Fate/alter Seven Sight ――the Next Sight―― 作:どっこちゃん
プロローグ
――――馳せる。
その視界は、まるで私自身が疾風の四足を得、夜を駆け抜けるかのように鮮やかだった。
「
真鍮ランプの光芒に仄明るい、静謐の支配する深夜のオフィスビルの一室、そこに坐したまま、私の感覚はその韋駄天のそれに重なっていた。
魔術師である私ですらも、己が従僕の、その凄まじい疾走には内心で驚嘆せずにはいられない。
いま、私は特注のマホガニー製デスクに身を預けたまま、斥候として走らせたサーヴァントの視界を追っているところだ。
「
つい、カウントしていたのに気づく。癖のようなものだ。まるで秒針が時を刻むかのように、鳥の囀りでも真似るかのような、無様な悪癖。焦燥に駆られたようなときに、漏らす癖だった。いつ以来であろうか?
つまりは追い詰められている、無駄に焦り、取り乱さねばならないような状況に、私はいるということになる。
失態であり、屈辱だ。しかし、それでもカウントを止められない。
「
それに気付いてより、5分と36秒27・897232……。いや、引き伸ばされた感覚だけなら、私自身の体感で言うなら4分と22秒27・666667といったところか。
いかに頂上存在とはいえ、すさまじいと言わざるを得ない。
その間に、屋敷に逗留させていたはずの我が従僕は目的地の目と鼻の先まで迫っていたのだ。
詳細はいざ知らず、ただ弟子の身に、決定的な危険が襲いかかったのだということが知れた。
本社の社長室――平時と変わらずデスクにへばりついていた夜のことであった。
何の前触れもなく、それは火急を意味して私の疑似神経を焼いた。
これは本人にも知らせていないことだが、弟子の身に何かが起こった場合、可及的速やかに簡潔な信号の身を送ってくるように仕向けた呪物のおかげであった。
もとは分家の魔術師どもを隷属支配させるための、魔術刻印の機能なのだが、当面は使う必要性もない、無用の長物であった。
十年ほど前に、それを有効活用する意味で戯れ半分に他の子息達と同様、弟子の耳たぶにも仕込んでおいたグラスファイバー製の代物である。
我が秘術によって編み上げられたそれは髪の毛よりもはるかに繊細な代物である。一度仕込んでしまえば、気づくことは一流の魔術師でも難しいだろう。
それがこんなところで役に立つとは思ってもみなかった。いや、本当にこんなものが役に立つ日が来てしまうとは……。
私は更に急ぐようにと、パスを通じての意を従僕に告げる。その念波には焦燥が滲み出ていたかもしれない。
「
深い山林の中、背の高い草木を掻き分け、我が従僕たる益荒男は澄んだ闇に浴する木々の間を縫って、ついには一陣の木枯らしの如く森をすり抜ける。
そして今度は一転、はるか以前からそこで苔むしていた大岩のごとく、ヒタリと制止し次の瞬間には、もはや生き物としての気配すら無にしてその地形に同化しているのだ。
なんという野駆けと穏行の手練であろうか。如何に魔術師と言えど、これを見て――否、これを体感しては感嘆せずにはいられない。
その視点は人のモノではなく、流動循環する
しかし、もはや猶予は絶無であった。嗚呼、時、すでに遅し。
私は思わず、息をするのを忘れていた。
――薫る血の臭い。はじける刃の気配。すでにその周囲を満たし蹂躙し始めているのは、紛れもなく闘争の雰囲気であった。
――やはり、すでに戦闘は始まっていたのだ。そして――
「アーチャー、サーヴァントよりもマスターの確認を……」
私が思念によってそう呼びかけようとした、そのとき――卓越した狩人の視界は、しかしそれが故に、夜の闇に血色の弧を描いた、己が弟子の左腕を克明に捉えてしまった。
背後からの凶刃によって、その左腕を肘から切断された少女――十年来の不詳の弟子である
そこから十メートルばかりの間合いを取って、今の今まで剣戟の火花を散らしていた二人の男の姿があった。ともに長柄の凶器を手にした男達であった。
手にする長槍が不釣合いに映るほどの矮躯の老人と、それゆえ殊更にそびえるかのように見える巨漢。
その充溢する魔力の大渦とも呼ぶべき規格外の存在感はまさしく両者が「サーヴァント」であることを伝えてくる。
周囲に同化したまま前進を続えけていたアーチャーは、そのサーヴァント達からぎりぎりで感知されない程度の距離で足を止めた。
我がサーヴァント、アーチャーの持つ感覚の広さ、索敵能力はサーヴァント随一である。
しかし今の彼らはそうでなくても、アーチャーの存在にまでは気が回らなかったことであろう。
いきなりくろむを襲った凶手の存在に、くろむ自身と同様に彼らも気が付くことができなかったのだ。それほどに、その凶手には気配と呼ぶべきものが皆無だったのだ。
地に伏せるくろむを、その枕元に立つかのようにして見下ろしているのは白い影だった。
闇に溶けるような黒衣の装束をまとっているが、そこから覗く面貌は異様なほど白かった。いや、貌だけではない。その黒衣から覗く腕や足、胴体、その五体が隅々まで異様なほどの白さを見せている。
一見してその姿を口に出すなら、その姿は人体からそのまま抜きされた骨格標本が案山子のように風に揺れている光景を想わせた。
その上、その貌には、本物の骸骨を模した仮面を掛けているのだから、余計にそのような印象が強い。
見れば見るほど異様だった。特筆すべきはその体表であろうか。
その肌はもはや色味を失っているなどという表現では追いつかず、今まさに溶け出さんとする蝋燭。或いは触れれば崩れるゼラチンのような質感を想わせた。
『アサシンか……』
アーチャー自身が低く呟いた。自らの声を聞くように、私はそれを聞き取った。
確かにあの姿は暗殺者のサーヴァント、アサシンに違いないのだろう。しかしこちらにしてみればそれどころではない。
今まさに殺されそうになっていた弟子、くろむはどうなったというのだろうか。
しかしその心配は――と言っていいのか、――杞憂に終わった。
血を流し、未だ蒼い顔をしてはいるようだが、あの子は無事だった。彼女の腕を切断したアサシンはそれ以上の行動を起こさなかったのだ。
漫然と佇むアサシンの背後から、その時一人の女が歩みだしてきた。
不覚だった、としか言いようがいない。
気配遮断をその得手とするアサシンが忽然と出現したように見えたのは、まだ理解できる事態だが、その女の出現にはもはやどのような理があるのか、魔術師たる己にさえ、それが判じようもないのだ。
それは青光りするような長い黒髪を無造作に流した、細身で背の高い女だった。
肉付きのいい総身を、くまなく覆うタイトな衣装は漆黒で、その上に何やら、鉱石のような素材を埋め込まれた外骨格のごときボディアーマーが絡み付いている。
さらに、その顔にもアサシンのそれ以上に無謀の仮面が有った。
月光に絖るような黒が、闇の中にたおやかな女の輪郭を闇の中に浮かび上がらせている。
アサシンが当然のように付き従っている様を見るに、そのマスターと見るのがこの場合最も妥当であろうか。しかし、この女、見たところ魔術師ではない。
この衣装も一見ライダーズスーツのようにも見受けられるが、アーチャーの目はそれが魔術師、あるいはそれに順ずる外道との戦闘のためのに誂えられた防護服なのだと即座に看破していた。
黒衣の女は無言のまま、くろむを抱き上げた。華奢な少女とはいえ、気を失った人一人を抱えながらも、まるで重さを感じていないかのようなその姿勢から、その女の全身に漲る凄まじいバネが窺えた。
「……
委細は知れないが、只者ではない。苦い確信が固まりつつあった。
一方くろむはと言えばぐったりとして意識を失ったままだが、それでも規則正しく呼吸をしているのがうかがえた。
応急手当の魔術が機能しているのか、肘のあたりで切断された腕の断面には自身の黒い魔帯によって止血がなされている。
女は、涅の顔に着いた血を拭うと、そのまま何事もなかったかのように踵を返した。
「――
私は強引にカウントを打ち切った。これ以上機をうかがっている場合ではない!
「アーチャーッ、行かせては……」
『応!』
駄目よ! ――と、いう指示よりも早く、アーチャーは動いていた。……共有の魔術によって主従の距離が近まっていたせいだろうか。聞くまでもないということなのか?
己のこめかみのあたりが、ひくひくとひきつるのが分かる。
魔術師なら当然のことだが、本来なら、このような粗雑な対応をサーヴァントに許すつもりなどない。許す道理も、全くない!
第一、サーヴァントも使い魔である以上、一応は指示を最後まで聞くべきではないのか? どうにもこのサーヴァントはサーヴァントとしての心構えというものがなっていない!
まったくもって気に入らない――が、この場合は仕方がない。良しとしよう。今宵、彼に下された至上命令は我が不肖の弟子、くろむの保護なのだから。そのために率先して動く以上、この際細かいことには目をつぶるべきだろう。……あくまで今宵に限ったことではあるが。
しかし有無を言わさず射出された、全くの死角からアーチャーの「矢」を白いシャレコウベは見向きもせずに打ち落とした。
『アサシン、あとは任せます』
『是――』
どうやら、芸術的な域にさえあったアーチャーの穏行は、しかしこのアサシンにはとうに見透かされていたらしい。さすがは影のサーヴァントといったところであろうか。
アーチャーも穏行をやめアサシンにと対峙する。あまり良い状況とは言えない。見れば、先ほどまで刃を交えていた巨漢と老人のサーヴァント達は供に姿を消していた。
マスターがこの場に不在であった、あの禿頭のサーヴァントが姿を消したのはともかくとして、先ほどまでくろむと供に戦っていた筈の、そのサーヴァントであるはずの巨漢の姿までもがなかったのには疑問を抱かざるを得ない。
しかし今は思考を棚上げにするしかないだろう。むしろこちらに干渉されないならそれに越したことはない。
サーヴァントがマスターを必要とするのは己の利害関係によるものなのだし。安易に味方と考えることはできない。
むしろここで、あの巨漢のサーヴァントも交えた三すくみにでもなってはかなわない。
再度クロスボウを構えようとしたアーチャーに対し、アサシンはすさまじい動きで一気に間合いを詰めてきた。
こうなっては一騎打ちしかない。ここはアーチャーに任せるしかないか。
アサシンが突き立てようとした凶器を、アーチャーは咄嗟に引き抜いた山刀で受け止める。
しかし、アサシンは、さらにそのまま空いた腕の掌から巨大な針のような凶器を四本ほどひり出し、五指の間に挟んでアーチャーの顔に突き立てようとした。
アーチャーもまた、空いたほうの太い腕を差し出し、それを盾としてアサシンの攻撃を防いだ。
針を突きたてられたアーチャーの腕から血が滴る。
「アーチャー!?」
『心配するな!』
私は想わす声をあげた。対して力強い返答が返ってくるのだが、アーチャーだけでこの場を制することが出来るかどうかは正直難しいといわざるを得ない。
確かにアサシンはあのような「防波堤」として使うようなタイプのサーヴァントではないが、しかしアーチャーの方も本来このような直接戦闘に向くタイプのサーヴァントではないのだ。
……今更言っても詮無いことだが、事を急いてサーヴァントを単体で向かわせるべきではなかったのかもしれない。この場から指示を指すことしか出来ない自分がもどかしい。
己さえあの場にいれば、むざむざあの女を逃がすこともないものを!
『むうぅうううッ!』
臍を噛む思いの私の耳に、アーチャーの粗暴――と言うよりもやはり粗野な唸り声が重なる。
アーチャーは手にした山刀だけではなく、貫かれた腕にまで満身の力を込め、拳を握り締めてアサシンの細腕を押していくのだ。
己のサーヴァントのことではあるのだが、さすがに私も唖然とするより他なかった。なんとも力任せに過ぎるのでは?
対して、仮面の下であからさまに溜息をついたアサシンは、さっと身をひるがえして、アサシンの腕を捻り上げた。凶器に貫かれた腕からは血が噴き出し、アーチャーの顔が苦悶に歪む。
『非――貴様、本当に英霊か?』
嘲るのを通り越して、呆れ果てたようなアサシンの声が響く。正直、私もその言葉に同意せざるを得ない。やはり、呼ぶサーヴァントを間違えたのだろうか……?
『非――敵の刃を素手で受け止める不用意さ、その上その程度の膂力で力押しの戦法しかとれんとは……この針に毒が塗ってあるとは考えなかったのか?』
しかしそこでアーチャーは苦悶を漏らしつつも、その髭面の下からグハッっと粗暴な笑い声を張り上げた。
『非――なん、だッ?』
同時にアーチャーの体制を制していたはずのアサシンが困惑の声を漏らした。アーチャーとの感覚を共有している私ではあるが、痛覚までは解らない。このやり取りの次第はうまくつかめない。アーチャーは何をしているのだ?
『ハッ、毒が塗っとらんことくらい、見ればわかるわい。まったく、暗殺者だかなんだか知らんが……』
何事かを悟ったのか、アサシンはすぐにその場から離脱しようとしたようだった――が、この白蝋の如きサーヴァントは、すぐにはその場から動くことが出来ないようだった。
なぜなのかは、私にもわからない。ただ、もしもその仮面がなかったなら、私にもその貌に浮かんだ驚愕が見て取れたかもしれない。それほどにアサシンの声にはありうべからざる狼狽が含まれていた。
「非――キサ」
『猟師を馬鹿にするんじゃないわッ! こんッの――』
――ハナタレがァ! という怒声が爆ぜ、念派とわかっていてもなお耳を聾するかと言うほどに轟いたとき、優位にいたはずのアサシンはもはやそこにはいなかった。離脱していたのだ。
関節を決められた状態から、無理矢理に身を捻ったアーチャーは、空いた拳骨を振りかぶり、アサシンを打ち据えようとしていた――らしい。
言及するまでもなく稚拙極まりない戦法である。いや戦法とも呼べないかもしれない。なんでこう雑な男なのか……。
しかし、なぜそんな稚拙な攻撃に対してアサシンは引いたのだろうか?
そんな私の疑問を置き去りにして、アーチャーは再び、しかもなんと弓を取り出すのではなく、今度は自ら拳を握りしめてアサシンへ向けて突貫していくのだ。
私は再び声もなかった。しかし、それを留める指示を思いとどまった。アーチャーは前進する。その足運びには、一切の戸惑いはない。
一方のアサシンも後退をやめる。無手で迫るのも大概だが、その上に避けてくれといわんばかりの大振り。――たしかに、これで引けというほうが無理な注文というものだろう。
案の定、一度は引いたアサシンも両の無手であった掌から更に大量の針をひり出し、カウンターを狙う腹のようであった。
しかし――今まさに交差しようとした二者のサーヴァントの間に、あらぬ方角から飛来した閃線が割り込んだ。
それは、山刀であった。
アーチャーを迎撃しようと踏み込んだアサシンの首を、死角から狙うようにして分厚い刃が襲ったのだ。間一髪、身体を不自然なまでに折りまげてそれを回避したアサシンだったが、
その体制は、既に死に体であった。
もはや避けることの出来ない巨大な拳骨が――奔る。
感覚共有を通して、その風切り音が私の耳を聾する。
アサシンの咄嗟のガードは意味をなさなかった。砲弾のような拳打によって暗器は折れ曲がり、その細身は木端のごとく吹き飛び、――否、それだけではない。
なんと、アサシンの痩身は上下二つに千切れ跳んでしまったのだ。
下半身は爆散したかのように細切れになってバシャリと散らばり、上半身は大量の内容物をこぼしながら点々と地を転がった。
さしもの私も、この威力には言葉を失った。先ほど、無理な体勢からでも、これを避けようとしたアサシンの考えが手に取る様にわかったほどだ。
しかしアサシンは未だに生きていた。
両脚と大量の内臓をなくしながらも、宙空で奇態な動きを見せ、黒衣を播いて地に伏せたのだ。
アーチャーの拳打にも驚いたが、このアサシンの異常な生命力にも舌を巻かざるを得ない。
これがサーヴァント同士のせめぎあいだというのだろうか?
あらゆる意味で、そこには常識すら入り込む余地は残されていないらしい。無論魔導の理論に当てはめてもなお、である。
一方アーチャーは、この粗雑な山男は、そんな事はついぞ気にするそぶりもなく、山刀を拾い上げて口角を吊り上げた。
『確かにワシは「せんとうくれん」なんて上等なものは受けたことはないが、見てのとおり、喧嘩は上手いもんだろう? なぁ』
アーチャーは自分の大振りを見たアサシンが迎撃に出るのを見越して、山刀をブーメランのように投げ放っていたようだ。
しかもその片腕には四本もの針が突き立ったままであった。……つまり、こういうことであろうか? アサシンはアーチャーの剛腕からその針を、
『是――――さすがは腐っても三騎士の一角。なるほど、侮るべきではなかった……』
己の体液に塗れて泥のようにわだかまり、さらに泥むような声色でそう言ったアサシンは、驚くべきことに、なんといましがたバラバラにされたはずの身体で立ち上った。
『むぅ!?』
これにはアーチャーも驚愕の念を漏らした。私も同感だった。それもさもありなん、であろう。よもや、いまの数瞬の間に千切れこぼれた半身を再生したとでもいうのか?
否、黒衣と闇色の大気に遮られて、どうやっているのかは定かでないが、その身体には足がついていないことは確かなのだ。
その体積は、もはや元の半分も残っていないだろう。いまや辛うじてアサシンに残っているのは頭と胸部、そして奇怪に捻じれた両腕だけのはずなのである。
不死身。無限再生。サーヴァントの能力として、しかしあり得なくはない。なんにしても、未だ素通りはさせてくれないらしい。
歪だったアサシンの両腕は一転、まるで骨が入っていないかのごとく、だらりと下げられた。すると、先ほどにも増して多量の針がぞろぞろと姿を現した。
今度は掌からだけではなく、手の甲や手首からなど、節操なく鋭利な金属が覗いている。
『……しかし、なにかと器用なヤツだなぁ。どうやっとるんだ、それは?』
「…………」
チッ、チッ、チッ、――チッ! この怪人の奇態を「器用」の一言で表した従僕に、私はもう少しで癇癪じみた罵詈雑言を浴びせるところだった。どうしてこう緊張感がないのか!
個人的な話になるが、こういう雑な感性で生きている人間というのが、特に男というのが、私は本当に許せない! 平素であれば身の回りに近づけようとも思わないのだが、自らが召喚した以上遠ざけるわけにもいかない。
『どうかしたか、マスター?』
「
私の煩悶する気配が伝わったのか、怪訝そうな声を掛けてくるアーチャー。しかしそれが余計に神経を逆なでするのだ。
そもそも私が必死に口を噤んでいるのは、余計な会話でアーチャーの隙を作らないためである。しかしそれがこの男には通じない。
わがサーヴァントではあるが、なぜこうなのか……。一向にこちらのペースというものが通じない。合わせる合わせないの前に、この男にはそもそもマスターの調律する綿密な、魔術的階差機構世界の一部たらんとする意識そのものがまるでないらしい。存在自体が認識を拒む虚数の集合体のようだ。
まったく手に余る。気に入らない。
よっぽど罵倒の言葉でも浴びせてやりたかったが、――そんな猶予は有りそうになかった。
アサシンの両腕が更なる奇態を見せる。振り子のように揺れていた骨なしの両腕が、そこで大きく羽ばたくかのごとく振り上げられ、矢庭に鞭の如く伸び、撓る。
『おおっと、こりゃいかんッ』
隙なく身構えていたアーチャーが、しかしギョッと目を剥いて、今度は跳び退った。
何事かと、私が問う間もなく放たれたのは、まるで特大の散弾であった。或いは機関銃の乱射のごとく打ち放たれた飛針が、アーチャーに襲い掛かった。
アサシンのそれはもはや「投擲」の域にはなく、「射出」の行為に等しい。
見栄も何もない横っ飛びでそれを交わしたアーチャーは、すぐさま自分の腕に突き立っていた針を抜いて逆に投げ放つ。
それはオリジナルと比してもなお遜色の無い投擲だった――が、アサシンは黒衣を翻してそれを無造作に叩き落としてしまった。
アーチャーは間髪置かずに今度は手持ちの飛刀――所謂スローイング・ナイフ――を手にとって、揺らめく黒衣目掛けて打ち放つ。美しい弧を描いたそれは今度こそ一方的に夜気に揺らめく黒衣を貫いた。――かに見えた、が。
『非――言った筈だ。侮りはしないと――』
黒衣はそのまま抜け殻のように地に落ち、白い影のようであったアサシンの姿は何処にも見当たらなくなっていた。
しかし、声は確かに聴覚で捉えうる音波として響いている。にもかかわらず、脅威的な空間把握能力を持つアーチャーにも、その声が何処から出ているのかを推し量ることが出来無いようだった。
『是――今度こそ、本気でやってやろう――』
飛針はまったく同じタイミングで、それも、なんと四方から飛来した。アーチャーは辛うじてそれを回避する。これはもう技術でもなんでもない。
彼の、サーヴァントとしても最高峰の幸運値によって針が逸れているだけのことだ。
故にこれは何時までも続かない。幸運が事の是非を分けるのは、その事態に運が介入を果たしうる可能性が残っている場合に限られる。今のアーチャーの状況は何時までも運の介入しうる段階ではない。なにせ、針は今度こそなんの予兆もなく、それこそ四方八方から飛んでくるのだ。
どうなっている? あまりに想定外の事態に、アーチャーの視界を通して私も困惑せざるを得ない。
周囲は連峰のふもとにある集落の粗野な空き地で、それなりに姿を隠す場所もあるはずだが、それでもアーチャーに感づかれずにこんな真似を出来る筈がない。
「アーチャー、気配の位置を探りなさい」
いくらアサシンとはいえ、いざ攻撃を仕掛けようという場合にはその気配を遮断することは難しい。故にその殺気を手繰れば、このような間接的な攻撃は察知できるはず。なのだが――
『ダメだな。探るも何もないぞ、これでは』
言われてから、ようやく私も状況を把握した。殺気はある、確かに消しようもない本気の殺意が遮断されることなく放射されている。
しかし、それが居場所の特定につながらない。
殺気は、凶の気配は、この周囲の四方八方から湧き起こっているのだ。これでは四方を無数のアサシンに囲まれているとしか思えない。
だが、いくらサーヴァントとはいえ、そんなことが可能なのだろうか。
なんにしても、気配を消す事をその最大の能力とするアサシンとしては、まさしく慮外の戦法であった。
それはこのアサシンが本気だという、何よりの証左でもある。
「アーチャー、埒が明かないわ。いっそ霊体化してくろむを追って」
女が立ち去ってすでに2分34秒89・76444……兎角、時間が掛かりすぎている。私はアーチャーに念意での指示を出すが、
『いや、こいつがどんな能力をもっとるのかを知らねば、追いついても同じ事になるだけだ、むしろあのお嬢ちゃんまで危険にさらすことになる』
飛針を回避しながら、アーチャーもまた思念によって応答する。霊体化すれば邪魔されずに涅と仮面の女に追いつけるが、そうすればアサシンも同じように霊体化して追ってくるだろう。
結局はこのアサシンを下さねば、涅救出への道はないのだ。
「なら、宝具を使用しなさい。――さっきので
アーチャーが腕に突き立てられた針を筋肉の収縮で締め上げてまで、アサシンをあの距離にとどめ置こうとした理由。
それが拳打のためだけではないことは無論承知している。私はアーチャーのマスターなのだから。
『いいのか? 容易には使うなといっただろう? 知られては拙いからと』
確かに、アーチャーの宝具はその哲理を知られることによって大幅に効果が薄まってしまう特性があるが、おそらく初見で正確に対処できる英霊はいない筈だ。故に上手くいけば確実に必殺を期せる。――だからこそ、それはこの聖杯戦争の終盤まで隠し通さねばならない秘事なのだ。
本来ならこんな心配をするまでもなく、儀式の終盤まで守りを固めるのが私の立てていた、と言うか定石の戦略だったというのに――しかし事此処に及んではもはやそうも言っていられない。後のフォローは自分がやるしかない。
『それに――コイツに通じるかどうかも解からんし、何より
「構わないわ」
それでもなお、分の悪い掛けに出るしかないのだ。少しでも弟子を――家族を救うために可能性に掛けるしかない。
「いいだろう」
アーチャーは反撃のために手にしていたスローイング・ナイフをしまい。本来の主武装であるボウガンを取り出した。
すると、どこからそれを見ているのか、嘲るような音波がしじまから響いてくる。
『非――無駄だ、そんなものでどうするつもりだ?』
『非――どこを狙う?』
『非――どれを狙う?』
四方からの、ごぼごぼと、まるで泡の爆ぜるような声の間にも、ランダムに飛来する針は数を増していく。
『非――対人レベルではまず当たらない』
『是――しかし見たところ、貴様の弓は対軍レベルには程遠い――』
『非――故に、あきらめろ――』
『非――アキラメロ――』
『非、非、非! ――諦めろ弓兵。――貴様は、ここで脱落するのだ!』
アーチャーの身体にはすでに回避しきれなかった針が幾本も突き立っており、このまま急所をはずし続けるのは限界であった。打破する手は他に無い!
そして、アーチャーは真名と供に矢を射出した。
矢はあらぬ方向に打ち
飛来した矢は一路、とある地点を目指し、そこで炸裂した。――
――それからしばらくの間、周囲には沈黙が蟠った。
「……アサシンの気配はある? アーチャー」
『いや、どうやら去ったようだな。矢は
「――今から、くろむを追える?」
『やってみるが、時間をとられすぎたかもしれん』
どうやら、敵は逃走しながらも必要最低限の仕事はしていたようだった。
私こと、魔術師ルベル・フォン・シュタウフェンは――痛痒に苛まれている眉間を強く抑えた。
まったく、こういうことになるから何度も止めておけといったのに――やはりあの弟子をこんな儀式に関わらせるべきではなかったのか。
――しかし、そもそもこの儀式を主催しているのはシュタウフェンの家門であり、己は間違うことなきその当主なのだ。こんな事を弟子に言うのは本末転倒だろうか?
兎角、戦略を根本的な部分から見直さなくてはならない。あの弟子は、――師である私自身の魔術についてもかなりの情報を持っている。それが余人の手に渡ることは避けなければならない。――
「
思わず、自分自身の思考に反吐が出そうになる。私の中の見えない秒針が、時ではなく自らの精神を切り刻んでいるようにさえ感じられる。
斯様に、「娘」の身を案じる一方で、冷徹な魔術師としての自分は、留まることなくこれからの戦略について思考し続けている。
それでも、心情的にはこんな事をしたくはないが、戦略上、回収しないわけにはいかない。
「アーチャー。涅の腕を拾っておいて、あの子の令呪は切り落された左手にあったはずだから……」
しかしこの夜、私が望む戦果は何一つ果たされることはなかった。
くろむを浚った女の行方は、やはりようとして知れず、また奇妙なことに、あの場に捨て置かれていた筈の涅の左手までもが、その令呪ごと何処かへと消えていたのであった。