まるでぬるま湯に浸かるような会話が、そこには在った。
『いやあ、あんな可愛らしい娘が神様だとは、最初は驚いたよ』
「す、諏訪子様はですね! 土着神の頂点なんですよ! すごいですよね!」
『神奈子様は軍神なんだっけ?』
「よくご存知ですね! ええ、神奈子様もすごいですよ!」
東風谷早苗は目を輝かせながら、球磨川禊に受け答えする。
もしかしたら、いつかこんな日を――他人と神様について語り合える日を夢見て、想像を膨らませていたのかもしれない。
親や、その神々が見ても、驚きを向けるような、いつも以上の饒舌さで、言葉を紡いでいく。
だが――。
東風谷早苗は気づかない。
『ミシャクジ様を束ねていた、祟り神でもあるんだっけ?』
「ええ、ええ! はるか昔、神様の役割とはただ与えるだけではなく――」
守矢神社から、神の名が失われて久しい。
神々を見ることができほどの霊力を持っていたとしても、球磨川禊は『知りすぎている』。
けれども、東風谷早苗は気づかない。
理解者を手に入れたことに舞い上がっている東風谷早苗には、球磨川禊が二柱について詳しすぎることも――球磨川禊から霊力の類が一切感じられないことにも、気づくことはなかった。
「それで! それで!」
胸に秘めていたモノを、口から外に、まるで吐き出すように言葉にしていく。
そして、言葉になって消えていった隙間に、次から次へと、暖かいものが注がれていくようだった。
高揚感と多幸感。
人生の中で、これほどまで胸が高鳴ったことはなかっただろう。
球磨川禊の口から出る言葉は、どんなアニメーションよりも、どんなアトラクションよりも魅力的だった。
『僕は何度も転校してるからね、色々な神様を知ってるよ』
――秋の実りを司る神、紅葉を司る神、流し雛から生まれた厄神。
球磨川禊の言葉から、世界の広さを知り、自分だけではないという思いで胸がいっぱいになる。
孤独感や閉塞感が、どんどん晴れていく。
まるで、冷たい湖の底に閉じ込められていたような気持ちが、球磨川禊の手によって引き上げられていく。
――だが、その手の先にあるのは、決して、地に足ついた世界ではない。
暖かいと言えるほど優しくなく、冷たいとは思えるほど厳しくない――温く、いつまでも堕ちていけそうな沼。
球磨川禊は、東風谷早苗を引き上げることなどできない。
球磨川禊の方が、下に位置するのだから、引きずり込むことしかできない――。
『――でもさあ』
「はい?」
『なんで神様は、東風谷さんを助けてくれないんだろうね?』
ぽたり、と。
今、東風谷早苗の真っ白なキャンパスに、真っ黒なインクが一滴、落とされた。
『神様ってのは信者を救ってくれる存在でしょ? ギブアンドテイクとは言わないけど、何もしてくれない神様なんて信仰する意味あるの? それも、今は守矢神社を信仰してるのは東風谷さんだけなわけで』
球磨川禊の濁った瞳が、なお深まったように、瞳の奥底で、東風谷早苗を捕らえた。
『悩みの一つも解決してくれない神様なんて、本当に必要なのかな?』
「……ぁ、ぇ」
言葉出ない。
否定しなければ。
でも――なんて?
いや、いやいや、否定できる。
東風谷早苗は神様を信仰しているのだ。そこに嘘偽りなどありはしない。
「……ぃえ、いえいえ。……神奈子様も諏訪湖様も、いつだって、私の力になってくださいました。しかし、これは私が解決すべき問題なんですよ。球磨川くんなら、わかるでしょう? 神様というのは尊い存在なのです。こんなちっぽけな悩みに動くほど、軽い存在ではないのです」
そうだ。
そもそも、このことをひた隠しにしているのは自分だ。
東風谷早苗はいつだって、信仰する二柱に助けられてきた。
霊力の使い方だって、風祝の役割だって、全部全部、神々より教わったものだ。
だから、二柱は決して――。
『ふーん……』
満足気に答えた東風谷早苗に対して、球磨川禊はへらっとしたまま言った。
『東風谷さんがいじめられているのは、神様のせいだっていうのに?』
■ ■ ■
帰宅した東風谷早苗に近づく影があった。
「あー、早苗おかえりー」
幼子にも見える容姿で、てとてとと歩を進める彼女こそが、東風谷早苗が信仰する神々の一柱、洩矢諏訪子である。
洩矢諏訪子は、東風谷早苗に悩みがあるのを知っていたから、最近はできるだけ構うようにしていた。
「ただいま、帰りました……」
そう返す、東風谷早苗は目に見えて元気がなかった。
その対応を受けて、洩矢諏訪子は心に渦巻く憤りを感じていた。
東風谷早苗にではなく、彼女をこんなにも落ち込ませた存在に、だ。
洩矢諏訪子は、東風谷早苗が悩みを抱えていることは知っている。それがおそらく、外――学校での対人関係のいざこざであることも。
しかし、どんなに落ち込んでも、自分や、八坂神奈子の前では、心配かけ無いように、気丈に振る舞うのが東風谷早苗という少女だった。
その彼女が、自分を前にしても、落ち込んだ側面を隠さない。
洩矢諏訪子は、ふつふつと湧き上がる怒りを抑えつつ、東風谷早苗に話かける。
「どうしたの、早苗。なんだか、元気ないね」
そう声をかけると、東風谷早苗の肩がぴくりと揺れた。
強い子に育ってくれたのは嬉しいが――自分たちを頼って欲しい、という気持ちの方が、今の洩矢諏訪子には強い。
大方、小さな悩みを信仰する神々には相談できない、と思っているのだろうが、洩矢諏訪子としては「そんなことはない」と声を大にして言いたかった。
もはや、洩矢諏訪子を、神と信者という関係以上に、東風谷早苗を家族だと思っているのだから。
「悩みでもあるの? 大丈夫、私が……私たちが聞くよ?」
あやすように言葉を続ける。
いつもなら、そう言ってもはぐらかしてしまうだけだが、ここまで心の弱った東風谷早苗なら、自分らを頼って――
「……え」
洩矢諏訪子は息の呑んだ。
呆けるように出たのは、何に対しての疑問か、自分でも分かってなかった。
一瞬、一瞬だけ見えた東風谷早苗の顔。
それが、洩矢諏訪子を睨んでいて。
まるで、悩みの原因が――恨みの矛先が、自分にあるような瞳をしていて。
「あれ……さな、え?」
そう声をかけると、もう一度、東風谷早苗は肩を大きく揺らし、ゆっくりと顔を上げた。
そこには、先程までのような表情はなかったが、自分と鏡写しのような――東風谷早苗の瞳に映る洩矢諏訪子も、洩矢諏訪子の瞳に映る東風谷早苗も、お互いがお互い、混乱の極地にいるような顔をしていた。
「あれ、私、ちが……でも……」
「早苗っ、大丈夫? 落ち着いて、大丈夫だから、大丈夫だよ」
「ごめ、ごめんなさい……! ちょっと私、あの……! ……ごめんなさい」
焦点の定まってない瞳で、洩矢諏訪子に謝った後、走り去るように、後ろを抜けていった。
ぶつぶつと呟きながら、頭を整理するように、思考を拒絶するように、東風谷早苗は洩矢諏訪子の前から立ち去った。
「早苗……」
洩矢諏訪子は、東風谷早苗の対応に混乱しつつも、東風谷早苗が走り去る際に呟いていた言葉を、断片的にながら、耳聡く捉えていた。
「……球磨川? それが、早苗をあんなふうにした原因なの?」
■ ■ ■
『いやー、可愛い子だったな、東風谷さん』
東風谷早苗の去った後――、球磨川禊は別の分かれ道を進んでいた。
しかし、その道の先は、球磨川禊の自宅とは違う方向である。
どこへ向かうのか。小さな歩幅で進んでいく球磨川禊だったが、ふと、足を止めて、空を見上げた。
へらりとしていた瞳を、すっと細める。
何があるというわけもない、夕方にも差し掛かり、橙色に塗られた空。
『…………』
数秒そうしてたかと思うと、飽きた、と言いたげな顔をして、空から目を落とし、また、道を進んでいく。
『さあ、こっちの道であってたかなー』
そう呟き、何事もなかったかのように、球磨川禊は立ち止まった場所から去っていった。
球磨川禊が去り、辺りから、生き物の気配がなくなる。
下校時間は過ぎ、夕方にもなると、人通りがめっきり少なくなる住宅街の一角。
球磨川禊の視界の先にあった空の一部が、にゅるりと割れた。
「まさか“アレ”が東風谷早苗に目をつけるとは思いませんでしたわ」
割れた亀裂――否、“スキマ”から顔を出すのは、扇子で顔を隠す少女。
ゆるくウェーブの掛かったブロンドの髪を揺らしながら、目を細める。
「“アレ”には、やっぱり、ご退場してもらうしか、ないのかしら」
幻想郷の管理人は、静かに、球磨川禊との敵対の意思を固めていた。
たった一話で、原作の強キャラ二体から、敵意を向けられる球磨川くんでした。
ゆかりんは少女。