穏やかな春の日差しが差し込み、わずかに開かれた窓から入ってくる風は教室の掲示物をわずかに揺らしている。まだ朝早くということもあり教室に人はほとんどいない。
そこで僕は……いや、僕達は入学式当日のような期待と少しの不安からくる緊張を味わっていた。
「うう……今日の授業、身が入らないかもしれません……」
「私も集中できないかも」
「穂乃果はいつも集中してないじゃないですか!」
「むっ! それは言い過ぎだよ! 私だってたまには集中してるよ!」
「穂乃果ちゃん、たまにじゃ駄目だと思うな……」
「というか穂乃果って結構な頻度で先生に起こされてるよね。そろそろ先生に目付けられてるんじゃないの?」
「……」
「やっぱりか……まあ僕は何も言わないけどさ。せめて板書はとるようにね」
「はーい……」
穂乃果は椅子に座ったまましょんぼりとうなだれてしまう。心なしか普段より頭のサイドポニーまで下がっているように見える。
「そんなに落ち込まなくても……別に出来ないことを頼んでる訳じゃないんだからさ」
子供をあやすような感覚で穂乃果の頭を撫でる。さらさらとした感触が指と手のひらに伝わってくる。
うつむいたままの穂乃果の顔が朱色に染まる。
「きょ、きょーくん……恥ずかしいよ……」
「あっ、ごめんね。そりゃ嫌だよね」
反省して穂乃果の髪から手を離す。手を離した後も穂乃果は落ち着きなく指を動かしながらうつむいている。
「恭介君……? この前注意したばかりですよね……?」
「反省しない子には……お仕置きが必要だよね」
海未とことりが僕の目を射抜かんばかりに見つめてくる。あまりに凝視されるものだから僕も目を離すことができない。
結局その後僕は先生が来る直前まで椅子に座らされて説教される羽目になった。ちょっと理不尽じゃないだろうか……
海未とことりの説教から解放され、朝から疲労困憊の状態で臨んだ一時間目、生物の授業。
生物の先生は板書と説明だけをして生徒に回答や発言を求めたりしない種類の先生なので授業中時折暇な時間が生まれる。その時間で考えるのは当然今日の放課後のライブのことだ。
結構宣伝もしたし、練習だって三人は真面目にやっていた。二年生の学級内でも応援しようという声を耳にする。それでも不安は拭いきれない。
もしもライブが失敗に終わったら穂乃果達に何て声をかければ良いのだろうか……唐突に悲観的な考えが浮かんでくる。始まる前から応援する立場の僕が落ち込んでいたら駄目じゃないか。どうにかしてその考えを振り払おうとしている間に窓から入ってくる風は冷たいものに変わっていた。
「これで、新入生歓迎会を終わります。各部活とも体験入部を行っているので興味があったらどんどん覗いてみてください」
六時間目の授業を使って行われた新入生歓迎会が生徒会長の挨拶をもって終了し講堂は喧騒に包まれる。時計を見ると六時間目終了時刻である十五時五分ぴったりであった。
六時間目終了後に普段は行われている帰りのホームルームも今日は行われずこのまま放課後に突入する。今日の放課後は数少ない新入生を確保しようとどこの部活もやっきになるだろう。
僕は離れた席に座っていた穂乃果達と合流しライブまでの流れを確認する。
「ライブ開始が十六時ちょうどだから……穂乃果達は衣装を着たりして準備する時間も考えてチラシ配りお願いね。僕は講堂でライブの準備とか最終確認とかしておくから。ここで別れたらライブ終了まで会う余裕はないかな」
「えーっ!? ライブ前にきょーくんに一言貰いたかったのにー!」
「時間もあまり無いですし仕方ないですね……」
「じゃあ急いでチラシとか配らなきゃ……やることがいっぱいだよお……」
時間的な余裕の無さが三人の精神的な余裕までも奪う。そこで自分を落ち着けるためにも三人に声をかける。
「確かに時間的な余裕はないけど……落ち着いて目の前の事を片付けていこう。自分に出来る精一杯の事をやろうよ。普段以上の力を出そうだなんて力まないでさ」
三人の顔から少しだけ不安の色が消える。特に海未は何かに気が付いたような表情をしてる。きっとやってきた成果を出して百点以上の動きをしなきゃと自分を追いつめてしまっていたのだろう。
「じゃあ、時間も無いしそれぞれやることをやってしまおうか。ライブ、僕も楽しみにしてるよ。頑張って!」
本当に時間が無くなって来たのでそう言い残して三人の元を離れる。人がまばらになってきた講堂で三人のライブがどんな結果に終わっても目一杯褒めてあげようと心に誓いながら準備を大急ぎで始めた。
十五時五十五分。あと五分でライブ開始時刻だ。穂乃果の女友達だという三人組の助けも借りて講堂の準備は完全に終わらせてあるのだが…いまだに観客が一人も来ない。
焦りが僕の心を満たし始め、せわしなく講堂の中を動き回る。ライブに来ると言ってくれた小泉さんの姿も見当たらない。
「まずい……まさか、このままなんてことは……」
僕の独り言に反応する人がいないまま時間だけがゆっくりと流れていく。ついには閉じられた幕の奥から足音が聞こえてきた。その足音が三人が待機に入ったことを示す。
時計を見ればライブ開始まで残り二分。もはや僕に打つ手はない。ライブがどんな結果に終わっても三人を褒めるという数十分前の決意を胸に最前列の席に座る。
席についた直後ライブ開始を示すブザーが鳴り、ゆっくりと幕が開いた。
静寂が講堂に響き渡る。拍手も歓声もそこには存在しなかった。
「えっ……?」
やっとのことで絞り出したであろう穂乃果の声が僕に届く。分かっていても分かりたくないのだろう。それでも檀上から見える景色が三人に現実を突きつけている。
「穂乃果ちゃん……」
「穂乃果……」
「……そりゃそうだ! 世の中そんなに甘くない!」
悲痛な笑みを浮かべ自分を無理やり納得させるように叫び、穂乃果は目に涙をためていく。今にも零れ落ちてしまいそうだ。
楽しみにしていたライブで涙を流させるなんてことはさせたくない。
「今まで頑張ってきた成果を……どうか見せてほしい! 僕だってアイドルグループμ'sのファンの一人で、このライブを楽しみにしてきたんだ。だから……ファンのために、ライブをやってほしい!」
無我夢中で言葉を紡ぐ。その言葉が励ましなのかどうかなんてことは僕にも分からなくなっていた。
『きょー、くん……』
「恭介君……」
三人は立ち尽くしたまま動かない。このままじゃ悲しい気持ちのまま三人がライブを終わらせてしまう……!
全員が発するべき言葉を見失い再び講堂が静寂に包まれた瞬間、扉が開く音が聞こえる。
「あ、あれ……? ライブは……?」
檀上にいる三人のものでも、穂乃果の女友達のものでも、僕のものでもない声。僕が後ろを振り向くと、走って来たのか息を切らせながらライブが始まっていないことに戸惑う小泉さんの姿があった。
「……やろう! 歌おう! 全力で! だって、そのために今日まで頑張ってきたんだから!」
力強い声で穂乃果が鼓舞する。もう涙は浮かんでいなかった。
「穂乃果ちゃん……! 海未ちゃん!」
「ええ!」
三人が覚悟を決めた直後、μ'sは曲と共に第一歩を踏み出した。
講堂でまばらないくつかの拍手が起こる。最前列にいた僕は気が付かなかったがライブ中にも数人観客が来てくれたようだ。小泉さんの隣には以前も小泉さんと一緒にいたショートカットの女の子が、入り口近くには西木野さんがいる。
椅子の陰からは黒髪が覗いているが……あれは誰だろうか。
気になったのでその子が誰なのか確認しに行こうと思った瞬間、生徒会長が険しい顔つきで講堂に入ってくる。予想外の人物の登場に講堂は再び静寂に包まれる。
「どうするつもり?」
生徒会長は三人に向かって短く問いかける。一番に口を開いたのは穂乃果だった。
「続けます!」
「なぜ? これ以上続けても意味があるとは思えないけど」
「やりたいからです! 今、私もっともっと歌いたい、踊りたいって思ってます! きっと海未ちゃんも……ことりちゃんも。こんな気持ち初めてなんです! やって良かったって……本気で思えたんです!」
穂乃果が自分の思いの丈を伝える。隣に寄り添う二人は微笑を浮かべ、穂乃果の言葉を聞いている。
「今はこの気持ちを信じたい……! このまま誰も見向きもしてくれないかもしれない。応援なんて全然もらえないかもしれない……でも、一生懸命頑張って、私たちがとにかく頑張って届けたい! 今、私たちがここにいるこの想いを! いつか……いつか私達必ず、ここを満員にしてみせます!」
穂乃果のどこまでも真っ直ぐな言葉に思わず目頭が熱くなる。努力が報われたとは言い難い結果だけど、次につながる結果になったと胸を張って言えるだろう。
「……」
生徒会長は何も答えずに講堂を出ていく。それに続くように西木野さんが出ていき、小泉さんと隣にいた女の子は講堂の扉の前で三人に向けてお辞儀をして出ていった。隠れていた女の子もそそくさと出ていく。出ていく直前に見えた姿から海未が渡そうとしたチラシを受け取らなかったツインテールの女の子だということが分かった。実は結構優しい女の子だったようだ。
そして最後に穂乃果の女友達三人組がこちらを向いて意味ありげに頷いてから出ていった。何か声をかけてやれという意味だろうか。
僕はその頷きに応えるように三人に声をかける。
「お疲れ様。とても良いライブだったよ。人の心を動かせるようなライブだったと思う。三人が頑張ったから……こんなライブに出来たんだよ」
最悪の結果に終わらなくて良かったという安心感と三人の満足げな表情を見て半分泣きそうになりながら言葉を紡ぐ。
すると僕の言葉を聞いた三人がそっと壇上から降りてきた。どうかしたのかと思った瞬間穂乃果が優しげな眼でこちらを見ながら話し始める。
「きょーくん。三人じゃなくて四人で頑張ったんだよ。きょーくんは朝練にも毎日付き合ってくれたし、いろんな励ましの言葉をくれた。ライブの準備だってしてくれて、諦めかけた私たちのために精一杯声だってかけてくれた。きょーくんがいたから、ここまでやってこれたんだよ?」
「そうですよ。私達だけじゃ頑張れなかったんです。恭介君の存在はあなたが思っているよりずっと大きいんですよ!」
「きょーくんはμ'sに欠かせない存在だもんね!」
「三人とも……」
このタイミングでこんな事言われたら……まずい。本当に泣きそうだ。
「きょーくん泣きそうになってるの? かわいいー!」
「ふふっ、意外と涙もろいのですね。恭介君はいつも落ち着きがありますから……なんだか新鮮です」
「なんだか弟が出来たみたいな気分になっちゃうな。普段は優しいお兄ちゃんって感じだけど」
「な、泣いてないから!」
三人にからかわれたので慌てて否定する。ことりに至っては僕を落ち着かせるように頭まで撫でてきている。
「と、とにかく! これから先穂乃果が言ったようになかなか応援してもらえないこともあると思うけど、僕はずっと応援し続けるから! 四人で頑張って廃校を阻止してこの講堂を満員にしよう!」
『おー!』
気勢を上げて声を発する三人の顔にはもう迷いなど浮かんでいなかった。
思っていたよりも文章量が少なくなってしまいました。
若干まとめすぎてしまいましたね