たぶん閑話でいつか?
何て綺麗な光景なんだろうか。
かのヴェネツィアでも起こっていた現象だとは聞くが、ここまで見事なものだったとは。
俺は二階の窓から、水没した街を眺めながら感嘆の溜息を漏らす。
これがご近所さんから聞いていた、アクア・アルタか。
「えっと、サンダルと杖が必要だな」
今日は閉まっているお店も多く、出歩く人も少ないと聞いているが、勿論俺は出かけることにする。
今は日本で言う梅雨みたいなものなので多少蒸し暑い。
アクア・アルタは良い気分転換になるだろう。
「さて、どこに行こうかな」
じゃぼん、と一際大きな音を立てて水中の石畳へ足を踏みいれる。
いつもはしっかりした感触を返してくれる石畳も、今日はなんだか曖昧だ。
軽く杖を突いて、ゆっくり歩いて行こう。
そうしてやってきた有名どころ、サン・マルコ広場。
それにしても、水没しているとここまで印象が変わるものなんだな。
いつもは賑やかな喧騒に包まれているサン・マルコ広場も、今日ばかりは静謐だ。
これはこれで、日本人としては好きである。
「あら、湊くんじゃない?」
「あ、おはようございます。お久しぶりですね、アリシアさん」
「おはよう。こんなところで奇遇ね、お散歩?」
「まぁそんなところです」
なんだかんだ言って、以前に水先案内をしてもらって以来だ。
前回は色々あったから身構えてしまうが……私服なところを見るに休日か。
俺が言うのもなんだが、こんな日に外出とは奇特な人だ。
「アリシアさんも散歩ですか?」
「私は待ち合わせ。久しぶりに友達と会うのよ」
「あー。忙しくて、こういう時でもないと予定合わなそうですもんね」
「そうそう。あっちもウンディーネだから、尚更ね」
「……じゃ、そういうことで」
「あらあら、ちょっと待ちなさい」
「なんですか……」
なるべく自然な流れ()で別れようとしたのだが、例の笑顔(ゴリ押し)で強制的に留まらされる。
あのね、俺も綺麗な女性は好きだよ。
でも怖い人は苦手なんですよ!
「何か失礼な事、考えてなかった?」
「いいえ」
「ほんとは?」
「……いや、雨が降りそうだなって考えてただけです。だから帰ろうかなって」
「……あらあら、本当だわ」
この機転である。
完全勝利。
とは言っても雨が降りそうなのは本当で、振られたら相当困るんだよな。
さっきまで綺麗に晴れてたのに、本当に梅雨空はすぐに変わる。
「んー………じゃあ、ちょっと来てくれる?」
「えー……」
「来て?」
「はい」
これですよ、これ。
待ち合わせまで時間があるからって、俺で暇潰しでしょ?
どこか実家の姉を彷彿とさせる傍若無人さ。
いや、本人に悪気が無いのは分かってる。
たぶん、雨宿りも兼ねた善意。
「うふふ、雨が降ったらこっちねって、あらかじめ約束してたの」
「やっぱりこっち生まれはアクア・アルタに慣れてますね」
「まぁ長い付き合いだもの。すみません、あとから二人来るんですけど構いませんか?」
周到な根回しに感心している間に、水没したカフェに引きずり込まれてしまった。
というか凄いな、水没を前提とした造りをしているのか。
さすがである。