一日の授業をすべて終え、屋上へと続く階段をμ'sメンバーと共に上る。別に授業が退屈だという訳では無いのだが、階段を上るのに合わせて気持ちも上り調子になる。
会話をしながら階段の踊り場あたりで何気なく外を見るとどんよりとした雨雲と降り注ぐ大粒の雨が目に入る。視線を窓の内側に戻すと気落ちした様子で窓の外を眺めるμ'sメンバーがいた。
「雨か……屋上で練習は出来ないね」
「むー……練習したいよー! 折角μ'sが六人になってやる気満々なのにー!」
「屋上を拠点として練習しているのですから、しょうがありませんね。今日は休みにしましょうか」
『えーっ!?』
穂乃果と凛の抗議の意思を含んだ声が重なる。心底残念だといった様子の二人はどことなく姉妹にも見える。
「もしかしたら雨が弱くなるかもしれないしもう少し待ってみようよ!」
「雨が止んでも濡れた場所で踊るのは危ないんじゃないかなあ?」
「ことりの言う通りです。怪我の危険性がある以上練習は止めるべきです」
「むうぅ……」
ことりと海未の意見に閉口させられた穂乃果だが、階段を上る足は止めなかったためそれに付いていくように全員で屋上に出る扉の前まで来てしまった。
辿り着いたのが先か、雨が弱まったが先か。それくらい絶妙なタイミングで屋上のタイルを打つ雨音が聞こえなくなる。
「やった! 雨が止んだ!」
「練習できるにゃー!」
それを確認した瞬間に穂乃果と凛は屋上へ飛び出していく。その勢いのままに凛が華麗にステップを決めるが、決まった瞬間に先ほどよりも強い勢いで雨が降り注ぐ。
「……私帰る」
「わ、私も今日は……」
「そうね。今日は休みにしよっか」
「そのほうがいいね。こんな天候で練習したら怪我しかねないし。 ……もっとも、外にいる二人はそれ以前に風邪を引きそうだけれども」
「恭介さん! そんな言い方じゃ凛たちが馬鹿みたいじゃないですか!」
「……何も言わないでおくよ」
開け放たれていたドアはそのままに体を震わせて屋内に二人は戻ってくる。二人とも雨に打たれていた時間は短かったものの、水が二人の比較的短い髪からしたたる程度には濡れてしまっている。
「もう、二人ともずぶ濡れじゃないか。本当に風邪ひいちゃうよ?」
「あはは……練習できると思うといてもたってもいられなくなって……」
「凛はこのくらいの雨なら練習できますよ?」
「凛は猫っぽい割に水が平気なんだね」
「えへへ……ありがとうございます」
「いや、褒めてはいないんだけど……まあいいか。ともかく二人とも早めに体拭いちゃいなよ」
『はーい!』
僕のちょっとした忠告を受けて階段近くの床に置いてあった鞄からタオルを取り出し頭や首を拭きはじめるびしょ濡れの二人。僅かな時間だが暇になった僕は穂乃果と凛以外のμ'sメンバーがいなくなっている事に気付く。結局休みになったということだろう。
「二人とも体拭き終わったら制服に着替えて早く帰りなよ? 今日は部活休みになったんだろうし」
「じゃあ今日は皆でいつも行ってるお店に行こう! きょーくんも来れる?」
「まあ今日は暇だけど……皆でいつも行ってる店なんてあったっけ?」
「あっ……ごめん、きょーくんは行ったことないんだっけ」
「僕だけ仲間外れにされてた感じ……?」
「いやっ、そういうわけじゃなくてっ! その、女の子だけで話したいこともあるじゃん!」
珍しく歯切れが悪い穂乃果。だが言っていることはごく普通の事だ。そりゃあ年頃の女の子なんだから男がいる前で話したくないことも少なからずあるか。
「じゃあ、凛が皆に伝えておきますね!」
いつの間にやらスマートフォンを手に取り指を液晶画面に滑らせる凛。ただちらちらとこちらに含みのある目線を笑みと共に向けてきている。一瞬僕に向けてきているのかと思ったが目線の方向からして穂乃果に向けているようだ。その視線を向けられている穂乃果は瞳を同様で揺らしながら顔を赤面させてうろたえている。
「穂乃果、一体どんなことをその店で話してたの? ものすごいうろたえてるけど」
「まあ、その、いろんな事をね?」
「そっか」
言えないようなことを話してましたということが言外にありありと伝わってくる。さすがにそれを掘り下げる程無神経ではないので話を流す。
穂乃果が落ち着きを取り戻す頃にはμ'sメンバー全員から了承の返事が送られてきていた。本当に何を話したのか気になるなあ。
僕を除いた皆で行っていたという店に辿り着いてみればそこはありふれたファストフード店だった。
いつもの店というから勝手に落ち着いた雰囲気の喫茶店のようなところを想像してしまっていた。無意識のうちにいつもの店が行きつけの店といういかにも大人な雰囲気を出す言葉に変換されてしまっていたようだ。
μ'sメンバーで固まってテーブル席に座り、各々注文したものを口にし出す。
未だ雨で練習が中止になったことが不服であるらしい穂乃果はポテトをつまみながら不機嫌そうな表情をありありと浮かべている。
「穂乃果。怒りを食欲にぶつけては取り返しのつかないことになりますよ」
「分かってるよ……むー……」
海未の忠告に生返事とはいえ同意しているにもかかわらずポテトを食べる手は止まらない。あまり長くない付き合いの中でも素直な分強情なところもある穂乃果はこうなるとなかなか戻らない事を僕は承知している。
「さっき明日の天気について調べてみたんだけど……明日も雨だって。降水確率は今日よりも高いみたい」
「えーっ!?」
会話に新しい風を吹き込ませるために何気なくことりによって発された話題はますます穂乃果を不機嫌にさせてしまう。ここまでくると不機嫌というより落ち込んでいるという表現の方が正しいような気もするけれど。
「はぁ……あれ?」
気分が落ちたためだろうか。今まで正面を向いていた穂乃果が卓上のトレーに目を落としたのだが、不機嫌そうな顔が不思議そうな顔に変わった。
「なくなった……海未ちゃん食べたでしょ!」
「自分で食べた分も忘れたんですか!? ……というか穂乃果こそ私の分を食べたんじゃありませんか!?」
穂乃果が海未に詰め寄るが、自分のトレーに乗っていたポテトが無くなっていることに気付いた海未も穂乃果に疑いの目を向ける。
「もしかして……きょーくんが食べたの!?」
「そうなんですか、恭介君! だ、男女が同じ食べ物を分け合うなんて!」
「いや、違うよ! さすがに女の子から食べ物をかすめ取るなんてことしないよ」
「だよねぇ……」
「そうですよね……」
「そんなことより! 練習場所どうするの? どうにか教室とか借りられないの?」
「うん……先生にも相談してみたんだけど、正式な部活じゃないと借りられないって……」
どうやら既に先生に相談していたらしいことりが真姫の疑問に返答する。その返答により自分たちの座るテーブル周辺に手詰まりになった時独特の沈黙が流れかける。正式な部活になりさえすれば……正式な、部活?
「部活を新設する条件って……たしか入部希望者が五人以上ってことだけだよね? 生徒会とか先生方の承認が必要な点は別としてもさ」
「その条件が満たせないから困ってるんじゃん……か?」
『あっ……』
穂乃果が当然の事を聞くなと言わんばかりに声を上げるが、どうやら途中で気が付いたようだ。
そんな穂乃果の様子を見て他のメンバーも察する。
「……皆気付いたと思うけど、作れるんだよね。部活」
「わ、忘れてたぁ……」
「忘れてたんかーい!」
穂乃果の呟きに反応して仕切りの向こうからこちらに身を乗り出して大声を上げる人物が一人。
「……今のは?」
穂乃果が隣の席の人物を訝しみ、立ち上がって仕切りの向こうを見つめる。僕の座っている席からでは隣の人の風貌を見て取ることはできないが……不審者とかじゃないよね?
「それより! 忘れてたってどういうこと?」
僕の不安を知ってか知らずか、真姫が多少強引に話の流れを引き戻す。
「あはは……メンバーが集まったら安心しちゃって……」
立った姿勢のまま頭に手を当て恥ずかしさを含んだ表情で弁解する。
「はぁ……この人たち駄目かも」
「部室の問題については解決の目途が立ったんだから良しとしようよ。真姫が頬杖ついて今みたいに溜息つきたくなる気持ちも分かるけど」
「あなたも意外と苦労人ね。四人でやってた時は大変だったでしょう?」
「意外とそんなことはなかったよ。なんだかんだ三人も一生懸命やってくれてたからさ」
「謙虚なのね。私のクラスにいる男子とは大違いよ」
「一年生の男子は数がかなり少ないって聞いてるけど……どんな人がいるの?」
「男女比率が女側に酷く偏ってるっていうだけで舞い上がる人たちだけよ。取るに足らない人ばかりよ」
真姫の一年生男子を蔑む言葉に少し驚く。花陽の加入の時の言動とかを見て優しい人だっていうのは分かっていた分余計に。
「だから真姫ちゃん昼休みとかの時間は教室にいないのかにゃー?」
「ええ。騒がしいのは好きじゃないの」
「かよちんと一緒だにゃー! 凛は元気で良いと思うんだけどなあ」
「私は騒がしい所が苦手だから……アイドルのライブなら平気なんだけど……」
「僕も同感かな。ただはしゃぎたくなる男子の気持ちも少しは分かるかな。やっぱり女子の方が多いとどうしてもね」
「そういうものなの? じゃあ恭介もμ'sの活動の時は内心はしゃいでるのかしら?」
僅かに挑発の色を含ませた視線をこちらに向けてくる真姫。μ'sの活動を手伝ったりしている時は楽しいと感じているから……はしゃいでる内に入るのだろうか?
「はしゃいでるというか……かわいい女の子三人と一緒に活動少し緊張してたのにそれが三人も増えて六人になったんだから毎日ドキドキだよ」
「っ……あなた、そういうところよ、気を付けるべきなのは。ある意味短所ね」
「凛もそう思うにゃー……」
「ふ、不意打ちでした……」
笑顔で会話していた三人がうろたえ出す。こんな恥ずかしいこと言った僕がうろたえる方が自然な流れかなとも思ったが先にうろたえられてしまうと冷静になってしまう。
「ごめんごめん。変な事言っちゃったね。気にしないで」
「遅いわよ……もう、いじってやろうだなんて考えるんじゃなかったわ」
「ふふ、一応年上だからね。このくらいじゃ揺らがないよ」
「ゆ、揺らぐとかそういう問題じゃない気もするにゃー……」
「多分素で言ってますよね、恭介さん……」
呆れた声色の呟きを最後に三人は僕の耳には入らない程度の声量でひそひそと話し始めてしまう。聞き耳を立てれば聞き取ることも可能かもしれないが、そんなことをして不信感を抱かれるのも嫌なので仕切りの傍に座る穂乃果達二年生組に視線を移す。
何やら幼馴染三人組で楽し気に会話しているが、夢中になっているためか仕切りの隙間からハンバーガーに伸びる手に誰も気づいていない。
「穂乃果、ハンバーガー取られかけてる!」
「ええっ!?」
僕の警告の声にハンバーガーを掴んだ手がビクッと跳ね上がり止まる。その姿は天敵に見つかっていることを知ってなお擬態を続けようとする昆虫を彷彿とさせる。
しかし相手は人間。いつまでもその状態でいるはずもなく、ゆっくりと仕切りの向こう側に手は引っ込められていき、手がこちらから見えなくなったと同時に仕切りの向こうから気配が消える。
「に、逃げられた!?」
「穂乃果、追いかけてください! 私は回り込みます!」
不測の事態に強いのであろう海未が穂乃果に指示を出す。もっとも、走っていく人物の速度を見る限り大それた作戦など立てなくとも穂乃果が簡単に捕まえられそうだが。そんなことを考える間に穂乃果の手がその人物の肩にかけられるのだった。
「あんたたち、解散しなさいって言ったでしょ!」
穂乃果とのポテトを巡る短い口論を終わらせて真っ先に発せられた言葉。幼さを残した声とは釣り合わない強気な発言だ。穂乃果は当然それを拒否しているが……相手も譲歩する気は無いようで、解散しろとの一点張りだ。
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
「偉そうに入ってくるんじゃないわよ! あんたには関係ないでしょ!」
「一応μ'sの関係者だからね。見過ごせないよ」
「ならあんたにも言っておくわ! 絶対μ'sは失敗するんだから今のうちに解散しなさいよ!」
「それはできない……ライブを見た君なら分かるだろうけど、μ'sの皆は本気なんだよ」
「なっ……! み、見てない!」
「……まあ、そういうことにしておこうか。ともかく廃校を阻止するためにも今は立ち止まってる場合じゃないんだ。悪いけど君の意志には添えない」
「もう! 埒が明かない! 失敗して後悔したって遅いんだから……」
段々語気を弱くしながらもそう言い切って走り去ってしまう。臆することなくμ'sに対して勧告してくる理由は何なのだろうか。今の会話からでは読み取れなかったが、ただならぬ理由があることは彼女の口調がそれとなく告げてきていた。
気色に満ちた声と共に部活の申請書を出した穂乃果に帰って来たのは怜悧な生徒会長の声だった。手を組んで机に置き、こちらをじっと見つめてくる姿は裁判官の様。
「部活の新設は認められないわ」
「えっ……どうしてですか!? 部員は七人もいるのに……!」
「もうあるのよ、アイドル研究部が。部活を統廃合していくこの時期に無闇に部活を増やすわけにはいかないの」
「そんな……!」
「ですが、アイドル研究部とアイドル部というのは似て非なるものなのでは?」
「似た部活が存在することも避けたいのよ」
取り付く島もない、という感想を抱かざるを得ない。言っていることは正論だが……別に穂乃果達が間違ったことを言っている訳では無い。どちらかが折れなければ話は進んでいかないだろう。
お互いが意見をぶつけ合い、妥協策も見当たらず話が平行線を辿りかけた。場には張りつめた弦のような静寂が漂う。
「……アイドル研究部と直接話をつけるのが一番の近道やね」
「希……!」
副会長が静寂を打ち破り提案する。解決策を提示してくくれた訳ではないが正論をぶつけ合っている以上これ以外に目新しい意見は出てこないだろう。
「そうですね。アイドル研究部の方々と話し合いをしたいと思います。僕達がアイドル研究部に所属することになるかは分かりませんが話がついてからまた来ます」
「……分かったわ」
ちらちらと恨めし気に副会長を見ながら了承してくれる。感情論で僕達を否定してこないあたり大人びている。表情が不本意であることを僕にうかがわせてしまうあたりちょっと子供っぽい部分もあるのかもしれないけれど。
「それでは失礼します」
『失礼します』
僕に続いて皆も退室する。生徒会との妥協案が見つかったことと生徒会室内に充満していた圧迫感のある空気から解放されたことで全員の表情は安心しきっている。
「じゃあ早速アイドル研究会の人と話をしに行こうか。くれぐれも失礼のないようにね」
『はーい!』
「私としては元気に返事をしてる二人が一番心配なのですが……」
「げ、元気なのは良いことなんじゃないかなあ……?」
「立ち上がりから不安要素だらけね。相手を激昂させるなんてことにならなければ良いけど」
「り、凛ちゃんもその辺はわきまえてると思うよ……?」
アイドル活動を学校公認のものにするためには失敗が許されないから釘を刺しておいたのだが……刺した釘は風船を割ってしまったようだ。僕の一言が原因で一気にひどく賑やかな会話が始まってしまった。
「はぁ……危機感ないなあ……」
「でもきょーくんちょっと笑顔になってるよ?」
「変に緊張したりしないほうが皆らしくて安心してる部分もあるからね」
「そっか。リーダーみたいだね」
「僕はリーダーなんて柄じゃないよ。こういうのは穂乃果が一番向いてるんじゃないかな」
「じゃあ副リーダー?」
「そういうのは穂乃果の幼馴染の二人が務めるべきだと思うよ」
「私は引っ張られてばっかりだから……穂乃果ちゃんの足かせになっちゃうよ」
不安げに瞳を揺らしながらぽつりぽつりと話すことり。いつも頑張る姿勢は僕達から見ればとてもいじらしいが、本人からすればいじましくもがいているだけなのだろうか。そうなのだとすればその認識を変えてあげたい。僕はその一心で慣れない台詞を積み重ねる。
「思いっきり突っ走る人間にはブレーキが必要なんだ。周りをよく見て引っ張られるときは引っ張ってもらう。止めなきゃいけない時には全力で止める。そんな役割をことりが果たしてみようよ。足かせなんて自分で言わないでさ」
「うん……」
「今は不安で自信が持てないと思うけどさ。自分の手の届く範囲で出来る事を一個一個こなしていこうよ。そうすれば自信は自然とついてくるはずだから」
「頑張って、みようかな……」
「僕は月並みな言葉しか言えないけど、ゆっくり自分の歩きやすい速さで頑張って歩こう。早歩きは辛いから」
「……ありがとう」
劣等感に苦しんでいる様子のことり。それでも苦しんでいるということは現状を変えようと努力しているということなのだと思う。
それを感じなくなった時に残るのは諦めだけだから。
そうは考えつつも、微笑みを浮かべて話題を切り替えることりの様子を見ると僕の言葉が逃げを許さなくしてしまったような気がして心が締め付けられた。
んー……話が暗い。
次は番外編みたいな感じの話にして明るくできるようにします