Muv-Luv Alternative ~鋼鉄の孤狼~ 作:北洋
【16時57分 廃墟ビル群】
機体の駆動音と跳躍ユニットの噴射音ばかりが響く管制ユニット内で、突如、キョウスケの頭を揺らす程大きな絶叫が耳に届いた。
『響介さん! いっくぞおおおぉぉぉぉっ!!』
武だった。
オフにしてあった回線が開かれていて、視界の隅の小さなウィンドウに武の姿が見える。
頭上から降っていた36mmの雨は鳴りを潜め、武の撃震を示す赤い光点がレーダー上を肉薄してきていた。
速い。
キョウスケ機の直上から地面に激突しかねない勢いで、強襲してくる。
(36mmで迎撃……いや、これは被弾覚悟での突撃……ならば)
120mm散弾を至近距離でお見舞いするという手もあったが、キョウスケが撃震に取らせた獲物は74式近接格闘長刀だった。87式突撃砲を投棄し、背部兵装マウントからパージ。柄を握るが早いか、振り返り様に長刀を切り上げる。
目標は落下してくる武の撃震。
互いを仕留めんと振るわれた2機の長刀が、空中で火花を散らした。全力投球の鍔迫り合い。直後、キョウスケの撃震に縦揺れが襲い、
(まともに受けては押し切られるか……!)
操縦桿を動かして長刀の切っ先をやや下向きへ ── 地面へと変えた。
落下する機体に推進剤で勢いを付けた武の一撃だ。対してキョウスケは抜刀直後のただの切り上げ。真正面からぶつかれば打ち負けるのは目に見えていて ── キョウスケの一瞬の機転で、武の長刀は刃面を滑り、アスファルトへ深々と突き刺さっていた。
長刀を振り下ろし、地面に着地した直後の武機の動きが鈍る。
まさに勝機。
キョウスケは撃震に柄を握り直させ、袈裟がけにすべく長刀を振るった。
『このッ ──』
回線越しに武の声が聞こえ、すぐにキョウスケの耳を金属同士の激突音が劈いた。武機を切り裂いた音ではない。一目瞭然の画像がカメラから網膜へと投影される。
武の撃震が2本の短刀を交差させ、長刀を防いでいた。
長刀はすぐに地面から抜けないと踏み、上腕部のナイフシースから抜いた短刀で受け止めたようだ。
『── おりゃあッ!!』
「む ──ッ」
一瞬の攻防の後、再び、キョウスケ機に激震。
なんと、武機がキョウスケ機を蹴り飛ばしていた。戦術機は近接戦闘はするものの、殴り合いのような格闘戦を前提に設計されていない。しかもアルトアイゼンのように堅牢でもない。
キョウスケもただの戦術機に蹴り飛ばされるとは夢にも思っておらず、機体はたたらを踏んで後ずさっていた。
『まだまだ行くぞぉ!』
武機が短刀を2本とも投擲してきた。
キョウスケはそれを長刀の腹で弾く。
予想外の動きに体勢を立て直すのに数秒かかり、武機がその間に地面に突き刺さっていた長刀を引き抜いていた。
そのまま跳躍ユニットを噴かせて前進 ── キョウスケへと肉薄し、長刀で連撃を加えてくる。斜めの斬り下ろしをキョウスケ機が切り払うと、一歩踏み出して真横に薙ぎ払い、バックステップで間一髪避けたかと思うと、唐竹割よろしく真っ直ぐに長刀を振り下ろしてきた。
キョウスケは全てを長刀でガードしていたが、慣れない戦術機の操作に反撃する機会を作り出せなかった。
(……やはり、戦術機の操作では武に一日の長がある、か……)
連撃をいなしながら、キョウスケは武の撃震を観察していた。
今回の模擬戦における2人の条件は対等だ。同じ撃震、同じ新OS、同じ武装……違うものと言えば、それぞれの経験値ぐらいだろう。
キョウスケの冷めた瞳が、武の撃震の得物に向けられる。
突撃砲は投棄したのか見当たらず、短刀は2本とも投擲、残っているのは74式近接格闘長刀だけだった。
対するキョウスケはまだ背部兵装マウントに突撃砲が1丁残っていた。
(推進剤も俺の方が残っているはず……なら、距離を取り、再接近させぬよう迎撃するのが常道……)
アルトアイゼンに乗っていれば、決して辿りつかない答えを導き出していた。
跳躍ユニットの噴射口が前面へと向けられる。
ただ操縦桿を操作するだけ、そこに無駄な思考を挟む余裕はない。今はそれが心地よかった。余計な事を考えなくて済むから。
キョウスケは長刀を右腕に把持し、突撃砲を左腕マニュピレーターに装備した。
あとはトリガーを引くだけ。
(……もう、飽きるくらい繰り返してきたことだ……)
キョウスケは戦場で敵の兵士を何人も屠ってきた。いくら脱出装置が発達したところで、死人の出ない戦争などあり得ない。キョウスケの手は血に染まっている。指でトリガーを引いた記憶は脊髄反射のように深く刻まれていた。
だがその記憶も、キョウスケ自身の記憶ではないかもしれないのだ。
キョウスケが自分の記憶だと確信していても、誰もそれを保障はしてくれない。
自分を構成するという
自分の記憶の起源はそこから来ているのかもしれない。
考え出すと、柄にもなく怖くなる。
(……よそう……俺は、ただ、生きていくために引き金を引くだけだ……これまでも、そしてこれからも……)
網膜上では、武の撃震に赤いロックオンマーカーが張り付いていた。撃てば当たる、そんな距離だ。
なら引けばいい。躊躇なくトリガーを。
だがキョウスケにはそれができなかった。
理由は自分にも分からない。
『── 響介さん、一体どうしちまったんだよ!?』
武の声が聞こえたのは、そんな時だった。
『今の響介さんには、まりもちゃんと戦っていた時のような覇気がまったく感じられない! そうじゃねえだろう、あんたは! なんで俺なんか相手に逃げ腰になってんだよ!?』
「……逃げ腰?」
『そうさ! 響介さんらしくない! あんたは俺の攻撃から逃げ回っていたじゃないか!?』
確かにキョウスケは逃げていた。
しかしそれは武の推進剤の枯渇を待つ策でもあった。
「……違う。逃げの一手が必要な時もある……」
『ああ、そうかい! なら好きなだけ逃げるがいいよ! でもな、この世界の人類に逃げ場なんてもう残されてねえんだよ!!』
この世界の人類は、ユーラシア大陸、欧州と多くの土地をBETAに奪われていた。
日本にもBETAの本拠地ハイヴがある。他人事ではない、滅亡の危機は、いつでも傍で首をもたげている。
『俺は元の世界が大好きだ! でもこの世界も大好きだ!』
武が吼える。
『だからこの世界を守るために強くなりたいと思った! だから! どんな無茶でも無謀でも、そんなモノ全部まとめてぶち抜いてくれそうな、そんな強さが感じられる響介さんに憧れたんだ!!』
飾り気のない真っ直ぐな言葉が、キョウスケの心を駆け抜けて行った。
『響介さんは元の世界を救った部隊の一員なんでしょう!? 響介さんの実力はこんなものじゃない筈だ!!』
「……それは……」
自分が武の言う英雄の一人なのか、キョウスケは確信を持てずに口ごもるしかなかった。
『俺は、大好きなみんなの笑顔を守りたい!』
武は小さなウィンドウの中でキョウスケを指さして言った。
『響介さん、あんたは一体何のために戦っているんだ!?』
「……俺は……」
武の問にキョウスケは即答できなかった。
こんな姿、自分らしくない。そう思っていても、心の根がぼやけていてはっきりと言葉にして表せなかった。
やっと思い出したかのように口が動く、
「俺は……エクセレンとみんなを……」
が、すぐに口籠ってしまった。
愛する女と仲間たちを守る ── 強く固かったキョウスケの信念が揺らいでいた。
自分には帰る場所がない。戻っても彼女の隣には本物の自分がいる。なら、彼女を想い続けるのは無意味ではないのか、と思ってしまっていた。
武がまぶしく見えた。
揺るがない、強い思いをもってキョウスケとの戦いに臨んでいる武。
だが武自身、ただ知らないだけで、キョウスケと同じ境遇なのだ。
武、本当はお前だって因子の集合体なんだと……言ってしまえればどれだけ楽になるだろう。同時にどれだけの空しさが心の中を吹きすさぶだろう。
下衆な考えだ。
自分がこんなことを考えるようになるとは、キョウスケは夢にも思ってもいなかった。
「……来い、武……」
『響介さん……答えてくれないんだね……でも、いいさ。俺が思い出させてやるぜ! 響介さんの強さと戦い方をな!!』
武の声に応えるように、キョウスケは撃震に突撃砲を投棄させ、長刀を構えさせた。
もういい。今は、何も考えずに戦っていたい。
武の撃震が突撃してきたのを皮切りに、刃がぶつかり合う音が廃墟ビルの合間を駆け抜けて行った。茜色に染まっていた空もすっかり暗くなり、月だけが2人の戦いを見下ろしていた ──……
●
【19時46分 国連横浜基地 戦術機ハンガー】
「まったく、まさか相討ちになるとは思わなかったわ」
模擬戦を終了し横浜基地へと帰還したキョウスケと武に、夕呼は呆れた声を投げかけていた。
突撃砲という遠距離攻撃手段を放棄したキョウスケと武の撃震は、互いに延々と長刀で切り結びつづけ、致命傷を回避するために推進剤消費し続けた。2機は機動力を失ってからも泥試合のように戦い続け、徐々に傷を負い、ほぼ同時のタイミングで活動限界を迎えていた。
撤退するための推進剤を使い切ってまでの格闘戦 ── いくらJIVESが仮想訓練プラグラムだとしても、愚策と罵られて当然の結末と言えた。これがBETA相手の実戦なら、物量に押され仮に敵を全滅できたとしても、帰還することができず増援の餌食になる可能性が非常に高い。
武もその事は理解しているだろう。
だが武はその愚策を実行に移した。
武は模擬戦の勝敗よりも、キョウスケになにかを伝えたかったのかもしれない。
(……戦う理由……か……)
これまでキョウスケは世界の平和と愛する人たちのために戦ってきた。
これからもそれでいい。多くの人はきっとそう言うだろう。それが正解だろう……が、キョウスケの心は揺れていた。
(……俺、らしくない……か……確かにそうかもしれんな)
模擬戦中の武の叫びが頭によぎる。武の強さと正しさを感じながらも、キョウスケの心は動かなかった。胸に穴が空いたような空虚な感覚がのっぺりとへばりついて離れない。
ただ……このままではいけないと思えてしまう。
「特に問題が出ることもなかったし、新OSの仕上がりは上々のようね。白銀も違和感なく動かせたんじゃないかしら?」
「ええ、新OSに換装するだけで、撃震でもここまで動けるんだって驚いたぐらいです」
「そう。新OSを量産できれば、戦術機強化プランとして低コストで実現できそうね」
キョウスケの心の内を知ってか知らずか、夕呼と武が新OS搭載機の評価を交換し合っている。
模擬戦の目的が新OSの評価なのだから、当然と言えば当然なのだが、
「南部は実際に動かしてみてどうだったかしら?」
質問の矛先はキョウスケにも向いてくる。
「……そうだな。TC-OSと若干勝手は違うが、通常機動をこなす分には問題ないように思えた。問題点はOSを成熟させるためのデータの蓄積と……あとは俺の慣れが必要だな」
「致命的な欠陥はない、と捉えていいのかしら」
「ああ」
模擬戦をこなしてみて、戦術機とPTの操縦は共通する部分があると実感できた。
アルトアイゼンの「切り札」のような特殊な機動はデータを構築しなければ不可能だが、基礎データに組み込まれている機動データから、通常の戦闘機動程度なら初操縦のキョウスケでも実現できていた。
もっともキョウスケにはPTの操縦経験がある。
それを抜きにしても、動かしやすく柔軟性のある代物に新OSは仕上がっているとキョウスケは評価していた。
「2人ともご苦労様。今日の実験はこれで終了、あとは自由にしてもらっていいわ。また用があるときは声かけるから、その時はよろしくね」
「分かりました」
「南部への辞令は明日正式に出るから、その後は速やかに原隊に合流しなさい」
「……了解した」
原隊 ── 夕呼の直下の特殊部隊「A-01」のことだ。
夕呼は、じゃね、と軽い挨拶を済ませるとハンガーを後にした。研究室で新OSの最終調整なり何らかの仕事をするのだろう。
逆に今日のキョウスケの仕事は終わった。
足早に立ち去ろうとしたキョウスケに、
「ま、待ってくれよ響介さん!」
武が話しかけ、
「あの……さ、さっきは生意気な事言ってすいませんでした!」
頭を下げてきた。
「……武、頭を上げてくれ……」
「は、はい」
「……お前の言っていた事は正しい。だから気にするな」
嘘偽りないキョウスケの本音だった。武は目を輝かせて顔を上げたが、キョウスケは彼と視線を合わせることができなかった。
「……響介さん、本当にどうしちまったんだよ……? あっちの世界にで何かあったのか?」
あっちのとは、昨晩の実験で転移したオリジナルキョウスケのいる世界のことだ。
イベントはあった。それも筆舌に尽くしがたく、苦痛にまみれた最悪の出来事が。
一瞬、武に全てを語ってしまおうかと思えた。痛みは誰かと共有することで和らぐものだ。それが例え錯覚だとしても、多くの人が実感として理解できることだろう。
だが、駄目だ。
武にだけは話せない。
キョウスケの正体を明かさねば、転移先での出来事を説明することは不可能だった。キョウスケの正体は武のそれにも通じ、夕呼からも口止めされている極秘事項だ。
「……武」
「はい」
「……すまんが、俺に少し時間をくれ。いつかきっと、全てを話すから」
「響介さん……分かりました」
武はキョウスケの言葉に頷き、それ以上言及するのを止めた。
「俺、待ってますから。だから……早く元の響介さんに戻ってください!」
「……ありがとう、武」
キョウスケは武に礼を言うと、まだ整備員たちが慌ただしく働いているハンガーを後にした。武の言葉にほんのりと温かいモノを感じながら思う。
(……人はパンのみに生きるにあらず、か……)
柄にもなく格言に共感を覚えたキョウスケなのだった ──……
2000文字程度の話を挟んで、第13話に進みます。