、何度も何度も試した。

 間違いは何一つ無かった。

 

 ただ一つ。

 一つの型を終える度に、祖父が行っていた残心。

 何故かそれだけは、すっぽりと頭の中から抜け落ちていた。

 何十回何百回と目にしておきながら、これまで一顧だにする事が無かった概念。

 

(アレをやれば、良かったのか……)

 

 はっきりと、納得してしまった。

 アレをちゃんとやっておけば、こうして無様に這い蹲る事は無かった。

 リーオーは既に事切れている。

 それなのに、なんでアイツは、あんな事が出来るんだろう?

 何で自分は、アレをやらなかったんだろう?

 

『ほれ見た事か!

 お前の言う武術とやらは、肝心の鞘拵がなっとらんのよ』

 

 仮想空間の風に混じって、カラカラと好々爺の笑い声が響く。

 

 畜生。

 畜生。

 畜生。

 

「……会いたいよ、おばあちゃん」

 

 ポツリと泣き言が漏れる。

 レンの悲しみを理解してくれる唯一の人。

 

 その人ももういない。

 ただ、架空の月だけが、孤高の少女を優しく照らしていた……。

 

 

 




・おまけ MFガンプラ図鑑③

機体名:ディジェ花鳥(かちょう)

素体 :ディジェ(機動戦士Zガンダムより)
機体色:白・藍
搭乗者:安室恋(アムロ・レン)
必殺技:点穴突き
    襷締め
    毒霧  他
製作者:安室恋(アムロ・レン)

・元ガンプラビルダーであるアムロが、対ガンプラ・ファイトを想定して制作していたMF。
 ガンプラ・トレース・システムにおいて死荷重となる放熱フィンを撤去し、代わりに紅地の襷を回した「和」の意匠を基調としている。
 最大の特徴は、脚部ブースターの元デザインを生かした「袴」であり、これにより足取りを読ませない古武術の歩法を再現している。
 袴の内側は足袋履きとなっており、足指を生かした点穴突きを隠し技として備える。
 指先は細くしなやかに作り上げられており、強度と引き換えに、掴む、投げると言った繊細な動きを得意とする。
 扱い易さと頑丈さが求められるガンプラ・ファイトにおいては珍しい、技巧派のガンプラに仕上がっている。



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