最近ようやく東京ビッグサイトに行った田舎者「りんかい線の大体の駅名って何であんなに意識高いの?」
霊夢に案内されたのは別の山にある神社だった。
「こんなところにも神社ってあったのですね」
「まあね」
答える霊夢の声は低い。それどころか恨めしそうにその神社の鳥居を見ている。
鳥居の近くには「守矢神社」と彫られた石碑が立っていた。
「それにしても同業者を紹介するなんて……大丈夫なのですか?この神社」
ハッキリ言って私は博麗神社しか幻想郷の神社を知らなかった。
そしてその博麗神社のせいで私の中の神社のイメージは赤貧、という悲しいものしかない。
「誠に遺憾ながら大丈夫よ。うちより少し、少―し、少し少し、ほんっっの少しばかり参拝客が多い程度だけど」
つまりそこそこ参拝客がいるということである。
そして、
「ククク、これで奴らに経済的負担を強いらせてやるッ!!」
ということである。ゲスすぎる。全部聞こえています。
霊夢は気合いを入れるため自分の両頬をバシッと叩く。
「むしろ善意に付け込んで私の生活費まで盛り込んだ蒼夏の養育費をもらった方がお得じゃない?」
気合い入れすぎ。目がマジだった。
ずかずかと境内へと突き進む霊夢についていく。
「あれ、霊夢さんじゃないですか。どうしたのですか?鬼みたいな顔して」
境内の掃除をしていた緑の髪の巫女はそこまで言って、何かに気づいたようにハッとして一歩飛び退いた。
「異変とか起こしていませんよ!あと、面倒事はやめてくださいよ」
霊夢の顔を見ただけでこの反応。霊夢の普段の行動は如何なるものなのか。
「安心しなさい早苗。面倒なことは無いわ。……金さえ払えばね」
「それを面倒事と言うのですよ。で、何の金ですか?払う気は毛頭ないですが折角ご足労いただいているので話ぐらいは聞きますよ」
この少女は霊夢のペースに乗せられそうだ。直感でそう思った。
「そう?わざわざご足労させていただいているから御話を聞かせて差し上げるわ」
蛙の髪飾りが特徴的な巫女の営業スマイルが一瞬崩れた。
今さっき掃除が終わったばかりの石段の上に敢えて上がり、ふんぞり返って話す霊夢。確信犯すぎる。
「私ね、今客人を抱えているの。そして、あなたも知っての通り私にはお金がない。そこでこの話に繋がるってわけ。つまりあなたにはこの私から三つのありがた~い選択肢が与えられるの。一つ、私にお金を捧げる」
貸すって単語を使わないのがプロ。
さらに一方的なお話は続く。
「二つ、彼女をあなたたちが養う。」
ちょっと小声だった。そういえば私が霊夢から聞いたのはこの二つだったと思う。
ならば三つめは……。
「三つ、私に全財産を捧げる。勿論早苗一人じゃ微々たるものだからあの二人の財産も含めて、ね」
思いっ切りウインクしながらサムズアップする。
長い静寂の後、緑の髪の巫女は私の方に歩いてきた。
「私は東風谷早苗と申します。あなたも外から来たのですか?」
も、ということは、早苗さんは外から来たということか?
「いや、幻想郷生まれの幻想郷育ち、生粋の幻想郷っ子だよ」
「え、そうなのですか?」
では何故……という視線を霊夢に投げかける早苗さん。
「その人、菅原蒼夏って名前だけど、記憶喪失で名前も私が付けたものなの」
さっきまでのふんぞり返った態度はもう消えていた。
「今異変っぽいものが起こりつつあるの。これは博麗の巫女であるこの私の直感よ」
霊夢が一歩距離を詰める。早苗さんはもう後退ることは無かった。
「早苗、あなたも守矢神社の巫女ならば協力しなさい。さっきの話に拒否権は無い。そして、この話にはむしろ強制権があるわ」
真剣な眼差しで返答する早苗さん。
「異変解決には何も言われなくても協力するわ。蒼夏さんも守矢で預かりましょう。それにしても霊夢さんがわざわざ異変解決を頼みに来るなんて……何かありました?」
「現状ほとんど何もないわ。何もないから問題なのよ。ドンパチやるだけならこんな話はしないわ」
「確かにそうですね。ドンパチやるだけなら私よりも適任の方が何人もいますし」
そんな人たちがいるのか……。さすが幻想郷を力で治めている巫女だ。
しかし何か胸騒ぎがする。言いようのない不安が感じられる。この不安はどこから……。
「まあ霊夢さん、詳しい話はお茶でも飲んでからにしましょう」
「今回の異変っぽいものに関しての具体的なことはさっきの情報が精一杯なんだけど。言われなくてもお茶とお茶菓子とお金は頂いていくわ」
「ちょっと!お金はあげませんよ!あっ、蒼夏さんも。今日からここを自宅の様にゆっくりしていってくださいね」
「いやさすがにそこまでは……。第一、家は里にありますし」
頭の上に疑問符を浮かべる早苗。
「えーと……とりあえずそういう話もお茶を飲みながらにしましょう」
霊夢を先頭に神社の建物、神社の建物の名称に疎い私には何と呼べばいいのか分からないが兎に角人が居住している建物の中へと入っていく。
その途中に小さな言葉が聞こえた。
「やっぱり幻想郷のことはさっぱり分かりません」
まあ当然といえば当然のことだ。
「大丈夫。幻想郷育ちの私も何が起きたのか全然わからないから。何ならこの神社は別に記憶喪失じゃなくても知らなかったぐらいだから」
霊夢も続ける。
「全貌がすぐに掴めたら異変なんてもう収拾がついているわ。まあ、あの隙間ババアはもう何かに気付いているんじゃない?」
隙間ババア?誰それ。やっぱり幻想郷はさっぱりわからん。
私がお手上げ状態になっていた横で、早苗はうんうんと頷いている。
「紫さんなら絶対何か知っていますよ!お茶用意したら来ますかね?」
紫?聞いたことがあるような、無いような。
紫という人物を思い出そうとした時、激しい頭痛がした。
顔を顰め立ち止まった私に気付いた二人が振り返る。
「もしかして何か思い出した?それにしてもアイツが一枚噛んでいるなら事態は厄介なことこの上ないわね」
「大丈夫ですか?」
紫という人物について考えることを止めると痛みも引いて行った。
「あぁ、何か急に頭痛がしてね。でも、変だよね。私は紫って人とあったことがない。それでも何か引っかかるんだ。噂を聞いたって覚えも無いし……」
そうこうしている内に一部屋の和室に着いた。よく考えたらこの神社、博麗神社よりも広い。
お茶とお茶菓子を持って早苗が戻って来た。
この場の人数よりも一人分多い。
「絶対紫さんを呼んだ方が良いですよ。お茶も用意しましたし、それで……」
答える声は低い。
「蒼夏の様子を見るにあの隙間ババアは意図的にこの件に一枚噛んでいるわ。だからアイツは多分来ない。それでなくてもアイツが私たちに助言をすることは滅多にないわ。……自分に害が及びそうになると有無を言わさず面倒事を押し付けてくるのにね」
「じゃあ、思い出そうとすると頭痛がするのは、その紫って人のせいということですか?」
「多分ね。あなたはおそらく記憶を失う直前にアイツにあっているはずなの。そしてアイツはその程度の記憶しかいじっていないはず。だから記憶喪失の前日のことは覚えていたのよ。家の位置とかもね。名前は……弊害を受けただけって感じ?」
重い空気が漂う部屋の外で、ペタペタという軽快な足音がした。
そのまま障子が開かれる。
「あれー?霊夢じゃん。何してんの?」
何も答えない霊夢の姿にその少女は答えを見出したらしい。
「金は絶対やらないからな!貸すなら……最低でもトヨンな」
トヨン?少女というよりも幼女に近い子の口から出ていい単語じゃないよ。
「うえ。あんた本当に神様?慈悲もクソも無いじゃない。マイナス金利以外は願い下げよ!」
霊夢さん、それ実質「借りる」じゃなくて「もらう」だから。
この人たちの会話の次元がちょっとついていくのを放棄したくなるほどの下世話なレベルになった頃、誰かに袖を小さく引っ張られた。
「霊夢さんと諏訪子様のやりとりに出てくる単語が少し難しくて分からないのですが……」
外の世界がどんなものかは知らないが、多分こんな清純な娘には縁遠い話なのだろう。
小声で説明する。
「ええと、トヨンっていうのはこの辺の金融業者がたまに使う単語で十日で四割の利息が付くって言う意味なの。そうとう悪質な業者じゃないとやらないけど」
「悪質……」
げんなりとした目で諏訪子という人を見る早苗。
「霊夢の言っているマイナス金利はもはや論外だよ。踏み倒し続けたら元が取れるという次元を超えるからね。まあ、金利の掛け方次第で元を取るまでに何年掛かるかは分からないけど」
「それ借りる気ないじゃないですか」
霊夢の方もげんなりとした目で見る早苗。
「まあそういうことだろう」
「お前に金を貸すときはネズミ算式にすることにして、霊夢、今日は何の用だい?」
ただの鬼畜だ。
霊夢は涼しい顔で答える。
「あんたに金を貰うときにはあんたの弱みを握ってネズミ講的に私がお金をもらえるように仕向けるとして、今日は頼み事をしに来たの。あっ、一人五人がノルマね。良心に満ちた私の出血大サービスよ」
更なる鬼畜だった。少なくとも頼み事をしに来る人の態度ではない。
頼みごとの件は一段落ついている故の余裕か?
「ふうん。んで、その如何にもブラックって感じの頼み事って何?気が進まないけど」
ん?受けることが前提なのか?
「私の所じゃ他人を養うことは出来ないからね、そこの菅原蒼夏って子をここで養って欲しいの」
やっぱり誇らしそうに言う。全然誇ることじゃないですよ。
諏訪子と呼ばれた蛙のような帽子が特徴的な幼女の神様がこちらを見る。
始終ほんわかとしていたが、一瞬、ほんの一瞬だけ私の全てを値踏みするかのような鋭い眼つきになった。
それを見た私の表情は無意識に強張ったのだろう。
その表情を見て、彼女はニヤッと笑った。
「私、洩矢諏訪子って言うの。ま、何て呼んでくれてもいいよ。外の人なのに少しはやるみたいだね」
さっきのは私を試していたということだろう。
「菅原蒼夏です。ええと、ケロちゃんって呼んでも良いですか?あと、外の人じゃないです」
「ケロちゃんって。私もそれ採用」
霊夢が爆笑している。
「私の心はうちの神社と同じで広くて豊かだから特別に許してあげるわ」
この一言で霊夢の笑い声は止まった。
「やんのか?ケロちゃん。やんのか?んん?」
「さっきも言ったでしょ?私は心がこの守矢神社のようにあんたのとこの神社よりも何倍も広くて豊かだ、って。だからあんたが望む限り何回でもお手合わせしてあげるわ」
一触即発……と言いたいが、もう額がくっついている。
「言わせておけば、好き勝手言いやがって……手合せを乞うのがあんたになるのも時間の問題だ、ってことを再認識させてやるわ」
「事実をピンポイントで突くと武力に訴えることしか出来ないなんて貧相ね」
早苗はすっかりオロオロしている。
このまま成り行きを見守るのも良いけど、原因の根本が私にあるのは事実なので、そろそろ止めた方がいい。
二人の方に近づこうとした時、また障子が勢いよく開いた。
「お前ら朝っぱらからうるさいんだよ!少しは静かに出来ないか?ああ?」
入って来た大柄の女性は二人にアイアンクローをかけて強制的に黙らせた。
そこで何かに気づいたようだ。
「ん?霊夢か。何故こんなところに」
気付いても止めない。それよりも誰か分からない人にとりあえずアイアンクローをするのがもうヤバい。何がヤバいって、あの二人よりバイオレンス路線でヤバい。
「おい、質問に答えないか。今更過ぎるが失礼な奴だな」
霊夢は返事をしない、というより出来ない。
長身の女性は溜め息を吐いてケロちゃんに尋ねる。
「諏訪子、説明しろ」
帽子を使ってアイアンクローから逃れたケロちゃんは淡々と説明する。
「ただお願いに来ただけだよ。そこに居る蒼夏ちゃんをうちで一時的に預かってほしいんだってさ」
霊夢を手から放しつつこちらを見る女性に挨拶をする。
「菅原蒼夏と申します。勿論ただで居座るつもりは有りません。よろしくお願いします」
「殊勝な心掛けだな。大方そこの神社では養えないということだろう?」
霊夢は頭を擦りながら睨みつつ小言を漏らす。
「嫌ならその娘と私の養育費を払ってくれればいいのよ」
その女性はフン、と鼻で笑って、また私の方に向き直る。
「おっと、自己紹介が遅れたな。私はここ守矢神社の神、八坂神奈子だ。これからよろしく頼む」
私もここの神様だよー、とケロちゃんが付け足している。
「ところで霊夢、お前のところに養わねばならない人物が来ているということは何かしら異変でも起こっているのだろう?私が来客を追い払っているように聞こえるからあまり言いたくはないが……どうせ元の家に蒼夏を帰すことが最終目的なのだからこの際聞かせてもらおう」
そう大仰に前置きしておいて言葉を続ける神奈子様。
「博麗の巫女たるお前から見て、私はどのくらいこの娘を預かればいいのかね?ま、何日でも構わんのだがね」
数秒俯いていた霊夢は顔を上げ、目を細めてから言った。
「私よりもよっぽどあの隙間ババアの方がよく知っていそうだからそっちに聞いて」
答えが予想外だったのか少し目を見開く神奈子様。
「ほう?……つまり、蒼夏には奴が関係しているという認識でいいのだな?」
霊夢は呆れ声で返す。
「ええそうよ。蒼夏が八雲紫のことを思い出そうとするだけで激しい頭痛に襲われるほどに、ね」
その言葉を受けて何かを考え込む神奈子様。
「ふむ……奴に直接聞いても良いが……私はあの、おばあちゃんの知恵袋が好かぬのだよ」
やたらと「おばあちゃん」というフレーズを強調している。
一瞬空間を切り裂いた何かを素手で払い、勝ち誇った笑みを浮かべる神奈子様。何か超カッコイイ。
「はあ、元からほとんど当てにしていなかったけど、もう絶対助言は得られないわね。私はもう帰るわ。まずは異変の調査からね」
「ふむ。ではまたな」
私と早苗とケロちゃんは外まで見送りに行った。
霊夢を見送ってしばらくの間、私は掃除などの雑務をしていた。
二時間ぐらい経ったところで早苗が声を掛けてきた。
「お疲れ様です。ところで私、里への買い物に行くのを完全に忘れていました。いつも荷物が多いので手伝ってくれませんか?」
何だそんな事か。
「当たり前だよ。それに里は私の庭みたいなものだしね」
「あっ、そういえばそうでしたね」
忘れていたのか……。
「そういえば諏訪子様も神奈子様もきっと蒼夏さんが外の人だとおもっているはずですよ。夕飯の時に説明しておきましょう!」
「あー、そうだったね。ってことは買い物は食材関係か」
かなり狼狽えている早苗。何があったのか。
「蒼夏さん!私買い物の内容を言った覚えがないのですが何故当てたのですか?もしかして霊夢さんの影響を受けて直感がよくなったとか……」
「いや、それはない。夕飯って聞いて連想しただけ。私が食材の消費量を増やす要因になっているのもあるし」
早苗は私の自虐を宥めるように目を閉じ、ゆっくりと話した。
「うちは冗談でも霊夢さんへの挑発でもなく経済力はそこそこあるのでお気になさらず」
早苗が支度を終えてから、里に向かって飛び始める。
「ってアレ?蒼夏さん飛んでいますね。幻想郷の人間って皆飛べるのですか?凄いところですね、幻想郷は」
早苗の中で幻想郷の一般人が皆スーパーヒーローみたいになってしまっては困る。
「いや、飛べる人は少ないよ?」
「あっ、良かったです」
そんなやり取りをしながら桜並木の上を飛ぶこと約十分。そろそろ里か、というところで誰かの悲鳴が聞こえた。
思わず早苗の方を見る。
「早苗!」
意を決したように頷く早苗。
「行ってみましょう!」
今までののんびりした速度とは打って変わってかなりのスピードで悲鳴が聞こえた方向へ飛ぶ。
里と森の間の開けた場所に一人の人間が五人の天狗に襲われているのが見えた。
こんな開けた場所で白昼堂々と……知性が少しでもあるならやらないはずだ。
このように妖怪退治に駆けつける者が来る確率が高くなるのだから。
襲われている人を庇うようにして着陸する。
「あなたたち!何をしているの!」
問い詰める早苗の声は鋭い。
しかし天狗たちは動じなかった。知性は無くても自信はあるのか?
それとも両方あるのか?少なくとも片方は無いとこんなことをせずに縄張りに籠っているはずだ。
天狗たちを見れば折れた刀を持っている奴や、翼に痛々しい穴を開けた奴もいる。
この人がやったというのか?
しかし、襲われていたように見えた人は何も装備を持っておらず、非力そうに腰を抜かして倒れこんでいる、という風にしか見えなかった。幸いにも傷一つ無かったことを考えると、あと一分でも私たちの到着が遅ければ天狗たちに食われていただろう、という感じにすら見える。
ならば前に誰かと闘った、ということだろう。
それにしても翼に穴が開くほどの争いとは昨今では珍しい。こいつらがその戦いの勝者なのか敗者なのかは分からないが手負いだからといって気を抜いてはいけない。
むしろ奴らの怪しく、そして鈍く光る赤い眼がそれを許さない。
妖怪退治歴7年とすっかり妖怪退治が板についてきた私の勘が、こいつらは普通の天狗ではない、と告げている。
「早苗。そこの人を連れてここから離れて」
「そんな、私は守矢の巫女です!妖怪退治が本分です。それに蒼夏さんは今は私たちに養われる身、お願いですからここは私に任せてその人を連れて離れてください!」
「養われているお返しに力仕事を引き受けるって言ってるの。神社のこととか家事とかは得意じゃないし」
「それは別の力仕事でやってもらうから、とにかく今は私の方が権力が上だから私の言うことをきいて!」
そうこうしている内にも五人の天狗はじりじりと包囲するように動いている。
後ろまで回られるとこの人を逃がすことが出来ない。
「わかった。すぐ戻って来る」
早苗はもう集中しているらしく、目を閉じ、独り言を呟いている。
「私は守矢の巫女。霊夢さんからも異変解決を手伝ってくれと言われているし……」
目を見開いた早苗は叫びながら弾幕を展開した。
「あなたたちぐらい、私一人で十分よ!」
私はその言葉を聞きながら空を全力で飛んでいた。
ここから人里まではそう遠くない。二分あれば折り返せる。
危うい自信だ、そう言わざるを得ない。確かに早苗なら天狗の五人など相手にならないだろう。手負いなら尚更だ。
しかし、しかしだ。今回の天狗は何かが違う。だから嫌な予感がする。
助けた人のお礼への対応もそこそこに、全力で来た道を引き返す。
引き返す道中でも天狗たちのあの異様な狂気じみた赤い眼が思い出された。
早苗は戦場を空中に移していたようだ。
急いでいるがこのまま突っ込んでもあまりに芸がない。
そう判断した私は、早苗たちが戦闘している場所よりも上空へと向かった。
やはり一対五は厳しいものがあるようだ。それでも早苗は既に一人を倒していた。
早苗の死角に陣取っている奴目掛けて急降下する。
天狗の手が早苗に触れる直前に、その手は空を切って地上へ叩きつけられた。
「糞っ、もう帰って来たのか」
天狗は必死に体を動かしているが逃がすわけにはいかない。
「あなたたち、こんなことをしたからにはちゃんとそれ相応の報いを受けてもらいますよ?」
かなり念を押すように言ったが、天狗の眼は揺るがなかった。
「下級天狗の割には肝が据わっているのね。大体の奴は涙ながらに赦しを請うというのに」
威勢よく天狗は返す。
「あ?恐怖なんてなぁ、母胎に……あれ?どこに置いてきたんだ、俺は……」
何かがおかしい。こんな大事そうな台詞に躊躇うとは。
普通バシッっと言い切るところだろう。
「俺はどこに……いや、俺は……誰だ……俺はあああぁぁぁッ!!」
叫ぶと同時に奴の眼が一層強く光った。
そして奴の体にありえないほどの力が漲った。
「やばっ」
私の行動は迅速かつ的確だった。
弾幕を撃ち込み、戦闘不能にしたのだ。
今はこちらに絶対的なアドバンテージが有ったが、他の四人を相手する時にはもうそんなアドバンテージはない。
あの三人もさっきの奴のように力を隠しているとすれば戦局は一気に困難極まるものになる。だから早急に片づけなければならない。
見上げると、早苗が天狗たちに何かを言い聞かせている。
「いい?あなたたちはこのままでは許されないわ。退治した後、大天狗さんに報告させていただきます!それを踏まえて省みることね」
天狗たちは何故か一様に戸惑ったような表情をして動きを止めた。
あの顔……どこかで……。
数秒後に溢れ出した膨大な魔力を感じ、数分前のことすら思い出せなかった自分を叱責した。
「大天狗?誰だ……いや、俺は何なんだッ!!」
一人が叫んだ時、私はまだうじうじ自分の出自について考えている奴に飛び掛かった。
そしてすぐさま戦闘不能にまで追い込む。
「蒼夏さん、どうして帰って来たのですか!」
そう言っている早苗に折れた刀を持った奴が襲い掛かる。
この距離では間に合わない。
「早苗、後ろ!」
折れた刀は早苗から少し離れた場所で止まった。結界で防いだようだ。
「何?この力……?」
その結界は二秒と持たず崩れ去った。弾幕を撃って対応しているが、相手も弾幕で応戦している。
それにしても、あの弾幕の量といい、スピードといい、その辺の下級天狗の弾幕ではない。
そして久しぶりに見た。相手を殺す気の、殺すための、弾幕。
早苗の後ろを取ろうとしている奴の進路を妨げるように動く。
当然、相手は弾幕で応戦してくる。
黒味がかかった赤色の弾幕がいくつも体のすぐそばを通っていく。
触れたら容赦なく触れたものを消す、という確固たる意思が私の体を撫でていく。
相手の顔が勝利の確信に歪んだ。その刹那、避けきれない圧倒的物量の弾幕が迫って来る。
「これは避けられないね」
手刀の延長線上に弾幕のエネルギーで形成された刀を出現させる。
そして弾幕を真っ二つにした。
「記憶は消えても、体に染みついたコレは消えないね。安心した」
相手は弾幕が通用しないと見るや、すぐさま刀による攻撃に切り替えた。
恐ろしい判断力だ。
「君本当にただの烏天狗?」
鍔迫り合いになってから聞く。腕力も尋常ではない。そう長くはやってられないが、何も分からないまま倒すのは勿体ない。
天狗はほとんど言葉になっていない声を上げる。
「ただ……?俺……様の……ああああぁぁぁ!!」
物凄い力で吹き飛ばされる。
そこからの追撃も速かった、いや、速すぎた。
速さ故に単調な動きになる。
それがかえって弱点となった。
万全を期した反撃は、されど躱された。当たらなかったと言った方が良いかもしれない。
誰かとの戦いで傷ついていた片翼ではそのスピードを御することが出来なかったのだ。
必殺の一撃を外し、躱した運が良いのか悪いのかよくわからない天狗だったが、数秒後には自分の運の無さに嘆くことになった。
片翼では満足にターンすることが出来なかったのだ。
私がそれを見逃すことはない。
弾幕をばら撒くだけで不幸な片翼の天狗は地に墜ちていった。
地面に落ちた所を確認してから早苗の方を見る。
「くっ……何という力。しかし、負けません!」
早苗は一枚のカードを取り出す。
「秘術『グレイソーマタージ』」
言葉とともに五芒星の形をした弾幕の集合体が現れ、次々と天狗に襲い掛かった。
勝敗は語るまでも無いだろう。
その光景は私の眼に焼き付いた。
これが守矢の巫女の力。いや、東風谷早苗という人間の力の片鱗。
なるほど、これなら早苗一人でも十分だったかもしれない。
「一体どうしてこんなことになったのでしょうか?最近は随分天狗たちも大人しかったのですが」
早苗の疑問はもっともだ。大体あいつらは下級のはずなのに強かった。もし天狗が全員あんな底力を有しているならば、と考えると背筋がゾクッとする。
「これが霊夢の感じていた異変なのかもしれないね」
「今はまだ全容が見えませんね。大天狗さんや神奈子様、諏訪子様とも相談してみましょう。……まあ、今の所は買い物が優先事項です!」
「そうだったね。すっかり忘れそうだったよ」
里で早苗はよく知られている人物のようだった。
気さくに里の人たちと語らう早苗を見ていると聞き慣れた声がした。
「ねえ蒼夏。さっきこっちの方から悲鳴みたいな声がしたって聞いて来たんだけど、何か知らない?」
霊夢だった。かなり急いでいるようだ。
「私と早苗で取り敢えず場を収めたけど、何か変だった。あと、襲われかけてた人も無事で里まで送ったよ」
霊夢は落ち着いたように息を吐く。
「そう。少し遅かったか。……それで、変だったって言うのは?」
「相手は下級の天狗だったけど、途中から暴走して異常に強くなった。暴走した後はまともに喋らなかったから手がかりみたいなのは掴めなかったね」
「よくそこまでしてくれたわね……ってあなた天狗と戦ったの?」
「記憶を一部無くしても、染みついた妖怪退治のやり方は覚えていたみたいでね」
霊夢は少し考え込んだ。そして言い難そうに口を開く。
「あなたにはあまり前線に立って欲しくなかったけれど、あの隙間ババアが関わっていた時点で異変への関与は避けられないみたい。だから、あなたにも異変解決を手伝ってもらうわ」
その言葉が掛けられることを、いつからか私は心のどこかで予測していた。
「うん」
すんなりと肯定できる。その安易さを窘めるように霊夢は言葉を挟む。
「でもね、絶対に無茶はしないで。いい?一般人に何かあれば博麗の巫女としての沽券に係わるからね」
その婉曲的な表現は霊夢らしい言葉だった。
「もう少し素直になった方がいいかもね」
霊夢はそっぽを向いた。
「うるさいわね。愛嬌を振り撒いてちゃ仕事にならないわ」
そう言って笑っていた。
「まあ、こっちでも色々調べてみるけど、よろしくね」
早苗とは会わずに帰って行った。
「霊夢さん来ていたのですね。何か言ってました?」
早苗はもう買い物が終わったらしい。
「さっきの戦闘の話だよ。本格的に異変っぽくなってきたなぁ」
「それ、異変を楽しみにしているように聞こえますよ」
そう言っている早苗は笑顔だった。
「早苗が一番異変を楽しみにしているように見えるなあ」
ひとしきり笑って帰路に就いた時、ふと空を見上げた。
夕焼けに染まった月は、むしろ血に染まったかのように赤かった。
「紫様。それで……今回の異変は今まで通りに行かない、というのはどういうことでしょうか?」
藍の質問にそっけなく答える。
「私の勘よ。根拠はそこにあるわ」
紫の視線の先には泰然と座る縫暦がいた。
「ハハハ、どうも。根拠様だ」
藍は困り果ててもう一度紫を見る。
「紫様、もう少し具体的に話していただかないと日々の業務に差し障ります。せめて私に関与する余地があるのかないのかぐらいは言って欲しいものです」
紫は自身の式神の質問を丸々受け流した。
「で、どうなの?」
溜め息を吐いてから縫暦は答える。
「藍には悪いが出番はない。日々の仕事に努めてくれ。だが紫。お前には特別に役を用意してやったぞ。……まあ、さっきのように神奈子にちょっかいを出しに行くのは役の内に入っていないが」
「そう?やっぱりおばあちゃんの知恵袋は偉大ねぇ」
「そうだな。私よりもよっぽど長生きのおばあちゃんの知恵袋のおかげで安定した役を創れるわけだ。感謝せねばな、おばあちゃん?」
一触即発の空気の中、もう関わりがないという確信を得た藍は一人でお茶を啜っていた。