Fate/alter Seven Sight ――the Next Sight――   作:どっこちゃん

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二章ー2

(火曜日・夜半)

 

 亡くなった夫も、部屋にこもることの多かった絵描きであったし、気軽に足を運べるような近所に子供もいなかったから、息子の遊び相手はいつも姉たちだった。

 

 いつもおとなしく、まさか乱暴な振る舞いなどする余地もないと思っていた。だから、まさかアズルにあんな危ない遊びを好むところがあるとは、夢にも想わなかったのだ。

 

 正直、姉のナティオよりも、よほど娘らしいとさえ思っていたのだが……、やはり本質は男子であるということなのか。

 

 やはり――父親が恋しいのだろうか? いや、自らを鑑みるに。母親の役さえ満足にこなせていない自分が考慮しても詮無いことではあるが……。

 

 

 ――夜。それもかなり深まった深夜のことであった。ルベルは一人、ぶつぶつと韜晦を重ねながら夜の街を歩く。まるで幽鬼のように転々と、実態がないもののように。

 

 照りつける艶やかな月光に、あるいは無味乾燥な街の外灯に、ぼんやりと浮かび上がるのは、七色の鉱石砂が織り成すグラデーションである。

 

 ルベルが新たに持ち出してきた、魔術礼装でもある外套であった。

 

 その一品に限らず、いま彼女が身に纏うのは、山間の地方都市にはまったく見合わない絢爛な品の数々であった。

 

 まるで、これからベガスやドバイのような遊楽地で天文学的な金をばら撒きに出かけるかのような有様である。

 

 成金丸出しのけばけばしい装い。――そう、もしも常人が身に着けたなら、少なくともそのようなそしりを免れぬ代物であろう。

 

 しかし、言うまでもないことだが、このルベル・フォン・シュタウフェンが着こなすならば、それはただの私服でしかなく、もはや『普段着』へと早変わりするのであった。

 

 実際、そんな衣装に袖を通した時の彼女の意識としては「そういえば、仕事着でなく私服で外を歩くのは何時以来だろうか……」という程度のものでしかないのであった。

 

 全てオーダーメイドの特注品で、然るべき仕上げもルベル自らの手で施されている。特にこの七色にさざめく外套のおかげで、彼女は空間そのものを自在にショートカットして移動することができるのだ。

 

 本来戦法としては穴熊を決め込むハズだった彼女である。使用することもないかと思っていたが、用意だけはしておいてよかった。

 

 そう思いながら、彼女は今、まるで夢幻のごとく、夜の街を己の足で散策する。

 

 しかし、そんな彼女が考えるのは、やはり昼間の事、というよりも愛息子のことばかりである。

 

 夕食の席でも、終始アズルはご機嫌だった。アーチャーのおかげなのか、とにかくしばらく姉たちのことで沈んでいたアズルに笑顔が戻った。それは本当に心の底からよかったと思える。

 

 新しいメイド達も、くろむには及ばないがそれなりに腕のある者達で安心した。あれで邪魔な代行さえ居なければ、ルベルも心から久しぶりに会食を楽しめたものを。

 

 ――いや、馬鹿な話だ。何を考えているのか。せっかく召喚した伝説のサーヴァントの運用方法が、息子の機嫌取りでは冗談にもならない。

 

 自らの足で冷たい路傍に足を下ろし、礼装でもあり時計作りに愛用している「サファイアの砥石」を使ってのダウジングを試みるが、成果は芳しくない。

 

 やはり、おそらくはどこかの結界か魔術的拠点の中に囚われているのだろう。しかも相当強力な――例えばどこかの魔術師のねぐらなどである。

 

 だとしたら、見つかる方がおかしい。闇雲に探索しても意味がないのだ。

 

「アーチャー、アサシンの居所はわかる?」

 

 念話によってアーチャーと交信しつつ探索を進める。アーチャーは今もシュタウフェンの屋敷に待機させてある。愛息子であるアズルの護衛に、これ以上ない不寝番を申し付けてあるのだ。

 

 本来は一軍に変わるサーヴァントを拠点に残し、マスターであるルベルが戦場を散策するのは本末転倒のようだが、何をするかわからないあの代行が屋敷にいる以上、アズルの側には己かアーチャーかが居なくてはならない。

 

『ダメだな、常に移動していて、拠点のようなものは特定できん。それに、時折あちこちで出たり消えたりする。どうにも妙な感じだな』

 

「伝説の狩人も、あてにならないわね」

 

 皮肉を漏らしてみるが、それが己のはめた枷によるものだと、ルベルは理解している。本来戦闘よりも探索・索敵能力に秀でるサーヴァントであるアーチャーを拠点に留め置き、護衛をさせているというのは愚策だ。

 

 それは十分に理解している。理解してはいるのだが、それを素直に詫びることは憚られた。そういう性分なのだ。

 

『狩りの腕前で伝説になったわけではないからなぁ。あの影を狩るのは骨が折れそうだ』

 

 しかし、それに応えるアーチャーの声には気負うところなどありはしない。

 

 こういう、鷹揚であっけらかんとしてしかし落ち着き払っているところが、有用か否か、という合理性を廃し、単純に好きか嫌いかで判断するなら、ルベルは非常に気に入らないのであった。

 

 日に焼けた屈強そうな髭面は決して醜悪なものではないが、しかし拭いきれない粗野な雰囲気があった。まずそこが気に入らない。

 

 傲慢な為政者や勇猛な戦士としての英霊らしさはなく、あくまで庶民的な空気は親しみやすくもあるが、それはサーヴァントに求められる要素ではない。……もっとも、協力的であるという事実だけを抜き出して考えるなら、利点だと言えなくもない。

 

 だが、しかし、どうしても。それが文明的に洗練された女性であるマスター、ルベル・フォン・シュタウフェンには、とことん受け入れ難く気に入らないのであった。

 

 それとも、……受け入れられないのは、自分が親としてまるでないっていないということを、あのアーチャーの立ち振る舞いがそれとなく指摘しているように思えるからなのだろうか?

 

『しかし、あの敵はお弟子殿をさらってどうするつもりなのだろうかな?』

 

「――考えすぎは禁物よ、アーチャー。だいたい、余計な詮索は要らないわ。あなたはアサシンの動向と、アズルの近くに危険なもの、妙なものがないか、それだけに気を配りなさい」

 

 そうは言ったが、ルベルはそのアーチャーの言葉を反芻する。たしかに、おかしいといえばおかしい。

 

 現時点においてくろむを人質にしているにもかかわらず、あの仮面の女は、その師であるルベルになんの要求も交渉もない。何故だ? くろむを浚ったのは、自身に対してのいざという時の人質・保険。あるいは交渉のためのカードなのだと、ルベルは考えていた。

 

 認めたくないところだが、アサシンにはルベルが身内を簡単には切り捨てられない性質の人間だということまで、看破されている。

 

 それは魔術師としては致命的な隙だ。そして手に入れてあった弟子の存在。順当に考えるなら、敵の狙いはその命を盾に、ルベルに対して己が優位に立てるような条件を突きつけることであろう。

 

 ならばなおさら、くろむの生存を知らせてくる程度のことはして然るべきはずなのである。

 

 それとも、くろむをさらったあの仮面の女の目的は他にあるのか。

 

『考えすぎは禁物なのだろう。マスターよ、気を散じるな。そこは敵地だと思え。近づいては来ずとも、何かが潜んでいることは充分考えられる』

 

「だ、だから、あなたは余計な――」

 

 その時であった。近くにあったいくつかの街灯・照明の類が、一つ残らず破裂した。

 

 灯りが落ちる。ルベルは決して気を抜いてなどいなかった。

 

 寂れた商店街の一角であった。無論、人影はない。――なかった、ハズだった。

 

 己の周囲に碁盤を埋め尽くすように配置した使い魔、芳香の微粒子による簡易的な結界は数キロにも及び、他にも礼装たる両腕の『指針狂態の腕時計』と、先代から受け継いだ『シュタウフェンの魔術刻印』はそれぞれに自動感知型防護障壁、自動防護柵、幾重もの自動索敵術式、感覚の鋭敏化など、無数の備えを絶えず起動していた。言ってみれば要塞以上の防衛網を着て歩いていたようなものである。

 

 ――にもかかわらず、その全てにかすりもしない。

 

「いい夜、とは言えませんかな? あいにくの曇り空だ。私は嫌いではないのだが。どうですかな、フロイライン?」

 

 いきなりだ。およそそれ以上の表現が当てはまらない。それぐらい、その赤い外套の時代錯誤な紳士は、正しく忽然と、そこに現れた。

 

「……お嬢さん(フロイライン)はやめてもらえないかしら、ミスター・キリヒト」

 

 そう、現れたのは、よりによってこの男。――魔術師、夜鳴手錐人。

 

 言わずとしれた、御三家の一角であり、この聖杯戦争の要となるサーヴァント・システムの提唱者。しかもこの男に限っては代を重ねるのではなく、この男本人が百年以上にわたり聖杯戦争に参加し続けているのである。

 

 だが、もはや今のルベル・フォン・シュタウフェンには先ほどまであった苛立ちも動揺もありはしない。敵の出現が、かえってその存在をどっちつかずの不安定な状態から生粋の魔術師(ヒトデナシ)へとシフトさせていた。

 

 むしろ今のルベルにしてみれば、この邂逅は僥倖だったのかもしれない、とさえ思えてくる。

 

「失礼。人間、長く生きすぎると女性の歳も測り難くなるもので。皆が皆娘さんのように見えてしまいましてな」

 

「久遠の生も、耄碌(もうろく)されたのでは意味がないわね」

 

 キツい返しに苦笑する怪人の傍らから、突如「声」が響き渡った。何かを害するような類のものではなく、人の魂を震わせるような見事な歌声であった。

 

 それに伴い周囲には深い霧が広がっていく。魔の霧、ルベルの芳香のそれに重複するように張られた結界である。それをもたらしたのは声によるシングルアクションの魔術――『呪歌』である。

 

 ――やっているのは赤い外套の魔人ではなく、その傍らに立つ屈強な戦士だ。

 

 チェインメイルと兜の形状から、出自は北欧。古の戦士と推察する。あれが、今回錐人が引き当てたサーヴァントか。ルベルは外観への推察と共に、マスターとしての透視能力によってその能力値を暴き出す。

 

 魔術を使用してはいるが、全体的な能力値の高さからやはりキャスターというよりは騎士クラスのサーヴァントと推察される。

 

「耳の痛い話だ。ではミセスとお呼びすればよいかな?」

 

 シルクハットの魔人は恭しく礼を取った。ルベルは敵方の分析を勧めつつ、あくまで優雅に応えながら。先手を取る手はずを――既に終えて(・・・)いた。

 

「お好きに。ただ、どうしてもというのなら、――――怨敵(シュタウフェン)と呼べばいい!」

 

 刹那、闇間に幻燈の花園を描き出すかのごとく、香しき芳香が沸き起った。昨夜、バーサーカーを押し止めたのと同種の、微粒子の礼装が、縛鎖となり刃となって錐人とそのサーヴァントとを拘束する。

 

 同時に――悠然と佇み、闇の中からルベルを見据えていたキリヒトの頭を、彼方から幾何学的な軌跡を描いた光弾が捉える。アーチャーの矢である。山を隔てたシュタウフェン邸からの、正確無比な狙撃であった。

 

 無論、不意打ちとはいえ、それで殺せるとは思っていない。ルベルはさらに自ら空間をショートカットして間合いを詰める。

 

 その手には、新たなる「砂時計」が握られている。先夜使用したのと同じ、ルベルにとっての切り札ともいうべき礼装のシリーズの一つである。

 

 血潮のごときルビー砂を使用したあのステッキ状のそれとは異なり、それは手のひらに収まるほどの大きさであった。

 

 繊細な銀細工と、絹糸かと思えるほどの微細なエメラルドの粒子から成る、涼やかな造形の代物だ。

 

 そして魔術の常道からは考えられないほどの「凶器」。――決まれば、それで終わる。それほどに信を置くべき、自らの魔導の集大成。掌中で息づくように脈動するそれは、常なる時空間を凌辱せんと、ひたすらにその時を待つ(・・・・)

 

 ――しかし、ルベルは咄嗟に足を止めた。止めざるをえなかった。

 

 キリヒトの脳天をとらえた『矢』は予想に反して見事に魔人の頭を撃ちぬいていたのだ。まぎれもない血肉と脳症が噴き出す。

 

 まさか、という思いがルベルの身体を押し止めた。まさか、こんな攻撃が当たるはずがなかった。そしてなにより、頭を射抜かれたはずの魔人が、倒れることもなく、 

 

「――では、ミセス・シュタウフェンと。いやしかし、いきなり手厳しいですな」

 

 頭蓋に大穴を穿たれたまま、整えられた髭を揺らして苦笑しているのだ。

 

 さしものルベル・フォン・シュタウフェンも、これには閉口せざるを得ない。

 

 その間に、拘束されたはずの敵サーヴァントは、手にした剣によってバーサーカーの攻撃さえ受け止めたのと同種の結界を、こともなげに切り裂いてしまった。

 

 こんなことができるのは『ノウブル・ファンタズム』たる魔力の結晶――宝具でしかありえない。ならば、その剣の宝具を所有するサーヴァント。即ち、セイバー!

 

 冷たい路地に立ち竦むルベルを余所に、脳髄を撃ち抜かれたはずの錐人はしかし洒脱に佇み、自らの血に塗れた居住まいを正す。そして優雅に解説を始めたのだ。

 

「ふむ。……なるほど、自らを戦前の囮に使い、サーヴァントにはアウトレンジからの狙撃に専念させるというわけですか。豪胆な戦術だ。たとえ一時でも自らがサーヴァントを無力化できる前提でなければこんな戦術は成り立たない。そしてあなたのサーヴァントはアーチャーで決まりなわけだ」

 

 さては幻覚か? 視覚を乗っ取られているのかもしれない。ルベルは己の神経・肉体・魔術回路のシステムスキャンを行うと同時に、鋭い視線で魔人をねめつける。

 

「そういうことね。――下手に動くと、今度は直撃するわよ?」

 

 ルベルの、その咄嗟の言葉に、魔の紳士はクックと笑いを漏らす。

 

 ルベルは不用意な己の失言を悟り、白い頬に朱の色まで浮かべてキリ、と歯を鳴らした。今のは己の精神的後退を意味する。わずか半歩であっても、それは耐え難い屈辱だ。

 

 今の狙撃は、たしかに直撃だったのだ。幻覚やまやかしの類ではない。問題の本質は、サーヴァントの宝具によって射抜かれたにもかかわらず、あの怪人がまるで堪えていないことなのである。

 

 怪異であった。通常なら魔術師にとっても致命傷のはずの傷も、今の間に、何事もなかったかのようにふさがってしまっているのだ。ルベル程の魔術師をしてもなお、これにはしばしの瞠目を余儀なくされる。

 

 思考・現状認識における前提を立て直さなければならない。――奴の戦術。おそらくは膨大な魔力を使用しての復元再生。それを絶え間なく起動し続けていなければ、これほどの精度での再生は行えない。

 

 だが、それは通常の術理からは逸脱した在り方だ。

 

 最初から己の魔力と魔術回路の全てを蘇生にだけ専念させていた、というのならわかるが、それは魔力の無駄遣い以外のなにものでもない。止まっているあいだも車のエンジンをフルスロットルで回し続けているようなものだ。

 

 それではろくな戦闘も行えないし、すぐに燃料である魔力が枯渇してしまう。ルベルに勝っても次はないということになる。

 

「自分で言って、不自然だと感じておられますね? さきほど、私は防御などしておりません。この程度の、そう、対人レベルの斬った、刺したという程度では、どこを狙ってもこの私を殺せませんよ?」

 

 深く静かに闇に伝播する、人ならざる声音はひどく流麗であった。余裕とも取れるその紳士の言葉に、ルベルは硬くつぐんでいた唇から観念したかのように息を漏らす。

 

 屈辱を受けたからといって、いつまでもそれに耽溺して小娘のように振る舞いを乱すのは淑女の仕儀ではない。

 

「――そうね。醜態は認めるわ。種はわからないけど、どうやらお互い(・・・)サーヴァントによらない小細工が多いみたいね」

 

 ルベルは優雅な仕草で居住まいを直し、改めて手にした銀と翡翠色の砂時計を掲げる。

 

「……それが切り札ですか。なるほど、恐ろしい。アサシンといえど、サーヴァントを完全に制して見せた威力には驚きましたよ」

 

「見ていたのかしら?」

 

「感じていたのですよ。リアルにね」

 

「そう、やはりそういうこと(・・・・・・)ね」

 

 ふたりの魔術師は互いに間合いを測り合うように、しばし押し黙った。

 

「――けれど、これは昨夜のものとは別物よ。あれよりももっと強力な代物。対サーヴァント戦におけるシュタウフェン百年の研究の結晶、その本命と思ってもらっていいわ」

 

お互い(・・・)、考えることは同じですなぁ。そう、百年もあればサーヴァントを自力でなんとかするだけの備えを作り上げようと考えるのが魔術師という生き物だ。――ああ、是非とも、味わってみたい――ッッ」

 

 生唾を呑み込むように獣面をほころばせた悪魔紳士に対して、ルベルもまた相応の媚態でそれに応える。

 

 夜の深奥が訪れる。澄んだ夜気が闇に呑まれ、魔の気配が世界を席巻するころ、魔術師たちは酷薄で残忍な笑みを交わし合う。

 

「――(Aperio)――『第四災厄(Quartum Calamitas):(Bael-Zebub)』――耳に届くは羽音の群れよ。生じ、舞い、姿もなく、――埋めつくせ!」

 

 ルベルの声が響き、キリヒトが馳せる。ルベルの手にした砂時計は反転され、その中のまるで水銀のような流動を見せるエメラルドの粒子が、糸を引くようにして銀色玻璃の坂を落ち下る。

 

 空間が裂ける。地を宙を空を問わず、その礼装を中心として避けようのない『穴』が、世界そのものに穿たれ、球体状の大口を開ける。

 

「これは――」

 

 さしもの魔人も、これには呆けた子供のような驚嘆を顕にするしかない。その穴は奈落のように口を開け、まるで生きているかのように錐人を飲み込もうと迫る。

 

 もはや回避など望めまい。当然だ、そのように作り上げた礼装なのだから。

 

 迫る空間の大口の中からは羽音が聞こえてくる。何千、何万、否。何十億でもまだ足らない――それほどに無数の羽音が、ただ闇の中から聞こえてくる。

 

 しかし、羽音の主は見当たらない。そこにはただ漆黒の「闇」だけが空間を満たしており、羽音だけが存在していたのだ。

 

 常人なら、その闇を見つめるだけで根源的な恐怖を感じ、簡単に発狂することが出来るだろう。

 

 そう、切っても裂いても死なぬというのなら、総身を「羽音」に食い尽くさせるだけの事!

 

「不死の体で、魂までを貪られる苦痛を味わえ――!」

 

 キリヒトとそのサーヴァント・セイバーはあえなく闇の中に消え去った。先日の礼装を見知っていたというのなら、なおのこと回避は難しかっただろう。

 

 先日の魔血の結界は、むしろシリーズの例外なのだ。あれは周囲の水を支配下の置くため、従来の空間の上に自らの領域を重ねるという、従来からの「結界」と変わらぬやり方をしたわけだが、残り九つのシリーズは違う。

 

 これらの「亜空間礼装」は砂時計が起動している間に、こことは別の空間への「門」を作り出し、その中へ入った者を拘束し、とどめ置くという代物なのだ。

 

 亜空間の「中身」のバリエーションはむしろおまけであり、その最大の目的は敵対するサーヴァントを一時的に戦線から『取り除く』ことにある。

 

 そうすれば、無防備なマスターを己のサーヴァントが始末するまで時間はかからない。

 

 無論逆でも問題はない。マスターのほうを亜空間に拘束できれば、唯の魔術師でしかないマスターはサーヴァントの助けもなく結界の中の「災厄」に食い尽くされるだろう。

 

 この亜空間礼装は相応の装備でなければ破れない。空間に干渉できる能力か魔導器がなければ、どれほど怪物的な戦闘力を持っていても、ここから抜け出すのは不可能なのだ。

 

(claudere)――(vincio)! 」

 

 ルベルは一度閉じた結界を、二度と開かぬように封をする。

 

 これで、この砂が落ちきるまでは、どんな相手であってもこの空間をこじ開けることはできない。どれほどの再生復元の力を持ってしても、殺し尽くすには十分な時間である。

 

 ――両者をいっぺんに閉じ込められたのは計算外だった。むしろ拍子抜けだとさえ思える。てっきり令呪を使用してサーヴァントだけでもこちら(・・・)に残すものと見ていたのだが――。

 

『マスター、後ろだ!』

 

 が、閉じた礼装を固定封印したところで、背後から身に覚えのない追撃が来る。

 

 それは芳香の防護結界を、力任せに破り前進してくる。人間、いや、魔術師とも思えない突進力だったが、そこに居たのはセイバーではなく魔術師、夜鳴手錐人であったのだ。

 

 亜空間門の陥穽を躱した? いや、たしかに躱したのだろう。だが、躱せるようなタイミングならばむざむざ虎の子の礼装一つを使い捨てはしない。

 

 どうやって跳んだ? 空間転移か? だが、それならばルベルがそれを見落とすはずはない。なんの予兆もなしに行うとは、しかもあれほどの至近距離で!

 

 兎角、虚を突いた錐人はルベルに肉薄してくる。 

 

 ――なんたる失態――ルベルはキリヒトの振るうステッキから巻き起こったカマイタチを右手で受ける。

 

 シンプルだが、それゆえにすさまじい魔力を練り込んだ一撃であった。

 

 それは防護膜、内壁結界、外套のそれぞれの守りを突き抜け、肉体の最終防衛ラインである腕時計の守りにまで到達した。

 

 時空間の屈折によって砲弾やミサイル、概念武装から因果の逆転まで押し止めるはずの「最後の盾」が、こんな単純な「暴力」を防ぎきれない!

 

 右手首から嫌な破砕音はが響いた。威力はデタラメ。しかしダメージは軽微。

 

 ルベルは咄嗟に迎撃に出る。前に出なければそれで終わるという確信が背を押している。

 

「……6, 16, 26, 2(チッ、チッ、チッ、チッ)……」

 

 ――右の狂針時計が破損。機能の四割が喪失。残りの機能も一時停止(フリーズ)。同時に右手下腕の尺骨と右の鎖骨に罅。修繕は後回し。礼装の再起動を試み、痛覚の部分的遮断にとどめる――

 

 が、それはキリヒトの追撃に対して致命的な隙となった。再びアーチャーの狙撃を指示するが、しかし蒼き流星のように飛来した光弾を、しかし今度は無数の巨大な氷柱がアスファルトを割って林立し、遮ったのだ。

 

 ルベルは目を見開く。そこには剣をアスファルトに突き立てているセイバーの姿があった。

 

セイバーもまた回避していたのだ。しかし錐人がやったのではないはずだ。ならば令呪なりの予兆があってしかるはず。

 

 自力だ。このサーヴァントは自力で今の陥穽を躱していたのだ。ただの剣士にできる事ではない。この男は魔術の手練によってこれを回避していたのだ。

 

 この男――たしかにセイバーのはずなのに、ルベルの目を欺き、しかも驚愕させる程のルーンの使い手ときている。

 

 戦士でありながら何気なく使用する魔術が軒並みAランク相当だ。ヘタをすれば、魔術戦でルベルをしのぎかねない。

 

 封をした礼装の砂が落ちきる。役目を終えた礼装は砕け、自壊した。門外不出の技術を流出させぬための措置である。

 そして、強力な拘束力を持つ礼装ほど、砂が落ちるのは早い。

 

 ルベルは三つ目の対サーヴァント礼装に手を駆ける。

 

 もはや躊躇してはいられない。サーヴァントだけでなく、この怪人は最初から持てる魔力の全てを一撃につぎ込んでくるのだ。にもかかわらず、まるで消耗が見られない。

 

 無尽蔵の魔力を有するとでも言うのか? ――ならば、こちらも無常の不条理を持って相対するまで!

 

「――(excludere)――『第八災厄(Octavum Calamitas):(Bael Abaddon)』……其は災厄の代名詞。悪食であれ、それゆえに、汝らは滅びの名を冠されたのだから」

 

 手にした真鍮と玻璃製の液体時計が粉砕する。まき散らされた水銀の飛沫が、空間をじわじわと侵食し始める。

 

 これは亜空間礼装の変則型簡易使用であった。

 

 亜空間に敵を誘い込むのではなく、亜空間内の災厄をこちら側へ溢れさせ、一個の魔術として使役するのである。

 

 ――もっとも、サーヴァントさえ抑え込むという本来の利点はなくなり、ただシングルアクションで使えるだけの特級ランクの唯の魔術ということになる。

 

 だが仕方がない。この礼装の狙いを看破された今、キリヒトのような百戦錬磨の魔術師に同じ手は通用しない。

 

 あの奇妙な空間転移能力がある限り、敵を穴に誘導することはもはや至難である。

 

 粉砕した礼装を中心に空間が爛れ、いびつな口を開く。そこから何かが這い出し、溢れ出した。

 

 二十センチはあるそれら(・・・)はまさに無数であり、またたく間に暗い空を、更に暗く埋め尽くした。半径数キロにわたって結界を貼っていなければ、気づいた住民がパニックを起こしたことだろう。

 

 それは無数の(いなご)であった。

 

「お、お、お! これは凄まじい!」

 

 錐人が感嘆と驚愕の声を上げた。

 

Calamita(カ・ラ・ミ・タ・ス)――つまりは『災厄』。先ほどの羽虫、そして今度は蝗の群れ。――なるほど、『十の災厄』か! これは痛快! これほど魔術師にとって皮肉でおぞましくも美しい魔術礼装はない!! 痛快だ。これぞまさしく神へのアイロニー! これぞ冒涜の極み!」

 

 嬉々として吠えた錐人はさらにステッキを振るい、人蟲入り混じったような巨大な面貌をもつ蝗を切り裂き、焼き尽くす。が、空を覆う災厄の群れは押しとどめようがない。

 

「戯言を。――さぁ、食い尽くされるがいい、夜鳴手錐人! これらは底無しだ――底無しであるがゆえに、これらは災厄と呼ばれる!」

 

 蝗の群れに埋め尽くされ、声もなく倒れ伏しながら全身を咀嚼される錐人から油断なく距離を取り、ルベルは凛として咆える。

 

 しかし、その眼前で、錐人は何かに釣り上げられるように立ち上がった。

 

「残念ですがァ、それはァ無理――ですなァ」

 

 破砕しつくされた面貌がシャレコウベのようにけらけらと笑う。その後方でセイバーの持つヴァイキング・ソードが凄まじい光りを宿し、蝗の群れを雷と共に切り裂いた。

 

 ルベルに向けて再び突貫してくるキリヒトの前に、紫電の道が開かれる。まるで、狭量なる神に屈した、葦の海の如く。

 

 今度はステッキでなく、拳がルベルに向けられる。その電光を纏う姿、勢いはまるで超電磁砲の砲射を想わせた。

 

 血斑になった己の左拳を、錐人は轟然とルベルに突き穿つ。しかしルベルの防護礼装もいまだ健在だ。アスファルトをも焼き焦がす魔蝗の唾液でグズグズになったそれは、ルベルの防護結界に阻まれ、炸裂するかのような衝撃と共に粉砕された。

 

 ルベルの防護礼装は霧散・粉砕し、手首を失い肉を削がれたキリヒトの左腕もまた中腹から完全に折れ曲がった。

 

 ――が、それでも魔人の勢いは止まらない。

 

 鋭利に割れ、肉を突き破って露出した骨の先が、僅かながらにルベルの身体に届き、突き立った。

 

「――――ッ!! 本物の化物か、夜鳴手錐人!」

 

 キリヒトはたかられた蝗に咀嚼され続けながら、ステッキをも投げ捨てルベルの体を右手で捕まえる。まるでトラックを挟み潰せるほどの巨大な万力に囚われたように、ルベルは感じた。退避は極めて困難。――ならば、

 

「――あなダこそ大概だ。ミぜス・シュだウフェン。ゴの身体でゴゴまでやっデ、私の与えダ傷は僅かにゴれだけ。全グ、馬鹿げダ防御礼装だ――」

 

 顔を突き合わせた魔術師たちはそんな言葉を交わす。互いに後はない状態だ。この場で趨勢を決めてしまわねばならない。

 

 満身の力を込めて錐人は骨を捩じ込んでくる。ルベルの柔らかな腹腔に、それはまるで牙のように、少しずつ少しずつ、割り込んでくるのだ。

 

 いまだ皮を裂き、皮下脂肪を舐める程度のキズだが、錐人にしてみればあと数センチ押し込めばルベルを殺せる自信があるだろう。対して、ルベルもまた、その数センチを死守できれば殺されない自信があった。

 

 ルベルは魔力を総動員して錐人の五体を拘束する。押し止めれば、いかな再生力を持つといっても、これだけの数のイナゴがその五体を食い尽くすまで時間はかからない。

 

 礼装を簡易術式で使用したため、亜空間ならば無数のはずの蝗には限りがあるが、それでも――――、

 

 しかし、そこで空を雷が蹂躙した。稲光が空を四方に奔り蝗の群れを黒焦げにしたのだ。

 

「馬鹿――な、」

 

 ルベルは唖然と言葉を漏らす。

 

 セイバーであった。内実は計り知れないが、その宝具が炸裂し、空を覆っていたイナゴの大部分を黒こげにしたのだ。

 

「手詰ばりですがな、ミゼス?」

 

 ずぐり、と、また数ミリ程、骨が押し込まれる。ルベルは抑えきれない声のようなものを漏らした。万事休すであった。もはや余裕はない。

 

 これほどに全身を食い尽くされ、常に再生魔力に魔力を使用しているにもかかわらず、どうしてセイバーの宝具を全開で使用するだけの魔力を回す余裕があるというのだ!? 

 

 あれほどのことをやったら、もはやキリヒトにも余力はなく、セイバーにも影響が出ないはずはないのに。

 

 いや、こんな状況での考察は意味をなさない。

 

 ルベルは渾身の綱引き状態から、壊れている右腕をゆっくりとキリヒトへ伸ばす。

 

「なんのつもりですかな? この上、どんな奥の手を使いになるおつもりで?」

 

 もはや蝗のダメージよりも復元再生の方が早いのか、流暢な口調を取り戻した悪魔紳士が囁く。

 

 どんな礼装であれ、もはやそれを起動することすらできないルベルには意味のないものでしかない。しかし――最後の手段であるそれは、唯一ルベル自身の手によるものではない装備であった。

 

 赤い丸印のようなそれは、誰にでも容易にわかる見慣れたアイコンである。ルベルは、ただそれを、震える指先でキリヒトの体に貼り付けただけであった。

 

「――――なにを……」

 

「やって、――アーチャーッ!」

 

 やっとのことで吐き出したその声に、相槌でも打つかのようなタイミングで、蒼く白熱する魔弾の矢が、三度飛来した。

 

 狙いは、当初、明らかにセイバーに定められていた。セイバーがそれを迎撃しようと構えたことは仕方のないことだろう。

 

 しかし放たれた矢はセイバーの眼前で奇怪な軌道を見せ、一路マスターであるキリヒトに向かったのだ。そして違えることなくその赤いアイコンを撃ち抜いた。

 

 セイバーの反応が遅れたのも無理はない。矢を叩き落とすことはできても、矢に追いすがるほどのスピードは、さしもの彼にも無いからだ。

 

 加えて、それはいかなサーヴァントと言えども、技巧のみでは成しえない軌道修正であった。

 

 即ち、このアイコンと、必ずそれを打ち抜く矢の軌道操作。それがこのアーチャーたるサーヴァントの宝具の摂理なのである。

 

 今更アーチャーの矢でキリヒトは止まりはしない。だが、攻防を仕切りなおすことはできた。

 

 キリヒトの腕は粉砕され、ルベルは拘束を振り払って退避した。

 

 しかし、これはルベルにとっても苦々しい展開であった。――本来なら今のはセイバーを倒す好機(・・・・・・・・・)であったのだが、今キリヒトを止めねばルベルの方がやられていた。

 

 故に、アーチャーはあくまでキリヒトに狙いを絞ったのである。

 

 蝗は根絶され、跡形もなく消え失せた。互いに血を流す魔術師達は再び距離をおいて対峙する。

 

 キリヒトの五体は修復しきれず、粉砕された左腕部の傷口は足りない部品を求めてうごめいている。蝗を駆逐したセイバーも流石に無傷ではなかったようで、少々のダメージが見受けられる。

 

 が、やはり趨勢はルベルに不利だと見るべきだろう。キリヒトはそれだけの破壊を受けながら全くと言っていいほど消耗していない。マスターが消耗しないということはサーヴァントもまた消耗しないということだ。

 

 どうやら、あのでたらめな魔力供給をどうにかせねばルベルに勝ち目はないらしい。

 

 しかしキリヒトの方にも懸念があるようで、距離をおいて容易には踏み込んでくる気配を見せていない。

 

 キリヒトが目配せすると、今度はセイバーが前に出て、マスターとサーヴァント本来の立ち位置に戻った。今のうちに完全に破損した左腕を復元するつもりなのだろう。

 

 ルベルはそれを見逃さなかった。どうやら簡単には死なないが、それでも無敵というわけではないないらしい。つまり、一気にバラバラにされればそれだけ復元が難しくなるということか。

 

 しかし、それが分かっても、現時点でキリヒトを殺すことは難しいと言わざるを得ない。

 

 ならばこの際、標的をセイバーのほうに変えるのも手だ。無限の再生力を持ったキリヒトに、セイバーの守りを突破してそれだけの攻撃を加える隙はもうないだろう。加えてルベル自身のダメージや疲労のこともある。

 

 そう、人を超越した存在である魔術師といえども、その根幹は人であることに変わりはない。それ相応のカラクリがない限り、疲労や疲弊は避けることのできない理だ。それが、あの赤い怪人には適応されていない。

 

 長引けば、それだけルベルの敗北は確実なものとなっていく。

 

「アーチャー、標的をセイバーに変更。こちらから攻めるわ。向こうが迎撃に出たら矢で牽制してちょうだい。その隙に、――印章(シール)を貼り付ける」

 

 ルベルはアーチャーに意志を伝える。ただの念話に驚くほどの負荷を感じる。猶予は残っていない。

 

『――しくじれば、終わりだぞ』

 

 アーチャーの援護ありとは言え、騎士クラスのサーヴァントとの近接戦闘はどれほどの魔術師であっても死に直結する事態だ。

 

「もとより承知よ。――――狙って、アーチャーッ!」

 

 キリヒトの回復が終わる前に、ルベルが自ら間合いを詰めようと前進する。対して、セイバーは迎え撃つでもなく、ただ悠然と歩み寄ってくる。

 

 同時にアーチャーの矢は連続でキリヒトへと向けられる。これで錐人のよけいな挙動は制すことができる。

 

 ルベルは一対一でセイバーと対峙する。問題はない。アーチャーを後方の支援に使うと決めた時から、この身を白刃に晒す覚悟はできている。

 

 セイバーの豪腕が、何の気負いも感じさせずに剣を振りかぶる。ルベルはありったけの魔力で障壁と拘束束縛術式を展開する。

 

 しかしセイバーは剣さえ使わず、身震い一つで城壁にも匹敵するはずの防壁陣を霧散させて迫ってくる。まるで足止めにもなっていない。さすがは七騎の内最高ランクの対魔力を有するサーヴァントだ。

 

 が、それで十分だった。とうとう刃に届く間合いに入る、というところで、剣を振りかぶっていたセイバーの右腕が、予期せぬ死角から撃ち抜かれたのだ。

 

「ぬ――うッ!?」

 

 離れたところで驚愕に呻く声はキリヒトのそれだ。セイバーの豪腕を打ち抜いた光弾は、アーチャーがキリヒトを狙って放った矢だったのだ。

 

 それをキリヒトは空間転移で回避したのだが、バラ撒かれたうちのひとつが反射・跳弾を繰り返し、あらぬ角度から振り上げたセイバーの腕を射抜いたのである。

 

 無論全てはアーチャーの絶技によるところだ。さすがは腐っても「弓」の英霊。たとえ「的」が無くてもその矢は必中である。

 

 ルベルは奥歯を食いしばり、己の体内感覚の「時間」を操作、一気にマイクロセコンドまで加速する。

 

26, 13, 45, 11(チッ、チッ、チッ、チッ)――――」

 

 コマ送りのようにゆっくりと血潮が舞い、剣が落ちる。ルベルはその隙に手にした印章(シール)を飛ばしセイバーの胸部、心臓の位置にマークしようとした。――が、そこで、

 

『――ヌルいッ!』

 

 セイバーの冷徹な眼が、思念が、視線が、ルベルに向けられる。それが物語っている。ルベル自身の致命的な失策を。

 

 セイバーは右手などもとよりなかったかのように、宙に舞った剣を、そのまま残った左手で掴み取ったのだ。

 

 超圧縮された体感時間の中で、ルベルはその様を目撃し、そしてすべてを理解した。

 

 セイバーはもとより防御など考えていなかったのだ。アーチャーが腕なり足なりを狙って主の身を守ろうとすることなど、この男には先刻承知だったのである。

 

 その目が語っている。『――最初から首なり心臓なりを狙っておれば、せめて相打ちにはできたものを。だが弓兵よ、そのマスターよ。貴様等は違えた。腕などいくらでも持っていくがいい。だが――』

 

 白刃が横薙に振るわれる。アーチャーの宝具がこれに先んじる暇はない。ルベルは加速化されたまま回避をはかるが――、

 

『勝利は、こちらのものだ!』

 

 間に合いはしない。いくら感覚を加速しようとも、魔術師とサーヴァントではそもそも体術の練度に差があり過ぎる。賭に出たのが裏目に出たのだ。そして、無論のこと戦場においてその代償は命そのものである。

 

 気勢と共に見舞われた死神の鎌の如き肉厚の刃が、命を刈り取るかのようにルベルに迫り、――そして、

 

 その首をそぎ落とす寸前のところで、阻まれた。

 

 ルベルの首と白刃の刃とのあいだに、稲妻のごとく畝ねる大槍が突き立てられていたからである。

 

「ホッホ。いかんなぁ――」

 

 なんとも場にそぐわぬ、好々爺めいた声が夜気に響いた。ルベルは確認よりも先に飛び退いていた。サーヴァントが念話で安否の確認を求めてくる。

 

『無事か、マスター! 首はちゃんと着いとるか?!』

 

「なんとか、無事よ。――アーチャー、宝具は、まだ待機」

 

 セイバーは自らの剣を地に突き立て、隻腕で逆に自らの剣を阻んだ槍を引き抜く。

 

「……どういうつもりだ、貴様」

 

 そして戦場の端、とでもいうべき場所にあった高い塀の上に、ちょこりとあぐらをかいている禿頭の老人に鋭い眼光を飛ばす。

 

 そこで初めてルベルも、そこにもう一体のサーヴァントがいた事を悟った。――まったく、どいつもこいつも、一級品であるはずの先触れの結界が、まるで役に立たない。

 

『ランサーが現れたわ』

 

 それは正しく槍兵のサーヴァント・ランサーに相違なかった。くろむがさらわれた夜以来、その詳細はようとして知れていなかった相手だ。

 

「この女はマスター。敵の首領だ。女、子供だろうとそれを狙うことを咎められるいわれはない」

 

「ッホ。そんなことをいっとるんやない」

 

 言いながら、髭に覆われた面貌を巌のごとき憤怒に染めるセイバーの、刺すかの如き剣呑な気配に対して、ランサーはこの上なく呑気そうな顔で微笑んでいる。

 

「よくもまぁ、そんな顔ができるのぉ。女人にそんな顔をして迫ってはいかんだろうのぉ。いくらなんでもその顔はない。酷い顔じゃぞ? ホッホ。鬼でももう少しまともな顔をしとるんじゃなかろうか?」

 

 そう言ってクスクスと小さな体をゆするランサーに、セイバーは応えぬまま代わりにその槍を、砲弾のような勢いで投げ返した。

 

 砲火どころではない勢いで飛翔した十字の槍は、ふにゃふにゃと笑っていた老人の矮躯に直撃した。

 

 あわや自らの槍に貫かれて地に堕ちた、――かのように見えたランサーは、しかし傷も負うことなく、ネコのようにすとりと着地し、いつのまにか掴み取っていた己の槍をゆるりと構える。

 

 そしてセイバーを見上げてまた、微笑む。

 

「ホッホ。そう、怒るでない怒るでない。肩に力が入りすぎじゃて。いやな? わしとしても、唯の酔狂で出てきたわけではないんじゃ、冷やかしではないのでな」

 

「――ほう、それでは、なんのためででしょうな? ご老体」

 

 セイバーの背後から声が掛かる。キリヒトだ。赤い外套を翻した立ち姿からは、もはや負傷の名残さえ見て取ることはできない。

 

「ッホ。そうさな。――たいしたことでもないんじゃが、一度、己が殺したはずの相手がのこのこ出歩いとるのが珍妙でな、これは確かめねばと思い立った次第よ」

 

 ランサーのその眼、その言葉は、夜鳴手錐人に向けられている。絶えることの無い老僧の微笑に、紅い外套の怪人もまた無言のまま、人ならざる者の微笑で応える。

 

 どうやら、キリヒトおよびセイバーとランサーには既に接触した経緯があるらしい。しかし、ルベルにとってはその内実までは推し量りようのないことだ。

 

 重要なのは、一時膠着したこの状況から己がどのように動くか、ということである。

 

 ランサーの行動は不可解だ。際どいところで加勢されたわけだが、単純に味方と判ずる訳にもいかない。

 

 ゆえに、――ここでアーチャーの宝具でセイバーを倒させて良いものか?

 

 ルベルの心情を他所に、キリヒトが快哉を叫ぶかのように声を上げる。

 

「――これは異なことだ。こんな序盤で御三家がそろい踏みとは。――ふふ、流石にシュタウフェンと島原相手に二体一では分が悪い。今日のところはこのあたりにしておこうか、セイバー」

 

「ずいぶんと呑気な話だな、マスターよ」

 

 キリヒトの魔術であろう、アーチャーに打ち抜かれたセイバーの野太い右腕もまた、既に治癒が完了していた。セイバーはその腕で突き立ててあった自らの剣を引き抜き、鞘に納めた。

 

 不服そうなのは目に見えて明らかであったが、命令には素直に従う戦士のようである。ますます隙のない、嫌な相手だ。

 

 一方でルベルはわが耳を疑ってもいた。その言葉が嘘でないなら、このランサーは島原のサーヴァントということになるというのか!? なぜ島原がルベルに加勢を!?

 

「そう言うな。ここで御三家が三つ巴を演じるのは宜しくない。既にキャスターとバーサーカーは消滅したが、まだ伏兵はいるのだ。互いに共倒れということになっては、どこぞの馬の骨が漁夫の利を拾う、ということにもなりかねないのだよ」

 

 たしかに。――そうなってはこの儀式を執り行う御三家としてはいい笑いものとなるだろう。

 

 セイバーは最後に憤慨したように息を漏らし、寂然と微笑むランサーを睨みつけてから姿を消した。キリヒトも姿を消し、周囲には月の明かりが戻った。

 

『いいのか、マスター』

 

「いいわ。下準備は終わった。あとはいつでもセイバーを倒せる。――今は」

 

 アーチャーの声に、ルベルは肉声で応える。その場に居残るランサーへの牽制も兼ねているのだ。しかし当のランサーはというと、

 

「ホッホッホ。そう、構えなさるな。わしはお主らをどうこうしろとは言われとらんのでな」

 

 そう言って、また奇妙なほどの朗らかな顔で笑みを浮かべたかと思うと、知人と立ち話でもしていたかのような具合でペコリと頭を下げ、踵を返した。

 

「どういうこと――待ちなさい!」

 

「詳しいことは、また後日、とのことじゃ。ホッホ。その時は茶でも馳走になろうかの」

 

 ランサーもまた、そう言って姿を消した。

 

 辺りにはそれまでの戦闘が嘘のように、静寂が広がっていた。

 

『……マスターよ。傷の具合はどうだ?』

 

 そのアーチャーの声に、ルベルは口をつぐんだまま答えようとしなかった。

 

 

 

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