Muv-Luv Alternative ~鋼鉄の孤狼~ 作:北洋
【西暦2001年 12月3日 17時4分 国連横浜基地 香月 夕呼の仮設実験室】
香月 夕呼に指定された時刻、キョウスケは地下の実験室にいた。
「響介さん……本当に帰っちまうのかよ?」
「ああ、すまんな武」
転移装置の前で、武はキョウスケの別れを惜しむ声を上げていた。
もう三度目になる地下の実験室。中にいるのはキョウスケと武だけではない。制御盤の前に夕呼と霞がおり、転移装置の調整を行っていた。
「少し待ってて」
そう答えた後、夕呼は霞と共にずっと作業に没頭している。
既に電源が入れられている転移装置からは耳に残る反響音が耳に届き、これから自分が元の世界に戻るという臨場感を演出していた。
昨日、実際に転移して戻ってきた武が呟く。
「……俺、響介さんにはこの世界にいてもらいたいよ」
「武……」
「だってそうでしょう? この世界で出会えた、初めて同じ立場の人だもの」
同じ立場 ── 異世界から転移してきた、この世界にとっての異邦人。
キョウスケはすぐに武に出会うことができたが、武は時間跳躍を経た足かけ4年目にキョウスケに出会ったのだ。同郷ではないが、極めて近い立ち位置のキョウスケとの出会いに、武が感動したであろうことは想像に難くない。
別れたくないという武の思いも理解できた。
「武、お前の気持ちはありがたいが……」
キョウスケは言葉を詰まらせ、それでも続けた。
「俺は確かに帰るが、必ず元の世界から仲間たちを連れて戻ってくる。武が香月博士に協力しているように、それがこの世界にできる俺の最善だ」
「分かりますよ? 響介さんの言っていることは正しい。でも……やっぱり寂しいです」
「それは俺もだ」
自分の口から出た言葉に、キョウスケは少なからず驚きを覚えていた。
寂しい。そこだけではない。仲間を連れてくる。自然に出たその言葉にキョウスケは驚いていた。
異世界には干渉するべきではない。
シャドウミラーがそうだったように、他の世界の干渉が世界に与える影響は計り知れない。
シャドウミラーの干渉でキョウスケの世界では大きな戦乱が引き起こされた。キョウスケ1人ならいざ知らず、この世界にとってのオーバーテクノロジーの塊と言える彼の仲間と機体たちを引き連れてくれば、どれだけ大きな影響をこの世界に残すか分かったものではない。
できるなら、キョウスケの世界はこの世界に関わるべきではないのだ。
しかしキョウスケは今回の転移の条件として、それを香月 夕呼に提示されている。
恩は仇ではなく、恩で返すものだ。仲間を連れてくる、それはキョウスケの成すべき事の1つとして腹に決めたつもりだった。
しかしその言葉が、するりと口から飛び出すとは、まったく思いもよらない事だった。
気づかぬ内に自分は、武やこの世界の人たちと深く関わってしまっていた。その事にキョウスケは今更ながら気づく。
(……このまま帰って終わり……それも無責任でいささか気分が悪い)
仲間たちをこの世界に連れてくる。言うだけなら簡単だ。しかしキョウスケの仲間たちは軍の一員であり、彼の一存だけを組んで動けるほど単純な組織でないのも確かだった。
時間はかかる。
武たちに再会するために、この世界を救うために、少しずつ説得していくしかないだろう。
「安心しろ、武。俺は必ず帰ってくる。信じて、待っていて欲しい」
「響介さん……ああ、俺、待ってるぜ!」
「はいはい二人とも、別れの言葉はその辺にして頂戴」
夕呼の声が割り込んで耳に入ってきた。
「準備できたわよ」
調整作業を終えた夕呼がキョウスケたちの方を見ていた。
いよいよか、キョウスケは期待に胸を膨らませる。武や夕呼との約束は別として、元の世界に戻れることは、キョウスケにとって単純に嬉しい事でもあった。
(待っていてくれ……エクセレン、今戻る)
キョウスケの愛する女性 ── エクセレン・ブロウニング。
彼女と会えなくなってから早2週間近くが経過しようとしていた。不慮の事故で転移してしまったキョウスケだったが、エクセレンと再会できることは魂の芯に染みわたる程に喜ばしいことに思えた。
「いいわね南部? 元の世界に戻すための交換条件忘れないでよね?」
「分かっているさ」
夕呼からの確認の言葉にキョウスケはしっかりと頷いた。
円柱状の形をした転移装置の搭乗部分に乗り込む。椅子も何もない。搭乗部には大人1人が立てる程度のスペースしかなかった。
ゆっくりと搭乗部の開閉部が閉まり始める。
「いい、南部? 元の世界の事を強く思い浮かべなさい。それがアンタの転移を成功させるための鍵になるわ」
「了解した」
夕呼に言われるまでもなかった。
帰還。この瞬間をどれだけ待ち望んだだろう? エクセレン、仲間たち、元の世界に残してきた様々な懸案事項……元の世界への思いがキョウスケの頭の中を錯綜する。
12月3日、キョウスケ・ナンブは帰るのだ。
元の世界へと。
直後、搭乗部の開閉口が締め切られ、中は暗闇と装置の駆動音だけに支配された。
駆動音が徐々に増大していく。ヴォオオオ、と魔物の鳴き声にも思える酷い騒音が搭乗部の中で反響する。
マシンの音に比例して、自分が自分でなくなるような ── 筆舌に尽くしがたい浮遊感がキョウスケの体を包み込んでいった。まるで自分と外界を区別するための線が、あやふやになっているような……そんな感覚。
キョウスケは強く願った。
俺は元の世界へ帰るのだ、と。
俺の
そして思った。きっと、俺は戻れる、と。
……この時は、本当にそう思っていた ──……
次の瞬間、キョウスケ・ナンブの姿は世界の中から消え、装置の駆動音だけが誰もいなくなった空間に響くのだった ──……