球磨川禊が、東風谷早苗にした“お願い”は二つあった。
一つは、守矢神社に行ってもいいか。
もう一つは――。
『僕の渡した螺子を、ちゃんと刺してくれたんだね』
「もちろんです! ちゃんとできました!」
褒めて褒めてと言わんばかりに近づいてくる、東風谷早苗。
球磨川禊は労いの言葉をかけつつ、洩矢諏訪子に向き直った。
『ほらね、僕じゃなかったでしょう』
「……なるほどな」
先ほどまで、混乱していたように見受けられた洩矢諏訪子だが、今は幾分か冷静さを取り戻していた。
「既に、早苗にその精神操作を行っていたってことか。早苗を足がかりに、この神社を支配しよう……とでも思っているのかな?」
球磨川禊は首を傾げた。
『いや?』
そうして、東風谷早苗に声をかける。
『僕は東風谷さんには、なぁーんにもしてないよ』
「そんなはずは……ッ!」
『少なくとも人格操作――“下層人格”を東風谷さんに対して使ったことは一度もない』
嘘だ。
洩矢諏訪子はそう思った。
いや、そう思いたかった、が。
『ねぇ、東風谷さん』
「そうですよ、諏訪子様! 球磨川くんは嘘ついていません!」
八坂神奈子と、東風谷早苗を比べると、違いがあることに、気づいてしまった。
八坂神奈子は、歪な変わり方をしている。急ごしらえ、というか、無理やり捻じ曲げられているように見える。
だが――、東風谷早苗はどうだろうか。
球磨川禊の言っていた“下層人格”なるものが使われたか、使われていないか、それはわからない。
しかし、東風谷早苗の変わり方は、歪ながら、それでいて、まるでそれが正しいカタチのようであって。
東風谷早苗の根幹部分が、球磨川禊の手によって、言うなれば、丁寧に変えられているように思えた。
これは球磨川禊を滅せば、それで解決する、という問題ではない。
変えられた東風谷早苗は、球磨川禊がどうであれ、変わったままだろう。
これは――、遠回しな、人質だ。
『理解してくれたようで、よかったよ』
そこまで、洩矢諏訪子の思考が辿り着いた時点で、球磨川禊の声が差し込まれる。
現実に引き戻された洩矢諏訪子は球磨川禊を睨みつけるも、へらりとした笑みは、変わらない。
それに対して、洩矢諏訪子は――。
「それでも、関係ない」
鉄輪を握りしめ、一歩、球磨川禊へと近づいた。
その瞳には、溢れんばかりの敵意、そして、研ぎ澄まされた殺意があった。
『……おいおい、状況を理解したんじゃないのかい?』
「ああ、理解したとも。理解した、理解した上で――私は、その思惑には乗らない」
『あの二人も、君の知っている彼女らに戻せるのは僕だけだよ?』
「そうだな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
だが、関係ない。
洩矢諏訪子は、球磨川禊のペースに乗ることだけは避けるべきだと考えた。
球磨川禊の能力は、本人が解かなければいけないものなのかもしれないし、本人が死ねば解けるものなのかもしれない。
どちらにせよ、今、球磨川禊の話を聞いて、その思惑に乗ってしまったら、それこそ、洩矢諏訪子も術中に嵌るか可能性がある。
それだけは、避けるべきだ。
ゆえに球磨川禊の目的も、聞く必要はない。
もはや、球磨川禊の言葉全て、戯言だ。
『僕が死んだら、彼女らはあのままだよ?』
「だから――」
洩矢諏訪子は、僅かばかりの――しかし、人ひとりに対してなら十分な――神力をみなぎらせ。
「関係ない!」
一つ補足しておくならば。
この一撃は、球磨川禊では回避できないし、当たれば絶命する。
そして、洩矢諏訪子の一撃は、球磨川禊に対しての殺意や敵意――たっぷりと“感情”がこもっていった。
■ ■ ■
なるほど、と冷静に、球磨川禊は迫り来る神力の本流――白き、死の波を閑静していた。
原作で言うところの弾幕……にすら、なりきれていない、ただの神力の塊。
しかしながら、それゆえに隙間なく、球磨川禊では回避、不可能であった。
そして、その威力は、小学生の身には、当然余るほどの威力であり、球磨川禊を確実に死に至らしめるだろう。
――あーあ。これは死んじゃうなぁ。
くわえて、この神力には、洩矢諏訪子の“感情”がこもっている。
“劣化大嘘憑き”では、なかったことにできない、明確な死、である。
当然、洩矢諏訪子は、球磨川禊の能力を全て知らない。
ゆえに、この一手は狙ったものではないが、重なった偶然の結果、最良の一手となった。
もはや球磨川禊に、対策を講じる術はない。
棒立ちの球磨川禊に、死の波は迫る。
まるで津波のように、ちっぽけな人の身を呑み込まんとし――
「は?」
――球磨川禊の眼前で、真っ二つに裂けた。
割れた波の先で、呆けたような声を上げる洩矢諏訪子と、球磨川禊の目が合う。
球磨川禊には、対策を講じる術はなかった。
それゆえ、球磨川禊は何もしてない。
これはそう――“奇跡”だ。
モーゼが海を割ったように、神力の波を、真っ二つに割る“奇跡”。
球磨川禊の撒いた種が、今この瞬間、芽吹いたのだ。
ちらりと、視線を東風谷早苗に送る。
「えへへ、やりました」
そこには、へらりと笑う、東風谷早苗の姿。
先ほど、八坂神奈子に、螺子を突き刺した後の、焼き回しのように、しかし、今度は、自分だけの力で、球磨川禊を助けたのだ。
球磨川禊は堂々と、洩矢諏訪子と対峙していたが、何をやったかと言えば、それこそ喋っていただけだ。
そう、球磨川禊は、今回、出しゃばるようで、本質的な部分に関わるつもりはなかった。
これは、変わった東風谷早苗を、二柱の面々に見せつける舞台。
ゆえに、螺子を刺すのも、攻撃を防ぐのも、東風谷早苗の役割だった。
さて、では――。
次は心でも、折ってみようか。
球磨川禊は一歩、踏み出した。