『温泉だよ、はやてちゃん!』
「はぁ」
電話の向こうから鼻息荒く『温泉っ、温泉っ!』と捲し立ててくるなのはちゃんに、私は曖昧な相槌だけを返した。
が、それがどうやらお気に召さなかったらしく。小学3年生にして重度なスパロボ厨というお先真っ暗な彼女は、『何言ってるの!』と語気を強くして、
『温泉だよはやてちゃん! このキーワードを前にして昂らない人はいないよ! ――あとさり気なく私を馬鹿にしなかった?』
「なのはちゃんの場合は温泉が二つに割れてその下からロボットが出てくるとかやろ。――馬鹿にはしてへんよ、コケにしただけや」
『乙女のロマンを馬鹿にするんだね……!? ――あと私は苔じゃないよ!』
「ああうん、ごめんごめん。色々とごめんな、私が悪かったわ」
ツッコミポイントが散乱してたけど、いちいち拾ってたらキリがないからスルーや。なのはちゃんのアホの子加減に磨きがかかってたのに驚いてたのも少しあるけど。
で、
「温泉って、どういうことなん?」
『ラッキースケベイベントが起きる場所だよ!』
「またな」
通話終了ボタンを押すと、煩悩塗れのスパロボ厨の声は聞こえなくなった。悪霊退散、私はまだまともでいたい。
「はやてちゃん、今の電話誰からだったんです?」
一緒に昼食の料理中だったシャマルが問いかけてくる。
とりあえず逆手に持った包丁を置いてくれへんかな、物理的にも私の精神衛生的にも悪すぎる。
「苔……やない、なのはちゃんやよ。なんか温泉がどーたら言ってたけど」
「温泉?」
「ああ、そこから説明せなあかんかぁ」
さて、どう説明したもんか。一言で言ってしまえば『広いお風呂』なんやけど、それじゃあんまりにもあんまりやよなぁ……。
「――私が説明しましょう、主はやて」
「シグナム?」
私が説明する言葉に詰まっていると、ソファに座って雑誌を読んでいたシグナムが話に混じってきた。
『そげぶとらべる』と書かれた雑誌片手に、シグナムは左手を無い胸に当てて、
「いいかシャマル。温泉というものはだな……地中から湧出する温水、鉱水、および水蒸気、その他のガスで、温泉源での温度が25℃以上のものか鉱水1kg中に定められた量以上の物質が含まれているもののことを指すんだ」
「え? え、えーっと……」
「ふっ、わかっている。これだけではあまりピンとはこないだろう。だが、ここからが本番だ。
――ついてこれる奴だけついてこいッ!」
シグナムが✝シグナム✝になってもうた。けど急に歌いはせーへんよ。……大丈夫やろか、このネタ。
私がセーフアウトの線引きについて考えているうちに、シグナムの温泉講義は加速していた。温泉は効用がなんだとか、温泉に浸かりながら見る景色に飲む酒は最高だとか。飲んだことあるかどうかは知らんけど、今の姿で飲んだらあかんで、絵面的に。
「しっかし、シグナムやけに温泉に詳しいな。いつの間にそんな」
「ああ、前に私の家――お父さんのお店で、シグナムさんとかなめさんが一緒に雑誌を読んでたよ。多分お風呂のやつだったんじゃないかなぁ」
「かなめさんって確か、シグナムがよく話す人やな。近いうちに会ってみたいなぁ」
「それがいいよ。お客さん同士が翠屋を通じて仲良くなるのは、翠屋の娘として誇らしいことだから!」
「そっか、それなら良かった……ちょいさぁ!」
「ぐふっ!?」
「で、どうしたんなのはちゃん。不法侵入かますほどネタ放置されたのが悔しかったんか」
「う、うぅ……それもあるけど、だってはやてちゃん、本題入る前に電話切っちゃうから……」
床に蹲り涙目になりながら答えるなのはちゃん。本題入るまでが長すぎるから切ったんやで?
「まあええわ。それで、本題ってなんなん? 大方、『一緒に温泉行こうよ!』とかそんなんやと思うけど」
「…………わかってるのに切ったの?」
「誰かさんがラッキースケベがどうこう言い出すからや」
なのはちゃんの反応から察するに、やはり温泉旅行のお誘いだったらしい。
温泉旅行。なるほど、悪くない。ちょうどシグナムのマイブームが温泉のようだし、みんなとの思い出を作る良い機会になると思う。うん、悪くないと思う。
……けど、けどやな。
「なのはちゃん、あのな?」
「心配しなくていいからね。既にはやてちゃんたちの分のレンタカーは予約済みだから!」
「何してんの!? いや、別に温泉旅行のお誘い自体は嬉しいんやけど……」
「けど?」
首を傾げるなのはちゃんに、私はとある方向を指差して見せた。
なのはちゃんはその方向に顔を向け……首を傾げる角度をより一層大きくした。
「ヴィータちゃんとボン太くんがいるだけ……なんで二人してうつぶせになってるの?」
「ああ、どうにも前にアリサちゃん家に遊びに行ったときに何かあったらしくてな、あれ以来ずっとああなんや。
それはええねん。問題は、ボン太くんや」
「ボン太くん?」
そう、リビングで「ふもっふぅ……」やら「あたしは≪
「えっ、まさかはやてちゃん、ボン太くんは温泉に連れて行かないとか言うつもりなの? ひどい、ひどいの! ゲス! 外道! ツッコミ担当! 私は苔じゃないもん!」
「まだその話題引き摺ってたん? いや、ボン太くんだけ仲間外れとかそういうことじゃないねん。ないんやけど……」
そこまで言って、私は言葉を区切る。
そして脳裏に思い浮かべるのは、件の彼(?)――ボン太くんと過ごしたこれまでの日々。
……そこそこ人気マスコットキャラクターなボン太くんそのままな外見。
……肌(?)の質感は着ぐるみのそれ。
……「ふもっふ」としか喋らない。
……口は開かないのに、どこからか食べ物を摂取する。
……そして、首と胴体の間にある繋ぎ目。
これらの要素を前に、私は一つの事実を確信していた。いや、正直確信するの遅すぎちゃうかなー、と自分でも思うけど、とにかく確信したんや。
「ボン太くんの中には、人がおる……! おる、はず……!」
そんなボン太くんが、ボン太くんが……!
「温泉入っても、大丈夫なんか?
着ぐるみ、駄目にならんかな!?」
未だ直接対面したこともないボン太くんの中の人を心配する私に、なのはちゃんは「んー?」とわけがわからないと言った風に口に人差し指を当てて、
「どうしてはやてちゃんそんなこと気にしてるの?」
「……そんなこと? そんなことやて? これは一大事なんやでなのはちゃん! 着ぐるみが水を吸ったらとんでもないことになるのは必至、ぐっでぐでのびっちゃびちゃや! 大惨事スーパー着ぐるみ大戦やで!?」
「はやてちゃん。さすがの私でもそのギャグは引くよ」
一番はっちゃけている人に引かれた。ショックデカい。
「ともかく、ボン太くんが温泉入れない以上、今回のお誘いはお断りさせてもらうことに……」
「いや、そのさ。仮にボン太くんの中に人がいるとしてさ。ボン太くん、家の中でお風呂入ってるでしょ?」
「ん? そりゃな。家族やもん、私の目が黒いうちは清潔にしてもらうで!」
「ボン太くんが入ったあとのお風呂はどうだった?」
「普通に決まってるやんかー。もーなのはちゃんさっきから何言って…………」
……ん?
何か、私自身が言ってることに違和感があったような、なかったような。ん? んー?
もにょもにょと悩み始める私に、なのはちゃんはすべてを終息……いや、むしろ始まりとなる一言を放った。
「――ボン太くんは、お風呂、入ってるんだね?」
なのはちゃんの言葉に呆然としながらも、私は視線だけでボン太くんを見た。
ボン太くん。ある日、突然私の前に現れた謎の生物(?)。ともに過ごす中で浮上した着ぐるみ説。
――中の人などいない。
人類史上、誰もが触れることを躊躇ってきた禁忌に、触れるときが来たのかもしれない――。
――とあるマンションの一室にて。
「アルフ! 温泉に行こう!」
「……フェイト、急にどうしたのさ」
「フフフ……聞いて驚くがいいよ! なんとこの温泉がある方面に、災厄の種の魔力反応を感知したんだよ!」
「なんだって!? わかったよフェイト、そのジュエルシードを回収しに行くんだね!」
「うん!」
「ああ……やったねプレシア、あのフェイトがちゃんとあんたの言いつけを守ってるよ。やっとリニスの影響が抜けてき……」
「災厄の種がある場所で待ち構えていれば、災厄の種を巡るライバルである≪
……いいね、痺れるねっ! ねえねえアルフ、どうかな!?」
「リニスーッ! 一発ぶん殴ってやるから生き返ってこいこのバカ野郎!」