Muv-Luv Alternative ~鋼鉄の孤狼~ 作:北洋
【12月4日(火) 12時45分 国連横浜基地 裏山】
訓練兵用の校舎から数百Mの位置に、武の言う裏山はあった。
傾斜は緩やかで標高は100mにも満たない小さな山。山と言うより丘よ表現する方が適切に思えるその裏山は、山肌に薄く草が茂っており、閑散と生えている木々は既に落葉していて冬独特の物悲しさで覆われていた。
裏山の天辺付近には一際大きく、見事な落葉樹が残っており、世が世なら恋人たちの逢引きにもってこいの場所だったかもしれない。
だが見渡しの良いその頂上から見える景色は、
「……酷いものだ」
逢瀬には相応しくない寂しく、悲しいものだった。
廃墟とさら地、そして遠方に海が見えるだけ。眼下の廃墟に人が暮らしている筈もなく、動く物は何もない。唯一、海の照らす太陽の光だけが、色あせた光景の中で精彩を保っていた。
まりもの話では眼下の廃墟は柊町と呼ばれていたそうだ。
理不尽な暴力によって踏みにじられた元柊町のような場所を、キョウスケは他にも知っていた。
人間大の戦争でも町は荒廃する。それが巨大ロボットと巨大生物の殺し合いでは、その比ではない破壊が巻き起こされる。
柊町の有様も、キョウスケの世界ではありふれた景色の1つだった。特にアインストとの戦いでは人間相手のそれと違い、相手が建築物などの施設再利用が眼中になかったため、戦闘区域に出る被害は尋常ならざるモノが多かった。
柊町もその礼に洩れず酷い有様だったが、広範囲がさら地になっているのを見ると、まるで地上で
(まるで俺の世界のHMAPWの爆心地……いや、もう俺の世界ではないのだったな……)
自分を嘲笑するキョウスケ。
(俺は因子の集合体……博士の話を信じるなら、因子の持ち主がどの元の世界にもオリジナルとして生きている)
実感はない。
だが昨日の経験がこめかみに突き付けられた拳銃のように、事実として突き付けられている。まるで全弾装填済みのマグナムでロシアンルーレットをしているような感覚を覚えた。あとは引き金を引いて認めてしまうしかないのだろうか?
(俺は誰だ……?)
海の方角から噴いてくる風がキョウスケを撫でる。
(俺は何だ……?)
心の中にも乾いた風が吹いていた。
(俺は何のために生きている? もう俺はエクセレンの傍に戻れないかもしれない……オリジナルの俺がいる世界に戻っても、彼女はきっと不幸になっていくだろう……)
憂鬱な気分になったキョウスケは、頂上の落葉樹の傍に腰を下ろした。
夕呼の仮説が本当なら、キョウスケが元の世界に転移しても、オリジナルのキョウスケ・ナンブがいる。
並行世界は無限に存在する。この世界のようにオリジナルのキョウスケがいない、いや、死んでしまっている世界もきっとあるだろう。そういう世界に転移できれば、自分は自分になりすますこともできるかもしれない。
いや、それよりもオリジナルの自分を……
(……馬鹿か、俺は……?)
荒唐無稽な考えをしている自分にキョウスケは気づいた。
それでは「シャドウミラー」 ── あの侵略者たちと何が違うというのか? 元の世界から逃げ、仮初の世界で戦力の拡張を図ろうとした「シャドウミラー」は壊滅した。
元々ある形を崩し、自分自身になりすまして、それでどうしようというのか ── キョウスケは「シャドウミラー」と同じ轍を踏もうとしていたようだ。
ではこの世界にもいる筈の「エクセレン・ブロウニング」を探すのか?
それも違った。
(俺はエクセレンが好きなんだ。あのエクセレンが。同じ顔、同じ声をしていても駄目だ。それにこの世界でエクセレンが生きているという保証も…………俺は一体何を考えている……?)
支離滅裂だった。
こんな事で動揺してどうする?
キョウスケは自分に言い聞かせた。
言って悪いが、所詮こんな事だ。
世の中には、もっと酷い境遇に立たされ、冷遇されている人間だっている筈だ。自分は生きていられる。衣食住の心配がない、それだけでも幸せなのだ。
そう考えた途端、腹の虫が思い出したように鳴り始めた。
「……ふふ」
馬鹿正直な体に嫌気がさした。
人はパンのみにて生きるにあらず。キョウスケだって知っている、どこぞの聖書に出てくる言葉だが、精神的な満足を得られても人は食べないと生きてはいけない。
腹が減ったら食事をしたい。
それは当然の欲求で、キョウスケは紙袋にいれて持ち運んでいた焼きそばパンを、口一杯に頬張った。
よく噛んで飲み込む。
腹が減っていた分美味しく感じた。
しかしそれだけでは心は満たされなかった。
「俺は……キョウスケ・ナンブだ……」
自分に言い聞かせるように言葉を放った。
眼下には変わる事のない柊町の姿。まりもは自分が育った町が、これ程までに変わるとは思ってもみなかっただろう。
キョウスケだって変わるとは思っていなかった。
自分自身の存在意義が揺らいでいた。
「俺は……」
裏山の頂上にそびえる落葉樹だけが、キョウスケの呟きを聞いていた ──……
●
【15時00分 国連横浜基地 B19 香月 夕呼の研究室】
約束の時間になり、キョウスケと武は夕呼の研究室に集合していた。
「新OS搭載機の稼働実験ですか?」
「ええ、そうよ。戦闘部隊に換装する前にもう一度実働データを検証しておきたいのよ」
再確認する武の言葉に夕呼はそう答えた。
集合を掛けた夕呼の目的は、改良型の新OS搭載機の模擬戦を行うことで、残っている問題点を洗い出すことだった。
驚いたことに、夕呼は転移実験を行う傍ら、新OSの開発を進めていたそうだ。それが実戦配備可能なレベルに達したとのことで、今日は武とキョウスケで模擬戦を行う旨を、先ほど説明されたばかりだった。
「使用する戦術機は撃震よ。既に新OSに換装した撃震を2機用意させてあるわ」
「撃震かぁ、懐かしいなぁ。俺が初めて見た戦術機も撃震だったっけ」
「ただの撃震じゃつまらないから、通常機とはちょっと違う仕様のモノだけど、まっ気にせず乗ってちょうだい」
「了解です!」
武は夕呼に敬礼で応えた。
第一世代戦術「撃震」は、人類初の戦術機「F-4 ファントム」を日本帝国がライセンス生産し、改良を続けてきた戦術機だ。古い機体だけに帝国内での配備数も最も多い。高性能な不知火などを使えば、機体ポテンシャルで問題点がマスキングされてしまう可能性が出てくるため、夕呼は戦術機の基本とも言える激震を使って新OSの問題点を炙り出そうと言うのだ。
その点は、キョウスケにも納得できる理由だった。
だが疑問点が1つ残る。
「……香月博士、少しいいか?」
「いいわよ、どうぞ」
「……博士は何故この模擬戦に俺を使う? 戦術機同士の模擬戦だぞ? はっきり言って、俺は専門外だ」
「あっ、た、確かにそうかも……!」
武が相槌を打っていた。
戦術機はキョウスケにとって異世界の人型機動兵器だ。まりもの助手をする内に、キョウスケは教本程度の知識を持つようになっていた。コクピットの写真や操縦方法を知った今となっては、戦術機の操縦がPTのそれに非常に酷似していることも理解していた。
だからと言って、武の模擬戦相手にキョウスケを指名する理由が思いつかない。
キョウスケより戦術機を巧く扱える衛士は、それこそごまんといるに違いなかった。
「……戦術機操縦経験ゼロの俺より、もっと良い適任者は他にいる筈だぞ。武の同期の207訓練小隊や伊隅大尉の部隊、博士なら探せばいくらでもテストパイロットを見付けられる……にも関わらず、何故、俺なんだ?」
確かにキョウスケはパイロットだ。しかし専門はアルトアイゼンという特殊PTを用いた強襲、および近接戦闘であり、戦術機の操縦はそこに含まれていない。
「南部の言うことは尤もなんだけど、白銀の部隊での模擬戦はもうやっちゃったわよ」
キョウスケの問に夕呼は平然と答えた。
「その模擬戦で既に新OSの優位性は証明されてるわ。今回の模擬戦はいわば改良した新OSのバグ取りのようなもの。だからアンタを指名する絶対性は確かにないわ」
「……では、何故……?」
「アンタに戦術機の操縦に慣れてもらいたいからよ」
切れ味のある夕呼の答えにキョウスケは目を丸くした。
「面倒だから単刀直入に言うわ。
明日から正式にアンタを伊隅の部隊に配属する。コードネームはヴァルキリー0のままだけど、1つだけ以前と変えなければならない事があるわ」
臨時編成されていた「A-01」への正式配属。
「……そこが俺の『居場所』だと?」
「あたしが提供できる中で、アンタの力を最大限に活用できる所よ? 文句ある?」
「……いや、問題ない」
昨晩、夕呼がキョウスケに与えると言っていた「居場所」がそこなのだろう。キョウスケがこの世界で役立てる事ができる力は、機動兵器の操縦技能ぐらいしかない。
キョウスケを戦闘員として活用するのは妥当な判断と言えた。
ただ ──
「ただし、アンタを二度とアルトアイゼンには乗せないわ。だから、戦術機の操縦技術を磨いてちょうだい」
「何だと……っ?」
── この夕呼の一言を除いては、だが。
アルトアイゼンはL5戦役からの付き合っている愛機だ。今更、乗機を変えるなどキョウスケには考えられなかった。
「いい、南部? アンタ1人だけなら兎も角、アンタがアルトアイゼンに乗ると何が起こるか分からない……BETAの新潟再上陸の時のこと忘れたわけじゃないでしょう?」
「……それは、例の転移現象のことか……?」
「ええ、そうよ」
11月28日、BETAが新潟に再上陸を始めた事件で、MLRS砲撃に巻き込まれたキョウスケの周辺で転移現象が起こっていた。
その際、キョウスケのよく知るSRXやダイゼンガーなどの残骸が転移で飛ばされてきた。元の世界ではSRXやダイゼンガーが健在だった。今にして思えば、あの残骸たちはキョウスケを構築する
「あの転移は間違いなくアンタを中心に起こっていた。次にもし同じことが起こった時、今度はアンタの世界の残骸が転移してくる程度では済まないかもしれないわ。
アンタの世界にいた化け物……アインストだっけ? そんな奴が転移してきた日には、この世界は本当に終わってしまうわ」
夕呼の言い分にキョウスケは言い返すことができなかった。
「アンタがその気があろうとなかろうと、アルトアイゼンとアンタが一緒だと次の転移現象が引き起こされるかもしれない。いいえ、もしかしたら、起こらないかもしれない。
結局のところ、それは誰にも分からないのよ。なら、リスクはできるだけ小さくしておきたい」
「…………」
「これでも、まだ納得できない?」
夕呼はデスクの上の書類を1枚取り、キョウスケに渡した。
BETAの新潟再上陸事件後、アルトアイゼンは地下の格納庫に収納され、精密検査を受け続けている。受け取った書類はその結果の報告書の一部だった。
装甲周りに関する報告が書かれている。
「……これが、どうかしたのか?」
「分からない? 装甲の構成成分が変化してるでしょ?」
「……どういうことだ?」
報告書には夕呼たちが解析した構成成分の内訳が書かれていた。
キョウスケはアルトアイゼンの専属パイロットではあったが、技術者ではないため装甲の材質までは把握していなかった。内訳と言われると尚更だ。
だが報告書には夕呼が調べた成分の内訳が転移直後と、BETA再上陸後が表で示され、比較されていたためキョウスケにも理解できた。
キョウスケの分かる成分名はチタンぐらいしかなかったが、中でも赤文字で書かれた内容を見て、キョウスケは驚いたのだ。
【11月12日 11月29日
解析不能 3% 解析不能 5%】
夕呼たちの技術では解析しきれなかった可能性はある。
しかし成分比が増加する装甲など、考えられるのは自己進化機能を持つマシンセルぐらいのものだろう。当然、アルトアイゼンの装甲はマシンセルのような特殊な代物ではなかった。
表の日付を見る限り、BETAの再上陸前後 ── アルトアイゼンが謎の回復を遂げた前後で、装甲の構成成分に変化があったようだ。
もちろん、アルトアイゼンにそのような機能は存在しない。
【── 集合体が生物でなければならない理由は何一つないわ ──】
アルトアイゼンがキョウスケ同様に因子の集合体なら、知らない機能が備わっていても不思議はなかった。
(どこかの並行世界に、再生能力も持つアルトが存在している……そういうことなのか……?)
正直な所、夕呼の仮説が正しいという確証は何処にもない。
前々から感じていたアルトアイゼンの変化が因子によるものなのか、半信半疑なキョウスケだったが、それで済ませて良いのかという疑問も残っていた。
「何が切っ掛けでこうなったのかは分からないわ。でも例の転移現象は無関係ではないはず……そして、同じことが起こらないという保証は誰にもできない」
神妙な面持ちで夕呼が呟いた。
「納得してもらえかしら?」
「…………ああ」
キョウスケは頷くしかなかった。
これ以上の面倒事が起こるのはキョウスケだって望んでいない。
アルトアイゼンに乗らなければ問題が起こらないという推察には承服しかねたが、この世界への必要以上の干渉を避けるなら、やはりアルトアイゼンには乗るべきではないのだ。
(……干渉、か)
反射的にキョウスケはため息をついていた。
(……もう、そんな事を考える必要もないのかもな……)
仮に元の世界にはもう戻れないのなら、この世界で生きていくしかない。
余計な事を考えている場合ではないのかもしれない。
「……分かった。協力しよう」
「アンタの分の衛士強化装備は既に用意してあるわ。機体については移動しながら説明しましょう」
「……了解した」
イの一番に部屋を出ていく夕呼にキョウスケは続こうとする。
「響介さん?」
武がキョウスケに声を掛けたのは、そんな時だった。
「どうしたんですか? 随分気落ちしているみたいだけど、転移実験のことなら ──」
「……武、そのコトならもういいんだ」
「え?」
どうせ、もう戻れない。
戻ってももう1人の自分がいる。
それなら ──
「── ただ、生きていくため、俺は戦おう……それに今は戦っていた方が気が紛れる」
「響介さん……?」
キョウスケは武を置いて先に部屋を後にした。
廊下を歩いていると、背後で扉の開くと武の足音が聞こえてきた。
武はキョウスケの後を付いて来ていたが、ハンガーに付くまでの間、キョウスケが後ろを振り向くことはなかった。
コミックを再読していて、今更、夕呼の一人称が「私」ではなく「あたし」だったことに気づきました(汗)。
第3部からは「あたし」で統一します。