あくる日、守矢神社では、日常が広がっていた。
朝食を前にして、朝の団欒を囲む三人。否、一人と二柱。
最近、ギクシャクしていた関係が精算されたように、仲良く食卓につく、守矢の面々。
「もー、神奈子様、食事中くらい、新聞読むのは止めてくださいよー」
「ん、ああ、すまないね」
東風谷早苗の、たしなめるような一言に、一つ謝罪をして、八坂神奈子は新聞を――この地域だけに配られる、地方新聞を――閉じようとする。
しかし、閉じる寸前、気になる記事が目に入ったようで、ちらりと一瞥した後、それを東風谷早苗の方へと向け広げた。
「なあ、早苗、この記事さ」
そこには、少年5人が意識不明重体、と書いてあった。
同時刻、まったく別の場所にいたはずの少年たちが、まるで、なにかに押しつぶされたような、大怪我を負った、という内容であった。
「この少年って、早苗と同じ小学校の生徒みたいだし、もしかして、知り合いかい?」
そう言われて、初めて、東風谷早苗は少年たちの名前に目を向ける。
正直言って、まったく興味はなかったし、名前を見てもピンとしないが、よくよく考えてみると、一つの答えに行き当たった。
彼らは、最近、学校に来てない五人組で、そう、東風谷早苗をいじめていた、主犯格ではないか。
「――あ」
そこまで思考がたどり着いたところで、唐突に、洩矢諏訪子が声を上げた。
「私が撃ちだした神力を、早苗が昨日、どっかに散らしたみたいじゃんか。もしかして、あれの被害者になっちゃった子たちじゃないの、これ」
その洩矢諏訪子の言葉に、東風谷早苗は納得する。
「ああー、なるほど!」
そして、直ぐに興味がなくなったように、表情を消した。
「でも、まあ、どうでもいいですね」
東風谷早苗にとって、彼らはどうでもいい存在になっているし、彼らではなくとも、他の人間が自分の能力を被害を受けようとも、どうでもいいと思っている。誰が被害を受けようと、そんなものは東風谷早苗に関係無かった。だって、別に東風谷早苗が特定の相手と交換したわけではないのだから、責められるのはお門違いだ。――そう、本気で考えている。
彼女のそんな思考が読み取れたのか、洩矢諏訪子が顔をしかめる。
「どうでもいいってことはないだろう、早苗」
やれやれ、と言いたげな口振りで、東風谷早苗に目を向ける。
自分が、この未熟な風祝を導いてやらねば、と、昨日までと変わらない思考で。
「5人に分散したから、誰も死んでないみたいだよ。それは、ほら、残念じゃないか」
――そう、言葉を口にした。
これは、守矢神社の団欒。
彼女らの、歪められた日常。
東風谷早苗と、仲良く食卓を囲む、二柱の頭には、未だに螺子が刺さり続けている。
歪んだ性質で、作られた人格で。
彼女らの異常は、仲良く続いていく。
■ ■ ■
東風谷早苗と一緒に登校しようと、守矢神社に訪れていた球磨川禊は、その光景を満足気に見つめていた。
なんて、美しい、家族愛に溢れた日常だろうか。
歪んでしまった東風谷早苗の居場所として、歪んだ家庭を作る。
まさに過負荷的発想であり、常人なら吐き気をもよおす情景だ。
これからも、東風谷早苗の過負荷はどんどん堕落していくだろうし、このまま、ここで、仲良く堕ちていけるだろう。
惰性的に、どんな目的も持たず、あるがままに、自堕落に――ダメになっていく東風谷早苗に、もっとダメな自分を見せてあげることができるだろう。
しかし――。
この異常な日常――否、過負荷な日常がこれからも続くことはない。
それを壊すのは、他の誰でもない、球磨川禊なのだから。
ただ、一言、こう呟けばいい。
『“劣化大嘘憑き”――』
この目的は、果たさなければならない。
それは【彼】の悲願であり、また、球磨川禊の目的とも一致する。
『――この世界における、球磨川禊が存在した、あらゆる痕跡を、なかったことにした』
幻想入り、という言葉がある。
すべてを受け入れる、残酷な幻想の地――幻想郷。
その幻想郷に入り込むこと、すなわち、幻想入り。
幻想入りする方法は、いくつかある。
偶然迷い込んでしまうこともあれば、自らの霊力や妖力を使い、強引に入り込む者、幻想郷の者に手引きをしてもらったり、死んだ後に流れ着くもの――。
だが、幻想入りするための、正規の方法、と言われれば、一つ挙がる。
それは、現世の、あらゆるものから忘れられることだ。
幻想郷は、忘却された存在の行き着く、最後の安住の地。忘れられたあやかしたちが潜む、まさに、幻想なのだから。
ゆえに、球磨川禊は幻想入りを果たすに当たって、この方法を取った。
人為的に、無理やり自分を忘れさせるのだ。
そうすれば、自ずと、この身は幻想の地へ――。
『……あれ?』
“劣化大嘘憑き”は発動した――が。
球磨川禊の身に、何の変動、変異もなく。
最後まで締まらない、そんな、球磨川禊であった。
『……あれぇー?』
■ ■ ■
東風谷早苗は、球磨川禊に諭されてから――あらゆる理不尽を受け入れるようになってから、初めて、混乱していた。
今の東風谷早苗の精神は、そうそう揺さぶられることはない。突然、目の前の席に座るクラスメートに殴られたりしても、そんな理不尽を、あるがままに受け入れ、へらりと笑みを返すことができるだろう。
しかし、目の前の席、そこに座るクラスメートを見ながら、心穏やかではいられなかった。
別に、そのクラスメートに何か思うところがあるわけではない。興味もなければ、どうでもいい。しかし、そのどうでもいい彼が、当然のように、そこに座っているという事実が、東風谷早苗の精神を揺さぶった。
そこは、本来、球磨川禊の席である。
しかし、誰も疑問を挟むことをしない。
そこに彼が座ることにも、そこに球磨川禊がいないことにも、出席確認で、球磨川禊が呼ばれないことにも、誰も、なにも、疑問を挟まない。異論を挙げない。
まるで、そう――球磨川禊の存在が、なかったことになってしまった、ような……。
「……ッ!」
そこまで、思考がたどり着いたところで、東風谷早苗は席を立った。
ランドセルも、筆記用具も、先生への一言も忘れ、東風谷早苗は教室を後にする。
「球磨川くん……! なんで……!」
■ ■ ■
“劣化大嘘憑き”が発動しても、幻想入りすることはなかった。
自分の痕跡――他人の記憶や、住居、戸籍までなかったことにしてしまえば、幻想入りするだろう、と球磨川禊は考えていた。しかし、現在の状況を鑑みると、その予想は間違っていたのだろうか?
『……いいや』
自分の痕跡をなかったことすれば幻想入りする。
これを大前提におけば、今現在、幻想入りできていない理由には、心当たりが二つほどあった。
そして、片方の心当たりは、ここにいれば、そちらから来るだろう、という予想も付く。
守矢神社の境内で、一人、球磨川禊は待ち人を待つ。
「――球磨川くん!」
『やぁ、東風谷さん』
東風谷早苗は、息を切らせて、球磨川禊の前に現れた。
息を整えるのも待っていられない、と言わんばかりの形相で、球磨川禊へと迫った。
「クラスの人たちが、球磨川くんを忘れてて……いえ、先生も、それどころか、出席簿にも球磨川くんの名前はなくて……」
言葉にして、混乱する頭を落ち着かせるように、東風谷早苗は口早に言葉を吐き出す。
そんな彼女の様子を、混乱しているだろうことを理解しながらも、球磨川禊はマイペースに言葉を返していく。
『ああ、東風谷さんも理解しているだろうけど、当然、“劣化大嘘憑き”によるものだよ』
幻想入りするために、自分の痕跡をなかったことにした。
それを説明するのは、いい。
しかし、それを説明して、東風谷早苗をどう説得すればいいのだろうか。
適当に言葉を並べて、煙に巻くことはできるだろう。
だが、球磨川禊は、そうすべきではない、と思った。
球磨川禊自信が、東風谷早苗に対して――仲間であり、同胞であり、友人であり、彼女に対して、そう言った対応を取るのは、嫌だった。
だから、球磨川禊は、真摯に。
東風谷早苗を信頼して、言葉を口にする。
『幻想郷、という場所がある』
「幻想郷……?」
『そう、僕はそこに出向かなきゃならない。僕の中にある【彼】がそうさせる。ま、僕としても行きたくないわけではないんだけど』
そもそも、本来ならば、【彼】は幻想郷の中に転生するはずだったのだろう。
しかし、球磨川禊の過負荷を請け負ってしまったせいで、幻想郷に行きたいという【
ゆえに、【彼】、ひいては球磨川禊は、幻想郷の外の世界に転生してしまった。
「よくわかりませんが、球磨川くんは、どこかに行ってしまう、ということですか……?」
幻想入りするための行動を、今になって起こした契機は、東風谷早苗との出会いだ。
転校するたび、学校を廃校にしていた球磨川禊は、出会ってしてまった。
東風谷早苗。
東方project、原作キャラに。
そうなってくると、球磨川禊の中の【彼】が疼きだす。
東方projectが大好きだった【彼】。
幸福者だった、球磨川禊とは相容れない【彼】。
『――ああ、そうだよ。だから、お別れだ、東風谷さん』
「そんな……ッ!」
球磨川禊としては、東風谷早苗と一緒に――これからも、どこまでもダメになっていきたい、という願望はある。
しかし、【彼】の願望は、そんな球磨川禊の手を止めて、足を動かさせる程度には強かったし、執念深かった。
どこまでも、相容れることができない、球磨川禊と【彼】。
だからこそ、球磨川禊は不完全で、どこまで行っても球磨川禊に成りきれない【彼】なのだ。
さて、では、こうしてしまおう。
憂いを断ち切るために、想いを残さないために。
そのために、このスキルがある。
人格を否定するスキル“
球磨川禊は、東風谷早苗の頭に手を乗せる。
人格を否定すれば、それはすなわち過負荷をも否定するということ。
これで、東風谷早苗は、球磨川禊に出会う前の彼女に戻るだろうし、球磨川禊の痕跡は、これで完全に消える。
さあ――。
「球磨川、くん」
手が止まる。
『……なにかな、東風谷さん』
東風谷早苗は目に涙を浮かべ、しかし、それを我慢しながら、ぎゅっと、球磨川禊に目を向けた。
「私、絶対追いつきます」
『……追いつく?』
「球磨川くんのこと、忘れても、球磨川くんが、どこに行こうと、それでも絶対、追いつきます。会いに、行きます」
そう、東風谷早苗は口にした。
球磨川禊への信頼を、同じ過負荷としての信用を。
どこまでも濁りきった、二人の瞳が交差する。
球磨川禊は、そのとき、ふと、気づいた。
東風谷早苗の瞳に映る、自分を見て――自分の瞳を通して【彼】を覗いて。
球磨川禊は、一つ、気づけることがあった。
東風谷早苗に対する、親愛の気持ち、これは球磨川禊だけのものではない。
『――そうか』
球磨川禊は、ポツリと呟く。
球磨川禊は仲間が好きだ。一緒に堕落してくれる過負荷仲間が好きだ。
【彼】は東方projectが好きだ。東方に登場する原作キャラたちが好きだ。
彼らは、東風谷早苗が好きだ。
一致した。
まだまだ不完全だろう。まだまだ負完全には遠いだろう。
けれでも――【彼】と球磨川禊は一致した。
『まあ、いいかな。プラス側の人間とはいえ――』
不思議そうな顔をする東風谷早苗の頭に手を置いて、
『僕は僕だしね』
カチリと、何かがハマるような感覚を受けながら、球磨川禊はそう呟く。
「球磨川くん、どうし、ました……?」
『ん、いや、何でもないよ……っと、そうだ、――早苗』
球磨川禊は、東風谷早苗を失うのが怖かった。
仲間に忘れてほしくなかった。
しかし、その気持ちは幻想郷へと行きたいと願う【彼】だって、同じように持っていた。
『ちょっとの間、お別れだ』
「……はい」
『でも大丈夫』
深淵を覗かせるように、球磨川禊は濁った瞳で、真摯に東風谷早苗を見据える。
『絶対にまた、会えるから』
沈黙。
「そう……ですね」
それを破るのは東風谷早苗だ。
東風谷早苗だって、球磨川禊を失うのは怖かった。
けれども、それ以上に球磨川禊を信頼していた。
「わかりました、球磨川くん……また、会いましょう」
『そうだね、じゃあまたいつか――』
球磨川禊は東風谷早苗の頭に手を置いたまま、能力を発動する。
ノーマルであった【彼】が受け入れきれなかった、球磨川禊の人格。
そこから這いより出ずった、マイナスさえも否定するマイナス。
『――“下層人格”』
これにより、東風谷早苗は仮想の人格――【彼】の知る、天真爛漫な風祝の少女の人格を与えられた。
一瞬、ビクリと意識を失ったかと思うと、直ぐに意識が回帰する。
東風谷早苗の目の前には、能力発動後に一歩距離を取った、球磨川禊がいた。
「あれ、アナタは……?」
球磨川禊は“下層人格”により、自らの記憶を思い出すことも封じていた。
けれども、これは“劣化大嘘憑き”で記憶を消すのとは違う。
取り返しのつかない“劣化大嘘憑き”とは違って、この能力は球磨川禊の一存で取り下げることができるのだから。
プラス側の人間に戻った、東風谷早苗を見て、球磨川禊は声を掛ける。
『ねえ――』
ただ、こう一言。
『僕を、どう思う?』
「ど、どうって……」
東風谷早苗の瞳に――東風谷早苗の透き通った瞳に、球磨川禊が映り込む。
「なんだか、き、気持ち悪いです……」
球磨川禊は笑った。
『正解』