Muv-Luv Alternative ~鋼鉄の孤狼~   作:北洋

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第27話 生か死か

【12月10日 14時56分 軍用車内】

 

 ── すぐにみちると合流したキョウスケは、アクセルたちを移送する予定だった軍用車を借り、横浜基地内の医療施設へと向かう。

 

 緊急事態であったのと、事情を知る者としてキョウスケは同行を許され、衛生兵と一緒にまりもを搬送することになる。

 衛生兵を呼びに行かせた武とは、結局、合流することはなかった。

 まりもは狭い軍用車内に寝かされた。

 薬剤や輸血を投与するための輸液ラインを、衛生兵がまりもの残っている片腕に留置し始める。邪魔にならない位置で、キョウスケはその様子を見守る。

 乗っているのは救急車ではなく捕虜移送用の軍用車。

 満足な道具もない車内には、移動用のお粗末なバイタルモニターが置かれ、まりもの心電図が表示されている。回数は40回を切っていて少なく、まりもが弱っているのが見て取れる。

 なんとか、衛生兵が薬剤を投与する点滴ルートを確保し終えた頃、キョウスケはまりもの異変に気が付いた。

 弱々しくも上下していたまりもの胸の動きが止まっていた。十秒、二十秒、ただの無呼吸にしては長い……胸が動き出す気配がキョウスケには感じられなかった。

 

「……おい、息をしていないんじゃないか?」

 

 多忙な衛生兵が、キョウスケの言葉を受け、まりもの胸に手を置き口元にも手をかざした。

 直後、バイタルモニターからけたたましい警告音が鳴り響く。

 まりもの心臓の動きをモニターし、画面に表示されていた波形が消えていた。緑色の線が真横にまっすぐ伸び、心拍数を示す数字は0を指していた。

 

「心肺停止! 中尉、手伝ってください!!」

 

 突然衛生兵が大声を上げ、心臓マッサージを開始する。まりもの胸に手を置き、真上から押す ── 戻す ── 押す ── 戻すを繰り替えし、心電図にノイズは奔る。

 約30回胸を圧迫し、衛生兵はキョウスケと心臓マッサージを交替した。気道を確保し、まりもの口から息を送り込む。

2回息を送り込み、30回胸を押す ── このサイクルを4回繰り返した後、衛生兵の指示でキョウスケは心臓マッサージを止めた。

 マッサージのノイズが無くなり、バイタルモニターには数字の0と綺麗な横線1本が映し出される ── まりもの心臓は動いていなかった。

 

「緊急キットからアドレナリンを取って!」

 

 2度目の衛生兵の怒声。

 車に持ち込んだ緊急時救命用の薬剤が入ったケースを開け、中からキョウスケは薬剤を取り出した。

 

「これか!?」

「違います! Bの12番!」

「これだな!? どうすればいい!?」

「点滴から投与してください! 早く!」

 

 キョウスケは言われるままに、衛生兵が確保した点滴ラインから薬剤を投与する。その間も衛生兵は心臓マッサージを続けていた。

 2分ほどして、もう一度まりものバイタルモニターを確認 ── 何も描かれていなかった心電図に、まりもの心臓の動きを示す波形が表示されていた。

 

「とりあえずは……」

 

 衛生兵の呟きがキョウスケの耳に届いた。

 一命は取り留めたが、まだ何があるか分からない……そういう意味だろう。

 

 乗っている軍用車を急がせ、しばらくして医療施設に到着した。

 すぐに担架に移し替え、医療施設内の集中治療室へとまりもは運び込まれた ──……

 

 

 

 Muv-Luv Alternative~鋼鉄の孤狼~

 27話 生か死か

 

 

 

 

 

【同日 16時 04分 横浜基地内医療施設 患者家族待合室】

 

 ……── 集中治療室にまりもが救急搬送された後、キョウスケは親族待機用の別室へと通されていた。

 

 まりもが集中治療室に運び込まれてから、ゆうに30分以上は経過していた。

 軍医たちが処置を行っているとき、キョウスケが傍にいても邪魔にしかならない。待合室で待機させられていた直後、看護師に状況の説明を求められ、伝え……それから1人でキョウスケは待ち続けている。

 しかし軍医たちからの音沙汰はなかった。

 

(……状況説明をする暇がない……それ程、ひっ迫しているということか……?)

 

 移送中の軍用車の中での出来事が脳裏にフラッシュバックする。

 呼吸が止まり、心臓が止まり……衛生兵と共に、キョウスケは文字通りの生死の境目からまりもを無理やり引きずり出した。

 あの時の光景が瞼にこびり付いて離れない。

 黙って待ち続けているだけだと、悪い想像ばかりが浮かんでは消えていく。

 早く……早く良い情報が欲しい、キョウスケが切に願ったそのときだった。

 待合室の扉がノックされ、開かれる。

 キョウスケを案内した看護師が立っていて、その背後には夕呼の姿があった

 

「香月副司令、こちらでお待ちください」

「分かったわ」

 

 夕呼は言われるままに待合室に入り、キョウスケの座っていたソファの隣に腰かけた。看護師は一礼して扉を閉じ、慌てて去って行く。キョウスケと夕呼の間には沈黙が立ち込めたが、先に口を開いたのは夕呼の方だった。

 

「南部、どうしてこうなったの?」

「……BETA全滅の報の後、生き残っていた兵士級BETAに軍曹が襲われた」

 

 キョウスケは起こった出来事を事細かに夕呼に話した。

 広場跡でうな垂れていた武の事。彼のことを励まそうとしていたまりもの事。その場に自分もいた事や、BETAに襲われ失血死寸前のところをG・Jに救ってもらった事……淡々と、キョウスケは夕呼に伝えていく。

 

「そう、アンタには礼を言わなくちゃいけないわね」

 

 ポツリとつぶやいた夕呼だったが、その顔はキョウスケの方を向いていなかった。

 

「……礼ならG・Jに言ってくれ。俺1人ではどうすることもできなかった」

 

 キョウスケも夕呼に顔向けできなかった。

 あの場にG・Jが駆けつけていなければ、まりもの出血を止めるどころか、自分もBETAに喰われて死んでいたかもしれないのだ。

 あの時の危機的状況は潜り抜けた。だが全てはまだ終わっていない。居心地の悪い張りつめた沈黙の中、時計の針の音だけが妙に大きく聞こえていた。

 

「でもアンタのお蔭で、まりもは即死だけは免れたわ。例えそれが細い糸のようなものだったとしても、アンタは希望を繋ぎとめてくれたのよ……ありがとう」

 

 キョウスケと夕呼の会話はそれからパッタリと止まった。

 口を開いて、何かを話すきにもならなかった。気晴らしの雑談や気休めの言葉も欲しくない。2人が欲しいのは朗報だけだった ──……

 

 ………

 ……

 …

 

 10分経過。

 感覚的に1時間にも2時間にも感じられた600秒が過ぎた頃、ノックと共に軍医が待合室の中に入ってきた。

 反射的にキョウスケも夕呼も顔を上げた。目に飛び込んで来た軍医の表情は固かった。

 

「香月副司令」

 

 軍医が重々しく口を開く。

 

「神宮司軍曹に……会わせたい方はいらっしゃいますか?」

 

 軍医の言葉に思考の色が真っ白に染まった。同時に強烈な脱力感。ソファに腰かける自分の体が、鉛か何かに変わってしまったような錯覚をキョウスケは覚える。

 

「……そう」

 

 夕呼は小さく一言を返す。

 

「まりもに ── 神宮司軍曹に親族はいないわ。2年前のBETA襲撃の際にお亡くなりになられている。会いたいと言う人は沢山いるだろうけど、会わせるべきだと、あたしが判断できる人間は……もうこの世にはいないわ」

「分かりました。では状況を説明させていただきます」

 

 軍医が冷たい口調で語り始めた。

 

「神宮司軍曹が集中治療室(ICU)に入ってから、我々もできる限りの手を尽くしました。失った血液を補充するための輸血に血液製剤を使用、血圧を維持するために複数の強心剤の類を投与し、呼吸を助けるため挿管し、人工呼吸器に繋ぎました。

 それらの処置で、一時的に回復の兆しがみられましたが、軍曹はすぐにショック状態になってしまいました」

 

 ショック ── 医療におけるその言葉は、一般人が心に衝撃を受けた際に使われる言葉とはまるで意味が違う。

 人間は心臓の動きによって血液を送り出し、それを介して栄養や酸素の運搬を行い生命を維持している。脳や、肝臓や腎臓などの重要な臓器、その細胞レベルまで血液が行きわたることで人間は正常な生命活動を続けることができる。

 しかし何らかの理由で血流が妨げられ、必要な量の栄養や酸素が行きわたらなければどうなるか? ゆっくりと、あるいは急激に人間の体は機能不全に陥っていく。

 全身の血液循環が生命維持に必要な絶対量を下回り、重度かつ生命の危機に直結する状態 ── ショック。

 このままでは、まりもの命は助からない。

 軍医はそう言っているのだ。

 

「原因は……おそらく敗血症のようなものだと思われます」

「敗血症……? 菌に体が犯されるという、あれか?」

「肯定です」

 

 キョウスケの言葉に軍医が頷く。

 

「神宮司軍曹はBETAに腕を一噛みされています。その傷口からBETAの体液なり保有していた菌なりが体内に侵入、それが悪さをしていると推測できます」

「……ではその菌を駆逐すれば……?」

「南部中尉、我々も血液がその菌を同定しようとはしているのです。が、上手くいかない……というよりも、我々の知らない菌が軍曹の血液からは検出された。考えられるありとあらゆる抗生物質を投与していますが、効果は保障できません」

 

 軍医の表情からは悔しさが滲み出していた。

 

「これまでも、同じ症状で亡くなった人間は沢山いたのかもしれない。ですがBETAに片腕を喰われるような状況から生還し、病院まで辿りつけるケースは稀です……残念ですが、有効な治療を行うためのデータが圧倒的に不足しすぎている。

 我々も全力は尽くしますが、必ずお助けすると……お約束することはできません」

「そう」

 

 夕呼は普段と変わらぬ声色で、状況を理解したと応えていた。

 

「それで、あたしたちは神宮司軍曹に面会できるのかしら?」

「はい。ご案内いたします」

「ありがと。南部、行きましょうか?」

「……ああ」

 

 夕呼に従いキョウスケは待合室のソファから腰を上げた。

 重い。

 腰が、膝が、足首が重い。座っていれば辛い現実を見ることもないだろう……だとしても、キョウスケは重くても立ちあがらなければならなかった。

 

(……軍曹の姿を見届けなければな……!)

 

 重い……けれども、それでもキョウスケは腰を上げる。

 後悔しないために腰をあげる……それが正しいことかどうかは分からなかった、が……そんなとき、声が聞こえた。

 

「── なせ ────!!」

 

 待合室の外から声が聞こえてくる。聞き覚えのある男の声だ。

 キョウスケたちは軍医の後を追い、待合室から集中治療室へと繋がる廊下へ出た。

 

「── 離せよ!! まりもちゃんはッ、まりもちゃんは何処だよ!? どうなってるんだよ!?」

「武……?」

 

 大声を上げ、廊下で騒いでいたのは白銀 武だった。若い男性看護師2人に両腕を掴まれている。力任せに振り払おうとする武に、看護師たちの表情は険しくなっていった。

 キョウスケの声に武が気づいた。

 

「き、響介さん! それに夕呼先生も! こいつら、どうにかしてくれよ!! 俺はただッ、まりもちゃんが運び込まれたって聞いて、居てもたってもいられなくって……!!」

「白銀、静かになさい」

「でも……!!」

 

 凛と言い放った夕呼の声も、熱くなっている武には届かなかった。

 駄々をこねる子どものように、武は言いたい事だけを言い続ける。

 

「まりもちゃんは……まりもちゃんは、落ち込んでた俺を慰めてくれてただけなんだ! それがどうしてあんな事になるんだよ!? 理不尽だよ!! くっそ、離せよお前ら!! 殺すぞ!!」

「白銀」

「夕呼先生も言ってくだ ──」

 

 武の言葉を、夕呼の手から響いた乾いた音が遮った。

 平手打ち ── 夕呼にはたかれた武の頬が赤く染まる。

 武は何が起こったのか理解できなかったのか、目をぱちくりさせ呆然としていた。

 

「ここは病院よ。静かになさい」

「は、はい……」

 

 うな垂れて、か細い声を絞り出す武。夕呼は歩いて彼の傍を通り抜け、もう振り返ることはなかった。

 

「南部、行くわよ……そのガキの事はアンタの一存に任せるわ」

「分かった……先に行ってくれ。すぐに行く」

 

 夕呼は、そう、とだけキョウスケに返し、軍医に連れられて集中治療室の扉を潜っていった。

 キョウスケの前に居るのは放心状態の武と、彼を押さえつける男性看護師が2名だけだった。

 

「離してやってくれ。もう暴れることもないだろう」

「は、はい、分かりました」

 

 看護師はキョウスケに言われるまま武の手を離す。

 力なく突っ立っているだけの武を尻目に、看護師たちは自分たちの戦場である集中治療室へと戻って行った。

 夕呼は武の事を自分に任せると言う。

 慰めの言葉を言うべきか? いや、違う。では、労いの言葉をかけるべきか? それも違う。自分の足で立ち上がれない者が、命のやりとりをする戦場で生き残れる筈がないのだから。

 キョウスケは心を鬼にして言う。

 

「武 ── 軍曹に会うかどうかは、お前が決めろ」

「響介……さん……?」

「今、お前の前には選択する権利がある。良く考えて選び、自分で決めろ。その結果がどうあれ、他人のせいにはせず、全て自分で背負っていけ……それが生きるということだ」

 

 キョウスケは大きく深呼吸し、ゆっくりと最後の言葉を口にする。

 

「俺は軍曹に会う。今、彼女は必死で戦っている。その姿を目に焼き付けるために」

 

 言い終えると、キョウスケは武に背を向け、軍医たちが向かった集中治療室へと足を運ぶ。

 武はしばらく無言のまま動かなかったが、キョウスケが集中治療室の自動扉を潜ったあたりから、背後を靴の音が追って来ていた。

 武も決めたのだろう。神宮司 まりもに会うことを。その選択が正しいのか、間違っているのか……それはきっと神にだって分からない ──……

 

 

 

      ●

 

 

 

【16時25分 横浜基地医療施設 集中治療室内】

 

 ……── キョウスケたちが踏み込んだ集中治療室では、地獄のような光景が繰り広げられていた。

 

 一つのベッドの周りに人の壁ができ、怒声が飛び交う。戦闘中の前線司令部さながらの緊迫感には気圧されるものがあった。

 軍医が集まり姿は見えないが、あの人垣の向こうにまりもは寝かされている筈だ。

 枕元以外にも、離れた位置からバイタルサインを確認できるように、天井から吊り下げ型のモニターが設置されていた。

 赤い文字、青い文字、緑の文字……色分けされた数値や波形には意味があるのだろうが、医療の世界に疎いキョウスケにはすぐには理解できない。

 しかしまずい状況に置かれていることだけは、すぐに理解できた。まりもを軍用車で移送していたときに、心拍数をあらしていた緑色の文字に数値が表示されず、波形が小刻みに揺れていた。

 

「心室細動だ! 除細動器を用意しろ!」

「出力150J! 放電します、離れてください!」

「自分よし! 周りよし!」

 

 施行者を覗き軍医が離れたため、一瞬、まりもの姿が見えた。

 処置のため服は脱がされ、胸に除細動用のパドルを当てられている。口には大きなストローのようなチューブが突っ込まれ、それが大きな機械につなげられていて、首には4つ又の点滴が挿入されていた。

 

「除細動、いきます!」

 

 軍医の宣言の直後、まりもの上半身が跳ね上がる。

 しかしそれも一瞬だけで、力なくベッドに倒れ、周りを軍医が囲み再びまりもの姿は見えなくなった。モニターに表示されていた心電図は数字の0を指し、基線は綺麗な横一本線 ── 心停止と呼ばれる状態だった。

 

「ま、まりもちゃん……?」

 

 キョウスケの隣で武がひとりごちしていた。

 

「嘘だ……こんなの嘘だ……何なんだよ、この状況……誰か説明してくれよ……!」

 

 武の慟哭に、キョウスケだけでなく誰も応えてはくれなかった。ただ黙ったまま事態を見守るしかできなかった。

 人間は血流が途絶えれば、ものの数分で脳の機能が停止する。心臓が止まってポンプとしての機能が果たせないなら、外から力を加えて無理にでも血液を送り出し続けないと死んでしまう。そのための心臓マッサージが続けられていた。

 軍医たちが交替しながら、まりもの胸を押し続ける。首の4つ又の点滴ルートには本管以外にも、側管から無数のルートが絡まりあい、様々な薬が既に使っているのが素人目にも分かる。心臓マッサージを始めてどれくらい経過したかを計測する係がいて、係が告げるたびにマッサージを中断し、まりもの心拍が戻っているのか確認する。

 

 10分が経過した頃、まりもの心臓の動きは戻っていなかった。

 心臓マッサージは続けられる。

 機械で息を助けるために入れられている口の管 ── その中から血が溢れだしていた。

 

(……折れた肋骨が肺を突き破ったか……)

 

 だとしてもキョウスケには軍医たちを責めることはできなかった。彼らは必要な組成処理を行っているだけなのだから。

 独り言を言っていた武は黙ったままその光景を眺めていた。目を背けたくなるような光景だったが、キョウスケは夕呼同様に静かに見つめる。

 20分が経過した。心電図の数字は0を示したまま変わらない。蘇生処置は継続される。

 状況が一向に変わらないまま30分が経過した頃、

 

「もう、いいわ」

 

 重々しい空気の中、夕呼が口を開いた。

 

「もう、休ませてあげて」

「ゆ、夕呼先生……な、何言ってるんですか!?」

 

 武が血相を変えて夕呼に掴みかかる。

 

「まりもちゃんはまだ生きてる! まだ助かるんだ!! そうだろ!? なぁ、響介さん!? 医者の先生たち!?」

 

 悲壮な武の叫びに軍医たちは答えない。

 キョウスケも答える言葉を見つけることができなかった。

 その様子に武を顔を紅潮させ、激高する。

 

「── なんとか言えよ!!」

「……残念ですが……」

「そんな言葉聞きたくねぇ!!」

 

 やっとの事で出てきた軍医の言葉にまで武は噛み付いた。

 しかし軍医たちは心臓マッサージを止め、ペンライトをまりもの瞳に当てた。脳が無事で反射機能が無事なら、目に差し込んだ光に反応し瞳孔が収縮するからだ。

 次に軍医はまりもの首に指を当てる。脈を計るためだ。心臓が動いていなければ当然脈拍はなく、息は無理やり機械で押し込んでいるモノ以外に自分で行っている呼吸が確認できなかった。

 キョウスケは知っている。それは医師が患者の死亡を確認するために行う、ごく一般的な確認行動だった。

 

「……12月10日17時03分、神宮司 まりも軍曹の死亡を確認しました」

「うるせぇええ!! それ以上言うんじゃねえ!!!」

「武、落ち着け」

「これが落ち着いていられるかよぉ!!」

 

 キョウスケは興奮して暴れ出そうとする武を押さえつけた。

 鼻息を荒くする武の気持ちは分からないでもなかったが、ここで暴れても仕方ない。そう、仕方ないのだ……事実は受け止めなければならない。

 それが受け入れ難い事実でも……受け入れなければ生きてはいけない。

 叫ぶ武の姿が、キョウスケの中で既視感(デジャヴ)する。

 かつて、自分も同じ感情に襲われたような ── 夢の中で絶叫していた自分の姿が脳裏を一瞬よぎり、何とも表現しがたい感覚にキョウスケを襲われた。

 悲しい。

 嘘だと騒いで事実が変わるのなら、形振り構わず泣き喚きたい気分に駆られるが、

 

(……軍曹は……死んだ……)

 

 自分に言い聞かせるように、キョウスケは武に言っていた。

 

「……戦場では人が死ぬ。今回はそれが軍曹だった、それだけの話だ……」

「ふっざけんなよぉ!!」

 

 武が怒り狂い、キョウスケを殴り飛ばしていた。

 頬に衝撃が奔り、鋭い痛みの後に鈍い灼熱感がキョウスケを襲う。歯で頬の内側が切れたのか血の味がし、殴られたという実感はあっても、怒りが沸き上がってくることはなかった。

 

(俺は……なんて言い方をしてしまったんだ……)

 

 後悔の念がキョウスケの中を走り抜けていった。

 キョウスケは人づきあいが得意な方ではない。思い立ったことを口にするだけで円滑な人間関係を築ける人たちも世の中にはいるが、キョウスケはその正反対に位置する人間だった。

 自分自身に対する言葉が他人に良いとは限らない。

 分かり切っている事を、反射的にキョウスケは言葉にしてしまっていた。

 

「響介さん、アンタがそんな事言う人だなんて思わなかった……!」

 

 武が親の仇でも見るような視線をキョウスケに向ける。

 

「やっと分かった! 俺とアンタは違う……! 俺はアンタとは違う! 平和な日本に生まれて育った俺と、世界を救うために敵を殺し続けたアンタじゃ……違い過ぎる……! 最初から違い過ぎたんだ!」

「た……武……?」

「こんな世界……もう嫌だ……!」

 

 武は泣いていた。両頬を涙が伝い、瞳を通して感情が溢れ出している。

 

「俺は……帰る! こんな世界……俺のいるべき世界じゃない……!」

「好きにすれば?」

 

 夕呼の冷たい言葉が武に突き刺さる。

 

「逃げたければ逃げればいいわ。アンタにはその選択肢があるんだから……背中を見せて逃げ回ってなさい、この根性なし」

「う……うぅ……!」

「地下の装置、好きに使いなさい……もう必要ないものだから」

 

 地下の装置 ── 武やキョウスケを並行世界に移動させた転移装置のことだ。

 転移装置を使って元の世界に帰れ ── 武の正体を知っているキョウスケにとって、それは武に対する死刑宣告にしか感じられなかった。

 この世界には3つの因子集合体がいる。

 1つは自分 ── キョウスケ・ナンブ、そして愛機のアルトアイゼン・リーゼ。

 最後の1つは目の前で泣いている白銀 武だ。

 因子集合体はあらゆる世界からオリジナルの要素を抽出して構成されている。抽出 ── 純粋な転移ではなく、オリジナルとは別のオリジナルに究極に近い複製 ── 因子集合体とは別に、オリジナルの存在は元の世界で生き続けている。

 転移装置を使って帰還しても、微妙にズレタ複製がオリジナルの生きている世界に無理矢理割って入るようなもの ── 武が元の世界に逃げても、そこに間違いなく武の居場所はなく歪みが生じてくる。

 帰ったとしても、あのときのキョウスケのように絶望を味わうだけだろう。

 それを知った上で夕呼は武に言っていた ── 逃げたければ逃げろ、後は知らない……と。逃げ道があると感じられる内はまだ幸せなのかもしれない。

 だが経験者として、キョウスケは武に手を差し伸べたい気分に駆られた……が、

 

「もう……俺は用済みってことかよ……?」

 

 人を1人、2人殺したぐらいでは収まりそうにない怒気を武は放っていた。

 

「言葉が悪いわね。好きにしなさい、と言っているのよ」

「くそっ……くそっくそぉ! どうかしてやがる、この世界の人間は全部!! もういい! 俺は帰る! 元の世界に帰ってやる……!」

「待て……ッ、武!」

「俺に触るな……ッ!」

 

 武は止めようとしたキョウスケの手を叩き、集中治療室から駆けだしていた。

 出入り口の自動扉が閉まり武の姿が見えなくなる。

 叩かれた右手のしびれが自分の無力さを痛感させる。まりもを護れず、武には拒絶された。本来なら武を追って止めるべきなのかもしれない。しかし体が鉛にでもなったような重たい気分のキョウスケには、どうしても武を追うことができなかった。

 まだしびれている右手を、キョウスケはぐっと握りしめた。

 

(……また(・・)、なにも掴めなかった……)

 

 握りしめた拳から大切なものが抜け落ちてしまったような ── 強い喪失感がキョウスケを苛んでいた。

 黙ったままのキョウスケを尻目に、看護師が夕呼に近づいてきて言う。

 

「副司令……」

「分かってるわ。綺麗して休ませてあげてちょうだい……すべてが終わったら連絡を」

「了解しました」

 

 まりもの遺体は看護師によって整えられる。口に入っていた管や点滴は全て除去され、身体にこびり付いている血糊を拭き上げ始められる。

 キョウスケたちはそれを見ることは敵わない。

 夕呼と一緒にキョウスケは席を外す……と、

 

「南部、ありがと」

 

 夕呼が感謝を述べてきた。

 

「親友の死に目に会えたのはアンタのおかげだわ」

「……責めないんだな」

「アンタも言っていたでしょう? 戦場で人は死ぬ……今回は偶々まりもの番だった……それだけよ……」

 

 キョウスケは夕呼と一緒に集中治療室を後にする。

 仲間を護れなかった……空虚な脱力感が、風になってキョウスケの胸の中を吹きすさぶ。

 生きている者はいつか死ぬ ── 分かり切っていることを、いつもこの瞬間に再認識する。誰も好き好んで味わいたいとは思わない。けれど避けては通れないのも確かだった。

 

 心を殺して、キョウスケはトライアル襲撃事件の事後処理へと向かう ──……

 

 




がちりがちりと、物語の歯車は狂い始める。
第4部はあと1話だけ続きます。

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