Fate/alter Seven Sight ――the Next Sight―― 作:どっこちゃん
(月曜日・夜半)
「下がりさない、伸枝!」
ルベルの声と同時に、その金属からは引き裂くかのような射撃音が連続して轟いた。
ガクン、と仰け反った伸枝の肢体は崩れ落ち、それきり動かなくなった。
次いで、ルベル・フォン・シュタウフェンにとって十数年来の弟子である小高森涅は、あろうことか、手にした
同時に、肘の辺から切断されていた筈の左手が、収納されていた飛び出しナイフの刃のように引き出され、その手で何処から取り出したのか、今度は二銃身式の
礫とも飛沫とも取れる奇怪な火花がまき散らされ、部屋中の壁掛け時計が蒼く冷ややかな炎に包まれる。
「――ひどいことするわね。どれも安くないのよ?」
「この魔弾は特別製だ。これで結界の重圧はなくなる。迂闊だなシュタウフェン。その上サーヴァントも控えさせていないとは」
聞きなれた声音。聞きなれない語調。ルベルは応えず、ようやく息をついて立ち上がろうとした。
ソードオフ・ショットガンを放り捨てたくろむは間髪要れずにルベルへ向けて銃弾引き金を引き絞った。
まず胴体へ向け二発。さらに距離を詰めて頭部へ二発、そして再び胴体へ二発。
途切れることの無い、流れるような動きだった。発射音にさえ断間というものがなかったほどだ。
しかし、弾丸は標的であるルベルの身体に届いていなかった。
元よりくろむ――いや、その女もまさかそのまま銃弾が通じる相手とは思っていなかっただろう。
にも関わらず、目を剥かざるを得なかったのは、蒼白い炎に塗れた銃弾が当たり前のように標的の、ルベル自身の目前で制止していたためである。
まるで何かに受け止められるように。
女はハッとして先ほど撃ち殺した筈の秘書に目を向けた。その倒れた胸元には臓腑の奥深くまで打ち込んだはずの弾丸が転がっていた。
無論、同様に散弾を撃ち込んだはずの壁掛け時計も何の変哲もなく狂った時を刻み続けている。
「幻覚か!?」
「よく似せたものね。うちの弟子と面識があるのかしら?」
「――バーサーカー、来い!」
こうなっては仕方がない、とばかりに開き直ったのが、その女の面貌から容易に窺えた。その顔や姿形は、すでに見知った弟子のそれとは別のものになっている。
途端にとてつもない振動が床から立ち昇り、女の足下から床を裂いて何か――黒い塊が盛り上がってきた。
漆黒のワイヤーのような体毛、それだけで室内の大半を占領してしまえそうな巨躯、真紅に染まる瞳と銀に濡れ光る牙を覗かせた人獣であった。
「バーサーカー? これが……」
感心するようなルベルの言葉が終わるより先に、獣は砲弾のように突撃してきた。
しかし、先ほどばら撒かれた銃弾をあらゆる角度から防いで見せた「何か」は、そのバーサーカーの巨体をも受け止め、その動きを押し留めていた。
それでも前に進もうとする人狼――バーサーカーの推力によって、ルベルもまた先ほどまでの余裕を見せては要られなくなっていた。
「――――ッ!」
ルベルを中心とした空間が、比喩ではなく、確実に、まるでレンズを挟み込んだかのように歪んでいる。やはり、彼女とバーサーカーとの間には何かが在るのだ。唯の魔力障壁というのでもない、何か、魔力の触媒となりうる何かがそこには在るのだ。
「――アナタ、名は?」
巨獣を押し留めたまま、流線型のガラス細工のように立つルベルは改めてこの闖入者に問うた。声は素っ気無く、仕草はあくまでも優雅そのものだ。
「訊いてどうするつもりだ」
再び銃を構えながら女は応える。今なら銃弾でも嫌がらせにはなるということだろうか。確かにバーサーカーの規格外の膂力は、今にも強靭なはずのルベルの防護膜を食い破ってしまいそうだ。
「いえ、さっきまであなたが化けていた娘の行方を知っているのかと思ってね」
しかしルベルの声色には微塵の変化もない。
「悪いが、私は知らない」
「それでも、のぶえを騙した上に、左腕が落とされていた事まで知っているというのなら、あなたは浚われた後のあの子の行方を知っているということになるわね」
女は口を噤んだ。応えるのは沈黙ばかりだ。
その間にもバーサーカーは一切斟酌することなく、ルベルに対して微々たる前進を続けている。
魔術工房に等しい要害の真っただ中である。核シェルター以上の対物理耐久を持たせてあるはずの多重障壁魔術が、しかし今にも紙同然に噛み破られそうだ。
ルベルはあくまでも、優雅に息を漏らした。
「……応えてはもらえないのかしら。――残念だわ、ユルグ・ローハン」
かまわず引き金を引こうとして――そこでようやく、女は先ほどから感じていたはず違和感の故を悟ったのだろう。不意にひきつったように目を剥いて、ルベルの眼を見た。
魔術師は微笑でそれに応える。
「惜しいわね。私の弟子になんて化けていなければ、――」
向けられた銃口が火を噴くことはなかった。その時にはすでに、真紅の刃がユルグと呼ばれた女の胸を、その肺腑を内側から突き抜いていた。
「――今の一撃で苦しまずに死ねたのに」
クリスタルのような真紅の刃が、まるでハリネズミのように、内側から人体を貫いていた。
女――ユルグは血を撒いて床に伏せた。這い蹲ったまま、血色の怨嗟を吐き漏らす。
「――キ・サ・マッ!」
「ユルグ・ローハン。シュタウフェンとは対立する協会の派閥が、儀式の監視がてら送り込んだフリーランスの魔術師ね。あだ名はイレイザー(掃除屋)。専門は魔術師相手の暗殺と偽装工作――だったかしら?
あまり表には出てきていない上に、容姿が不明瞭で正体は依然として分からなかった。……その変装のせいだったのね。――大したものだわ。さすがの私も最初の一目は騙されたのだから。誇ってもいいわよ?」
ルベルは机の淵に、それこそ砂時計のように豊かな曲線を描く腰を落ち着けた。
「それで? その顔は本物なのかしら。それともまだ擬装しているの? まぁどちらでもいいけれど、残念だったわね。
協会に入っている諜報から、あなたのことはとっくに知れているわ。――うちの家門の連中は、その手のことにばかり精を出しているものでね。まさか役に立つとは思わなかった…………ッ?!」
そして、はたと不愉快な事態に陥ったのだということに気付いたルベルは、その眉根を優雅な仕草と共に顰めて見せた。
このままでは、この件について代行とその取り巻きの連中にどんな恩着せがましい事を言われるかわかったものではない。
一方、心肺機能を紙一重で生存可能な状態に留め置かれた女――ユルグは、呼吸を止めたままバーサーカーを見る、先ほどまで徐々にだが前進していたはずの巨獣は、今やその動きを完全に封じられていた。
「息を止めても無駄よ。すでに我が魔道器はアナタの体内に入り込んでいる」
再び鮮血が床に広がった。起き上がろうとしたユルグの肺腑の内でその凶器は変形し彼女の内部を掻き裂いているのだ。ユルグは血を吐き続けながら、今度は壁の時計群を見上げた。
その視線を見止めて、ルベルはその美貌に妖艶な笑みを浮かべる。
「当然だけど、あなたも私のことは調べがついているようね。確かに表向き、私の専門魔術は「時計」を媒介としたものということになっているわ。あなたも最初この部屋の時計を狙った。それは間違いではない。
けれどね、私の本当に得意とするものは時計そのものではないのよ。『時を計るもの』、つまりは『砂』――微粒子の扱いこそが我が魔道の真骨頂」
そう。つまりいまこの空間に満ちている芳香――即ち香りの粒子そのものがこの魔術師、ルベル・フォン・シュタウフェンの秘めたる魔術の媒介であったのだ。
その礼装の中でも、この芳香の元となっているストールは彼女の持つ魔術礼装の中でも特に汎用性に優れた逸品であった。
攻撃と防御を同時にこなすことが出来、容易には敵に察知されることもない霊的、物理的に目視の出来ない攻撃媒介は魔術師、非魔術師を問わず効果的であった。
さらにその芳香は物理干渉力だけではなく、その魔魅なる香りによってそれを嗅いだ物に対する様々な効力を発揮する。
魅了、幻覚、麻痺、催眠など、その汎用性は類を見ないほどである。
「さあ、まだ口は利けるでしょう? 知っている事を話しなさい。渋ると辛いことになるわよ?」
放り捨てられた凶器は床に落ちる前に、一抹の微粒子となって空間に広がった。そしてユルグはそれほどの重傷に斟酌さえせずに、喉の奥に溜まった血を吐き捨てた。
「狂え、バーサーカーッ!」
そして、先ほどまで芳香の鎖に囚われていた巨獣はその巨躯をさらに膨れ上がらせ、ルベルの防備を引き裂いてしまった。
「――よくやるわね。アナタ。そんな事をやり続けたら死ぬわよ」
「要らぬ世話だ!」
このストールの芳香が、いざともなれば集束変形して大型トラックどころか重貨物列車との正面衝突に際してさえ、術者であるルベルにそよ風ほどの変動を赦さぬ事を考慮すれば、このバーサーカーの剛力こそまさしく規格外というべきものであっただろう。
しかし、真に瞠目すべきは、このユルグという、さして高位とも思えぬ術者が、それも瀕死の傷を負っているにもかかわらずバーサーカーの狂化を最大限に引き上げるほどの法外な魔力供給に応えていることだった。
ああなったサーヴァント、特にバーサーカーからの魔力要求はもはや略奪に等しい。それは肉体だけに有らず、精神、霊魂の磨耗さえ引き起こすほどの苦痛をマスターに強いるはず。
にもかかわらず、このフリーランスの下級魔術師は、まるでスイッチでも入れるかのようにしてそれを行ったのだ。
「そう、――あなた」
その様は、あらゆる意味で痛みを感じていないとしか思えない。しかし、それはたんなる痛覚の遮断や無痛症などでは説明できない。まるで自分の身体を作り物か何かのように扱っているようだ。
「人形、なのね。――もしや、あの男の」
ルベルの呟きは、ユルグの咆哮によってかき消される。
「殺せ、バーサーカー!」
芳香の障壁、壁掛け時計の結界、床と天井に仕込んであった特性の檻。その全てがとうとう粉砕された。バーサーカーはあらゆる拘束を振り切って今度こそルベルに向けて突進する。
その標的とされたルベルは、落ち着いた平素の挙動からは予期しえぬほどの機敏な動きで部屋の隅まで移動した。
しかし、もはやこの部屋そのものを埋め尽くしそうな勢いのバーサーカーに対して、それはあまりにも無意味な行いと見えた。
殺った――。そんな確信が、血に濡れたユルグの顔に浮かぶ。
しかし次の瞬間、ガラス張りの壁面を貫いて、何かがこの部屋に飛来したのだった。
それきり、バーサーカーの前進は挫かれた。
ユルグには何も分からなかったことだろう。ただ、理解せざるを得なかったのは、なにかガラスを割り、思いのほか勢いを増していた雨と湿った夜気を引き連れて室内の入り込んできたということ。
そして、それを迎撃しようとしたはずのバーサーカーが、訳も分からないうちに消滅させられてしまったということである。
「な、に――、――何、が」
そこでユルグはガクリと両の膝をついた。もはやろくに動けないほど消耗しているのは火を見るよりも明らかだった。
機械人形然として駆動していた身体は、いまや生命力の枯渇によって本人の意思とは関係なく木偶と成り果てているのだ。
その脇で、いましがたまで床に刻まれていた、赤く、丸い、誰にでも見覚えのあるはずの印章(シール)が、静かに消えて行ったのに、果たして彼女は気づいたであろうか。
「私のサーヴァントは弓の英霊、アーチャー。故にこの場にいなければならないなどということはありえないのよ」
「……狙撃、かッ……」
それきり、ふいごのような息を漏らすだけとなったユルグに歩み寄ったルベルは感情を込めぬ声で告げる。
「おとなしく情報を吐くなら、命と後の立場については保証してあげるわ」
するとユルグは顔を上げ、無言のまま心底おかしそうに微笑んだ。ルベルは一転して溜息を漏らす。
「プロ意識もいい加減にしておきなさい。このまま死にたいのかしら?」
「無駄だ、もう――」
そのとき、何事かを言わんとしたユルグの口腔からなにか、銀色に濡れ光る巨大な針のようなものが突き出てきた。
――否、それは内側からではなく、雨ざらしの窓の外から――いままさに開かれようとした唇を狙って打ち込まれたものであった。
砲弾以上の速度で銀の凶器を咥え込まされたユルグは、その場で即死して崩れ落ちた。
ルベルはといえば、同時に彼女の背中を狙ってきた飛針から身を守るだけで精一杯の有様だった。
次いで室内に飛び鋳込んできたのはルベルにも見覚えのある人物だった。さしもの彼女もしばし、驚愕に言葉を失う。
「――これはこれは、叔母君様、何か忘れ物でもされましたか?」
言ってみて、ルベルは自分でも馬鹿らしくなった。そこにいたのは、先ほどのこの場所から去ったはずの叔母と、その護衛たちだったからである。
それぞれに、銀の凶器、所謂千本という武器を手にしてじりじりとルベルとの距離を詰めてくる。
どう見ても正気とは思えない。何らかの魔術か催眠術の類によって操作されているのだろう。
「次から次へと……」
言うや否や、周囲に散舞していた香りの粒子がルベルの魔力によって強化硝子の如く凝結し、散開して迫ってくる「敵」に向けられた。
しかし、芳香の刃は歩みだした二人の護衛の五体に接触したとたんに結合を解かれてしまった。
「強制解呪の刺青……ッ!」
意図せずとも苦々しい声が漏れる。それはルベルの使用する魔術にのみ有効な対抗術式であった。
身内である筈の彼女から身を守るためだけの備えなのだ。これで激励に来たとはよく言えたものだ。
嘯くうちに三者三様の体で彼らは迫る。しかしその攻撃手段は皆同じであった。護衛はともかく、叔母は自らの身体を使用して戦闘をするタイプの魔術師ではないはずだ。
その属性は「火」。得手とする魔術特性は様々な型のランタンとその炎の揺らめきを使用して催眠・幻影のはず。あのような無粋な暗器の類はそれこそ卑下してしかるべきものだろう。
となると、――アレを操っている手合いは五体を操作できるだけで、魔術回路の起動や魔導器の再利用はできないと言うところか。
無論、それがブラフである可能性は充分ありえるが。
兎角、叔母の余計な用心深さのせいでストールが役に立たない。――となれば。
「
ルベルは後退しながら念話で遠方に待機させていたアーチャーに呼びかける。
『構わんが、今度は的(・)無しか?』
この場にはいないはずのアーチャーは、現時点のルベルの位置関係を正確に推し量れるようであった。
感覚共有のパスに加えて、高位のハンターサイト。サーヴァントのスキルとして昇華された遠隔視のスキル「千里眼」のおかげである。
『ええ、威嚇するだけでいいわ。あとは――こちらで仕留める』
『では行くぞ!』
秒の断間を待たずして再び飛来した光弾は、彼女と叔母たちの間に飛び込んで炸裂。煌々と燃え上がった。
僅かに怯んだ叔母と護衛たちの前に、再び立ちはだかったルベルの手には、煌びやかなステッキが握られていた。
いや、それはステッキではなかった。それはステッキと見間違えるほどに長く伸びた重複螺旋構造の硝子細工と、まるでルビーを砕いたかのような真紅の砂片から成る、美しい砂時計であった。
「こんなところで使うことになるとは思わなかったけど……」
言いながら、ルベルはそれまで時を刻んではいなかった砂時計を反転させた。血色の砂は流れ落ちる。まるで血潮が血管を伝い流れるかのように。
結果、周囲の空間は異界へと変転した。
雨が、紅い。
床に溜まった水溜りが赤い。
大気中に湿る水分さえもが、薄紅色にかすんで見える。
「――
それはビルの上部を含む、広大な部分をまるで赤い硝子製の立方体の如く包み込んでいた。
重さのない、まるで立体映像かなにかのように見える立方体は、ひとつの角を頂点として虚空から吊られたかのように固定され、その内部に在るあらゆる「水」を正真正銘の人間の血液に変容させていた。
そして、同時に獣の如く苦悶の唸りを漏らした叔母やその護衛の口から、真赤な粘液が大量に吐き出されてきた。
それきり、全身を海綿の如くグズグズに解れさせた三人の闖入者は血の中に伏し、その流れ出た血溜まりだけが不可思議な流れを作って寄り集まっていくではないか。
ルベルはその様を睥睨でもするかのように、無機質な眼差しで見下ろしていた。
「――そんなことだろうと思ったわ」
その大量の血溜りは、一所に集まるや否や、次第に水気を失いながら粘液状のものへと変容し、それから次第にジェル状に身を固め、そしてナメクジのような質感の人型へと速やかに変容した。
今やそのゼラチン質の身を血斑に染めながら、ぬるりと起された面貌にはまちがいなく髑髏を模された奇怪な仮面が赤く滑っていた。
「種が知れてしまえば、何のことはないわね。サーヴァント・アサシン」
「……グ、ガガガ、……グゥッ……」
怜悧なルベルの声に、応えるのは苦悶の唸りだけであった。
それもそのはず、周囲を赤く染めているのは、常人なら一含みで死に至る程度の毒性を秘めた魔血であるのだ。しかもそれは術者たるルベルの意思によって千変万化し、先のストールの芳香どころではない凶器とも化すのだ。
しかし真に驚愕すべきは、このアサシンの異形とも言える五体であった。
昨夜、最後のアーチャーの宝具から逃げおおせたのも、この能力によって身体を分散していたが故であったのだ。
幸いにも、液化して周囲の水分と同化し、いかなる閉所にも実体のまま這入り込むというこのアサシンの特異な憑依能力は、ここに来て結界内のあらゆる水を支配下に置いたルベ・ルフォン・シュタウフェンの礼装によって無効化されている。
「手間が省けたわね、あなたならあの仮面の女の居場所を知っているのでしょう?」
今のアサシンは、己が利するために五体に憑依同化させた水、それを内部から拘束されているようなものだった。霊体化も出来ず、あらゆる能力の使用が絶望的なのだ。
「無駄よ。空間そのものを切り取って固定してあるから許可なく出入りすることは不可能。私が二十年かけて作り上げた特別礼装よ。――これこそシュタウフェンが百年に渡って収集してきた対サーヴァント技術の集大成。力ずくで逃げようなどとは考えないことね」
しかし、優雅に語ってはいるが、ルベルのほうもあまり余裕はなかった。なぜなら、この礼装は文字通りの「砂時計」なのである。神にさえ近しい霊威を誇るサーヴァントを押さえ込むほどに強靭である反面、時間制限が設けられているのだ。
落ちた砂は二度と戻ることはなく、砂が落ちきってしまえばそれまで。
それがこの礼装のルールであった。時間はかけられない。もしも手間取るようなら、情報を得られずともこの場でアサシンは葬らねばならない。
「……、……、」
「さあ、言いなさい。貴方のマスターの情報を」
アサシンの痩身の内で、その何割かを占める分の血が、一気に凝結し剃刀の様な刃を形成した。アサシンは五体を内側から切り裂かれ声にならない声を迸らせた。
「もう一度言うわよ。アサシン――」
そのときであった。再びノックでもするかのようにルベルの細い背を叩いた刃の感触に、さしもの彼女でさえ眼を見張らずにはいられなかった。
この時点で更なる伏兵が有ろうとは、さすがに予期していなかったのだ。
あまりにも至近距離、それも出入り不能のはずの結界の内側から、完全に死角を突いた太い針は、肩掛けにしていたストールを裂いてわずかに彼女の体に触れた。
無論、大した傷でもない。しかし二重の衝撃にたたらを踏んだルベルは身を捩るようにして振り返り、己の失策を悟った。
そこに立っていたのは、先ほどから気を失って伏せていたはずの伸枝であったのだ。
――やられたっ!
この間者は先の叔母たちだけではなく、すでに伸枝の体内にまで這入り込んでいたのだ。――一体いつから? 恐らくは、最初からだ。
ルベルは手にした砂時計で床をノックする。咄嗟に四方に蟠った血が蔓のように伸び、絡みついて伸枝の身体を拘束する。
しかし、伸枝は尋常でない力でそれに抗おうとしている。無表情な面貌には意志の光は見受けられない。このままでは彼女の体のほうが危険だった。
何とかして内部のアサシンを無力化しなくてはならない。――しかし、
「非――この結界を解いてもらおうか、シュタウフェン」
先ほどまで大仰に苦悶の唸りを上げていたアサシンはすらりと立ちあがりそんな言葉を発した。その様からは、或いはその総てが演技だったのかもしれないと思わせるほどだ。
「……私の事を少しでも知っているのなら、たかが秘書程度が人質になると、本気で考えてはいないでしょうね」
「非――いままでは、確かにそうだった。考慮にも値しない愚策だったとも。しかし、おまえ自身の挙動が物語っている。是――先ほどの叔母とやらは一瞬で切り捨てておいて、その女のほうは出来るだけ傷つけぬようにと加減までしているではないか? 虚勢が滑稽に聞こえるぞ。
是――やる気があるなら、さっきのようにその女の血を毒に変えて俺の「半身」を引きずり出せばいいことであろう」
ルベルは無言のまま唇を噛んだ。
確かにいま伸枝の体内の水分を総て猛毒の魔血へと変容させれば、先ほどの叔母同様にアサシンを引きずり出せる。が、その場合、間違いなく伸枝は死ぬ。
あの叔母もその護衛も魔術の徒であった。シュタウフェンと言う魔道の家門のために、そして魔道の鉄則に従って己同様に、死を諦観していたことは疑う余地もない。たとえあの叔母に意識があり、命乞いをされたのだとしても、ルベルは迷うことはなかっただろう。
それが魔術師としての正しい判断であった。代行もこれについては文句を言いはすまい。家門への不利益をもたらした者へは当然の処置だとさえ断じるかもしれない。
ならば、いまの己の判断はどう見るべきか? 伸枝は魔術師ではない。しかし一般人でもない。ゆえにその命をどうするかは、ルベルの胸先三寸であった。
しかし、いくら考えてみても、いまのルベルにはその決断が出来なかった。
彼女の内心で、切迫した声が響いている。いまその覚悟を決めなければ、到底この闘いに勝ち残ることはできない。情を残したまま勝ち残れるような闘争ではないのだ、と。
情? いま自分の魔術師として当然の判断を押し留めているものが、情なのであろうか。まさか。そんなもの、魔道の摂理とは比べるべくもないものではないか。
愕然としながらも、しかし、それでも、ルベルの合理的な意志は、彼女の魔術回路へと伝わることはなかった。
「非――いつまでも悩んでいると、元も子もなくなるぞ」
「……ッ!」
アサシンの抑揚のない声に、ルベルは唇を噛む。こうしている間にも礼装たる砂時計の残りはなくなっていく。……あと156,44435、155,32347、154,00016……残り153,92883秒。
ルベルは無言のままに砂時計を反転させ、結界を消した。
周囲の世界を染め抜いていた鮮血は嘘のように抜け落ち、常態へと帰結した。
「是――いいだろう。杖をその女に渡せ。同時に、俺はその女から抜け出す」
拘束から開放された伸枝は意志を持たぬ人形のような表情のまま、いつもの所作で恭しくルベルの砂時計を取り上げ、それをあらぬ方へ放った。
割れた窓から、砂時計は紅い閃光のように落ちていく。
そのまま伸枝の口からは、半透明のゼリーのようなものが大量に吐き出され、足元の雨水に溶け出した。アサシンの本体のほうも、徐々に五体をどろどろと解き始めている。
ルベルはそのまま崩れ落ちた伸枝の体を抱きとめた。水分を抜き取られ、ひどく軽い。しかし確かに生きてはいる。
――いつでも切り捨てられると思っていた。今の今までそのつもりだった。そう思い、ルベルは眉根を寄せる。なのに――いつの間にか、身内になってしまっていた。
普段からこき使っていた部下で、会社では出来の悪い秘書。屋敷でただの下働き。所詮は使い魔。なのに――。
連れてくるべきではなかった。いっそ、最初から弟子と共に屋敷に据え置くべきだった。魔術師の論理にそって、野放しにした時はそれが当然のことだと思ったのに。
それがどういうことなのか、いまになって彼女ははじめて思い知ったのだった。
誤算だった。いつの間に、自分はこんなにも切り捨てられないものを抱えるようになったのだろうか?
「非――これは驚いた。そんなにその下僕が大事とは?」
顰められた眉根に、眇められた双眸に、真紅の怒りが宿る。
周囲の水がルベルの魔力を吸い、波紋を起しながら隆起していく。刃で刻めぬのなら、まとめて拘束するまで。ルベルは即興の魔術で周囲の水を凍結させ始めたのだ。
確かに彼女はタイプでいえば物を作る
――しかし、それはアサシンにとってもすでに予測済みのことでしかなかった。
同時にルベルに支えられていた伸枝の体が蠕動し始め、口腔からはあぶくと共に血が溢れだしてきた。
「――――――ッ!」
「非、非、非――ハハハッ、本当に人がいいのだな、腑抜けた魔術師よ。すぐに心臓が止まるぞ、他の臓器にも傷がある。急がねば手遅れになるぞ!」
ルベルの怒りを表現するかのように、周囲の水が爆発的に凝結し、巨大な津波の波濤の如く、ビル全体を覆ってしまった。それは水ではなく、微細な氷の礫であった。雹の群れであった。
その一つ一つがまるで弾丸のような推力を持って溢れ、着弾と共に凝固し、周囲の総てを氷山の中に押し込めた。
が、アサシンにとってはそれさえも児戯に等しかったらしく、間者らしくもない笑い声を残して消え去ってしまった。
今度こそ本気で気配を遮断している。これではいかなる魔力探知にも引っ掛かることはないだろう。
割いた腹腔から伸枝の体内に直接手を入れ、治療魔術を施すルベルの脳裏に、声が届いてくる。
『――マスターよ。
アーチャーであった。こちらでの経過は知れているはずである。そして、
「……いいえ、その必要はないわ。あなたはアサシンの半身に刻印した
『うむ。そういう腹か』
「……」
アーチャーはそれで納得したようだったが、ルベルにしてみれば、これは苦肉の策であった。
聖杯戦争の常道に従うなら、伸枝や弟子である涅の命よりも、アサシンをこの場で始末することの方が優先されて然るべきであった。残ったマスターなどサーヴァントの驚異に比べれば取るに足らない。
いくら表層的には弟子の安否を気遣っていようとも、魔術師たる己ならば、いざとなれば問題なく切り捨てられる。そう考えていた。
土壇場になってみるまで、知らなかったのだ。自分が、この国での生活を送るうちに、こんなにも甘くなっていたのだということに。
この甘さ、次は命取りになる。しかし、自分は、本当にこの問題にケリを付けられるのか……。
ルベルは、濡れる虚空を見据え、再び強く唇を噛んだ。
アーチャー
真名:
性別:男性
身長・体重 173㎝ 80㎏
属性:秩序・善
筋力C 耐久C 敏捷B 魔力D 幸運A+ 宝具A
クラススキル
単独行動:B
マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。
対魔力:D
一工程による魔術行使を無効化する。魔力除けのアミュレット程度の対魔力。
保有スキル
勇猛:A+
威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。また格闘ダメージを向上さ せる効果もある。胆力。勇気。技術や肉体の強さよりも、この高い精神性こそが彼 の真価といえる。
レンジャー適正:B
遠見・投擲・野駆・野伏・野草学・追跡・探査・星読み・トラップ作成・天候予測 等、主に野外におけるサバイバル技能一式を、必要に応じて使用できる能力。Bラン クでは、すべての技能をCランク以上の練度で取得できる。
宝具 ランク:A 種別:対人宝具