球磨川禊になった【彼】のお話   作:のり弁765kcal

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第五話

 突然、今まで生きてきた足場が、崩れ落ちてしまったような感覚。

 人生の指針が――信じるべき良心に、濁りが生まれてしまったような……。

 

 日本人には、神を信じていない者が多い。

 それでも、良識を持って生きられるのは、整合性のある倫理観が教育されているからだろう。

 だが、東風谷早苗の良識、倫理観は、少しばかり特殊だ。

 神という存在を信じる――どころか、身近にありながら育った彼女の倫理観はわかりやすい。

 

 ――神様はいつだって自分を見ている。

 

 信仰する神々に、恥じない生き方をする。

 それが、東風谷早苗の倫理観の根底であり、良識だ。

 

 だが――。

 

 今、その部分が崩れ落ちようとしていた。

 

 球磨川禊の行いは、やってはいけないことだ。

 そう、彼女の良心は言う。

 

 球磨川禊の行いで、東風谷早苗は救われた。

 やってはいけないことで、神々に恥ずべき行為で、彼女は救われた。救われて、しまったのだ。

 

 神様は、東風谷早苗を救ってくれない。

 むしろ、いじめの原因は神様だった。

 

 

 神様は、なんでもかんでも救ってくれる便利な存在ではない。

 そんなこと、東風谷早苗も理解している。

 

 しかし、もはや東風谷早苗はそのことを冷静に捉えることができない。

 

 何もしてくれない神々に、(わたし)を救ってくれない神々に――。

 

 存在する価値は、あるのだろうか。

 

 東風谷早苗は、そう、思ってしまった。

 

 

■ ■ ■

 

 

 また、一週間の時が経った。

 

 いじめの主犯格5人は、既に学校に来ていない。

 5人はもはや、東風谷早苗に対する恐怖心から、学校に足を向けることすらできなくなってしまったのだ。

 

 彼らの感覚的には、クラスメートに放し飼いの猛獣がいる、というようなものなのだろうか。

 

 球磨川禊は、もはや名前すらも覚えてない5人の席を順番に眺め、興味を無くしたかのように視線を逸らした。

 

 逸らした先で、東風谷早苗と目が合った。

 

「どうしました、球磨川くん」

 

 東風谷早苗は、球磨川禊に対して笑みを浮かべる。

 それは、一週間前までの笑顔とは、少し違っていた。なんだか、へらっとしている笑みだ。

 

 ゆるい笑顔、というより、ぬるい笑顔、だろうか。

 

『いやあ、彼ら、来なくなちゃったね』

 

「彼ら?」

 

 一瞬、真顔になり。

 

「ああ、彼らですか……そういえば、そうですね」

 

 そう言って、ぬるく笑った。

 あれだけ東風谷早苗を苦しめていたいじめの主犯に対して、もはや固執していなかった。

 言うならば、彼らを“当然のように受け入れている”。

 

 彼らが、自分をいじめたのも、その結果、ああなってしまったことも。

 全てを、当然のように、受け入れていた。

 

『ふぅん……』

 

 球磨川禊は笑みを深める。

 いい兆候だ、と思った。いや、よくない兆候なのだが。

 だが――、まだまだだとも思った。

 

 彼女の根底は揺らいで、ぬるま湯が注がれてはいるが、まだ足りない。まだ、堕ち足りない。

 

 東風谷早苗の根底は崩れて、彼女の中の神々は地へと沈んだが、沈んだだけじゃ、浮いてくる。

 完全取り除かなければ、東風谷早苗は球磨川禊の居場所まで降りてこれない――。

 

 ならば。

 

『ねぇ、東風谷さん』

 

「なんですか?」

 

『今日、東風谷さんの神社に、行っていい?』

 

 一瞬、東風谷早苗は目を丸くし。

 

「――いいですよ」

 

 へらりと笑った。

 

 

■ ■ ■

 

 

 八坂神奈子と洩矢諏訪子は、東風谷早苗について話し合っていた。

 

「このごろ元気になったようじゃないか。よかったよかった」

 

「神奈子は楽観的過ぎるんだよ……、元気にはなったけど、ちょっと様子がおかしい、と思う」

 

「様子、ねぇ……」

 

 東風谷早苗は、ここ一週間で元気になった――というより、吹っ切れたように見える。だが、洩矢諏訪子は吹っ切れた、という表現もまた、的を射ていない、と思った。

 吹っ切れた、というより、全てを受け入れてしまったような――。

 

「お、早苗が帰ってきたみたいだよ」

 

「ああ、そうだね……って、うん?」

 

 信仰を失おうと、神社内であればある程度の融通が効く。神社内に人が立ち入り、それが見知った相手なら、誰なのかということすらわかった。

 どうやら、今日は東風谷早苗の隣に、誰かいるようだ。

 

「友達かな?」

 

「友達、ね……でもさ、神奈子、なんだか、こいつ……」

 

「どうした?」

 

「いや、私の祟り神としての性質ゆえなのかな……なんか雰囲気が気持ち悪いよ」

 

 

■ ■ ■

 

 

 球磨川禊は洩矢諏訪子の姿を瞳に捉えて、内心、驚いていた。

 てっきり、自分では、信仰が失われ、力を持たない神々を視認することはできないと思っていたからだ。

 見えないなら見えないでやりようはある、という思いで訪ねてきたのだが、見えるのならば僥倖というところか。

 

 霊力などが自分の身体に流れている、とは思えなかったが、球磨川禊の過負荷としての能力は、この世界では幻想の存在だと認識されるのだろうか。

 

 球磨川禊は思考を打ち消し、前にいる洩矢諏訪子へと目を向けた。

 

『彼女が諏訪子様だね』

 

「ああ、そういえば球磨川くんも見えるんでしたね」

 

 球磨川禊の言葉に対して、東風谷早苗は思い出したように口を開いた。

 一週間前ならば、球磨川禊が――話には聞いていても――神々を見ることができる、という状況を目の前にして、打ち震えるほどの喜びを感じていたはずだ。

 けれども、東風谷早苗は既に、全てを受け入れている。

 自分しか神様が見えないという孤独も、誰も信じてくれない寂寥感も――全てを受けれてしまったのだから、この状況に何か思うところはなかった。

 

 

 近づいてきた、洩矢諏訪子に対して、球磨川禊がまず声をかけた。

 

『やあ、諏訪子ちゃん』

 

「――ッ! ……君は?」

 

『僕は、球磨川禊。東風谷さんの友達だよ』

 

「へぇ……、アンタが、球磨川かぁ……」

 

 名乗った瞬間。

 洩矢諏訪子の警戒心が、一気に上がった。

 これには、流石の球磨川禊も面を喰らった。

 

 名前だけで敵視されるということは、洩矢諏訪子はどこかで球磨川禊を知り、警戒するべき相手だと判断した、というわけだ。

 

「早苗、私はちょーっと、こいつとお話するからさー」

 

「え? ああ、そうですか。球磨川くん、いいですか?」

 

 警戒心丸出しの洩矢諏訪子に、それを気にしないで対応する東風谷早苗。どこか歪に見える二人の距離感を見ながら、球磨川禊は満足気に頷いて、言葉を返した。

 

『もちろんさ。神様と二者面談なんて、なかなかできない経験だからね』

 

 気負わず答える球磨川禊に対して、胡乱げな視線を洩矢諏訪子が向けるが、球磨川禊はそれを気にせず、へらりとした笑顔で、家へと進む東風谷早苗に手を降っていた。

 

 そして、東風谷早苗が完全見えなくなったあたりで、球磨川禊は洩矢諏訪子に向き直った。

 

『それで、なにかな。諏訪子ちゃん』

 

「ちがうね、それは私の台詞だ――、アンタはなんなんだ?」

 

『おいおい、なんだかんだと言われたら答えてあげるほど、僕は世の中に対して、情け深くないんだぜ?』

 

「……アンタからは呪い、ではないようだけど、それに近しい“何か”を感じる。私としては、アンタが人間ってのが信じられないね」

 

『呪い、ね。まあ、僕にとってはそうでもないけど、【彼】にとっては呪いかもしれないね。全てを台無しにするマイナスってのはさ』

 

「わけがわからないぞ、人間。……そして、アンタを見て、最近、早苗に違和感を覚えた理由がわかったよ」

 

『違和感?』

 

「呆けるなよ。その呪いにも似た……気持ち悪いモノが、早苗にも見え隠れするようなったんだ。それは伝染するのか?」

 

 

 

 

「へぇ……」

 

「――ッ!」

 

 

■ ■ ■

 

 

「へぇ……」

 

「――ッ!」

 

 球磨川禊が、笑った。

 いや、洩矢諏訪子はそれを笑顔とは認識できなかった。

 

 笑み――なのだろうが。

 笑顔とは、ここまで嫌悪感をもたらすものだっただろうか。

 

 思わず、臨戦態勢に入ってしまう。

 鉄輪を握りしめ、球磨川禊と相対した。

 

『おいおい、諏訪子ちゃん』

 

 それを受けても――神の怒りを受けても、球磨川禊はいつも通り。

 へらへらと、嫌悪感しか与えない笑みを、洩矢諏訪子に返す。

 

『僕は、東風谷さんに連れてきてもらった、ただの友達だぜ? 君の大切な大切な、東風谷さんの友達に……そんなものを、向けるのかい?』

 

 挑発だ。

 洩矢諏訪子はそう思った。

 

 内容は、洩矢諏訪子を諌めようとしているものだが、その表情、その仕草――どれを取っても、彼女を挑発していた。

 

 ゆえに――、洩矢諏訪子はあえて、武器を収めた。

 

『……あれれ?』

 

「それもそうだね、球磨川禊。いやはや、神の名に免じて、無礼を許してくれるとありがたいよ」

 

『へぇー……』

 

 球磨川禊は、洩矢諏訪子の言葉を聞いているのかいないのか――関心したように、頷いた後、言葉を返した。

 

『腐っても神ってことかな? やりにくいね』

 

「神を目の前にして、その言い草……大物なのか、よっぽどの大馬鹿なのか」

 

『じゃあ、よっぽどの大馬鹿ってことで――これも大目に見てくれると嬉しいなっ!』

 

 そう言いながら。

 球磨川禊は、いつ取り出したのかわからない螺子を――洩矢諏訪子の頭に向かって突き出した。

 

『あれ?』

 

「神を舐めるなよ――人間」

 

 突き出した――が、球磨川禊がバランスを崩して、明後日の方向に、螺子は突き刺された。

 地を操る、洩矢諏訪子の能力。幻想が失われたこの世界では、十全扱うことなどできないが、神社というならば最低限のことはできる。

 球磨川禊の足元を陥没させて、転げさせるくらい、造作もなかった。

 

「そして、お前は私に――神に楯突くというだね。人の身で」

 

『おいおい、ちょっとした挨拶だろう?』

 

「へぇ、そうか。じゃあ、私もちょっとした挨拶をさせてもらおうかな――!」

 

 鉄輪を構えた洩矢諏訪子が、飛びかかろうとしたところで。

 

「おいおい、諏訪子。なにをしようとしてるんだい」

 

 背中から声がかかった。

 目の前の球磨川禊を警戒しながら、後ろの――八坂神奈子に声を返す。

 

「こいつは、おかしい。普通の人間じゃあない。ここで潰しておくのが得策だ」

 

『ひどいなー、僕のナイーブな心が傷ついちゃうよ』

 

 球磨川禊の横槍に対して、キッと睨みつける。

 それ以上話すことはない、と洩矢諏訪子が球磨川禊に対して、飛びかかろう、としたところで――。

 

「そうだよ、諏訪子。球磨川くんは、早苗の友達なんだから、そんなこと言ってやるな」

 

 イラっと。

 洩矢諏訪子は、球磨川禊に対する憤りともまた違う、軽いムカつきを八坂神奈子に感じる。

 八坂神奈子には、球磨川禊の異常性がわからないから、そんな対応なんだろうが――それにしても、楽観的すぎる。

 

 球磨川禊を警戒しつつも、そんな八坂神奈子を諌めようと、振り向いた。

 

「……え?」

 

 呆然と。

 おもわず、思考が停止する。

 

「どうした、諏訪子」

 

 そこには、八坂神奈子が立っていた。

 頭に――球磨川禊が手に持っている、特大の螺子を刺した、八坂神奈子が、だ。

 

 一瞬の、空白。

 洩矢諏訪子は、時が止まったような空間を切り裂くように、球磨川禊に向き直った。

 

 

「球磨川禊ィ! いつだ! いつそんなことを……!」

 

『ちょっと止めてよ諏訪子ちゃん、僕はやってないよ』

 

「お前以外に……!!」

 

 あの螺子に刺されると、どうなるのかはわかない。

 しかし、ダメージを食らっている様子がないところと、八坂神奈子が状況に疑問を抱いていないところを見ると、おそらく、精神操作系の能力。

 

 それは、いい。

 神秘の失われた現代にて、そんな能力を持つことは驚きだが、能力事態は納得できる。

 

 だが――。

 

「私はお前を警戒していた! この神社を尋ねたのも初めてのはずだ! 神奈子に仕掛けられるはずが……」

 

『だからさー』

 

 混乱する、洩矢諏訪子に対して、球磨川禊は呆れたように言葉を返す。

 

『僕じゃないって……僕は、ただ、“下層人格”を付与した螺子を渡しただけだって』

 

「渡したって、誰に……!」

 

『気づいているんだろう?』

 

 言葉に詰まる。

 思い当たる人間は一人しかいない。

 しかし――。

 

 そんな、洩矢諏訪子の思考を遮るように。

 

「球磨川くんっ! どうですか、私、神奈子様に螺子を刺せました!」

 

 無情にも、東風谷早苗の言葉が響いた。

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