Muv-Luv Alternative ~鋼鉄の孤狼~ 作:北洋
夢……これは夢だ。
何度嘆いたことだろう。
これがもし悪夢だったなら、どれだけ幸せなことだろう。
そう思わずにはいられない。
そんな地獄絵図が展開されていた。
基地を壊滅させ、ダイゼンガーを退けたベーオウルフは、人間狩りを開始した。
狩り……という表現は適切ではない。
処理だ。
ベーオウルフが足を踏み入れるだけで、わずか1時間で町1個が壊滅した。建物や植物、買われていたペットたちは全て無事。ただ人間だけが全滅させられる。
ベーオウルフ殲滅に向かった部隊は全て全滅、1人も生きて帰ってこない。
ベーオウルフは破壊した機体の残骸から、キョウスケの愛機だったMk-Ⅲを模した機体を復元させていた。
ただしMk-Ⅲの色は赤から青へと変わり、50mを超える巨大な化け物に変貌する。青鬼のような殺戮マシーンに迎撃部隊は全て殺され尽くしていた。
基地での事件から1週間がたつ頃、地球連邦政府はある決定を下すことになる。
「インスペクター事件」の英雄、クロガネ部隊の再招集である。
地球圏最強の守護者でベーオウルフを駆逐する。ベーオウルフはかつての「インスペクター事件」や「L5戦役」と同等か、それ以上の脅威として認識されたのだ。
すぐさま、クロガネ部隊はベーオウルフの元へと差し向けられる……
そこからの光景は、俺がよく見ては、朝になると忘れていたあの悪夢その物となっていた。
悪夢だ……そう、あの悪夢。
俺が、仲間を殺し尽くすあの悪夢。
『なんでだ!?』
変貌したMk-Ⅲのコックピットで、インターフェースを通じてリュウセイ・ダテの叫びが届く。
『なぜ、あんたがこんなことを!? キョウス ── !!』
リュウセイの声が途切れた。
モニターに映っていたリュウセイの顔が消える。同じく画面に映っていたリュウセイの特機SRXの胸には巨大な風穴が空いていた。変貌したMk-Ⅲの、あまりに巨大なリボルビングバンカーを直撃して空いたものだった。
SRXは崩れ落ち、地球圏を護ってきた守護神は鉄くずへと成り下がる。
MK-Ⅲの周りには、SRXの他に無数のロボットの残骸が転がっていた。
グルンガスト、弐式、ジガンスクード、ゲシュペンスト、ヒュッケバイン……多種多様の機体がエンジンの駆動音1つ響かせず、黒煙をあげたり、火花を散らせたりして横たわっている。
多くはリボルビングバンカーの餌食となり、無傷のモノはベーオウルフの念動力で屠られた。
死屍累々。
その言葉しか浮かんでこない戦場には、クロガネとヒリュウ改も轟沈していて、動いている者は誰もいない。
── 殺した……!
強い罪悪感がキョウスケの胸を締め付ける。
── 俺が殺した……! タスク……アラド……ゼンガー……レーツェル……
みんな……みんな! 俺が殺した!! 殺してしまった!!!
夢と同じだ……キョウスケは、俺が悪夢で思っていたことを嘆いていた。
仲間を殺してしまったことを。深く嘆き、謝罪し、絶望する。そして懇願する。
やめてくれと、叫んでもベーオウルフが手を休めることはなかった。「なぜだ!?」と問いながらも攻撃してくるキョウスケの戦友たち。しかし手を出そうとした瞬間に、ある者は爆ぜ、ある者は撃ち抜かれ次々と絶命していった。
ゼオラやレオナは恋人の仇と攻撃してきて返り討ち。教導隊の生き残りも即死。戦艦のクルーに至っては一瞬で爆死させられ、制御できなくなった艦は自沈する。
圧倒的。あまり圧倒的な力に蹂躙される。
── なぜだ?
キョウスケは血の涙を流しながら、ベーオウルフに訊いた
── なぜ、こんなことをする!?
ベーオウルフは念話で返答する。
── 全ては……悲劇の無い世界をつくるため……完璧なる世界の創造のため……
── 馬鹿な! 多くの人を殺しておいて、何が悲劇の無い世界だ!? お前は悲劇を生み出し続けているだけだ!!
── だが……あのとき、お前は思った……悲劇が憎いと……悲劇にまみれた世界など必要ないと……
── 支離滅裂だ、お前の言っていることは! 人を殺せば悲劇が生まれる!! お前が人を殺し続ければ、俺のような人間を生み続けることになるんだぞ!!
── それは……今だけだ……
── なにっ?
── 悲劇を生み出すもの……悲劇を感じる者……人間が全ていなくなれば……悲劇は存在そのものが消滅する……
── なっ……!
狂気じみた返答にキョウスケは息をのむ。
人類皆殺し。笑い話や子どもの戯言で使われそうな言葉だが、ベーオウルフが言うと冗談には聞こえない。
── 我が性は破壊 我が力は破界 だが我が力は使わぬ
消えるべきは世界ではない 世界に救う邪悪を
悲劇を生み出す 権化のみを 我は破壊する ──
ベーオウルフの声はゆらがない。
世界には絶対にして至高の答えがあり、奴はそれを知っていて、まるでその答えに向けて邁進する求道者のように。
ベーオウルフは歩みを止めない。
俺やキョウスケの声など、奴にとっては所詮戯言でしかないのだ。
止められない……俺たちとベーオウルフでは見えているものや、見ている世界が違っていた。
「太極の涙をぬぐう……そう、全ては、静寂なる世界のために」
空前絶後の化け物を解き放ってしまった……キョウスケの心は、激しい後悔と罪の意識で満たされる。
無力に歯噛みし、骨が砕けそうな程に強く拳をつくる。しかしキョウスケの体は彼の意に従う事はなかった。手を握りしてもいないし、奥歯を噛みしめることもしていない。
手も足も出せずに、キョウスケは世界が滅ぼされていくのを見ているしかなかった ──……
─ 1か月後 ─
……── 地球連邦は壊滅した。
幾つかの国も滅亡した。
全戦力、全兵員を投入し、湯水の如く無意味に鉄と人命が浪費されていった。
繰り返される殺戮劇にキョウスケの心はいつしか麻痺していた。助けを求める声、抵抗も空しく機体を破壊され失われる命、そして何もできない自分……まともな神経でその光景を見ていることできなかった。
キョウスケは人が死んでも何も感じなくなる。
それは戦場を駆けたあの頃と、どこか違うが、同じ根を持つ感情のような気がしていた。
だが、もうどうでもよかった。
抵抗など無意味だ。
侵略と言う暴力を正義という暴力で薙ぎ払い、存続してきた。それがキョウスケの生きてきた世界だ。異星人の侵略を無抵抗で受け入れるべきだった……などとは思わない。
この世界は戦うことで維持されてきた。闘争の続く世界だ。シャドウミラーの望んだ世界とは正にこのことではないだろうか?
力が全て、勝った者が正義、生き残った強者だけが正義を語ることができる世界。
無味乾燥とした悲しい世界が、自分の守ってきた世界のように思えて仕方なかった。
……ベーオウルフの築いてきた地獄絵図は、闘争の果てに訪れるしごく当たり前の結末とさえ、キョウスケは思うようになっていた。
そんなキョウスケを尻目にベーオウルフは毎日処理にいそしむ。人間の処理に、だ。
ある日、破界のために内部に侵入した軍事基地にて、
『狼と言うより、外道に過ぎるぞ、ベーオウルフ』
キョウスケはあの男と再会していた。
戦友は全て死んだ。いや、殺された……殺した。戦場で再会したその男は、もはやキョウスケにとって最後の顔見知りとさえ言えた。
「アクセル・アルマー」
キョウスケの口を動かして、ベーオウルフが男の名を呼んだ。
巨大化したMk-Ⅲの前にアクセルの乗るソウルゲインが立っていた。特徴的な青い髭を持つ、格闘家のような雄々しい体躯を持つ特機だ。
Mk-Ⅲの進む巨大な通路の先で、背後にある巨大な機械を護るようにして立ちはだかっている。
『ベーオウルフ……いや、キョウスケ・ナンブ』
回線越しにアクセルが語りかけてくる。
『すまなかったな』
コックピットの中でアクセルの表情が曇る。
『あの時、確実に貴様を殺しておけば……貴様を化け物にしたのは、この俺だ』
「ア、 アァァ、アク ── アクセル……!」
キョウスケの口からうめき声が漏れた。
キョウスケの感情が流れ込んでくる俺にだけ分かる。
今、声を上げたのはベーオウルフではなく、キョウスケ・ナンブだった。
── ほぅ……
ベーオウルフの声が俺の頭に響く。
── 支配権を奪い返すつもりか……復讐……報復……
悲劇を生み出す最たる例の1つだが……いいだろう……
体の礼だ……我が 力を貸してやろう……
途端に、腹の底から黒いマグマが噴き上がるような ── 全身の皮膚を駆け巡る黒い熱さが、キョウスケの頭を灼熱させていく。
絶望、後悔、罪悪感……多くのマイナスの感情を吹き飛ばし、憎しみだけがキョウスケの心に火をつけた。
それは炎。
全てを焼き殺して、自身を焦がす尽くしても決して消えることのない炎のように、キョウスケの喉をひり付かせる絶叫に変わっていた。
「アクセル・アルマアアアアァアァァァッ!!!」
『俺は貴様の大切なものを奪った。それが貴様を化け物へと変えた……俺が憎いだろう? 殺したいだろう?
だが、それでいい。俺には、貴様に許しを請う資格などありはしない ──』
ソウルゲインが拳を構えた。
さらに絵里阿町で使用しなかった両肘の鋭いエッジが伸びる。ソウルゲインの体は青い光を発し始め、それは両拳と両肘のエッジ部分に収束していった。
『── コード麒麟。ソウルゲインの最大攻撃だ……いいか、ベーオウルフ。俺は謝罪はせん。俺はお前の大切なモノを奪った! その罪は、俺の命1つでとうてい償い切れるモノではないからだ!』
刹那、ソウルゲインはMk-Ⅲに突撃を敢行してきた。
両拳に集められていた青い光を無数の光弾にとして発射してくる。
青龍鱗を変化させた砲撃のようだが、Mk-Ⅲの装甲には傷1つ着けることはできなかった。ただ、青白い光で視界が塞がれる。
アクセルの独白が聞こえてきた。
『俺にも護りたい仲間がいる! 身勝手な男と笑わば笑え!
たとえエゴイストと罵られようとも、俺は貴様を殺す! 代価はこの俺の命だッ!!』
「アクセル・アルマアアアアアアァァッ!!」
青白い光が引いた時、ソウルゲインはMk-Ⅲの懐に入り込んでいた。
身を屈ませて、伸ばした肘のエッジにエネルギーを集中させる。エッジに集まった光がスパークする。アクセルの命を籠めた、両肘エッジによる超斬撃がMk-Ⅲを襲った。
だがMk-Ⅲも黙ってはいない。
巨大化したリボルビングバンカーを、同時にソウルゲインに振り下ろしていた。
鋭利な肘と屈強な切っ先が交錯する。
── すまん皆……
勝負は一瞬でつく。勝者と敗者が決定する瞬間に、アクセルの声が俺の頭に響いてきた。
おそらく、アクセルの思考だろう。
神の悪戯か……アクセルの声が聞こえた理由は正直分からない。どこか寂しげな心の声。
── 約束は……守れそうにない……
刹那、リボルビングバンカーの切っ先がソウルゲインの腹部に突き刺さっていた。
いや、ソウルゲインの肘も命中はしていた。しかしベーオウルフの念動力による防壁に阻まれていた。一矢報いることはできず、ソウルゲインはリボルビングバンカーが突き刺さったままの状態で空中に持ちあげられ。
静かな通路内に炸裂音が木霊する。
巨大なパイルバンカーがソウルゲインの腹部を突き抜けていた。
あまりの破壊力に耐えきれず、ソウルゲインは腹を境に上下に裂ける。腹部を構成していたパーツが肉片のように飛び散り、機体内を循環していたオイルが血のようにMk-Ⅲの体を汚した。
『俺の……敗けだ……』
── やめろ! 絞り出すようなアクセルの声に、キョウスケが悲痛な叫びを上げる。
やめてくれ! と懇願する。
アクセルはエクセレンの仇と言ってもいい。
しかしキョウスケはアクセルの顔を知っている。共同戦線を張ったこともある。アクセルは憎い……憎かったが、もう誰かを殺すことには耐えられなかった。
「……解せぬ」
ベーオウルフが呟いていた。
上半身だけとなったソウルゲインが飛び込んでくる。その光景に対して言ったのか、それともキョウスケの懇願に対して答えたのかは分からない。
ただソウルゲインは、唯一動かすことができる上腕で、Mk-Ⅲに抱き着いてきた。Mk-Ⅲの首を絞めつけくる。蝋燭が消える前の灯なのか……万力のような力だった。
『だが……ただでは死なん。ベーオウルフ……貴様もリュケイオスと共に道連れだ!』
リュケイオス ── おそらく、ソウルゲインが立ち塞がり守っていた巨大な機械のことだ。気づけば、リュケイオスを通るエネルギーパイプから蒸気が噴き出している。今にも爆発しそうに激しく全体を震わせていた。
ソウルゲインと戦っている間に、リュケイオスは暴走していた。
辛うじて画面に映っていたアクセルの顔……その口元が歪む。ざまぁみろ。と言わんがばかりに。
『ベーオウルフ ── 共に死ねええぇぇ!!!』
アクセルの咆哮が耳をつんざいた。
瞬間、リュケイオスが大爆発を起こす。室内の爆発で逃げ場を失った炎が、Mk-Ⅲの方へと押し寄せてきた。
熱量の塊がMk-Ⅲの装甲を溶かす。上半身だけのソウルゲインも同様に爆発を巻き込まれる。そして機体内のオイルに引火、Mk-Ⅲに組み付いたまま状態で動力源の誘爆を巻き起こした。
「うおぉ ──── ッ!!」
装甲が溶け、ハッチが弾け飛び、コックピットブロックが剥き出しになる。
中のキョウスケの体が外界に露わになり、リュケイオスの爆熱に巻き込まれた。肉は溶け血は沸騰……皮膚が焼け剥がれ、奥に見えていた白骨も一瞬で黒焦げになる。
即死 ── Mk-Ⅲの大爆発も相まって、骨の欠片も残さず、キョウスケの体は消滅した ──……