東風谷早苗は、いつも通りの通学路を下校していた。
とぼとぼと、俯きがちで、小さな歩幅で進んでいく。
――いじめの始まりはなんだったのだろう。
東風谷早苗は、自らの仕える神々を信仰し、尊敬している。軽い気持ちではなく、本当に尊く、敬うべき存在だと思っている。
だから、彼女はそれをクラスメートたちにも、知ってもらいたかった。
――神様はいるんです! 本当なんです!
現代――特に、この日本という国における神の立ち位置は少々特異だ。
儀礼的なものは未だに行われているし、神に祈ることはおかしなことではない――しかし、声を大にして神の存在を示唆するのは、それは子ども目にも“おかしなこと”に見える。異端視される。
結果的に、彼女は神様を否定するクラスメートと対立し、言い合いになり――そして、孤立した。
「はぁ……」
東風谷早苗以外――それこそ、親類にすら神々は見えないのだから、彼女の孤独を分かち合える相手は、誰一人としていないと言える。
強いて言えば、その神々自身であるが――いじめられている、なんて相談を尊敬する神々にできるはずもなかった。少なくとも、それだけは彼女のプライドが許さなかった。
既に、神々は彼女を心配している。悩みがあると、見抜かれているのだ。内容まで察せられていないのは、良いことなのか悪いことなのか。
「はぁ……」
二度目のため息が、口からついて出たところで、東風谷早苗の足がぱたりと止まる。
俯いていた東風谷早苗の視界に、人影が映った。
顔を上げれば、少年が一人。東風谷早苗があと一歩でも歩を進めていればぶつかっていただろう。
「あ、あの、すみません」
とはいえ、のろのろ進んでいた東風谷早苗が前を歩く人間に追いつけるはずもなく、それは道のど真ん中で、少年が立ち止まっていたことを指す。
辺りを見渡しても特に目につくものもなく、変哲もない通学路で立ち止まっている理由が分からず、謝罪はしてみたものの、少し懐疑的な表情が東風谷早苗に浮かび上がる。
『やあ、東風谷さん』
その言葉に反応して、反射的に目を合わせると、そこには酷く濁った瞳があった。
少年は、ついこの前、転校してきたばかりのクラスメートだった。
名は、たしか――。
「えっと、球磨川くん、ですよね」
東風谷早苗からすると、転校して間もない球磨川禊は、どう接していいか分からない存在だった。
普通の状況でも、転校生などという接し方が難しい間柄だと言うのに、現在、東風谷早苗はいじめられている。
その状況で、東風谷早苗が仲良く接すると言うのは、非もない彼を――東風谷早苗自身は当然、自分にも非があるとは思っていないが――いじめに巻き込む、ということだ。
それは、東風谷早苗としては容認できない事態だ。
この問題は、自分ひとりで解決すべき――彼女は当然のように、そう考えていた。
『どうしたんだい? そんな浮かない顔をして』
そういう球磨川はというと、これまた微妙な立ち位置にいた。
いじめに加担するわけでもなく、それでいて東風谷早苗に肩入れするわけでもない。
転校して、まだ数日から立ってないから、というのもあるのだろうが、なんだか一歩引いた態度で、クラスメート中を俯瞰しているような少年だった。
「球磨川くんこそ、どうして、こんなところに? 誰かを待っているんですか?」
少し口早に、話を逸らした。
球磨川禊だって、クラスにおける東風谷早苗の位置を理解しているはずだ。
そんな彼女に対して、『浮かない顔』なんて言えるのは、煽っているのか無神経なのか――。
またしても俯きがちになりながら、少し上目気味で球磨川禊の顔を確認する。
別段、悪びれた様子もなく、薄い微笑――否、薄気味悪い微笑を浮かべていた。
『うーん、いや、誰かと待ち合わせをしてるってわけじゃないだけどね』
球磨川禊がすっ、と手を広げる。
『誰かを待ち望んではいたかな』
意味ありげな仕草と、その言い回しに、東風谷早苗は首を傾げた。
その不気味さから、関わりあいになりたくない、という気持ちは当然ながら生まれるが――現在、神々に心配されてしまっている申し訳無さから、家に帰るのも憂鬱な彼女にとって、意味のない消費だとしても、時間を潰せる相手というのは望ましかった。
束の間の――、それでいて、意味のない。
そんな、雑談に見を投じた。
二、三分ほど、内容なんてろくにない、ヨモヤマ話が続く。
その折、球磨川禊が、ふっ、と。
まるで、何かを思い出したかのように、言葉切り出した。
『あ、そうだ――東風谷さんに聞きたいことがあったんだよ』
「聞きたいこと、ですか?」
『うん――、東風谷さんが神様を見ることができるって、ほんと?』
ピキリ、と。
空気に亀裂が入る。
球磨川禊の濁った瞳に映る、東風谷早苗の表情は露骨なまでに強張った。
「それは……」
東風谷早苗の神への信仰心は、いじめを経ても、失われるようなことはなかった。
今だって、見知らぬ他人が神の存在について悩んでいたら、嬉々として、それに手を差し伸べて、言葉を説ける自信はあった。
しかし、球磨川禊からその言葉が出てくるということは、クラスメートから話を聞いたというわけで。
「それは、クラスのみんなに教えてもらったんですか?」
『うん、そうだよ』
そう頷く球磨川禊の、表情は先ほどから、ずっと変わらない、へらっとした笑み。
だが、その顔の皮を一枚剥いでしまえば、裏には悪意が渦巻いているのだろう――東風谷早苗は、そう思った。
クラスメートたちは、みんなそうだった。
神様がいる、と東風谷早苗は知っていても、それを証明する手立てがない。
いじめに加担しないクラスメートだっている。むしろ、いじめをしているのは少数で、クラスメートの大半は、いじめに加担することはない。
――しかし、彼らも東風谷早苗を『可哀想な子』だと思っているのは知っていた。
その小さな『悪意』こそが、もしかすると、いじめの主犯格よりも、東風谷早苗の心を蝕んでいた。
彼らの瞳は冷ややかだ。
嘲笑する瞳、見下している瞳、不愉快げな瞳――目は口ほどに物を言う、というが、東風谷早苗は、その言葉を痛感した。
彼らの無意識な『悪意』は、東風谷早苗の信仰心を傷つける。
信仰心が揺らがないからこそ――、その『悪意』は彼女の芯の部分にたたきつけられるのだ。
そこまで、東風谷早苗が悪意について考えを巡らせていたところに、すっ、と疑問が落ちてくる。
――そういえば、球磨川禊からは、その悪意が感じられない。
東風谷早苗は悪意に晒され続け、過敏になっている。
被害妄想――とまでは言わないが、悪意とはいえない小さなものですから、今の東風谷早苗は『悪意』として感じ取ってしまうだろう。
しかし、球磨川禊からは、それがない。
「あの、球磨川くん……」
東風谷早苗の心に、何かが差し掛かる。
それは、出自不明な高揚感と、小さな動悸――期待だ。
「球磨川くんは、その話を聞いて、どう思いました……?」
東風谷早苗は、自分が何に期待しているのかわからない。
だって、神様が見えるのは自分だけなのだから、分かり合えるはずがない。
分かり合えるはずが、ないのだ――。
『え? 馬鹿な話だな、って思った』
けろっと。
球磨川禊はそう言った。
「……あ、あはは」
乾いた笑いが溢れる。
自分は何に期待していたんだ、と、今度は羞恥から動悸が激しく、胸を叩いた。
そもそも、これは自分の問題なんだから、巻き込むわけにはいかない、と考えたばかりではないか。
よしんば、ここで球磨川禊が東風谷早苗に同調したとしても、それがずっと続くはずもない。神様が見えるのは自分だけで、自分は孤独なのだから――。
――東風谷早苗が苦痛として感じていたのは、クラスメートの悪意だが。
無意識に感じていた苦痛は、もう一つあった。
それは、“神様が自分だけに見えること”、だ。
最初は、自分だけ特別、という優越感で紛らわされていたかもしれない。
けれど、小学生の身で、親にすら話すことができない秘密を持つ――それは、確実にストレスとなり、東風谷早苗の身を内側から貪り尽くす。
だから、もしも、学校とは関係ない場所でもいい、どこかで、同じく神様が見える存在に出会えたなら、学校で何を言われようとも頑張れるだろう。
逆に、神様は見えなくても、クラスメートの一人でも、彼女の言葉を信じてくれたなら、自分しか神様が見えない、という苦痛も耐え抜けただろう。
ならば――。
『馬鹿な話だよね。神様は本当にいるのに』
「……え?」
『
クラスメートで、それも、自分と同じく神様が見える存在がいれば――。
それは、どんなに幸せなことか。どれだけ、幸福なことか。
まるで鈍器で頭を振りぬかれたような衝撃が、東風谷早苗に走る。
背筋を這うように衝撃は身体を巡り、東風谷早苗を震わせた。
「く、ま……くまがわっ、球磨川くんは……っ!」
もはや、ろれつが回らない、東風谷早苗に対して、球磨川禊はへらっと笑う。
『そうだよ――僕も君と同じさ』
そのへらっとした笑みは、薄っぺらく、薄気味悪い――不快な気分しか、他者に与えなそうな笑みだが、それさえも、東風谷早苗にとっては安心できる笑みに見えた。
おそらく、人生でもっとも心が弱っていた東風谷早苗に、球磨川禊は甘い言葉を投げかけていく。
『君は何も――悪くない』
薄っぺらな笑みを、貼り付けて。
そう、うそぶくのだ。