Fate/alter Seven Sight ――the Next Sight――   作:どっこちゃん

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 かなり時間が空いてしまいましたが、最終章になる五章です。
 


五章ー1

 ――彼は弓に矢をつがえ、

 

 神は彼の祈りを聞いた。

 

 彼はリンゴの実を射抜き、

 

 愛する息子に、一筋の傷さえつけなかった。

 

 代官ゲスラーは、彼に問う。

 

 猟師よ、正直に答えよ。

 

 お前は、なぜ的を射る前、

 

 矢を二本も手に取ったのか。

 

 彼は笑い、こう答えた。

 

 もしも、最初の矢が愛する息子を傷つけたなら、

 

 もう一本の矢で、お前の心臓を――――

 

 

 十四世紀初頭、今から七百年ほど前のスイスでのこと。

 

 オーストリア、ハプスブルグ家の神聖ローマ帝国から派遣された代官ゲスラーはオーストリアによるスイス統治の百周年を記念して、アルトドルフの広場に棒を立て、己の帽子を掲げると「全てのスイス人はこの帽子に頭を下げ、敬礼するように」と命じた。

 

 帽子は神聖ローマ帝国の象徴であった。スイスの人々は横暴なオーストリアの総督や代官たちの振る舞いを憎んでいた。しかし逆らうことはできない。

 

 だがある時、一人の幼い息子をつれた猟師が、「バカバカしい」と、言って、これを無視した。

 

 以前からこの猟師を快く思っていなかったゲスラーは、これを機に、何とかして猟師を罰しようと考える。

 

 ――やめて。やめるのよ!

 

 案の定、猟師は無理難題を申し付けられる。

 

 幻燈の如く、それを見る彼女の視界は、恐怖に戦慄く。この先を、すでに知っているが故に。

 

 幼い息子の頭の上に乗せたリンゴを矢で射ぬくように命じたのだ。

 

 我が事のように、彼女はそれを受け止める。

 

『一つ間違えば、息子は死んでしまいます。それだけはお許しください』

 

 それだけは――それだけは。彼女の意識はそれ故に、猟師の視点に強く共鳴する。その視界は明瞭に、猟師のそれに完全に一致している。恐怖が共感性を拡張していく。

 

 彼女はもうへたり込んでしまいたかった。プライドも何もかなぐり捨てて、頭を下げてでも息子の身を守りたかった。

 

 しかし猟師は立ち上がる。諂うことなく、頭を高く掲げて。

 

 そんな! どうして? 彼女は絶叫する、聞こえるはずもない声で。

 

 言ってしまえば、彼女はこの後のことを十分知っている。矢が外れることなどあるはずがない。それは既に決定している。それが解っていながら、猟師の視点に重なる視界に、彼女はどうしようもない絶望を感じた。

 

 幼い、弱々しい葦のような立ち姿、そして豆粒のような赤い林檎の的。

 

 そこへ向けて、禍々しく、鈍い光を放つ鋼が向けられる。

 

 いや。――いや。いや!

 

 叫ぶ。恥も外聞も忘れて、彼女は吠える。なのに、自分の物とはまるで似つきもしない野太い腕は、止まってはくれない。

 

 在ろうことか、最愛の筈の息子に向けて、弓を構える。

 

 距離は約、三十メートル。とても無理だ。動悸が、臓腑を食いちぎらんばかりに荒れ狂う。恐怖から染み出す冷たい汗が、悪魔の悪戯の如く、指先や瞼に絡みつく。 

 

 猟師も、荒い息と共に一度構えた弓を取り直す。

 

 そうだ、それでいい。ようやく彼女も息を吐くが。たまったモノではない。やはり、今からでも平伏し許しを請うべきではないのか?

 

 何を迷う。あなたは私ではない。魔術師でもない、ただの猟師ではないか。頭を下げることぐらいできる。――私とは違うのだから!

 

『息子よ、後ろを向いていろ。お前が少しでも身をよじれば、ワシは的を外してしまうかもしれない』

 

 彼女の弱気が移ったかのように、果敢なはずの猟師は弱音を吐いた。

 

 代官ゲスラーは聞き入れない。下卑た笑いを浮かべて揶揄するばかり。もはや進退は窮まった。

 

 猟師は何もできず、ただ息子を見つめる。

 

 彼女は、そこで再び悲鳴を上げた。なぜなら、その先に立つ少年の姿は、幼いころのアズルの姿をしていたからだ。そうだ、見違えるはずがない。

 

 筋書きが違ってきている? どうして? それとも、自身の恐怖がそう見せているだけなのか? なぜこんなものを見せるのか。

 

 やめて、止めて、それは私の息子なの! 私の大事な、かけがえのない。

 

 再び番えた矢先が震える。息が止まる。思考が破裂してしまう。心が捩じれ砕けてしまう。

 

 やめて、これ以上見せないで。もう眼を閉じてしまいたい。ああ、それが出来るのなら、どんなにいいか。

 

 しかし猟師のそれに重なった視界は、既に彼女には御しがたいものになっている。

 

『大丈夫だよ。お父さん』

 

 そこで、その場の誰よりも静かで、はっきりとした穏やかな声が響いた。

 

『僕は震えたりしない。お父さんはいつも、もっと小さな的だって射抜くじゃないか』

 

 黒髪の息子は、再び空色(アズール)の視線を真っ直ぐに向けてくる。

 

『お父さんが外すはずがないもの。僕は何も怖くなんかないよ』

 

 笑顔さえ浮かべて、アズルに似た面影の少年は、全幅の信頼を寄せてくる。

 

 あまりのことに呆気にとられるルべルを余所に、もはや震えることのない猟師の腕は、怖じることもなく弓を構え、

 

 そして――

 

 

 ――ルベル・フォン・シュタウフェンの意識は唐突に再開された。一度活動を停止した機械時計が、何の予兆もなく再び動き出すような蘇生だった。

 

 ゆっくりを目を開き、ルベルは思考よりも先に周囲に危険がないかの判断を優先している。魔術刻印が起動し、周囲の索敵と検証を始める。

 

 人間的な意識が回復したのは周囲に急を有するような危険がないことを確認してからのことだった。

 

 ――見覚えのない部屋だった。光量はそれなりにあり、周囲に蟠るのは暗闇ではない。しかし妙に空気の流動性がない――地下、だろうか? しかしシュタウフェンの屋敷の地下室ではない。

 

 地下だとすると、明暗の差異で時刻を推し量ることはできないはずだが、ルベルは科学によるどんなに精密な機器よりも精密に時を推し量る己の体内感覚を持って、それを把握しようとした。

 

 しかし、あまりのことに息を呑む。彼女はようやく、己が時間の感覚を喪失していることに気づいたのだ。こんなことは生まれて初めてだった。

 

 何があった? ただ意識を失ったということでは説明がつかない。あの夢――そう、あの悪趣味な夢はなんだったのだ?

 

 あんな、あれは、――どんな夢だった? 何か危険で、怖くて……。

 

 体内時計がおぼろげにでも落ち着くまで、しばらくの時間が掛かった。

 

 つまり――あれから、最後に――代行を追って屋敷を出てから三十六時間……程、が経過している。今は正午、といったところか。

 

 とかく、今は夢のことよりも現状、自分がどうなったのか、ということが重要だ。

 

 自分はどうなったのだろうか? 丸一日半もの間、こんな見知らぬ場所で眠り呆けていたのであろうか? 何故? どうして己はここにいるのだろうか。

 

 身体を起こす。一応は反応して動きはしたが、まるで自分の体ではないかのようだ。

 

 むしろ意識の上では、自分の身体に手足がついていることの方に軽い驚きを得ていた。

 

 そう、手足どころか五体のすべてが、あの時確かにバラバラに切り裂かれていったのを、ルベルは確かに確認していた。

 

 死んだ――はずだった。そう、最大の疑問は、なぜ、自分が今生きてここにいるのか、ということだ。

 

 身をよじる様にして半身を起こし、ルベルは思考の堂々巡りを続ける。

 

 あれは、――あの夜のことは、すべて幻覚か何かだったとでもいうのか……。

 

 解らない。この状況では判断するにも材料が足らなすぎる。だが現状として体そのものは五体満足な形をしている。疲労やダメージもほぼ改善してあると言っていいだろう。

 

「起きたか、マスター」

 

 そこで、無骨な土壁に四方を囲まれた部屋の中に、ひとりの男が入ってきた。無論、彼女をマスターと呼ぶ以上、それは彼女の従僕たる者にほかならない。

 

「アーチャー。……あなた、どうして……」

 

 言いかけて、ルベルはここに至るまでの己の記憶が抜け落ちていることに気が付いた。混乱しているのではなく――記憶がないのだ。いったい、何があって、自分はどうしてあの状況から、しかも五体満足な状態で生還したというのか……。

 

「無理をするな」

 

「――――いえ、戦闘になったのは――、覚えてるわ。そう、代行は死んだ。――でもわからないわ、死んだのは代行だけじゃない。シマバラも、錐人も、サーヴァント諸共――死んだ。じゃあ、誰があんなことをしたというの? それに、あんな状況から、私は一体どうして。――見ていたのでしょう? アーチャー、私は前線で、あなたは後衛で、――いえ、違うわ!」

 

 ルベルは息を呑んで、惑うような視線でアーチャーを見る。

 

「違う。――私は、あの時あなたを令呪で呼びつけた。貴方も私と同様にあそこに居たはず――――」

 

 そう言ってルベルは己の身体から、三画の令呪が全て失われていることを悟った。

 

「どういういことなの? 私は、あの時、いったい何を――――…………いえ、そうじゃやないわッ! そんなことは、この際どうでもいいッ……」

 

 ルベルは独り言のように、思考を整理しながら滔々と語ったが、そこでふとそれに気づき色を失って声を荒げた。

 

「アーチャー、どうして、あなたがこんなところにいるの!? アズルは? 屋敷はどうなったの!?」

 

「――すまん」

 

 ただ鎮痛そうな面持ちで言葉を漏らしたアーチャーに、ルベルは形相を変えて簡易式のベッドから飛び上がった。

 

「――な、にを、何を、言ってるの? 答えなさい! アズルはどこにいるの?! そうだわ、あの時あなたはアズルの様子がおかしいって。――アーチャー!」

 

 そのまま自らのサーヴァントにすがりつこうとして、その場に崩れ落ちた。

 

「マスター、気を乱すな。まずは落ち着くんだ」

 

「構わないでッ――どういうことなの、アズルは、アズルは――」

 

 そこでアーチャーの物とは別の、鈴の音のような――もはや懐かしささえ覚える――声が届いた。

 

「……生きては、いますよ。落ち着いてください、先生」

 

 ルベルは目を剥いて彼女を見た。部屋に入ってきたのはティーセットを抱えたくろむだったのだ。

 

「くろむ――、――。――そう、無事、だったのね。――ああ、屋敷で、目が覚めたのよね? 良かったわ、軽いショック状態だったから、下手したら精神に障害が――――だけど、あなたまで、ここに居るということ、は……アズル、も……?」

 

 か細く、それでも真っ直ぐ揺らぐこともないな姿勢を保つ少女は、簡素なテーブルの上で紅茶を淹れる用意を始めた。静かで流れるような動きで。その背中はルベルにとってよく見知った光景だった。

 

「……あの夜、先生がいた島原の本拠地を含む島原神社一帯――つまりは小山の頂端、全体の約五分の一程がまるごと粉砕された夜から、一日と半分、即ち三十六時間程が経過しました。ここは私が用意していた隠れ家です。少々手狭ですが」

 

 何時通りの静かな言葉に、しかしルベルは安堵を感じることが出来なかった。ルベルはアーチャーの腕を突き放すようにしてひとりヨロヨロと立ち上がった。そしてかすれた声を張り上げる。

 

「そんなことを聞いているんじゃないわ! アズルは? アズルもいるんでしょ? だって、あなたと同じ屋敷に居たんだもの! 会わせて!」

 

「……先生、まずは落ち着いて状況を把握してください。アーくんのことについてもちゃんと話します。ただ、順を追ってからでないと」

 

「順? 何が、――順番!? 息子に会うのに、順番なんて必要ないでしょう! 一人にさせているの? 怖がってるわ! ――――――――お願いよ、まずはアズルに会わせて」

 

 くろむは片手でヘタリこもうとするルベルのそばに寄り添い、その長身を支える。

 

「……アーくんは、息子さんは、ここにいないんです。私たちだけです」

 

 それを聞いたルベルは、びくりと身体を震わせて、大きくえづいた。そして手先をブルブルと震えさせながら、今度は幽鬼のように、目を剥いてゆっくりとくろむを見る。

 

「どう、いう、こ、と」

 

「……攫われたんです」

 

「さらわれ――。でも、おかしいじゃない、もう、そんなことをする理由のある人間はいないわ! 代行も、島原も、錐人も、監督役さえ死んだっていうのに、……一体、誰が、なんでそんなことをしたっていうのよ……?!」

 

「マスター」

 

 アーチャーが歩み出ようとしたが、くろむが手振りでそれを遮った。そしてゆっくりとルベルに話しかける。

 

「……私が地下の工房で目覚めたのは終わったあとだったんですが、アーチャーの話ではシマバラの本陣をまるごと吹き飛ばしたサーヴァントが、そのままの足で今度はシュタウフェンの屋敷を強襲し、アーチャーを負傷させ、アーくんを攫って行ったのだそうです」

 

 サーヴァント。そう紅い、悪魔のような、空を閃光で切り裂いたあのサーヴァント。あれは――確か、

 

 ルベルは自らの体を支えたままうつむいているくろむを、まじまじと見た。

 

「…………やったのは、ライダー。私が召喚し、――何者かに奪われた、サーヴァントです」

 

 やおらルベルは、傍らにいたくろむの頬を、盛大に張り飛ばした。

 

「マスター!」

 

 アーチャーが声を荒げるが、ルベルは構わず矮躯の少女へあらん限りの力で掴みかかる。

 

「誰の――誰の不始末だと思ってるのッ!?」

 

「…………すみません」

 

 くろむは抵抗する様子も見せず、されるがままになっていた。最初から予期していたかのように。その態度が、さらにルベルの視界を紅く染めていく。

 

「やめろ! マスターッ! いい加減にせんか」

 

 強い声でアーチャーに一喝されて、ルベルは思わず手を放した。

 

「ご――ごめんなさい、くろむ。私、は」

 

 ルベルは声を震わせる。今まで、こんなことをしたことはなかった。

 

 どんな時でも事の貴賤を違えてはならない。それが当然のことだった。考えるまでもない大前提だった。 

 

 ――それがどうだろう、この醜態は。この有様は。高々殺されそうになったくらいで――いや、子息がさらわれたくらいでこうも取り乱し、感情に任せて自ら手をあげるなど、理知的な魔術師の行いではない。ノウブルとしての教育をうけてきたはずの自分がそんな野蛮人のような真似を……。

 

 ルベルは崩れ落ちるようにして、再びベッドに腰を下ろす。

 

「……いいんです。落ち着きましたか?」

 

 そう言われて、ようやくルベルはくろむの左手が肘の先からなくなっていたのだと思い出した。――嗚呼、自分は、そんな娘を打ち据えたのだ。己の娘と変わらぬ歳の、自らを介抱してくれた娘を、癇癪のままに。

 

「ええ、落ち着いて――、いいえ、駄目だわ。馬鹿なことよね。馬鹿なことをしてるわ。全然、落ち着いてなんていない」

 

「……せんせい」

 

「許して頂戴、くろむ。魔術師として、貴方を咎めていい謂れは、私にはないわ」

 

 案じるように、くろむはルベルの顔を覗き込む。くろむがこんな悲痛そうな顔を見せるのは初めてのことだった。いや、そんな顔をさせるほど、己の有様が見るに堪えないものであるということだ。

 

「……いいんです。魔術師としてではないところで、先生が私を責めなきゃならないのは確かなことです。……全ては私が未熟だったからです。簡単にサーヴァントを奪われて……」

 

 すると、ルベルはわずかに呻き、自分の肩のあたりを押さえ込んだ。

 

「……せんせい?」

 

「大したことじゃないわ、ただ、折れたみたい」

 

 今の張り手の衝撃で、逆にルベル自身の右鎖骨が折れていたようだった。どうやら連戦による負傷で肉体の修繕が完全ではなかったようだ。

 

「……すみません。できる限りの治療はしたんですが」

 

「いいのよ。これは元からだわ、ぐしゃぐしゃに砕かれたせいで、うまく繋がっていなかったようね。――なんてことかしら、こんなことさえ満足にできてなかったなんて……」

 

 どこまで、そしていったいいつから、己はここまで自分を見失っていたのだろうか……

 

「……元から? ――一体誰が……」

 

 韜晦するルベルに、くろむが問う。ルベルが以前にも傷を負うほどの戦いをしたのだという言葉が、この弟子には信じられないようだった。ルベル自身にしてみれば、今やそれも苦笑を誘うものでしかないのだが。

 

「これは少し前に――そう、貴方を連れ帰る時にやられたのよ。その前は錐人に。ああ、これで三度目ね。いやになるわ」

 

 ルベルを椅子に座らせ、自動修復の補佐にと腕を固定しようとしていたたくろむの手がびくりと止まる。

 

「そんなことさえ忘れて、バカなことよね。取り乱してばかりよ。魔術師のくせに――あなたも、――辛かったわね」

 

「…………彼女、は、どうなりました」

 

 くろむに言われて、ルベルは首をひねった。

 

「彼女――教会の、使徒で、私を、その」

 

「フォリアの事かしら? 監督の代行を務めていた……アサシンのマスターよ」

 

「…………はい、そうです」

 

「戦って、殺したわ」

 

 くろむはそれを聞いてしばし目を閉じた。

 

「くろむ?」

 

「……いえ。――お手数をかけました。私は、平気です。……今は先生が現状を把握する方が先です」

 

「そうね。――、アズルは……屋敷で何があったの?」

 

「まだ、確かなことは何も言えません」

 

「…………そう。アーチャー。貴方はその時屋敷を襲ったライダーから逃げた、のね」

 

 淡然と立ち尽くすアーチャーは頷いた。

 

「済まなかった。――わしがそこでライダーを何とかしておれば」

 

 しかしルベルは力なくかぶりを振って、その言葉を否定する。

 

「あなたの判断は最善のものよ――。私からの魔力供給も絶えたあなたではライダーに勝てないのは道理。だから……あなたはライダーがアズルを殺さずに攫うのを知って、逃げたのね」

 

「そうだ」

 

 ルベルは熱く、鉛が溶け込んでいるかのような重苦しい息を吐いた。

 

「よく――やってくれたわ。その場であなたがやられていたら、すべてが終わっていた……」

 

「だが、今度は「的」をつけることもできなかった。それほどにアイツは強かった。獣のように凶暴で容赦がないというのに、付け入るような隙は皆無と来ている」

 

 アーチャーの独白のような言葉に、一同は言葉をなくす。

 

 獣なら付け入る隙がある。人が相手なら戦いようもある。しかし、あの男は正真正銘の怪物なのだ。事戦闘においては英霊の中でも群を抜く、まさしく戦乱の泰斗。

 

 その事実を察するがゆえに、ルベルもアーチャーに掛けるべき言葉がない。

 

「……アズルの位置は、わかるわね?」

 

「ああ。確かに生きてもいる」

 

「そう」

 

 それきり言葉を無くすルベルだったが、そこで、くろむが残った利き腕でルベルに何かを差し出した。

 

「くろむ」

 

「……お茶を入れました。とりあえず、何か食べてください」

 

「あなた、……こんな時に……」

 

 しかし、くろむは何も応えず、片手のまま器用に、というか健気にも粛々たる淀みのない所作で受け皿に乗せられたカップを差し出してくる。

 

 有無を言わさぬ恭しさに、ルベルは唖然としながらも、とりあえずそれを受け取って口を付ける。

 

 懐かしい香りだった。こんな場所でも、驚くほど簡単に、熱いそれは喉に滑り込み、ルベルは杯の中身を一気に飲み干した。ゆっくりと、肺腑に染み込むような芳香が、熱とともに自分を満たしていくのが分かった。

 

 そこでようやく、己が久しく空腹であったことに気づき、お茶請けに山のように盛り付けられたシュークリームにも手を伸ばした。

 

「……他にも色々とありますんで、ゆっくり食べてください。ザワークラフトも」

 

「――――ど、どこから持ってきたのよ?」

 

 ルベルは仰天したような声を上げる。さもあらん、実はくろむが屋敷を出てからすぐに備蓄がなくなたっとかでメイド達がいくら探しても見つからず、ルベルは憤慨しながらもしばらく付け合せのない、味気ない食事を余儀なくされていたのである。

 

「……床下の貯蔵庫ですよ。お屋敷の漬物はあそこにまとめて保存してあります」

 

「そういうことはちゃんと私にも教えておきなさい! …………おかげで探さんざん探し回ったじゃないの」

 

 恨めしげに睨みつけられても、くろむは動じずに溜息をつく。

 

「……お屋敷のことを、何から何まで全部お教えしようと思ったら丸一日かかってしまいますよ? それに、シュークリーム片手に言われましても……もうちょっと落ち着いてください」

 

「誰のせいでこんな珍妙な状態になってると思ってるのよ?! 自分で誘導しておいてよく言うわね、まったく!」

 

 どう見ても手作り作りたてとしか思えない、紅茶同様に文句のつけようのないシュークリームを摘む手も止めないまま、ルベルは器用に抗議してみせる。もはやノウブルの気品もあったものではない。が、くろむはそんな主の有様に少しだけ微笑を向けてくる。

 

「それに、……これはどうしたのよ? 売り物じゃないでしょう?」

 

「……作りました。この地下室の上にある屋敷は長い間放置されてた空家だったんですが、そこのキッチンを、今回は無断で拝借しました。まだ奥にしこたまありますんでよかったらどうぞ」

 

「まったく、よくやるわね、しかも片手で。いいわ。とりあえずあるだけ持ってきなさい。 ――――というか、アズルがさらわれたってときに、よく楽しげにお菓子作りなんてしてたわね、あなた」

 

 イヤミ――というよりも心底呆れたようにルベルはつぶやいた。しかしくろむは使用人の鏡のような姿勢の良さで、主に進言する。

 

「……こういう時だからこそ、です。先生はまる二日もろくに食べずにいたことになるんですから。魔術師でもなんでも、そのへんのことをおろそかにしては、いざというとき力が出ませんよ。…………アーくんと喧嘩したからってへべれけになってる場合ではないでしょう」

 

 きっぱりとしたくろむの語調を受け、ルベルは先程から静かに佇んでいるサーヴァントに修羅の如き目を向けるが、当のアーチャーは素知らぬ顔で、シュークリームをつまんでいる。

 

「アーチャー、あなたはまた余計な口を――というか、サーヴァントのくせに何をしてるの!」

 

 そう言われても、アーチャーは素知らぬ顔でうんうんと頷く。

 

「美味いもんだなぁ。こんな上等な菓子は初めて食った」

 

「あ、あなたね……」

 

「……片手では流石に大変だったので、手伝ってもらったんです。……まだありますんで、どうぞ」

 

 くろむはアーチャーにも水を向けるが、サーヴァントは満面の笑みでこれを辞退する。

 

「いやいや、結構。ただ、わしにもお茶をいただけると助かる」

 

「……はい、ただいま」

 

 アーチャーの分と、ルベルへの三杯目の紅茶を入れながら、くろむが言った。

 

「仲のいいことね……」

 

 そのやり取りを横から見ながら、ルベルは盛大に悪態と溜息をついた。しかしなるほど、そのイラただしそうな様は先ほどの憔悴した様子からしてみれば随分盛り返した、と見るべきだろう。

 

 どうもこの弟子と自らのサーヴァントはよく似た性質の連中らしい、とルベルは憤慨したままに気づく。

 

 よく考えてみれば、やたらとマイペースなところや、切り替えが早いところ、人の気も知らずにアズルと打ち解けているところなどもそっくりではないか。

 

 どうやら、ルベルがアーチャーを気に入らなかったのも、この弟子と重なる部分があったからなのかもしれない。

 

「ところで――、アズルと屋敷のことはわかったけど、私は? 私はあの状況からどうやて助かったというの? あのライダーの奇襲に、私は何ら対処を取れな――――」

 

 しかしルベルの言葉にくろむは無反応だった。何かを考え込むふうに、細いあご先に手を当てて、その大きな瞳ばかりがゆらゆらとうつろいでいる。

 

「くろむ?」

 

 ルベルの呼びかけに応えるのではなく、くろむの瞳は自らの意思でゆっくりとルベルに向けられた。

 

「…………先生、先ほど、「誘導」とおっしゃいましたね」

 

「――なによ、否定するつもり?」

 

 ルベルは呆れたような声を出した。もっとも、そのくろむの「誘導」もとい、「手助け」が無ければ、そもそもルベルは未だに錯乱したままで、食事どころではなかっただろう。

 

 しかし、くろむは非難するつもりがあるわけではないようで、あくまで真剣な声でルベルに語りかける。

 

「……いえ、そうではなく、この、聖杯戦争の状況自体が、もしかしたら何者かに誘導されていたのかもしれません」

 

「つまり、……私は何者かに操られていたというの? あの場所に行くように。…………ありえないわ。私に違和感さえ感じさせずにそんなことを……。いえ、それとも別のサーヴァントの宝具か何かで、ということかしら? ……でも、そんなサーヴァントが」

 

「……いいえ、違います」

 

 その言葉を吟味するようにして黙したルベルが応えるのを待ってから、くろむは即答する。

 

「先生、私が言っているのは「操作」、ではなく「誘導」です。人間を洗脳する宝具を持つサーヴァントがいたとしても、御三家全ての参加者を同時に操作するのは難しいはず。必ずどこかで破綻が生じます。というか、それほど強力な洗脳を行えるなら自害なりなんなりさせてしまえばいい」

 

「ちょっと待ってくろむ。あなた今、御三家全て、と言わなかった?」

 

 くろむは、一見すると眠たげな視線を閃かせ、真っ直ぐにルベルへ向け、頷く。

 

「……なので、「操作・洗脳」ではなく、「誘導」という言葉を使ったんです。おそらく、誘導されていたのは先生だけではなく他の御三家や私のような末端のマスターまで何らかの影響かにあった可能性があります。

 

 ……そしてその術者の力はそもそもサーヴァントの宝具程力のあるものではないんだと思います。というか、そもそも魔術師でもないかもしれません。魔術師ならそれ相応の痕跡が残ります。

 

 それこそ私程度の術者でも同じです。位階は関係ない。先生を始め、御三家の魔術師がそれを見逃すはずはない。

 

 ……おそらく、魔術師が見向きもしないような手合いが、複数の勢力に少しずつ、表層的に介入していたんだと思います。最初はなんのこともない行動を起こして、それを連鎖させるんです。……まるでドミノ倒しのように。そして、あの時、あの場所に、御三家を一箇所に集めたんです」

 

「不可能だわ」

 

 ルベルは弟子の言葉を断じた。

 

「相手が魔術師だというのならともかく――、唯の人間? 唯の一般人が、複数の魔術師を手玉に取ったというの? ありえないわ」

 

 くろむの、こういう魔術師的でない分野での発想や才覚といったものを、ルベルはある程度信用してはいるのだが、それでもこれはありえないことだと思えた。

 

「――それです!」

 

 しかし、くろむは静かに、しかし鋭い声でルベルの言葉尻を捕捉する。

 

「……その『ありえない』を隠れ蓑にして、そいつ(・・・)は複数の魔術師を誘導したんです」

 

「――――、」

 

くろむの言葉に、ルベルは返す声もなく押し黙った。いや、黙らされた。

 

「……これは普通の人間にもある程度は可能な事なんです。魔術師も基本は人間です。目的があって、それを達成するために順序建てて、あるいは行き当りばったりに、――それでも指向性(・・・)を持って行動を連続させていきます。

 

その指向性の向く先が見えれば、その相手が何を目的に、また何を動機に、どのように行動するかがある程度予測できる。――おそらく、そいつは聖杯戦争のことをよく知っています。

 

 魔術師ではないが、全くの無関係でもない。儀式、そして御三家の成り立ちに詳しくなければ、こんな真似はできない…………」

 

 そう言って今度はまた一人思考に耽溺し始めるくろむに、ルベルは眉根を顰めつつ、心底呆れたような声を出す。

 

「ほんとに、魔術以外のことには妙な適性があるわね……」

 

「……はい?」

 

「なんでもないわ、続けて。――それで、誰がこれをやったというの?」

 

 率直なルベルの問いに、くろむは頭を振った。

 

「……残念ですが、まだ私にもわかりません。魔術師ではない、ということは私たちの誰もが注視していなかった人間ということになります。そうなると、候補が多すぎる……アーチャーから聞いた話では、先生のお屋敷にも人の出入りが多かったみたいですし……」

 

 責めているわけではないのだろうが、くろむの言葉にルベルは憮然としてしまう。

 

たしかに、魔術師でないからと、不特定多数の人間を無用心に屋敷に出入りさせたのは失策だったかもしれない。しかし、くろむものぶえもいないのでは、ほかにしようがなかったのは、歴然たる事実である。

 

己の失態を噛み締めたうえで、ルベルはそれでも疑問を口にする。その説明だけでは納得できない部分も多い。

 

「そうね。……たしかにそうよ。でも、屋敷に出入りしていた代行やその護衛、それにフォリアも、すでに死んでいるのよ?」

 

「……それだけでなく、ライダーの襲撃時に屋敷に居たメイドや教会の使徒達も、全員死亡しています。……屋敷ごと吹き飛ばされていたのを、アーチャーが確認しました」

 

 その事実に、ルベルは言葉を失ってまた項垂れた。

 

 教会の使徒達のことはともかく、まったくの一般人であった恋やほかのメイドたちまでもが……。そう思えばこそやり切れなかったが、しかし耽溺している暇はない。その言葉が本当なら、今度こそ容疑者は皆無になってしまう。

 

 ルベルの懐疑を受けて、くろむは言葉を再開する。

 

「……仕掛けていた相手が既に死んでいる、という可能性もあります。一度状況を動かせば、そのまま放っておいても転がるように仕組んでいたはずですから」

 

「どうして言い切れるのよ?」

 

「……私でもそうします」

 

 くろむは言い切った。

 

「……今のところ、これを仕掛けて状況を誘導した、――できた可能性の一番高い人間は、私です。

 

 ……私でも同じように考えるだろうし、だとするなら自分が直接的に動く範囲も働きかける頻度もできるだけ少ないほうがいいんです。……行動と、それによって目論む結果の距離は歪曲であればあるほどいい。

 

 ……これは魔術というよりも呪術に特化した人間の手法に近いのかもしれません。……だから互いに影響し合う複数の人間の行動指向をより多く観察し、より遠いところから少しずつ影響を与えて行くんです。

 

 ……そうすればそのうちなんの手もくださずに、状況は定めた場所めがけて転がり続け、――クラッシュします。……そうでなくとも「聖杯戦争」という『状況』があるため、激突は自然な流れです。誰も疑わない(・・・・・・)

 

 弟子の言葉を訝りながらも、ルベルは――確かに、と内心で頷かねばならなかった。最期の三つ巴の乱戦、それぞれに混乱はあっただろうが――あの場所にいた誰もがあのを状況を、疑いはしなかった。

 

 聖杯戦争の趨勢如何によってはありうる状況だと、誰もが判断したからだ。そして判断したということは――それを二度と疑わない。信じ込むのと同じことではないか。――だが、しかし、それにしても、

 

「でも、今の口ぶりなら、あなたにもそれができたはずよね? 私に味方するふりをしながら、こういう状況を作れたんじゃなくて?」

 

 ルベルの指摘に、くろむはうつむいて虚空を注視していた視線を上げた。

 

「……それは、……言わなければならないことですか、マスター?」

 

 目をそらしたのはルベルの方だった。頭痛でもこらえるように眉間を抑え、ルベルは謝罪した。

 

「――ごめんなさい。そうよね、あなたは、――できてもしないわよね。こんなこと――」

 

 ルベルは再び懊悩する。この期に及んでも、己は自らを聖杯戦争を続けなければならない魔術師として規定しているのだ。

 

「でも、――ということは、相手はあなたとは違う人間ということになるわよね。魔術師でないにもかかわらず、魔術を知り、そして魔術師を誘導できる。誰よりも魔術師(人でなし)然とした――一般人」

 

「……ですが、それも、――多分違うでしょうね。少なくとも一般人ではないです」

 

「ちょっと! さっきと言っていることが違うじゃないの?!」

 

 堂に入った隻腕の手振りでルベルの抗議をやんわり抑え、くろむは続ける。

 

「この相手には技術や知識以上のプラスアルファがあります。でなければ流石に複数の魔術師を思い通りに誘導するのは無理でしょう。代行殿はもちろん。……その、フォリアという使徒が、というのも違うと思います。……彼女には、シュタウフェンや島原まで標的にしていたとは考えにくい。

 ……それに、彼女は代行殿とおなじで何をするにしても目立ちます。臨時とはいえ、監督役の代理として指揮を執っていたんですから」

 

 滔々と語るくろむの言葉に、ルベルは頭を抱えた。

 

「わからなくなる一方だわね。魔術師ではない一般人だけど、ただの人間でもない、というの? そんなもの……」

 

「……いませんか?」

 

 ルベルはハッとして口元を抑えた。

 

「――――いるわね。異能者。そう、この地には島原ゆかりの異能持ちの人間がわずかに存在する。私が把握していない、できないほど薄い異能者なら、あるいは――」

 

 異能者。多くは古くに魔と交わったものの末裔とされ、簡潔に言えば常人には無い特殊能力を持つ者のことである。魔術のような後天的なそれとは違い、先天的に常人とは共通しないチャンネルを持つ者、と称される。

 

「……ええ、私の父のような、この地に散らばった島原の分家の血筋ですね。……ですが、言ってしまえば、『晦の里』の人間はみんなそうですし、薄い血筋というのなら、いくらでもいるでしょう」

 

 この晦の里に出自を持つ人間は皆その素養を持つとされ、現状、人間とは異なる力を持つ者も少なからず存在するとされる。

 

 しかしいくらルベルでも秘匿性の高いそれらの能力者については知りえなかった。これはくろむも同様だろう。

 

「結局は、わからないということかしら?」

 

「……島原の側の状況を聞いてみないとわからないですね。最後の御三家、夜鳴手錐人についてはもう確認しようもがありませんが、そっちならまだ事情を聞き出せることでしょう」

 

「島原に? どうやって? だって本陣ごと吹き飛んだというのに……」

 

 その時、止っていた地下室の空気が燻るように流れ、その会話を聞き及んでいたかのようにひとりの少女が部屋に入ってきた。ルベルは咄嗟に身構えたが、くろむは、己よりも幾分背丈の低いその少女を支えるように手を貸した。「……起きて大丈夫ですか?」という言葉から察するに、彼女もルベル同様、今まで床に伏せていたことになる。

 

 そして、くろむはルベルへと振り向き、静かな口調で諭すように告げる。

 

「……先生を、あの大惨事から助け出して来たのは、彼女です」

 

 その言葉に、ルベルは仰天して固まった。その様を見て、四肢に生々しい血斑の包帯を巻いた少女は、クスリと力なく笑う。

 

「これで貸しは三つ目、ということでしょうか?」

 

「島原――夕子?」

 

 あまりの驚き故か、ルベルは二の句が告げなかった。そこに居たのは確かに島原の次期当主、島原夕子その人であったのだ。

 

「どういう――こと? いえ、生きていたのはいいとして、どうしてあなたが私を」

 

「理由なら、先日申し上げましたが?」

 

 ルベルはしばし固まっていたその状態から、一気に脱力したように肩を落とす。

 

「それが、本当なら――流石に脱帽だわ」

 

「…………どんな理由なんですか?」

 

 ぎこちない動きで椅子に腰かけようとする夕子に手を貸しながら、くろむは首を傾げ、率直にわからないという風に聞いてきた。

 

「ああ、あなたは――聞かされてないわよね、もちろん」

 

 そう言いつつ、ルベルは夕子を見るが、その大粒の黒瞳が他言無用と言外に語っている。

 

「――わるいけど、他言はできないわ。そういう……盟約のようなものよ。特にあなたにはね」

 

「…………? はぁ、そうですか……」

 

 首をひねるくろむに、夕子はどす黒くも朗らかな笑みを浮かべながら、歌うように告げる。

 

「大したことではない。と思って頂ければよろしいですわ。サーヴァントに加えて本拠地さえをも失ったわたくしには、もはや聖杯戦争を続けることはできません。ゆえに、できることはもろもろの仇を討つべく、あなた方に協力することだけです」

 

 くろむは少々困ったような顔でルベルを見た。おそらく、当初から一貫して同じ主張をする夕子を、このまま信用していいのか、と訝っていたのだろう。

 

 事実としてルベルを救った夕子だが、だからといって残留マスターである彼女を自由にさせておいていいのだろうか、と。

 

 これに、ルベルは無言で頷いた。まさか、アズルに対する恋慕の情だけで、ここまでのことをするとは、――そんな生々しい傷跡さえ作ってここまでされたのではさしものルベルも観念するしかない。

 

 この年端もいかない娘はこのうえなく――本気なのである。

 

「だけど、貴女はどこまで協力してくれる気なの? アズルを取り戻すにしても、そこまで手伝ってくれるのかしら?」

 

 これに、しかし夕子は首を振った。

 

「残念ですが、これ以上のことはできません。したくともできない、というべきでしょうか。門外不出の事柄ゆえ仔細は話せませんが、自らの命と貴女を助け出しただけで、私にはもうできることがありません」

 

「あなた……何を、したの?」

 

 ルベルの問いかけに、夕子は力なく笑った。

 

「十ニ度ほど、死にました。覚えてはいないと思いますが、貴女も幾度か死んでいます。あの状況からでは一度や二度取り換える(・・・・・)だけでは不可能でした」

 

 そう言う夕子の白い額には似合わぬ汗がにじんでいる。その傷と疲労は見た目以上に深刻なのだろう。相当の負荷に見舞われているのが解る。

 

「詳しいことは聞かないけれど……。事実現象の改変でもしたかのような言い草ね」

 

「そのようなものです。――ただ、これをするには私にとってのリスクが大きいのです。滅多なことでは使えない。というより、精神の方が持ちません」

 

 夕子はそれきり口を噤んだ。ルベルとしても、それ以上問い詰めることはできなかった。

 

「返しきれない、借りができたようね」

 

「私の望みは、知っておいででしょう?」

 

「そうね」

 

 事情が解らないなりに黙って聞いているくろむに、夕子は向き直った。

 

「無論、話せるだけのことはお話ししますわ」

 

「そう。くろむ、状況を説明してあげて」

 

「それには及びませんわ。話は聞かせていただきましたので。そのような異能を持つ異能者でしたわね」

 

「その口ぶりからすると、……島原の陣営のほうに心当たりがあるのかしら?」

 

 期待を込めたルベルの問いに、しかしこの少女は居住まいを正し、威風堂々と胸を張って応える。

 

「さっぱりです」

 

 ルベルは、がっくりと肩を落とした。

 

「思わせぶりな言い方は感心しないわね……」

 

「なので、業腹ではありますが情報提供に甘んじることといたしますわ。なんでも聞いてくださいまし」

 

「……では、まず島原の」

 

 と質問しようとしたくろむの言葉を遮って、夕子はこんなことを言い出した。

 

「ああ、失礼。ですがその前に電話をお貸し願えます? 親戚筋に連絡だけでもいれておきたいのですが、私の携帯電話はバラバラになってしまいましたの」

 

 ルベルは言葉がなかった。くろむやアーチャーと比べてもすさまじくマイペースな娘であった。しかし、確かに妥当な要求なのは確かである。後々、今も市中に散らばる島原の残党に邪魔されてはかなわない。

 

 ルベルが目配せすると、くろむが立ち上がった。

 

「……少々お待ちを。私も携帯を無くしてしまったので、手段がありません。……連絡できるように用立ててきます」

 

「致し方ありませんわね。お手数ですがお願いいたしますわ」

 

「アーチャー、手を貸してあげて」

 

「うむ」

 

 くろむは霊体化したアーチャーとともに地下室の部屋を出て行く。隻腕のくろむに何もかもやらせるのはどうかと思うが、ルベルも夕子も病み上がりであるうえに、もとよりは生粋のセレブである。

 

 手伝おうにも邪魔にしかならないのは目に見えている。この状況ではくろむに何もかも頼らねば立ち行かない。

 

「――有能ですわね。控えめなのにさりげなく気配りができて。さっぱりとして飾らずに、それでもなお立ち振る舞いに淡い華がある。嫌になるくらい、――嫌味のないお方」

 

 しおれるように言った夕子に、ルベルは苦笑して見せる。不倶戴天の恋敵の前だからと、この娘は殊更に気を張っていたのだろう。けなげな娘である。

 

「そうね。お困りかしら?」

 

「困りましたわ。嫌うのが難しそう」

 

母親(わたし)とは違って、かしらね?」

 

 あっけらかんと言う夕子に、ルベルも微笑を交えて軽い言葉を交わすが、不意に俯いた夕子は膝の上に重ねた手を――小刻みに震わせている。なぜなのか、――を推し量る必要はルベルにはなかった。

 

「――アズルのこと、心配してくれるのね……」

 

「はい……。ですから、協力は惜しみません。話せることはなんでも話します。今の私にはそれ以上のことが何も、本当に何もできない」

 

「感謝するわ。そこまでの代償を払って、私を救ってくれたのだから」

 

「全ては、わたくし自身の都合です。そうすることしかできなかったのです」

 

 夕子は自嘲するような声で、呟く。

 

「……できるなら、己のサーヴァントを助けるべきだったのでしょうけれど。アズルくんが悲しむだろうと思ったら、思わず貴女を――――ランサー(御坊)には悪いことをしました。おかげでバチでも当たったのでしょうね。

 

 自分のことしか、目先のことしか考えていないから。今度こそアズル君がさらわれてしまったというのに。なのに、私には彼を助けに行く力がないのですから。――あまりにも考えなしで、自分が嫌になります」

 

 そう言って、夕子は縮こまらせた体を震わせる。この娘は、本当に――本気なのだ。恋に本気なのだ。

 

 事ここに及んで、本家が壊滅してなおそのような左様な些事に耽溺するとは言語道断。もはや不遜を通り越して異常――とは、ルベルには思えなかった。

 

 異常といえば異常であろう。ましてや己の命よりも魔道を優先するのが魔術師の第一原則だとするのなら、それは唾棄すべき不純でさえある。

 

 他家(よそ)のこととはいえ、魔術師として、貴き魔導の担い手としてこの小娘の堕落を一喝すべき――立場にありながら、ルベルはそうはしなかった。出来なかった。

 

 その痛み、その恐怖、その執着――他人事とは思えなかったのだ。ただ、健気な娘だ。とだけ、逆に思わずには居られなかった。

 

「けど、つながったわ」

 

 少女の小さな肩に、ルベルはできる限りの声で語りかけていた。魔術師として魔導を説くのではない、もっと別の、己でも判じ難い種類の言葉で。

 

「あなたのおかげで、アズルの命はつながっているわ。私にはまだサーヴァントが残っている。まだ――」

 

「勝てるのですか?」

 

 悲痛な夕子の声が、祈るような、縋るような声がそれを遮る。

 

「あのサーヴァントに、本当にアーチャーで、勝てるのですか?」

 

「それは――ッ、」

 

 即答を思いとどまったルベルの言葉に先んじて、その時閉ざされていた扉が開き、くろむとアーチャーが戻ってきた。

 

「……なんとかなりました。今なら連絡できます。どうしますか? 先に連絡を?」

 

「ええ。そうさせていただきますわ……」

 

 夕子はくろむに連れられて外に出た。吐き出そうとした言葉を燻らせたまま、ルベルは口をつぐんでいた。

 

「――勝てるとは、言えまいな。そう軽々しくは」

 

「アーチャー」

 

 先程までくろむに付き添っていたサーヴァント・アーチャーはなぜかルベルのそばで再び実体化を果たした。

 

「何をしているの。二人についていなさい」

 

「なに、遠くまでは行かん。隣の家に行くだけでな」

 

「――不法侵入、というわけね。いいけど、何があるかわからないじゃない」

 

「問題はなかろう。まだ外は昼間だ。それに――あの騎兵めも、無傷ではない。少なくとも、今夜までは動き出さんはずだ」

 

「アーチャー、貴方……」

 

 すると、髭面のアーチャーは口角を釣り上げて笑った。

 

「これでも英霊の端くれ、――相手に傷も負わせずに逃げ帰りはせんとも。勝ち目がない訳ではない」

 

「本当にそう思う?」

 

 色のない、ただ低いルベルの声に、アーチャーの声一転、黙した。

 

「勝ち目は薄いわ――。聞いているのでしょう? ライダー、もともとくろむが召喚したあのサーヴァントの真名、そしてその強力さを」

 

 アーチャーはその言葉に「そうさな」とだけ言って、しばし黙していた。

 

「……すまんな、ワシでは、何を言っても強がりにしかならんようだ」

 

「あなたに非はないわ」

 

 ルベルは何かを吐き出すように応えた。

 

「あなたに非はない。むしろ、非は貴方をわざわざ呼び出した私にある。もちろん、くろむにもないわ。強いサーヴァントを呼ぶことも、それが第三者に奪われてしまうことも、聖杯戦争という儀式においてはありえないことではない。

 

 それでも私が本当に勝つことだけを考えてサーヴァントを呼んでいたなら、こうはならなかった。――あなたにこんな重荷を背負わせることもなかった」

 

「マスター……」

 

「許して、アーチャー。いえ、スイスの英雄、ヴィルヘルム・テル」

 

 真名を呼び、この上なく真摯な声で、ルベルは語る。

 

「こんな儀式に、本来ならあなたのような人を喚び出すべきではなかった!」

 

 その慟哭のような声に、アーチャーは無言で応える。

 

「戦略上は、問題なかったのよ。判断としては、決して間違っていない。あなたでも条件には合う」

 

 雑にまとめられていた自らの髪をかき乱すようにして、ルベルは苦悶しながらも、滔々と語る。

 

「終盤まで自陣から動かず、敵を待ち構えて、特性の礼装で敵サーヴァントを一時的に拘束。そのあいだに確実性のあるサーヴァントの宝具で敵マスターを狙撃する。標的はあくまで魔術師。サーヴァントは撃破するのではなく、戦場から「取り除く」べし。

 そう言う戦略だった。

 

 故に、選ぶべきサーヴァントは、戦闘力よりも統制のしやすさ、我を張らず、協力的であること。そして確実に、最小限の力で敵を射抜く能力があること。――必勝の条件をシュタウフェンは確立してきた!

 

 今までのデータから、強力すぎるサーヴァントを呼ぶのは間違いである。との結論に至っているのよ。御三家は特にね。

 

 ――だから、私は考えた。この条件にあてはまるなら、あなたでも問題はない――とね。そう、私は考えてしまったのよ。魔が差したとも言うのかもしれない」

 

 アーチャーは床に片膝を突き、簡易ベッドの上でうつむくルベルに視線を合わせた。

 

「私、あなたに聞いてみたいことがあったのよ。貴方を喚んだのは、そのせい。知っていたかしら?」

 

「ああ。――時空を超えて「英霊の座」まで、わしを呼んだ声はそう言っていたからな。言っちゃあなんだが、ワシには叶えたい望みなぞない。生前わしはやるべきことをやった。後悔は微塵もない。だから、魔術師の私利私欲の呼びかけなんぞでは、ワシを呼ぶことなんぞ出来やせん」

 

 ルベルは薄く笑う。はにかむように、力なく。泣きそうな顔で。

 

「――スイスには、時々足を運んでたのよ。時計造りをやる人間には、あそこは聖地のようなものだから。……その時、ふと思ったのよ。あなたでも問題はなんじゃないかなって、――その内に、あなたに会って訪ねたいという欲求を抑えきれなくなった――それが私のミスなのよ。馬鹿なことをしたわ」

 

「マスターよ。遅くはあるまい。なぜワシを喚んだ? そうまでして真剣にワシに訊きたかったことはなんだ?」

 

 ルベルは口をつぐんだ。一度開こうとして、また、つぐんだ。

 

 アーチャーは待った。子供の話を聞いてやるように、辛抱強く、絞り出すようなか細い声を待つ。

 

 幾度か口を開こうとしたルベルが再び口をつぐもうとしたところで、アーチャーの手が、その乱れた前髪をそっとかき分けた。

まるで怯える少女のように揺れる双眸で、ルベルはアーチャーを見据える。

 

「――どうして、あなたは信じられたの? どうしてあんなことが、できたの? 一歩間違えば、とんでもないことになるのに……どうして」

 

 それは、なんのこともない、彼の伝説を知った者なら当然念頭に上がるであろう凡百の疑問。息子の頭に乗せたリンゴの的へ、どうして矢を射かけることが出来たのか――。それが、この世界の真理に手を掛けようという魔術師ルベル・フォン・シュタウフェンの問いだった。

 

 アーチャーは、しかしそんな問いを一笑にふすような素振りも見せず、真摯な声で応える。

 

「息子が信じてくれたからさ。ワシ自身よりも、ワシのことを信じてくれた。だから、ワシも息子を信じられた。息子が怯えて下手に動けば、ワシの矢は外れていたかもしれん。

 そういうものだ、いくら一人で考え込んでも、いつまでたっても一人相撲のままだ。何を案ずることがある。アズルは、あんたを信じてくれる」

 

「知っているわ」

 

 アーチャーの言葉に、しかしルベルはそう、低く、引きつるように応答する。

 

「アズルが、すべてを信じて、こんな私でさえ信じてくれると、私は知っている。

 

 けれど、私は信じられない。いくらアズルが信じてくれても、私は私を信じることができないのよ! 魔術師としての私は、その私を信じた私を、裏切るかもしれない。

 

 いざとなったら、アズルですら、――切り捨てるかもしれない。ナティオをそうしたように。いくら――私がそうしたくないと思っても、止められない。

 

 だって、それは決定事項なんだもの――どうしようもないのよ。――ねぇ、どうやって信じるの? こんな人でなしを、どうやって信じろというのよ! どうしてそんな自分に何かを預けられるって言うのよ……ッ!」

 

「……」

 

 そう言って崩れようとしたルベルの肩を掴み、アーチャーは強引にその体を自分に向き直らせた。

 

「わしは信じるぞ。あんたをな」

 

「アーチャー……」

 

 ルベルはむしろ唖然として、この髭面の男を見つめる。

 

「なぁ、あんたは、なぜ自分の令呪が全てなくなっているか、気づいているか?」

 

「? ……わかってるわ。あの時、私は令呪を使って、あなたを」

 

「それは二画目だっただろう? ならば、三画目を何に使ったか、解るか?」

 

「それは――」

 

 間抜けな話だが、そう言われて初めて、ルベルは自分が三画目の令呪を何に使ったのかを把握していない自分に気づいたのだ。

 

「解らんのなら教えよう。あんたはあの時、二画目の令呪を使って、わしを呼んだな」

 

 そうだ。あの時、ルベルは自らの盾とする目的でアーチャーを己の位置まで転送させた。しかし、確かにあれは二画目だ。その後のことまでは覚えていない。では、三画目の令呪はなぜ失われているのか?

 

「あんたはあの時、一度自分のところまで喚んだとしたワシを、もう一度アズルのところまで戻したんだ。それが三画めの令呪でやったことだ」

 

「何ですって?」

 

 ルベルは思わず声を上げた。まったく記憶にない。――が、確かに自らの手足が粉砕されていく光景は覚えているが、そこにアーチャーの姿はなかった。盾にするために呼んだのなら、先に粉砕されていたのはアーチャーの五体だったはず。

 

 しかし――なぜ? なぜ自分はそんなことをしたのだ?

 

「アズルのためだろう」

 

 アーチャーの言葉にルベルは顔を上げる。

 

「どういう、こと?」

 

「あの一瞬で、あんたは自分が死んだあとのことを心配しとったんだよ」

 

「それで……。けれど、それがなんだというのよ? どうしてそれがあなたが私を信じることになるの?」

 

 アーチャーはやれやれと言わんばかりに息を吐いた。

 

「だって、それはワシを信用してくれた、信じてくれたということじゃないか」

 

 ルベルは今までにないくらいに唖然として、その言葉を反芻した。

 

「な、何を言っているの? どうしてそんなことに……」

 

「普通なら、そうせんだろう。普通のマスターならな。あんたはワシがマスターを失っても、それでもアズルを守ると信じてくれたんだろう?」

 

 しばし息の仕方を思い出すように押し黙ったあとで、ルベルはその髭面から目を逸らす。

 

「それは――、あの状況ではそれしか手がなかったからよ。ただの消去法。令呪であなたに盾になれと言ったところであれを受け止められるとは思えなかった。令呪はサーヴァントの持つ力を超える奇跡は起こせない。……だから」

 

「二人一緒に死ぬわけにはいかない。せめてワシだけでも残せば、アズルを守ると思ったのではないか」

 

 ルベルはとうとう頷くしかなかった。確かに、本来のサーヴァントとマスターの関係を考えれば、有りえない判断だった。

 

 しかし、意図して思い出してみれば、あの時のルベルの頭にあったのは、アーチャーなら単独行動のスキルによってマスターなしでも現界することができるということ――そして、

 

「そうね。……とっさのこととはいえ、私は貴方が理由もなくアズルを守るという前提で、貴方を残そうとした。私が馬鹿だったわ。けれど本当に、考える時間なんてなかったのよ。ほかに手もなかった。それだけのことよ」

 

「そうなのかもしれんな」

 

 といいながら、アーチャーはその粗暴なひげずらににんまりと人懐っこい笑顔を浮かべる。

 

「だが、それでもわしは嬉しいんだよ。信頼とはそういうものだ。契約や損得とは違うものだ」

 

「……」

 

「とっさのことでもなんでも、あんたはワシを信じて、自分よりもワシの命を優先してくれた。サーヴァント冥利に尽きる話じゃないか」

 

 ルベルは、心底気怠そうに息を吐いた。

 

「どこまで、楽観的なのよ。……だいたい、それならなんであなたは従う必要ないマスターのそばにまだいるのよ」

 

 投げやりに言うルベルに、アーチャーはまた柔和で、それでいて粗野な笑いを満面に浮かべた。

 

「言っただろう。わしの目的はあんたに力を貸すことだ。それにアズルはワシの友達だからな。それを浚われたままで、済ませる話じゃなかろう」

 

「まったく……」

 

「いいじゃあないか。せっかくサーヴァントがやる気になっとるんだ。知恵者のマスターならしてやったりとほくそ笑むところだろう、な?」

 

「知恵者ってところには、もう自信がないわね。今は自分の間抜けさ加減に呆れてるところなのよ、私は」

 

「なら、運がよかったと思え。むしろ当たりを引いたと思っておけ。ワシでよかたっとな」

 

 何を言っても懲りる様子のないサーヴァントを前に、ルベルはとうとうそっぽをむいた。こんな状態で、そんなふうに笑いかけてくる相手に、返す顔など彼女には無いのだ。

 

「――そう、思っていいのかしらね」

 

 もちろんだとも! そう言ってアーチャーは厚い胸を張る。

 

「知っとるだろう? ワシは、期待には応える男だ!」

 

「そうね。……ほんとにそうだわ。伝説が証明している……」

 

 ルベルは観念したように苦笑しながら、そんな言葉をこぼした。

 

「なら、あとはどうする? 我がマスターよ」

 

 ルベルは無言のまま、真っ直ぐにアーチャーを見据えた。

 

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