【完結】Fate/stay nightで生き残る   作:冬月之雪猫

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第八話「――――投影、完了」

 昨日に続き、土蔵で目を覚ました。外に出ると、案の定、道場から竹刀の音が響いている。覗き込んでみると、セイバーとアーチャーが稽古の真っ最中だった。

 

「……あれ?」

 

 ジッと眺めていると奇妙な違和感を覚えた。

 セイバーの動きが格段に良くなっている事にも驚いたが、それ以上にアーチャーの動きに驚いた。

 アーチャーが戦う姿を士郎は二度目撃している。一度目は学校。二度目は衛宮邸。そのどちらにおいても、彼は常に双剣を握り、戦っていた。その卓越した剣捌きを見るに、アーチャーにとっての最強はあの双剣を使った戦い方の筈だ。

 にも関わらず、アーチャーは今、竹刀という長刀を完璧に使いこなしている。ただ、扱えるだけ、という感じじゃない。そう戦い方こそが自らの最強なのだと謳うかのようなずば抜けた剣技を披露している。

 けれど、それはおかしい。アーチャーにとっての最強はやはり、双剣による戦い方である筈だ。あんな風に真っ向から敵を切り裂く清廉な剣はむしろ――――、

 

「……セイバーの剣技?」

 

 そうだ、自分は一度、あの剣技のオリジナルを目撃している。バーサーカーとの戦いの折に令呪を使ってセイバーが引き出した霊魂に蓄積されているアーサー王の剣技だ。

 どうやら、アーチャーはその剣技を模倣して見せる事で、セイバーに最適な剣技を覚えさせようという魂胆らしい。

 けれど、解せない。幾らなんでも、たった一度見ただけの剣技をあそこまで完璧に模倣出来るものだろうか? それこそ、俺なんかじゃ一生を修練に費やさなければ到達不可能な領域の業だ。士郎は思った。

 仮に一回見ただけで完璧に模倣して見せたと言うのなら、如何に英霊とはいえど、常軌を逸している。それこそ、剣聖と呼ばれる程の剣豪クラスの技量が必要な筈だ。だが、そんな英霊がセイバーではなく、アーチャーとして召喚されるなどあり得ない。究極の剣技を持つ者がその剣技を上回る射撃の名手であるなど、子供の空想レベルだ。

 

「やっぱり、アイツは……」

 

 もう、間違い無い。アイツはセイバーを……、いや、アーサー王を知っている。もしかすると、有名な円卓の騎士の一人なのかもしれない。そして、幾度となく、騎士王の剣技を見続けて来たのだろう。あれほど完璧な模倣が出来るくらい……。

 自らに最も適した剣技を真っ向から受ける事で、セイバーの技術は昨日の稽古の時と比べて遥かに上達している。

 結局、最後までセイバーの竹刀はアーチャーの体に当たらなかったけれど、その技量は既に一般人のレベルを超えている。

 

「――――お疲れ、セイバー」

 

 アーチャーが稽古の終わりを告げ、姿を消した後、士郎は水とタオルをセイバーに渡した。

 

「ありがとう、士郎君」

 

 汗を掻いている様子は無いが、セイバーは実に美味しそうに水を飲んだ。

 

「彼は教え方が上手いな」

 

 セイバーは心からアーチャーを讃えた。

 

「剣道部に所属していた事があったけど、その頃と比べても上達の早さが段違いだ。何て言うか、凄く馴染むんだよ、彼が教えてくれる技術が――――」

 

 興奮した面持ちのセイバーに士郎はついさっき考えたアーチャーの正体に関する推理をセイバーに聞かせてみた。すると、彼は複雑そうな表情を浮かべた。

 

「……まあ、彼の正体が何であれ、アーサー王を知っていた事に疑いの余地は無いな。なるほど、彼が教えてくれたのはアーサー王の剣技だったわけか……。道理で、馴染むわけだ」

 

 セイバーは立ち上がり、竹刀を振った。

 

「……士郎君。俺はアーサー王じゃない」

「ああ、知ってるよ」

「日野悟。それが俺の名前だ」

「ああ、それも知ってる」

「けど、俺の中にはアーサー王の霊魂が存在している。その力を使いこなせるようになれば―――-」

「……セイバー」

 

 セイバーの言葉を遮り、士郎は言った。

 

「俺も強くなるよ」

「士郎君……?」

 

 士郎はアーチャーが置いて行った竹刀を手に取った。

 

「一緒に強くなろう、セイバー」

「えっと……、そろそろ準備しないと学校が――――」

「今日は休む」

「……なんか、火が点いちゃった感じだな」

 

 苦笑いを浮かべるセイバーに竹刀を向ける。

 

「それじゃあ、いくぞ!」

「……ああ、いや……待った」

 

 一瞬、応じようとしてから、セイバーは何を思ったか、道場の脇にある木刀を手に取った。

 

「――――士郎君。やるなら、こっちを使ってみてくれ」

 

 セイバーが持って来たのは短いサイズの木刀だった。子供用というわけじゃない。剣道にも二刀流は存在する。この短い木刀はその為のもので、昔、藤ねえが練習の為にここに持ち込んだものだ。

 ただ、剣道における二刀流は長刀と短刀を使うのがセオリー。二つとも短い木刀を持って来た理由は一つ。

 

「……セイバー?」

「これは単なる思い付きだけど――――」

 

 そう、前置きをして、セイバー言った。

 

「折角、身近に凄い剣士が居るんだし、お手本にしてみたらどうかなって、思ったんだ。俺が教わってるのはアーサー王の為の剣技だし、今の俺には君に教授出来る程の実力が無いから」

「……そうだな。アイツの剣技か」

 

 士郎は瞼を閉じて、これまでに見たアーチャーの剣技を思い浮かべた。到底、真似出来るとは思えない卓越した剣技。弓兵のくせに、剣士を称してもおかしくない奴の剣捌きをイメージする。

 軽く振ってみると、不思議と竹刀がいつもより軽く感じた。

 

「――――よし、ちょっと、打ち合ってみるか、セイバー」

「ああ、来い、士郎君。言っておくが、アーチャーのおかげで今の俺はそこそこ強いぞ」

 

 不適な笑みを浮かべるセイバー。向かい合い、呼吸を一定に保つ。

 自分からは攻め込まない。アーチャーの剣技は守りに特化したものだ。鉄壁の守りを築き、微かな活路を見出す。ある意味、狙撃を生業とする弓兵らしい型だ。

 セイバーが動いた。アーチャーの剣技が守りの型だとすれば、セイバーが習っている騎士王の剣技は攻めの型。嵐の如き剣戟が襲い掛かって来る。

 上達しているとは思ったが、真っ向から受けると、その技量の凄まじさに言葉を失う。

 

「アーサー王の剣技と聞いて、気付いた事がある」

 

 セイバーが言った。

 

「恐らく、アーチャーは心眼のスキルを使っていたんだろうけど、これは本来、直感のスキルを利用して扱う剣技だ。だから、彼は事ある毎に俺に直感のスキルの使い方を注意してたんだな」

 

 直感のスキル。それはセイバーが保有する固有スキルの一つだ。戦闘時、常に自身にとって、最適な展開を感じ取る能力。未来予知にも等しい研ぎ澄まされた第六感。

 そのスキルを前提とした剣技。

 

「くっそ、負けるか!」

 

 攻めに入れば、振るった木刀に力が乗る前に弾かれる。更に、神速の追撃に襲われ、肝を冷やす事になる。攻撃が鉄壁の守りにもなっている。戦慄すら覚える隙の無い剣筋。防げているのが奇跡に等しい。

 あらゆる攻撃に備えるアーチャーの剣技はまるであらゆる無駄を削ぎ落としたかのような精密かつ、軽快な挙動でセイバーの攻撃への対処を可能とする。彼の剣技を模倣していなければ、恐らく、セイバーの剣を前に数秒と持ち堪えられなかったに違いない。

 けれど、不思議だ。アーサー王の剣技程では無いにしても、アーチャーの剣技も十分に神業めいている。なのに、どうしてこんなに馴染むのだろうか? まるで、自分の為に用意されたかのようにすら感じる。

 時間を忘れるほど、その攻防に夢中になった。互いに打ち合う度に研ぎ澄まされていくように感じる。

 藤ねえとは数えるのも馬鹿らしいくらい打ち合った事があるけど、いつも負けっぱなしだった。だから、こうやって、戦う事が楽しいと思った事は無い。だけど、この時間だけは別だ。セイバーとのこの打ち合いは永遠に続いて欲しいと願う程、楽しい。

 

「セイバー!」

「士郎!」

 

 結局、打ち合いが終わったのはお昼だった。汗だくでダウンした士郎にセイバーが氷を入れた水を運んで来る。

 

「お疲れさま。いや、楽しかったな」

「ああ、ほんと……。なんか、こんなに楽しくて夢中になったの久しぶりだ」

 

 友達との遊びでも、部活動でも、趣味でも、魔術の鍛錬でも、家事でさえ、こんなに楽しいと思った事は殆ど無い。

 正義の味方を目指す者として、こんな風に誰かを傷つける技術の向上に歓喜するのは如何なものかとも思うが、楽しかったものは仕方が無い。

 

「シャワーを浴びた方がいいな」

「セイバーが先でいいよ。俺はもうちょっと、ここでゆっくりしてるから」

「そうかい? じゃあ、お言葉に甘えるとしよう」

「それと、後で気分転換に商店街に行ってみないか? 正直……、昼飯を作る気力が湧かないんだ」

「同感。美味しいお店を紹介してくれ」

「了解。幾つか候補を見繕っとくよ」

「楽しみにしてる。じゃあ、先に行ってるね」

「ああ」

 

 セイバーが母屋に向った後、士郎はセイバーを連れて行くお店選びに取り掛かった。

 折角だし、抜群に美味い店を紹介してやりたい。この世界で生きる事も悪く無いって思うくらい、美味い店を……。

 

「……そうだよ。俺が強くなれば解決する話なんだ」

 

 拳を強く握り締め、士郎は呟いた。

 

「誰にも負けないくらい、強く……」

 

 

「それで、どこに行くんだい?」

 

 二人で並んで歩いていると、セイバーが尋ねてきた。

 

「セイバーの好みは? それに合わせるよ」

「俺の好み? そうだなー、辛い物は全般的に好きだよ。だから、カレーとか中華がいいかな」

「辛い物か……」

 

 途端、士郎の顔に暗い影が過ぎった。

 

「あ、いや、士郎君が辛いの苦手なら別のでいいよ。洋食も割と好きなんだ。大学に入って、バイトをするようになってから、月一で食べ歩きなんかもしてたんだ。そん中で食べたイタリア料理やロシア料理は特に絶品だった。エスカルゴは食べた事ある?」

「エスカルゴって、カタツムリだろ? うーん、あんまり我が家の食卓に並ぶものじゃないなー」

「なら、折角だし、エスカルゴが置いてありそうなイタリアンのお店に行こうよ。あの味を士郎君にも是非知って欲しい」

 

 ちょっと、計画にズレが生じ始めた。セイバーは思ったよりグルメらしい。ここはドカンとインパクトで勝負するべきか……。

 

「いや、やっぱり中華にしよう」

「いいのかい? 苦手なんじゃ……」

「いいから、行くぞ。とびっきりのお店を紹介してやる」

 

 正直、あのお店はトラウマ以外の何者でも無い。本来なら、誰かに紹介したいお店じゃない。だけど、グルメなセイバーを唸らせるとなれば、並大抵なお店じゃ不可能だろう。

 ここは、賭けるしかない、あの店に!

 

「……あっ」

 

 不意にセイバーが立ち止まった。どうしたのかと、顔を向けると、その視線の先に見知った少女の姿があった。

 少女が此方に気付いている様子は無い。立ち去ろうと思えば、気付かれずに立ち去れるだろう。だけど……、

 

「いいと思うよ」

 

 何も言ってないのに、セイバーは苦笑しながら言った。

 

「気になるんだろ? あの娘の事が」

「……ごめん、セイバー。ちょっと、寄り道する」

 

 少女に近寄り、そっと声を掛ける。

 

「――――イリヤ」

「だ、誰!?」

「俺だよ」

「シ、シロウ……? え、ほんとに、シロウ?」

 

 酷く驚いた様子を見せるイリヤに士郎は苦笑を洩らした。

 

「偶然通り掛ったら、イリヤの姿が見えたから、声を掛けたんだ。ちょうど、イリヤとはもう一度会いたいと思ってたしな」

「え……?」

 

 驚きに目を丸くするイリヤ。

 

「どうして……? 私はシロウを殺すつもりなんだよ? なのに、どうして、会いたいなんて……」

「どうしてって、改めて聞かれても困る。俺はただ、マスターとしてじゃなくて、普通にイリヤと会話をしたと思ったんだ」

「私と……、普通に?」

「ああ、普通に話したいだけだ。昼間は戦わないってのが、マスターのルールなんだろ? だったら、ちょっとくらい聖杯戦争を忘れてもいいじゃないか。殺すとか、殺さないとかは置いといて、昨日みたいに話がしたいんだ」

「えっと……、まあ、ちょっとくらいならいい……のかな?」

 

 それから、士郎とイリヤは二人で他愛の無い話をした。

 セイバーはそんな二人を微笑ましげに見つめている。

 一時間くらい話した後、イリヤのお腹が鳴った。

 

「今のは……」

「ち、違うの! 今のは私じゃなくて――――」

「俺のだよ、士郎君」

 

 顔を真っ赤にして否定するイリヤにセイバーがジュースの缶を向けながら言った。

 

「いっぱい話して、喉が渇いたんじゃないか?」

「……いらない」

 

 イリヤはそれまでと打って変わって、冷たい表情を浮かべて言った。

 

「お、おい、イリヤ――――」

「待った、士郎君」

 

 思わず口を挟もうとした士郎を遮り、セイバーはイリヤに謝った。

 

「余計な事をしたみたいだね。ごめん、話の腰を折る真似をしちゃって」

「……別に」

 

 口を尖らせるイリヤ。どうやら、イリヤは会話を中断させられた事に御立腹らしい。

 

「……そうだ。イリヤも行かないか?」

「行くって?」

 

 首を傾げるイリヤに士郎はこれからセイバーと二人で食事に行く予定である事を話した。

 話してから、しまった、と思った。これから行くお店はまだ幼いイリヤの心にトラウマを植えつけかねない。

 

「いや、無理ならいいんだけど……、イリヤにも都合があるだろうし――――」

「いいわよ」

 

 イリヤはアッサリ同意した。

 

「えっと……、いいの?」

「ええ、折角、シロウが誘ってくれたんですもの。邪魔物が居るのは気になるけど、我慢してあげる」

 

 自分の作戦が音を立てて崩れるのを士郎は察した。こうなったら、主賓はイリヤに変更するしかない。

 

「それで、どこに行くの?」

「ああ、士郎君がとっておきの中華屋を紹介してくれると――――」

「い、いや、今日は別の所にしよう」

「ええ、なんで!?」

 

 イリヤが不満の声をあげる。

 

「セイバーにはとっておきを教えてあげるのに、私には教えたくないって言うの?」

「い、いや、そう言う事じゃなくてだな! た、ただ、あんまりその、イリヤの口に合うかどうか……、そこまで美味いってわけでも」

「なんだ、とびっきりのお店って言うから、ちょっと期待してたんだが……」

 

 しまった。イリヤを宥めようとしたら、セイバーをガッカリさせてしまった。

 

「ち、違うんだ。ほら、セイバーは辛い料理が好きなんだろ? けど、イリヤには――――」

「あら、私だって、辛いのくらいへっちゃらよ」

 

 ジーザス。言葉を重ねれば重ねるほど、ドツボに嵌っていく。

 結局、士郎は二人をトラウマが残る中華料理屋に連れて来る事になってしまった。

 マウント深山に唯一存在する中華料理屋。名を、『紅洲宴歳館・泰山』と言う。真昼間の書き入れ時だというのに、締め切られた窓ガラスのせいで店内の様子が見えず、一見さんが悉く逃げ帰るという商店街きっての魔窟だ。

 ちびっこ店長と親しまれる謎多き中国人・魃さんとは、町内会のボランティア活動の時にちょくちょく会うのだが、彼女が振るう十字鍋の中身を見た日以来、彼女の店の半径十メートル以内には決して近づくまいと心に誓っていた。

 今日、その誓いを破る。破ってしまう。

 

「先に二人に言っておく」

「なんだい、士郎君?」

「なにかしら、シロウ?」

「ここでは甘酢あんかけ系以外、決して頼んじゃ駄目だ」

「えー、私はチンジャオロースが食べたいの!」

「俺も麻婆豆腐が食べたいんだが……。もしかして、お金が―――-」

「……あ」

「ち、違う! お金の問題じゃない!」

 

 切ない表情を浮かべる二人に慌てて言った。

 

「と、とにかく、中に入れば分かる! いくぞ!」

 

 もう、後は直接見せて分からせるしかない。最悪、二人が食べられないようなら、自分が三人分食べるだけだ。ここでは決して、残すという選択肢を与えてもらえない。食べ終わるまで、外に出る事は許されない。

 

「い、いくぞ!」

 

 ここはまさに戦場。決死の覚悟を決めて挑まねばならない。

 

「き、気合入ってるね、シロウ」

「よ、よく分からないけど、俺達も気合を入れておくか、イリヤスフィール」

「そ、そうね、セイバー」

 

 何故か、ドン引きされてる気配があるが、気にしてはいられない。

 

「いざ!」

 

 中に入ると、速攻で店長が飛んで来た。あれよあれよと言う間に席に通され、メニューを渡される。

 甘酢あんかけ系は……、

 

「な、無い……だと?」

 

 脂汗が滲み出る。無い。どこにも、無い。ページを捲る手が震える。

 

「ど、どうしたの、シロウ?」

「し、士郎君?」

「ちょっと、待っていてくれ!!」

 

 探す。ある筈だ。前は確かにあったんだ。

 

「ちょ、ちょっと、魃さん! あんかけ系は!?」

「ああ、撤去したアル」

 

 我が耳を疑った。

 

「そ、そんな――――」

 

 まずい。こうなったら、もう、土下座でも何でもして、ここから出よう。二人をもっと別の……、そうだ、高級イタリアンに連れて行こう。全財産を叩いてでも、二人に素晴らしい御馳走を――――、

 

「麻婆豆腐とエビチリ、それに、チンジャオロースとラーメン。了解アル。それで、シロウ君は――――」

「どうして、そんなに頼んじゃうんだよぉぉぉぉぉ!?」

 

 顔を上げると、二人はとっくに注文を済ませていた。

 叫ぶ士郎にイリヤは精一杯の優しさを篭めた笑顔で言った。

 

「大丈夫よ。ここは、私が奢ってあげるから、シロウも好きな物を注文しなさい」

 

 その様はまるで駄々を捏ねる弟をあやす姉のようで……、士郎は何故か目からしょっぱい液体が流れるのを感じた。

 

「……白い御飯」

「し、士郎君?」

「白い御飯を食べたいんだ!」

 

 セイバーとイリヤは顔を見合わせた。お互い、目だけで相手の気持ちが分かった。

 

「そ、そうか、白い御飯か、そうだよな! 士郎君は日本人だもんな!」

「そ、そうね。日本人たるもの、白い御飯は外せないわよね!」

 

 そして、数分後、店長が届けた料理の数々にイリヤとセイバーは絶句した。

 

「……なにこれ」

 

 イリヤは真紅の液体に真っ白になっている。

 

「……ああ、そうか、ここが」

 

 セイバーは何やら納得した風な表情で目を細めた。

 二人は一口舐め、悟った。

 

「……シロウ。豚の餌を私に食べさせるなんて、死にたいのかしら?」

 

 ニッコリと笑みを浮かべるイリヤ。

 

「いや、こんなもの喰ったら、死ぬぞ。豚が……」

 

 そんな彼女にセイバーがよく分からないツッコミを入れる。

 

「大丈夫だ、二人共」

 

 そんな二人に士郎は不思議な程爽やかな笑みを見せた。

 

「し、士郎君?」

「え、シロウ……、何をする気?」

 

 その表情がまるで……、これから磔の丘に歩き出そうとする神の子のようで、二人は士郎に手を伸ばす。その手を振り払い、士郎はレンゲを手に取った。

 

「だ、駄目よ、シロウ!」

「ま、待て、待つんだ、士郎君!」

 

 少女達の制止の声を振り切り、少年は往く。真紅に彩られた地獄の道を―――-、

 

「――――――――!」

 

 声にならない悲鳴を上げ、全身の穴という穴からよく分からない液体を出し、それでもレンゲを口に運ぶ士郎にセイバーとイリヤはただ、静かに涙を零した。

 

「……サーヴァントとして、俺も共に逝くよ、士郎君」

「……ふふ、仕方ない子ね、シロウは」

 

 二人は顔を見合わせ、レンゲを手に取る。咄嗟に気付き、止めようと士郎が声を上げようとするも、口が痺れて間に合わなかった。

 

「――――――――!」

「――――――――!」

 

 二人の声無き絶叫。

 最終的に士郎が麻婆豆腐とエビチリ、ラーメンを完食し、イリヤとセイバーは何とかチンジャオロースを完食した。

 英霊の耐久力をもってすら、甚大なダメージを与える泰山の中華。三人はよろめきながら外に出ると、直ぐ近くのコンビニで飲むヨーグルトを買い、一気に飲み干した。

 

「……セイバーの言ったとおりだな。口の中が少し、マシになった」

 

 目が充血し、唇も腫れ上がり、別人のような顔をしている士郎。

 

「……とりあえず、あんな危険地帯は二度と行かないからな、士郎君」

 

 セイバーは一緒に購入したウェットティッシュでイリヤの汗を優しく拭っている。

 

「……シロウの馬鹿。あんなとこ……、あんな」

「いや、本当にすまなかった。どうかしてた……、よりにもよって、二人を泰山に連れて行くなんて……。今度、この埋め合わせをさせてくれないか?」

 

 必死に頭を下げる士郎にセイバーとイリヤは苦笑いを浮かべあった。泰山という地獄を共に共有した事で、そこには奇妙な友情が生まれていた……。

 

「次はちゃんとした場所に連れていってね、シロウ。じゃないと、許してあげないんだから」

「あ、ああ! 今度はちゃんと美味しい店に連れてく!」

「期待してるからね。じゃあ、そろそろ帰る時間だから、私は行くね。バイバイ、シロウ、セイバー」

 

 走り去るイリヤを士郎とセイバーは静かに見守った。

 彼女の後姿が見えなくなった後、セイバーが言った。

 

「ところで、あのお店を選んだ真意は一体、何なんだ?」

 

 純粋な疑問。士郎は視線を泳がせながら言った。

 

「……ちょっと、歩かないか?」

「……いいけど」

 

 士郎はセイバーを連れて、川の方へと向った。静かな場所で話がしたかった。

 川辺に辿り着き、ベンチに座る。二人はしばらくジッと、川の水面を見つめた。

 

「……セイバーは消える以外の選択肢は無いって言ったよな?」

「……ああ、その事か。どうにもならない事だから、士郎君が何か思い悩む必要は――――」

「俺は嫌だ」

 

 セイバーの言葉を遮り、士郎はハッキリと言った。

 

「士郎君……」

「俺はセイバーが消えるなんて、嫌だ」

「……言っておくが、俺は男なんだぜ?」

「知ってるさ。別に、セイバーが女の子の体だから言ってるんじゃない。最初はただ、いきなり聖杯戦争なんかに巻き込まれて、それで消える以外の選択肢が無いって事に納得がいかなかった。けど、今はそれだけじゃない」

 

 士郎は視線を尖らせて言った。

 

「セイバーはもう、赤の他人じゃない。純粋に消えて欲しくないんだ」

「士郎君……。けど、俺がこの世界で生き残る道は――――」

「俺が強くなればいいんだ」

 

 士郎は言った。

 

「セイバーが元の姿に戻っても、俺がセイバーを……、日野さんを守る」

「……気持ちは凄く嬉しいよ、士郎君」

 

 けど、とセイバーは俯いた。

 

「それは君に大きな犠牲を払わせてしまう」

「そんなの――――」

「君の未来を大きく歪める事になる。色んな事を諦める必要があるだろうし、とても危険だ。魔術協会と聖堂教会の両方を敵に回す可能性があるんだよ? そんな立場に君を置きたくない」

 

 セイバーは言った。

 

「俺だって、もうとっくに、士郎君の事を他人だとは思っていないよ。ただ、純粋に君を守ってあげたいと思うから、ここに居るんだ。だから――――」

「でも、そんなの――――」

 

 二人の声が不自然に途切れる。感情が一気に冷えた。

 

「セイバー。今のって……」

「悲鳴……」

 

 空はいつしか暗くなっていた。泰山で思った以上に時間を浪費してしまっていたらしい。

 悲鳴が聞こえた方へ走り出す。迷う事は無かった。あまりにも強烈な魔力の波動を感じるからだ。

 きっと、この先には死が待ち受けている。本当なら、セイバーを連れて逃げるべきだ。だけど、逃げて、その後、悲鳴の主はどうなる?

 その人を見殺しにしたら、きっと、何かが壊れる。そんな気がして、無我夢中に走った。

 

「ここは……」

 

 そこは公園だった。甘ったるく淀んだ空気が満ちている。

 

「アレは――――」

 

 セイバーがいつの間にか武装して前に出た。その顔は恐怖と怒りに歪んでいる。

 彼に遅れて、士郎もその光景を視認し、吐き気を覚えた。

 黒い装束の女が意識を失っている女性の首筋に吸血鬼の如く口をあてている。

 そいつは人を喰っていた。肉ではなく、中身……、精神や霊魂といった、命そのものを吸っている。

 

「衛宮か……。学校をサボって、こんな時間にこんな場所を徘徊しているなんて、悪い奴だな」

「え……、慎二?」

 

 そこに居たのはクラスメイトの間桐慎二だった。間桐の姓で分かるように、彼は桜の兄であり、士郎にとっての旧友だ。

 そんな彼がどうしてこんな場所に居るのか、士郎は直ぐに理解出来なかった。

 

「どうしたんだよ、固まっちゃってさ。サーヴァント同士が顔を合わせたんだ。やる事は一つだろ? 鈍いお前の為に分かり易い演出までしてやったんだ。トロイ反応をするなよ」

 

 聞き慣れている筈の彼の声が酷く耳障りに感じられる。

 

「……お前が殺させたのか?」

 

 震える声で問い掛ける士郎に慎二はククッと笑った。

 

「馬鹿だね、お前はやっぱり。サーヴァントは人間を喰う存在だ。それだけ言えば、さすがに分かるよなぁ?」

 

 怒りで頭がどうにかなりそうだ。

 

「まあ、僕もどうかと思うよ。こいつ等と来たら、まったくもって、品性が無い。けど、魔力を与えないと維持出来ない以上、仕方なしと諦めるしかない。お前だって、自分のサーヴァントに餌をやる為に得物を探してるんだろ?」

「慎二……、そこを退け。その人を病院に連れて行く」

 

 士郎が言うと、慎二は今世紀最大のジョークを聞いたかのような笑い声を発した。

 

「病院だって? 病院なんかで助けられるものかよ。この女を助けたいなら、頼る場所が違う。そんな事も理解出来ないなんて、本当に馬鹿な奴だな」

 

 慎二が奇妙な本を掲げる。

 

「馬鹿面下げたまま、死んじまえよ」

「士郎君、退がって――――」

 

 セイバーが飛び出す。黒い装束の女とセイバーが戦いを始めた。

 今のセイバーではサーヴァントを倒す事は出来ない。止めなければ……、彼女を見捨てて逃げなければ、セイバーが死ぬ。でも、逃げたら、被害者の女性が助からない。彼女を救うなら、セイバーに命懸けで時間を稼いでもらい、その間に連れ去るしかない。どちらか一方を選べば、一方が死ぬ。そんな究極の選択をいきなり突きつけられ、咄嗟に応えられる筈が無い。

 

 雁字搦めになりながら、必死に考える。両方を助ける方法――――、そんなもの、一つしかない。

 

「……強さが要る。今直ぐに力が要る」

 

 セイバーを守りたい。

 被害者を救いたい。

 両方為すには力が要る。現状を打破する力――――、

 

「――――今、ここで力を!」

 

 俺みたいな未熟者がこの現状を打破するには、少なくとも徒手空拳はまずい。必要なのは武器だ。それも、木刀や竹刀のような生半可なものではなく、英霊相手に通用する強い武器が必要だ。鍛え上げられた強力な武器。俺には分不相応なものであっても、アイツが持っていたような武器があれば――――、

 

「――――投影、開始」

 

 どんなにねだっても、今ここでアイツが剣を貸してくれる筈が無い。そもそも、今、遠坂とアーチャーがどこに居るのかも分からない。

 だから、今ここで武器を手に入れるには、作る以外の選択肢など無い。

 無いものを作れ。足りないものは偽装しろ。セイバーを守りたいなら、何を犠牲にしてでも力を手に入れろ!

 視界がスパークする。何も見えない。何も聞こえない。だけど、そんなのどうでもいい。力が必要なんだ。力を手に入れたいんだ。

 力を、力を、力を、力を、力を、力を、力を、力を、力を、力を力を、力を、力を、力を、力を力を、力を、力を、力を、力を力を、力を、力を、力を、力を力を、力を、力を、力を、力を――――!!

 

「――――投影、完了」


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