Muv-Luv Alternative ~鋼鉄の孤狼~ 作:北洋
【18時43分 国連横浜基地 B4 白銀 武の自室】
キョウスケと武は一度を霞をベッドで休ませてからPXで夕食を済ませていた。
霞が倒れたを事を説明すると、京塚はこころよく彼女の分の夕食を自室へと運ぶことを許可してくれる。それだけでなく、2人分の人工コーヒーまでおまけとしてつけてくれた。
「霞の奴、よく眠ってるなぁ」
武はベッドに寝かせた霞を見下ろし、PXで拝借してきた夕食用トレイを机の上に置いた。
霞は武のベッドの上で静かに寝息を立てている。起きる気配は微塵も感じられない。お世辞にも寝やすいとは言えない横浜基地のベッドだったが、それだけに霞の疲労が貯まっているということなのだろう。
「こうして寝てると、可愛らしいただの子どもなのになぁ……情けないぜ。俺ができるもんなら変わってやりたいけど……」
「武、そう気に病むな」
キョウスケはトレイに乗せていた人工コーヒーを武に手渡した。
「人にはそれぞれ役割というものがある。転移実験を成功させることがお前の役割、霞の役割はお前をあちら側の世界から引き戻すことだ。この子の苦労をねぎらってやりたいなら、次の実験を確実に成功させることが一番だろう」
「……そうですね」
人工コーヒーを受け取りながら武は応える。
「でも霞に特別な力があったなんて、確かに不思議な雰囲気はある子だったけど」
「……あの香月博士の傍に常にいるぐらいだ。普通の子ではないとは思っていたが」
キョウスケは人工コーヒーを一口啜って呟く。人工コーヒーはインスタントコーヒーを適正量よりかなり薄めたような飲み口で、正直美味いと思えなかった。
「だが俺のいた世界には念動力者という能力者がいたからな、この世界にも似たような能力を持った人間がいても不思議はない」
「響介さんの世界……」
「……どうした、武?」
「え、いや、響介さんの世界って、どんなのだったのかなぁって興味があって」
「俺のいた世界か?」
「ええ、良かったら教えてくださいよ。もう夜だし、予定がなければ時間はたっぷりありますし」
武はベッドを背もたれに床へと腰を下ろした。人工コーヒーを飲むが、やっぱまじぃ、と呟いてマグカップを床に置く。
キョウスケも武の隣に腰を下ろした。
「構わないが、俺はまず実験中にお前が見た事を知りたいぞ」
「実験中のですか?」
「ああ、この実験は俺にも無関係ではないからな」
転移装置が完成すれば、夕呼はキョウスケを元の世界に戻してもいいと言っていた。装置の完成度を高める事は、そのままキョウスケの転移成功率の向上につながる。
キョウスケは知りたかった。
外から見ていただけでは分からなかった、転移していた武の見た風景を。
「そうですね、転移自体は成功してましたよ。確かに転移装置が作動している間、俺は間違いなく元いた世界に戻っていました。ただ ──」
成果に対して武の顔つきは暗かった。
「ただ、どうした?」
「── 体が自由に動かなかったんです」
実験室で、武が同様の事を夕呼に訴えていたことを思い出した。
体の自由が利かない……夕呼が装置の調整が必要だと言っていたように、今回の転移は不完全なものだったという訳だ。実体化が完全ではなかったとも呟いていた。
これはキョウスケの推測でしかないのだが、転移中の武は意識だけしか元の世界に戻れていなかったのかもしれない。
「なんて言うか、目も見えるし耳も聞こえる、でも口や手は一人でに動くんです。俺の意志に関係なく。俺の言いたいことと違う言葉が口から飛び出して……終いには純夏の奴に殴られて、あっ、純夏っていうのは元の世界にいた幼馴染のことなんですけど」
はにかみながら、武は嬉しそうに転移中の様子を語った。
「そうか。殴られて、それでどうした?」
「殴られて痛かったんです。でもすぐに体がぐいって何処かから引き寄せられる感覚に襲われて、気がついたらこの世界に戻ってました。そしたら、殴られた筈の顔面の痛みも消えていて……」
顔面を抑える武。傷らしい傷は見えない綺麗な顔だった。
「痛みは感じたが元の体は無傷か……元の世界の誰かの体に感覚だけが憑りついていた……そんな感じかもしれんな」
「あ、確かにそんな感じでした!」
キョウスケの予想に納得したのか、武は首を縦に振った。
しかし精神だけ元の世界に戻ってもどうしようもない。夕呼の言っていた実体化の意味がキョウスケは理解できたような気がした。
「……でもホント、変わらなかったなぁ純夏の奴……」
武がしみじみと呟いていた。
「……主観時間でたった3年しかたっていないのに、元の世界での生活が遠い世界の夢の出来事だったように思えますよ。
俺、こっちの世界の事を救いたいと思っているのは嘘じゃない。でもやっぱり、元の世界にも帰りたい。俺、純夏やみんなと一緒にバカやってたあの頃に戻りたいです……」
「……その純夏と言う子は武の女なのか?」
「いえ、ただの幼馴染です。バカで明るくてお節介焼きなただの幼馴染…………そう思ってました」
武は数秒の沈黙の後、
「でも、違ってた」
明確な意思のこもった強い声で言い切った。
「俺、純夏のことが好きだったんだ。
愛してる。でもあまりに近すぎて、傍にいるのが当然で気づけなかったんだ。この世界に来て、純夏の離れ離れになって初めて気づいたんですよ……響介さん、俺、やっぱりあいつに会いたいよ……」
寂しげな表情を見せる武の心情を、キョウスケは痛いほど理解できた。
キョウスケと武。2人はお互いに自らの意思を無視され、異世界へと放り出された。同じ立場に立っている2人には意外なほどに共通点が多いことに、キョウスケは今更ながら気が付いた。
性別はもちろん、生まれた国、軍人経験があり人型機動兵器のパイロットをしていること ──
(愛する女は極めて近く、限りなく遠い世界にいるか……皮肉なものだ)
── こんな立場の男など、自分1人で十分だろうに……キョウスケは武に同情を禁じ得なかった。
「……でも俺、こっちの世界のことも大切なんだ。さっきも言ったけど、俺はこの世界を救いたい。だから転移装置が完成しても、すぐには帰るつもりはないですよ」
「そうか」
立派な考えだと思えた。
3年と言う月日をこの世界で過ごした武だからこそ出せる、無数にあるうちの1つの正解だろう。
だがキョウスケは違った。
異世界に不用意な干渉すべきではない。戦闘に巻き込まれ、機体や技術の情報提供をしてしまった今でさえ、キョウスケはそう思っていた。
「響介さんは転移装置が完成したらどうするんですか?」
唐突に武が質問してきた。
「……俺は帰ってもらいたくないな……」
「……武」
「俺、響介さんに鍛えてもらいたいんです。もっと強く、世界を救う手助けになれるぐらいに強くなりたい。……でも本当は、秘密を共有する仲間がいなくなるのが寂しいだけかもしれない……」
「そうか……ありがとう、武」
仲間と呼んでくれた武にキョウスケは感謝した。
この世界に転移してからキョウスケは孤独だった。事情を知る夕呼は何処か気を置かざるをえないし、他に秘密を共有できるような人間は周りにいなかった。孤独だ。しかしそれは、元の世界に戻ることを念頭に置いていたキョウスケが、無意識に周りに壁を作っていただけなのかもしれない。
武ほどキョウスケと同じ境遇の人間は他にいないだろう。初めて出会った時から、武はキョウスケの仲間と言っても過言ではなかった。ただキョウスケが認識していなかっただけなのだ。
「……だがな武、俺は帰るぞ」
この言葉が武の感情に与える影響を理解しながらも、キョウスケは言い切った。案の定、武は落胆した表情を浮かべていた。
「仲間と言ってくれたのに、本当にすまないと思っている」
「い、いえ、どうするかは響介さんの自由ですし……!」
「……やはり、俺たちのような異邦人は早々に去るべきだ。世界にどんな影響を与えるか分からないからな。武のように3年も過ごしてしまったのなら兎も角、俺はまだこちらに来て日が浅い。機会があるのなら、それを逃す手はないだろう。
それに愛する女と仲間たちを、俺はあちらの世界に残したままなんだからな」
キョウスケの脳裏にエクセレンと仲間たちの姿が浮かんで、消えた。
今頃、元いた世界は「インスペクター事件」の戦後処理に追われているはずだ。やはり、出来るだけ速やかに元の世界に帰還する必要はあった。
(それにしても愛する女などと……恥ずかしい言葉を口走ってしまった。武に影響されてしまったかな)
自分らしくない言葉だったと思いつつも、純夏という武の幼馴染とエクセレンを重ねずにはいられないキョウスケだった。
一方、武はというと ──
「へっへー、響介さんも元の世界にそういう人がいるんですね! やべ! マジでキョウスケさんの世界のこと色々聞かせてくださいよ!」
── キョウスケの発言がお気に召したのか、3歳児のような興味津々の眼差しを向けてきた。
その視線にキョウスケはため息一つつき、
「仕方のない奴だ。いいぞ、答えられることなら答えてやる」
「マジっすか!? じゃあ ────」
武の口から質問が飛び出し、キョウスケはそれに応えた。
それから、キョウスケと武は互いの世界の事を語りあった。
例えば、キョウスケの世界が異星人の危機に常に曝されていることや、人型機動兵器が通常兵器として採用されていること。他にはスペースコロニーが実在し宇宙に人が住んでいる事や、キョウスケが生き抜いてきた戦いの数々を武に語った。
武は興味深そうにキョウスケの話に没頭していた。
武の世界はと言うと、キョウスケの世界の旧西暦そのもの世界のように聞こえた。地球連邦や人型機動兵器は存在せず、戦闘機や戦車が戦場の主力となっているようだ。武はその世界でごく普通の高校生活を送っていて、隣にはいつも幼馴染の純夏がいたと語ってくれた。
室内には2人の声と霞の寝息の音だけが響き、いつしか夜がふけて行った。
マグカップになみなみ注がれていた人工コーヒーが空になった頃、ふと、武がキョウスケに訊いてきた。
「そういえば、響介さんって俺と同じ日本人なんですよね?」
「ああ、そうだが。それがどうかしたのか?」
「いや、日本の何処生まれなのかなぁと思って。あ、ちなみに俺は生まれも育ちも柊町です」
「なんだそんなことか…………ん?」
何故か、キョウスケは思い出せなかった。
自分の生まれた場所、育った場所、その名前と地理が真っ白な修正液で塗り潰されたように頭の中から消えている。いや、最初から無かったような錯覚にすら陥った。
(…………ドわすれか? 俺らしくもない)
キョウスケの記憶力は良い方だ。
軍属になってからの出来事が強烈すぎて、平穏だった幼少時代の記憶が薄れているだけに違いない。
「…………武、すまん。忘れてしまったようだ」
「え? じゃ、じゃあ、両親の名前とかはどうですか?」
「……いや、思い出せん」
「通っていた高校は? その時の親友の名前とか、所属していた部活とかはどうですか?」
「………………ちょっと待ってくれ。今思い出すから」
キョウスケは頭の中の記憶の糸を必死で辿った。
しかし結局、糸が昔の記憶を吊り上げることはなかった。
(うっ……!?)
忘れた。そう結論づけようとした時、強烈な頭痛がキョウスケを襲う。
痛みが通り抜けたかと思うと視界が暗転、一瞬、何かが見えた ──……
……── 崩れたビルが目の前に見える。
破壊されたロボットの残骸がそこかしこに転がっており、火の手が広がり、もうもうと黒煙が上がっている。鼻につく煙の匂いで血のそれは覆い隠されていた。生きている人間はいない、否、1つだけ動いている影が見える。
瓦礫を必死でかき分けている男がいた。
(……あれは、俺……?)
薄汚れてしまった愛用の赤いパイロットスーツを着た男……見間違えるはずがない。鬼のような形相で瓦礫をどけている男は ── キョウスケ・ナンブ自身だった。
人の頭ほどの大きさのコンクリ片を投げ捨てる。荒い息を落ち着ける間もなく、キョウスケは一心不乱に動き続けていた。
ふと、キョウスケの手が止まる。
瓦礫の奥になにかを見つけたらしい。
直後、キョウスケは涙を流し、天を仰いで叫んだ。
絶叫。
しかし声は聞き取れなかった ──……
「響介さん?」
武の声で、キョウスケは意識を引き戻された。
「何か思い出せました?」
「…………いや、何も」
「多分、それ俺と同じ症状ですよ。どうも俺、この世界に来た時に、前の世界の記憶が所々抜け落ちているみたいなんです。キョウスケさんも転移した時に、記憶をいくつか失くしているじゃないでしょうか?」
「そう、なのだろうか……?」
キョウスケは自分の出自が思い出せなかった。武の言うように転移の影響なら辻褄は合う。
(だが、さっきのフラッシュバックはなんだ……?)
間違いなく、
白昼夢を見た、ということだろうか。
(まぁ、いい。きっと、これも転移の影響だ……そういう事にしておこう)
夜遅くまで、キョウスケは武と語り合った。
武は明日も訓練があるらしく、程々にしてキョウスケは自室へと戻り床につく。
その晩、キョウスケが夢を見ることは無かった。
あと1回だけ続くんじゃ。